真祈り文庫
2001年9月29日
No.1
どう考えても自由で、どんな考え方も成り立
-ありがとうございます-
アメリカ同時多発テロについてどう考えたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
どう考えても自由で、どんな考え方も成り立ちます。自由自在にどんな考え方を持っても悪いことではないのですが、番組を上へ上へあげていく為にはプラスの見方・考え方というのは大事です。マイナスに見ていくとどんどんマイナスに落ちていきます、番組を下げてマイナスの多い番組になっていきます。
本当は、どんなマイナスの大きい姿でも、もっと大きいマイナスを軽く済ませてもらったという見方が大事です。無限のマイナスをこんなに軽く済ませてもらって、助けていただいたのだというプラスの見方をするとあまり悲しまないで済みます、また仕返ししようとも思いません。
だから、いろんな地震にしても災害にしても、人的な戦争という災害にしても、みんな大難を小難に変えてもらっているという見方が大事です、実際本当にそうなのです。感謝の心で眺めたら、無限のマイナスをいつも免除していただいているというのが本当なのです。少しだけ勉強材料を残してもらって、勉強材料がないと反省もしないし、それをプラスに置き換えていこうという努力もしないと思います。そういう意味ではマイナスを少しだけ勉強材料に残して頂いているのです。
ああいうテロの問題でも、どちらが悪いと言えばどちらも悪いし正しいし、言い分はみんなに有るのです。だから、最初の出発点がどこにあるかです、それはずうっと大昔かもしれない、それが順番に恨み合ってそれがエスカレートしてきているのです。だから、責め合うことは出来ないのです、小さいものがドンドン大きく成ってきているだけなのです。テロ、テロ側といったら悪いのですが、ちゃんと言い分があるのです。
その言い分を聞いてあげられるようになったら、報復しなくてもいっぱい援助してあげたら良いと思います。本当に満足するように助けてあげたら・愛を示してあげたら敵対してこないのです。
上に立って助けてあげているというような気持ちだと傲慢なので反発するのです、こちらの命も全部あなたに預けます・全部あなたの為にだったら差し上げますという感じだったら愛が有るのです。敵ではなかったら攻撃してきません、全くの無抵抗主義でもいいのです、自分の命を預けましょう・与えましょうという気持ちだったら相手と一体化します。相手に心の中から愛が芽生えてきてそれに答えてくれるのです。
本当に争いなんて無駄な事をしています。今回ももし攻撃したら何兆円と一変にパッと消えるんでしょう、それを援助に回したらすごい事だと思うのです、皆飛び上がって飛び上がって喜ぶでしょう。
プラスにプラスに見ていけるのが一番大事です。今回の事件は、マイナスに見た分はまたマイナスを再現し同じ事を繰り返します。テロという言葉もあまり使わないほうが良いのではないでしょうか、大きいマイナスを軽く済ませていただいたと、プラスに言葉を使って解釈していくほうが、本当の意味で世界を平和にしていく一番の方法だと思います。
段階がいろいろあります、一番上の段階は本
-ありがとうございます-
うちはお寺なのですが、お金を強請られたり賽銭泥棒がいたりします。それにもどうぞどうぞと差し上げて、消してもらっているのだとするのが良いのですか?
