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真祈り文庫
子供を信頼する
-ありがとうございます-
中学生の男の子を家庭教師で面倒見ているのですが、勉強しなさいとすごく言うお母さんなのですが、その言葉ではないのですけど全然勉強しない子なのです。お母さんに反発して勉強しないのではなく、学ぶ楽しさとかがわからないのではと思うので、学ぶ楽しさを教えたいと思うのです。どんな感じで接していれば、その子の魂が輝いてくるのでしょうか?
ありがとうございます:
問題を与えられて、解答して、他の人に採点してもらって、どれだけできたと評価されるより、本当は全部自分が作った方がいいのです。問題を解くのも自分だし、採点するのも自分だし、評価するのも自分でします、そうすると本当の喜びが湧いてきます。そういう指導の仕方は、最近ちょっと出てきているようです、本人を信頼してあげるのが大事です。
そういう勉強の仕方がいい、上から一方的に教えてあげるというのが、今までの教育のあり方かもしれないけど、それはマイナスを伴うのです。信ずるというのか、信頼関係がしっかり出てくるのが大事です。いっしょに遊んであげて、こんなに楽しいんだというのを、すべて自分の責任で、楽しんでいくのがいいと思います。
中心は自由に変化
-ありがとうございます-
掛け軸の「神」というのは何か意味があるのですか?
ありがとうございます:
「神」という字ですか?それともここに掛けている意味ですか?ここは掛け軸も何もなくていいのですが、ちょっと寂しいでしょう!どっち向いたらいいか?どっちを正面にしてもいいのですが、こっちにしましょう!あっても、邪魔にならんでしょう。だから中心とか正面とかは自由に変化していた方がいいのです。ここにいる人の誰が中心になるかは、みんな順番に入れ替わればいいのです、正面もどこを正面にしてもいいのです。ただみんな謙虚なんで、決めにくい時には、決まっているのがいいですね。
障害者は高い魂を持つ
-ありがとうございます-
障害のある方にはどう接したら良いのでしょうか?
ありがとうございます:
みんなどういうのを選んでくるかによって、全部一人一人の責任で選んできています。例えば、小さい時から障害を持って生まれてくるというのは、そういう姿を本人が選んでくるのです。逆に言うと、障害の姿をとって出てくる魂はかなり高いのです、立派なのです。ハンディを背負ってでも、自分はこれだけの能力を発揮して、みんなに貢献できるんだというお手本を示そうとするのです。それでもっともっと自分を鍛え抜いて、進化を促進しています。だから、神さまとか本人が、最高と見ているのに、周りが可哀想にというのはおかしい。逆に、本当は褒め称えて、なんてすばらしいと言わないといけない。
ハンディを背負っている方が、大きい力がいります、それだけ障害者というのは、ある意味では潜在的に大きい力を持っているのです。それを逆に可哀想に可哀想にと、足を引っ張るのです。そのマイナスの言葉、思いで、もっとハンディを与えようとするのです。
ヘレンケラーさんでも三重苦の御陰で、本当に神さまが解ったというのです、感謝も深まって、幸せを本当に感じ取れるようになったのです。それは目が見えないというのは大変なことです。一日でも目が見えたら、それだけでも大きな幸せです、思うだけで。もし太陽が見えたら、なんて幸せと思います、見えてなくても。
そういうように、仮定的に空想するだけで、喜べます、幸せに感じます、だから障害の本当の価値は、無限に大きいのです。だから目に見えない勉強、気づきはたくさんあります、自分の小さい力で生きてきたというのが、たいていは大きく払拭されるのです。自分の力では生きられない、生きているのではない!と、本当は大きい神さまに生かされているんだということが。
病気してもそうです、病気して初めて生かされているというのがよくわかります。最初から大きい障害を背負ってくるということは、本当の大きい学びを、目的を生きているのです。周りの人も、それに励まされて大きい気づきが増えていきます、だからマイナスはありません。
-ありがとうございます-
ヘレンケラーは三重苦で神さまを感じたわけですけど、先生の場合には、神とのコミュニケーションはどういうことによって受けられるようになったのですか。
ありがとうございます:
たいしたことはありません、みなさんと同じなのです。ただちょっと前向きなのかもしれない、ふつう、危険なきつい辛い仕事、汚い仕事というのは、あまり喜んでやろうとしません。でも私は喜んで喜んで、全力で限界を破ってしてきたから、そういうのが平気になって、マイナスに見えなくなってしまいます。
ある程度、全部自分を投げ出してしまうというところまで行けば、不思議に神さまの愛が、働きが湧いてくるように感じられるのです。
根本の要素というのは、自分を空っぽにするかどうかなのです。余力を残していると、まだ中に何かあるから・・・。全部出し尽くして空っぽにする限界が来てしまうと、神さまの方が放っておけません。何とか助けに入らないと、という感じで、それが神さまを感じるひとつのきっかけになるかもしれない。
ここに来ている人もそうです、人がいろんないきかたしていて、一生懸命生きているのを見たら、なんか応援したくなります。神さまの方もそう感じるのです、この人の世を見ていて、もう全力を出して一生懸命努力して、力もないのに、そういうのを見ていると、神さまの方もなんとか応援したいという気持ちがおこるのです。特に守護霊さまとか守護神さまとかはそうです。そういうふうに助けてあげようと神さまが与えかけてくると、守護霊さまとか守護神さまを通して、神さまを感じさせてもらえるのです。それがだんだんと深くなっていくんだと思うのです。
熱き祈りで唱える
-ありがとうございます-
『神との対話』という本の中で、世界の文学者、映画俳優など、すべての人に神は語りかけていると書いてあります。でもそれを受け取ることのできる人はほんの一部で、その人の透明度によるとも書いてあります。先生の場合は、長い間澄み渡っておられるから、神さまの言葉がすっと入ってくるということだと思うのですが・・・
ありがとうございます:
さあ、どの程度入っているんでしょうか?
-ありがとうございます-
その人の進み具合によって、文学者の一言となって、文学作品となったり、映画作品になったりと、いろんな形をとって表現されているとも書いてあります。先生の場合もそうなんでしょうが、どうしたら先生のように神から受けられるのでしょうか。究極は「ありがとうございます」を唱えれば良いのでしょうが、どうしても「ありがとうございます」一言では、不安になるし、どうなのでしょうか?
ありがとうございます:
ありがとうございますだけで本当はいいんだと思うのですが、ありがとうございますを唱えるときの、唱え方なのです。熱き祈りというのが大事なのです。
ちょうど片栗粉を透明にするには、熱湯をかけたらいい、瞬間にさっと透明になります。ぬるま湯では、なかなか透明になりにくく、半透明です。だから一心にありがとうございますと言える時期があると、短期間で、すうっと透明になるんだと思います。
大きい問題を抱えたときに、一心に唱えるチャンスを与えてもらえることが、ある意味では透明度を早く高くします。みんな同じで、誰でもそういうチャンスを何度も何度も与えてもらって、ある一定の期間、一心に唱えたらいいのです、そしたら心をすっと透明にしてもらえます。ありがとうございますが一番だと思います。
無限の力が備わっている
-ありがとうございます-
自分の特色とか天職とかとのつながりはどういうことでしょうか。
ありがとうございます:
神さまと一体の本当の自分は、なんでも自由自在にこなせ、どんな仕事でもできるはずなのです。今与えられたものが、初めて出会ってその問題を解決しなければならないという時に、今まで体験も何もないから、すぐに力を出せないという意見があるかもしれませんが、でも無限の力は中にあるから、一心に神さまに祈りながら、全力を出したら、初めてのものでも解決できるのです。
本当に自由自在に、右、左にどんな難問でも解決できるということになれば、本当の自分がどんどん輝いて出てきます。片っ端から目の前の問題を解決できて行けたら、もっと問題が増えてもいい。ある意味で、ゲームを楽しんでするような感じで、ゲームでも単純なゲームはおもしろくありません。やっぱり難しいゲームの方が、楽しみ方も大きいというか深くなるものです。
宇宙は入れ子構造
-ありがとうございます-
ありがとうございますは言っても見ても良いということですが、ここに貼ってある大きいシールをさっきからずっと見ていると、一万回くらい言ったことと同じになるのでしょうか?
