真祈り文庫
二〇〇一年 八月 二十五日・1
パニック症候群と感謝
幸せへの最短コース
-ありがとうございます-
私は氣功師をしていますが、私の患者の中にパニック症候群、不安症の女性がいて、ふいに恐怖感に駆られ電話が入ってくるのですが、以前からその人にありがとうございますとか、私は大丈夫、私は元気です、私は光です、と日常からプラスにするようにしているのですが、恐怖感が起こればありがとうございますと唱えても恐怖が去らない、改善されないのですが?
ありがとうございます:
ありがとうございますと唱えて、すぐ良い結果が出る人と出ない人があるのですが、みな原因はちゃんとあります。本当の感謝というのは謙虚な感謝のあり方が大事なのです。だから、過去世にマイナスの言葉を一杯使って心に溜め続けてきたとしますと、過去というと無限に永い、何億年以上かもしれません、その間にマイナスの言葉を使い続けていると利息がつくのです。そのマイナスの言葉が心に一杯溜まってしまい、無限に近いものが心に溜まると、本当だったら地獄のドン底の最低の番組に波長を合わせて、無限の苦痛を味わい続けるのが永遠に続くかも知れません。
本当の感謝というのは、そうした無限の苦しみをいつもいつも免除し続けて下さっているという、軽く済まして下さっているという感謝と、また無限にプラスのものを一杯与え続けて下さっているというプラスへの感謝と、両方が大事なのです。その上に感謝させて頂けるという、本当は感謝など絶対にできない自分なのに、一回でも感謝の心を起こさせてもらっているということへの感謝です。
だから三つの感謝、
マイナスを軽くしてもらったという事への感謝と、
無限のプラスを大きく貰った感謝と、
また、感謝の心を起こさせてもらっているという事への感謝と、徹底して起こさないと効果は少ないのです。
だから、普通は求める心でありがとうございますと唱えると、求める心はマイナスの心なので、番組をどんどん下げていく事になるのです。病気ひとつでも、治したい、治したいと言うとマイナスの心なのです。病気なんだ、病気なんだとしっかり主張しているのです。そのマイナスの言葉を一杯使い続けていることになるのです。その合間にありがとうございますと唱えると、ちょっとは軽くなるのですけれど、まずマイナスを握り締めていることになるのです。
それよりも、万病を抱えて苦しまなければならないところを軽くしてもらえたとか、又、過去世に積んだマイナスの言葉が心の奥底に一杯たまっているのを消すために浮かび上がらせてもらったとか、そういうふうに正しくプラスに見なければいけない。神さまはありがとうございますと唱えたときは必ず救いに入っています。その救い方が神さまと人の考えとはちょっと違うのです。
神さまは必要なことを的確にしてくださいます、心に溜まったものを消そうとすると、浮かび上がらせてくるのです。いくらありがとうございますと唱えても、心に溜まったものをどんどん浮かび上がらせて消そうとするのです。浮かび上がったときに色んなマイナスの姿をとるときがあります。体だけではなく心の状態も、それをも神さまが浮かび上がらせて消してくださっているという。それも万分の一以下の軽さに減らして消してくださっていると、いうふうに喜んで感謝をしているともうひとつ効果が出ます。
ありがとうございますと唱えているのに結果が出ない、ますます悪くなったというのは、見方が部分に囚われたり中途半端なのです。もう感謝というのは徹底してプラスにプラスにみて、神さまの愛を受け入れることなのです。感謝が無限に深まるという意味では低い番組から順番に歩むのもあるので、それも感謝の勉強です。でも絶対に悪くはならないのです。表面が良くなっても奥が良くなっていないというより、奥から良くなって表面は雨が降ったり嵐が吹いたりしても構いません、まず、奥からの方が良くなるという意味で、喜んでいく方が良いのです。そうしたら必ずいい結果が早く出てきます、でもそれは悪くはなっていないのです。
-ありがとうございます-
不安感もいつも持っているのではなく、突然浮かんでくるのですが、その時ありがとうございますというのは感謝の心で言えばいいのは分かるのですが、恐怖の心が出たときはそれに囚われてしまうので、それを指導できればさせて頂きたいと思うのですが。
ありがとうございます:
