真祈り文庫
2001年9月 8日
No.1
色んな世界があります、この世をひとつの世
-ありがとうございます-
輪廻転生して成長していくと思うのですが?
ありがとうございます:
色んな世界があります、この世をひとつの世界としたら他にも無限の世界があるのです。その輪廻転生というのは、この世があって・肉体に魂が宿って・魂が何回も生まれ変わって出てくるというのが輪廻転生なのですが、輪廻転生のある世界は無限にある世界の中でほんの僅かな世界なのです、輪廻転生をしない世界も一杯あります。
この世に生まれてきた人には、輪廻転生がどんな意味があるのか?神さまと一体の本当の自分というのが一番奥にあって、その自分が無限のチャンネルの中から好きなものを選んで、例えばこの世という番組を選んで出てくるのです。ひとつの番組を眺めているような感じなのです。その中に肉体の自分があって・そこに宿る魂の自分があって、輪廻転生の目的というのは、魂に本当の自分の良さを素晴らしく表現してくるか、そのために輪廻転生を繰り返すのです。
あまり輪廻転生に囚われると、過去の縛りに引きずられていきます。でも、もっともっと高い番組に心を合わせていくと、輪廻転生をしなくて済む番組が出てきます。常に神さまの中から一瞬一瞬出てくる自分が光り輝くだけという、魂も消えて神なる自分が輝く世界もあります。
どんな世界でも神さまは用意してくれています、人の使う言葉通りの世界は全部用意されています。あまり輪廻転生という言葉を使い過ぎるとその世界に嵌り込んでいきます。自分が何を選んで神さまから受けているかというのが大事なのです、人は自由があるので何でも受けていけるのですが、本当に自分がこれでいいというものを選んで、それを言葉にしていくとそれを受けていけます。
輪廻転生の過程で魂は、女性的・男性的という割合がありますが、どちらにでも成るのです、男性的な要素を本体の自分からから引き出してそれを輝かせてくると、男性的な要素がたくさん出てきます。女性的なものもそうです。
魂の自分がこの世に生まれ変わってきた時に、男性的な要素が強い人がこの世に生まれてくると、男性的な生き方をとるのです。ある期間を男性的な生き方をとると男らしさが表に出る姿をとります。でも、今度生まれ変わった時に、女性の肉体に男性的な魂の人が宿ると、女の人でありながら男っぽい姿をとるのです。でも、女性の体に生まれてくる時は女性らしさを学ぶために生まれてきますから、その時は本体から女性らしさをどんどん引き出してくる勉強をしますし、その逆もあります。両性の素晴らしさを同時に兼ね備えるという自分に・魂の自分になって、自由自在に必要に応じて表現できるのが大事です。
色んな言葉があります、その言葉の中から
-ありがとうございます-
ご先祖さまはみんな光り輝いていると思っているのですが、他の人から色んなことを言われて迷っています。
ありがとうございます:
色んな言葉があります、その言葉の中から自分がどの言葉を選ぶかが大事なのです。色んな情報は無限にあります、その中から自分が一番良いものを選んでいくのが大事なのです。色んな考え方は無限にあります、ご先祖さまに対する見方、考え方は一杯有るので、ご先祖さまが迷っているとか、ご先祖さまはみんな悟って光り輝いているとか、自分はどちらを選びたいかなのです。
迷っているといったら迷っているご先祖さまを掴んでしまいます、そうすると、供養をしなければと縛られてくるのです。迷っていると決め付けるのはご先祖さまに失礼です、本当は自分が迷っているから、供養する過程で自分の心をプラスにプラスに変えていくのです。それだったら最初から、ご先祖さまは悟っているんだと、輝いていつも自分を守り続けていてくれているというふうに感謝するのが大事です。
本当の意味は言霊で解釈します。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」の意味を教えてください。
ありがとうございます:
本当の意味は言霊で解釈します。
「あ」は絶対とか、命の本源とか、光の源・光源とか光りという意味です。
「り」はら行音の「り」は螺旋状という意味があって、神さまの絶対の中に相対に分かれる要素のすべてがあって、それが両方に分かれて螺旋状に放射されて組み合わされるようになっています。螺旋状の組み合わせは必ず無限の交わりが出来ます。直線の交わりは一点ですが、螺旋状に組み合わさって入れ子構造の宇宙が生まれるのです。そういう意味でら行音の「り」を使います。
