真祈り文庫
2001年8月26日
No.1
口笛と拍手です。口笛は息吹といって、息の
-ありがとうございます-
瞑想の時にバックミュージックのようにヒューという音と、拍手のようなバンバンという音が聞こえましたが何ですか?
ありがとうございます:
口笛と拍手です。口笛は息吹といって、息の中に光が出てきます、それが変化して、口笛の姿をとって光が放射されるのです。高い心境の人の口笛は光が迸しるように出てくるのです。拍手も陰陽合わせて強い光を出すときに拍手を打ちます、心境に応じた響きが強く出るのです、高い心境の人が拍手を打つと、物凄い強い光が迸り出るのです。だから一番自然な響きというのは神さまの根源の響きに近いので、高い強い響きが出るのです。
お祈りの時は本当は何も必要ないのですが、でも雑念が出やすいときはバックミュージックでこのような高い響きの音が流れていると、雑念が出にくくなりお祈りがし易くなるのです、何もないと雑念に捉われやすいのです。中から消されるために出てきた雑念でも、掴んでしまう一面があります、それをすっと流すのが良いのです。そういう響きに乗せて流してしまうのです。そうすると雑念に囚われず祈りがしやすくなるのです。そういう意味です。ありがとうございます。
根本は、すべては神さまの愛の現れ、命の現
-ありがとうございます-
酒と煙草と肉食はなるべく避けたほうがいいのですか?もし順位を付けるとしたらどのように?ある方に聞いたところ、植物は食べられて喜んでいるが、動物は殺された時のあれがあるから、ありがとうございますと唱えてもまずいよ、と言う人がいるのですが。
ありがとうございます:
根本は、すべては神さまの愛の現れ、命の現れという、神さまのほうから命を捧げて、どうぞと言うふうに差し出してもらったものは、感謝して受けたら神さまの命を光を頂くのです。これはもう何もかにもそうなのです、食べ物だけではなく酒も煙草もです。
本当は感謝して受ければ何も悪いものは無いのです。ただ感謝を忘れた時にそれぞれに色々な思いに負ける一面はあります。例えば、酒を飲めば肝臓が悪くなるぞという思いが自分の心に入ってきたら、その影響を受けます。一切のマイナスの言葉を心に取り入れないような状態だったら、何をしても良いのです。優劣、順位は本当は無く、元々悪いものは無いのです。人のマイナスの言葉が悪くするのです。すべてを構成する原子一個を眺めたとき、原子一個でも悪い原子は無いのです。だから、人の思いが色んなものに悪い姿を付促させる一面があります。お酒も本当はお神酒と言うと、神さまの氣が一杯入るのです、嬉しき、楽しき、有りがたきの三つの「き」が一杯満ち溢れます。飲めば飲むほど幸せになるのです。
-ありがとうございます-
動物を食べるのも同じ事ですか?感謝して食べたらいいのですか?
ありがとうございます:
動物といっても、逃げ回るから追いかけて捕まえるというのは捧げてもらったものではありません。でも、動物も早く進化したいという意味では、自分の命を捧げて人のお役に立ちたいというのだったら、捧げものなのです。それによって動物も早く進化するという一面がありますから、それは感謝して頂く事によって動物も自分も大きくプラスの働きをするのです。
例えば、弘法大師さんが本当は肉食をしないのでしょうが、捧げものの例えば猪の肉を食べたとするのです、だけど、それは神さまの命を頂いているのであって、動物を食べたと思ってはいないのです。
ところが、一緒に修業しているお坊さんが見ていて、「お前は肉を食べたじゃないか」と責めるのです。でも弘法大師は「食べていない」と言うのです。「お前食べた、わしゃーちゃんと見た」と言う。「じゃー吐き比べしょうか」と、吐き出したら弘法大師さんの吐き出したものからは肉が出てこない。隣りの責めた人の方からは肉が出てきたのです。
これも神さまの命を頂いているという受け方だったら、お肉は食べていないのです、命を捧げものを頂いている限りは肉ではないです。でもこれが肉なんだ、悪いんだと責めたら、本当は食べていなくても出てくるのです。だから言葉が一番大事です、プラスの言葉を使ったら良いと思います。 ありがとうございます。
-ありがとうございます-
食事の時、先生が使われるお祈りの言葉は有りますか?