ありがとうございます:
段階がいろいろあります、一番上の段階は本当の無抵抗主義です。キリスト教ならイエスキリスト、上着も取られたら下着も与えよというのです、右の頬を打たれたら左の頬を出して打たれよと。本当にそこまで無抵抗主義に成れれば大きい神さまの力がそこに加わります、そうしたら本当の意味で気付く筈です、そうして自分の過去世のマイナス・因縁を全部消してもらえるのです。
どんなマイナスが出ても過去の借金なのです、借りがあります、それを「借金取りが今現れている」という感じなのです。本当は自分のほうから前の世の貸主を探して利息つけて恩返しに行かなければいけない、これは大変なのです。だから向こうの方から利息を軽くして借金を催促にきてくれているのです、大恩人からそういうふうに来てくれているのです。だからそういうマイナスの姿も過去の恩返しです、借金返しです。
だから「ありがとうございます」と感謝するのが本当は一番良いのです。それで盗っていかれるのだったら盗っていかれた方が良いのです。でもそこまで感謝したら、「そうかそうか良くわかった、それじゃ全部免除しよう」と成るかもしれない、お金を置いていってくれるかもしれない、本当の生き方は無抵抗主義で感謝する事だと思います。それ以上絶対に悪くはならないのです。
肉体
-ありがとうございます-
肉体を持っている意味について教えてください
ありがとうございます:
この世だけでは無いのです、どの世界にも体(たい)はあります。いってみれば道具ですね器です。肉体があるから色々と働けるという一面があります、またいろんな表現として出てくるのです。
元々が、神さまの宇宙創造の仕組みの中のひとつの部分なのです。肉体があるから色んな働きが出来て形を生み出します。また、肉体を持つということはあの世へ波長が合わせやすくなります、肉体を持つということはひとつのアンテナの役目をします、そこに心を自由自在に変化させて色んな世界に波長を合わせやすいという一面があります。また、あの世の人もこの世の人の肉体を使って、少し病気をするという姿をとってこの世での本当の心の勉強が出来たら進化が速いのです。だから、この肉体・体というのは、自分の為にだけではありません、他の人の為にもあの世の人の為にも役に立つのです。
だから、大事なのです。自分の体だと思うと粗末にするのですが、本当に尊い神さまからの預かりもの・皆の為の体なんだというと本当に価値が出てきます。
-ありがとうございます-
三次元のルールを学ぶために肉体があるということですか?
ありがとうございます:
ただ次元というのは、三次元というのは縦横深さですか?四次元・五次元・六次元というとどういうふうになるのか?そう思うのですが。そういう意味だと無限次元とはいえなくなります。一点とか平面とか立体とか考えていくと、無限の立体というのは想像できません、次元というのは波の違いと考えたほうが良いのです。だから三次元というのもいいのですが、無限の中のひとつの次元という見方のほうが、考え方としてあの世の無限次元に波長を合わせる意味で心のもちかたが自由になります。
-ありがとうございます-
肉体次元のルールで生きているのですよね?
ありがとうございます:
そうです、あの世の縮図という・無限次元の縮図としての肉体次元という方が色んな意味での活用価値が増えるのです。
-ありがとうございます-
肉体次元のルールを破る、超えるためには破らなければいけないでしょう
ありがとうございます:
小さい殻を破って大きくなる、また、大きいものを縮小して小さく模型的なものに変えるとか、自由自在に大きくしたり小さくしたりする勉強にもなります。
-ありがとうございます-
結婚や離婚で、三次元的な肉体レベルと魂レベルではどちらを優先するべきですか?
ありがとうございます:
本当は、過去を掴んでそれに強く執着せずに過去を思わなかったら、この世でもっと自由なのです。自分を高める、または、お互いに高め合う相手だったら毎日変えても良い位なのです。
ただ、過去を掴んで執着する人がまだ多いのです、まだ自分の思い通りにしたいという間は・思いを消さない限りは縛り合うのです。縛り合って善く成るのではないのですが、逆なのですが、放し合う方が・放すほうが良いのです。それがまだ十分にできないという段階です。
それを消す為には、もっと自由な生き方を優先させていく方が良いのです。我慢して縛られているよりは、もっと自由に伸び伸びと生きていく方が縛りを解いていきます。
-ありがとうございます-
三次元のルールから自由になった方が、多くのチャンネルを見られるということですか?
ありがとうございます:
そうです、そして三次元のルールも本当の意味で善くしていけます。縛るのではなく自由に開放するというのが良いのです。
-ありがとうございます-
ルールとか制度はなくなるということですか?
