真祈り文庫
2001年9月29日・2
次のテープが始まります。・・・・・・・練習するのです、そうすると今の自分がプラスだったら、今の自分が更に価値あるものとして幸せいっぱいに感じられます。その差を大きくするほど謙虚にマイナスに立つ立場になり易い。ある意味で感謝を大きくするほど謙虚になるのです、プラスをいっぱい認める・受け入れる心になったほど謙虚になりやすいのです。
感謝の中に謙虚さが含まれています、だから、ご馳走でもお腹いっぱい食べて満腹という心になったら、後はどんなにお腹を減らしても苦痛に思いませんし、「ありがとうございます」だけで続きます。だから、何でも一生懸命に働いてお腹が空くとこまで、とことん空くところまで働けるのです。でも、少ししか物を食べていなかったら、空いているという感じだと働けません、お腹が空くのは怖いと感じます。だから、感謝で満ち足りた心は自然に下に降りられる心です、謙虚になれるのです。
だから、プラスをいっぱいまず受け直す事です。それから、低い立場と比較して自分がどれだけ幸せであるか・幸せが大きいかと気付くだけでも良いのです。
全部が本当は神さまの使いです、どのチャン
-ありがとうございます-
龍とかそういう神さまの使いという動物はありますか?
ありがとうございます:
全部が本当は神さまの使いです、どのチャンネルの中に出てくる姿にしても、そのチャンネルを構成する為には必要な役割です。だから神さまのお使いとしての役割を元々みんな果たしているのです。
ただ、少し限定して善いものを与えてくれるというお使いというのだったら、少し限定された姿で出てきます、だから龍とかそういうのが神さまの使いのように見えます。悪魔と言うと使いではなくなるようで、妖怪化け物では少し困ります。でも本当はみんな神さまのお使いと言えばお使いです。
神さまの方はいろんな教え方があります。も
-ありがとうございます-
神さまに教えて貰うというのは、自分で思い当たるということですか?
ありがとうございます:
神さまの方はいろんな教え方があります。もし何か疑問があったら、人の口使って教えて貰う時があります、人ではなしに色んな動物やものやからも感じる時があります、また中から声として聞こえたり、いろんなイメージがパッと出てきて答えをもらったり、また自分が考え付いたように答えが出てきたり。教え方は千変万化・自由自在に出てきます。
-ありがとうございます-
その時、単なる思い過ごしなのか教えなのかの見分け方はありますか?
ありがとうございます:
それは自分がどれだけ神さまと一体化しているかです。本物の神さまは全体なのです、必要だったら石ころからでも声が出てきます、すべてから答えを出してくるのです。どこから受けても神さまからの答えです。誰かの名前を知りたいと思ったら、その人の名前を中から神さまに教えてもらわないと聞けない?そうではないのです。その人の名前を知っている人に聞けば良いのです、一番手っ取り早いのです。
だから、神さまを全体と見てその神さまと一体感を深めておけばいいのです。そうするといつも必要な所から必要な導きを受けて教えてもらえます。
護摩の話を少しさせてもらいます。護摩の護
護摩の話を少しさせてもらいます。護摩の護という字は「まもる」という字です、護るというのは、完全なものを燃え上がらせるように、本物を現すという意味があります。摩の方は麻に手で、魔物の魔ではなく麻に手です、麻を細かく切り裂くのです、切り裂いて消し去るという意味です。だからこれは偽物を細かく砕いて消し去るそして本物を現すというのが護摩の姿です。
キリスト教と仏教と神道と大きく分けると三つの働きがありますが。キリスト教の方は良く洗礼といいます、水の洗礼、水というのは汚れを洗い流します。形の水の洗礼は模型で、本当は霊の洗礼なのです。水の清めは、汚れを洗い流してくれるというのは、柔らかい優しい清めなのです。
護摩は仏教の方のやり方です、火の洗礼というより火の清めです。不動明王が中心に立つのです、だからちょうど汚れたものでも火にかけると、回りの汚れが全部焼けて消えて本物が出てきます、ちょうど不死鳥・本物が飛び立つのです。
神道の方は玉串奉奠なのです、玉串というのは天照大御神さまの玉体を指します。元々の由来が榊・永遠の生命の象徴です、そこに紙垂、階段状に作った段だらの状態のものをくくりつける、あれは螺旋構造を表す、宇宙創造の仕組みなのです。玉串というのが天照大御神さまの最高表現を指しているのです、だから本当の自分とか天照大御神さまを指しています。それを神さまの前に捧げるというのは、捧げる時に回して逆に根の方から捧げます、根こそぎ・自分のすべてを一切を捧げ尽くすのです、そして神さまから新たなものを受け直します。だから、天照大御神さまの玉体を受け直すというのが本来の意味なのです。
