真祈り文庫
2001年8月4日
No.2
神さまへの奉仕
*全託のお祈りがあればすべてが奉仕です*
-ありがとうございます-
この前、お祈りのこと、言葉のこと、いろいろありましたが。奉仕の話しなのですけど、神さまの奉仕というのは、具体的にどういうふうに考えればいいのですか?
ありがとうございます:
神さまの放送番組として、無限の無限のチャンネルがあって、その高い番組と低い番組の違いというのはどこにあるかというと、低い番組の方は「求める心」で生きている番組なのです。高い番組の方は「与える心」で生きている番組です。 地獄は、周りの人に、相手に対して求めるばっかしの生き方なのです。「あれして欲しい、これして欲しい」と、求める心だけで奪う心になります、極端に言うと。
極楽は「与え尽すだけ」です。『相手から一切報いを求めずに、与え尽すだけの生き方』をとっています。それも、特定の人だけでは無しに、全体に対して与え尽す生き方をとります。
何のために神さまへの奉仕をするのかというと、「神さまのプレゼントを、最大限に受けやすい自分になるためです。神さまの最高表現を、受け直せる自分になるために、奉仕をさせてもらうのです。
奉仕というのは「与え尽す心」をしっかり生きるだけです、身近な生活の中で与え尽す生き方だけを練習すればいいのです。そうすると番組がどんどん上がっていって、最高番組に波長が合う生き方に変わってきます。
「奉仕とか神さまへの恩返しのための働き」というのは、報いを求めません、だから与え尽す練習がしやすいのです。それが、人に対すると、人にいいことをしてあげるとお返しを求めます、交換条件が出てきます、「これだけ尽したのに、これだけは返して欲しい」というような感じになるのです。
実際に働いている人にそういう人は多いのです、「これだけ働いたから、これだけのお給料が欲しい」と言います、そうすると、そういう生き方をとるのです。だから、与えるだけの生き方じゃない、「与えたから返して欲しい」という生き方です。このように、与えても返してもらう生き方では、番組は上にはのぼらない、中間点ぐらい、ゼロに近い。求める心ばっかしではないから、まあマイナスというわけではないのですが、でも「与えても返してもらいたい」というのはゼロに近いのです、プラスとマイナスを両方持っています。
でも、「神さまの御心のままに」という生き方になるためには「与え尽すだけ」がいいのです、「報いを求めず尽すだけ」というのがいい。日常生活の中で、そういう与え尽すだけの生き方を徹底して練習できたら、本当の意味の神さまへの奉仕にどんどん近づいて、神さまからのプレゼントを受けやすくなるのです。神さまにお返しすることなんて、本当は何もできないのですけど、無限の無限のプラスをいただくばかりというのが本当なのです。
空気も同じで、空気を吸うだけでは、あと吸えなくなります、吸った分は一回吐き出さないと新しく息が吸えないというのが原理なのです。だから、神さまからのプレゼントを沢山受けるためには、自分を空っぽにするために「与え尽す」、それもマイナスのついたものは、どうしても吐き出すわけでしょう。空気でも、酸素だけを吸い込んで炭酸ガスを吐き出します、炭酸ガスはマイナスがあるという見方ができると思います。
だから一回受けたものも、自分の中に納まると、マイナスに変化しています。本当の最初の清らかなプラスだけではなくなって、汚れてきます。そのマイナスを引き受けてくれるのは、やっぱり神さましかない、古いものを引き受けて消して、新しいものと置き換えてくれる、というのは神さましかできないのです。
だから、人を相手にしていると、自分の出したマイナスを消してくれるところまでいかない、逆に、自分のマイナスを相手に背負わせてしまう可能性があります。相手を幸せにするというよりも、不幸にしてしまう場合もあるのです。そういう、ちょっとした間違いも積み重なると大きい間違いになってくるから、やはり神さまを通さないといけない。同じ与えるのでも神さまを通して与えるという方がだいじです。
だから、人のためにするのでも、神さまに一旦自分のすべてを預けて、それから神さまから自分を通して人に対して与えてもらうという生き方が、清らかに変えてもらう生き方なのです。
