真祈り文庫
2001年9月28日
No.1
番組を超えた奥の世界
-ありがとうございます-
友達を傷付け大変な迷惑をかけてしまいました、私自身救われたい、そして友達も、アドバイスをお願いします。
ありがとうございます:
一番大事なことは、神さまと一体の自分があるということをまず信じた方が良いのです。神さまと一体の自分というのは、神さまのすべてを受け直せている自分なのです。
その自分が自由を与えられて、神さまが用意した無限の無限のチャンネルを楽しんでいるのだというように。今見ている世界もこの(無限の無限のチャンネルの)番組の中の姿です、その中にはマイナスもプラスもあります、マイナスになるのは低い番組なのです。
神さまの創った無限の無限のチャンネルの番組というのは、あまりにも多過ぎます、誰一人同じ番組は見ていないのです、少し違うのです微妙に違っているのです。この世もあの世から見ると無限の中のひとつの番組に見えるのです、この世がまた細かく見るとさらに分かれます。人の数がどれだけ有っても無限とは言えません、だから、自分の見ている番組はあくまでも自分ひとりが見ているひとつの番組です。その中にマイナスがあったらマイナスで傷付くのです、その傷付く心を癒すのは、「番組としてある」ということがわかれば楽になるのです、そうしてプラスを見る心になればいい番組に置き換わります。
ちょうどテレビを見る感覚が良いのです、それは「実際にあるものだ」と掴んでしまうと心を痛めて傷付いてしまうのですが、本当にあるのは神さまの世界だけなのです、番組ではありません、番組を超えた奥の、神さまの世界が本当の世界です。これは永遠不滅で絶対に変わることはありません。
神さまと一体の、神さまのすべてを受け直した自分が神さまの世界にいる自分です。この自分をしっかり信じて、番組はあくまでも楽しんでいるというふうに、無限の無限のチャンネルがあって最高番組があると、最低番組も地獄番組もあると、なんでも自由に楽しめているのだというふうに。ただ、ひとつの番組にはまり込んでしまうと、これがさもすべてなんだとなってしまい苦しむのです。
どれだけ自分が悪いことをして地獄にいるという状態でも、本当の自分から見れば笑い飛ばしているのです。その中から抜け出たら自由自在ですべてをプラスに見て笑っている自分があるのです。過去の過ちを償ってというのですが、済んだ事は変えようがないのです、投げて壊したら戻りません、それで心が苦しんでいるのだったら永遠に救われないのです。でも、新しいものが今どんどん生まれてきているのです。
だから、何を選んで受けるかなのです。無限に無限に輝いた素晴らしいものが与えられているのに、つまらない壊れたものを掴んで勝手に苦しむのはおかしいのです。無限の無限の極楽番組・最高番組があるのです、それを受けて喜んで生きるのが本当の生き方です。
逆にマイナスを見て自分は損してきたと思えば良いのです。相手を傷付けたというより、自分の番組の中の世界と見た方が良いのです。その番組をいい番組に置き換えたら、皆が助け合った状態で傷つけ合わない状態でいい番組があるのだと。
自分が変わって、番組が変わって、皆が救われたら良いのです。自分の責任で変わらないと永遠に変わらないのです、自分は変わったけれど相手がまだ変わらないと言ったら変わりません、相手の責任にするとだめなのです。相手が変わるのを待つと相手が変わらなかったら永遠に待たなければなりません、自分さえ変わったら良いんだという立場で良いのです。
未だかつて自分は人を傷つけたことがないという番組があるのです。その番組を受け入れたら過去のマイナスは全部ないですから、無関係と言うくらいが良いです。こういう考え方は人と人の間では通用しません、ひとつの番組の中にはまり込むと、お前は悪いことしたではないかと言われるのです、その償いをしろと言われます。でも、番組の中から抜け出たら、今度は自分が神さまの前に立って謙虚になるしかないのです。神さまから与えてもらったものの中から何を選んで受けるかです、いいものを選ぶほど神さまが喜んでくださいます。
低いのを選んで苦しんだら自分が悪いのです。だから、低いのを選んだら「神さまごめんなさい」と言わないといけません、神さまのプレゼントを拒絶してごめんなさいと言うのが正しいのです。最高番組・いい番組だけを受け入れて本当に神さまが喜んでくださる生き方になるのです。
-ありがとうございます-
基本的に自分だけのチャンネルだとして良いですか?でも子供や家族がいます。
ありがとうございます:
周りの人も全部、自分のチャンネルの中の世界を見ているのです、色んな見方を自分はするのです。だから、もしマイナスに見えたら低い番組を自分が見ています、皆がプラスに見えたら高い番組です。だから、家族の全部がそれぞれの番組を見ていると思えばいいのです、低い役割の番組だったら自分が悪いのです。全部高い番組の役割でないといけない、みんなが神さまというふうに、みんなが無限に輝いているというふうに見えたら高い番組になってきます。
-ありがとうございます-
自分は変えられても他人は変えられないというのがありますが?