ありがとうございます:
プラスだけが出てきたら、縛り合わないのが本当なのです。悪いことは絶対に起こりようがないというところが良いのです。マイナスが出てくる・抑えるというのが縛りです、縛ったからマイナスが無くなるのか、消えるのかと言ったらそうでは無い、押し込めただけです、爆発する時があります。
執着の心は、ひとつのものを掴みます、そうしたらそれだけが自分のものなのです。そうすると他の無限の大きいものが自分のものでは無く成るのです、必ず不足の心に成るのです。それで足りないから求める心に成るのです。求める心を生きているとやはりマイナスです、苦しいのです。だから、与え尽くす心になったら本物です、それは感謝の心に生きて、神さまから無限のものを受け直して満ち足りた心になっていたら、後は与えるだけが楽なのです。与える心になる為にも感謝の心というのは大事なのです。
-ありがとうございます-
与える心の中で、相手を変えたいというのはいけないのですか?
ありがとうございます:
いけない、求める心が少しでも絡むと苦しむのです。与え尽くすだけで、受けてくれても、受けてくれなくても結果には頓着しない、今受けるのも何億年先に受けるのもあの人の自由なんだという感じで、徹底して突き放す位が良いです。
-ありがとうございます-
突き放す位が良いのですか、すべてを与えるというか?
ありがとうございます:
与えるという気持ちも消えるのです、言ってみれば、ローソクの灯火が光っている、光っているのは光を与えたいからではないのです、自分が勝手に光っているだけです、光が勝手に放射されています。与える心というのは本当はそうなのです、自分がただ働いているだけです、自然な姿なのです。だから、あの人に与えてこの人に与えないというのは少し難しいのです、自分は与えるしか無いという生き方で・それが喜びだからという感じで良いのです。
-ありがとうございます-
人をどうのこうのより、自分をいかに高めるかという事ですか?
ありがとうございます:
神さまからたくさん光を受けたら、自らが光り輝いて自然に周りに光を与えているのです。この自然な循環の中に身を置くのが大事です。
受けたものを掴んだままでは新しいものを受け
-ありがとうございます-
受けると、受け直すは違うんですか?
ありがとうございます:
受けたものを掴んだままでは新しいものを受け取れないのです。常に今受けたものをお返しして新しいものを受けないと。常に直に・光源・命の本源・神さまに向けてないといけない、自分の心をしっかりと。向け続けるというのを忘れると、受けたままで終わるのです、一回きりです。受け直すというのは、常に神さまに心を向けて新しいものを一瞬一瞬受けていないといけない、それで、受け直すというのは大事なのです。
-ありがとうございます-
一瞬一瞬は無限億万分の一秒で、それは連続したもののように感じてしまい受け直しが難しいのです。せめて、一秒一秒くらいなら理解しやすいのですが?
ありがとうございます:
最初はそれでいいのです、最初はそういう練習です、一秒単位で良いと思うのですが。
-ありがとうございます-
受ける・返す、受ける・返す、の連続ですが、受け続けるではダメですか?
ありがとうございます:
受け続ける事が受け直すなのです、ただ一瞬一瞬その違いがわからないといけません。細かい所まで違いがわかったら本当の意味の受け直しになります。だから、人を見るのでも別人に見えないといけません。
かも知れません!自分が本物でないと本物は
-ありがとうございます-
大変失礼な質問ですが、先生の仰る事が全部嘘だったらどうなるのですか?
