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真祈り文庫
自分が「何を本当に選ぼうとしているか」
-ありがとうございます-
前世からのお話をされたのですが、実感がないので、個人的に前世というのはどういう意味があるのか、輪廻としての受け継がれてくるものがあるのか、個人としての前世を知ったところで、それはどういう意味があるのか、それを知るべきなのか、何かそういうことがあれば聞いてみたいと思います。
ありがとうございます:
今を、大事に生きる人にとったら、もう過去は必要ないのです。ただ、今を真剣に大事に生きられるようになるまでには、過去の縛りは残っています。過去の生き方というのがかなり影響力をもって、それが惰性的な力になって、その人の自由な生き方を縛ってきます。その縛りから抜けないと、本当の自由な今を生きる生き方にならないのです。
本当に「抜けたい」という人は、「その縛りから自由になりたい」と先ず願います。過去の縛りというのは、言葉と思いの縛りです。感謝をしているとその縛りが全部消えてなくなり、思いも消されてなくなります。でも、感謝を忘れるとやはり思いが出てくる。特に言葉がマイナスになってくる。そうすると、消されない言葉、思いというのはどんどん蓄積されていきます。それがマイナスの惰性になって、どうしても暗く暗く落ち込んでいきます。
でも、この世へ生まれてきた目的は、過去の惰性に流されない新たな生き方を選ぶためです。「過去世」はあるのですけど、過去世を一旦棚上げにするのです。背後の守護霊さま守護神さまが、一時預かりで預かってくれて、新たにゼロからこの一生を終わろうということです、勉強するのです。
ちょっとだけは過去の惰性は引きずるかもしれないけど、過去にどれだけ大きいマイナスを持っていても、一時棚上げになるとそのマイナスの惰性に流されなくなります、楽になります。その中で何を選ぶか「プラスの生き方」か「マイナスの生き方」か、ということです。本当にプラスの生き方を選びたいという気持ちになると、プラスの生き方が身に付いたら、過去の惰性も過去世の大きいマイナスでも神さまは簡単に消してくださるのです。
だから、「自分が何を選ぶ」のか、この選び方が一番大事です。ただ、マイナスを選びたいという人を、無理やりプラスヘ向け変えるのは難しい、これは神さまでもできないことです。本当に「プラスの生き方を選びたい」という、その気持ちがはっきりしたら、こういう「この世」という特別な場所が用意されていて、過去世のマイナスを神さまが人の自由を縛らずに消せるのです。
ただ、過去に縛られない自分に早くなるために、この縛りを知るというのも大事です。そして「その縛りから抜けるにはどうしたらいいか」という一番いい方法を選んで、自由になるのがいいのです。
本当に今を大事に感謝の心で生きられるというのなら、もう過去は要らないし、それを知る必要も全くない。本当に感謝の心で今を生きられない人にとったら、なかなか抜けられないので、かなり厳しい縛りが残っています。そういう場合だったら、やっぱり「知る」というのは大事なのです。知って、それから抜ける方法を模索して、自分自身が「何を本当に選ぼうとしているか」というのをはっきりさせた方がいい。そしたら、道が開けてきます。
その程度で良いですか?あまり詳しく知っても本当は意味はないし、過去の生まれ変わりの自分が、どんな姿をとったからと言っても、そんなことは大したことではありません。足跡のようなものですし、どういう足跡を残してきたかというのを知るよりも、やっぱり今を大事に生きる方が大事なのです。
-ありがとうございます-
ひとついいですか。ある方が「今の自分の人生はいろんな本を見ていましたら、何百年か前に自分と同じような運命をたどった人がいて、自分もそのようになって、そのように死んでいくと思う」というような言い方をされてるのですけど、そういうことってあるんでしようか?