ありがとうございます:
心に本当にはっきり焼き付くように入ってくるのが大事です。ちょっと小さくしたら入りにくいでしょう。拡大して、拡大して・・・だから、(小さいシールも)イメージとして心の中に拡大して見えたら、同じに大きく入ってきます。
でも本当の宇宙構造は、「ありがとうございます」という大きい字の中に、小さい「ありがとうございます」が無限にあります、そういう入れ子構造で全部できあがっているというところから見たら、こういうの(大きい物も小さい物も)もいいのです。
-ありがとうございます-
入れ子構造になっていると発見されたきっかけは何ですか。
ありがとうございます:
創造の原点から眺めたら、みんなそうです。最初は、宇宙はどういうふうに創造されているのかというところから、ふっと感じさせてもらったのです。
-ありがとうございます-
ありがとうございますと言っているうちに、宇宙のビッグバンの近くまで、瞬時に、輝いている神の元に、創造の隠身まで行けるのでしょうか。
ありがとうございます:
行くのです。神さまの全体像が「ありがとうございます」なのです。
私物化しない
-ありがとうございます-
日本語だと「ありがとうございます」ですが、英語とか他の言語でもだいじょうぶなのですか?
ありがとうございます:
同じような言葉があればいいのですけど。日本語だから日本の独占じゃないのです、いいものは世界のみんなのものです。だから外国にそういう言葉があったら、日本人もそれを自由に使いたいと思います、外国の人も同じです。いいものはどんどん自由に使って欲しいものです。
日本の国の国旗の日の丸も、日本の国旗ではなしに、どこの国でも使えれば、本当の太陽のようないきかたをしたいという国だったら、みんなそれを国旗にしてもいいのです。そしたら世界がひとつに調和した姿となります。もともとは、日本の日の丸の国旗は誰が作ったかもわからないようにして、法律でも決めなかったのは、その辺が神さまの御心だったと思います。それを、日本の国が私物化するというのも、本当はおかしいのです。
神さまにおいてみんな平等
-ありがとうございます-
私にとって、天皇陛下というのは、お会いしたことがないのでわからないのですが、ただ何となく心の中で尊いような感じがするのですが、先生にとってはどのような意義というか、位置を占めているのでしょうか?
ありがとうございます:
私の場合は、この世的に天皇陛下が立派なんだというとらえ方はしていないのです。神さまの元に戻ったら、みんな平等なのです、どの人も、神さまから無限の無限のプラスをいつも与え続けてもらっているから、だからこの世的に見て、天皇陛下は一般の国民よりも高くて立派なんだという見方はしたくないのです。
神さまにおいてみんな平等だからという立場から出発して、すべてには中心が調和するためには必要です、ばらばらでは調和がとれなません。中心があって初めて、全体がまとまった調和した姿を取ります、その中心を決めるに当たって、みんな無限に謙虚なので、自分からなりたいという人はほとんど無いのです。中心に立つ場合でも、みなさんにどうぞどうぞと言って、勧め合うものです。そしたら中心に立つ人が偉いか偉くないかではないのです、役割としての必要性があって中心が定まるだけです。だから逆に言うと、中心に立つということは全責任を負うというしんどい立場です。
