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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち No.2



       ふたつのこころ

-ありがとうございます-
 すことしいてボケてくるということがあるのですけども、そういうひとがなるべくボケないように、なんかやるほうほうがありませんでしょうか?

ありがとうございます:
 あるでしょう、もくてきつことです。もくてきがなかったらなにもしなくてむので、ボケるのはとうぜんです、くてもボケます。だから、もうおおきいもくてきつほどいいのです、そうするとなかからちからしぼらないといけないので、ほんとうかみさまのちからてきます。そしたらにくたいわかがえってびょうにもならずに、ボケずにいろんなことがたくさんできます、もうぬまでげんいっぱいかつやくできます。
 だから、もくてきをしっかりつことです。それもおおきいもくてきです。かみさまのほうはいくらでもちからえてくれますから、おおきいもくてきつほどちからはたくさんもらえます。

-ありがとうございます-
 そうしますとほんにんは、ボケようとしているくらいですから、なかなかほんにんもくひょうってないわけですけど、まわりからそれをてるように、けていくというか、そういうことはできるのでしょうか。

ありがとうございます:
 ほんにんゆうえらばないといけないのです。まわりのひとのできることはったら「ぶんかんしゃしてげんかがやいて、それでなかのためにいっぱいはたらいてしあわせになっている」という姿すがたせることによって「したい」とおもうかもれない、いいおほんせればいいのです。
 ボケるひとは、「なにもしなかったらしあわせ」とおもっているかもれない、「らくしてていてしあわせ」とおもうかもれないのです。でも「ほんとうしあわせは、いっしょけんめいはたらいてひとしあわせにしてほんとうしあわせをかんじられるんだ」というふうに、そういういいおほんければいいのです、だから、みんな「なにえらぶか」だけのもんだいです。このとくいのとわるいのとりょうほうせてもらえるなので、だからいいものをおほんにして、それをえられば、どんなひとでもプラスにいてくのです。ただ、きょうせいはできません。
 もしぶんがおいのりして、そのひとわったようにえるとしたら、ぶんばんぐみわっただけです、そのひとえたのではありません。そのひとかたえられません、そのひとしんもんだいなのです。ただ「ぶんばんぐみが、マイナスのおおいものからプラスのおおいものへへんした」というだけなのです。かみさまでもひとゆうしばらない、ひとはどれだけおいのりしたからといっても、にんゆうしばってえるわけにはいかないのです。ぶんているばんぐみえただけです。

-ありがとうございます-
 ぶんしんとしては、ぬまでボケずに、今日きょうまでもきてて明日あすコロッとくなるという、そういうじょうたいがいいとおもってるのですけども。そうでないひとでボケてこうとするひとは、あまりそういうことはおもってないとおもうのですよね。そうしたあい「ボケてしあわせ」ということはあるんでしょうか。
 ようするにぶんというもんだいですけども「なんとしてでもボケないようになってしい」というはあるのですけども。かかわりかたけっきょく、こちらがわの「ありがとうございます」だけでいけばいいのか、それとも・・?

ありがとうございます:
 こころにはふたつのこころがあります。ほんとうぶんこころかみさまのこころであるプラスのこころと、かさねてがったマイナスのこころというのがあります。マイナスのこころは、らくをしてたいのです、なにもしないでなまけてじっとしていて、たなからもちしきになんでもしてもらったらしあわせだとかんじるこころです。そういうこころひとは、もうしんどいことからたいのです。「なにもしたくない」とてたらいいほうなのです、じーっとしてたいほうです、そういうのを「しあわせ」だとかんじてしまうのです。
 ほんとうぶんからたら、それはせいはんたいです。だから、かんしゃするこころほんとうぶんてこないかぎり、それが「ちがっている」とづきません。ほんにんづくまではかたありません、にせものでも「これがしあわせなんだ」とおもんでしまうから、そこへずうっとはいってくのです。だからぶんしんもんだいです。