小さく言うと、小さい自分の命もすべて捧げて新しい自分を受け直すという意味があります。だから、神さまへの全託です、神さまにお任せする事によって自分のマイナスを一切消してもらいプラスの本当の自分を受け直して、清らかな自分として出てくるのです。
キリスト教の十字というのは、マイナスの否定・クロスとプラスの復活と両方あります。偽ものの自分を切り殺して本当の神なる自分を復活させる、これが十字の意味です。その十字が回転しだすと卍になります、仏教の卍です。卍が更に高速回転すると円になります。
汚れを取るのでも、汚れ物を洗濯の石鹸水につけておくというだけでも汚れは剥がれていきます、今度これを洗濯機にかけて揉み解すわけです、更に汚れが離れて綺麗になります。今度は遠心分離機にかける、高速回転です、そうすると本物と偽物の区別がつき、本物だけが残ります。
だから、同じ本物を現す現し方も大きく分けると三通りあります。円になった時に初めて、どこが始まりか終わりかわからないでしょう、ここを始まりと決めたら、ぐるっと回ったと同時にそこが終わりなのです。不思議な形、模型なのです。
キリスト教も仏教も神道も本当の神さまの救いの働きのいろんな種々相というのですか、そういうものだったのです。すべてを包容して全部中に持つ大きい救いの働きが古神道です。古というのは古いという意味ではなくて、口の上に十字があります、だから言葉を超えて縦横無尽な働きをする神さまの働きなのです。神の道というのは、道というのは離れているものを繋ぎ合わせます、そしてまた、宇宙に満ち渡るという意味です。本当の縦横無尽の神さまの働き全体が宇宙に満ち渡っているという、これが古神道です。
そうすると古神道が本当のすべてになるのです、本当にすべてを幸せにする働きです、本当の清めの働きです。だから、清めというのも、浄化の浄と清らかな清と二つあるでしょう。水の清めは浄化の浄なのです、三ずい・水が争うという、争うというのは激しく動き回るという意味です。速い厳しい強い流れにさらすほど汚れが取れます、これが浄化の浄です。
清めの方の清らかな方は、三ずいに青です、水が青いというのは本質なのです。この清めの方は本質を現すという意味です、表面の汚れを取るというより本質を現して清めるのです。火の清めがそうです、火にかけることによって本質が出てきます。
白金というのがあります、白金というのはどんな汚れを付けても火の中に入れたら汚れだけが綺麗に取れて、白金が綺麗に輝きます、すごいですあれは、綺麗なものです。だから本物と偽物とがはっきり区別がつくのです。火の中に入れると、本物だけが不死鳥のように蘇ります。
護摩というのはそういう意味で、護摩木に自分の名前を書きますが、これも自分を捧げ尽くしている姿だと思います。捧げ尽くして例えば「ありがとうございます」と唱えると、そこは光り輝いた姿・燃え盛った姿をとります。一本でも明るいのです、二本寄ると相乗効果を起こして、三本寄るとまた起こしてというように。たくさん寄るとそこが一大巨火に変化します。これは個人的な汚れを取る段階をはるかに超えてしまいます、大きい一大巨火になったら世界を照らす光に成ります。言ったら闇を消す・マイナスを大きく消す働きをします。そういう意味で護摩というのは必要なのです。
私は小さいときに良く護摩を焚いていたようなのです、父が色んな人を助ける意味で家で護摩をしょっちゅう焚いていました。部屋の中で焚くのですが、天井があまり高くない、これ位ですか、それで上から紙垂が垂らしてあります、その下で焚くのです。かなり火が天井まで燃え上がるのですが、紙に火が燃え移らないのです、不思議にあれだけ燃えているのに、紙の所まで火が行っているのに全然燃えないのです、焦げもしないのです、不思議でたまりませんでした。
だから護摩というのは守りがそれだけ加わっているのです。紙垂は本物を表しているのです、天照大御神さまの玉体を象徴しているから火にかけても燃えないのです。それで、汚れを全部綺麗に焼き滅ぼして綺麗に本物を出してくださるのです。だから、護摩で色んな問題が消えたのを覚えています。でも問題が消えるだけではありません、火の場合は本物を現して下さるというのが本当の目的です。
ありがとう護摩はまた特別なものがあるかもしれません、悩み解消とか問題解消ではないのです。本当の一大巨火をそこへ現すようなものかもしれなません、皆さんも全部名前を書いて置いていってください、参加されなくても書いておいて頂いたら、一大巨火になって世界を照らしますから。
目的を仕事を与えるのがいいのです、あまり
-ありがとうございます-
痴呆症の方にはどのように接したら良いですか?
