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二〇〇一ねん 八がつ 二十五にち・1 
                        

     パニックしょうこうぐんかんしゃ
        しあわせへのさいたんコース

-ありがとうございます-
 わたしこうをしていますが、わたしかんじゃなかにパニックしょうこうぐんあんしょうじょせいがいて、ふいにきょうかんられでんはいってくるのですが、ぜんからそのひとにありがとうございますとか、わたしだいじょうわたしげんです、わたしひかりです、とにちじょうからプラスにするようにしているのですが、きょうかんこればありがとうございますととなえてもきょうらない、かいぜんされないのですが?

ありがとうございます:
 ありがとうございますととなえて、すぐけっひとないひとがあるのですが、みなげんいんはちゃんとあります。ほんとうかんしゃというのはけんきょかんしゃのありかただいなのです。だから、にマイナスのこといっぱい使つかってこころつづけてきたとしますと、というとげんながい、なんおくねんじょうかもしれません、そのあいだにマイナスのこと使つかつづけているとそくがつくのです。そのマイナスのことこころいっぱいまってしまい、げんちかいものがこころまると、ほんとうだったらごくのドンぞこさいていばんぐみちょうわせて、げんつうあじわいつづけるのがえいえんつづくかもれません。
 
 ほんとうかんしゃというのは、そうしたげんくるしみをいつもいつもめんじょつづけてくださっているという、かるましてくださっているというかんしゃと、またげんにプラスのものをいっぱいあたつづけてくださっているというプラスへのかんしゃと、りょうほうだいなのです。そのうえかんしゃさせていただけるという、ほんとうかんしゃなどぜったいにできないぶんなのに、いつかいでもかんしゃこころこさせてもらっているということへのかんしゃです。

 だからみっつのかんしゃ
マイナスをかるくしてもらったということへのかんしゃと、
げんのプラスをおおきくもらったかんしゃと、
また、かんしゃこころこさせてもらっているということへのかんしゃと、てっていしてこさないとこうすくないのです。
 
 だから、つうもとめるこころでありがとうございますととなえると、もとめるこころはマイナスのこころなので、ばんぐみをどんどんげていくことになるのです。びょうひとつでも、なおしたい、なおしたいとうとマイナスのこころなのです。びょうなんだ、びょうなんだとしっかりしゅちょうしているのです。そのマイナスのこといっぱい使つかつづけていることになるのです。そのあいにありがとうございますととなえると、ちょっとはかるくなるのですけれど、まずマイナスをにぎめていることになるのです。
 それよりも、まんびょうかかえてくるしまなければならないところをかるくしてもらえたとか、またんだマイナスのことこころおくそこいっぱいたまっているのをすためにかびがらせてもらったとか、そういうふうにただしくプラスになければいけない。かみさまはありがとうございますととなえたときはかならすくいにはいっています。そのすくかたかみさまとひとかんがえとはちょっとちがうのです。
 かみさまはひつようなことをてっかくにしてくださいます、こころまったものをそうとすると、かびがらせてくるのです。いくらありがとうございますととなえても、こころまったものをどんどんかびがらせてそうとするのです。かびがったときにいろんなマイナスの姿すがたをとるときがあります。からだだけではなくこころじょうたいも、それをもかみさまがかびがらせてしてくださっているという。それもまんぶんいちかるさにらしてしてくださっていると、いうふうによろこんでかんしゃをしているともうひとつこうます。
 
 ありがとうございますととなえているのにけっない、ますますわるくなったというのは、かたぶんとらわれたりちゅうはんなのです。もうかんしゃというのはてっていしてプラスにプラスにみて、かみさまのあいれることなのです。かんしゃげんふかまるというではひくばんぐみからじゅんばんあゆむのもあるので、それもかんしゃべんきょうです。でもぜったいわるくはならないのです。ひょうめんくなってもおくくなっていないというより、おくからくなってひょうめんあめったりあらしいたりしてもかまいません、まず、おくからのほうくなるというで、よろこんでいくほういのです。そうしたらかならずいいけっはやてきます、でもそれはわるくはなっていないのです。