ありがとうございます:
かも知れません!自分が本物でないと本物はわかりません。嘘か本当かは自分しかわからないのです、自分が見抜いているのです。嘘の自分だったら嘘だと思い、本当の自分が出てきたら本物だと思うのです。それはその時の自分の状態で自由自在です。
でも、本物はまだこの世には出ていません、本物の片鱗が少し垣間見れる位です。この世に出るのは、たいしたことはありません。本物は言葉では無い、本物は言葉を越えています。言葉は本物を指し示すだけです、だから指し示し方が本物かどうかなんてわからないのです、本物とは違うのです。だから言葉のは偽物です、みんな嘘です(笑い)。
-ありがとうございます-
それは「ありがとうございます」という言葉にも当てはまるのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」という言葉はたいした事はないのです、中身です。言葉の指し示す中身の方が本物です。だから「ありがとうございます」の言葉を使っていると本物へ心が向くのです、本物を捉えた時が本当の意味で本物になるのです。
唱えているうちにだんだんと本物に入っていきます、そして、本物をしっかり捉えるようになります。
-ありがとうございます-
指し示した先を意味する言葉で、一番近いものは光ですか、それとも神ですか?
ありがとうございます:
すべてなのです、神でもあるし、輝く光でもあるし、命でもあるし。それはどういう要素から入っても良いのです、芸術家だったら美というところから入るかもしれない、科学者だったら真理・働きから感じるかもしれない。宗教的な生き方をとる人は神さまの愛という部分から入るかもしれないのです。すべてから入れます。
-ありがとうございます-
愛・美・喜びなどの感情が湧くのは、感じる対象が本当は自分なのだとわかったということですか?
ありがとうございます:
本当の自分・本当の神さまを感じた事なのです。別だったらわかりません、一体感がないと、ひとつになっていないと感じないのです。
-ありがとうございます-
先生自身は、腹が立つ事・腹が立つ振りをする事はありますか?
ありがとうございます:
腹は全然立ちません、何をされても立たないのです。相手次第で芝居をしなければならないときはするかもしれない、きつく叱ったりする必要があったらします、でもあまり出来ないのです。
-ありがとうございます-
落ち込む時はないですか?
ありがとうございます:
一番下にいつも落ちています、いつもさあっと上がるだけです。
-ありがとうございます-
二十歳以前は落ち込んだ時はありますか?
ありがとうございます:
人生の目的について悩み抜いた時はありますけど、それでもそんなに落ち込まないのです、常に前向きに考えていました。転ぶのだったら前へ転ぼうと!!。
世界全体を大きく達観する・見るというのが大
-ありがとうございます-
会社の経営者は何を一番大事にしたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
世界全体を大きく達観する・見るというのが大事です、それで、全体にとって何が必要かとそれを見抜いて、それを達成するのに自分が何が出来るのかと。自分を助けてくれる同じ志の人を周りに集めてその人をいかに生かすかです。
-ありがとうございます-
実際の日々の営業活動と、世界全体を達観する事が結びつきにくいのです。
ありがとうございます:
いつも全体を見ないと間違います、小さい部分に閉じ籠もったら全体にとって必要な事は出来ません。全体が有って百の部分が有るとして、百の部分が同じ事をしてしまったら全体が調和しないのです、必要なもの供給も何も出来なくなってしまいます。常に全体にとって何が必要かとそれぞれ役割を分担して、同じことをしたらいけません、違う事で全体を調和させていかないといけません。
会社や企業がお金儲けを目的にすると本当の役割を忘れます、お金儲けなんて目的ではないのです、それが大きな間違いです。社会へ必要なものを与えていかないと、必要な事を見抜くことが一番大事なことです。そして自分から動き出すのです、自分が必要な事を果たしていくのに自分にその役割が有ります、自分が必要と感じる事は役割を与えてもらって能力を与えてもらっています、自分が動き出した時に周りから同じような志の人が集まるのです。
集めるのも無理して集めるのではなく、自然に自分を助ける意味で集まってきます。それをお金で集めたらいけません、他で働く人を自分の方へ引っ張ってしまう事になります。同じ志の人が集まらないと本当に大きい助け合いが出来ません。
だから、必要なものを与えていかないといけません、世の中には無駄なものがいっぱいあります、必要なものではなく無駄なものが多すぎますから、無駄は排除していかないといけません。今は、製造して物をいっぱい作って、必要なものを作ったのではないのです、お金儲けの為に無駄なものをいっぱい作り出しています。そして、今度はごみの山を作るのです。
本当に必要なものだけを・善いものを作って供給し合うというのだったら、十分の一の少なさでよかったかもしれない、そうしらた労働時間は十分の一になります、それで必要なものを十分に与えて貰うから幸せなのです。
すっきりしてきます、本当の意味の調和という、自然との協調性が図れます。特に企業のトップというのは、全体にとっての必要性を見抜くのが大事です。
-ありがとうございます-
お金で人を集めなくても、集まった人にはお金を払うでしょう?
