真祈り文庫
2001年8月19日
No.1
神さまと一体化
-ありがとうございます-
私は一時期、「自我を無くして神さまと一体化」を味わってみたいなと思った時期があったのですけども、ある宗教団体に入りましてやったのですけども、自分の中で感じたことと、先生が感じることを教えていただきたい、それぞれ違うものなのでしょうか。自分で思っているだけなので、それで、本当のものかわからないのです。どういう感じなのかをお話いただきたい。
ありがとうございます:
はい。「神さま」というのは、先ず、どういうものかというのは、みんな一人一人とらえ方が違うかも知れない。だから、神さまと一体化するといっても、一体化の仕方もいろいろなのです。自分の中へ神さまを入れるのか、神さまの中へ自分を投げ入れるのか、それでも大きく違うのです。
私の場合は、もう自分の命を全部神さまに捧げ尽くしてお返ししてしまって、それで、後「感謝行」になったのです。だから、自分がもう全部無いのです、空っぽになってしまってというより、自分をもう粉砕してしまって神さまの中へ預けきったので、後はもう「神さまの御心のままに」と、感謝で受け直してるだけなのです。
でも、小さい時はまだちょっと、自我があります。いろいろ勉強して立派になって世の中を良くしたい、人を救いたいという、やっぱり自我があったのですけど、でもやっぱり、自分の力の限界がわかります。大きい問題を前にすればするほど、この肉体人間の非力さというのですか、どんな問題も解決できない無力さというのがよくわかります。もし、地獄へ落ちた人を一人救うのでも、もの凄い力が要ります、大変なのです。だから、先ず自分を無くした方がいいのです。
本当の神さまの力をいただきたかったら、神さまのご用に使ってもらいたかったら、自分を神さまに預け切るしかないのです、「ちょっとでも神さまのご用にお役立て下さい」という形で。それが私が二十歳の時だったのですが、もう全部神さまにお返しして、「どうぞ御心のままに、お役に立ててください」とお返ししたのです。その後は、もう神さま次第です、私はもう、自分を神さまの中へ投げ入れて一体化して行くのです、それで「ありがとうございます」の本当の意味を教えてもらうようになったのです。無限に無限に輝いた神さまの最高表現の中へ、自分を溶け入らせてもらって、それを感じさせてもらえるようになったのです。
だから、いろんな感じ方があるのです、神さまについてもです。ただ、神さまの全体像をとらえる、というのが一番大きい難しい問題です。
-ありがとうございます-
今、「宇宙創造神」というような言い方をされてますね。宇宙全体の名前、それは一般に私なんかそういうようにとらえてるのですが。もうひとつ勉強してるところでは、人間の意識次元という問題について、我々エゴ丸出しの場合、三次元の意識でそういうものが。それで宇宙創造神の意識次元は、一応二十次元というような表現をしてるのですけど、それについてはどういうふうに。
ありがとうございます:
神さまは、もう、人間の使う言葉通りの番組のすべてを用意して与えてきているのです。それが神さまの方から見ると、「無限の無限のチャンネルの番組」というのです。その中には人間の使うありとあらゆる番組を全部取り揃えてあるのです。ただ、人間の方はもう、どんな言葉を使っても無限の中のひとつです、ちょっと使う程度なのです。だから、いろんな人の考え方があってもいいと思うのです、また、生き方もいいんだと思うのですけど。でも、神さまから見ると、無限の中のひとつぐらいのちっぽけなもんなのです。その神さまについても、そうです。「人は神さまについてどう考えて言葉に現してそれを受けようとしているか」というのは一人一人全部違うのです、それはそれなりにいいのですが。
ただ、神さまの方から見ると、もっともっと無限の無限のプラス一杯の神さまの姿をとらえて欲しいといいます。
だから「神さまの全体像を、全体をとらえる」という方が、一番難しいかも知れないですが、やっぱり神さまはそれを願っているんだと思うのです。「神さまの全体像を正しくとらえて欲しい」と。先ず、神さまが幸せの本源・本体です、神さまをどれだけ感じ取るか、しっかり捕まえるかで、幸せの程度が変わってくるかも知れないのです。
-ありがとうございます-
その人の感じ方次第?その人の思いの結果がすべてだと。
ありがとうございます:
極端にいうと、その人の使う言葉通りの運命・番組を味わっていると言えます。
その宗教の教えにしても、教えも言葉で現されて、言葉通りの教えの中に自分を置いています。その教えも無限にあっていいと思うのです。ただ、それが最高かどうかという、無限に無限に素晴らしい言葉をずうっと使い続ければ、最高表現の番組に近いかも知れない、それでも到達できないかも知れないのです。
-ありがとうございます-
その言葉を打ち破って行かなきゃいかん。
ありがとうございます:
