真祈り文庫
2001年9月 9日
No.2
この世で色んな言葉を使って色んなものに表
-ありがとうございます-
キリスト教なら天国、仏教なら極楽、それぞれ別に存在するのですか、交流したりはしないのですか?
ありがとうございます:
この世で色んな言葉を使って色んなものに表現しているのは、かなり囚われた表現です。それも全部番組としてあるのですが、もっともっと高い世界ではこの世の言葉では表現できないもっといい言葉の表現の世界です。だから、高い世界ほど分かれていません、高い世界ほど分かれる必要がないのです。働きの違いはあっても全体はひとつに融和してるのです。
純白の光が七つに分かれて出てきます、ばらばらというより、七つの光が渾然と融和してひとつになっています。今はまだ、キリスト教はキリスト教でないと救われないというような感じで、囚われています。キリスト教からはキリスト教のいいものを受けて、他からは他のいいものを受けて、全部からいいものを受けて、全体がいいものになっているというのが大事なのです。
-ありがとうございます-
キリスト教で天国へ行けば、縛られない融合されたそういう世界へ行けるのですか?
ありがとうございます:
キリスト教自体にピンからキリまでの段階があるのです、高いキリスト教だったら全部を抱擁してしまうものがあります。すべてのものを抱擁して生かしきっている本当のキリスト教の姿があるのです。一宗一派的に凝り固まっているのは低い番組なのです。
-ありがとうございます-
キリスト教でも仏教でも最高番組に到達すれば、融和した所へいけるということですか?
ありがとうございます:
ただ、キリスト教だけでずうっと上がるかというと、そういう人もないとは言えませんが。繰り返し繰り返し生まれ変わって、色んな勉強をしてるのです、それぞれの良いところを吸収して、みんなからいいところを吸収するのがいいのだという生き方で、どんどん番組を上げていくのです。
みなさんが「ありがとうございます」へたどり着くという前に、色んな体験をほとんど全部という位しているのです。だから何か少し勉強したらすぐわかるはずです。ただ、この世では全部を勉強はしていないかもしれないのですが。
過去に縛られない方が楽なのです、過去の足跡み
-ありがとうございます-
私は過去の世の記憶がないのです。
ありがとうございます:
過去に縛られない方が楽なのです、過去を辿っても、過去の足跡のようなものなのです。今だけが良いのです、過去の足跡に囚われると同じ傾向をたどります。
-ありがとうございます-
未来にも縛られないほうが良いですか?
ありがとうございます:
未来のことを心配しても意味が有りません、今の連続で良くなるばかりです。
-ありがとうございます-
任せるというのはそういうことですか?
ありがとうございます:
レールは必要ないのです。宇宙の大道という神さまの道は自由自在なのです、どこへでもいける道なのです。
色んな番組に出演しています、ひとつの番組
-ありがとうございます-
聖フランシスコは先生にとってどんな人ですか?
ありがとうございます:
色んな番組に出演しています、ひとつの番組でこの世に生まれてきてひとつの姿をとったにしても、本当はあまりたいしたことはないのです。最高番組の中の姿を見ていけるというのが一番大事なのです、無限に無限に素晴らしい褒め言葉で語った方がいいのです。
小さな生き方ではありません、この世の人に少しは参考になる姿はあっても、本当の参考になる姿とはいえないのです。これが良いと決め付けるとまた囚われるし、過去のこの世に生まれてきた大勢の聖者がいても、それぞれ全部生き方が違うのです。その同じ真似が出来るかというと出来ません、それぞれに良いところがいっぱいあるのです。
自分が最高の生き方をとったとしても、自分ひとりで全部を表現するわけには行きません、自分の代わりに周りの人はみんな、代わって色んな生き方をとってくれています。悟りへの道を歩む姿でもそうです、皆、違う悟りを・道を進む姿を選んで生きてくれてます。その悟りの姿も同じなのです、同じ悟りでは意味が有りません、個性のある違った悟りが大事です。皆の違った悟りを大きく取り込むのが大事なのです。だから、みんなを自分の代わり・自分の分身のように見て、みんなそれぞれに素晴らしいなというのが良いのです。
-ありがとうございます-
先生を自分の分身と言って良いですか?
ありがとうございます:
いいですいいです、遠慮なくどうぞ!分身が無限の無限のを言ってくれています。
-ありがとうございます-
自分の思い通りにしたいと、それが頭打ちになるまでやってから感謝の道に入った方が、結果的には早い事になりますか?