-ありがとうございます-
 あんかんもいつもっているのではなく、とつぜんかんでくるのですが、そのときありがとうございますというのはかんしゃこころえばいいのはかるのですが、きょうこころたときはそれにとらわれてしまうので、それをどうできればさせていただきたいとおもうのですが。

ありがとうございます:
 こころじょうたいが、あおぞらたいようかがやくようにかんしゃがるのがいちばんしあわせなじょうたいです。でもマイナスをいっぱいんだらおもいのくろくもいっぱいあるのです。ほんとうだったらたいふうのようなしゃりがってたりまえなのです、でも、そういうじょうたいではない、かるかるじょうたいです、ちょっときりさめったくらいです。ほんとうだったらごくのどんぞこくるしみを、こころじょうたいとしてあじあわなければいけないのです、それで、しちなんはっじょうたいいっぱいになってしまいます。それをちょっとマイナスのきょうしんこってくるていにしてもらっています。

 だからきょうしんでもピンからキリまであります。マイナスのこといっぱいつづけたら、きょうしんそこれないものがてきます。てんってくるとか、まわりのひとはみんなおにのようにぶんころしにるとか、どんなものまえにしてもどくはいっているのではないかと、みんなマイナスでこころちゃちゃになるくらいにあっぱくされるのです。だからそういうじょうたいではない、物凄ものすごじょうたいではない、物凄ものすごかるじょうたいです。
 ちょっときょうしんるくらいだったら、そういうきょうしんめたげんきょうしんのほんの一です。まんぶんいちされているじょうたいですから、それをほんとうよろこんだほうがいのです、かるましてもらって、してもらっているじょうたいです。ほんとうよろこんだほうがいのです、かるましてもらって、してもらってありがとうございますと、そうするとかんしゃふかくなります。
 
 そのげんじつひょうめんかたちくなるのをよろこぶのは、まだまだあさかんしゃです。だいなんしょうなんなんましてもらっているのを、づいてかんしゃできるのがもっとしあわせなのです。だからえないところへのかんしゃるように、ひょうめんにちょっとそういう姿すがたしてしてくださっているとおもえば、それがあったほうがいのです。やっぱりそのひとしあわせへのさいたんきょあゆんでいるのです。


     おおきくるとマイナスではなくプラスなのです
            マイナスではなくばんぐみえよう

-ありがとうございます- 
 ほうかたくなるときは、やさしくけるとかいますが、ほうになるのはいままでのかたちけっがそういうようになっているとおもうのですが、それをづかせることるのでしょうか?

ありがとうございます:
 ぶんのほかに、まわりのひとべっそんざいしているというかたは、とらわれたちいさいかたです。ほんとうかたぶんているかいぜんぶんこころうつかがみなんだというくらいるといいのです。
 ほんとうかみさまからあたえてもらったげんげんのチャンネルのなかから、さいこうばんぐみえらんでているひとだったらマイナスはいっさいいのです、みんなげんげんのプラスばかりの、らしいさとったひとばかりえてきます。ところがげんげんのチャンネルのなかから、ひとひとがどれかをえらぶのです、そのえらんだチャンネルにマイナスやプラスがあるとしたら、まだマイナスやプラスのあるばんぐみぶんえらんだことになるのです。
 
 そのげんいんぶんにマイナスのこと使つかっているはずなのです、ことちょうわせをしてばんぐみえらんでいます。マイナスのばんぐみなかでプラスやマイナスがあって、そのマイナスをえようとするよりは、ぜんたいばんぐみえようとするほうがいのです。だからマイナスの姿すがたつかんで、えようというより、プラスのことだけを使つかってちがばんぐみぶんぶんこころけたほうがいのです。ばんぐみさえわったらプラスのひとかならえてきます。