ありがとうございます:
別に、ありがとうございます以外は有りません。若い時に断食を沢山し過ぎるくらいしたのですが、本当の断食は物を食べているという感覚を無くせば良いのです。「何を頂いても神さま命を頂いているのだ」というのだったら断食です。本当は神さまの命を、光を受けている限りは断食です、「物」ではないのです。単なる物質としての食べ物ではないのです。
でも物質の物を食べるのは空気を吸ってもいけないのです、水を飲んでも同じです。みんな生きているのですから、殺生の罪を犯しているかもしれません。空気を吸うだけで空気中の微生物を殺しているかもしれない、水を飲んでもそうなのです。でも、その殺生の罪でも、神さまの命を頂いているのだ、というのだったら殺生の罪は一切起こらないのです。これもやはり言葉の使い方ひとつなのです。
ありがとうございますと唱えている人は直感
-ありがとうございます-
以前、良い音楽良い絵を見たりする事も、ありがとうございますと言っているのと同じような意味があるとお聞きしたのですが、良い音楽とか良い絵とか判断するにはどのようにしたら良いのでしょうか?
ありがとうございます:
ありがとうございますと唱えている人は直感的に、これは素晴らしいな美しいなと自然に感じます。本当の感謝は神さまを感じ取る事なのです、神さまの現れとしての姿を感じ取れば良いのです。美しいものは神さまの現れなのです、直感的にそこに美を感じた時に感謝になっているのです。
起こりません、起こらないようにお祈りが有
-ありがとうございます-
先生は神戸大震災のとき、身体にストレスみたいなものを感じられたと伺ったのですが、近い将来日本でも色々言われているような天変地異が起こるのでしょうか?
ありがとうございます:
起こりません、起こらないようにお祈りが有るのです。だからお祈りする人は最高表現の受け場として使ってもらうのです。もし大きいマイナスが有るのだったら、お祈りの深い人が一時的に預かって、それを消す場として使ってもらうのです。どんどんそういうのは軽く済みます、これからそういう大きいのはどんどん消されて無くなるでしょう。よほど大きいマイナスが好きな人は特別に残してもらったら良いのですが、でもこれからはどんどんプラスに向くようになっていますから大丈夫です。
でも、その通りになるかどうかは別です。こ
-ありがとうございます-
ある本で、人間は生まれる前にプログラミングされて生まれてくると書いてあり、自分で親を決めて、その親の下に生まれて修業するように書かれてあるのですが、そんなことは有り得るのでしょうか?
ありがとうございます:
でも、その通りになるかどうかは別です。この世の人も同じですが、自分が計画してプログラムを立てて、さてその通り歩もうかとして、その通りになるかは限らないのです。やはり、日々瞬々刻々の言葉の使い方、その生き方が大事です。だから最初のプログラムだけで全部が動くのではないのです。そういう一面は有ると思いますが、それがすべてではないのです。
この世に生まれてくる時に、自分の意志をはっきり持って生まれてくる人も有るのですが、そこまではっきりしない人も有るのです。そういう時は守護霊さま、守護神さまがバックで大きく働いて生まれさせてくるのです。色んな生まれ方があるのです。
-ありがとうございます-
人間が人間に生まれてくるだけではなく、例えば植物や動物に生まれる場合は有るのでしょうか?