ありがとうございます:
目的を仕事を与えるのがいいのです、あまり労わり過ぎて何もさせないと惚けます。逆に仕事を与えて手伝って貰う方が良いのです、惚けている暇がなくなります。
大きい目的を与えるほど良いのです、そうして力を出さないとどうしようもないという状況に置く方がいいのです、手伝い過ぎても労わり過ぎてもいけません。本当の仕事、きつい仕事を与えて、芝居してでも助けてもらった方が良いのです、そうしらた、自分の中の力が湧き出るように出てきます。目的を持ちだしたら惚けなくなります、惚けるのはやる事をなくし目的をなくした時です、何か目的を与えるのが良いのです。猫一匹の世話でもさせたら惚けなくなります、花のお世話でも、何か目的を与える事が惚けを解消する道です。
若い時から惚ける人が最近多いのですが、生きる目的がないのでしょうか?これから寿命が延びて八十・九十まで元気に活動した方がいいし、しなければいけない、だから若惚けしたら損です。五十・六十から惚けている人がいます。大きい目的を持って生きるのが大事です。
恨み続けた人がある程度謙虚になった時に
-ありがとうございます-
恨み(マイナスの念)は「ありがとうございます」で消えますか?
ありがとうございます:
恨み続けた人がある程度謙虚になった時に、神さまの救いがすっと入ります。そして、お祈りをする人を通して大きい光を投げかけてくださったら全部消えます。そして、涙が流れて感謝の心を起こします。
ただ、本人の自由意志があるので(本人が)謙虚にならないと無理です。謙虚になるまでは、まだ頭を打つのが必要だったら、恨み続けて頭を打つようになります。やはり時期の問題です。
-ありがとうございます-
私はどうしたら良いのですか?
ありがとうございます:
自分の前に現れるのは必ず、感謝を深める段階の人ばかりと思っていたら良い人ばかりになります。感謝している人の傍には必要な人しか寄って来ません、そういう時期のきた人が集まってくるのです。過去にどんなに恨み続けた人でも、謙虚になって助けを受けやすくなった人が来るようになります。
-ありがとうございます-
そういう人が現れるのは自分の中に同じものがあるからですか?
ありがとうございます:
人は誰でも同じような姿をとっているのです、過去にそういう時に自分も助けてもらっています、そして今の自分になっているのです。そういう意味では恩返しをさせて貰うのは幸せです、恩返しをする事で喜びが殖えます、過去の自分を助けてもらった時の感謝の念を深く起こせて、一石三鳥ぐらいの喜びです。
-ありがとうございます-
その恩返しの仕方は、その人が無限に無限に輝いた感謝の人であると拝む事ですか?
ありがとうございます:
それが一番です、「ありがとうございます」と拝む事です。
-ありがとうございます-
マイナスの想念をたくさん持っている人をプラスに導く役割があるから、そういう人が寄ってくる事はないのですか?
ありがとうございます:
それも、ずうっと来るわけではありません、順番があります。そういうマイナスを持った人も来ないと、有り難味も自由意志もなくなります。そういう人も来て、すぐにぱっと変わるような人も来てというように、色んな姿を体験させて貰うのです。そうして、感謝が深まるようにしてもらって、いずれは光り輝く善い人ばかりになります。
感謝が深まってそうならないといけない、マイナスの人も拝めて感謝できて、そして最高の姿に出会わせてもらって感謝が深まればいいのです。順番があります。自分は神さまに守り護ってもらって最短コースを歩むようにしてもらっているのです。
疲れたら喜びます、ああいっぱい働いたと、
-ありがとうございます-
先生は、疲れないですか?