ありがとうございます:
自分の番組を変えたら全部変わります。まだマイナスが心にちらついてくるようだったら、心の切り替えがまだ十分に出来ていません、プラスもあるけれどマイナスもまだ残っています、マイナスの時にマイナス番組が出てくるのです。
-ありがとうございます-
プラスになれば、人間関係も全部プラスに見れるようになりますか?
ありがとうございます:
そうです、みんな良い人ばかりになって自分を助けてくれるのです。ある意味では自分の心を映すような鏡のような姿をとっているのです、自分の心には過去に生きてきた過程で、色んな言葉を使い色んな思いを出し、色んな心の状態を蓄積してきています、それが順番に色んな所の鏡に映るのです。そうすると過去世の姿もちらちら映ってくる、前生の自分の姿が親の姿に見えたり、その傾向があって未来の姿が子供に見えたり、色んな過去の姿の状態が全体が映るのです。
-ありがとうございます-
全体の中でできるだけマイナスを少なくするといいのですか?
ありがとうございます:
マイナスはこれで消していただいたというふうに、大きいマイナスは消してもらって、勉強材料をちょっと残して確認だけしてもらったというのが大事です。自分と他人というふうにすると番組にはまり込んだりします、全体が自分の見ている番組と観ると抜け出た自分です。抜け出た自分だと自由になります。
仏教でも因縁・因果の理がわかったら、縁覚です。縁覚の境地に立たないとどうしても人を責めたりします、自分と人が別個と思ってしまうのです。菩薩の境地に立ってはじめてお祈りが始まるのです。自分の番組を振り返り、本当の自分が始まるのです。
-ありがとうございます-
責めないで無関心という事ではダメですか?
ありがとうございます:
みんな自分のものなんだと思わないといけません、無視してというのは逃げているのです。どういうマイナスが出てきても意味があるのです、その受け方が色んな受け方があるのですが、大きいマイナスを、こんなに軽く済まして消してもらっていると言えばありがたいのです。また、勉強材料だけ残してもらっているというふうに、今の心を振り返るだけの勉強材料だけを残してもらっている、というように思うとまたありがたいのです。色んな角度からプラスに受ける受け方で、そうしたら逃げなくて済みます。
鏡は大体自分を映すためです、いいところも見て楽しむのですが、欠点・汚れを見るためでもあります、鏡は必要です。鏡というのは、明るい方から暗い方へ向いた時に鏡の姿が出るのです。ちょうど神さまの働きというのは、無限に無限に輝いた姿と、自分の心を映す鏡の姿と両方をとります。光の方へ、神さまの方へ向いた時は眩しいから輝きだけなのです、明るい方から暗い方へ向いた時は必ず鏡の姿になります。だからガラス障子・透明なガラス障子に向いた時に、外が暗い時には鏡になって映ります。外が明るい時は輝いて外が良く見えません。
本当に神さまをしっかり見つめている時、感謝をしっかりしている時はみんなプラスに感じます。ひとつの番組を見ていてもそこが輝いて見えてきます、プラスにプラスに見えてきます、マイナスの姿もプラスに見えてきます。病ひとつとって見ても万病を消してもらってひとつだけ残してもらっているとか、健康のありがたさをわからせてもらう意味でひとつの病を与えてもらっているとか、全部プラスに見えるのです、輝きだけを感じるのです。
でも、暗い方へ心を向けると、今の自分の心の状態を映す鏡になってしまいますから、今の心をプラスに変える反省が要るのです。だからマイナスの言葉を絶対使わないというのも大事です、マイナスに絶対に思わないというのも大事なのです。
-ありがとうございます-
思いと言葉の関係は?思いが先ですか、言葉が先ですか?
