ありがとうございます
真祈り文庫へ

()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち No.1



       しゅぎょうかた

-ありがとうございます-
 なかにはかみさまにうというか、そういうみちもとめるひとたとえば、えいざんってせんにちかいほうぎょうをなさるとか、あるいはこうさんほうしゅぎょうするとか、あるいはぜんでらみちもとめるとか、そういうそんのところでやられるかたおおいわけなのです。そういうのをいっさいせんせいあいかんしんがなかったのか、さいしょからこういうやりかたでやろうということだったのか、そのへんすこしおはなしていただけたらとおもうのですけど。

ありがとうございます:
 はい、ひとひとぜんぶあゆみちちがうので、おなみちひつようありません、いろんなさとりへのしゅぎょうほうほうも、みちもあっていいとおもうのです。わたしあいは「かんしゃひとすじで、おおきいしあわせをあたえてもらうかたをとらされた」のです、それもせいかつなかかんしゃふかめてくのです。
 そのしゅぎょうというのも、なんぎょうぎょうとかそんなかんじではなく、せいかつぎょうなかで、かんしゃふかめるていで、かみさまのあいかんじさせてもらうというかただったのです。だから「かみさま」というのは、ほんとうぢかにどこにでもいらっしゃるので、それを「どういうふうにかんるか」だけのもんだいです。げんじっせいかつはなれて、どこかへかみさまをもとめてくのも、まあそれもわるいことはないでしょうけど。げんじつなかに、ぢかかみさまがいらっしゃるのに、わざわざそとひつようはないのです。
 わたしちいさいときによくじんじゃまいりにったことがります。そうすると、しゅれいさまがうのです、「おまえまもっているのは、しゅれいであるわたしだ」と、「じんじゃかみさまにたのみにってもだ」と、はははは。ほんとうですね、ほんとうぶんしゅれいさま・しゅじんさまがせんぞくまもりにまもってくれているのです。それなのにわざわざそれをわすれてじんじゃにおまいりして、じんじゃかみさまにいろいろがんけしたり、いろいろおねがいしたりしても、ほんまつてんとうなのです。それもひとつのわたしかんがかたとして、それがふかについてしまいました。
 やっぱりぢかなところから、かみさまのまもり・たすけをしっかりけてほうだいなのです。わざわざとおところさがもとめないでも、ぢかなかひつようものをすべてあたえられて、そうして「まもりにまもられているんだ」というのが。そういういろんなたいけんからわたしなかろしてしまったようなかんじです。だからもうとくべつなにらないとおもいます。いろんなほうほうがあっても、「それでなかったらすくわれない」ということはぜったいないとおもいます。
 こんぽんは、みんなかみさまといったいすくわれているぶんがあるのです、それがぜんあらわれてくるのをじゃさえしなければいいのです。ひらなおりでぜんになればいい、なにもしないのがいいのかもれない、きょくたんったらそうです。りきしゅぎょうしようとしないほうがいいようです。
 りきはたらきをぜんぶてきって、みんなかみさまにおまかせして、「すべてかみさまにさせていただいている」というちだったら、もうかんしゃひとすじでやっていけます。そのほういちばんほんとうたすけをけやすいとおもいます。
 ただ、わたしあゆませてもらったのは、それはみんなにさんこうにはなっても、ピッタリはいません、みんなひとひとちがうのです。ひとひとてきかくかみさまはまもいているはずなのです、みんなあゆかたちがうからいいはずなのです、ちょっとはているところがあってもいいけど、そっくりにはぜったいにならない。
 でも、ほんとうたすけは、やっぱりぶんなかから、ほんものかみさまからあたえてもらうばっかしだとおもいます。そとからえだてきにいろいろたすけてもらっても、そんなのはこんぽんたすけにはなっていません、そのときそのときの、ちょっとしたたすけではあるけど。やっぱりこんぽんたすけは、ぶんなかからほんとうかみさまがはたらいててくれるときです。それはやっぱりかんしゃしているなかから、そういうたすけがあたつづけてもらえるのです。やっぱりにちじょうせいかつなかで、かんしゃふかめていくのがいちばんいいとおもいます。



     ぜんたくかんしゃなかほんとうさいこうゆうがある

-ありがとうございます-
 ぶんじんせいは、ゆうせんたくしてえらんでいるのですけど、「ぜんたく」というと「ゆう」というのはどうなるのですか、あるのですか?