上に立つのではない、みんなを自分の思い通りに権力で動かすのではないから、みんなの責任を一身に背負うという立場なのです。自分から立ちたいと言わないけれど、もしみんなが決めるんだったら、また神さまがどうしても御前がなった方がいいというように言われたら、謙虚な人であっても、みんなのマイナスを全部背負ってでもみんなの役に立つんだったら、ということで受けるのです。だからそういう決まり方をしていくことこそ、本当の中心に立つという天皇陛下のいきかたを現し得るのです。日本の皇室の在り方は、まず自我を死にきって神さまにすべてを全託して、そこから受け直した姿なのです。
外国の君主制は違います。権力を握って力で従わせようといういき方です、上に立っているのです。だから中心に立つというのは、神さまの御心が働いて、そういう姿をとります。ちょうど太陽がいつも輝いて、どれだけ雲がかかっていても、太陽自体は消えることない、不滅なのです。それが中心です。
でも、上に立つという、権力のあるものは崩れてしまいます、支えるものがないのです。不変のものではない、ころころ変化します。ある時は栄えたら、必ず滅んでしまう。だから神さまが支えてくれてないといけない。天皇陛下のいきかたは、みんなにとったら、本当のお手本になると思います、この世的に見てもです。でも奥に奥に遡ったら、みんな同じなのです、譲り合って、中心を決めているだけなのです。
ある意味では、自分が宇宙であり、全体者であるから、ひとつの中心を自分が持って生きているということです。肉体人間的に見ると、この肉体人間の全部が自分の分身という形をとるのです。分身の誰を中心に据えるかというぐらいの感じです、だから自分が決めたというのが大事です。そしたらもう、何の差別も何もない、そういうのが本当の決め方なのです。
だから天皇制に反対する人というのは、小さい自分を掴んで、いろいろな差別があると反対します。この肉体人間だけ見たら、この世に生まれてきただけでいろんな差別が最初からあるのです。でも過去世というのを見たら、過去世でよいことした人はプラスが多いし、悪いことをした人はマイナスが多いのです。でも過去世をずうっと見ていくと、この世の差別が消えていきます。もともと出発は同じなんだという感じで見えるのです。
もっともっと奥へ遡ったら、神さまと同体、一体だからという立場に立ったら、もっと差別観が消えてしまいます。一切の差別を消してしまって初めて、みんなを認めていけるのです。表面だけを見るから、本当の意味の自由とか平等を認められないのです。
外国は特にそうです、自由だ平等だと旗印に掲げるのは、本当にそれがないからなのです。日本はその旗印が必要ありません、もともと心の奥の自分をかなり深く知っていて、もともと自由で平等だからという自覚があるから、とやかく言わないのです。少々の不自由も差別も平気です。一番奥から見たら、それが当たり前なのです、自由を侵害されてもいないし、平等が侵されてもいません、そのまま受け入れられます。日本人に生まれてきた人を魂的に言ったら、進化が進んでいるというか、世界のリーダーとしての、兄弟で言ったら、兄とか姉とかいう感じです。
本物の輝き
-ありがとうございます-
戦後、日本はアメリカの言いなりになっているというか、コントロールされているとか、自主性がないとか、国際舞台でも独自性がないとか、日本の文化を主張したりとかそういうことがあまりないですよね。今後そういうことはどうなんでしょうか?