ありがとうございます:
言葉が先で思いに変化するのです。言葉も一番奥にある言霊の方が先なのです、神さまの光の言葉があってこの世の人の言葉があります、それが思いに変化します。神さまの言葉を直接使うのは難しいので、神さまの言葉の映し出された良い言葉を選ぶのです。プラスの言葉を選んでプラスの思いにはなるのですが、思いは白雲のような姿をとるので縛りになります、人というのは使った言葉に縛られるのです。
縛りというのは神さまの光の言葉ではありません、思いの方です。だから宗教の教えでも本物は絶対に縛りません、言葉で縛られるのはそれが思いに変化して縛りになります。本当の古神道のあり方、本当の宗教のあり方というのは、神さまの光の、言霊の、「響き」だけがあるのです。だから縛りを全部解いてくれます、そうして中から全部わかってきます。言葉で教えを受けて思いになると皆縛られてしまいます、がんじがらめになります、それだったら偽物です。
感謝の中に無限のプラスの言葉がいっぱいあって、それを光の言葉として受けていくというのが、感じていくというのが大事です。そうして思いも消してもらって、心も自由自在になっていきます。
「あ」は絶対・命の本源・光、すべての神さ
-ありがとうございます-
「あまてらすおおみかみ」の言霊の意味を教えてください。
ありがとうございます:
「あ」は絶対・命の本源・光、すべての神さまの根源の輝く姿
「ま」は完きもの・完全・完璧
「あま」で完全極まりない宇宙全体という意味です
「て」は光り輝くという意味です、お寺の「て」もそうですけど、照り輝くということです。無限に無限に輝いているという、自らが輝くと同時に照らす働きもするということです。本当の太陽があって自らが輝いて、同時に照らして周りを明るくしています。照らす働きと・照らされて輝いている働きを全部総称して本当の意味の「あまてらす」です。
「あまてらすおおみかみ」というのは絶対の光源にあたるものがあって、光が放射されて、それによってすべてが生み出されて、そのすべての全体像をすべてのすべてを「天照大御神」と言います。照らすだけではありません、照らされる側も中に包容し尽します。
だから、無限の無限のチャンネルの頂点に最高表現のチャンネルがあって、一番下に最低のものがあって、その全部の番組を中に一大包容した姿で「天照大御神」ということです。
だから、伊勢神宮にお祭りされているという、そんな中には入らないのです。神社というのは模型の模型のもうひとつ小さな模型です。また、皇室の先祖と言うのも間違いです、すべての先祖です、宇宙のすべての先祖なのです。だから女神さまとかそういうのではないのです、絶対神です。陰陽を両方持っていて絶対です。
肉眼で見える宇宙というのでも限りないので
-ありがとうございます-
太陽は宇宙にいくつぐらいありますか?