神さまがする時は絶対に相手に何も求めません、与え尽すだけです。必要なものを的確に与え尽すだけの行き方を神さまはとります、そのお手伝いをさせてもらうのです。だから自分が勝手にするのは余りいいことではない、自分が勝手にするのは神さまへの奉仕と言っても、一人よがりのところがあります。
だから一旦自分のすべてを神さまに預けておいて、神さまに自分を使ってもらうというかたちで神さまにさせてもらう働きが、本当の意味の神さまへの奉仕になるのです。それが世のため人のためにも大きい働き、プラスを与える働きに変化するのです。
だから、何をしたら、何をしなければではないのです、どんなことでもいい、どんな小さなことでもできる、なんでもいいのです。そういう気持ちですれば、ぜんぶ神さまへの奉仕になります、「ありがとうございます」と唱えることが、本当は大きい奉仕になります。それを根本に置いたら、何をしていても奉仕です。
-ありがとうございます-
難しい話しも沢山あったのですけど、基本的には「ありがとうございます」でしょうか?
ありがとうございます:
簡単に言えば、「ありがとうございます」だけでいいのです、その中からすべて自然に自然に、生まれてくるのです。
自分の借金ではない借金
-ありがとうございます-
借金があって、自分がつくった借金でなくても、自分が一応返さなければならない立場におかれている場合は、一旦自分を神さまに預けて、という場合は「神さま宜しくお願いします」という感じで、働いては返し、働いては返して行ったらいいんでしょうか?
ありがとうございます:
どんな借金も本当は、先ず自分に責任があるのです。この世的な原因だけじゃない、過去世もある、過去世に借りた分が自分に巡ってきたら、理由なく自分が借金を背負わされるのです。でも、そういう借金は沢山あります、みんなそれぞれに無限に持っていると思った方がいいかも知れない。
先ず、借金は利息が付くから、知らない間に利息が膨らみます。それで借金というのは、大きく膨らんで無限に近いようになってしまう。その借金を、この世だけの借金じゃなしに、大きい意味の借金を消してもらうのは、やっぱり神さまの力を借りないといけないのです。そしたら、この世の借金は消えます。
先ず根本の借金を返すのが大事です。この世だけの小さい借金を返しても、大きい借金を残していたらどんどん膨らんできます。そうしたら、またいろんな運命としてマイナスの運命を辿るような姿で、借金がいつの間にかまた出てきます、次から次へと。ひとつ返したらまた次のが出てくる、それじゃあキリがない。だから、根本の借金を神さまの助けを受けて返してもらえばいいのです。
それは「神さまありがとうございます」で、神さまが自分を通して働いてくださればいいのです。そうしたら大きいプラスの働きをしてくださったら、大きい貯金をして行けます。
また、神さまに自分のマイナスをどんどん与え尽して預けてしまえばいいのです。「私の命を神さまに預けますからどうぞお使いください」と、マイナスと一緒に預けるのです。すると神さまの方は、使いやすくするためにマイナスを早く消さないといけない、だからどんどん早く消してくださる、というところがあります。そうしたらいつの間にか、借金のない自分に変えて、使いやすくして返してくれます。
そして後に、神さまの大きい働きが加われば、無限の無限のプラスが振り撒かれていきます。そしたら、もう借金とか貯金とかいうのじゃなしに、いつも無限の無限の神さまからの最高の貯金をいつもいただき直せる、という形になるのです。必要なものはいつも的確に与え続けてもらえる、宇宙銀行総裁がいつも背後にバックにつきます。それが一番いいのですが、それもやっぱり「ありがとうございます」がすべてです。
正しく素直に感謝で受ける
-ありがとうございます-
神さまは条件を付けて助けるのではなくて、助けるチャンスを、受け入れるチャンスを待っている。我が強ければ、それを受け入れられない。我が強いということは、神さまを受け入れる準備をしてないということだと思うのですけど。
我が強いって、いろんなことがあると思うのです。例えば、御利益みたいなものを、神さまにすがるのはどうも嫌だなと思ったりすることがなんかあるのですけど。それもある意味では「我が強い」ってことなのか、というように捉えてしまうこともあるのですけど。素直に頼めばいいじゃないかと、その思い方ひとつで、自分の中では「我なのか、我でないのか」よくわからないのですが。一般的にどういうことを基準に考えたらいいのでしょうか?