 ぶんをずうっとかえったときに、かんしゃしてほんものただしくつかめたときは「いっしょけんめいはたらいてひとしあわせにすることがしあわせ」だとほんとうおもえます。ところが、かんしゃをしていないがあります、そういうときなまけて「ひとからもらうのがしあわせなんだ」と、そういうがあったとおもうのです。そういうなごりがこころのこっていたら、ぶんているばんぐみなかにそういう姿すがたせてもらえるのです。
 それをりょうほうることによって、どっちがほんものただしいのか」というのがわかって、それでぶんは「もっともっとほんものいっぱいかいばんぐみとしてていきたい」というんだったら、みんながいのちかがやかせてはたらいているしあわいっぱい姿すがたばんぐみへ、わせてけばいいのです。

 だから、いま、このにマイナスがえるとしたら、まだ、ぶんこころにマイナスがのこっているというぐらいにおもって、さらにプラスにプラスにつづけるのがいいかもれない。だから、マイナスのひと姿すがたないほうがいいのです、きょくたんえば。「みんないのちかがやいて、はたらいているんだ」という「みんなをしあわせにするはたらきをしているんだ」というのがいい、そういうこと使つかい、そういういい姿すがただけをつめて、ばんぐみうええてけば、ボケろうじんなくなるかもれません。
 ボケろうじんぐらいのもんだいではありません、かいのいろんなもんだいたくさんあるのですが、おおぜいどもしてきます、ねんかんどれぐらいいるですか?、すごかずでしょう。いちにちまんにんです)ちょっとかんがえられない、ほんでは。しなくても、ものすごていひくかたをしているひとが、ものすごかずでしょう、なんじゅうおくなのです。でも、そういうひとたちを、どうしてぶんしあわせにしてくのかと、かんがえてんでも、ひとひとをもしあわせにできません。
 ものがないからものあたえたとしても、それでほんとうすくえるのかというと、すくえない。いっしょうものあたつづけても、たいしてそのひとしあわせにもなにもしていないのです、ものあたえたていしあわせしかあたえてないのです。
 ほんとうしあわせというのは、そういうひくばんぐみでいくらつかもうとしてもつかめません。ひくばんぐみているかぎりは、ぶんしあわせになれないのです。だから、ぶんたかばんぐみをしっかりとれるようになることです、もし「ほかひとしあわせにしてあげたい」というんだったら、ほかひとたかばんぐみこころけてそれをけられるようにしてあげることです。そういうおつだいが、ほんとうこんぽんからしあわせをあたえるかたです。
 みんながほんとうにおいのりできるようになれば、さいこうばんぐみちょうって、それをけてげんじつするのです。そしたら、もうさいしょからしあわせいっぱいのじょうたいになります。

-ありがとうございます-
 いまじょうたいで、こくさいえんじょとかこくさいボランティアがありますよね。いまじょうたいでやっているじょうは、ずうっとそれがあまりかわらないのですか。

ありがとうございます:
 あまりわっていないのです。ぎゃくに、「わいそうに、わいそうに」とやっていると、そういうかいがどんどんひろがっているようです。だからたすけてもらったほうも、ぶんちからはっしないから、たすけてもらうばっかしのちだと、もとめるこころになっています、ばんぐみがどんどんひくがってくのです。ぎゃくばんぐみげるつだいをしているようななかんじになります。ぶんなかちからしぼってでもはっして、プラスへかないといけない、ぶんほうからあたえるこころこさないと、ばんぐみがらないのです。
 ちょっとでもひとのためにやくつことをさせてもらうかたを、みんながとるようにしてあげるほうがいいのです。ばんぐみさえうえうえがったら、ひつようなのものをちゃんとあたえてもらえるしあわせな姿すがたをとるのに、あまりにももとめるこころこさせぎています。ばんぐみげるおつだいをしても、がありません。むずかしいでしょう、なにえんじょをするには、「ありがとうございます」をえんじょしないといけません。ものあたえるのでも「ありがとうございます」をたくさんいのりをめておいてあたえるのがいいかもれない、かんしゃこころすためのてにすればいいのです。