ありがとうございます:
あるでしょう、普通、この世というのは何回も繰り返して、過去の繰り返しというのが多いのです。今の話ではないけど、前世とか過去世とかがあって、似たような傾向を繰り返します。だから、「今現れている姿が遠い過去の消えていく姿」と見る人もあります。今新たに出てくるのではなく、もう過去に体験したことが今出て来ていると。特に、心を奥へ奥へ入れていくと、奥の感覚だと「遠い昔に体験したことは、今現れて消えているな」という感覚になってきます。神さまの、言わば「絶対」から出てくる最高表現が一番新しいのです。そこから遠ざかるほど遠い過去になります。
奥を知った人は、「今現れているのは、遠い昔の体験が現れて消えている」そんな感じになり、「この世に映し出されてくる全部が、過去の遠い昔に体験したことなんだ」というのです、そのくらいの感覚になります。奥の心では短い時間でも多くのことを一瞬に学べます、長い年月にそれを大きく広げるのです。
例えると、小学生から大学生までの勉強を、自分は一瞬に全部をマスターしたとします。高い世界だったらそうなのです。それを長い年月に引き伸ばすと、やっぱり小学生の勉強から順番にするのです。それで、今小学生の勉強の段階に来ているとなると、一瞬に学んだ自分から見たら「もう遠い過去に学んだことなんだ」という感じです。でも、そういう見方もそれがすべてではありません、他に見方がたくさんあります。
-ありがとうございます-
それも番組のひとつですか?
ありがとうございます:
そうです、こういうのもあるというぐらいがいい、一つと言わず、二つでも三つでも・…はははは。
「ありがとうございます」はいつ頃から
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」が究極の神の名前だという事を、何時ごろから気が付かれたのですか?
ありがとうございます:
この世から見るか、天のほうから見るかによって、天のほうから見たらもう最初から知っていたのです。最初から知っている自分があって、それをしっかり知っていてお祈りしているのです。でも、この世から見ると、本当に全部しっかり知るという状態に入るまで、やっぱり時間がかかります。言うたら「信ずる」という程度だったらもう小さい時から、何かそういうものを信じています、感じていたのです。でも、「本当にわかった」というのだったら、大きい光を感じ取らないと「わかった」とは言えない。それはもう、どんどんどんどん強い光になって感じているから、それでも「何時から?」というとまた…。区切りは付けられません、どんどんどんどん大きくなっているのは確かなのです。
「先生」にどうしたらなれる?
*神さまを選ぶ人は、神さまからすべてを頂けます*
-ありがとうございます-
自分のマイナスの思いがいっぱい詰っていると、最初に見るのは、なんか「神さまが現れた」とか「いろんな仏性が現れた」または「霊が現れた」などと、いろんな現象を言い、既に悟ったと言って、惑わしている人もいるそうですから。そこら辺の関係で、本当の真実の「ありがとうございます」の言葉が現れたのは、「これが本当だ」というのは何か確信が得られたのはあるのですか。どこの宗教でも「ありがとうございます」ということを言っておられるのはすばらしいことだと思うのです。どうしたらそこまで昇りつめられるのでしょうか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を唱えるという意味では、同じかも知れないですけど。それにプラスして、自分を神さまにお返ししてしまうということが大事です。自分の過去に積み重ねた無限の業想念でもいい、それを持ったまま神さまに自分を預けてしまうのです。
だから、「神さまの御用にお使いください」というふうにすると、神さまは使いやすいようにマイナスを早く消して使ってくださいます。私の場合はそれを早くできたからかも知れない、自分の願いとか思いも何もなかったから「どうかお役に立つようにお使いください」という気持ちに早くなれました。それで早く道具として使ってもらえるのです。
-ありがとうございます-
私も二十代の時にちょっとキリスト教をかじったことがありまして。キリスト教で教えられたことは、自分をなくして、「感謝」「奉仕」「愛する」ことをすると「神が現れてくる」と言われたのです。私はテープをもらって千回、二千回聞けば、先生に近づけるんじゃないかと。先ずテープを聞いて潜在意識に入れると、黙ってでも先生のように手が動くんじゃないかと思い、テープを聞いているのです。笑われるのですけどね。潜在意識に入れると、仲間と話していても口調は違いますけど出てくるんじゃないかと思うのです。
ありがとうございます:
確かにそうです。自分の心の向けたものがやっぱり自分の中に入ってきて、それに習って、そのようになっていきます。
-ありがとうございます-
Sさんのテープも、キリスト教のTさんのテープも、千回、二千回聞くと、言葉から歩き方まで変わってきて、不思議ですけど、仲間が後ろから付いてくるのです。
自分の我を出したら駄目なのですけど。そういう体験もあります。それで、仲間が「行って貰ってきてくれ」というから、代表で来たのです。今回テープを貰ったから、会社で一回、休み時間に何回も聞いていると、そのうち何かにならないかと期待してるのです。
ありがとうございます:
その内、ありがとうおじさんになります。でも、何も難しいことを神さまは与えていないと思います、「どっちを選ぶか」だけです。神さまを選ぶ人は、神さまからすべてを頂けます。ただ、それを選ぶ時期が「何時か?」というだけです。元々は、みんな神さまと一体なので、心の奥では神さまをよく知っています。その神さまと一体の自分に戻る時期も、本当は自分が決めてくるのです。
自分が納得する時期に決めて戻って行くようになっています。誰からも自由を縛られていないし、もう自由自在に生きているのです。ここへ来たら、神さまをもう選んでしまったのだから、諦めないとだめです!後は神さまへ戻るしかなし、これは運の付きです。選んでしまったら仕方ない!!