ありがとうございます:
感謝に生きる人は、先ず第一に、気持ちが大きくなっていきます。この小さい自分が頭打ちしなくても周りの人がいっぱい頭打ちをしてくれますから、分身を使うのです。頭打ちするまでお祈りをしないというのでは大変ですから、自分はお祈りをしながら分身を使って頭を打つ、そのほうが早いのです。
本当の個性は、神さまと一体化したときに個
-ありがとうございます-
先生と同じような個性の人がいたら教えてください。
ありがとうございます:
本当の個性は、神さまと一体化したときに個性が与えられるのです。神さまからすべてを受け直したという自分は、神さまのすべての働きを頂いているのです。そのすべてをこの現実で表現できるかというと出来ないのです、無限の中のひとつですらこの一生では表現できません、同じ無限の個性を持っていてもそのひとつすら現す事が不可能です。
それ位(個性は)違うのです。神さまと一体の自分というのは、みんなそれぞれ同じなのですが、ただ、その意識の中心が違うのです、その意識の中心がそれぞれ別個なのです。同じ材料を持ちながら、意識が違う事によって組み立てるものが違うのです。材料が同じでも組み立てが違ったら全部変わるのです。
同じダイヤモンドの原石があっても、面のカットの仕方で全部変わります。本質的には神さまの全部を受け直しているのです、意識の中心が全部違う事によって、全部個性ある表現がそれぞれ生まれるのです。最高表現の中にそういうものが有ったとして、次元・番組をどんどん下げてくると、最高表現の個性のほんの一部が出てきます。個性は最高表現の中にあるのです、個性が豊かになってくるほどそれぞれの違いが良くわかってきます、みんな違ってそれぞれ素晴らしいというのが良くわかってきます。その違いがわからないのが(低い番組の)個性なのです、ぼんやりとしてぼやけてしまっています。
個性がはっきりしてこないと本物とはいえないのです、一人一人の中に素晴らしい良さが出てこないといけません。神さまの徳性をそれぞれみんな持っているのです、例えば、明るさという一面があっても、明るさが全部違わないといけない、同じ明るさの姿をとったらいけません。喜び方も喜びの表現がそれぞれ変わらないといけない、個性が発揮されればされるほど、同じ喜びであっても喜びの表現が全部変わるのです。全部がそういうふうに全部変わってくるのです。だから、誰も真似は出来ません、一人一人違うのです、無限の人がいたら無限の違いがあります、それで個性というのです。
似たような姿があるかもしれませんが、やはり違うのです。それが自然に「ありがとうございます」と感謝しているうちに、最高表現・個性がより豊かに現実化していきます。自然に出てくるのが良いのです、出てくるのを邪魔するものを払いのけて消して、思いを消したらいいだけなのです。思いが個性が出てくるのを邪魔していたのです、思いをどんどん消してもらえば、ちょうど空の雲が消えて太陽が輝き出るような感じで、個性がそれぞれに出てきます。
色んな見方があるのですが、病気をするの
-ありがとうございます-
病気の人を何万人も治されたのですが、それは、病気の人の思いが消えていく姿だったのですか?
ありがとうございます:
色んな見方があるのですが、病気をするのが幸せか?治るのが幸せか?治るのが幸せというのが普通です。だから、治した人を幸せにしているという錯覚があるのです、病気治しをして人を幸せにしているという錯覚があると、病気治しを一生懸命にする事が喜びなのです。それで、それに一生懸命に励むという一面もあるのです。
また、自分の心の中にマイナスの心があると見た時は、それを消してもらうためにお祈りを励んだという一面もあります。そういう枝葉のものを目的にしたのではなく、お祈りの訓練のためにそれをさせてもらったと見れば、お祈りの訓練のための大きい材料になります。
だから色んな意味合いがたくさんあります、プラスに見ればいくらでもプラスに見れる目的が有ったのです。それを通してかなり勉強もし、心も清めてもらい、幸せを掴ませてもらったというのが本当です。同じ表現の姿が、いく通りも見方があります。人によってまた見方が変わると思うのですが、自分ひとりにとっても色んな見方があります、時期が変わって違う見方が出てくるかもしれません。
感じ方は自然に変わります
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」が天照大御神さま今ここに在します、という意味だと何時頃どんなふうにお気付きになったのですか?
ありがとうございます:
認識はどんどん変わります、三歳の頃から「ありがとうございます」を唱えるとばあっと光を感じました。感謝は光なのです、光は大きくなります、それがどんどん大きくなると自然に天照大御神さまに結びつきます。天照大御神さまという言葉を使ったのが何時かというだけで、光はどんどん強く感じてますから、感謝すればするほど感じ方は自然に変わります。
ありがとうございます