ありがとうございます:
人間が自分で「こうしたい、ああしたい」と思うことも「立派になりたい」というのでも「これが必要だ」というのでも、神さまの本当の心とズレている場合が多いのです。神さまの方は最高表現を与えて幸せを早く味合わせたい。そのために的確に護り続けて、そういう状態に早く持っていきたいのです。だから、神さまが何を必要としているかというのと、人が何かを必要としているものとは大分ズレる場合があります。
人の場合は自分勝手に「これが必要」というんだけど、神さまの方は「それよりも、もっとこれが必要」と言います。神さまの方が上なんです、全部見通して、本当に必要なことを的確に見抜いて、それを与え続けようとします。
だから、(人の)必要という必要性が「神さまの必要性」でないといけない、人が必要というのと、神さまが必要というのとは、ちょっとズレる時があります。その神さまの必要なものというのは、頼まんでも先に与え続けています、それが、病気であっても、貧乏であってもいいのです、それが神さまにとったら「必要」と認めて与えているのです。だから健康を与えていいんだったら、健康を先に与えている筈なのです、お金を与えていいのだったら、お金を先に与えているのです。ところが、健康やお金よりも、病気や貧乏を与えるとしたら、神さまがその方をより必要に見ているのです。
だから、神さまの方は絶対間違わない、必要なものを的確に与え続けようとしています、人が考える前にね。だからそれを正しく素直にスッと受ければいいのです、それが「ありがとうございます」と感謝に生きることなのです。感謝に生きたら、その神さまの与えてくる必要なものを、スッスッスッと受けて、一番最短コースで幸せの道を歩めるのです。
ところが自分勝手に「これが必要なんだ」と頑張るのです、「自分には借金があるからお金が必要なんだ、だから、お金儲けせんならん」とか言って、余計なことを考え過ぎるのです。
でも神さまの方は「そんなん放っておけ」と言います、「もっと本筋から根本から幸せになる道を歩んだ方が、早く幸せになれるから」と。お祈りさえしていたら、最高番組に波長が合ってきたて、過去のそういう低い番組をサッと消して新しい高い番組に合わせてしまえば「借金なんか最初から無いじゃないか」という感じで、スッといい番組に置き換えてくれます。
神さまの方は、どんなテクニックでも駆使できるし最高の方法をいくらでも持っています。ただ、神さまに謙虚に素直に従えば一番理想なのです。
-ありがとうございます-
今を否定しないで?
ありがとうございます:
だから「ありがとうございます」という気持ちで、すべてを「感謝で受けきっていく」というのが大事です。そしたら、どういう状態も、それが大きいプラスへプラスへ変化していきます、
お金でもなんでもそうです。神さまは、本当の正しい使い方がわかったら何でも与えてきます。もし、今一億円お金を与えてもらったら、本当に使い切れますか?貯金しておくのでは使っていない。本当に活かしきれなかったらまだ能力がないのです、使いきれません、正しく使えない。
本当に必要があって正しく使えるんだったら、神さまはいくらでも与えてくれます。お金だけじゃない、すべてがそうなのです。
お金
-ありがとうございます-
お金っていうのは、身につけていない方がいいものですか?