ありがとうございます:
それも、ある時期には、そういういろんな縛りが必要なのです。縛られて初めて、その縛りをはねのけて本物が出てくるのです。いろんな問題でも、易しい問題ばかり与えられていたら、例えば1+1はすぐに2と出てきます、答えるまでもないというくらいの感じです。力を発揮していません。
だから難しい問題を前に持ってこられて初めて、本当の力を引っ張り出して発揮して、本当の美しい輝きが出てくるのです。日本の本当の良さを出していくには、その良さを打ち消すようないろんな大きい障害的な問題が出てきます。それをはねのける力を、神さまが求めてくるのです、本物が光るには必要なのです。
どれだけ反対されても、押しのけて前に突き進むくらいの強さが必要なのです。外国からのいろんなマイナスに見える姿を、自分の本当の力を引っ張り出してくれる大きい助けと見る方がいいのです。
-ありがとうございます-
平和憲法がありますけれど、その趣旨をとことん貫き通すということが必要なのでしょうか。
ありがとうございます:
外国が攻めてきたら、それに対抗して軍備でその問題を解決しようとしたら、それは易しい問題です、でも攻めてきたのを武器を持たずに解決しようとしたら、ものすごく力がいります。
平和憲法という中で、がんじがらめに縛られた状態で力を発揮しなければいけない、それができたら、世界を本当に平和にする力が出てきます。本当の神さまの力を祈りで引っ張り出したら、世界中のすべての人々の心を安らげてしまいます。ある意味ではそういう難しい問題を与えられて、力を引っ張り出してもらっているのです。
即座に解決できるのは神さまの智慧だけ
-ありがとうございます-
瞑想の時の柏手で、ビービーっと・・・。これはどういうことなのでしょうか。
ありがとうございます:
眉間とか口からの息吹とか掌から、いろんなものが・・・。生命磁気とか氣とか命とか光とか、いろいろ言うのですが、そういうものが発現するのです。出やすいところがあります。波が合ってお互いに響きあうと、そこがビーとなったり、そういう感覚が出てくるのです。でもあまりとらわれる必要はないのです、出たら出たでいいし、出なければ出なくてもいいし、・・です。
-ありがとうございます-
私の小学校からの友人の一人なのですが、彼は大学時代に共産党に入って、私といろいろ議論するのですが、なかなか折り合わなくて・・・。また医学部の麻酔科の先生をしている友人が、ガン患者に告知をしなければいけないということから、死んでも命があるよというような死後の問題をケアする必要性を感じているわけです。そこで魂の問題を共産党の友人と話してみたのですが、そんなものはないってやっぱり言います。
ありがとうございます:
みんな勉強することが違うのです。本当の自分の力を中から発現させるためには、余計なものをかぶせない方がいいのです。肉体の頭が良くて知能指数が高くて、何でもいっぱい勉強して詰め込んだからいいのではない、逆に知識が増えるけれども智慧が出なくなります。そのバランスを上手に取らないといけない。
知識はあくまでも道具なのです、智慧の方が大事なのです。中から神さまの智慧が出てきて、初めてのどんな問題でも解決する能力が備わります。すべてを見通す力も出てきます。その智慧を引っ張り出す通路を作っておかないと、知識も活かせないのです。だから教育でも、詰め込み勉強的な教育では、まあテストの点数は良い点を取れるかもしれないけれど、それは受け売りです、初めての問題にぶち当たったときには解決できません。
どんな初めての問題にでも、即座に解決できるのは神さまの智慧だけです。だからいつでも神さまの智慧が湧き出やすいように、パイプを掃除しておくというのが一番大事だと思います。あまり記憶に頼って、知識を一杯詰め込まない方がいい、頭が悪い振りをした方が必要かもしれないのです。
でもそれも一人一人、みんな生き方、選び方が違うものです。その智慧に頼りたい、神さまに頼りたいという人は、あまり知識を付け過ぎないようにした方が良い。ただ知識を付けないでいいような生き方を選んでしまいます。
みんな一人一人、時期によっていろんな勉強の仕方をとっているだけで、どれが良いということではないのです。時期が来たら逆転するかもしれないし、周りの人の姿も、自分の勉強材料と見ていると、自分の代わりに、自分ができないことを周りの人が代わりに勉強してくれて、自分の大きい勉強の役に立っているんだというくらいがいいのです。
-ありがとうございます-
考え方は違うけれども、しかし人間的にはすごくいい男なのです。
ありがとうございます:
だから私の分身という形で、私にできないことをしてもらっているという感じでいいのです。いろんな生き方を、一人の人間がこなせないですから。
すべて言葉の現れ
-ありがとうございます-
私の知っているSセンターというところがあるのですが、そこは野菜を中心にした食事療法で、火を使わない方が良いと言っているのですが、それはどうなんでしょうか?