「が」は、「か」をだぶらせて輝きに輝くという意味です。宇宙の創造された姿が無限に無限に輝いているという意味です。
「とう」は、数字の十字・十字交差という意味で、相対の両極を十字に組み合わせて大調和しているという姿をとります。縦と横・時間と空間そういうのを組合せると、十字交差されて大調和の姿をとっています。
「ご」は、「こ」がだぶって、凝り固まって凝り固まってというふうに、高い次元が次元を下げて下げてとか、物質化されて物質化されてというふうに、これが「ご」
「ざ」は「さ」をだぶらせて、さらさら流れるという、命が流れる・光が流れるというふうに移り変わる姿を指しています。それも中から湧き上がるように、花開くように変化してくる姿が、さらさら流れるという。それが「ざ」
「い」は命の「い」、石ころ一個も原子一個も神さまの命を生きています、命を表現しています、命が躍動して輝いているのです、単なる物ではないのです。
「ま」は完き・完全な完璧なという意味です。神さまの絶対から創造されて、最高表現として無限に輝きのあるものが生まれて、それが無限の無限の番組のチャンネルとなって現れて、物質化されて現実の色んなものに形として現れてきています。その全体像が完璧極まりないという意味です。その完璧極まりない姿がまた絶対へ戻る、その繰り返しを指しています。
「ます」というのは、弥増しに増すという意味で、今現れたものが絶対へ戻って、次に現れた時に素晴らしくなって殖えて、増して出てくるという、その循環を表します。
「ありがとうございます」全体で本当の神さまのすべての働きを指し示しています。本当の神さまの名前なのです、究極の呼び名です。「ありがとうございます」と唱えるだけで神さまの全体から必要な助けを的確に受けていけるのです。
色んな神名を使うのは、神名は働きを指しています、名前は働きを表しています、全体像を指す言葉が「ありがとうございます」です。色んな神さまの名前を唱えると部分的な働きを指しているのです、その神名を唱えたときは部分的な助けは受けられますが、全体からは受けられません。すべての神さまの名前を呼び続けるのは大変ですから、それだったらひとつに「ありがとうございます」にしましょうという感じです。
「ありがとうございます」と唱えるという事
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」と唱えていたら自分にどういう変化が現れますか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と唱えるという事は、本当の神さまを呼んでいるのです。だから、本当の神さまを感じ取れるようになります、本当の神さまを感じるというのは、本当の神さまは幸せの本体なので、幸せが感じられてきます。「ありがとうございます」と唱えている時は、本当の神さまの助けを受け入れますという意思表示をしているのです。神さまは喜んで助けに入ってきます、その時に必要な助けを的確に与えてくれるのです。
「ありがとうございます」と唱えていない時は、自分の思い通りにしますと言っているわけです、神さまは奥に引っ込んでいてと。神さまは手出しが出来ない状態です、人の自由を縛っては神さまは干渉してきません、自由にどうぞと隠れて見守っている状態です。自分の力で生きようとするのは限界が来るのです、ある程度思い通りになっている間はよさそうに見えるのですが、思い通りということは周りの人の自由を縛っている事になるのです。
本当の神さまの助けというのはどのように来るかと言うと、
先ず、無限の無限のマイナスを免除してもらっていると気付きます。現実に色んなマイナスの姿が出てきた時でも、それは億分の一位の軽さで消してもらっているというように見えてきます。何もない状態がいつも大難を無難に変えてもらっているというふうに、そういう受け直しが自然に出来るようになります。
そうしてまた、無限の無限のプラスのものをいっぱい常に与えられていると気付いていけるのです。気付かないとないのと同じなのです。太陽がそうです、太陽さんありがとうと気付いた時が自分のものです、その気付きが無限に無限に増えていきます。これもまだまだ初歩なのです。