心の状態が、青空に太陽が輝くように感謝が湧き上がるのが一番幸せな状態です。でもマイナスを一杯取り込んだら思いの黒雲は一杯あるのです。本当だったら台風のような土砂降りが降って当たり前なのです、でも、そういう状態ではない、軽い軽い状態です、ちょっと霧雨が降ったくらいです。本当だったら地獄のどん底の苦しみを、心の状態として味あわなければいけないのです、それで、七難八苦の状態で一杯になってしまいます。それをちょっとマイナスの恐怖心が起こってくる程度にしてもらっています。
だから恐怖心でもピンからキリまであります。マイナスの言葉を一杯溜め続けたら、恐怖心は底知れないものが出てきます。天が降ってくるとか、周りの人はみんな鬼のように自分を殺しに来るとか、どんな食べ物を前にしても毒が入っているのではないかと、みんなマイナスで心は目茶苦茶になるくらいに圧迫されるのです。だからそういう状態ではない、物凄い状態ではない、物凄く軽い状態です。
ちょっと恐怖心が出るくらいだったら、そういう恐怖心は過去に溜めた無限の恐怖心のほんの一部です。万分の一部が出て消されている状態ですから、それを本当は喜んだほうが良いのです、軽く済ましてもらって、消してもらっている状態です。本当は喜んだほうが良いのです、軽く済ましてもらって、消してもらってありがとうございますと、そうすると感謝が深くなります。
その現実の表面の形が良くなるのを喜ぶのは、まだまだ浅い感謝です。大難を小難無難に済ましてもらっているのを、気づいて感謝できるのがもっと幸せなのです。だから目に見えないところへの感謝が出来るように、表面にちょっとそういう姿を出して消してくださっていると思えば、それがあったほうが良いのです。やっぱりその人は幸せへの最短距離を歩んでいるのです。
大きく見るとマイナスではなくプラスなのです
マイナスではなく番組を変えよう
-ありがとうございます-
痴呆の方が亡くなる時は、やさしく逝けるとか言いますが、痴呆になるのは今までの形の結果がそういうようになっていると思うのですが、それを気づかせる事は出来るのでしょうか?
ありがとうございます:
自分のほかに、周りの人が別個に存在しているという見方は、囚われた小さい見方です。本当の見方は自分の見ている世界全部が自分の心を映し出す鏡なんだという位に見るといいのです。
本当は神さまから与えてもらった無限の無限のチャンネルの中から、最高番組を選んで見ている人だったらマイナスは一切無いのです、みんな無限の無限のプラスばかりの、素晴らしい悟った人ばかり見えてきます。ところが無限の無限のチャンネルの中から、一人一人がどれかを選ぶのです、その選んだチャンネルにマイナスやプラスがあるとしたら、まだマイナスやプラスのある番組を自分が選んだことになるのです。
その原因は自分が過去にマイナスの言葉を使っているはずなのです、言葉で波長合わせをして番組を選んでいます。マイナスの番組の中でプラスやマイナスがあって、そのマイナスを変えようとするよりは、全体を番組を変えようとするほうが良いのです。だからマイナスの姿を掴んで、変えようというより、プラスの言葉だけを使って違う番組に自分の自分の心を向けたほうが良いのです。番組さえ変わったらプラスの人に必ず見えてきます。
普通は番組にはまり込むと、番組を変えるということよりも、番組の中を変えようとします、するとなかなか変わりにくいのです。チャンネルを変えず同じ番組の中で、番組を変えようとしてもストーリーは決まっているので、なかなか変わりにくいのです。又、相手が自由意志を持って生きているとしたら、相手の自由意志は縛れません、必ず自分のしたいようにするはずです。お節介でいくら相手が幸せになるように助けて上げようと思っても、相手の自由は縛れません。相手の変わるのを待つとしたら永遠に変わらないかもしれません。
それだったら、いつまでも自分がマイナスを見ていなければいけないことになるので、自分の責任で全部変えていける方が良い、自分が番組を変えていけば良い、自分が見る番組を高い番組と置き換えていけば良いのです。それはプラスをプラスをと、プラスの言葉を使いプラスの方に心を向けてプラスだけをしっかり心に取り入れたら良いのです、すると必ずプラスに置き換わってくる、そうしたらマイナスを見ずにプラスの姿を見れるようになります。そういう生き方の方が自分の努力が実を結びます。
-ありがとうございます-
そういう事は、身内などを介護する時、そういうふうに捉え方を変えて見てあげた方が良いのですか?