ありがとうございます:
それも、いろいろです。大きい目的を持って「これだけの額が必要」というので、プールして準備するのは別に悪いことではありません、大きい目的に向かっているのです。でも、ただ貯め込むだけでは、やっぱり役に立ちません、目的も無しに貯め込むだけではね。
また、それも「老後の病気になった時のために」とかいうマイナスの目的のために貯めたら、そのマイナスの目的のために使い果たしてしまいます。それでは、やっぱりつまらん使い方になります。
本当の正しい使い方というのは、自分も人もみんなを幸せにする大きい――
-ありがとうございます-
じゃあそんなに必要じゃないのに貯まっている状態というのは、どこかに分けるとか寄付するとか?
ありがとうございます:
正しい使い方をしていかないと、お金は死んでいます。やっぱり循環しないといけない。循環しないと、やっぱりマイナスになっていきます。循環が早いほど神さまの光がたくさん加わってきます。
空気もそうです、吸い込んで溜めといたら酸欠で苦しい、すべて原理がそうなっています。循環が早くなるほど、自分を通過するお金でも多いほど豊かなのです。貯めておいたらあまり循環しないから、それだけで終わりますが、それを百回循環されば百倍になります。
物も同じです、だから必要なとこへ必要なとこへ渡していけばいい。そうしたらまた自分が必要な時に必ず周りからスッと入ってくるのです。
本当の幸せはお祈りの中に
*与えて与えて与え尽して、そこに湧き上がる無限の幸せ*
-ありがとうございます-
先生が「最高の幸せ」ということを話されるのですけど。結構、今幸せだとは思うのですけど、最高の幸せって例えば何ですか。
ありがとうございます:
この世でいくら、形の上でよ、この世で「最高の幸せ」と言っても、本当の幸せとはぜんぜん違うのです。この世はやっぱりゼロに近い世界だから、どれだけ大きいプラスが加わったと言っても大したことはありません。この世は、本当の最高表現の世界とは違うのです、どれだけ大きくプラスが加わったにしても、大したことはないのです。
だから、この世から心を放してお祈りの中で深く入って「神さまの無限の無限の輝きが一杯!」というのを感じ取らないといけません。肉体の自分・魂の自分が「何かを受けて幸せ」というのでは小さ過ぎます。自分の意識だけで、感謝の意識だけで、「無限の無限の輝きが一杯」と受け切った時に、本当の大きい幸せを感じるのです。その微かな影がこの世に映してくるのです。それでこの世的にはやっぱり、プラスばっかりの幸せという小さい幸せを感じられるという程度なのです、この世はその程度です。だから、この世で幸せを本当に掴むと言っても大したことは掴めません。
本当の幸せはお祈りの中にあります、感謝のお祈りの中に。そこで本当の幸せを感じ取れます、それは本物です。この世のは、光に対して影のようなものです、どっちが実態があるかというと、お祈りの中に実態があります。高い次元の世界ほど、光りが強く、実態があります。この世ほど光が乏しくなって、影になっています。
だから、感謝の心が無限に深くなればいいのです。そしたら、幸せが直接感じ取れる自分です。そしたら、もう肉体の自分は関係なし、肉体が死んでも、どうなろうが関係ないのです。感謝の心の自分は、もう無限の無限の幸せを感じ取れます、永遠不滅です。
どういう幸せを自分が本当に掴もうとしているかというのは大事なのです。無条件の幸せはいいでしょう。これを掴まないと幸せになれないんじゃ困ります。「これが無いと」というのでは、条件付きです。何も無くても、「無限の無限の幸せが一杯!」というのがいいのです。
-ありがとうございます-
空気が美味しい、ご飯が美味しいというのでも、本当に気づいていけば幸せなことは沢山ありますし。すごいと思う人でも駄目になったり、そこにどれだけの幸福に差があるのかと考えるのですけど。有名じゃなくても毎日新しい発想になれば、幸せなんだろうなと思うのですけど。
ありがとうございます:
それでもそれは条件付きです、もし空気がなかったら幸せじゃないのです。
だから、もう何もかも無くしても、「無限の無限の幸せ」というのが本物です。でも、それはなくなるんじゃないのです、「常に新たに神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!」というのが、無限億万分の一秒でどんどん出てくるから、それを受けずにおれなくなるのです。そうなったら幸せは絶対崩れません、「新しい神さまの最高表現を受け直そう」という生き方だったら、それがどんどんどんどん出てくるから。感謝の心さえあったら、受けられるようになります。