ありがとうございます:
疲れたら喜びます、ああいっぱい働いたと、みんなの為に役に立ったと喜んでいます。そうしらた疲れはいっぺんに消えます。疲(付かれ・つ枯れ)れという言葉も、あの世からいろんなものが引っ付いてきたという意味があります。また、力を出し尽くして空っぽになって何の力もないというような意味ですけど、いずれにしても「ありがとうございます」と喜んだら、引っ付いたものも綺麗ななるし中からエネルギーの補給がしてもらえるし、どんどん新たな姿に置き換えて貰う姿です。だから喜べばいいのです、疲れれば疲れるほど元気になります。
-ありがとうございます-
忙しいという言葉は、心が亡くなるという意味だからあまり使わない方がいいですか?
ありがとうございます:
そうです、特に過去を掴み過ぎています、忙しいのは過去の掴みが連続しています。過去を掴むと心が囚われてマイナスになります、自由を失い苦しいのです。今の一瞬を喜んで生きるのは過去を掴んでいませんから、一瞬一瞬喜んで生きていたら忙しいとは言わない、楽しいと言います。
形にマイナスが出るのは表面(から)の浄化
-ありがとうございます-
浄化や清めの過程で、病気や事故は出ますか?
ありがとうございます:
形にマイナスが出るのは表面(から)の浄化です。心の中のマイナスが形に転換する事によって心の中のマイナスが消えます、形に出てしまいます。それが形のマイナスの浄化の姿です。でも、お祈りで奥から消すのは、ちょうど太陽が霧を消すように形にマイナスが何も出ずに消えていきます。お祈りしている人は形に出る前に消されてしまうので、マイナスはあまり形に出ません。
-ありがとうございます-
形になって出てくるものは、そうやって消えなかったものが出てくるんですか?
ありがとうございます:
まだ消すものが多過ぎて、お祈りの光が弱過ぎて、・・・大きいごみの山があってそこに火が降りて燃やす時に煙も出ます、そして燃え滓も出ます。そういう消し方だとマイナスが少しは出ます。心がもやもやとしたり、形でマイナスが・燃え滓が出るのです。消し方はいく通りもあります。
-ありがとうございます-
光が強ければ跡形もなく綺麗に燃えるのですか?
ありがとうございます:
ごみ焼却炉でも温度の高い所ほど完全燃焼です、お祈りを深くするほど大きい光をたくさん受けて、完全燃焼の姿でマイナスが出ずに済ませて貰う事が多いのです。
宇宙全体の意思が現れています、無限創造で
-ありがとうございます-
根源の神さまは存在することに意思がありますか?
ありがとうございます:
宇宙全体の意思が現れています、無限創造です。同じ事を絶対繰り返したくない、常に新しい最高表現をし続けるという意思があります。そしてそれをを心行くまで味わい尽くして喜んでいます。
-ありがとうございます-
マイナスを創造しているのは誰ですか?
ありがとうございます:
神さまです。マイナスだけを創造しているのではありません、無限の無限のプラスを頂点にしてその中にほんの小さくマイナスがあります。光と闇があって、光だけだったら大きい光そのままひとつです、闇があるから大きい光から小さい光まで色んな段階が生まれるのです。光の表現を無限に変化させるのが闇の働きです、闇がなかったら光は単調なものです、蛍の光も生まれないし星明りも見えないし。それでさえ実の光です、闇がなかったら虚の光は見えません。虚と実の両方の光を全部中に含んだ大きい光を創造しています。闇も神さまの作ったものです。
光の表現が調和しているのです、光一元が調
-ありがとうございます-
・・・質問不明・・・
ありがとうございます:
光の表現が調和しているのです、光一元が調和しているということは、光一元が調和して生まれているのです。両方からの与え尽くしあいです、光をたくさん受けたところは大きく輝き、小さく受けたところは闇に近い。どっちも与え尽くしあって無限の無限の段階の光の表現が生まれています、与え尽くし合いで調和しているのです。
-ありがとうございます-
・・・質問不明・・・
ありがとうございます:
光一元という言葉も解釈がいく通りもあります。光と闇があって0の立場から光だけを肯定して闇を無理やり消す光一元があります、0から出発した光一元です。闇の極の絶対の0(零)から見た時は、闇の方は虚の光です、虚の光が一元にあって0からは実の光が・・不明・・本当の光一元は、絶対の0(零)から光一元に闇も光も同時に見上げるのが光一元です。浅い光一元と深い光一元があります、深い方が本物です。
ブラックホールは闇が深いのです、光を吸い
-ありがとうございます-
・・・虚の光というのは人間界においては、どのようなものですか?