ありがとうございます:
そうです、今見ている番組を、余り掴み過ぎない方が良いのです。そのひとつの番組の中で色んな幸せも掴めるし、勉強もできるのです。
-ありがとうございます-
という事は、父や母を介護している者を見て、兄弟がとやかく言う事は駄目ですよね。
ありがとうございます:
マイナスとして掴んで責めるような生き方では損です。例えば、仮に親が痴呆症で寝てマイナスの姿を見せてくれるという時でも、自分のために色んな勉強をさせる意味で演技をして下さっているという見方が良いのです。痴呆症の病気の姿をとって、自分を幸せに導いて下さっている、それによって自分が愛する努力を積み重ねます、愛の心が引き出されてきます。又、優しく看病する事によって、思いやりの心がどんどん大きく深くなってきます。
又、自分が病気の時でも、いろいろ助けてもらったという過去への感謝が湧き上がります。マイナスの姿と見えるものから、色んな勉強をさせてもらい、又、色んな幸せを味わわせてもらうんだったら、本当は大きく見るとマイナスではなくプラスなのです。そういう見方だったら、べつにマイナスを消さなければいけないという事ではない、そのまま感謝して受けて喜べば良いのです。そういう生き方をとっていれば、自然に必要が無くなったら、マイナスの姿がプラスに置き換わってきます。それも自然に変わるのを待った方が良いのです。
神さまを呼ぶ事です
-ありがとうございます-
感謝する事は言葉に出すほうが良いですか?
ありがとうございます:
言葉は心の中心核になるので、言葉を心で使う事も必要ですし、心で感じる事も感謝です。例えば太陽を眺めてありがたいなーという感じがあればこれも感謝です。別にありがとうございますと言葉で唱えなくても、湧き上がるありがたいという心があればそれは感謝です。又、美しいものを見て、美しいと感じるのも感謝です。感謝は本当は直感で感じる事なのです、その直感力を引張り出すのにありがとうございますという言葉の力が必要なのです。心に唱えるのが良いのです、必要だったら口に出しても良いです。
-ありがとうございます-
今思うと子供の頃、楽しかったなあーと思うのですが、それは特に感謝の心とか無かったように思います。大人になると感謝の心を起こさなければいけないと思っちゃうのですけど、それは自然に湧き上がってくるものなのでしょうか?
ありがとうございます:
心にマイナスの言葉とか溜まっていなかったら、「本当に嬉しいな、楽しいな、ありがたいな」と自然に湧き上がってくるのです。特に小さい時は、この世で色んな勉強をして、マイナスの体験などをして心を曇らせる事が少ないのです。子供の時の方が自然なのです、過去世のものは持っているのですけど。でも、この世のマイナスを心にため込んでいないと言う意味では、大人より心は晴れています。だから嬉しい、楽しい、ありがたいという気持ちが自然に湧き上がるのです。でも、大人になると色んな体験を通じて心にマイナスを溜め込みすぎる時があり、心は曇ってきます。その心を晴らす意味でありがとうございますと唱えて、神さまの助けを受け入れる事が大事なのです。
ありがとうございますというのは神さまを呼ぶ事です、神さまの助けを受け入れますという意思表明なのです。すると神さまが助けに入って心の曇りをとって下さる、消して下さいます、そうすると、又、自然にありがたいなあーという気持ちが湧き上がってくるのです。何しても楽しいなあーという具合に、自然に変化していきます。そう意味だったらありがとうございますと心で唱える行も大事です。
ありがとうございますの意味
-ありがとうございます-
ありがとうございますの言葉の意味は?