       げんじつしあわせをかぞえてみる

-ありがとうございます-
 もとめるこころをなくして、あたえるこころつこと。かんしゃふかめてあたえるこころすためにはかんしゃがいいということではないかとおもっているのですけど。そのかんしゃこころがなかなか、わたししんあたえるこころがまだまだなのです。かんしゃこころからはじめたいとおもっているのですけれども、なかなかぶんめぐまれてるせいもあるとおもうのです。
 そういうぶんがどうやったらかんしゃこころというのがっていけるか、なにかアドバイスを。

ありがとうございます:
 すであたえられているもの、しあわせをかぞげるのがいいのです。このにくたいひとつでも、かみさまからのおおきいプレゼントです、「える」というだけで。
 「」はものすごいげんがあります。えなかったら、どんならしいしきでもえません。だから、えるというだけでも、げんがあります、「ありがたいなあ」と。「みみこえる」のもそうです、いろんなことがたくさんかせてもらえます。さんこうになること、べんきょうになることをたくさんかせてもらえます「ありがたいなあ」と!また、とりごえこえるだけでもしあわせです。「いきができる」というのもすごいことです、いきうもくもできなかったら、もうもんぜつしてもがきくるしむのです。

 だからぜんしんさいぼうろくじゅうちょうさいぼういっいっが、やっぱりほんとういのちかがやかせて、ぶんしあわせにするのにはたらいてくれている!これだけでも「さいぼうさん、ありがとうございます」とわずにおれなくなるのです。たいようひとつでもそうです、まいにちまいにちあたらしいたいようがどんどんてきて、かがやいて、しあわせをあたつづけています。これがいっしゅんすっとえてしまったらどうなるか?たいへんです、きゅうやみになってしまいます。

 そういうふうに、いまあたえられたものを、しあわせをずうっとかぞげていくとづきがどんどんえるのです。かんしゃがどんどんきあがるようにてきて、それがこんぽんになったら、かみさまへのほんとうかんしゃてっていできるようになってきます。「げんじつからのかみさまのプレゼントをかんじるかんしゃ」というのは、まだあさいのです。おくから、いちばんおくからのプレゼントをかんじるのが、いちばんふかかんしゃになります。そうするとげんじつやみでも、こころはもうげんげんしあわいっぱいというじょうたいになれるのです。じょうけんしあわせはそこにあるのです。ず、いまげんじつからしあわせをかぞげたらいちばんばやいとおもいます。

-ありがとうございます-
 きたきゅうしゅうからおいでて、せっかくですから、なにかありませんか、どもさんのことでも。
-ありがとうございます-
 このしょられた、というだけでかんしゃちでいっぱいですので、「ありがとうございます」ということで。

ありがとうございます:
 あ〜、いいことねえ〜。

-ありがとうございます-
 かみさまは「ありがとうございます」ととなえることは、かみさましんよろこんでいらっしゃるのでしょうか?
ちょっとわからないのですけど。

ありがとうございます:
 そうです、やっぱりひとおなじで、みとめてもらってしあわせをかんじるのです、されたらかんじません。「ありがとうございます」というのは、かみさまのはたらきのぜんたいぞうをぜんぶみとめたことになります、かんしゃこころおこしてしっかりとけたことになるのです、やっぱりそれがいちばんかみさまのしあわせなのです、よろこびなのです。「ありがとうございます」をとなえているひとは、もうぶんまわりのぜんぶからよろこびをかんります、それはかみさまのよろこびなのです。プラスのよろこびの姿すがたせてもらえます、みんなかみさまがよろこんでいる姿すがたです。
 だから、まわりのひともみんなそうです、「ありがとうございます」とこころからかんしゃしたら「ニコッ」とわらってくれます。それはかみさまがよろこびの姿すがたせてくれているとおもいます。うえばちえているはなでもそうです、「ありがとうございます」とかんしゃしていたら、はながニコッとわらっていてくれます。それをかんじます、はながおをスッとかんじます。

-ありがとうございます-
 りょうかんさんだったかのことに「あい」ということがあるのですけども、ようするに「あいこと」といますかね。「あい」をあいける、ということなのですけど、いろいろあるとおもうのですけど、やはりわたしは「ありがとうございます」とうと、ちょっとしたことにでも、たとえばウエイトレスがみずってるとか、べたものをげてくとかね、そういうときに「ありがとうございます」とうと「ニコッ」とわらうのです。こうのほうが、それでれたりするひともいるのです。そんなことでつうあまりわれないんだとおもうのですけど。そういうのも、やはり「あい」になるんでしょうか?