ありがとうございます:
 「かみさまのこころ」いうのが、さいこうゆうかたをとっています。ほんとうさいこうゆうれようとおもったら、かみさまのこころいっしないといけない。かみさまこそがゆうざいなのです、ひとあいは、やっぱりそこまでいきません、どれだけゆうきているとっても、かみさまのゆうからると、ほんのちょっとゆうなぐらいです。だから、できるだけかみさまのゆうわせていく、ちかづいていくというのがいちばんゆうにするほうほうです。「ぜんたく」というのがほんとうゆうかくとくするいちばんみちなのです、だから、じゅんはしていません。ぜんたくなかほんとうゆうがあり、かんしゃなかほんとうさいこうゆうがあるのです。

 「ゆう」というのは、かっうごいてゆうなのではありません、ぶつかりったらゆううばわれます。だから、おたがいにぶつかりわずにすりけないといけない、うなぎみたいに、どんなとこでもヌルヌルとすりけるぐらいのゆうさがひつようです。どんなしょうがいぶつがあってもスッとけてけるように、そうすれば、ぜんゆうになります。それにはやっぱりひつようです、かみさまのが。
 ぜんたいいてどういうしょうがいがあるかはっきりわかって、すりけるいてこないといけない。そうするとぶつかりわずに、ぶんゆうざいうごけます。そういうで、かみさまのけるための「ぜんたく」でもあるのです。そうしたときほんとうゆうざいがそこにまれます、しょうがいおおきいほどかみさまのひつようになるのです。
 なにもないところでゆううごいてもちがありません、おおきいしょうがいなかゆうざいうごけたら、ほんものゆうざいせいがあるとえます。だから、このまれてきても、こののいろんなしばり・しょうがいがあって、ほんとうゆうはっしたときほんものです。ほんとうは、それをたのしむのです。


    かみさまからひつようしあわせをつづける

-ありがとうございます-
 「よく」というのは、それをめるというか、めるためしゅぎょうてるとわれるひともあるのですが、それもたのしむためにこのに・・

ありがとうございます:
 「よく」とってしまうとことしばりにあいます、それを、「すべてかみさまからあたえられたひつようなもの」というと、もうマイナスではなくなります。しあわせにひつようなものだったら、いくらあたえてもらっても、けてもいいのです、それはことちがいです。「かみさまからのプレゼント」というかたちけてたらマイナスはいっさいありません、かみさまはひつようものてきかくあたつづけています。
 「よく」のほうは「ひつようなものをあたつづけてもらっている」というかくしんてません、だから、いまそくしている、そくしている」というかたちもとめるのです。でも、かみさまのほうはもう「てきかくあたつづけてくれている」とったらもうぜったいしんぱいないはずです。ものひとつでも「ひつようものをずうっとえいえんあたつづけてもらえるんだ」というんだったら「あれしい、これしい、あれべたい、これべたい」とわないでも、まえあたえてもらうものをつづけたらいいだけなのです、ほんとうはそうなのです。
 だから、かんしゃつづけたら、かみさまからあたえてもらうひつようなものはぜんてきかくあたつづけてもらっているのがよくわかってくるから、よくひつようがなくなります。「ありがとうございます」だけでずうっとけるのです。そしたらべつに、「よく」とか「よく」ということ使つかわなくても、そういうことはひつようなくなるから、とらわれなくなってくるのです。
 だから、そのよくたたかってってもがないのです。しょくってだんじきして、それでなにがあるのかと、なにもないのです。ほねかわすじもんになって、ガリガリでひんそう姿すがたをとっても、どこにもしあわせひとつられません。だから、よくたたかってもマイナスなのです。それよりも「かみさまからひつようしあわせをつづける」というのがだいです。やっぱりかみさまをあいに、しっかりとかみさまからのプレゼントをつづけなければなりません。
 さとりをひらくのでも、おしゃさまが「ぎょうさとりのいんにあらず」と、ぎょうしてもさとれない、とおっしゃっています。ぎょうしてもさとりはられません、ぎゃくぎょうてて、かみさまからのプレゼントをしっかりけたらさとりがひらけるのです。だから、プラスをいっぱいけるのがだいなのです。