それが、無限の無限の感謝ができるようにしてもらって、なおかつ今度は自分の方から神さまの中へ飛び込まなければいけない。神さまの中へ飛び込んで溶け入ったときに、本当の神さまとの一体感が生まれてきます。神さまの方から自分の中へ入ってくるのはまだ小さいのです、自分という器が小さかったら少ししか入ってきません、それを循環を多くしてもたいしたことはないのです。感謝が深まるとだんだんと自分を神さまの中に溶け入らせる生き方をとってきます、自分を神さまに全部捧げ尽くして、神さまの中に溶け入るという、自分を消して神さまと一体化した生き方です。そうすると自分が神さまになってきます、神さまの与えてくる素晴らしいものを一瞬一瞬受け直せるようになってきます、神さまから受け直したものが自分になるのです。
神さまから何を受けるかというのが一番大事です、感謝で受けるのと思いで受けるのでは全然違います。思いで受けるのは、この肉体が自分と思ったら肉体だけが自分です、
でも、感謝というのは「ありがとうございます」と受けるのは、例えばこの世界を全部「ありがとうございます」と受けたら世界が自分です。感謝を深めると受け直せる世界がどんどん高まり、もっともっと素晴らしい世界が出てきます。感謝で受けた世界が自分になり、自分が大きい宇宙になります。だから、無限に無限に奥深いのです。
みんなにどういうところが変わったか教えて
-ありがとうございます-
私は断食をして人生が変わったのですが、どうしてだと思いますか?
ありがとうございます:
みんなにどういうところが変わったか教えて下さい。
-ありがとうございます-
十日間を二回、水と氣功による断食をしました。それで二十キロ位痩せたのですが、表面的に見た目は変わって心が軽くなったというか、こだわりが取れてきたというか、それは中の悪いものが出たから?他には、人が好きになってきました。
ありがとうございます:
断食中に苦痛は有りませんでしたか?
-ありがとうございます-
最初は苦しかったのですが、ここでがんばらなくちゃと思って!
ありがとうございます:
人は普段ものを食べ過ぎるのかもしれない、必要以上に食べ過ぎている時は重たくなってきます。少し断食をすると余計なものが取れて、自然な姿に戻りやすいのです、本当の自分の持っている良さが自然に外に出て来易いというのは確かです。
病気をする人は食べ過ぎて病気になる場合が多いのです。必要なものだけをを食べている限りは病気にならないと言いますから、たまには不純なものを落としてしまうのも必要かもしれないのです。それが形で肉体の贅肉を落とすだけではなく、心の汚れも取ってしまうのです。それで、元々ある自分の良さが出て来易くなります。
-ありがとうございます-
変わったわけじゃないのですね?
ありがとうございます:
隠されていたものが汚れが取れて、良いものが自然に出てきたのです。
欲の心がなぜ悪いかというのは、マイナスを
-ありがとうございます-
私は食べたいのです、でも食べると太ります。食べたいという欲を感じて嫌なのです。
ありがとうございます:
欲の心がなぜ悪いかというのは、マイナスを掴み過ぎて求める心を起こし過ぎるところがマイナスになっていきやすいので、必要なものを感謝で受けるのであればそれは欲とは言わないのです。神さまは必要なものを与えてきます、それを感謝で受けるのは欲とは無縁のものです。
「慾」という字を分析したら、谷に欠ける心と書きます。谷は谷神と言って宇宙の大神さまです、宇宙の大神さまの御心の欠けている状態です。感謝を忘れた状態が慾と言います、神さまの恵みを感謝で受けるのは神さまの御心のままです。感謝を忘れて生きている状態が慾の心です、神さまの御心から外れています、その時に慾というのが生まれています。思い通りにしたいと、例えば、何かむちゃくちゃに食べたいというのもそうです。
思いというのは自分の思いだけではなく波があって周りの人の思いも受ける時があります。周りの人が食べたい食べたいと思っていると、自分も食べたくなるとか、あの世の人が食べたい食べたいと思っていると自分も食べたくなってしまうのです。ただ、思いというのは感謝していると消えていきます、感謝は光です・思いは闇です。感謝の光が出てくると思いの闇が消えます、神さまが消してくれるのです。
-ありがとうございます-
自分の思い通りになったときに「ありがとうございます」と思うのとは違うのですか?