低いマイナスの言葉なんていうのはどんどん否定して、プラスのいい言葉をどんどん大きく高めたものに変えて行くのがいいのです。そうすると、神さまの全体像を早く感じ取りやすくしてもらえます。ただ、この「ありがとうございます」だけが、特別の言葉なのです、全体にすべてに通用するのです、『低ければ低いなりに、高ければ高いなりに、すべてに必要な的確な助けを与え続けてくれる言葉』なのです。
-ありがとうございます-
ある意味じゃあ、同じ「ありがとうございます」と言っても、その人の意識次元によって中味はぜんぜん違うというのもありますよね。
ありがとうございます:
「本当の神さまの究極の神名」と言うだけあって、本当の神さまの助けが的確に、低いなりに入って行くし、高いなりに入って行きます。必ず最短コースで、最高の悟りまで近づけてもらえます。
「ありがとうございます」の唱え方
-ありがとうございます-
言う時は、大きい声とか、関係ないんでしょうか。「ありがとうございます」を、低い声とか。
ありがとうございます:
それは、もう口に出す言葉でなくてもいいのです。心で唱えるだけでいいのですし。
-ありがとうございます-
他の先生は、口に出して言わないと神さまに通じないというのですが?
ありがとうございます:
いや、いや、神さまの方は、心で唱える、口に出す前に、その心の動きを先に察して、感謝で受ける心になった時に、先に助けに入っているのです。それで助けてもらったら「ありがとうございます」が心に出てくるのです、そして口にも言葉になって出てくるのです。
お祈りの中に神さまを感じ取る
-ありがとうございます-
先生が、いいお顔していらっしゃるのでね、私らには悩みとか、しんどいとか、痛いとか、そういうような、会社での人間関係のトラブルとか、やっぱり暗い顔にもなりますし。いつもこうニコニコされている、笑顔が。そういう苦しみとか先生にはなかったのですか?
ありがとうございます:
いやいや、そんなことはない。みなさんよりもっと大きい苦しみをいつも味わっているのです、地獄の苦痛でも受けているのですが、それでも、無限の無限の幸せで一杯という感じなのです。だから、どんな状態に置かれてもこの幸せが崩れません、「ありがとうございます」と受ける無限の無限の幸せ、というのが。だから、地獄のどん底の痛みを受けても大丈夫なのです、そんなのはなんでもないのです。「ありがとうございます」で、すべて無限の無限の幸せ一杯になってしまうのです。
-ありがとうございます-
そうしたら、病気などはされたことはないのですか?
ありがとうございます:
あるのです、はははは。何回も死んでいるのです。(へえ〜)死んでも直ぐに蘇るのですよ、はははは。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます、ありがとうございます」ですべてが解決しているのですか?(そうです)凄いことですね、「ありがとうございます」という言葉は。
ありがとうございます:
病気をしようが何をしようが関係ないのです、全部瞬間に消してもらうのです。
-ありがとうございます-
でも、どこか痛いでしょう、いろんな事故とか遭ったら。
ありがとうございます:
何が起こっても大丈夫、全部良くなるだけです。幸せは、条件付きの幸せは、それは小さい幸せです。「こうだったら幸せ」というのは、それがなくなったら幸せでなくなります、でも、本当の幸せは、何があっても幸せなのです。その神さまと一体化する、神さまをいつも感じ取れる自分は、幸せの本源をしっかりとらえます。だから、「無限の無限の幸せ」というそれがぜんぜん崩れないのです。
極端に言うと、この肉体が消えても、地球が滅んでも別に関係ないのです。心の奥でお祈りの中でとらえた神さまの本当の実態を感じ取れる限りは、永遠にその幸せは崩れないのです。それが「ありがとうございます」の中に神さまを感じ取る生き方なのです。
-ありがとうございます-
やっぱり先生、「ありがとうございます」の方がよろしいのですか。「ありがとう、ありがとう」じゃあ、「ございます」までの方がいいのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」が、神さまの名前です。(は〜あ、そうか) 神さまの働きのすべてを現す言霊の裏付けのある言葉なのです。
-ありがとうございます-
中途半端に終わったらいかん、言うことやね、ねえ「ありがとう」はね。
ありがとうございます:
「ありがとう」は「ありがとう」なりの言葉の意味があるのですけど、「ありがとうございます」はそれよりもっと大きい本物の神さまの全体像を、全体の働きを指し示す、神さまの本当の究極の名前なのです。だから、本当の助けが早く入るのです。
-ありがとうございます-
じゃあ、私「ありがとう」だけでいいって、あかんのかも知れませんね?