ありがとうございます:
少なめが良いのです、徳が積み重ねられていきます。貰い過ぎは借りが増え、借金が増えるのです。自分の働き以上に貰った分は高利の借金になります、心にマイナスのものをいっぱい背負っていくので、心が先ず疲れてきます。それで良いことが出来なくなってくるのです、少なめにもらっている方が、半分ボランティアがいいのです。そうすると、陰徳という徳が増えて心が明るく輝いてきます、働きが・能力が大きく伸びるのです、益々与える量が増えます。プラスの循環が増えます。だから、少なめにして徳を積んで貰う方が理想です。
-ありがとうございます-
少なめに貰う人はそうは受け取らないですよね?
ありがとうございます:
そう受け取れない心がマイナスの心です、それを先に溜めてしまっているのです。まず借金の心です、これが問題なのです、借金の心が借金を殖やすします、マイナスへマイナスへ向いてしまうのです。貯金のある人はどんどん徳を・貯金を殖やします、勝手に殖えていのです、益々ただ働きをしたくなります。借りの多い人は益々あぶく銭を手にしたくなるのです、それではマイナスを殖やし過ぎます。
マイナスをプラスに置き換える方法はただ働きです、恩返しの心で人の為に尽くす方が早く気持ちがすっきりするのです。だから、一回ただ働きでボランティアをすると、これが喜びだと気付く人は多いのです。そういう気付きに出会わないと生き方を改めるのは難しいのです。たまにはボランティア活動に打ち込んでみるのも大事です。
-ありがとうございます-
天の方の、借金・貯金の低利・高利がわかり難いのですが?
ありがとうございます:
自転車操業で借金している時があります。最初の利息は安いのですが、それを返せない時にもうひとつ利息の高いのを借ります。安い所が借りられなくなるので、順番に高い利息のを借り続けるのです、だから借金をするほど高い利息のものを借りてしまいます、それは自然なのです。
貯金も少しだけ預けるのは利息が小さいのです、たくさん有って預けたら高利の利息を付けますよというのがあります。それが神さまの方から呼びかけが来るのです。
-ありがとうございます-
たくさん積むのは、量ですか、質ですか?
ありがとうございます:
量よりも質の方が大事です、できるだけ大勢の人を幸せにする働きに使って貰うという、良い事に生かして使って貰うことが大事です。人助けでもつまらない使い方があります、怠け者に与えて助けるというのはいけない。本当の働き者に、世の中の為に使いたい・必要なんだという人に預けて使って貰うと大きく世の中の為になります。できるだけ大勢の人の幸せに繋がる使い方のできる人に預けたら良いのです、そうすると高利の利息が付いてどんどん殖えます。
徳が有るか無いかは、その人の心境によって決まるのです、心が明るく輝いていたら徳の有る人なのです。でも、親から財産を受け継いでどれだけ持っていても、心に輝き・明るさが無かったらその人はマイナスを背負わされています。そういう人は財産を受け継いでも良い事には絶対使えないのです。
だから、得というのは財産とは無関係です。先祖から受け継いだ光り輝いた財産も有ります、少ないけど有ります。大抵はマイナスの借金の財産が多いのです。財産相続して、相続争いするようだったらその財産は全部マイナスの負の財産です。そういう場合いは貰わない方が良いのです、もらわない人が道が開けます、幸せは分からないです・・不明・・。
-ありがとうございます-
お金の使い方で、食べる、着るなどは必要最小限がいいのですか?