ありがとうございます:
違います、思い通りになったらだめなのです。思い通りというのはマイナスを、借金を積み重ねます、思い通りというのは人の自由を縛っている事になりますから、その反動で縛られる状態が必ず来るのです。だから、思い通りにならないほうが、神さまの御心のままになるのが良いのです、それは、必要なものだけが的確に与えてもらえるから良いのです。自分のあれが欲しい・こうしたいというのが実現しても本当の幸せではないのです。神さまが必要と認めるものを与えられて、「ありがとうございます」と受けられるのが良いのです。
小さい子供がいて、甘いものをいっぱい欲しい欲しいと食べるとすると、小さい子供は甘いものをたくさんもらって喜んでいます。でも親の立場から見たら、甘いものを食べ過ぎたら体に悪いし、虫歯になったり苦しまなければならないのにと思うのです。親の立場からは健康にいい必要なものを必要なだけ与えたいのです、子供の願いと親の願いは違います。同じように人の願いと神さまの願いは違うのです。
「ありがとうございます」と唱えていると、神さまの願いをそこへ持ってきます、そうして神さまが一番幸せになるように働きかけて、必要なものを与えてくれるのです。だから思い通りになりません、感謝していると思い通りにならずに必要なものが与えられていきます。それで幸せへの最短コースを歩むようになるのです。
-ありがとうございます-
思い通りに行かなくて良いということですが、私は何十年も傲慢だったということになりますか?
ありがとうございます:
人は最初は自分の思い通りに生きようとするのです、自分中心なのです、でも、思い通りに生きようとすると必ず行き詰まります。思い通りにしただけ人を奴隷のように扱ったことになり、必ず自分が逆になって、思い通りにならなくなって周りの人の奴隷のようになっていきます。
最初、思い通りになったということは大きい借金です、借りを作っているのです。それが利息が付いていくと今度は逆になって、自分の思い通りには絶対ならなくなってしまいます。これは必ず頭を打たなければいけない、行き詰まって頭を打って気付くのです。それで、一番の幸せは、神さまの御心のままに生きるのが良いと気付くのです、神さまのほうは最高の幸せを与え続けてきて、それを受けて欲しいと待っているのです、待ち続けているのです何億年でも。感謝に生きなさいと神さまは呼びかけているのです、感謝に生きたら神さまが与えてくださる無限の無限の幸せが受けられます。
思い通りになってもひとつ思い通りになっただけです、他の全部を疎かにしてしまっています、思い通りになったというのは単なる自己満足なのです。でも、神さまの方は必要なものを全部的確に与え続けてきているのです、それに気付く方が大事なのです。例えば、綺麗な服を着たいと、綺麗な服を着れたとしてもそれひとつだけでしかありません、人が幸せに生きるためには無限に必要なものが一杯有るのです、太陽も必要だし、空気も必要だし、水も必要だし、そういうのは先に神さまが与えてくれています、必要なものを的確に与えているのです。
ただ気付かないのです、思いを出して生きている間は気付かないのです。感謝をどんどんしていくようになった時に初めて必要なものに気付いていけるのです。太陽はどれだけの価値があるか?無限の価値があります、そういうのにどんどん気付いていったら、無限の価値あるものを自分のものにしていけます、幸せが無限に無限に大きくなっていくのです。思いに生きている間はマイナスにマイナスに落ちていきます。
例えば、この世で権力を握って、全部を支配するような権力者になったとします、この人があの世へ行ったらどこへ行くか?地獄へ行きます。大勢の人を自分の奴隷に扱ったのです、一人の人を奴隷にするのだったらまだ良いのですが、大勢の人を自分の権力を笠に着て支配するのです、人を幸せにしていいません、そういう人は全部地獄へ落ちていくのです。大勢の人を支配した分は長く地獄の中で苦しまなければなりません、言ってみれば借金です、高い借金をしたら長い年月借金返しに苦しむのです。
思いは捨てたほうが良いのです、思いに生きるより感謝に生きるほうが良いのです。思いは重たい・心が重苦しくなってきます、どんどんどんどん心が落ち込んできます。感謝に生きたら心が軽くなります、青空に太陽が輝くように心が明るくなってきます、自由な心になります。思いは雁字搦めに縛られた心だから不自由です、奴隷のようになってしまいます。
-ありがとうございます-
現世で総理大臣とか社長とかは地獄へ行くのですか?