ありがとうございます:
いやあ、それでも悪いのではありません、悪いんじゃないのですけど、やっぱり本当の神さまを感じ出したら、「ありがとう」ではあまりにも失礼に見えてくる。呼び捨てのような感じになります。
最初はいいのです、神さまにとったらみんな可愛い愛し子なので、「ああ、名前呼んでくれるだけで、嬉しいな」という感じですけど、それでいいのですけど。ただ、大きく神さまの助けを受けるような自分になってくるにつれて、やっぱり謙虚な謙虚な心で受け直さないといけない。そういう意味で「ありがとうございます」と自然にそういう唱え方に変わると思うのです。
-ありがとうございます-
その言霊は日本語だ、ということになんか意味がありますか?
ありがとうございます:
日本と世界と、やっぱり親子の関係かも知れない。親子といっても、どっちが親か子かわからないけど、「ニワトリが先か卵が先か」です。日本の国が先に生まれたんだったら、世界が後から広がって行くのです。また逆に言うと、世界が親で日本が子供であるかも知れない。
日本列島の地図の姿が、世界の大陸の姿と相似形というのも、なにかそういう意味合いを持っていると思うのです。それを、日本と世界とを分けてしまうと、また、これもちょっとおかしい。神さまの働きとして見る時は、既に一体化した姿でひとつのものとして見ていかないといけない。部分的にバラバラに分けてしまうと優劣が出てきます。
この人間の指でも、親指、人差し指と、個性があってここについているのは、全体とつながってひとつの個性があるのです。これを切り離してバラバラにした時に、お互いにそれを、自分が親指だった、人差し指だと、自慢し合っても意味がないのです。全体とひとつにつながっている時は、親指は自慢しないのです、「神さまのご用に使っていただいてありがとうございます」だけなのです、「全体のお役に立てさせていただいて、ありがとうございます」なのです。バラバラになった時に初めて、「自分が偉いんだ」と言い出します。だから、常に、すべてと一体化してひとつに見ていく時は、愛の心だけなのです、「みんなのお蔭で自分は生かさせてもらって、幸せにしてもらっている」と、感謝だけがあるのです。それが一番いいのです、あははは。
寿命
-ありがとうございます-
何度か死ぬような目に遭われたそうですが、「ありがとうございます」で生き返ってこられたのか、それとも寿命があったから、死ななかったのですか、どっちなんでしょうか?
ありがとうございます:
寿命は、決まっているようで決まっていないのです。その無限の無限のチャンネルの中で、どの番組を選ぶかによって、そのチャンネル毎に寿命が違うのです。低い番組を選んでいたら低い、例えば、寿命の短い番組かも知れない。そこで自分の心境が変わって、高い番組に変わったら、寿命の長い番組の中に自分を置いたら、寿命は延びたように見えます。
-ありがとうございます-
番組を変えるのは自由自在だけど、番組を変える努力って要るのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を唱えているとどんどん高まるのです、自然に。
(チャンネルがどんどん上がって行く)そうね、だから、いい運命の番組へ自分を置いて行くと、不思議に寿命が延びたように見えたり、また、蘇って生き返ったように見えるんでしょう。
-ありがとうございます-
そうすると、長生きをすることは、いいことですか?