だから、その幸せは無限に湧き出て来る幸せだから、絶対なくならないのです。でも、この世のは消えて行きます、みんな、現れたら消えて行きます。消えて行くのを追いかけて「消えないで」と言っても無理です、姿形あるものは全部そうです、一回消えて行きます。
だから本源から湧き出てくるものをとらえないといけない、いつも新しいものがどんどん出てくるから、それは絶対崩れない・消えません。
だから、お祈りの中にあるのです、本当の幸せ、無限の無限の幸せというのは。新たに受け直すというのでも、自分のすべてを神さまに与え尽していないと、受けきれません。だから、与え尽す練習も必要です、与えて与えて与え尽して自分を空っぽにしてしまいます。そこへ神さまの必要なものがスッと入ってくるから、何もない状態にしておくほど大きいものがいっぱいスッと入ってくるから、受けやすくなってきます。それがどんどん高まると、最高表現の受け直しが受けやすくなるのです。
感謝の深さは謙虚の大きさ
-ありがとうございます-
最高の幸せの、神さまの最高表現の、それを感じ取るところは、お祈りを深めて行くことによって、少しずつ深まっていくというか。その中で、先生のお話では「太陽が何万個も輝くような」(無限億万個)なんかすごい表現で溶けちゃいそうなのですけども。
私達が「ありがとうございます」を唱えていく中で、幸せというものを感じる手掛かりとして、おそらく先生も当初はそういうところから入ったのではないかと思うのですけども。その段階みたいなのを、もしあるようでしたら少しお聞かせいただきたいのですけども。
ありがとうございます:
@最初は、自分の好きなものを与えられたら「ありがたい」と思います。また、人が幸せになって行けたら、それをまた自分の幸せになって「ありがたい」と思います。最初はこの世的な形の幸せを喜ぶのです、最初はです。
A次は、形はマイナスに見えていても、それをプラスに受けられる心になったら「なんでもありがたい」になります、形ではありません。形のマイナスの地獄でも、「ありがたい・ありがたい」になるのです。それは心の幸せと言ったらそうです。より深くちょっと深くなってるのです。でもそれは、まだまだそういうマイナスを喜んでいるぐらいでは浅いのです。
B更に奥へ奥へ、形の最高表現まで受け直さないといけない。それも深い謙虚な感謝の心で受け直してこそ、本当の幸せがどんどん深く大きく味わえてくるのです。
だから「謙虚」という言葉は、下へ降りるだけじゃないのです、「虚」という字は「虚空」ともいうでしょう。「虚空」というのは「絶対の空を包み込む心」なのです。だから「全大宇宙のすべてのすべてを包み込む心が虚」というのです。そういう心にならないと「謙虚」とは言えない。下へ降りるだけじゃあ謙虚じゃないのです。全体を大きく包み込んで、受け入れる心が「謙虚」というのです。だから、大きくならないといけないのです。
ぜんぶ取り込むだけの自分というのは、自分が消えてぜんぶ無くならないといけない。自分というのが消えて無くなったら、なんでも入ってきます、なんでも受け直しができます。そういう生き方をどんどん続けて行くうちに、幸せはどこまでもどこまでも大きくなって行くのです。
だから、今の私ではまだまだ駄目です。いくら大きく受けたと言っても大したことはない、奥が奥がまだまだ奥があるのです。無限に無限を付けても足りない。神さまの底しれない働きは言葉ではもう説明も何もできないぐらいもの凄いのです。
だから「太陽の無限憶万倍の大光体が‥‥」なんて言ったって大したことはない。神さまから見たら「そんなもの大したことないよ」と言ってきます。
だから「ありがとうございます」を繰り返しているうちに、感謝がどんどん深まります、深まるのに比例して、感じる気づきがどんどん変化してわかってきます。
それは、やっぱり実行が大事です。人の話しはちょっとは参考になっても、絵に描いたお餅みたいなものです。やっぱり自分が味わわないといけない、自分が「ありがとうございます」をしっかり繰り返すことです。一回繰り返す毎に気づきが増えてくるはずです。だから、一回一回の「ありがとうございます」を大切のする方がいいと思います。
太陽・月・地球
-ありがとうございます-
「太陽は熱くない」というのはどうですか?