ありがとうございます:
ブラックホールは闇が深いのです、光を吸い込んで消えてしまって闇になります、闇が深くなるというのは普通の闇が虚の光が輝いているという意味です。ブラックホールから見たら普通の闇は虚の光が大きく輝いているのです、浅い闇は虚の光が大きく輝いています太陽のように。
ブラックホールの深い闇から見ている人にとったら、この世の暗闇は無限に輝いているといいます。月も星明りも消えて本当の暗闇という状態が太陽のように輝いた状態に見えます。
-ありがとうございます-
虚の光は見えますか?
ありがとうございます:
見えます、立場を変えたら。この世で見ている可視光線の光は本物から見たら模型の模型でしかありません。本当の神さまの光はもっと無限に複雑です、種類が多いのです。
本当は神さまが一大統一しています、無限の
-ありがとうございます-
神さまの言葉があるように、悪魔のささやきもありますか?
ありがとうございます:
本当は神さまが一大統一しています、無限のプラスの言葉から無限のマイナスの言葉まで中に含まれているのです、マイナスというのはそこにプラスがないというだけです。プラスが少なくなるとマイナスが大きくなった姿をとります。本当は神さまのプラスの言葉なのです、一元の表現といった方が良い、どれだけプラスの言葉が多いか少ないかだけです。
-ありがとうございます-
光も闇も一元ならば、マイナスからもプラスが作れるのですか?
ありがとうございます:
正しい見方は、相対に分かれたものを二元的に見るのは正しい見方ではありません、分かれたものをひとつに統一して一元に見るのが正しい見方です。
感謝の心はすべてを一元に見るのです、思いは二元的に見ます、善悪を区別したり、二元に見るのは思いの方です。(思いは)ひとつの立場を掴みますからその立場からしか見えません。感謝の心は立場を自由に移せます、一番下にも一番上にも立てるので全部一元に見れます。感謝の心を生きるのが神さまの心です、すべて一元に見えるのが大事です。
-ありがとうございます-
天照大御神さまの中にも闇が含まれていますか?
ありがとうございます:
古事記の中に天照大御神と月読命と素戔鳴命と三つでます、これは模型で例えたら太陽と月と地球です。小さい天照大御神さまは太陽です、月も地球も含めて大きく見たのが大きい天照大御神さまです。本当は三つを大きくひとつに見ないと天照大御神さまの本当の姿ではない、天照大御神さまは全体なのです。
高い番組と低い番組を比較した時に、高い番組ほど
-ありがとうございます-
神棚や神社は綺麗に掃除されていますが、神さまは綺麗な所が好きなのですか?
ありがとうございます:
高い番組と低い番組を比較した時に、高い番組ほど適材適所に配列されています、役割りがはっきりしているのです。ごみや埃がどこにもあるのではありません、必要な働きだけがきちっとあるから綺麗に整理整頓された、綺麗に掃除された姿をとるのです。
低い番組は役割が決まらない、雑然としています、混沌としてばらばらです、ごみだらけに見えます。汚いものは汚い所へはっきりと整理して移せばいいのです、そうしたら綺麗に見えます。掃除された姿の方が高い番組です。心の中もそうです、すっきり掃除された方が高い心境です。思いがいっぱいで雑然としていたら低い心境です。すっと澄み切って全体がはっきり見える心がいいのです。
-ありがとうございます-
現実に掃除をする事は大事ですか?
ありがとうございます:
大事です。掃除をする事で心の中を掃除しているのです、ちょうど裏表になります。掃除する事は自分の心を掃除する事に成ります。掃除する整理整頓する事は心の整理整頓に繋がって清めに繋がります。
-ありがとうございます-
ものを大事にするのと、ものに執着するのとの兼ね合いがわかりません?