ありがとうございます:
それも別に、自由自在なのです。この世においてもらっている間に、いろいろな勉強をさせてもらうのですけど、特にこの世があの世の全体の縮図みたいなものです。あの世に無限のチャンネルがあったら、この世がひとつのチャンネルなのです、無限の中のひとつのチャンネルです。それを全体を集約したような縮小して縮図にした形の世界がこの世です。あの世の縮図として、この世が無限のチャンネルに分かれるのです。だから、この世でチャンネル選びの勉強をするのです、期間を定めて、お祈りの練習を一所懸命して、一番高い番組に波長の合う心になれば、あの世へ戻ったら、あの世の一番高いところへ波長が合わせられます。だから、『一番楽に悟りが開ける場』なのです。そういう意味だったら、この世で一所懸命感謝行の練習をさせてもらうのがいいのです。
(執着したら)執着が一番良くないのす、番組にしがみついてチャンネルを変えようとしない、今見ている番組にしがみつくと、次の番組に変りません。だから、執着は要らないのです。
丁度テレビ見るように、離れて眺めている感じがいいのです、そしたら自然に移り変わるだけなのです。ただ、どのチャンネルの番組も、自分にとったら何かプラスの幸せを与えてくれるし、何かの学びがあるのです。ただ、ひとつにいつまでもずうっとしがみつく必要はないと思います、ある程度勉強して行けたら、どんどんどんどん上へ上へ行けばいいと思います。それを自然な形で、楽しんで楽しんで、幸せを味わい続けたらいいと思うのです。
-ありがとうございます-
チャンネルを切り替えるということは「ありがとうございます」?
ありがとうございます:
それが最短コースで早く高くなります。
-ありがとうございます-
数も沢山言った方がよろしいのですか?
ありがとうございます:
それもいろいろです。沢山言った方がいい時もあります、一回でもいい時もあります。(一回でも)一回で真心込めて唱えたらすっと上がります。だから、沢山唱えられる時は、沢山唱えたらいい、それなりの効果がどんどん出ます。だから、もう、自由自在に助けてもらえるのです。
自分が一所懸命「ありがとうございます」を唱えるのもいいのです。ただ、唱えられない時があります、そういう時は「みんなが私の代わりに唱えてくれている」というふうに。みんなに「ありがとうございます」を言ったら、みんなが唱えてくれているのを貰うのです、あははは。(ああ、そうですか)、そうです。
だから、神さまが、みんなが自分に代わって自分の為にお祈りしてくださっているという、そういう気持ちで「ありがとうございます」を唱えたら、自分のお祈りも、また、みんなの為のお祈りでしょう。一体化するほど、みんなと助け合って、感謝がどんどん湧くようになってきます。そのように、いろんな唱え方を活用すればいいのです。
願いを実現するのは
-ありがとうございます-
私も「ありがとうございます」まで言ってなかったのですけど、「ありがとう」を何千回か言った時に、やっぱり涙が出てきましたですね、自然に。それが一回だけありましたね。それの後は何もないのですよ、どうなんでしょうかね。何も思ってないのに、何にもここが真っ白やのに、涙がダーッと、これからは「ございます」と‥‥
ありがとうございます:
それも自由自在で使い分ければいいのです、「ありがとう」でもいいのです。でも、大きく受ける時は「ありがとうございます」に自然になってくると思います。
-ありがとうございます-
同じ「ありがとうございます」を言うのでも、やっぱり、自分自身が、嬉しい心で、楽しい、幸せだなあという思いで、嬉しいことがありました時には、抑揚がバーっと上がってきますわねえ。そういう時はやっぱりすごい、私は○○生命なのですけど、すごい契約がガーっと上がってくる時がありますねえ。
私もまあ○○生命で使っていただいて、定年退職後もさせていただいてるのですけど、本当に感謝、お客さんには勿論ですけど、感謝の毎日と思ってるのですけど、「ありがたいなあ」っていつも思ってるのですけど。目標を掲げてそれに向かって「ありがとう」と言うてると、それがなんか生きてくるように思うのですけど、「ありがとうございます」まで言ってないから、なんか半分の力しか、ははは。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と唱えて、自分のいろんな願いを実現する、というのは小さい生き方です。
-ありがとうございます-