 つうばんぐみにはまりむと、ばんぐみえるということよりも、ばんぐみなかえようとします、するとなかなかわりにくいのです。チャンネルをえずおなばんぐみなかで、ばんぐみえようとしてもストーリーはまっているので、なかなかわりにくいのです。またあいゆうってきているとしたら、あいゆうしばれません、かならぶんのしたいようにするはずです。おせっかいでいくらあいしあわせになるようにたすけてげようとおもっても、あいゆうしばれません。あいわるのをつとしたらえいえんわらないかもしれません。 
 それだったら、いつまでもぶんがマイナスをていなければいけないことになるので、ぶんせきにんぜんえていけるほうい、ぶんばんぐみえていけばい、ぶんばんぐみたかばんぐみえていけばいのです。それはプラスをプラスをと、プラスのこと使つかいプラスのほうこころけてプラスだけをしっかりこころれたらいのです、するとかならずプラスにわってくる、そうしたらマイナスをずにプラスの姿すがたれるようになります。そういうかたほうぶんりょくむすびます。

-ありがとうございます-
 そういうことは、うちなどをかいするとき、そういうふうにとらかたえててあげたほういのですか?

ありがとうございます:
 そうです、いまているばんぐみを、あまつかぎないほういのです。そのひとつのばんぐみなかいろんなしあわせもつかめるし、べんきょうもできるのです。

-ありがとうございます- 
 ということは、ちちははかいしているものて、きょうだいがとやかくことですよね。

ありがとうございます:
 マイナスとしてつかんでめるようなかたではそんです。たとえば、かりおやほうしょうてマイナスの姿すがたせてくれるというときでも、ぶんのためにいろんなべんきょうをさせるえんをしてくださっているというかたいのです。ほうしょうびょう姿すがたをとって、ぶんしあわせにみちびいてくださっている、それによってぶんあいするりょくかさねます、あいこころされてきます。またやさしくかんびょうすることによって、おもいやりのこころがどんどんおおきくふかくなってきます。
 またぶんびょうときでも、いろいろたすけてもらったというへのかんしゃがります。マイナスの姿すがたえるものから、いろんなべんきょうをさせてもらい、またいろんなしあわせをあじわわせてもらうんだったら、ほんとうおおきくるとマイナスではなくプラスなのです。そういうかただったら、べつにマイナスをさなければいけないということではない、そのままかんしゃしてけてよろこべばいのです。そういうかたをとっていれば、ぜんひつようくなったら、マイナスの姿すがたがプラスにわってきます。それもぜんわるのをったほういのです。


     かみさまをことです

-ありがとうございます- 
 かんしゃすることことすほうがいですか?

ありがとうございます:
 ことこころちゅうしんかくになるので、ことこころ使つかことひつようですし、こころかんじることかんしゃです。たとえばたいようながめてありがたいなーというかんじがあればこれもかんしゃです。べつにありがとうございますとこととなえなくても、がるありがたいというこころがあればそれはかんしゃです。またうつくしいものをて、うつくしいとかんじるのもかんしゃです。かんしゃほんとうちょっかんかんじることなのです、そのちょっかんりょくひっすのにありがとうございますということちからひつようなのです。こころとなえるのがいのです、ひつようだったらくちしてもいです。

-ありがとうございます- 
 いまおもうとどもころたのしかったなあーとおもうのですが、それはとくかんしゃこころとかかったようにおもいます。大人おとなになるとかんしゃこころこさなければいけないとおもっちゃうのですけど、それはぜんがってくるものなのでしょうか?

ありがとうございます:
 こころにマイナスのこととかまっていなかったら、「ほんとううれしいな、たのしいな、ありがたいな」とぜんがってくるのです。とくちいさいときは、このいろんなべんきょうをして、マイナスのたいけんなどをしてこころくもらせることすくないのです。どもときほうぜんなのです、のものはっているのですけど。でも、こののマイナスをこころにためんでいないとでは、大人おとなよりこころれています。だからうれしい、たのしい、ありがたいというちがぜんがるのです。でも、大人おとなになるといろんなたいけんつうじてこころにマイナスをみすぎるときがあり、こころくもってきます。そのこころらすでありがとうございますととなえて、かみさまのたすけをれることだいなのです。

 ありがとうございますというのはかみさまをことです、かみさまのたすけをれますというひょうめいなのです。するとかみさまがたすけにはいってこころくもりをとってくださる、してくださいます、そうすると、またぜんにありがたいなあーというちががってくるのです。なにしてもたのしいなあーというあいに、ぜんへんしていきます。そうだったらありがとうございますとこころとなえるぎょうだいです。


     ありがとうございますの

-ありがとうございます- 
 ありがとうございますのことは?