ありがとうございます:
肉眼で見える宇宙というのでも限りないのです、無限です。それに無限の無限のチャンネルがあったらもうひとつ無限が加わるのです。感覚で見る太陽でもこの世に二つ・三つ見えることがあるのです、写真にも撮れたりするでしょう。ひとつだけ写るのではなく二つ・三つ同時に撮れたりします。本当の太陽というのは、無限に無限にさらに無限に無限にあるのです、宇宙の仕組みがそうなのです。・・不明・・入れ子構造の姿をとって、無限に無限に輝いた宇宙があって、それが無限に無限に大きくも小さくもなって存在しています。どこまで行っても想像を絶しています、そうでないと、有限だと神さまの値打ちがありません。
-ありがとうございます-
太陽を二つ・三つ同時に写せるようになった、それは神の啓示によるものだというチャネラーがいますが?
ありがとうございます:
二つ・三つ写してもたいしたことはないです、写すのだったら無限の太陽が写らないと。本当の神さまのメッセージはそんなに小さなものではないのです、それはひとつの番組みの中身なのです、小さな姿です。この世に出てくる姿はたいしたことはありません、最高番組から見たら比較にならないのです。
-ありがとうございます-
地球以外の世界・チャンネルもあるのですか?
ありがとうございます:
全部あります。人が言葉にする、思える、創造できるすべてのものが全部揃っています。色んな番組があります、妖怪ばかりの番組があり、化け物ばかりの世界もあります、神さまだけの世界もあるし、ありとあらゆる世界が全部用意されています。
-ありがとうございます-
地獄界からも優良界からも情報が入りますか?
ありがとうございます:
この世はあの世の無限のチャンネルの縮図として、ひとつの番組・・不明・・この世がその中で無限に分かれるのですが、あの世の縮図だったら地獄番組の人は大変です、極楽番組も入ります。ありとあらゆる番組が、ちょっと程度が軽くなって入ってくるのです、あの世の縮図としてこの世の意味があるのです。この世で番組あわせを一番下から高い所にすれば、あの世で一番下から高い所へ行ったのと同じ効果があるのです。だから、この世の方が進歩が早いのです。
-ありがとうございます-
先日のアメリカ同時テロ事件も地獄界の情報が入っていますか?
ありがとうございます:
少しは入っています、恨むというのはそうなのです、過去を掴んで恨み続けると地獄へ落ちます。だから、その一部が少し出てくるのです、殺したり殺されたりする地獄の姿をとるのです。戦争は地獄までは行かず修羅道です、地獄まで行くと恨みの殺し合いです。そういう部分が一部は映っています。
一人一人が何を選ぶかという結果なのでが、みんなが平和を選べばすぐに現実の世界が平和の世界に変わります。選んだ人が何を選んだかの総合的な結果なのです、平和を選んだ人が多かったら平和の割合が大きいのです。みんなが本当に平和を選ぶのであれば、この世を一旦卒業します、あの世の高い番組へ上がっていきます。この世はあくまでも何を選ぶかの選択の場なのです、それで寿命が定められています、選ぶ勉強をするのです。
-ありがとうございます-
二十世紀は戦争の世紀でしたが二十一世紀は平和の世紀に出来ますか?
ありがとうございます:
予言的なことを言葉で言っている人も大勢居ますが、その言葉は全部違うのです。それぞれに好きなことを予言するのですが、みんなが同じ言葉で表現すれば言葉通りになるのです。一人二人言っても他の人が逆のことを言えば逆の方が早く実現します。進歩しているという言葉を大勢の人が使ったら結果として進歩します、でも、進歩しないと逆の(言葉を)出す人が多かったら進歩しないのです。だから、一人一人の人が使う言葉がそれぞれの結果を出すのです。それぞれの言葉の結果はその決算です。
予言でもいい言葉の予言をしてくれたら、人の心がそっちを向いてその言葉を受け入れたらその影響力は大きくなります。マイナスの予言も多いのです、良くなるという予言もありますが、どんどん悪くなっていくというような、絶対に滅ぶと言う予言もあります。現実をしっかり見ている人にとったら、預言者という意味ではありませんが、言葉で絶対に悪くなる・不景気になるとか・滅ぶのだというような言葉を使う人がたくさんいます、そういう人はある意味では預言者なのです。現実を掴んで断定的に言うからしっかりした力がある予言になります、あの世が見えてあの世の予言をする人の方がまだ軽いかもしれない。
そういうふうに、一人一人の人が使う言葉の結果なのです。いい言葉を使う人が殖えたら必ず良くなるのですが、まだマイナスの言葉を使う人が居ますから、そういうのが実現してきます、そういう意味で色んなことが起こっているのです。
神さまの姿が同じものが何もないのです、無
-ありがとうございます-
個性がなくなったものが本心の自分ですか?