ありがとうございます:
神さまの働きのすべてを表わす言葉であり、究極の神さまの名前です。一字一字簡単に説明すると、先ず、
「あ」は絶対、命の本源とか光の源とか、光です。
「り」は、ら行音で、宇宙の創造はすべての要素が螺旋状に放射されて組み合わさるのです、直線の交わりは一点ですが螺旋状の交わりは無限の交わりができて、すべてが相似形の形をとって、入れ子構造の姿をとるのです、宇宙の構造はそういう入れ子構造の仕組みなのです。だから大宇宙があったら地球は縮図的な小宇宙であり、人体もまた地球の小さい縮図をとり、原子もまた同じ構造をとっている。みな相似形の姿で、小さいものから大きいものまで無限に広がります。それを、ら行音の「り」を使って宇宙創造の姿を表わします。
「が」は「か」をダブらせて輝きに輝くという。だから神さまの創造された全大宇宙、すべての宇宙は無限に無限に輝いているという、神さまの働き、徳性のすべてが無限に輝いている姿をとっているのだというのが、この「が」なのです。
「とう」というのは数字の十。又、「ありがたし」というと、た行とさ行に分かれると、た行音が縦の線で、さ行音が横の線で、相対に分かれるすべての要素を縦横に十字に組み合わせて大調和しているという意味です。だからありがとうございますというと、絶対から創造されて、無限に無限に輝いていた神さまの最高表現の宇宙が、大調和の姿をとってそこに存在しているという意味です。だから最高表現を指すのです。
「ご」は、「こ」をダブらせて凝り固まって凝り固まって、物質化して物質化して、又、高い次元を順番に順番に低く下げてという意味です。最高表現の宇宙が無限の無限の次元に無限の無限の番組に現われるというのがこの「ご」の働きです。
「ざ」というのは、「さ」をダブらせてさらさら流れるという意味です。宇宙のすべてが移り変わる、変化するという意味。素晴らしいものが、美しいものが、輝いて躍動してさらさら流れるという、何でも止まると、静止すると死んでいるのです。変化が早くなるほど命が輝きます。「さ」というのは無限に無限に変化しているという意味があるのです。
「い」というのは命のいで、石ころ一個、原子一個が本当に生きているという、神さまの命を生きて無限に輝いているという意味です。物質と言うと何か死んでいるように思うのですけど、全部命を生きているんだ、輝かしているんだ、跳躍しているんだという意味です。
「ま」は完たき、完璧な、完全なという意味で、神さまの最高表現の頂点の無限の無限のチャンネルの番組が生み出されて、全体像が完璧極まりない、そういう姿が「ま」というのです。
「す」は絶対という、一番元の奥のという意味です。今、現れたものが絶対に戻り、また絶対から新たに生まれてくる、その循環を表すのです。「ます」は弥増しに増すという意味で、今現れたものは次に現れるとき、より素晴らしくより増えてという意味で「ます」という言葉なのです。ありがとうございますというのは、本当の神さまの働きのすべてを言霊的に表した言葉です。
ありがとうございますは神さまの全体像を指し示しています。ありがとうございますと唱えることによって、神さまの全体像を感じ取れるようにしてもらえるのです。だから今、自分がどのチャンネルの番組を見ていても、ありがとうございますと唱えたら、必ず神さまの助けがどこへでも行くのです。オールマイテーです、すべてに力が及びます。
神さまはこの世にも居るしあの世にも居ます、すべてに居ます。だから、ありがとうございますと唱えることによって、神さまを感じ取ることが出来るのです。太陽さんありがとうございますと唱えたら、太陽に神さまを感じ取ることが出来て、神さまの愛を大きく感じられるのです。石ころ一個に対しても同じです、石ころさんありがとうございますといえば、石ころさんが神さまの愛を最高に表した姿で感じられます。本当はそうなのです、石ころさまも本当は宇宙を自由に飛び回りたい、ところが自分の自由を限定して、皆のために石ころになってじっと静止しているのです。頭を踏まれても痛いと言わず、ありがとうございますと言ってくれています。