ありがとうございます:
 かみさまのはたらきのすべてをあらわすことであり、きゅうきょくかみさまのまえです。いちいちかんたんせつめいすると、ず、

 「あ」ぜったいいのちほんげんとかひかりみなもととか、ひかりです。

 「り」は、らぎょうおんで、ちゅうそうぞうはすべてのようせんじょうほうしゃされてわさるのです、ちょくせんまじわりはいつてんですがせんじょうまじわりはげんまじわりができて、すべてがそうけいかたちをとって、こうぞう姿すがたをとるのです、ちゅうこうぞうはそういうこうぞうみなのです。だからだいちゅうがあったらきゅうしゅくてきしょうちゅうであり、じんたいもまたきゅうちいさいしゅくをとり、げんもまたおなこうぞうをとっている。みなそうけい姿すがたで、ちいさいものからおおきいものまでげんひろがります。それを、らぎょうおんの「り」を使つかってちゅうそうぞう姿すがたあらわします。

 「が」は「か」をダブらせてかがやきにかがやくという。だからかみさまのそうぞうされたぜんだいちゅう、すべてのちゅうげんげんかがやいているという、かみさまのはたらき、とくせいのすべてがげんかがやいている姿すがたをとっているのだというのが、この「が」なのです。

 「とう」というのはすうじゅうまた、「ありがたし」というと、たぎょうとさぎょうかれると、たぎょうおんたてせんで、さぎょうおんよこせんで、そうたいかれるすべてのようじゅうおうじゅうわせてだい調ちょうしているというです。だからありがとうございますというと、ぜったいからそうぞうされて、げんげんかがやいていたかみさまのさいこうひょうげんちゅうが、だい調ちょう姿すがたをとってそこにそんざいしているというです。だからさいこうひょうげんすのです。

 「ご」は、「こ」をダブらせてかたまってかたまって、ぶっしつしてぶっしつして、またたかげんじゅんばんじゅんばんひくげてというです。さいこうひょうげんちゅうげんげんげんげんげんばんぐみあらわれるというのがこの「ご」のはたらきです。

 「ざ」というのは、「さ」をダブらせてさらさらながれるというです。ちゅうのすべてがうつわる、へんするというらしいものが、うつくしいものが、かがやいてやくどうしてさらさらながれるという、なんでもまると、せいするとんでいるのです。へんはやくなるほどいのちかがやきます。「さ」というのはげんげんへんしているというがあるのです。

 「い」というのはいのちのいで、いしころいっげんいっほんとうきているという、かみさまのいのちきてげんかがやいているというです。ぶっしつうとなにんでいるようにおもうのですけど、ぜんいのちきているんだ、かがやかしているんだ、ちょうやくしているんだというです。

 「ま」まったたき、かんぺきな、かんぜんなというで、かみさまのさいこうひょうげんちょうてんげんげんのチャンネルのばんぐみされて、ぜんたいぞうかんぺききわまりない、そういう姿すがたが「ま」というのです。

 「す」ぜったいという、いちばんげんおくのというです。いまあらわれたものがぜったいもどり、またぜったいからあらたにまれてくる、そのじゅんかんあらわすのです。「ます」はいやしにすというで、いまあらわれたものはつぎあらわれるとき、よりらしくよりえてというで「ます」ということなのです。ありがとうございますというのは、ほんとうかみさまのはたらきのすべてをことだまてきあらわしたことです。

 ありがとうございますはかみさまのぜんたいぞうしめしています。ありがとうございますととなえることによって、かみさまのぜんたいぞうかんれるようにしてもらえるのです。だからいまぶんがどのチャンネルのばんぐみていても、ありがとうございますととなえたら、かならかみさまのたすけがどこへでもくのです。オールマイテーです、すべてにちからおよびます。
 かみさまはこのにもるしあのにもます、すべてにます。だから、ありがとうございますととなえることによって、かみさまをかんることがるのです。たいようさんありがとうございますととなえたら、たいようかみさまをかんることがて、かみさまのあいおおきくかんじられるのです。いしころいったいしてもおなじです、いしころさんありがとうございますといえば、いしころさんがかみさまのあいさいこうあらわした姿すがたかんじられます。ほんとうはそうなのです、いしころさまもほんとうちゅうゆうまわりたい、ところがぶんゆうげんていして、みなのためにいしころになってじっとせいしているのです。あたままれてもいたいとわず、ありがとうございますとってくれています。