       さとりもことどおりに

-ありがとうございます-
 そうしましたら、「さとり」というのは、だんかいがありましてですね、またそれがいっしゅんいっしゅんふかまってくというものなのでしょうか。それとも「さとり」というのは、いっかいぶんほんらいさとっているんだ」ということをさとると、それでいいものなんでしょうか、そのへんのところをわかりやすくおしえてください。

ありがとうございます:
 それもいろいろです、はははは。ひとつのいっていのものはありません。さとりもげんだんかいがあるとえばあるのです、ことどおりです。また「さとりは、ほんとうはひとつしかない」とえば、またことどおりにひとつになってしまいます。
 ことゆうざい使つかぶんほうがいいのです。さとりにはげんだんかいがあって、じゅんばんたのしみながらのぼってくんだとえば、それもたのしいのです。
 でも、みんなさいしょからかみさまといったいさとっているんだからというそのたちからしゅっぱつして、それだけをつづけるのも、またいいことなのです。ほかにもいろんなかんがかたが、たくさんあるとおもいます。それはもうことどおりに、すべてひつようなものをあたつづけてもらえるのですから、ゆうざいこと使つかいこなせばいいのです。

 だから、さとりにもげんだんかいがあるってえばそうだし、さとりにもげんしゅるいがあるとえばそうなのです。いろんなしゅるいがあってもいい、「これがさとりだ」というのがげんにあってもいいのです。それぐらいかみさまはちゃんとようしておぜんてしてくれているはずです。だから、かみさまのあたえようというプレゼントは、もうげんげんおおきい、それをじょうけてたのしむかという、それだけがだいだとおもいます。

-ありがとうございます-
 そしたら、今日きょうまでよくこころってたものってありますね、いえであったり、くるまであったり、そういうものはどうしたらいいのですか?

ありがとうございます:
 れんぞくだとないで、「いまあたえられたかみさまのプレゼント」というふうになおせば、しゅんかんわります、おなじものがかみさまからのプレゼントにわってしまいます。
 それもいっしゅんいっしゅんかみさまのあらわれというふうにけて、「かみさまのあいへんしん姿すがた」というふうにけていると、かみさまそのものにえてきます。たんなるものではないかみさまのひかかがやいた、かみさまのあいかたまりみたいにえてきたら、いつもかみさまのなかぶんかれているというかんかくです。
 だから、ぜんぶだいなもものえてきます。でも、やっぱり「かみさまのあい姿すがた」というふうに、ことかくにんしてくのがいいのです。そうするとそのとおりにかんじられてきます。ことしゅんかんわってしまうのです。

-ありがとうございます-
 じゃあ、もうひとついいですか。ぜんに、さとりをひらひとというのは、おしゃさまだとか、れきだいでもなんにんもいらっしゃるわけですけども。たとえばこのだいはいってじゅういっせいというかたでもいいとおもうのですけども、ほんらいさとっているということにづくひといますか、ようするにまたさとるということなのですけども、そういうひとぜんよりもたくさんえるということを、あるひとからいたことがあるのですけども、そのへんはどういうふうにかんがえたらいいんでしょう?

ありがとうございます:
 「える」とったらえてきます、「ぜんぶがさとる」とったら、「ぜんぶがさとる」のです。だからやっぱりことどおりにぜんぶげんじつしてくるので、「すでにみんなさとっているんだ」というふうに、「みんなさとっている」ということ使つかってくと、ぶんまわりがぜんぶさとった姿すがたをとってきます。どんなこと使つかってもそのとおりになるはずです。

-ありがとうございます-
 ということは、いままででは「さとる」ということは、ひゃくまんにんひとぐらいのかくりつしかないぐらいにおもってたのですけど、そういうことがぎゃくしばりに?