ありがとうございます:
全部が全部とはかぎりませんが、どれだけ他に幸せを与えたかなのです、プラスを与えたらプラスの貯金が出来るから、幸せを与えた人は善いところへ行けます。でも、マイナスばっかり与えていたらだめです、この世に善い姿を与えてもらうのは借りなのです。自分が善いものを与えてそのお返しに与え返されたものはいいのですが、自分は何もプラスは与えてないのにプラスをいっぱいもらっているというのは借りなのです。それもあの世へ行ったら低い所へ落ちていくのです、ただ大臣になるだけでも七代祟られると言われるぐらいのマイナスの借金を殖やします。
普通、いいことをしても褒められたら帳消しです、表彰されたらマイナスになります、大臣になったら借金を背負うのです。だから、善いことしても目立たないほうが良いのです。
-ありがとうございます-
そういう人は地獄に行った時に自分でもわかるのですか?
ありがとうございます:
死にたくないー!という状態になります。死の恐怖がない人は良い所へいけるというのを心の中で感じているのです、でも、低い所へ落ちていくと感じている人は死にたくはないのです。だから、借りは作らないほうが良いのです。
人の思いは縛りなのです、男の人が可愛い女
-ありがとうございます-
男の人からしつこくされていたのですが、「ありがとうございます」と唱えていたら諦めてくれたのですが、それでよかったのでしょうか?
ありがとうございます:
人の思いは縛りなのです、男の人が可愛い女の人を見て、あの子が好きだ好きだというのですが、好きだというのは自分のものにしたいという所有欲なのです、ものすごい縛りになります。昔から美人薄命という諺があり、美しい人は大勢の人から思われます。あの人を自分のものにしたいという思い方で縛ってきます、そうすると命が思いで雁字搦めに縛られた状態で働けなくなります、そうすると早死にしたりしてしまうのです。
だから、好きだと思われるのは良い事ではないのです、好きというのと愛というのは違うのです。神さまの方から来る愛というには人の自由を縛りません、相手の必要なものを的確に与え尽くしていこうという生き方です。相手に何も求めないで、相手が幸せになることを願うわけです、必要なものを与え尽くしていきます。与え尽くす心だから相手も与え尽くしてくれます。
求め合うのではなく、与え合うのが良いのです。好きというのは求め合うほうです、相手を縛って相手から奪うという生き方になります、必ず傷ついて心が痛んできます。でも、与え尽くすというのは、相手を幸せにしたいばかりだから、相手からも幸せをもらえるし、周りから全体から幸せをもらえるようになります。
感謝というのは、与え尽くす心が中にあります、思いをどんどん消して与え尽くす心を出してくれます。だから、相手に尽くせる心になってくるのです、そうすると相手から周りから尽くされて幸せが大きくなるのです。好き嫌いの好きというのは、前の世かもっと前の世で、相手からかなり借金があるのです。無性に相手が好きになって、何をするか?尽くしたくなるのです、借金返ししたくなるのです。好きという感情に囚われ過ぎたら幸せになれません。
「ありがとうございます」は神さまの名前を
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」と「ありがとうございました」はどう違うのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」は神さまの名前を呼んでいますが、「ありがとうございました」は呼んでいません、ひとつの現れに対する小さい感謝です。神さまを呼ばないと、過去・現在・未来を通して全体からの助けを受けられないのです、だから、「ありがとうございます」が正しいのです。
一人一人生き方は自由なので、その人その人
-ありがとうございます-
二十六歳の甥が三回ほど自殺未遂をしているのですが、どういうふうに考えたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
一人一人生き方は自由なので、その人その人の自由な生き方なので、ただ自分がその姿を見て自分の責任と思うのだったら、それを全部自分の責任として心に取り込んだら変えていく手立てを何か講じられるのです。でも、自分とは別と見たら、相手にしない方が良いのです。
自分というのも、小さい自分もあるし大きい自分もあるし、浅い自分もあるし深い自分もあるし、どの自分を掴んで生きるかによって生き方が変わります。だから、あまり無理はしない方が良いのです、本当に大きい自分を生きたかったら、世界が全部自分と思ったら世界中の責任を全部自分がとらなければいけない、それは大変です。
人はそれぞれ思い通りに生きているので、思いを出して思い通りに生きたいという時期もあるのです、そういうときは感謝に生きたいというのとは違いますから、感謝したら良いよと言っても全然受け付けないし、方向が違うのです、時期が違うから方向も違うのです。思い通りに生きようとして頭を打って行き詰まって、心が感謝に向き変わった時はお手伝いできます、その時は一緒にお祈りしたり色んなことをして、感謝が深まるようにお手伝いしたら良いのです。
普通、お金に頼っているのです、人に物に頼
-ありがとうございます-
私のこの五年間を振り返ると、「ありがとうございます」という言葉を深く考える事はなかったのですが、感謝をする生き方の連続だったように思います、そんな奇跡みたいな事ってありますか?