ありがとうございます:
見方です、この世だと太陽は火の塊に見えますが、ちょっと次元を変えたら、あそこに立派な悟りを開いた太陽神という神々がいっぱい住んでいる世界だから、火の塊じゃないのです。緑したたる楽園です。
-ありがとうございます-
緑がある? お月さんは?
ありがとうございます:
お月さんも働きはいろいろです。表面と奥といろいろです、人もいますし。
-ありがとうございます-
それで地球を癒してくれてはるのですか?
ありがとうございます:
いろんな意味で。
太陽と月と地球の関係は、これは神さまの働きを模型的に縮図的に現して、神さまの働きを説明するのに便利だからいろんな説明があるのです。
実際の太陽、月、地球というのは、神さまの大きい働きから見ると小さいのです。だから、いろんな意味があります、月は月の働きをしていろんな意味合いがあります。太陽の光を反射して、地球の闇の夜の時間を照らす働きとか。また月の満ち欠けがあって、いろんな照らし方をしてくれます。研究したらもういろんな学びがいっぱい出てくるけど、百や二百ぐらいの説明じゃ駄目です、たくさんあります。
-ありがとうございます-
お祈りの時に先生が「神さまと一体なんだ」というふうに思えばいいと。「輝く・輝く」と思った時に、一瞬光が強くなったような気がするのですけど、それは自分自身の気のせいか、それとも神さまが「いいぞ、いいぞ」っていう感じで、応援してくださっているのか、それは?
ありがとうございます:
両方です。だからもっともっと言葉の力を活用するのがいい、「言葉通りになってくる」というのが法則だから。「ありがとうございます」だけでもいいのですが、その中味をもっともっと大きく深くする意味で「ありがとうございますを唱えていたら神さまと一体」という意味もあるのです。「無限に無限に輝いている」という意味もあるし、たくさんありますが。それをもう一回確認する意味で「神さまと一体なんだ」とか、「無限に無限に輝いているんだ」とか、そういう言葉を使いながら「ありがとうございます」を言うと「ありがとうございます」の中味がどんどん大きく深くなって出てきます。
そうするとその感じ方がどんどん変化します。本当は「無限の無限の大光体の中心に自分は置かれている」のです、どこかからパッと来るのではない。無限の無限の大光体に置かれていると、みんな光りなのですが、それも本当は言葉通りに出てくるのです。
だから、しっかりいい言葉をたくさん使って気づきを増やして行くのがいいのです。
-ありがとうございます-
いい言葉というのはよく分からないのですけど、人に発して気持ち良くなる言葉とか、日本の昔からの言葉、そういったことですか。
ありがとうございます:
沢山あると思います。それぞれにいろんな意味の言葉、プラスの言葉は辞書を調べてみるといっぱい出てきます。プラスに見える言葉はたくさんあります。
ただ、マイナスも必要な時は、マイナスもプラスの言葉になります、マイナスは常にマイナスかというと、そうではない。
だから本当の今プラスの働き・幸せにする働きがあれば、全部プラスの言葉になってきます。だから必要に応じて自由自在に言葉を使いこなせばいいと思います。
言葉で「暑い・寒い」と言うのでも、「暑い」方がいいと言うのだったらそれがプラスです。暑過ぎるのがマイナスだったら寒い・涼しい方がプラスになってきます。変化するのです、その立場立場で。
お金が沢山あれば幸せかというのも、そうでもないのです。必要なだけあったら幸せだけど、部屋中お金がいっぱいになったら、寝る場所もなしに困ります。
陰徳
-ありがとうございます-
低い次元の話しで申し訳ないのですが、先ほどのお祈りの時間が経つほど、背中がバリバリになって、もう耐えられないぐらいなのですね。右の目の奥が痛くなったりしてるのですけど。よく私はそういうことが集団でした時によくあるのですけれども、気にはしないようにはしてるのですけども、どういうふうに心を持っていけばよろしいのでしょうか?