ありがとうございます:
 むずかしくしてしまったのです、「しゅぎょうしなければさとれない」とか、そういうことしばりでさとれなかったのです。だから「なにもしなくても、なにをしてもさとれる」とえば、ぜんにみんなさとった姿すがたあらわすのです。だから、だいなのはもう「すでさとっている」と、「かみさまといったいなんだ」というそういうこと使つかつづけたらかならずなります、そのとおりに。やっぱりことどおりに、おもどおりにぜんなるのです。
 ただ、しつこく使つかつづけないといけない、ほかこと使つかわずに、そういうぶんねがこと使つかえばいいのです。つう、ひとつのことをねがいながら、そのねがこと使つかってなません、使つかつづけていないことがおおいのです。ぎゃくにそのはんたいことを、かいすうおお使つかぎるぐらい使つかっています。だから、ねがっていることとはべつのことがじつげんするのです。そういうギャップてきなものをかんじるのです。
 ひとつのことてっていして使つかつづけたら、それでけっがすっとてくるのがよくわかります。そのいちばんいいのが「ありがとうございます」のこと使つかつづけたら、おおきいしあわせをかんるのです。

-ありがとうございます-
 使つかつづける、ということにがあるのですか?

ありがとうございます:
 「ことどおりになる」のであれば、いいこと使つかつづけたほうがいいのです。いいことをじつげんつづけられるというで。ぎゃくのマイナスのことあいだまじえたら、マイナスもじつげんしてくるので、こまります。だからいつも、いっしゅんいっしゅん、いいこと使つかつづけるという、いっしゅんいっしゅんさいこうのものをつづけるためにひつようなのです。だから「ことる」というふうにかんがえたほうがいいのです。使つかわなかったらなにれません。

-ありがとうございます-
 いっしゅんいっしゅんれんぞくだからですか。

ありがとうございます:
 そうです、はい。いま使つかったこといまあらたになおして、つぎなにとなえなかったらなにけられません。

-ありがとうございます-
 そのひとことでいけるとしたら、せんたくがなくなってしまうかいになってしまうのですか?

ありがとうございます:
 いっかいで、もうそれがずうっとつづくのだったら、あとのゆうがないのです。かみさまはいっしゅんいっしゅんあたらしいものをあたえようとつくつづけています、そしたらおなじものをずうっとつづけても、あたらしいのをそこないます。そういうでやっぱりいっしゅんいっしゅんひとゆうはっしないといけません。

-ありがとうございます-
 いまのことのかくにんみたいなはなししなのですけども、じんせいおもどおりにはならない、おもどおりにならないのがじんせいだといういっぽうで。ぎゃくに、ことでそれをつづければそのことどおりになるということ。
 そうすると「おもい」というものと「こと」というものと、あきらかにちがうということなのですけども、そのへんのところをすこし。

ありがとうございます:
 おなじことなのです、「ことどおり、おもどおりになる」という、これはもうだいげんそくです。ところが「おもどおりにならない」というひとがいたとしたら、そのひとは「おもどおりにならない」とおもっているのです、「おもどおりにならない」とっています。だから「ことどおりに、おもどおりにならない」というじょうたいまれるのです。そういうこともおもどおりになっているのです。全部(ぜんぶ)ことどおりにおもどおりになっているのです、かならずなっています。「おもどおりにならない」というふうになっているのです。

-ありがとうございます-
 そこでことめてしまうから、さいしょおもったことがならないだけなのですか?

ありがとうございます:
 いやいや、それはぜんなっているのですが。

-ありがとうございます-
 ああ、そうかそうか、いっしゅんいっしゅん

ありがとうございます:
 めてもめたとおりになってるし、おもつづけたらおもつづけたとおりになっているのです。




      そだ

-ありがとうございます-
 どもそだてるのは、せんせいわれたのは「しゅれいさまやしゅじんさまがそだてる」とわれたのですけど、そしたらにくたいおやができることというのはどういうことがあるのですか?

