真祈り文庫
2001年9月 9日
No.1
同じ一人の人でも高いのから低いのまで、色
-ありがとうございます-
マリアさまと交信している人があちこちにいるのですが、マリアさまと波長が合うからですか?
ありがとうございます:
同じ一人の人でも高いのから低いのまで、色んな分身を持っているのです。神さまの無限の無限のチャンネルの中にみんなそれぞれに出演しています、高い番組はいい役の演技をしています、低い番組はマイナスの悪い役の演技をしています。一人一人どういう番組に波長を合わせてどれを眺めるか、マリアさまもピンからキリまであります。より高い番組のマリアさまほど力もあるし輝きも大きいし、低い所ではたいした事ありません。そしてマイナスに傾いたほうではあまりプラスもないといった感じの姿もあります。
本物かどうかもまた別なのです、化けて出る場合もある、人まねして出る場合もあります。同じマリアさまというのでもピンからキリまであるし、マリアさまの真似をして出てくる時もあるのです。自分の気持ちが暗いほうへマイナスへ傾いている時は、マリアさまもマイナスに見えて、いい姿に見えなくなります。マリアさまが素晴らしく見える人は、その人は心境が高く、どんな人を見るのでもマイナスに見るのは自分がマイナスなのです。高く見るほうが良いのです、それも神さまの現れというふうに、最高に素晴らしいと見える自分が一番良いのです。
-ありがとうございます-
本物偽物の見分け方はありますか?
ありがとうございます:
高いか低いかを見分ける方法は謙虚かどうかです。高いほど謙虚で自分を隠してしまい名も名乗りません、低いほど偉大な神さまの名前を名乗ってきます。低いのは見ていたらわかるのですが、天狗になって傲慢になってきます、あれをしろこれをしろと色々と注文をしてきます、押し付けてきて強制してきます。高い方は、名乗ってこないし、人の自由を絶対に縛りません。
何故かというと、本当に高い自分だったら・神さまから一瞬一瞬すべてを受け直している自分だったら、神さまの前に立ったら謙虚になるしかないのです。神さまの偉大さがわかればわかるほど、自分がマイナス無限大に見えてきます。だから必然的に謙虚に謙虚になるしかなくなってしまいます、だから自分を名乗る事も出来なくなってしまうのです。すべて神さまなのだ・すべて神さまの偉大な力なのだと、自分には何の力もないのだとわかってきます。偉大なのは本当の神さまだけ、だから名乗る必要はないのです、自慢する必要は全然ないのです。
言葉の力です、言葉で合わせるのです、高い
-ありがとうございます-
波長の合わせ方を教えてください
ありがとうございます:
言葉の力です、言葉で合わせるのです、高い番組に合わせたかったらいい言葉を使うほうが良いのです、だんだんと合ってきます。本当に必要だったらなのですが、この世に生きてこの世で生活しなければならない時に、中途半端に他の世界が見えたら中途半端な生き方になってしまいます。その時その時の自分の状態によって変化するのです、色んな番組を同時に見る必要がある時は見えるでしょうし、ひとつの番組の中でそこで何かしっかり吸収して勉強するために、その番組だけに絞るのだったらその番組だけしか見えなくしてくれるし、それが必要なのです。この世とあの世とがいっぺんに見えたら混乱してしまいます。ただ必要なだけがいいのです。
色んな超能力が有ったら嬉しいと思う人は多いのですが、逆かもしれない、余りありすぎたら困ります。色んな世界から色んなインスピレーションをどんどん送り込んできて、強制的に聞かされると、本当に色んな声がいっぱい聞こえてきて、ノイローゼになります。色んな世界が見えるのも同じです、テレビを10台並べて見るのとは違って、次元の違うのがだぶって見えるのだから大変です。本当の神通力というのは、必要な時に必要なだけが降りてきます。いつも強制的に見せられたり、聞こえたりするのは良くないのです。
-ありがとうございます-
前世が見えるとか、天使の声が聞こえるとか言う人の言葉は信じてはいけないのですか?