この世の物質と見えるものは、全部神さまの愛が形に表れたもので、物凄い愛の結晶と見たほうがいいのです。だからこの世にもありがとうございますと唱えれば神さまの愛をしっかり感じと取れるのです。あの世の姿も同じです、ご先祖さまありがとうございますと言えば、ご先祖さまがいるとして、あの世から色んなご先祖さまの愛を感じ取れるのです。だから遠い星からも、神さまの愛の光が届いています、全大宇宙のすべてのすべてから、神さまの愛を感じさせてもらうのです。
ありがとうございますは本当にオールマイテーな働きなのです。不思議な力があるのです。特定の神さまから助けを受けるには、名前を呼ばなければいけない、「何々の神さま」と、無限の神さまがいれば、無限の神さまは呼びきれません。十体や二十体の神さまを呼んだところで小さい。ほかの神さまは私を無視したと思って、守ってくれなかったら困ります。でもありがとうございますはすべてに通用するのです、必要だったらすべてから光、助けが来ます。そういう意味だったら、ありがとうございますが、一番不思議な力のある言葉になるのです。
-ありがとうございます-
ありがとうございますに「難が無くてもありがとう」「難が有ってもありがとう」と付け加えていたのですが、付け加えないほうがいいですか?
ありがとうございます:
別にいいです。その時その時で必要な言葉が、又、変化する事がいろいろ出てくると思うのです。どういう状態でどういうふうに唱えても、ありがとうございますが加われば、その場を全部生かしてくださるのです。「難が無くてもありがとう」「難が有ってもありがとう」と言ってもいいのです。
-ありがとうございます-
有り難うございますって、難が有ると書くので、難がある時ほどありがとうって具合にみんなに広めていたのですが、そうしてやっぱり難が出るのですか?
ありがとうございます:
出てきます、その言葉によって、やっぱり難がある番組に波長が合うのです。でもその番組の中でありがとうございますと唱える事によって、その番組の中で、神さまの愛を感じ取れるのです。難があっても本当に神さまの愛を感じ取れたら、それも大きい意味の幸せなのです。ただ、形の上で難が出てきます。
-ありがとうございます-
ありがとうございますを会社とか人の名前に使いたいのですが、良いでしょうか。
ありがとうございます:
いいでしょう。これは専売特許の言葉ではないので、誰が使ってもいいのです。そこに神さまを呼び出す働きです、みんな名前がありがとうございますになればいいのです。
-ありがとうございます-
ありがとうございますは誰が作ったのですか?
ありがとうございます:
これは誰が作ったか判らない、いつ出来て来たかも判らない、これは元から神さまが用意して下さっている言葉です。天から自然発生的に現われている、もうすべての次元、すべての番組に適用できる、こんな素晴らしい言葉なのです。誰が言い出したかも無い、又、誰が作ったのでも無いし、最初から用意されていて、最後まで力を発揮する言葉として、神さまが与えて下さっているのです。
普通、色んな唱えごとでも誰かが発明して、発見して唱え始める事が多いのですけど、それは小さいのです。すべての人には通用しないかもしれません、本当の、最高のすべての力を発揮できるかは疑問です。誰が作ったか判らない言葉がいいのです。特許権を侵害しても、お金を取りに来ませんから。
世界中、心が通じます
-ありがとうございます-
ありがとうございますは日本の言葉ですが、他の国ではそれぞれに感謝の言葉があります。外国の人は、それぞれの国の言葉で感謝したらいいのでしょうか?