ありがとうございます:
神さまの姿が同じものが何もないのです、無限の部分があったとしてその無限の部分が異なるのです。個々に際立って個性があり、奥ほど個性がはっきりしています、この世になるほど個性がぼやけてきます。
奥からどれだけ個性が出てくるかなのです、最高番組ほど個性豊かで、低くなるほど個性が少しづつぼやけてくるのです。神さまと一体・全体と一体という自覚に入った時が個性がはっきりするのです、全体と繋がっていて親指小指と名前が決まるのですけど、これを切り落としたら個性はありません。全体と繋がった時に個性豊かな姿をとるのです、下へ下がってくるほど・全体と繋がっていないと個性がぼやけてきます。
人も人真似したりして本当の個性を発揮していないのです、同じようにした方がいいという感じです。それは、個性を隠して同じようにしてしまうわけで、ちょうどそれは輝きが違うのに外からペンキを塗って同じようにしてしまうとか、形まで同じように固めてしまうということです。
-ありがとうございます-
本当の自分の個性を探し出すという事ですか?
ありがとうございます:
本当の自分の個性をこの世にまで自然に発揮しないといけない。一番自然な姿が個性が一番はっきり出てきます、違いがはっきり出てくるのです。だから、同じ事をする人は二人と要らない、同じ姿の人は二人と要らない、同じことをくり返す事も必要ないのです。
-ありがとうございます-
そこまで行くと、神さまのどの部分に自分の役割があるかということがわかってきますか?
ありがとうございます:
そうです、奥の本体の自分は神さまの全部を受け直して、全体が自分になるのです。ただ、意識の中心が一人一人全部違うのです。ダイヤモンドの面が無限にあって、どの面を中心にするかで意識が違います。一人の人はひとつの面を中心に持ってきてそこを意識の中心に置いています、でも全体を持っているのです、面のどこを中心にもってくるかで見方が・見え方が全部変わります。
-ありがとうございます-
意識の中心が個性だと?
ありがとうございます:
それも個性のひとつの意味なのです。この世に出てきたのは全体を観ずに、小さい部分の違いを見ています。全体を自分と観たらその中の部分は個性が全部違うのです、そのひとつがこの肉体のこの部分です。だから他の無限の人も、自分の部分の個性ある姿をとっているという見方をした方が良いのです、みんな自分の分身なんだと。だから分身は同じ人は要らないのです、皆違わないといけないのです。
プラスとマイナスの両方が全体を観るとあるの
-ありがとうございます-
質問内容不明
ありがとうございます:
プラスとマイナスの両方が全体を観るとあるのです。マイナスばかりの所もあるしプラスばかりの所もあります、プラスとマイナスの両方があるところもあります。一人の人を見るのでも、プラスだけの自分もあってマイナスだけの自分もあります、その間に割合がいろいろになった自分があるのです。
自分を見るのも人を見るのもどの部分の自分を見るかなのです、どの部分のその人を見るかです。好きとか嫌いと言っても、好きという感情と嫌いという感情はプラスかマイナスか?好きと嫌いを分けたら好きの方がプラスに見えます、嫌いの方がマイナスです。でも、好きというのと愛するというのを比べたら愛がプラスで好きがマイナスになります。色んなプラス・マイナスの振り分けがあるのです。
好きという感情が起こるのは、自分が相手にお世話になって、借りて、色んな迷惑をかけて、相手からプラスをたくさんもらっている時です。その時相手に対して好きという感情になります。好きになったら相手に必ず尽くしたくなり、恩返ししたくなります、借金返しをするのです。