ありがとうございます:
普通、お金に頼っているのです、人に物に頼っているのです、神さまに頼っていないのです。それが、お金に頼り、人に物に頼るのを止めたとたんに神さまに頼った事になります。そうすると神さまの方から先に助けが入ってきます、そうして感謝のできる自分に変えてくれるのです。
神さまは感謝しないと助けないのではなく、神さまに頼る心を起こしたとたんに助けてくれます。そうして永遠に感謝できる心に変えてくれるのです、神さまに縋り続けられるように、感謝できるように変えてくれるのです。だから、神さまの方が先に助けにきてくれているのです、他に頼らなかったから良かったのです、やめたから良かったのです。本当に頼るところは神さまなのです、神さま以外に頼り過ぎていたのです、神さま以外に頼るのをやめたとたんに、あとは神さまだけが頼るところになります。
良い事に使ったら貯金です、それももっと良
-ありがとうございます-
土地とか、宝くじとかバブルとかで得たお金を、世の中のために使ってもそれは借金なのですか?
ありがとうございます:
良い事に使ったら貯金です、それももっと良い事に使ったら高利の利息の付く貯金です。借金の利息を上回る高利の利息が付けば良いのです、本当に人を幸せにするために使えば少々の借金は消えてしまいます、そうして貯金が増えていくと思います。プラスの心を起こせばいいのです、ただ、大金が入った時にプラスの心が起こせない人がいるのです、大金が入った時に欲の心が起きやすい人は大変です、そういう人は持たないほうが良いのです。
良い事に使える人は心の重荷に負けない強い人です、元々徳が貯金がたくさんある人です。そういう人だったら良い事に使って貯金を殖やせます。宝くじが当たったら、ここへこう寄付してと思うのですが、当たったとたんにどこへも寄付しません、心は一変に変わります。
-ありがとうございます-
お金に利息が付くのはわかりますが、良い事をしたらそれに利息が付くというのがわからないのです。
ありがとうございます:
この世の貸し借りはほんの一部の貸し借りです、本当の貸し借りは、プラスの言葉を使うかマイナスの言葉を使うかで大きく変わります。プラスの言葉が貯金のほうです、マイナスの言葉が借金のほうになります。
マイナスの言葉を使ったらどんどん借金が膨らみます、この世の借金もその一部です、借りるというのもマイナスの言葉の一部です。
-ありがとうございます-
100のマイナスの借金が出来たとして、それに利息が付きますか?
ありがとうございます:
付きます、借金も種類があって、高利の利息が付くのもあるし、少しだけ付くのもあります、全部違います。マイナスの言葉でも、軽いマイナスの言葉ときついマイナスの言葉とがあるのです、きついほど利息が殖えます。この馬鹿野郎と言うのと、死んでしまえではだいぶ違います、きつい方が利息は早く殖えます。プラスの言葉も同じです、いい言葉ほど利息は殖えます。「ありがとうございます」が最高の利息の付く言葉です。
ありがとうございます