私自身じゃなくって、やっぱりあのう、五井先生と同じように「世界人類が平和でありますように」ということで、私は自分自身のあれじゃなくって、全体ですね。今こういう金融機関がこういったものですから、保険会社の全部の人が、全部金融機関の中で上位におれますように、潰れること嫌ですからもう、「○○生命の全部が、幸せになりますようにって、そして京都支社が幸せになりますように」って、そして少しだけの幸せを私に下さい、ということは常に申し上げてるのですけど。
ありがとうございます:
それがやっぱり小さくなってしまうのです。神さまが与えて来ようとしているのは、宇宙のすべての人に、人だけではなく、動物にも植物にもすべてに、無限の無限の幸せを与え続けようとするのです、実際それを与え続けてるのです。それを「ありがとうございます」と受けるのが「ありがとうございます」の本当の意味です。(ちっぽけな考えですね)だから、自分の願いは要らない、「みんな無限の無限の幸せが一杯です、ありがとうございます」といういきかたです。小さく願うと大きい神さまのプレゼントを拒絶することになるのです、「ちょっとだけでいい」と言っているのです、はははは。
-ありがとうございます-
ちょっとだけでいいのですけど、もうこの年ですから。そんな大きいことを、今迄でしたら、やっぱり三十年間やっぱりね、ありがたい思いばっかりしてきましたのでねえ、今日それがあるのですから。もうこれ以上何も望みませんのでね。
ありがとうございます:
神さまが、無限の無限のチャンネルを与えた目的は、人の自由を縛りたくない為なのです。低い番組で満足して、最高番組まで戻って来てくれなかったら、神さまは悲しいのです。「無限の無限の幸せが一杯と!」いう、みんながそうなっているというのを受けて欲しいのです。本当の極楽世界へ、戻って欲しいのです。
-ありがとうございます-
じゃあいきなり、その最高の方から行く方が近道なのですか?
ありがとうございます:
そうです。だから、最高の方へ心を向けるのがいいのです。丁度、太陽を眺める時がそうです、太陽の光を全部受けようと思ったら、まともに向かないといけない。ちょっと角度を反らすと、背を向けたり、横向いたりすると本当の光を全部受けきれません。だから、光源を見つめるのが一番いいのです、光一杯受けるのが。だから、最高番組に心を向けたら、いいものをいっぱい受けられます。
-ありがとうございます-
なかなか見えないですよね。太陽さんは見えるのですが、いきなり見えないものですから小さいものから行っちゃうのですが、いきなり見えなくても大きい方に目を向けるように努力した方が早いわけ?
ありがとうございます:
それは、言葉通りになります。「小さく」と言ったら、小さい言葉を使います。小さいものから順番に登ろうとすると、無限の年月をかけて登らなければならない。それもひとつの自由な生き方なのです、でも最初から光源を見つめて「無限の無限の幸せが一杯!」というふうに受け直すと、それはすぐにすっと降りてくるのです。言葉通りにすぐに受けられるようになります。「ありがとうございます」と唱えながら「無限の無限の幸せが一杯!」という大きい受け方をして行くといいのです。
天照大御神さま
どこを中心に見るか
-ありがとうございます-
天照大御神さま、それも一応イメージは、無限の無限のという中の?
ありがとうございます:
そうです。天照大御神さまの本当の言葉の定義は、例えば、伊勢の神宮の神さまとか、皇室の先祖とか、人格神的に女神さまとして現れるとか、そんな小さい意味じゃないのです。宇宙全体の無限に無限に輝いた最高の表現を「天照大御神」というのです。
-ありがとうございます-
だから、太陽よりもっと全体、宇宙全体の、という意味ですか?
ありがとうございます:
太陽の無限億万倍でも足りないのです。もっと大きい輝きを持っています。
-ありがとうございます-
「伊邪那岐命」のお子さんですよね、とはまた違う?
ありがとうございます:
みんな小さくとらえて解釈するのです。「伊邪那岐、伊邪那美」の創造神から生まれたという意味では親子関係に思うかも知れないけど、でも違います。本当の神さまの働きを名前で現すのです。
創造の働きをする時の名前が、「伊邪那岐、伊邪那美」の神さま、という名前を使うだけで「天照大御神さま」という時は、絶対の天之御中主神を初めとして「かくりみ」の神さまの名を全部中に持って、創造の神さま「伊邪那岐、伊邪那美」の神さまのそのまた分身の8×8=64神の名前を中に持って隠しているのです。中に持っていながら、自分は最高の輝きを持って現れたという姿が「天照大御神」です。
だから親子関係ではないのです。名前が違うだけ、働きが違うだけなのです。その時に、どの働きを中心に見るかによって、表面に出てくる名前が変わるだけなのです、同じ神さまの別名なのです。
-ありがとうございます-
天之御中主神が一番中心と思っておりましたが。天照さまなのですね?