ありがとうございます:
でもそれも、プラスに考えたら全部プラスになり、マイナスに見たら、全部マイナスに変わります。やはり人の言葉の方が大事なので、火を通したから悪いのではなくて、火を大きいプラスと見たら、生よりも煮たものに光がたくさん入ります、火の働きは大きいのです。
だからどれだけそこにプラスを見出すかです。自分が勝手に生野菜でないといけないと限定してしまうと、言葉の使い方がマイナスに傾きます。自分のマイナスの言葉で縛られて、自己限定してしまうのです。それで煮たものは食べられないとなると、不自由です。
-ありがとうございます-
肉食でも、肉食はいけないとよく言いますけれど、アイスランドやアラスカなど、ある地域では肉を食べないと生きていけないところがありますものね。
ありがとうございます:
だからそれが悪いとは言えないのです。動物も、肉食動物は肉ばっかり食べているのです、でも健康です。だから、すべてをプラスにプラスに持っていけば良いのです。
まあ人はどう思おうが、自分はプラスに思った方がいいのです、自分の運命・世界は、自分の言葉通りになるというのが法則です。他では別な考えが通用しても、自分の世界は自分の言葉通りのすべてが通用するのです。
-ありがとうございます-
そういう組織の理念、方針というのがありますが、その組織に入ってしまったときに違った意見を持ってしまうと、問題が出ると思うのです。
ありがとうございます:
そういうときは、自由になった方がいい、入らずに、抜け出る方がいいのです。極端に言ったら、イエスキリストさまは、何を喰らい、何を飲まんと思い煩うことなかれと断定的に言っています、何食べてもいいと。
だから食事療法がどうの、栄養学がどうのなんて関係ないのです。何を食べても良いというのが正しいし、自由です。余計な縛りがない方が幸せです。場合によっては何も食べなくてもいいというくらい、霞だけでいいとか、水だけでもいいのです。もともとは本当にこの世で何か食べているのではない、信念が投影されて映っているという感じです。突き詰めて考えたら、実際にものを食べているのかといって、食べていないです。
-ありがとうございます-
何年か前に、幽霊を見る人たちのグループに参加したことがあるのですが、それを知った世界人類の平和を祈る会から、そんなことに関わること自体がおかしいと破門になったのですけど。そこのグループの教祖が幽霊を見ることを通して、みんなの魂を救い上げるとか、自分はお釈迦さまのさらに上であって、と言うのです、そういうのはどうなんでしょうか?
ありがとうございます:
それもひとつの番組なのです。人の使う言葉通りの番組がすでに用意されているというのが、本当の姿なのです。だからどういう言葉を使って、どういう番組を味わってもいいのです。
幽霊という言葉を使い続けたら幽霊を見るのです。言葉通りになるのです、全部番組として取り揃えられているので、なんでもあるのです。(実際、身体に現れてくるのですよね)現れてきます、そういう番組にはまり込んでくるのです、言葉で。だからその人が好きこのんで選んで行くのです。
-ありがとうございます-
私もそこに行っていたら、憑依されたりしたかもしれないですけど、結局五人くらいの人が僕を救いに来てくれました。その結果抜け出せました。
ありがとうございます:
どれが嘘とか間違いとか、そんな大して関係ありません、そういう番組が全部あるのです。ただ自分がそれを選んでいるかどうかだけなのです。さっきの食事療法もそうです、自分がどういう食事療法の在り方を選ぶかです。何を食べても大丈夫といういきかたを選んだら、そういうものは関係ないのです。お釈迦さま以上の偉い人になって、みんなを救うんだというのも、ひとつの番組としてならいいのですけど・・・。
でもみんな悟っていたら、救わなくていいのですから、一番楽な方がいいじゃないですか!わざわざしんどい思いして、救い上げたりしないでも。みんな悟っていてすばらしいんだと言うんだったら、みんなに助けてもらうだけでいいのです。だからどういう番組を選ぶかです、プラスの大きい番組の方がいいのです。
-ありがとうございます-
いろんな教祖に会ってきましたけれど、みんなどこかで自分が一番偉いと思っているのです。
ありがとうございます:
自分以外の周りのすべてが偉いんだという方がいい、楽でいいのです。
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