ありがとうございます:
いろんな見方ができますが、幾通りもプラスに見る見方があります。
例えば、自分の過去世の大きいマイナスを、心に溜めておいたらそのまま消えません。それを一挙にたくさん消してあげようという時は、ぜんぶバーッと浮かびあがるのです。お祈りする時ほど浮かび上がります。それを万分の一か、億分の一に軽さでスッと消してくれると見るとものすごく得したことになります。だから喜んだ方がいいのです、「ありがとうございます」と。
小さい意味でもそうです。また、自分が「全人類を救う立場」というのだったら、大きい救いの働きに使ってもらうのが、一番幸せなのです。みんなの幸せが自分の幸せになってきますから。そうすると、みんなの大きいマイナスでも、やっぱり自分のお祈りの場へ吸い込まないと駄目なのです。
-ありがとうございます-
でも、痛みに耐えられなくなる時があるのですけど。
ありがとうございます:
地獄で苦しんでいる人を、お祈りできる幸せな場へ救い上げようと思ったら、その身代わりに引き受けてスッと引き上げるのです。だから、その痛みが「大勢のそういう苦しんでいる人を救い上げる、大きい働きに使ってもらった痛みなんだ」と思うと、みんなが幸せになっていくのを喜べるのです。
だから「ありがとうございます」で喜び続けたら、全部それはプラスにプラスに大きく役に立つ働きです。まだたくさんあります、理由はたくさん、プラスにプラスに思う見方はいっぱいあるから。それをぜんぶその時その時、喜ぶために思い返せばいいのです。
-ありがとうございます-
現象世界で、自分がそういう時期になってるというのは自分はわかりますよね。でもみなさんはわからないですよね。そういう時にこの苦しみが来ますよね。そういう時にどうしても耐えられなくなって、心がねえ、でも、そういうのもぜんぶ感謝で――
ありがとうございます:
でも、ぜんぶ神さまが見ているのです。本当の神さまが自分を見守ってくれているから「そういう大きい働きをさせていただいている」というふうに見たら神さまの護りの中だから大丈夫です、はははは。
だから人に理解されなくても、人に喜んでもらわんでもいいのです。神さまに理解してもらって、見てもらって、喜んでもらえたらいいから。
-ありがとうございます-
どんな時でも、神さまに視点を合わす?
ありがとうございます:
だから「ありがとうございます」がいいのです。
-ありがとうございます-
いいですね、はい。人間界では、現象としては嫌がられたりしますのでね。
ありがとうございます:
それも、嫌がられているのではなしに。いいことをしてマイナスの態度をとられるのが一番得するのです。
-ありがとうございます-
まだ、そこまで深い洞察力が―
ありがとうございます:
いいことをして、いい態度を取ってもらったら帳消しになります。だから、どれだけいいことをしても人から悪く言われたり、罵倒されて悪い態度を取られる方が、大きい陰徳貯金になるいのです。
それが悟りへの大きい力にもなり、人助けの力にもなります。だから、いいことをさせてもらって、悪く言われる方がいいのです。
-ありがとうございます-
随分悪者ですかね、(はっははは。)すぐこう浮腫してきたりね、もう三十年苦しんで来たのが、大きな自信、つっかい棒ができました。
八百万の神の働き
-ありがとうございます-
よく仏界と神界といわれますね。仏様が護っていたのに、今度は神さまが護っているとおっしゃるかたがおられますが、そういうのはどういうふうに考えればよろしんでしょうか?