ありがとうございます:
いや、いや、だからどこを中心に見るかによって。「天之御中主神」という「絶対」を中心に見るんだったら、それが表面に出て他が全部隠れるのです。創造神の働きを前面に出す時は「伊邪那岐、伊邪那美」の神さまが前に出て、後は全部中に隠れるのです。でもこの世の人にとったら、一番奥とか、創造の働きよりも、最高表現として生み出されたものを見る方がいいのです。そういう意味だったら「天照大御神さま」を中心に見る方が、受けやすいのです。また、その分身の無限の八百万の神さま、という形で受けるのもいいのですが、それだと、いろんな神さまの名前が無限に出てきます。ただ、それは一筋一筋の光を、いろんな色合いの光を受けるだけで、全体を受けられません。だから「天照大御神さま」を前面中心に置いて、無限の八百万の神さまもいろんな色合いの光でいっぱいある、というふうに感じる方がいいのです。
-ありがとうございます-
「天照大御神さま」とお唱えすることは、自分を神さまの中へ投げ入れる、ということと同じですか?
ありがとうございます:
同じです、自分が心を向けたところへ溶け込んで行くのです。まあ、飛び込む、吸い込まれて溶け込んで行けば、自分が消えて、そこに「天照大御神さまだけが」となります。その時は天照大御神さまが自分になるのです。それを、一瞬一瞬新たに受け直して、いつも天照大御神さまと自分が一体という、そういう自覚にしていただくのです。
-ありがとうございます-
天照皇とも言いますよね、あれは皇室の方の呼び名ですかね、「天照皇大神」と言いますよね、天照大御神さまを。
ありがとうございます:
「あまてらすすめおおみかみ」と言うのです。
「すめ」というのは、「絶対」と言う意味を強調するのですけど、宇宙の絶対神の働きの名前が「すめたかあまはらみこと」とも言うのです。
「す」というのは、一番奥の「絶対」なのです。それを目で見えるように表現で現われてくるのが「すめ」なのです。それが「たかあまはら」という「たかあまはら」が全大宇宙なのです。それが「命」という姿をとります。「命」というのは「見事」という意味もあるし、最高に素晴らしいものです。
言葉の現われで「みこと」という意味があるのですけど。また、神さまの御心はそこに宣べ伝えられている、という「みことのり」の「みこと」もあるのです。いろんな意味合いの「みこと」があって、神さまの最高表現の全大宇宙が無限に無限に輝いた姿をとっているという。これが「皇高天原命」というのです。だから、宇宙絶対神の名前が「すめたかあまはらみこと」なのですが、いろんな意味で言葉が使われています。ただ、言葉の定義が難しい、同じ言葉を使っていても、みんなその定義の仕方でいろんな意味合いにとらえます。
いろんな宗教の教えがあって、宗教がそれぞれ違うと、同じ言葉も別な意味で使っていてすれ違います。神道だったら「神」という名前を使った時は、神道のほうは本物の神さまを指そうとします。仏教の方は「神」(仏教では神と書いて「ジン」と読みます)と言うと、何かちょっと外れた外道の働きを指しているのです。だから「神は存在しない」とか言うのです、そういう定義づけをします。
言葉の定義の仕方が、みんな教えの違いによって全部違うのです。同じようにとらえると矛盾して思ってしまいわからなくなります。先ず定義の仕方を、どういうふうに定義しているかを先ず調べて確認して、その意味をとらえるんだったら、「神さまと仏様は一緒」というふうにとらえられるのです。
神さまの喜び
-ありがとうございます-
神さまって喜ばれるのですか?
ありがとうございます:
はははは、神さまは、もう無条件で喜び続けています。もう無限の無限の喜びを発散し続けているのです。元が無限の無限の喜びなのです、だから条件付きではないと思うのですけど。ただ、神さまの本質に近づくほど、神さまの喜びとひとつに同化できるので、そういう意味だったら、神さまに喜んでもらうこと、というは、神さまの本質に近づくことなのです。
供養
-ありがとうございます-
去年大事な家族を亡くしたのですけど、肉体レベルを放れましたら、心の中で深い悲しみがあったのですが、段々癒されてきまして、いつもつながっているような気持ちで過ごしています。先に逝ったものに対してどういう気持ちを持っていたら一番供養になるんでしょうか?