嫌いというときは逆に、自分が相手のために尽くすばかりで返してもらえなかったとか、迷惑がかかりっぱなしでマイナスばかりを受けたとか、そういう色んな意味で嫌いになるのです、その人とは近づきたくもないという感じになります。相手から尽くしてくる時はその嫌いという感情は消えていきます。貸し借りの心が好き嫌いの感情になって必ず出てきます。
愛と好きと違う所は、愛は与えっぱなしなのです、神さまの愛はすべてに与え尽くすだけで報いを求めません、与えるばかりというのが愛です。相手に何も求めるものがなく与えるだけで幸せを感じたら、その方が気持ちが楽なのです。本当の愛の心がプラスの心のです、好きというのは縛られたマイナスの心になります。
-ありがとうございます-
質問内容不明
ありがとうございます:
悪い心を持ったらいけないというのも良いのですが、善い心をしっかり握った方が良いのです。無限の愛深い自分なんだとか、無限に素晴らしい素敵な自分なんだとか、いい言葉でしっかりと自分を褒め称えるような感じで、しっかり自分を掴む方が良いのです。そうするとマイナスは勝手に消えてしまいます。
ひとつの番組の中に、世界を救うために高い
-ありがとうございます-
・・質問内容不明・・
ありがとうございます:
ひとつの番組の中に、世界を救うために高い次元から物質化された姿で、救いの姿が出てくるのです。波長を高めたり助けてくれているのですけど、この世に色んな聖者が生まれて、この世を変革しようと一生懸命に波動を高めたり助ける姿をとるのです。でも、本体の自分から見ると本当はゼロ以下なのです、本当の自分の足跡にもならないのです、最高番組の姿から見たら、救うも救わないもないのです、みんな無限に無限に輝いた悟った姿をとります。その最高番組の姿から見たら、この世に生まれてきた大聖者といえども比較にならない、天と地ほどの開きがあります。ましてや本体の自分から見ると取るに足らないのです。
どれだけ大聖者としての姿をとっても、その人が本当の自分に気付いたら恥ずかしくなる、自慢するどころじゃない謙虚に謙虚になって、こんな足跡を残してしまったと、そのくらいの感じなのです。だから、大聖者を中心とする生き方よりも本当の神さまを中心に置かないといけない。本当の神さまを受け直した本当の自分、それがしっかりと自覚されてくるのが大事なのです。
色んな勉強をする場合でも色んな師匠や先生が居ます、全部切り捨てていくぐらいが良いのです。切り捨てて切り捨てて本当の神さまからすべてを教えてもらう、教えてもらうというのは受け直すだけなのです。そういう生き方に早くなった方が囚われが浅くなるのです、それをマイナスというふうに否定するというのではなく、もっと良いものが神さまの方からいっぱい降りそそいでいるのだというように。そういうふうに良い方へ良い方へ心を向けるのが大事です。
マイナスのニュースや話題を流すとみんな心
-ありがとうございます-
アメリカ同時多発テロのニュースは偏った報道が多く、ほとんどの人はそれを信じてしまいます。真実をどのように伝えたら良いのでしょうか?
ありがとうございます:
マイナスのニュースや話題を流すとみんな心がマイナスに傾いていきます、その影響でどんどん悪くなるのです。もっともっといいニュースを流してもらうと良いのです、いい話題を伝えてもらうのが良いのです。
新聞にもあまりマイナスの記事は載せて欲しくないのです、マイナスの方へ真似してきます。いい記事を載せてもらうとみんなプラスの方へ倣っていくのです、心がプラスになったらその分幸せになっていけます。
-ありがとうございます-
もっと行動したいと思います
ありがとうございます:
行動も含めて、プラスの番組をいっぱい流して欲しいのです、ニュースや明るい話題を。
-ありがとうございます-
そう思っていたら良いのですか?