ありがとうございます:
 そうです、ほんとうあいは「かんしゃ」なのです、「ありがとうございます」だけです、「ありがとうございます」が、かみさまといったいすることです。「あい」というのはかみさまとのいったいかんことです、「あいはすべてといったい」というです。ひとつにがったいしてっているという、ごういつしているというです。「あい」がいったいかんだったら「ありがとうございます」がすべてといったいすることなので、「あい」というと「ありがとうございます」だけです。



     いそがしいというのはれい

-ありがとうございます-
 ごとをしていて、すごくいそがしいときなんかは、あいかたが「ありがとうございます」をってくださるのですよ。すごくいそがしいときは「いいから、つぎのことをどんどんしゃべって!」って、ぶんおもっちゃうときがあるのです。でも「っていただいてうれしいな」というちもあるのですけど、いそいでると「はあ〜」って・・
  あとで「なにであんなことおもっちゃったんだろう」っておもうのですけど。そういうときぶんって、そういうかんじょうは、やっぱりいくら「ありがとうございます」をいていても、プラスにはならずにマイナスになっているのですか?

ありがとうございます:
 いえいえ「いそがしい」という、いそがしいことが、りっしんべんくなるです。ひとの「こころ」が「くなる」という、われうしなうのです、「れい」になってしまうことです「いそがしい」というのは。ぶんからたのしんでいっしょけんめいにやっているときは「いそがしい」とはわない、「ありがとうございます」だけで、よろこんでたのしんでいるだけです。だから、そういう「いそがしい」というじょうたいは、「ありがとうございます」でかるしてもらっているのです、たすけてもらったのです、れいになったらそんします。


   かみさまとのたいめんたのしむのが「おいのり」

-ありがとうございます-
 だん「ありがとう」というのがだんだんくちぐせというか、おもえるようになったのですけど、あさいのりさせてもらったように、しずかなかんというのはったほうがいいですか。

ありがとうございます:
 それもゆうざいです、いろんなかんてるのはしあわせでしょう。べつにこういうかたちとらわれないでいいのですが、あさきてたいようながめるだけでもしずかなかんです。しきながめてこころをゆったりさせるのも、これもひとつのおいのりのかんなのです。

-ありがとうございます-
 ぶんめなくても?めなくてもゆうざいに?

ありがとうございます:
 めなくていいのです、ゆうざいです。いっしゅんいっしゅんだいたのしめばいい、ほんとうはもうかみさまとのたいめんたのしむのがおいのりです。たいようて、たいようを「かみさまのあいあらわれ」とかんじたらかみさまとたいめんなのです。そよかぜなかぶんいて、「ああ、もちちいいなあ」というのもかみさまとのたいめんなのです。
 かみさまとたいめんうというのがおいのりなのです。(すべて?)すべてです、すべてにかみさまをいだしてく、そういうれんしゅうです、ゆうざいで?)ゆうざいでいい、ゆうざいが!
 おとんはいってときも、とんを「かみさまのあい」というふうに「かみさまのあい」というふうにていけば、とんなかにゴロッとよこになるだけでかみさまにつつまれます、あいに。だからかたちじゃない、ゆうざいがいいのです。