ありがとうございます:
例えば、自分一人の、いろんな番組の役割があります。もし、自分が無限の無限のチャンネルの中に、番組の中に入っていろんな役割を演じるとしたら、高い番組はいい役をしています。低い番組はマイナスの役をしています、悪役を演じたりしているのです。
どの番組を見て欲しいですか?(高い方を)一番最高のを見て欲しいでしょう。みんな同じです、亡くなった人も、ご先祖様も、最高番組をいつも眺めて、それを楽しんで受けて欲しいのです。
でも、番組の外へ抜け出た自分は、神さまと一体の、神さまのすべてを受け続けてる自分なのです。
ただ、番組としては最高番組を味わって欲しい。だから、もし見るんだったら、すでに無限の悟りを開いて無限の幸せ一杯で、いつも自分を無限に無限に護り続けてくれているのだと、無限のプラスプラスと見る方がいいのです。それがやっぱり一番喜んでもらえる生き方です。
外国人と「ありがとうございます」 神さまを拝み出す
-ありがとうございます-
私は今ユニバーサルスタジオに勤めているのですが、お客さんが来られますと、日本人の方には「ありがとうございます」と言うのですが、外国の方が多いのですが、英語でしか出来ない時は、まあサンキュウーですね、まあ中国人の方が多いのですが。これは、日本語の「ありがとうございます」が一番いいのでしょうか。(要約)
ありがとうございます:
人に対しての感謝であれば、それぞれの国の言葉でサンキュウーでもいいのです。でも神さまを拝み出すという意味だったら、心の中で「ありがとうございます」と唱えながら、口に出すのは外国の人にサンキュウーでもなんでもいいと思います。心では「ありがとうございます」と唱えて、みんな神さまの現われだと、無限に無限に輝いてるという受け方がいいのです。心だったら「ありがとうございます」で通ります、口に出す時はもう自由自在に使い分けられたらいいのです。
-ありがとうございます-
我々は日本人だから「ありがとうございます」ということを言うわけですけど、外国の方はやっぱり説明すると、アメリカの方は「サンキュウーベリィマッチ」と言うのでしょうか、それで唱えはると思うのですけどね、それは、それでもよろしんでしょうか。
ありがとうございます:
それではわからない、本当に神さまと対面したいという気持ちで唱えるのだったら、外国の人も「ありがとうございます」がいいのです。やっぱり大きい神さまの助けを受けやすいのです。
ただ人に対するような「ありがとうございます」だったら、別にその国の言葉でいいと思います。人に対する感謝とか、小さい意味だったらいいのですが、本当の神さまをしっかり捉えて対面したいというんだったら、「ありがとうございます」を唱える方が効果が大きいのです。
だから、世界共通語であっていいと思います。「ありがとうございます」は本当の神さまと対面する為のオールマイティな言葉ですから。(外国の方にも)「ありがとうございますを唱えるのがいいですよ」というのがいいのです、そうしていたら神さまが早く感じ取れます。
他人を助ける
一体化した状態で受け直す
-ありがとうございます-
病気の人がいらっしゃるのですが、無限のチャンネルの中から、かなりそこが居心地がいいのか、長く病気を患われてるのですが。基本的にはその方が何か気付かれて、沢山のチャンネルの中から、プラスの言葉で生活を変えて行かれるのが一番いいのですけれど。それが神さまが望んでおられるなら、もしそれを第三者がこの私が何か少し応援ができるとしたら、どういう形で応援するのが、それも番組なのかも知れないですが、もし多少なりともあるとしたらそこのところを。
ありがとうございます:
その番組を変えることは絶対できないのです。どの番組を見るかという、番組を変えることは人の自由です、そのお手伝いはできるかも知れない。また、同じ番組を見ていても、それをよりプラスに見る感謝を深める生き方のお手伝いはできます。
仮に一番下の地獄番組を眺めていても、無限の感謝のできる人はできるのです。それがもう、みんな自分のマイナスを身代わりに振り替えて、背負ってくれて、その代わりに苦しんでくださって、本当に大犠牲的精神を発揮する菩薩様なんだ・女神さまなんだ、というふうに見ると、地獄