ありがとうございます:
言葉通りの番組があるので、そういう言葉の使い方をする人は、そういう番組に合わせているのです。すっきりしない、それちょっと。でも、そういう番組もあるから仕方がないのです。
神界と、仏界をどういう区別をしてるのか、その人の考え方ひとつです。そういう言葉を使ってそういう世界にはまり込んでいくのです、でも、神さまのほうから見たら本当は全部すっきりしています。理路整然としたすっきりした姿をとっているんだけど、ただ言葉通りにすべてがなりますから。
-ありがとうございます-
お役で、必要な方が行くということですか、例えば、神さまですから八百万の神さまですよね。
ありがとうございます:
八百万の神さまがどこにいるかという考え方はいろいろです。本当の八百万の神さまはどこにいらっしゃるかと言うと、どこにいらっしゃる?
-ありがとうございます-
私は、唯一神、ただひとつ、まあそれを真理というのか、表現はわかりませんけれども、それだけをいつも考えて、ずうっと求めてきたのですけど。よく仏様もいっぱいいらっしゃいますし、神さまもいっぱい名前がありますし、私は自分なりに、全部ひとつだけれども、例えばこの人にはこういう人には相性が合うというのか、そういう用途に応じてというのがあるのかなと思ってたのですけど。
ありがとうございます:
本当の八百万の神さまというのは、宇宙絶対統一神の天照大御神の分身です。どういう働きをするかと言うと、無限の無限のチャンネルを創る働きをします。チャンネル創りの働きです、八百万の神さまというのは。
だから、チャンネルの中に現れた神さまは、本当の八百万の神さまじゃない。それぞれの番組に、それぞれにいろんな神さまが、いろんな姿があります。その番組を変えて、低い番組の人から見ると、高い番組が神さまや仏さまに見えるかも知れないけど、そういう神さまや仏様もあるけれど。でも、無限の無限のチャンネルのチャンネルを創る神さまが、八百万の神さまが本物なのです。番組から抜け出た神さまが本物の八百万の神さまです。
いろんな見方があります、同じ八百万の神さまといっても、解釈の仕方がいろいろ、定義の仕方がいろいろなのです。
神さまが無限の無限のチャンネルの番組を創ってくれたということはありがたいことです、何でも番組として体験して味わえます。そういう運命・世界を体験できるのです。でも、その中から、自分が何を選んでもいいと言うのですが、やっぱりいいのを選んだ方がいい。できるだけ早く最高番組を選べるのがいいのです。
だから「ありがとうございます」は、本当は「最高番組だけが今ここにある」という意味なのです。低い番組に合わせない、最高番組だけを受け直すことが「ありがとうございます」です、本当の意味はそうです。
だから「ありがとうございます」を繰り返しているうちに、最高番組だけを味わえるように変わるのです。
ご先祖は悟っている
-ありがとうございます-
仏教とかはあまりよくわからないですけど、神社にはお参りに行かなくてもいいということですか。
ありがとうございます:
神社もお寺もみんな模型なのです、だから、そこに本当の神さま・仏様がいてるかというと、いないのです。ただ、何も無いかというとそうでもない、やっぱりそこに本当の神さまの、まあ使いみたいなものが働きかけていることは確かです。神さまの働きかけはあるんだけど、本物はいない、模型の模型です。
-ありがとうございます-
お寺で、お墓に手を合わせるとか、それはご先祖供養に?
ありがとうございます:
それも、形が必要だったらその模型を通して心を整えて、本物と心の交流を図るのです。本当のご