ありがとうございます:
生きていくのに必要最小限で良いのです。食べるものでも食べたらお終いです、一番質素なもので良いのです。着るものも着たらお終いです、だから一番質素なもので良いのです。家もそうです、豪華な家に住まない方が良い、畳一条ウサギ小屋が良いのです。
本当はそれぐらい徹底して自分の生活の程度を下げておいて、そして後は何が必要かです。本当の幸せは感謝のお祈りが深まる事です、感謝のお祈りが深まる神さまのお手伝いに使えたら一番幸せです。
-ありがとうございます-
最小限以上に食べるとか着るのは、徳を減らしている事ですか?
ありがとうございます:
そうです、無駄遣いです。せっかくのものを無駄遣いして消してしまっています、それは徳を殖やす事には使っていないのです、貯金を無駄遣いしている位なのです。
-ありがとうございます-
食べ物の中で不味いものがあります、不味いというのはどんな事でしょうか?
ありがとうございます:
それは比較上の問題なのです、いい物に慣れ過ぎると少し不味いものは不味いとなってきます。だから、一回最低のものを味わうと良いのです。仏教でも修行する段階で最初に一番不味いものを口にします、だから美味しいものがあったら埃をまぶす、そういうふうにしたのです、本当の意味で。
それを根底に置くと、すべてが光り輝いた美味しさに変わるのです、少し落ちたら汚いと捨てるのですが、それではいけないのです。逆に埃を被せてごみを混ぜて、一番最低の食べ物でも本当にありがたいという気持ちが大事なのです。それを先ずしておいて自然に与えられるものを深い感謝で受けるのです。
最低の不味いものを食べたら良いのではないのですが、神さまの恵みは最高に大きいプラスのものですから、それを受けるのが大事なのです、どの立場から受け直すかです。謙虚な下の立場から最高のものを受けるのが一番感謝が深くなるのです。そういう時は求めないのです、食べたいという気持ちではなく、ありがたいという気持ちだけで与えて貰うものを受けますから。
-ありがとうございます-
食べ物で、農薬が使ってあると人工のもので、使ってないと神さまからの贈り物のような気がするのですが?
ありがとうございます:
外見の良さだけを追い求めると、農薬をかけて虫が付かないようにするのです、でも、菜っ葉でも穴だらけのが良いのです、虫が食べても大丈夫というのが。みんなが買う時の選び方です、穴だらけのを優先して買う人が増えたら農薬は絶対に使わないのです、形の良いのだけを選ぶからです。形の良いのは買わないように不買運動を起こして(笑)虫の食った穴だらけのを買うように。そうしらた今度は虫をいっぱい付けて、そうしらた蝶々が増えるかもしれない。最近蝶々が少なくなりました、可愛いのに、神さまからの素晴らしいプレゼントをみんななくしていくのです。
寺というのは照り輝く場所なのです、「てら
-ありがとうございます-
お寺の役割はなんでしょうか?
ありがとうございます:
寺というのは照り輝く場所なのです、「てら」天照大御神というのと同じで、そこは光を放射する場所です。だから、先ずそこの住職さんが輝かないといけない、輝いて真理の灯台にならないと、全体を大きく照らす役目です。そうしらたみんなが自然に寄ってきます、光が交流されて益々輝きが増えます。すごい場所なのです。
だから、先祖供養なんてそんなのは関係ないのです、そういうものは枝葉です。そこを大きく輝いた場所にすれば良いのです。
-ありがとうございます-
その為にはどうしたら良いのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」みんな無限に無限に輝いていると拝む事です、これが大事です。仏教だからと、仏教の教えに縛られたらいけません、仏教の教えは単なる教えです、教えの奥に本物がありますから、本物をしっかりと取り込まないといけないのです。だから、本物を捉えるには、その宗派を超えないといけないのです。世界のいろんな教えは全部それぞれ本物を指し示す方便です、それはみんな参考にはなるのですが、ただ本物をしっかり捉えてそして輝くのです。
教えに縛られずに教えを活用して本物を捉えていくのです。どの教えが良い悪いはありません、全部本物を指し示そうとしています、それを正しくキャッチすればいいだけなのです。一宗一派的に囚われたら縛られてしまうので本物を見失います、形の中に自分を閉じ込めてしまいます。
-ありがとうございます-
拝むということはどんな事ですか?