ありがとうございます:
 そのおつだいです、しゅれいさま・しゅじんさまのあしになってうごけたらいちばんそうです。ひつようときあしになってうごけたらいいのです。そのどもそだてるのにほんとうひつようなことは、もうごくわずかなのです。あかぼうでもそうです、おちちませるのもわずかなかんです。ほかかんぶんゆう使つかわないといけない、だから「ほんとうひつようときだけ」おつだいをするのです。

-ありがとうございます-
 その「ほんとうひつようとき」いうのが、わからないというか。どういうときでしょうか?

ありがとうございます:
 それが「ありがとうございます」をとなえていると、ひつようときだけ、ひつようなだけあしとして使つかってくれます。かんしゃしていないと、おやしんぱいしたり、いろんなおもいをしたりして、けいなことをしぎて、じゃばっかりするのです。「どもがいるから、ぶんなにもできない」と、なにもしなかったり、どものせいにしてしまうでしょう。

 そうすると、ほんとうだったらおやゆうなんでも、いろんないこといっぱいして、のうりょくはっしてなかつくしてとくをいっぱいんでおかないといけないのに、どものせいにしてなにもしなかったら、ぎゃくどもにそのおおきいたんをかぶせてしまいます。どもにとったら、おおきいマイナスをわされたのとおなじになっていきます。だから、しょうしょういてグズっても、それも「うんどうだ」とおもってっとけばいい、「ふっきんきたえているんだ、ないぞうつよくしているんだ」と、ときかしたほうがいいのです。
 ほんとうびょうをしたり、をしたりして、どこかがいためば、それをなおすようにいろいろだすけをしなければならないときもあります。でもつういているときまで、いちいちそんなにかまいにったらいけません。
 やっぱり「なにひつようか」というのをというのはひつようです。それで、にしぎてもです、ひつようなだけをてきかくあたえるのがかみさまのさいこうそだかたなのです。

 だから、なにものあたえるのでもおなじです。なにかおもちゃでもあたえたら「どもよろこぶから」とおもうのだけど、ほんとうひつようかどうかかんがえたら、ひつようでないけいなものをあたえているあいもあります。どもがちょっとよろこぶからとかってあたえたらいけないのです。ほんとうひつようなものをかないと。
 なものをあたえたら、どもとくさきおやかっしたことになります。ちょきんしてさきづかいさせたことになります、しょうらいほんとうひつようなときに、それがはいらなくなるのうせいもあります。だから、もうできるだけづかいさせないように、ひつようなだけをあたつづけるというのがいちばんそうなのです。それが「ありがとうございます」をとなえていると、しゅれいさまがひつようなことをてきかくにさせてくださいます。だから「ありがとうございます」ととなえているのがいちばんいい、あとはもうぜんまかせて、ひつようときすっとうごけるのがいいのです。

 どもをいつも「あぶないから」とかんしていても、いつけんがすっとせまるかわかりません。しんぱいしたらけいしんぱいするごとこります。でもかんしゃしているひとは、あぶないときにすっとそのって、すっとだすけをしてたすけるのです。だんなんにもかんがえていないのですが、ひつようときにはすっとかんがえずにそのっています。そういういきかたのほうゆうでいいのです、ぜんなのです。

-ありがとうございます-
 しゅれいとかしゅじんというのは、いちおうえる、というかエネルギーたいとしてぶんそんざいしているとおもうのですけど、とうぜんこえけるとか、そういうことはくちがないのですからいとおもうのですけど。そのにんげんほんしんいますか、こころふかいところにしきかたりかけるというか、はたらきかけるというか、こちらをきよめていくとはいりやすくなるというか、そのへんのいきさつといいますか、すこし・・