 このぶっしつえるものは、ぜんかみさまのあいかたちあらわれたもので、物凄ものすごあいけっしょうたほうがいいのです。だからこのにもありがとうございますととなえればかみさまのあいをしっかりかんじとれるのです。あの姿すがたおなじです、ごせんさまありがとうございますとえば、ごせんさまがいるとして、あのからいろんなごせんさまのあいかんれるのです。だからとおほしからも、かみさまのあいひかりとどいています、ぜんだいちゅうのすべてのすべてから、かみさまのあいかんじさせてもらうのです。

 ありがとうございますはほんとうにオールマイテーなはたらきなのです。ちからがあるのです。とくていかみさまからたすけをけるには、まえばなければいけない、「なになにかみさま」と、げんかみさまがいれば、げんかみさまはびきれません。じゅうたいじゅうたいかみさまをんだところでちいさい。ほかのかみさまはわたししたとおもって、まもってくれなかったらこまります。でもありがとうございますはすべてにつうようするのです、ひつようだったらすべてからひかりたすけがます。そういうだったら、ありがとうございますが、いちばんちからのあることになるのです。

-ありがとうございます- 
 ありがとうございますに「なんくてもありがとう」「なんってもありがとう」とくわえていたのですが、くわえないほうがいいですか?

ありがとうございます:
 べつにいいです。そのときそのときひつようことが、またへんすることがいろいろてくるとおもうのです。どういうじょうたいでどういうふうにとなえても、ありがとうございますがくわわれば、そのぜんかしてくださるのです。「なんくてもありがとう」「なんってもありがとう」とってもいいのです。

-ありがとうございます-  
 がたうございますって、なんるとくので、なんがあるときほどありがとうってあいにみんなにひろめていたのですが、そうしてやっぱりなんるのですか?

ありがとうございます:
 てきます、そのことによって、やっぱりなんがあるばんぐみちょううのです。でもそのばんぐみなかでありがとうございますととなえることによって、そのばんぐみなかで、かみさまのあいかんれるのです。なんがあってもほんとうかみさまのあいかんれたら、それもおおきいしあわせなのです。ただ、かたちうえなんてきます。

-ありがとうございます- 
 ありがとうございますをかいしゃとかひとまえ使つかいたいのですが、いでしょうか。

ありがとうございます:
 いいでしょう。これはせんばいとっきょことではないので、だれ使つかってもいいのです。そこにかみさまをはたらきです、みんなまえがありがとうございますになればいいのです。

-ありがとうございます-  
 ありがとうございますはだれつくったのですか?

ありがとうございます:
 これはだれつくったかわからない、いつたかもわからない、これはもとからかみさまがようしてくださっていることです。てんからぜんはっせいてきあらわれている、もうすべてのげん、すべてのばんぐみてきようできる、こんならしいことなのです。だれしたかもい、まただれつくったのでもいし、さいしょからようされていて、さいまでちからはっすることとして、かみさまがあたえてくださっているのです。
 つういろんなとなえごとでもだれかがはつめいして、はっけんしてとなはじめることおおいのですけど、それはちいさいのです。すべてのひとにはつうようしないかもしれません、ほんとうの、さいこうのすべてのちからはっできるかはもんです。だれつくったかわからないことがいいのです。とっきょけんしんがいしても、おかねりにませんから。