ありがとうございます:
これも考え方が、色んな考え方があるのです。先ず自分は何かという立場を変えなければわからないのです。その一番奥の神なる自分だったら、その自分は何にでも変身するのです。石ころにもなれるし動物にも植物にも、人間にも、大きい星にもなれるのです。その自分だったら自由自在に変身して何にでも生まれ変われるのです。ただ、輪廻転生的な生まれ変わりではないのです。いつでも何にでも変身して現れる事が出来るという意味です。でも輪廻転生的に見るとかなり自由を束縛された中に自分を置いているのです。
そういう自分は例えば人間として生まれたら、人間としての生まれ変わりをずっと続けるのです。動物になったり、植物になったりは出来ません、ある時期は動物なら動物を追い続けます。だから猿から人間に進化するというのはないのです、すべて高い次元から物質化現象的に降りるのです。
今、動物しか、猿しか生きられない時代だったとするのです、そうするとそこには猿だけです。でもそこに、人間が誕生しても生活して生きられるという環境が整ったら、別の高い次元から人間が舞い下りてくるのです。猿から変化したのではない、新しいものがそこに加わってきたというだけです、それが人であるのです。人としてそこに加わったというだけです。まだこの世に出てきていない色んな生き物、生物が一杯いるのです。
だから進化というより、新たに物質化して出て来ると言う方が正しいのです。だから猿は何億年経っても猿です。間に類人猿が入ったと言っても、猿から類人猿になるのではないのです、類人猿があるのです。ただ奥から色んな姿を現してくるのです、言ったら色んな作品を順番に仕上げるような感じで、仕上げると言ったら不都合ですが、でも進化という意味がこの世だけを見ているので、進化と言ったら奥からの働きを見ていないです。突然変異という事も有りますが、この世だけを見ている人は、突然変わったから突然変異なのです。でもまったく別のものが降りたというだけなのです。
生まれ変わり輪廻は、低い番組の方に有るの
-ありがとうございます-
今日は来世の話を聞きたいのです。七年前に妻を亡くしました、ある霊能者に訊くと、妻は早く生まれ変わり、私の生存中に十二年間だけ一緒に暮らせると言われました。そこで本当にあの世があるのか、再生に順番があるのかお教え下さい。
ありがとうございます:
生まれ変わり輪廻は、低い番組の方に有るのです、その中にはそういう姿もあるのです。魂の生まれ変わりというのは、魂は本当は男も女もないのです、両性を持っていると言った方が、男にもなれる女にもなれるのです。あの世にも男性的な魂、女性的な魂が有るのですが、ある一面、男性的なものを磨き出したら男性になるのです。女性的なものを磨き出したら女性らしくなるのです。
-ありがとうございます-
すると、死んだら親が三途の川の向こうで、おいでおいでしていると言いますが?
ありがとうございます:
それも向こうに行って、まったく違う姿をとったらわからなくなります。それで、生前の姿を仮に現す時があるのです。今の自分の姿をとらず、過去の姿をわざと見せるのです、それで間違わないようにするだけなのです。でも人間は皆進化して進歩した姿をとるので、この世に女性として生まれた人でも、あの世で男性になっているかもしれないし、色んな魂が合体して大きくなっているかもわからないのです。
-ありがとうございます-
そうしますと、懐かしい人が待って、おいでおいでをしているのは願望であって、実際は合体して分からなくなっているかもしれないのですか?
ありがとうございます:
そうかもしれないし、大きい魂だったら分解して分かれてしまっているかもしれない。それで女性の魂だと思って追いかけても、男性に変化しているかもしれません。
-ありがとうございます-
楽しみだなと感じますが、行ったら、あーそういう仕組みだったのかとわかれば嬉しいなと思いますが、そういう希望を持っていればろくな事はないという事でしょうか?
ありがとうございます:
予測通りにならないかもしれません。
-ありがとうございます-
先に生まれ変わっていたとか、行ったら留守だったとか有るのですか?
ありがとうございます:
あります。
-ありがとうございます-
それもそういう事が、ある心境に達すると先生にはわかるという事ですか?
ありがとうございます:
はい。
「今、ここを生きる」という意味は浅い意味
-ありがとうございます-
「今、ここ」を大切にしましょう!まわりの事を気にせずに自分自身が楽しく行きましょう!と言われる方が居ます。私もこれができたら肩が凝らずいいなと思うのですが、ただまわりの事を気にしないという事は、まわりの人を傷つける事になるかもしれないと思うのですが?