ありがとうございます:
 ほんとうぶんかみさまといったいぶんからたら、ぜんぶぶんなかにあります、「しゅれいさまも・しゅじんさまも」ちいさくぶんなかおさまっています。それでそのにくたいぶんしゅれいさま・しゅじんさまのかんけいをどういうふうにするかですが、そのつなぎかたも、もうゆうざいなのです、どんなほうほうでもとれるのです。
 ばんぐみてきたら、しゅれいさまはかなりうえのいいばんぐみをいつもています、それでいてばんぐみからしてゆうざいほかばんぐみちょうわせて、はたらきかけができるのです。このというばんぐみちょうわせて、このひとはたらきかけるあいは、いろんなはたらきかけがあります。ちょくせつそのひとこころなかから、ぶんなかはいんですっといものをあたえてきたり、でもちからでもあたえたりできます。またそとからだれかを使つかってアドバイスやヒントをあたえるときもあります、それはもうゆうざいにするのです。ばんぐみそとしてゆうちょうわせられるしゅれいさま・しゅじんさまにとったら、なんでもそういうのはあさめしまえです。
 だからひつようたすけはどこからでもくるのです。やっぱりなかからもそとからも、もうどこからでもあたえてもらえるというのがほんとうです。でもそれが、ほんとうぶんなかにぜんぶあるというのをはっきりさせていくほうがいいのです。だん、あまり「にくたいぶん」だとつかぎています、ちいさくつかぎるのです。「ほんとうぶんかみさまといったいなのだから、ぜんぶぶんなかにある」というたちからもういっかいおおきくなおすと、ちいさいたちからるのもそれもひつようときもあるのですけど、もうちょっとおおきいたちからるのも大事(だいじ)です、りょうほうゆうざいにするほうじんせいたのしくなってきます。



   かみさまへのほうこころかみさまにけばいい

-ありがとうございます-
 そうしますといまみなさんがぎょうたりですね、かえってきてからまたつなきをしたりですね、じょうからだこく使しながら、こく使というかたくないかもれませんけども、いっぱいはたらいてですね、そうすればとうぜんあたまもわりとからっぽになりますし、じょうにいいかんじがするのですけども、このへんのところをやっていらっしゃるみたいなことを?

ありがとうございます:
 みんなかみさまへのほうなにのためにしてるかというと、にマイナスのこと使つかったり、マイナスのことをおもったりして、こころにそれをんでいるあいおおいのです。それをはやしてもらうかがだいなのです。そのためにはかみさまにそれをぜんぶあずけていかないといけない、ぶんっていてもえません。「かみさまにわたしてく・あずけてく」というのが、してもらういちばんのポイントになります。
 そのあずかたわたかたがいろんなほうほうがあっても、やっぱり「かみさまのために」というほうとおすとたくさんあずけられます。そのでどんどんそういうほうかつどういっしょけんめいにしているうちに、たくさんのマイナス、らないものをしてもらえるのです、そうするとかんしゃなかからあたらしいものをはやれるようになります。
 それもまあ、ひとひとぜんゆうです、いろんなかたをとっていいとおもいますが、ぜんりょくしきるほうたくさんあたえられます。「ちょっとだけ」というと、ちょっとだけしかけてもらえないかもれません、だから「ぶんぜんりょくかみさまのためにささつくして、ぜんぶをってもらうためにしているんだ」というほうがいいのです。ほんとういっかいでぜんぶけとってもらえたらいちばんらくなのですが。
 それでもなかなかわたしきれません、やっぱり、ぶんのものをつかんでしまっているからです。「これだけはまだぶんのものとしてのこしてこう」というところがあるのです、こころおくのどこかに。それもじょうわたつづけられるかです。
 ただ「かみさまのために」とわたときでも「もうらないから、ゴミだからどうぞして」とってもってくれません。にんげんどうでもそうです。ひとからぶんらないものをてるものをもらってっても「そんなものひつようないかららん」とうでしょう。
 でもそのひとごころめて、ぶんいちばんだいなものを「もらってしい」ときたら、そのちがうれしいからります。ぶんが「そんなつまらんもの」とおもっていても、すっとって「ありがとう」とってくれます。
 それとおなじです、かみさまもごころいるのです。「かみさまのために」というちがやっぱりかみさまにとったらうれしい、それで「どんなおおきいマイナスでもけてしてあげよう」と、また「いいものをえてあげよう」としてくれるのです。
 おしゃさまのはなしで、「しゃばんとうよりひんじゃいっとう」ということまれているように、おおがねもちはいくらまんとうろうをしんしても、あんまりがないらしいのです。まずしいひといっしょけんめいはたらいて、ひとつのとうろうしんしたとすると、そのともしえずにずうっとつづくんだというかんじのはなしで「しゃばんとうよりひんじゃいっとう」ということまれているのです。やっぱりごころがこもっています、そのごころけてもらえます。
 おかねちにとったら、まんとうろうをしんしてもぶんのすべてではありません、ほんのいちかもれない、だからごころがこもりません。ぶんいのちふくめてぜんぶをささつくすぐらいのちが、いちばんかみさまにとったらごころがこもっているとおもうのです。そうすると「そのひとのすべてを、マイナスぜんぶでもけてしてあげたい」とおもえるのです。