     かいじゅうこころつうじます

-ありがとうございます- 
 ありがとうございますはほんことですが、くにではそれぞれにかんしゃことがあります。がいこくひとは、それぞれのくにことかんしゃしたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 かみさまのそうぞうはたらきはことだまほうです、ひと使つかうのはことえだです。ひと使つかことは、かみさまのことだまはたらきにちょうわすことがあるのです。だいなのはことだまほうです、かみさまのはたらき、ことだまほうだいなのです。えいのサンキュウサンキュウではかみさまのはたらきのすべてをあらわことだまひびきがありません、だからひとへのかんしゃぐらいでわってしまいます、ちいさいかんしゃなのです。
 でも、ありがとうございますは、かみさまぜんたいへのげんげんふかかんしゃです。そうするとたくさんたすけをけられ、ほんとうかみさまといったいできます。サンキュウととなえてもかみさまといったいできません。そういうでは、ほんは「ことだまさきはふくに」とわれるだけあって、ことだまこといっすることがたくさんあります。がいこくにもそういうことがちょっとはあるかもれないですが、ほんほうおおいのです。

 いづれはきゅうおなぞくになるんだったら、ことだけをかいきょうつうにすればいのです。ほんでもそうです、いきいきほうげんがあって、ことちがってもひとつのくにになれば、ひょうじゅんまれきょうつうになっていきます。かいきょうつうとして、ことだまひびきのあることのこせばいのです。そうしたらかいじゅうこころつういます。
 そういうで、ひとつのこととして「ありがとうございます」は、かいきょうつうになるためのさいこうようっています。ことほんぶつするものではありません、どうぞみなさんお使つかくださいと、かいかっこくていきょうすればいのです。みなさんなか使つかいましょうと、ゆうにお使つかくださいとうのがいい。まずほんじんが「ありがとうございます」ととなえてさいこうしあわせをつかめばい、そうしたらがいこくひとも、このこと使つかったらしあわせになるとかったらよろこんで使つかってくださいます、そうしたらみななかくなれます。


    このだいちゅうかみさまのみやです

-ありがとうございます- 
 せんひゃくさんじゅうねんくらいれきじょうへんがあり、じんじゃがそれまでしょてきがありはいされていたのが、けんりょくてきあらそいでじんじゃつくられるようになったということいたのですが。

ありがとうございます:
 もともとじんじゃなんてらないのです。ちょくせつかみさまとこころこうりゅうできていたら、いつもかみさまをかんれていてしあわいっぱいにしてもらえるのです。だから、このぜんだいちゅうがすべてかみさまのからだであり、かみさまそのものなのです。そこにおおきいかみさまがあり、ちいさいかみさまもあり、みんなかみさまのみやなのです、げんもそうなのです。わざわざにんげんじんじゃというけいじんこうてきつくらなくても、もともとじんじゃげんげんいっぱいあるのです。おおきいものもちいさいものも、そういうだったらけいひつようなかったのです。

 でもほんとうかんしゃわすれられていくと、かみさまとこうりゅうするなにけいひつようとしたのです。じんじゃてくると、ここへこころけることによってかみさまとこうりゅうしやすいそうとするのです、それもにんげんがわからとかみさまのがわからとりょうほうてきます。だからかみさまのがわからも、ほんとうちゅうおおがみさまとひととのこころこうりゅうができるように、あいだっていろんなかみがみさま、いわゆるよろずかみはたらきます。かみさまとひととをつなぐやくとして、そのじんじゃかみさまのはたらきがりてくるのです。
 そういうつくられたひとかみさまとのはしになるです。そこにけばかみさまのこころかんやすくなり、こころかよわせやすくなります。ひつようけいといえばけいですが、ひつようになってくるのです。

 でも、ひとうらんでくなって、そのうらみをるためにじんじゃつくっておまつりをするとか、にんげんけんりょくをとって、そこにけんりょくまんぞくさせる、おかねもうけのにしようとおもってにんげんかっつくったじんじゃだったら、ほんとうひとかみむすすくいのかみさまはりてきません。ひとよくおもいがいっぱいまったになってしまい、そこにけばくほどくるしくなってしまい、マイナスをいっぱいってしまいます。ほんとうこころきよめてもらって、かみさまといったいするようなにはならないのです。
 ふたとおりのじんじゃあらわれほうがあります。だいだいで、ひつようだったらいいじんじゃまれるし、だいがおかしくなるとわるじんじゃまれてきます。そういうりょうほうじりあってそんざいしているのです。

-ありがとうございます- 
 それをけるほうほうはありますか。

ありがとうございます:
 ありがとうございますととなえたとき、ちがんでくるようだったら、いいじんじゃです。でも、そこにおまいりしておもたくなるようだったら、ありがとうございますととなえてもマイナスのおもいをきよめのうのです。おまいりして、こころくらおもたくなるようだったらにせものです。

 
    いまふかまりつつあります

-ありがとうございます-
 せんせいをこのみちはいらせたどう、きっかけはありますか。それと、ぞくけんたのしみはぜんぜんきょうありませんか?