ありがとうございます:
そう思っていて、そういう働きをしっかりと、みんなにもさせてあげて下さい。明るい記事やニュースをいっぱい流すように働きかけてくれたら良いのです。暗いマイナスのニュースを流したらみんな真似をします、影響力が大きいのです。幸せな良いニュースを流したらみんなまねをして良い事をするようになります。
-ありがとうございます-
マイナスとわかっていても、人の不幸が安心というような?
ありがとうございます:
それはまだ自分の心の中にマイナスの思いが溜まっているのです、マイナスの思いは自分の運命をマイナスの方へ持っていこうとするところがあります、マイナスの言葉や思いは人を地獄のどん底まで突き落としていきます。知らず知らずその影響を受けて運命をマイナスへ落としていきます。
だから、自分が人よりも幸せと優越感に浸るのもマイナスの心なのです、相手が幸せになるのを喜ぶ心が大事です。相手の幸せが自分の幸せと大きく喜べる自分が良いのです、過去の言葉が、マイナスの小さい言葉がそういう自分の心を支配する事があります。心の中のマイナスの思いは早く消し去らないといけません、それが「ありがとうございます」と神さまに感謝して、神さまを呼んで消してもらうのが一番早いのです。そうすると受け直して大きい自分になるから、プラスばかりを心に受けていけます。
-ありがとうございます-
そういう修行の為にはここに来なければいけないですか?
ありがとうございます:
修行の為に来ているのか?みんなを救う為に来ているのか?です。救う為にだったら・・・
-ありがとうございます-
輪廻転生はどこまで進化したらなくなるのですか?
ありがとうございます:
少し高い番組だったら輪廻転生はないのです。無限の無限の番組の中で輪廻転生のあるのは低い方の番組です。高い番組は輪廻転生をしなくて良いのです、一瞬一瞬最高の姿を現し続ける世界だから、魂の生まれ変わりという魂が消えてしまいます、魂が消えて本体の自分が肉体にまで光を差し込ませてくるから、永遠に生き続けるような姿をとります。だから高い番組は輪廻転生がなくなった番組です。
-ありがとうございます-
その番組では体はないのですか?
ありがとうございます:
あります、高い番組ほどしっかりと体があります、個性もはっきり区別がつきます。
-ありがとうございます-
そこには喜びだけしかないのですか?
ありがとうございます:
無限の無限の喜びだけのです。
-ありがとうございます-
悪いのを知らないで喜びは起こりますか?
ありがとうございます:
それは神さまが見抜いていて、最高番組だけを与えても人の自由を縛るし喜びも浅いだろうから、低い番組を無限の無限のチャンネルにして与えて自由に味わってきなさいと、低い番組を適当に味わってきてマイナスを体験して、もう一回高い番組に戻るのです。そうすると良い番組がより際立って価値あるものに見えるのです。そういうふうに仕組まれているから大丈夫です。
小さい頃から、私は無気力と言い続けたのでは
-ありがとうございます-
部屋の片付けとか、手紙の返事を書いたりとか、宿題をするとか、つい明日しよう明日しようと思いいまだに思っているのです、この治し方はありますか?
ありがとうございます:
小さい頃から、私は無気力と言い続けたのではありませんか?言葉の力です。無気力という言葉を使うだけで気力のある人まで無気力になるのです。その正反対の言葉で自分を大肯定する、無限の気力でいっぱいとか、なんでもてきぱきとできるとか。逆の言葉を使ったら・プラスの言葉の方が力があります、光と闇だったら光の方が力があります。小さい光でも出たら闇が消えるのです。プラスの方が力があり、マイナスの方が弱いのです、マイナスはプラスが出てないというだけなのです、プラスが顔を出したらマイナスは引っ込みます。プラスの言葉を少し使うだけでマイナスは引っ込んでいきます。
本当に必要な大事な事をすれば、必要のない事はしなくてもいいのです。小さい事をする必要がないからしていないのかもしれません。もっと大きな事で前向