-ありがとうございます-
 ここへほうかつどうをするというのが、いちばんそのマイナスをしてもらえるのですか?

ありがとうございます:
 いや、べつにここにかぎらなくてもいいのです。為人ためひとためになることを、それぞれので「かみさまのために」というちでさせてもらっていたら、それがおおきいいろいろなマイナスをけてしてもらうほうほうなのです。ここはひとつのれんしゅうだいみたいなしょではあっても、それがさいりょうかというとそうでもないのです。やっぱりひとひとかれたで「かみさまのおやくちたい」というちでぜんりょくつくして、為人ためひとためになることをすることがいちばんいいのです。まあ、そのれんしゅういっかんとして、ここでいっしょあそんでくれるのがいい、まあ、ひとつのれんしゅうみたいなものです。でもかたちほうはもうゆうざいです、なにをさせてもらってもいいのです、ただこころきだけが、かみさまにけばいいのです。


    かみさまをわすれるとりのかんけい

-ありがとうございます-
 りについて、よくせんせいわれるのですけど、たとえば、からだゆうかたまちなかたすけたとしたら、それは、こちらがして、こうはりをつくった、ということになるのですか。それともおたがいにかんしゃしながら、たすけたほうも「ありがとうございます」とえば、それはりではなくなるのですか。それはどんなあいでもおかねでも?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」とかみさまをとおせばみんなちょきんになってきます。「した」というよりも、しょうあたえてもぶんいんとくちょきんえます、だからあいしをあたえるんじゃなしに、ただしょうあたつくしていいのです。

-ありがとうございます-
 あたえられたほうりをつくった?

ありがとうございます:
 いや「ありがとうございます」があればかみさまからのしょうのプレゼントをけたことになり、ひかりだけをけたことになります、だからひとからりたのではないのです。そういうときは「ありがとうございます」をとおせばいいのです。
 りはあまりいいことではありません、しばいになります。だから「ありがとうございます」をとなえてかみさまをとおさなかったら、ひとひととのりは、やっぱりしばりとしてのこります。「そのひとにはしてあるから、こんかえしてもらわなければ」となってきます。かならずそういう、まあ、ちょくせつでなくてもかんせつてきにでもかえしてもらうような姿すがたをとらないといけないようになってきます。でも、りのほうがいい、かみさまからのプレゼントをいつもタダでもらうほうがいいのです。

-ありがとうございます-
 おおきなしあわせとか、ぶんで「うれしいな」とおもうことがあったとして、それがおおきければおおきいほど、マイナスがえるということはないのですか。なにだいしょうもとめるからいけないとか?