ありがとうございます:
 みんなびょうどうなのですけど、に、わたしほうさきぞくけんたのしみをさきにしぎたのです。このではぞくけんもとめるきょうはあまりいのですが、さきにマイナスをいっぱいたいけんしすぎて、もうれんくなった、それでかんしゃかただけをえらべたのだとおもいます。

-ありがとうございます- 
 ありがとうございますととなえ、らしいとおもっていのつづけたきっかけはなにだったのでしょう?

ありがとうございます:
 もうさんさいころからです。

-ありがとうございます-
 さんさいというのはからの? 

ありがとうございます:
 やっぱりあるのです。つながっているのです。
 
-ありがとうございます-
 ありがとうございますって、ちゅうかみつながっているしきらなくても、かんかくかるのですか?

ありがとうございます:
 そうです、プラスこのかたです。でもとなえさせてもらっていたかもれません、れんしゅうを。すますかみさまをかんりやすくしてもらって、まれてきているのでしょう。それでぜんさんさいごろから、ひとわれなくてもかみだなまえすわって、ありがとうございますとおいのりしています。

-ありがとうございます- 
 いまのがわかったのがいつころですか、しきてきに?

ありがとうございます:
 ぎです。そういうわかってきたのは、それですますふかくなっていくのです、いまふかまりつつあります。ありがとうございますととなえると、かみさまのげんげんかがやきがよりつよかんじられてくるのです。


   ぜったいからあらたにまれてくるえいえんかがや姿すがた
              いっしゅんへのかんしゃ
-ありがとうございます- 
 りんかんけつするかいすうとかあるんでしょうか?

ありがとうございます:
 べついのです、チャンネルごといろんなストーリーがあるのです。りんてんしょうがあるばんぐみひくばんぐみです、たかくなればなるほどりんてんしょうではなく、いつもぜったいからあらたにまれてくるじょうたいをとって、えいえんかがや姿すがたをとるのです。ぜったいから、いっしゅんいっしゅんあらたにまれてくるかんじで、かみさまからげんらしいものをけとって、それがそくぶんになるというかんじで、れんぞくするのです。かみさまからいっしゅんいっしゅんどれだけたくさん、らしいものをけとっているかです、たくさんけるほどたかばんぐみにどんどんわっていきます。

 だからぜんぜんつかみません、かさねではないのです。たかばんぐみほどぜったいつかまなくなります。でもりんてんしょうというのはふるとおまでつかみます、それはかなりひくばんぐみになってしまい、つかめばつかむほどひくくなっていきます。いまいっしゅんしぼめばしぼむほど、たかばんぐみになってくのです。

 いちびょうでもいっしゅんです、まんぶんいちびょうでもいっしゅんです、おくぶんいちびょうでもいっしゅんです、それをかぎりおくまんぶんいちまでしぼんでいくのです。だからかんたんしゅくすればするほど、くうかんおおきくひろがっていきます。かんいつてんしぼむのがいのです、いまいっしゅんだけをきると、するとくうかんらしさもどんどんおおきくひろがります、それがいっしゅんへのかんしゃです。

-ありがとうございます-
 ということは、ついきゅうけんきゅうはせずまえまえへといていく、せっきょくてきなものですか? 
 
ありがとうございます:
 ついきゅうけんきゅうをしたいひとはそれもいのですけど、ばんぐみとしていきます。でもばんぐみげたいひとは、いまをしっかりきるのがだいです、それもかみさまをあいに。いまなにけるかと、そういうかただいなのです。


    どんなばんぐみをもえらんでいける
       ことどおりにばんぐみえら<