ありがとうございます:
本当に必要なものだけを残すのがいいのです。必要でなかったらそれをうまく循環させてくれる所へ回してやるのが一番良いのです、今は物が多過ぎます、全体にものが多過ぎてごみに捨ててしまいます。でも、ごみに捨ててもいいものも多いのです、あまりに多過ぎると家でも狭くなります、すっきりしません。捨てる段階に入った時には必要なもの以外は絶対に買わないと徹底した方がいいのです。
-ありがとうございます-
もったいないの(もったい)とは何ですか?
ありがとうございます:
単なるものではない、神さまの命の結晶ということです。神さまの愛の・命の結晶だったら大事に使うでしょう、自分を幸せにする為の神の愛の変身の姿ですから、大事に使わないと申し訳ないのです。
-ありがとうございます-
掃除のプロは劇薬を使って綺麗にします、喜ばれるのですが本人には害があります。本人にはプラスなのでしょうか?
ありがとうございます:
劇薬を使ってまで綺麗にしなくてもいいのです、そこまで必要かと考えると必要ないのです。本当の綺麗にするというのは中から輝きが出てくる綺麗にする仕方です。外見だけを飾るような綺麗にする仕方ではないのです、中から輝き出るような綺麗にする仕方が大事です。
だから、感謝をしながらというのが大事です、感謝をしながら中から神さまを引き出すような掃除の仕方、表面を綺麗にするのが目的では無く、掃除を通して中から輝きを引っ張り出すのが本当の綺麗にする仕方です。
乾拭きでもいいし水で拭くのもいいし、その度に神さまを引っ張り出しているという掃除の仕方が理想です。それを短時間で綺麗にする為に劇薬を使ってするのは、時間節約でよさそうに見えますが、神さまを引き出す働きはしていません。時間をかけて繰り返して「ありがとうございます」と言いながらが大事です、本当の意味での中からの輝きを引っ張り出すやり方です。
「ありがとうございます」を唱える中に、天照大
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」は誰にも分かりやすい言葉ですが、先生の中にはそれ以外に何か言葉がありますか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を唱える中に、天照大御神さまに成ったり全徳の無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱいと成ったり、唱える中にたくさん散りばめられている感じです。
「ありがとうございます」と唱える中に「無限の無限のありがとうございます」が中にあったり、皆さんの「ありがとうございます」を全部自分の中に取り込んでいたり。ありとあらゆる「ありがとうございます」を中に全部含めてしまいます。
-ありがとうございます-
なぜ「無限の無限の」と二回繰り返すのですか?
ありがとうございます:
大事な所なのです、幾つもの意味がたくさん有りますがその代表的なものが、
今の自分が無限の幸せを掴んだとすると、そうしらた過去・現在・未来と無限の時間にいる自分もあります。そのすべての時間の自分もそれぞれ無限の幸せを掴んだら、無限の無限の幸せということに成ります。
そして、無限の無限のチャンネルの中にいる自分、その自分も全部無限の幸せを掴めます、それを全部まとめた自分は無限の無限の幸せです。宇宙は八尋殿されてという相似形で入れ子構造の姿をとったとして、今の宇宙にいる自分・他の宇宙にいる自分が、これは無限にあります。そうすると無限の無限の幸せです。
自分という一人が無限の幸せを掴んでも他の人もいるのです、無限の人が無限の幸せを掴んだら、それを全部自分の幸せに取り込んだら無限の無限の幸せです。これが人だけではなく、神さまであっても、生き物であっても、物であっても、石ころでもそうです、全部の無限の幸せを全部自分の幸せに取り込んでしまうのです。必ず無限の無限の幸せが自分のものに成るのです。
幸せというのは同じ状態では続きません、必ず新たな状態で出てきます。質的にも変化してどんどん高くなっていきます、量的にも大きくなっていきます、深みがどんどん出てきます。そういう意味で無限に大きく変化します、幸せの顔が無限にどんどん変化します、変化した姿で現れます。
他にもいろんな意味があって、無限だけでは足りなくなります。だから、無限の無限のといってそれで十分かというとそうではありません。無限の無限の中のひとつの幸せが、また中に無限の無限の幸せを持つのです。そうなると言葉を超えて想像を絶してわからなくなります、その位すごいのです。だから、「無限の無限の」というのは小さくとどめている位です。
ありがとうございます