ありがとうございます:
 かみさまからなおしたら、かみさまからのしょうのプレゼントというのは、ければけるほどプラスがえるのです。でも、かみさまからけるのでなかったら、もし、ぶんこころなかに「いんとく」というちょきんがあれば、そのちょきんしておおきいしあわせをげんじつしてきます。もしちょきんがなかったら、しゃっきんをしてするのです、そうするとマイナスがえます。だから、いつも「ぶんいましあわせが、いつもかみさまからあたえられている」とかんしゃしてけるのがいちばんいいのです、そしたらマイナスはいっさいありません。かみさまをわすれると、ぜいたくすればするほどマイナスをのうせいもあるります、ちょきんもなくなっていきます。



     それはほんとうぶんしあわせか?

-ありがとうございます-
 ちょっとよくわからないのですけど、わたしまわりにさいきんびょうになったかたなんにんかいらして、かんせつてきあいいだったりするのですけど、わたしともだちもそのことによってしんぱいしたりしますよね。でもしんぱいというのはあまりいいことではないから、しんぱいしなくていいってってたのですけど、なにかそのひとげんになるようなことをわたしにできるとしたら、「ありがとうございます」ってっていればいいんでしょうか?

ありがとうございます:
 びょうのあるばんぐみぶんほんとうていたいのか、けんこうばんぐみていたいのかというのをぶんめるのです。
 やっぱりびょう姿すがたて「わいそうに」とおもういきかたもわるいことじゃないかもれませんが、ぶんほんとうにそれをねがっているのかどうかです。けんこうしあわせな姿すがたひとばかりをたいのだったら、ばんぐみえるだけでいいのです。びょう姿すがたことにせずに、「みんなけんこうしあわせなんだ」というふうにプラスのこと使つかっていると、ばんぐみけんこうひとばんぐみわるから、びょうひとなくてむようになります。
 でも、びょうばんぐみなかにはまりんでそのなかでいくらあがいても、いろいろはたらきかけてびょうなおった姿すがたても、あまりたいしたことはありません、しんどいをするだけです。
 それもそのひとことどおり・ねがどおりにびょうひとなおしてまんぞくしたり、びょうをおいのりでなおしてあげたからとってぶんまんぞくしたり、そういうのはいちおう番組(ばんぐみ)としては)はあります。でも、それはほんとうぶんしあわせか、ねがいかとかんがえたら、それもどんどんへんするかもれません。
 それよりもさいしょから「げんけんこうひとばっかりていたい」という「そのほうしあわせなんだ」というんだったら、「みんなげんけんこうなんだ」ということで、そういうばんぐみちょうわせていけばいいのです。



      たいけんだん

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」のじっせんへんでたまたまここへもきているひとなのですけれど、さくじつはなししをしていたのですけど。いちにちまんかいぐらいとなえているのですって、そしたらずいぶんじょうきょうわってきて、それのいちばんたいてきなことのあらわれが、いままでこえけたこともないようないもうとさんから「いちせんまんだいいえってあげるからさがしなさい」というようなはなししがあったと、いもうとさんはなんかしゃちょうをしてるらしいですけど「それも、それのあれだよね」とかれっているのですけど。ようは「ありがとうございます」というと、たとえば、あるときしんきょういっぺんして、なかのすべてがキラキラとかがやいているとか、ひといとしくていとしくてしょうがないとか、そういうけいけんもあるとおもうのですけれど、じょじょわってくということなのか、げきてきわるということなのか、そのへんけいけんだんをちょっと・・

ありがとうございます:
 ひとひとぜんぶちがいます。ひとひとにとってげきてきにパッとわるときも、おおきくわるときもあり、じょじょわるときもあるし、それはもう、もうゆうざいへんします。だから、ぜんそれでいいのです。
 はくいんぜんでも「たいななかい」というのですが「しょうかずれず」ともいうのです。それとおなじです、おおきいへんげきどうてきへんだいにあたります、まあそれはかぞえるほどしかありません。
 しょうは、ちいさいづき・さとりというのはげんにあり、そういうのはじょじょへんした姿すがたをとっています。だからひとひとぜんぶそういうおおきくわったり、じょじょわったり、いろんな姿すがたせてもらいながら、づきがどんどんえてっています。かみさまとのいったいかんがどんどんふかまってっているのです。               


ありがとうございます
このページの先頭へ戻る
真祈り文庫へ