ありがとうございます:
前世が見えるというのでも、番組ごとに前世・過去世があります。低い番組の前世・過去世を見られたら、あの人は悪いことばかりしていると言われます、高い番組のだったら、あの人は良い事ばかりしてきたと言われます。それを自分が聞いてどれを受け入れるかなのです、マイナスは聞きたくないものです。
その番組にはまり込んでしまうから、過去を掴むのはあまり良い事はありません。今を新たに神さまから何を受け直すかという生き方が、過去に縛られずに良いのです。
環境の影響を受ける時はまだ自分が弱い時
-ありがとうございます-
場を良くするエネルギーグッズはどうなのでしょうか?場・環境を良くしてその人が良くなるという?
ありがとうございます:
環境の影響を受ける時はまだ自分が弱い時で、自分が強くなったら環境を変えていくのです、自分を強くして環境を変えていけるほうが良いのです。お祈りして感謝して神さまの力をもらって自分を強く輝かしていけばいいのです。そうしたらどんな場も変わります、自然に変わるのが一番の理想です。
何かに頼るとそれがないとだめになってきます、逆に、自分の力を出さなくなってきます、杖に頼ったら足も強くなりません。頼るところは神さまだけがいいのです、そうしたら中から力が湧いてきます。頼ったらだめというのではなく、それが早く要らなくなるのが大切です。
最初は何でも自分の思いで作り上げていこう
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を唱えていると、何にもしなくても整ってくるのです。「ありがとうございます」の効果と言っていいですか?
ありがとうございます:
最初は何でも自分の思いで作り上げていこうという生き方です、思いなんて小さな力なのです、思い通りになったにしてもちょっと実現した位なのです。でも、感謝は神さまの創造したものをすべて受け入れる心です、無限に無限に偉大なものでも感謝さえすれば受けられるのです。感謝というのは、自分が作るのではなく神さまが創ったものをもらうだけなのです。
どんな大きいものでも受け取っていけるというのが感謝です、それは順番に段階を追って神さまが与えてくれるものを受け入れていけます、どこまで行っても無限に無限に大きいものが待っていてくれます。
自分の力で何か作るというのも良いのですが、神さまの中に溶け入ったら神さまと共に作っている感覚が生まれてくるのです。ただ受けるだけではなく、奥へ入れば入るほど、神さまの宇宙創造に自分がひとつになって参加しているような気持ちになっていきます。その喜びのほうがもっともっと大きいのです。人間は元々本質的に神さまと同じ創造の喜びを持っているものなのです、この世へ出てきて思いを出して創造するのは本当に小さな創造への参画のようなものです。神さまの中へ溶け込んで神さまと一緒に色んな番組を創造しているというのがいいのです!それも同時に味わって楽しんでいます。
-ありがとうございます-
芸術家は絵を描いたり作曲したりしますが、私たちは人生そのものが芸術だとはいえませんか?
ありがとうございます:
元々そうなのです、人生の本当の目的は、神さまの最高表現を受けて現実化して楽しむ事なのです、この世へ最高表現の番組を引っ張り出す事です。芸術家は芸術を通してしているのです、普通、みんなも生活の場で最高表現を現実化しようとしているのです、本当は芸術家以上かもしれません。芸術の分野だけではなく、生活の場で現実化できるのが一番の理想です。
音楽家で音楽の分野だけで最高のものを表せても、人格的に少しおかしいとか、現実の生活ではまだまだ中途半端な人はいるのです。本当は現実の生活の場で人格も最高の姿を出してすべて生活が整ってこないといけません、そっちのほうが大事です。 仕事を通して神さまの最高表現を現実化する訓練・勉強をしているのです。
神さまは一人一人を見守り続けているのです
-ありがとうございます-
こつこつと自分で積み上げていく、積み上げたものの中で安住の地を求める小さい幸せを求めているのですが 、それを打ち破る教えがないように思います。
ありがとうございます:
神さまは一人一人を見守り続けているのです、絶対の愛の力で守っている限り、人のお節介など比べ物にならないくらい大きい深い愛で守っているのです。本当に必要になったら神さまの方から救いの手がさしのべられますが、今までは神さまの助けを必要としていないのです、まだ自分の思いのままに自由勝手に生きてみたいという時期です。だから神さまは控えめに見守って、必要になったら必ず必要なものを与えてきます、それは絶対の真理なのです。
これから一人一人が何を必要とするかで変わってくると思います、本当に神さまの助けを必要として、神さまの最高表現を現実化しようとする生き方を選んできたら、それに必要なものを的確に神さまが与えてきます、それは色んなインスピレーションになって降ってくるかもしれないし、それを誰かが受けて言葉にしてみんなの前に降ってくるかもしれません。神さまは一人一人に必要なものを与えてきます、だから、何を必要としているかが大事なのです、必ず必要なものは与えてもらえます。だから、何も心配はないのです、神さまに守られている・神さまの手の中で動いているだけだから、どうにでもなります。
-ありがとうございます-
神さまにそっぽを向くのも、神さまの方へ向くのも自由であると、神さまは自由を与えられたのでしょうが、今、神さまの方を向きましょうという提案は神さまはしてないのでしょうか?