 
      れいかんつよひと

-ありがとうございます-
 ともだちむすめさんがれいかんつよいというか、なんかわからないのですけど、びょういんやおてらくとなにはいるらしいのですね。わたしともだちが、おかあさんなのですけど、どうしていいかわからなくてなやんでるのですね。そのおじょうさんがぶんなりにおいのり、おまじないじゃないですけど、てきとうにやっているらしいのです、あるときしおったりとか、でもはいときかならはいっちゃって、ときも「こっちにはいってるから、今日きょうしたきにられない」とかって、なんかたいへんらしいのです。すぐはいってしまう。そのおかあさんのなやみをいても、わたしにはどうすることもないのですけれど、どういうふうに。

ありがとうございます:
 それも、やっぱりマイナスをつかんでマイナスのこと使つかっています。いろんなもの「マイナスのものがはいっている」とているのです、「またはいった、はいった」と。だからそれをプラスにえるのがいい、ことを。いつもかみさまがげんひかりはいっているというふうにプラスをれたら、マイナスをもうあいにしなくなります、プラスのほうつよいのです。マイナスをつかんでことにしているから、それがそのとおりになってくのです、だから、いつもかみさまのげんひかりなかながんでいるというふうに、プラスのことだけを使つかつづけたら、マイナスははいらなくなります。

-ありがとうございます-
 はいったものたいはプラスのものですか。

ありがとうございます:
 そういうものはないのです、かみさまのげんひかりがいつもながんでいるというふうに、「かみさまのげんひかりだけが、ぶんなかにあるんだ」というふうにけば、そういうこと使つかっていたら、それがもう「ありがとうございます」ということなのです。だから「ありがとうございます」をとなえたら、それもぜんえてきます。
 ほんとうに「ありがとうございます」をとなえたら、そういうマイナスはいっさいかんじなくなります。もし、それでなにかマイナスをかんじるとしたら、そのときとなえていないのです、「ありがとうございます」をわすれてるときです。おもして「ありがとうございます」ととなえたら、それでえてきます。


   おもどおりにしたいひとは、ここにはれない

-ありがとうございます-
 ところが、そういうかたがいて、たとえばここへてそういうことをたいけんさせようとおもってれてようとしても、なかなかじっさいれないということがおおいようにおもうのですけど?

ありがとうございます:
 ここへれるひとは「ありがとうございます」をとなえているひとです、となえたひとです。そうでないと、れてきても、ひつようなものをけられないのです。あるていけんきょなおになって、かみさまのたすけをれるこころになって「ありがとうございます」をとなえさせてもらって、はじめてここにるのです。それでいろんなづきを、またどんどんあたえてもらうような姿すがたをとってるだけです。
 でも、かんしゃなにもしないひとが、ぶんかっおもどおりにしたいひとが、ここへてもなにられない。ぎゃくに、その「おもどおりにしたい」というのをされたらこまるから、ない、ぜったいおもどおりにならなくなるから、ここへたら。まあ、ひとひとゆうがあってるまではどうしようもない、でも、だんだんへんします、まわりにおいのりをするひとえたら、また、ちがへんするのです。

-ありがとうございます-
 てもらいたいなあ、というともだちがあったとしても、すごいこえけずらいとかおもひとだったりすると、やっぱりそれはじゃなかったりするのですか?

ありがとうございます:
 それもぜんになるのがいいのです。こえけてもないかもれないから、べつこえけなくても、またなにかのえんでフッとほかからさそわれてるかもれないし。それもぶんぜんうごいてるのがいいのです。


      せんせいしょくふうけい

-ありがとうございます-
 すみません、つまらないしつもんかもれませんけど、いつも、せんせいしょくをしている姿すがたを、みなさんあまないものですから、たしてせんせいべているのかということをしんぱいされてるのですけど。

ありがとうございます:
 べています、はははは。しっかりべています、じゅうばいぐらい!あまりりょうてきたくさんべたいとおもわないから、みんなといっしょべるとえんりょしてしまうのです。

-ありがとうございます-
 なんかふんほどでわってしまうとか?