ありがとうございます:
「今、ここを生きる」という意味は浅い意味と、深い意味と両方が有ります。「今、ここ」というのは、神さまの絶対から神さまの最高表現が生まれてきた「今、ここ」なのです。それを受け直すというのが「今、ここを生きる」と言う。だから古い過去のチャンネルを相手にしないのです。最高の新しいものを受け直して、それを現実化すると人を傷つけるどころではない、皆を生かし切るのです、全くの置き換えになってしまいます。それが「今、ここを生きる」今の一瞬を大事に生きる事なのです。
そうです、占いなんて本当は必要ないのです
-ありがとうございます-
占いで動物占いとか、人相だとか観相学だとかありますが、自分はそれに振り回されてきたように思うのですが、それは低い番組を見ていたのでしょうか?
ありがとうございます:
そうです、占いなんて本当は必要ないのです。神さまから最高の番組を受け直している限り、マイナスはないのです。無限の無限のプラスばかりだったら、占いなんて全く無用になります。
大抵の占いは、「楽して良い事を手に入れたい」ということなのです。「なんとかマイナスをすり抜けてプラスを手に入れたい」という生き方です。プラスを受けるのは感謝して神さまの最高表現を受け入れたら良いだけなので、余計な事は要らないのです。
運命学にも色んな運命学が有りますが、やはり低いのです。かなりマイナスに囚われている一面が多いですから、マイナスを相手にしたらマイナスは持続します。波長が合ってその番組を選んでしまいます。だから全くのプラスだけを選ぶ方がいいのです。本当に幸せになりたいのだったら、無限の無限の幸せが一杯という具合に幸せな言葉を使い続けて、番組を高い番組に合わせてしまえば良いのです。
神さまの名前は神さまの働きを表わすように
-ありがとうございます-
名前の事ですが、生まれる前に名前を付けて・・、名前に意味はあるのでしょうか?
ありがとうございます:
神さまの名前は神さまの働きを表わすように、人にもこの一生で果たす働き、使命を名前で表わす場合があるのです。ただその名前の付け方は色々です、神さまが正しく付けてくれたら、この一生の働きをよりわかりやすく付けてくれる名前になるかもしれない。でも人が勝手に自分の好きな名前を付けた場合は、少しずれる可能性があります。
本当は、本体の自分は無限の無限のプラスを持っていますので、どんな働きも出来る自分なのです。そういう立場から見ると言葉通り、なんでも力を発揮できる一面があります。どんな名前を付けても、その言葉通りの働きは出来るはずなのです。マイナスの言葉に囚われたらマイナスの働きしか出来ないのです。
本当は名無しの権兵衛で、自由に色んな名前を持っている方が色んな自由に出来るかも知れないのです。仮にひとつの名前を決められても、余り名前に囚われ過ぎないほうがいいのです。良い名前は良い名前でどれでも良いのですが、他にも色んな働きが出来るのだと名前を百でも千でも持っている方が良いかもしれません。
最高争いは要らないのですが、ただ言霊的に
-ありがとうございます-
ありがとうございますは最高の神さまなのだとして、向こうのアラーの神さまは(?)なんだと聞いた事があるのですが?
ありがとうございます:
最高争いは要らないのですが、ただ言霊的に言うと、ありがとうございますは神さまの働きの全部を言霊で表現しているので、神さまの働きの全体を掴み易いのです。でもアラーの神だと「あ」と「り」があるくらいで、ほとんど残りの言霊の響きがなく、少し掴みにくく、わかり難いのです。同じ最高の神さまを指そうとしていても、ありがとうございますの方が的確に指し示しています。
-ありがとうございます-
ヨガでオームという言葉があるのですが、その言葉はどうなんでしょうか?
ありがとうございます:
言霊的に「おー」というのは神さまを降ろす降神の響きがある祈りなのです。だから神さまを自分の中に降ろすために「おー」と唱えるのですが、でもそれも少し足りない、少ないのです、神さまの全体像は把握しにくいのです。神さまが降りてくるといっても何が降りてくるかは、ピンからキリまで有ります。やはり(自分と)波長の合うものを引き降ろすのです。
-ありがとうございます-
空と言霊の関連性は?
ありがとうございます:
仏教で言う空という言葉は絶対なのです、「あ」の言霊で指し示すものが空です。空は何も無いのではなく無限の無限のプラスが一杯という、その一番奥の根源なのです。
-ありがとうございます-
空とか無限は沈黙、音が無いというイメージがあるのですが?