「風」は何の為に吹く?
*みんなが助け合って、生かしあっているのです*
-ありがとうございます-
風は何のためにふくのでしようか。
ありがとうございます:
風の神さまというのは、命を司ります。息もそうです、鼻から空気が入って空気が絶たれたら即死にます。だから、命を司る神さまが「風」です。空気がよどんだら酸欠で死にます。風の強いところほど、文化が栄えるという。それだけ神さまの働きが活発になります。それで、大きい助けを与えてもらえるのです。
台風の強い風でも、大きいお清めの働きだし、マイナスをぜんぶ吹っ飛ばして消してくれる。そして、どんどん大きいプラスに置き換えてもらえます、必要なだけの風がないと困る。地球全体を循環していないと、排気ガスがいっぱい出たところは澱んで、そこの人はみんな死んでしまう。ぜんぶ地球上で循環して、プラスのところの空気がマイナスのところの空気を良くしていくから、みんなが生きていけるのです。空気が循環しなかったら、風が吹かなかったら、本当は都会の人はみんな死んでいます。
-ありがとうございます-
それも神さまの計らい?
ありがとうございます:
神さまの計らいです、みんなが助け合って、生かしあっているのです。
「寿命」という番組
*変化はもう自由自在に選べる方がいい*
-ありがとうございます-
人間の寿命ですけど。三つぐらいあるということで、第一の寿命、第二の寿命、第三の寿命、それで第三以上はないというようなことでしたけど。
ありがとうございます:
それはひとつの説です、番組を自由自在に選べるのだったら、寿命も自由自在に変わらないといけない。番組によったらぜんぶ寿命は違うし、何万年、何億年と生きる番組もあるだろうし、一応そういう説があるというぐらいなのです。また、寿命が一回きりで決まっているという番組があったら、それも説として認めた方がいい。
ただ、自分にとって、どの説がいいのか自由に選べて、必要だったら永遠にでも生きられるというように。ただ、この世だけが生きる場所ではなく、この世よりもっといい場所があったら、必要だったら、そっちへ移る方がいいのです。そういう意味の変化は自由自在に選べる方がいいのです。だから、本当はこの世の寿命も自分の好きなようになるのです。そういうのを言葉にして信じている番組の方が、その人のものになっていきます。言葉どおりの番組を選べるから、自分の一番いい言葉を選んで、寿命も自由自在に…。
-ありがとうございます-
今のお話で、私は自分の第一の寿命、第二の寿命、第二の寿命は知っているのですけど、第三の寿命もだいたい見当がつくのですけど、「そんなふうに思わんほうがいいんだけどなあ」と、人に言われたのです。そんなふうに思っていると、そっちの番組を選んでしまうということですか?