ありがとうございます:
拝むという字が、手偏に手と書きます、ばらばらのものがひとつに成っています。だから、ひとつ成るものを捉えないと拝めないのです。本物の神さまなり仏さまを捉えて、全体がその部分というふうに。どんな部分も無限に無限に輝いているという捉え方です、それが拝むです。
本物を・神さまを拝むというのは、宇宙全体を全部見通さないと出来ないのです、でも、部分を拝むというのは、部分が輝いていると見たら良いのです。すべてを通して本物を見ていくのですが、部分部分が無限に無限に輝いているのだというふうに、そういうふうに受け直していけば拝む状態です。
拝むという言葉は礼拝という言葉があります、礼というのは示す偏にこういう漢字です。無限の無限のチャンネルが示されている姿です、それを一番下から上を見て拝み上げます。光一元に見るのです、マイナス無限大からプラス無限大を仰ぎ見るとすべてかプラスに見えます。そういう見方が礼拝という言葉です。
頭を地面につけて、五体投地という礼拝の仕方は自分を一番下に置きたいという心の現れなのです。一番下から一番上の神さまを見上げるのです、そうすると全部マイナスには見えなくなります。
-ありがとうございます-
祈るということは?
ありがとうございます:
神さまの宇宙創造の働きが祈りなのです。無限の無限の輝いた姿働きこれが祈り、それを感じ取るのが本当の祈りです。無限に無限に輝いているというのをキャッチする、それが祈りです。だから拝むも同じです。
-ありがとうございます-
無限の下から上を見たら羨ましくはないですか?
ありがとうございます:
自分のものとして受けたら羨ましくはないのです、自分のものだから。受けなかったら羨ましいのです。与えてもらったものを拒絶したらいけません、謙虚になって素直に受け入れて自分のものにするのです。これだけが自分のものと掴むと他が自分のものでなくなるので、小さいものを掴まない事です。すべてを・全体を受け入れたら良いのです、そうすると全部自分のものだから羨む心が消えるのです。
天照大御神という名前だけがすべてを表してい
-ありがとうございます-
天照大御神が先生の仰っている神さまの名前なのですか?
ありがとうございます:
天照大御神という名前だけがすべてを表しているとは言えないのですが、ただ説明の指し示す言葉としてはそういう言葉もいいかなというだけです。
-ありがとうございます-
本来は一定の名前ではない?
ありがとうございます:
一定の名前だけでは指し示せないのです、本当の神さまの全体を指すのには、無限の名前を付けてもまだ足りないという位です。ただ大まかに指し示す言葉として、全体を指し示しているような感じの言葉が「ありがとうございます」とか、そういう色んな言葉が有るというだけです。
-ありがとうございます-
人間の都合で仮につけていると?
ありがとうございます:
そうなのです。
順番が有るのです、この世に生きている人は
-ありがとうございます-
マイナス無限大から見上げるということですが、どうやってマイナス無限大を知れば良いですか?
ありがとうございます:
順番が有るのです、この世に生きている人はこの世の中の一番のマイナスを見るのがいいのです。自分はやはりプラスでありたいのです、楽だし気楽だし、世界全体を眺めた時に大きいマイナスの姿があります、それから目をそらして逃げて・・途中不明(録音中断)・・途中ですがテープが入れ替わります。