ありがとうございます:
それは逆で、奥ほど躍動しているのです。スピードが速い、動きが速い、密度が濃いのです。
それは過去を掴む人間の勝手な捉え方なので
-ありがとうございます-
パレスチナとかイスラエルとかで聖地争いが起こっていますが、祈る神さまによってそういう事が起こるのでしょうか?
ありがとうございます:
それは過去を掴む人間の勝手な捉え方なのです。本当の聖地と言うのはお祈りする所が聖地なのです。過去に聖地であっても、お祈りをしていなかったら聖地からどんどん遠ざかっていくのです。世界の中心、聖地というのはお祈りの一番深い所がその時代の聖地となるのです、世界の中心となるのです。それも変化するのです、逆に聖地争いで争っていたらマイナスが一杯積み重なるので、聖地が聖地でなくなるのです。
人のマイナスの思いを瞬時に消してしまえるくらいの大きな光が降りた所が聖地です。そこへ行って争うようだったら、そこは聖地から遠ざかっています。
本当はそうです、最高番組を相手にする方が良
-ありがとうございます-
昔、Tという方が居られて、ある本で、霊界で生前ある宗教団体を激しく批判していたのは間違いだったと反省していると聞きました。意見の違う団体に対し批判をすれば批判でしか返ってこないという事を、ある方に言われたのですが、人と意見が違った時は黙ってにっこりありがとうございますと言って反論しない方が良いのでしょうか?
ありがとうございます:
本当はそうです、最高番組を相手にする方が良いのです。最高番組は番組お互いにその素晴らしさを認め合って、誉め合って、感謝し合って、喜び合う姿です。低い番組を相手にして、いくらここは悪い、ここを直しなさいと責めても、批判しても、アドバイスしてもあまり役に立たないのです
-ありがとうございます-
高い番組ばかり相手にしていたら、低い番組の人は置きっぱなしで、その人達は気づくのを待つしかないのですか?
ありがとうございます:
いやいや、神さまは一人一人をちゃんと守りに護っているのです。自分も低い番組に囚われていた時から高い番組に心を向け出したというのも、神さまの守りのお陰なのです。人から色々お節介してもらったお陰では無いのです。本当の神さまから大きい力を添えてもらって、他のすべての人も同じなのです。神さまに高い番組に心が向くように引き戻してもらったのです、ちゃんと面倒を見てくれるのです。その時のお手伝いは少し位させてくれるかもしれません。だから心配は無いのです。
-ありがとうございます-
お節介はしない方が良いのですか?
ありがとうございます:
お節介は要らないのです。もし必要だったら向こうから連れていってとか、教えてとか言ってもらうのです。逆に隠しておく位の方が、向こうが真剣さを出すかもしれない。本当に必要だったら、どうしても連れてってとか教えてとか真剣に頼んできます。でもそういう真剣な心が起こった時は、先に神さまが助けるのです。だからお節介は要りません。
お祈りは相乗効果を起こします。一人の時は
-ありがとうございます-
一人で祈る時と、例えば五人百人とみんなで祈る時の効果の違いは有るのでしょうか?
ありがとうございます:
お祈りは相乗効果を起こします。一人の時は一、二人の時はににんが四になる、三人だとさざんが九、九倍になる、それだけの効果があります。十人寄ったら百倍になる、10×10で100です、本当はもっと大きいのです。この世の人だけのお祈りではない、あの世からも神さまからも一緒にお祈りに参加してくれるので、物凄い相乗効果を起こすのです。
-ありがとうございます-
たくさん集まって祈る事は良い事でしょうか?
ありがとうございます:
良い事です。良い事です。
同じ事です。「神さま」という言葉は神さま
-ありがとうございます-
「神さまありがとうございます」は、神さまありがとうございますだから理屈はわかるのですが、ありがとうございますが神さまだとすると、神さま神さまと言っているのと同じで、ありがとうございますが神さまで、普通の日本語ではありがとうございますは感謝ですから、神さまありがとうございますは文法的には良くわかるのですが、ありがとうございますが神さまだとすると、神さま神さまと言っているのと同じなのですか?
ありがとうございます:
そうです。
-ありがとうございます-
相手がいてお礼する、とかいう事ではなしに神さま神さま神さまという事と同じなのですか?