ありがとうございます:
 それも、そのときそのときです。わかころはごはんでもなんでもべたい、おなかくし、うんどうしたらとくにそうです。わたしはごはんはもういちぜんです、かるくしかべないし、たまにはべないときもあるし。おかずだけでちょっとべるぐらいでわってしまうから。べるものも、わたしくだものがあったらいいぐらいです、はははは。おにくとかカレーとか、そういうのはあんまりべないです。いちばんあっさりしたたんぱくなのがいい。だからいっしょべるとみんなえんりょぎるのです。
 それでちょっとべつしょくさせてもらっています。(そういうことでしたか)はい、べています、べています。ただおきゃくさんのあるときべないときもあります。りんられるときもありますから。そういうときはおひるいたり、ゆうしょくいたりするときもあります。それもべつになんでもない、つうでもなんでもないし、たのしんで。だから、しんしょくわすれてたのしむのがいいでしょう、はははは。


         ひとえん

-ありがとうございます-
 「ひとえん」ってかみさまからたらどんなふうなのですか?

ありがとうございます:
 りょうほうあります、くさえんと、かみさまからあらたにむすんでもらうひかりの「しんえん」というのが。「くさえん」は、あしいみたいな姿すがたをとるのですけど、それでも、かみさまがそこへちょっとはたらくと、くさえんもやっぱりかがやいてるのです、はははは。
 この姿すがたは、ほんとうはみんなかみさまからの「あたらしいえんむすび」とおもほうがいい、「くさえん」だけでむすぶことはぜったいありません、それもかしながらかみさまがひかりえんむすんでくれます。マイナスのくさえんばっかりだったら、みんなマイナスへいてしまいます、それだったらたいへんです、みんなどんどんごくへまっしぐらにってしまいます。それをふせためかみさまがはたらいているんだから、、どんなえんかみさまのひかりえんあらたにあたえてもらっているのです。もし「くさえん」にえても、そのくさえんかるんでるのです。
 だから、マイナスにえるえんもいいえんなのです、ほんとうはいろんなべんきょうができて、それをきっかけにおおきいしあわせをつかむチャンスになってるかもれないのです。「げんげんのプラスのえん」というのがいいのです、はははは。

 
   こくみんかんしゃふかまれば、せいわる

-ありがとうございます-
 このあいだいずみそうが、ぶんまわりのひとのことを「ったらわかるひとと、ってもわからないひとと、それから、わなくてもわかるひとと、さんしゅるいいる」とおっしゃってたのですけど、えばわかるひとはいいですよね。ってもわからないひとがたくさんいたあいに、どうしてもそこでやってかないといけないめんがあるとしたら、どういうふうにたいしょしていけばよろしんでしょうか?

ありがとうございます:
 でも、「ぶんがこのかいえている、うごかしている」というのは、ちょっとごうまんかもれない。「ぶんなんにもできない」というのがいいのです。それで「かみさまのおつだいができたらしあわせです」というのがいい。だから、けんきょになってかみさまのあし使つかってもらうのがいいのです、そうするとかみさまがぜんせきにんをとっておおきくうごかしてくださいます。だから、そうだいじんになっかたらとか、じんそうだいじんちからがどうのこうのはかんけいありません。
 けんきょそうだいじんだったらバックによろずかみさまがはたらくのです。ひとかみさまがつくだけでもすごいのうりょくはっします、おおきいはたらきがそこにくわわってきます。だから、けんきょさがだいなのです。

 ひとをどうのこうのうごかそうではありません、かみさまがうごいてくださっている、はたらいてくださっているというかんしゃがあると、かみさまがひとうごかすのです。どんなひとでもかみさまだったらうごかせるのです。かみさまはひとだけではない、どうぶつでもなんでもうごかせます。かみさまがうごかしたら、みんなおおきいはたらきしてくれるのです。
 「ってもうごいてくれない、ぶんおもどおりになってくれない」と、それもべんきょうかもれないけど。「ってうごかすものじゃない」というのをづけばいいのです。「おもどおりにうごかすものではないんだ、もうすべてかみさまのこころのままに」と、「かみさまのさいこうひょうげんろすためのおつだいさえできたらいい」というのがいいのです。

-ありがとうございます-
 そのあいに、あいあいなりにぶんおもどおりにしたいとおもってますよね。こっちもはなししをかないで、ぶんおもどおりにしたいとおもってますよね。そういうときはどうしたらいいですか?