ありがとうございます:
神さまは神さまと一体の一人一人を信じ切っているのです。一時的にマイナスの番組に落ち込んでそれを体験しても、それにはまり込む事はないと信じきっているのです、必ず戻ってくると、それだけの善いものを既に与えてあるからと。
神さまと一体の悟った自分というものをみんな持っているのだから、時間的なずれは少々あってもそれが一番良いのだという感じです。何も心配していないのです、必ず時期がきて最高表現の番組を味わえるようになってくるのです、必ずそうなってくるのです。だからお節介の方が時期を誤らせるのです、中途半端だともう一回マイナスに戻りたくなります、「まだ見たりない」と、時間が余計に遅くなります。
皆さんも低い番組の表現を同時にとって、低
-ありがとうございます-
地獄の亡者もいつかは、神さまと一体化するのですか?
ありがとうございます:
皆さんも低い番組の表現を同時にとって、低い番組に出演しているのです、地獄の亡者の姿をとっているのです。そこへ波長を合わせることでそれを感じ取れるのです、もしそれが番組としてなかったら、どんなにマイナスな事があっても体験する事も合わす事も出来ません。みんながすべての番組に出演しているので、もし低い番組を見て「あの人は悪い」と見えたら、「自分が低い波長にあわせている」だけなのです。
周りの人がいろいろ変化するのも、自分が願って変化したいと思うのも、自分の中に同じマイナスを持っているからなのです。先ず根本は、自分の心を変えたらいいのです、自分の心の状態を変えて、いい番組に波長が合うようにして行きたいだけなのです。それを他に責任を転嫁するような姿をとっているだけです、他のせいにして逃げているところがあります。全部自分の心の中にあるのです、自分の心の中の状態を周りの姿に映し出している、心の状態を鏡に映し出して見ているというようにも例えられます。
質素な生活をした方が良いのです、贅沢な事を
-ありがとうございます-
最近の学校は、設備が整っていてそこで勉強している割には行き詰まっていて、昔のような優秀な人が出てきていないように思うのですが?
ありがとうございます:
質素な生活をした方が良いのです、贅沢な事をすると借金を背負うのです。例えば、学校の校舎は国の税金を使って建てますが、国の税金というのはみんなの思いをいっぱい背負っている姿です。みんな喜んで税金は出しません、取られたと思うのです、そうするとマイナスがいっぱいくっついてきます。だから、人のマイナスの思いを背負ってしまいます。国の税金から援助して建てたといっても、立派な校舎を作れば作るほど、そこで学ぶ子供にマイナスが負いかぶさってきます、それが結果としてはいい結果が出ません。もっと粗末な掘っ立て小屋で良いのです、そこで伸び伸びと自由に勉強させたら本物になります。
先ず、心にマイナスを背負うと利己的になるのです、背負わなかったら正しい助け合いの心が自然に湧き出ます、愛の心が深くなっていきます。だから運命的にも悪いことは絶対に起こらないはずです。道元さんの生きているときは、弟子たちが修行する場所はみすぼらしい掘っ立て小屋でした。今のような道場は建っていません、どちらが良いかと言うと何もない方が良いのです。雪が舞い込むような掘っ立て小屋のほうが、余計なマイナスを背負わないで良いのです、そこで修行するほうが幸せになります。
ありがとうございます