ありがとうございます:
同じ事です。「神さま」という言葉は神さまに心を向ける働きをするのです、それで神さまと一体になるのです。ただその神さまの神という言葉も、ありがとうございますと同じ意味を持っていて、五つの大きい働きを全部指し示す言葉なのです。隠身、仮凝身、輝身、翔身、限身の五つの働きは、ありがとうございますにあるのと同じなのです。だからありがとうございますと神さまとは同じ意味です、だから神さま神さまでも良いのです。その深い意味がわかれば神さまだけで、ありがとうございますと同じ意味になるのです。
-ありがとうございます-
感謝が神さまの一番の心だとして、ありがとうございますと仰っておられるのですが、他に美しいと感じる心も神の心だし平和もそうですが、色々ある中で感謝が一番だとおっしゃっておられるのでしょうか?
ありがとうございます:
いや、神さまの働きはたくさんあります。神さまの徳性というのか、それ全部がありがとうございますの中にあるのです。感謝というのも、感謝と言えばありがとうございますの本来の意味から外れているのです。だから感謝も無限の無限の感謝もありがとうございますの中にあるのです。
-ありがとうございます-
すると感謝も美しいも一番二番は無いということですか?
ありがとうございます:
一番二番は無いのです。どれを一番に持ってくるかはその時その時で自由にしたらいいと思うのです。ただ全体像の、丁度ダイヤモンドのいろんな面がカットであるのですが、どの面を中心にもってくるかです。美しさを正面に持ってきたらバックにいろんな面がたくさん同時にあるのです。あくまで一体化しているのです。
-ありがとうございます-
ありがとうございますを感謝と捉えれば、一面しか見ていないことになるのですか?
ありがとうございます:
そうなります。それもさっきの、ありがとうございますと神さまと同じなのですが、神さまと言うと仏さまを信じる人は使えません、そういう意味だったら使えないのです。
-ありがとうございます-
外人さんでもサンキュウでは無くありがとうございますと言うんですね。あくまでもありがとうございますとサンキュウは違うんだという事を明確にしてあげなければ駄目ですよね?
ありがとうございます:
「これは世界共通語ですよ」というように。
神さまのすべてを受けるのがありがとうございます
-ありがとうございます-
言葉のイメージとしてはありがとうございますと言うと受け取るイメージが強く、与えるという感じが少ないですけど、深い意味ではそういうものも含まれているのですか?
ありがとうございます:
神さまのすべてを受けるのがありがとうございますなのです、受けたから与え切れるのです。もし、何も受けていなかったら自分は何も与えられないのです、だから受けると同時に与えるのです。言ったら呼吸と同じで、吸ったら吐けるのです。
お祈りとそういう知識、真理を知る事とどち
-ありがとうございます-
最高の番組を見るために精神世界の本や教えを学ぼうとするのですが、最高番組を見るためにはそうした知識は必要ないですか?
ありがとうございます:
お祈りとそういう知識、真理を知る事とどちらが力が有るか尊いかというと、一回のお祈りのほうが万巻の書を読んで万理の書を知る、万の理屈を知るよりも正しい大きい働きをするのです。ありがとうございますを積み重ねるほうがすべてに勝るのです。ただ、ありがとうございますに戻るまでは色んな幅広い勉強をして、あーこれは正しいんだという方向付けは必要かもしれません。でも、お祈りによって本当の自分が中から輝き出て満たされて、何でもわかる自分に変わってくるのです。
知識は人の考え方です、自分のものになっていないのです。あの人はこういう考え方、あの本にはこう書いてあったと、わかるだけで自分のものに納得して入っていない、入らないのです。本当にすべてがわかる自分が出てきてこそ、なる程、あれは、こうだ、こうだと納得していけるのです。色んな本を見ても、あーこれは間違っている、これは正しいと判断がつくのです、そのすべてを知る自分が出てこなければいけないのです。そういう意味だったらありがとうございますと、唱えている本当の自分、神なる自分を引き出した方が一番最短距離です、すべてを知る生き方になるのです。
同じです。ありがとうございますは神さまか
-ありがとうございます-
商売のやり方として give and take では無く、give and giveだと聞いたことがあるのですが、それはありがとうございますの心と同じですか。
ありがとうございます:
同じです。ありがとうございますは神さまから無限の無限のプラスを受けますから、必然的に恩返しせずにはおれない心になります。恩返しは一切の報いを求めないです、だからgive and giveです。与えるばかりというのが良いのです。
これもどう受けるのかは、その人の使う言葉
-ありがとうございます-
この部屋にも幾つかありがとうございますのステッカーが貼ってあります。先程、拍手や口笛のことでも心境の高い人がやれば強い光が出るとありましたが、同じように直筆であればわかり易いのですが、印刷やファックス等でも同じ効果が出るのでしょうか?