ありがとうございます:
神さまの創造の働きは言霊の方です、人の使うのは言葉、枝葉です。人の使う言葉は、神さまの言霊の働きに波長を合わす意味で言葉があるのです。大事なのは言霊の方です、神さまの働き、言霊の方が大事なのです。英語のサンキュウサンキュウでは神さまの働きのすべてを現す言霊の響きがありません、だから人への感謝ぐらいで終わってしまいます、小さい感謝なのです。
でも、ありがとうございますは、神さま全体への無限の無限の深い感謝です。そうすると沢山の助けを受けられ、本当の意味で神さまと一体化できます。サンキュウと唱えても神さまと一体化できません。そういう意味では、日本は「言霊の幸はふ国」と言われるだけあって、言霊と言葉が一致する言葉がたくさんあります。外国にもそういう言葉がちょっとはあるかも知れないですが、日本の方が多いのです。
いづれは地球が同じ家族になるんだったら、良い言葉だけを世界共通語にすれば良いのです。日本でもそうです、地域地域に方言があって、言葉が違ってもひとつの国になれば、標準語が生まれ共通語になっていきます。世界の共通語として、言霊の良い響きのある言葉を残せば良いのです。そうしたら世界中、心が通じ合います。
そういう意味で、ひとつの言葉として「ありがとうございます」は、世界共通語になるための最高の要素を持っています。良い言葉を日本が私物化するものではありません、どうぞ皆さんお使い下さいと、世界各国に提供すれば良いのです。皆さん仲良く使いましょうと、自由にお使い下さいと言うのがいい。まず日本人が「ありがとうございます」と唱えて最高の幸せを掴めば良い、そうしたら外国の人も、この言葉を使ったら幸せになると分かったら喜んで使って下さいます、そうしたら皆仲良くなれます。
この大宇宙が神さまの宮です
-ありがとうございます-
千百三十五年位に歴史上に変化があり、神社がそれまで場所的に意味があり配置されていたのが、権力的な争いで神社が作られるようになったという事を聞いたのですが。
ありがとうございます:
元々は神社なんて要らないのです。直接神さまと心が交流できていたら、いつも神さまを感じ取れていて幸せ一杯にしてもらえるのです。だから、この全大宇宙がすべて神さまの体であり、神さまそのものなのです。そこに大きい神さまがあり、小さい神さまもあり、みんな神さまの宮なのです、原子一個もそうなのです。わざわざ人間が神社という模型を人工的に作らなくても、元々、神社が無限に無限に一杯あるのです。大きいものも小さいものも、そういう意味だったら模型は必要なかったのです。
でも本当の感謝が忘れられていくと、神さまと交流する意味で何か模型を必要としたのです。神社が出来てくると、ここへ心を向ける事によって神さまと交流しやすい場を生み出そうとするのです、それも人間の側からと神さまの側からと両方出てきます。だから神さまの側からも、本当の宇宙の大神さまと人との心の交流ができるように、間に立って色んな神神さま、いわゆる八百万の神が働きます。神さまと人とをつなぐ役として、その神社に神さまの働きが降りてくるのです。
そういう意味で作られた人と神さまとの懸け橋になる場です。そこに行けば神さまの心が感じ取り易くなり、心を通わせ易くなります。必要な場、模型といえば模型ですが、必要になってくるのです。
でも、人が恨んで亡くなって、その恨みを取るために神社を作ってお祭りをするとか、人間が権力をとって、そこに権力を満足させる場、お金もうけの場にしようと思って人間が勝手に作った神社だったら、本当の意味で人と神を結ぶ救いの神さまは降りてきません。人の欲の思いが一杯溜まった場になってしまい、そこに行けば行くほど苦しくなってしまい、マイナスを一杯背負ってしまいます。本当の意味で心を清めてもらって、神さまと一体化するような場にはならないのです。
二通りの意味の神社の現れ方があります。時代時代で、必要だったらいい意味の神社が生まれるし、時代がおかしくなると悪い神社が生まれてきます。そういう意味で両方が混じりあって存在しているのです。
-ありがとうございます-
それを見分ける方法はありますか。
ありがとうございます:
ありがとうございますと唱えたとき、気持ちが澄んでくるようだったら、いい神社です。でも、そこにお参りして重たくなるようだったら、ありがとうございますと唱えてもマイナスの思いを清めの意味で背負うのです。お参りして、心が暗く重たくなるようだったら偽物です。
今も深まりつつあります
-ありがとうございます-
先生をこの道に入らせた動機、きっかけはありますか。それと、俗世間の楽しみは全然興味ありませんか?