ありがとうございます:
 どうしようもなくなってしまいます、おたがいがマイナスです。あしいで、りょうほうになります。
 かみさまのさいこうひょうげんげんじつするのがほんまつりごとです。その「まつりごと」になると、かみさまのこころをしっかりときるのです。それは「たたえて、かんしゃして、よろこかた」なのです。おたがいをたたわないといけない、かんしゃわないと、そして「みんなのおかげで」とよろこわないといけない。「めてかんしゃしてよろこかた」これがあったらもうかならさいこうひょうげんげんじつしてくるのです。
 だから、いままでせいかいていると、あしいです。なんってっています、めていない。それでかんしゃっているかといって、かんしゃしていない。そくばっかりをっています。よろこんでいるかといって、よろこんでない。にがむしつぶしたようなかおしてくるしがっています。
 だから、ほんまつりごとかたから、せいはんたいかたえらつづけてるようなかんじです。ちょっとほんらい姿すがたもどればいいのです。

 いまいずみそうほかのことをあまりなんしていません、いいことです。めるまではいかなくても、なんしないだけでもすごいことです、ほかわるぐちうのがすくない。ぶんのしたいことはせっきょくてきしんねんってっている、そこがいいのです。これがもうちょっとめあうようになったら、またかんしゃくわわれば、みんなが「しあわせです」とよろこべば、ほんとうまつりごとに、せいになってくとおもうのです。はやくなってしいのですが。
 でも、せいからえるというのはむずかしいのです、したからです。こくみんがどんどんかんしゃこころおこすようになったら、うえかっわります。かんしゃするひとひとでもえたら、ほんくにはどんどんくなってきます。みんなのかんしゃいずみそうえているはずです、プラスにプラスにへんさせています。だから、ちょっとすくなくなりました、わるぐちいが、すこすだけ。


    おもい」はことあといてくる

-ありがとうございます-
 ずっといてましたら、「ありがとうございます」というところへどうしてもくんで、くことがなくなった。(はははは)むずかしいなあとおもうのは、こと使つかかたしきできるのですが、「おもい」というのが、しきのうちにおもっているということがあるのです。そこをどうしたらいいのだろうとなってくるんで、あんまりむずかしいことかんがえずに、とにかくことでもっとして「ありがとうございます」ということを、ひろぶんなかうことなのかなあとおもってるのですけど。

ありがとうございます:
 そのとおりです、「おもい」というのはことあとについてくるのです。ことかさねたらそのとおりのおもいにこころわるのです。ただ、ことうらはらにいろんなおもいがてくるというのは、かさねたこころめたおもいなのです。それは、いま「ありがとうございます」をとなえていてもかびてきます、それがかびときに、それでしてもらうためにかびているのです。だからどんなおもいがてきても、これでされてくという、「ありがとうございます」でどんどんされて、プラスにえてもらっているのです。
 でも、こととおりにおもいは・こころしたがってきます、だから、ことだけをえらんでかさねたらいいのです。コロコロへんするこころはどうしようもない、でも、ことえらべます、ことえらんでこころはいするのです。

-ありがとうございます-
 お便たよりをときに、わたしは「ハガキどう」ということで、ハガキをくのですけども。そこに「ありがとうございます」ということをなるべくれようとして、さいしょわりにシールもったりするのですけども。そうやって「く」ということが、ぶんもそうですし、それをったあいさんにとっても、そういうかみさまのひかりというんでしょうかね、そういうものなんでしょうか?

ありがとうございます:
 こころでずうっととなつづけられたら、べつかたちはどっちでもいいようなかんじです。でも、かたちの「ありがとうございます」もあることによって、またおもしてこころに「ありがとうございます」をとなえやすいのです。だからそういうたすいになれば、それがおおきくきてきます。「ハガキどう」もらしいです、はははは。

                
ありがとうございます
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