ありがとうございます:
これもどう受けるのかは、その人の使う言葉通りなのです。すべてに同じ力が有ると言えばすべてに力が有るのです。でも比較してこっちに力がある、こっちは少し劣るのだと言えばその通りになるのです。
これも言葉通りになるのです。そういう言葉通りの番組に自分を嵌め込んでしまうのです。でも元々はすべてに神さまの光が満ち渡って放射されているのです、このシールだけが光を放射しているのではありません。この柱からも全部からも、光が迸り出ているとみる方が正しいのです。人間の身体を見ても全身の細胞が太陽のような光を放射しているのだ、それ位にみた方がいいのです。
犠牲は自分をマイナスに置いて駄目にするよ
-ありがとうございます-
自己犠牲は自分を犠牲にして人を救ったりする美しい話があるのですけど、自己犠牲とはどうなのかなと疑問に思うのですが?
ありがとうございます:
犠牲は自分をマイナスに置いて駄目にするような感じを持つのかも知れないのですが、本当の犠牲はそうではありません。神さまの心を体現する、神さまの御心のままに自分の命を神さまに捧げることです、自分のすべてを神さまに捧げ尽くす事が犠牲です。するとすべてを生かすための大きい働きに使ってもらえるのです。
人の身代わりになって何かマイナスを背負っても、それを神さまによって軽く消してもらって、人も自分も幸せを掴むわけです。自分の幸せを人の幸せをも取り込む大きい幸せに変えてもらうだけです、それも楽に。犠牲というのはマイナスではありません、大きく得をする生き方です。キリスト教でイエスさまが十字架に架かったとすると、イエスさまからみると人類のマイナスを背負って大きく消す働きをさせてもらったのです、それで大勢の人が幸せになったのです、この大勢の人の幸せを自分の幸せに取り込んだのです。だから、小さい幸せから大きい幸せを与えてもらった事になるのです。だから本当の意味は、犠牲は大きい幸せを掴むためなのです、マイナスではないのです。
そうです。神さまという意味で今まで使って
-ありがとうございます-
ありがとうございますについてもう少しお教えください。先生は神道系、成長の家とか白光真宏会で修業された、その教祖方もありがとうございますが同じような意味で神だと言われていたのか、それとも先生がふっと気が付かれた悟りの世界のことなのでしょうか?
ありがとうございます:
そうなのです。
-ありがとうございます-
すると彼らの元となった大本教とかは、ありがとうございますはお礼の言葉として使っていて神さまという意味では使っていないのでしょうか?
ありがとうございます:
そうです。神さまという意味で今まで使っていないのです。
-ありがとうございます-
すると今、初めて示されているわけなのですね。ありがとうございますは神さまだよと言う意味で。
ありがとうございます:
そうです。でもこれは私が言っているのではなく、神さまが言っているのです。
-ありがとうございます-
ハイハイ
ありがとうございます:
それで神さまがみんなの中に入って来て納得させているのです。これが本当の神さまだ
というように。
-ありがとうございます-
びっくりする話ですよね。日本語のありがとうございますが神さまだというのが今、初めてわかったという事は。―
ありがとうございます:
そうです、はい。
すべてを神さまだと拝むのがいいのです。そ
-ありがとうございます-
先生の家族は理想的な家族だと昨晩聞いたのですが、私今、新婚早々別居しているのですけど、例えば商売上でも自分に適性が無いとか、そういう自分の周りの現実とどう対