ありがとうございます:
みんな平等なのですけど、過去世に、私の方が先に俗世間の楽しみを先にし過ぎたのです。この世では俗世間に求める興味はあまり無いのですが、先にマイナスを一杯体験しすぎて、もう未練が無くなった、それで感謝の生き方だけを選べたのだと思います。
-ありがとうございます-
ありがとうございますと唱え、素晴らしいと思って祈り続けたきっかけは何だったのでしょう?
ありがとうございます:
もう三歳ころからです。
-ありがとうございます-
三歳というのは過去世からの?
ありがとうございます:
やっぱりあるのです。繋がっているのです。
-ありがとうございます-
ありがとうございますって、宇宙の神と繋がっている意味が知識で知らなくても、感覚で分かるのですか?
ありがとうございます:
そうです、過去世プラスこの世の生き方です。過去世でも唱えさせてもらっていたかも知れません、練習を。増すます神さまを感じ取りやすくしてもらって、生まれてきているのでしょう。それで自然に三歳頃から、人に言われなくても神棚の前に座って、ありがとうございますとお祈りしています。
-ありがとうございます-
今のが判ったのがいつ頃ですか、知識的に?
ありがとうございます:
二十歳過ぎです。そういう意味で判ってきたのは、それで増すます深くなっていくのです、今も深まりつつあります。ありがとうございますと唱えると、神さまの無限の無限の輝きがより強く感じられてくるのです。
絶対から新たに生まれてくる永遠に輝く姿
一瞬への感謝
-ありがとうございます-
輪廻の完結する回数とかあるんでしょうか?
ありがとうございます:
別に無いのです、チャンネル毎に色んなストーリーがあるのです。輪廻転生がある番組は低い番組です、高くなればなるほど輪廻転生ではなく、いつも絶対から新たに生まれてくる状態をとって、永遠に輝く姿をとるのです。絶対から、一瞬一瞬新たに生まれてくる感じで、神さまから無限に素晴らしいものを受けとって、それが即自分になるという感じで、連続するのです。神さまから一瞬一瞬どれだけたくさん、素晴らしいものを受けとっているかです、たくさん受ける程、高い番組にどんどん変わっていきます。
だから過去を全然掴みません、過去の積み重ねではないのです。高い番組ほど過去を絶対掴なくなります。でも輪廻転生というのは古い遠い過去まで掴みます、それはかなり低い番組になってしまい、過去を掴めば掴むほど低くなっていきます。今の一瞬を絞り込めば絞り込むほど、高い番組になって行くのです。
一秒でも一瞬です、万分の一秒でも一瞬です、億分の一秒でも一瞬です、それを無限億万分の一まで絞り込んでいくのです。だから時間を短縮すればするほど、空間が大きく広がっていきます。時間を一点に絞り込むのが良いのです、今の一瞬だけを生きると、すると空間も素晴らしさもどんどん大きく広がります、それが一瞬への感謝です。
-ありがとうございます-
という事は、過去の追求、研究はせず前へ前へと向いていく、積極的なものですか?
ありがとうございます:
過去の追求、研究をしたい人はそれも良いのですけど、番組を落としていきます。でも番組を上げたい人は、今をしっかり生きるのが大事です、それも神さまを相手に。今何を受けるかと、そういう生き方が大事なのです。
どんな番組をも選んでいける
言葉通りに番組が選<