ありがとうございます:
やっぱりひとつの番組に縛られるのはバカです!他の番組はぜんぜん違う運命だし、寿命だし。自由に他の番組を選んで、寿命も自由に変えた方がいいのです。
神さまの助けを呼ぶ
-ありがとうございます-
手放すというコツはあるのですか?努力の法則で「早く寝たい、寝たい」と思うと、どんどん…。そうすると、神さまに近づこうとすると、段々段々下がっちゃったりして…。
ありがとうございます:
番組を変える一番のいい方法は、「新しい番組へ心を集中すること」です。今の番組をどうのこうの考えないで、新しいほうへ心を集中すればいい。そうしたらもう勝手に古い方は忘れて、放してしまいます。良い番組を見たかったら、いい番組へ集中するのです。病気の人が健康になりたかったら「無限健康、完全健康」と「健康の方へ」そういう言葉だけを使い続けたら、病気はすっと離れます。だから、いい言葉を使ったら心はいい方へ向くので、やっぱり言葉選びです。
-ありがとうございます-
私は肝硬変で、国立癌センターで五年も持たないと言われたのです。その時に「さあ、殺せ」って開き直ったのです。もう会社を首になろうが、女房子供も気にせずに、百万、二百万のお金を使っちゃおうと思ったのです。そうしたら全部正常値になり、癌センターは驚いて「信じられない」と言われたのです。
外科から「食道動脈で血を吐いて死ぬ」ってカルテに書いてあり、いろいろ検査してもらって、外科から内科に回されて、内科の先生は「お前は三年のところを七年も余計生きているからぜんぶ取り直させてくれ」というのです。
そのコツを覚えたのは、女房にも子供にも会社にも「さあ、殺せ」です。そうしたらパッと元気なりました。でも、やっぱり思いがありますから「肝硬変が肝臓癌になると大体医学的にデーターが出ている」と思いに囚われて、いろんなストレス、リストラなどが重なって、癌になりました。その時また「自分の好きなことに何か集中する」のを思い返して、呼吸法に集中して、会社にも「私は癌だから」ということで定時に帰してもらいました。再発してから手術も上手くいけたのです。
今何をやっているかというと、病気の体験をいろんな人に話したり、ちょっとヒントを与えたりすると、ニコッと喜んでくれるのですね。私は、相手を喜ばす事は、抗がん剤を飲むよりも、再発防止なっていると思うのです。癌センターへ行くと、仲間がいますから、もう病気の話ばっかりです。
それを、今先生が、別の番組に集中するのがいいと言われたのですが、私は集中が出来ないから、忘れる方に行かないと。忘れるにはどうするかというと、例えば、本当に喜んでもらう、心から喜んでもらうようなことをお金をかけずにして、他の人にちょっとしたヒントを与えてあげて喜んで帰ってもらう。そのニコッとした顔が、薬を飲むよりも効くんじゃないかと思っています。
ありがとうございます:
本当です、特に「ありがとうございます」を唱えていると、さっと神さまの助けで置き換えてもらいます。ただ、過去の古いのを掴みすぎると、無理やりというのはちょっと難しい。ちょっと新しいほうへ向いてくれたら、置き換えが早いのです。「しっかり握っている」のを引き離すのは難しいでしょう。
-ありがとうございます-
また、いじわるな質問をして悪いのですけど。「ありがとう」とは、なかなか言えないのですよね。三十数歳のとき病気になって、「自分の人生は終わりだ」というような、ここら辺の話をしだすと、顔が輝きだす人もいて、みんな大好きなのですね。「ありがとう」なんて言葉は出てこないのです。感謝なんて益々…。だから、そこら辺はどうやって切り替えたらいいのかと思いまして。
病気というチャンスがあって、手術もし医者にまかせるしかなく、それで開き直ってうまく立ち直れたのですけど、「ありがとうございます」は、ある程度体が安定してきて、幸せだからみんな言えるのですよね。それまでは、皆さんの幸せを見たら、悪魔みたいになって、もう殺してやりたいぐらいでした。そんな時でも「ありがとうございますを言えたら」と思うのです。
私は呼吸法をやって癌を消せましたし。知り合いの大学教授も癌になったのです。教授は呼吸法をやると癌にならないと思っていて、でもなったのですね。精神世界もいっぱい知っているし、前世療法だとか、いろいろと何でも知っているのに、癌になったのですよ。医者から「腎臓でこんなに大きいと、下手したら三ヶ月の命だ、最悪の場合覚悟してくれ」と言われたのです。彼は「まさか俺がなると思わなかった、教授だ、俺は精神世界を知っている、宗教も何もかも知っている、俺はみんなを救ってきたんだ」と言って、どうしようもないくらい、めちゃくちゃになったのです。そんな中で「ありがとうございます」は言えませんよね。どうしたら言えるのでしょうか?
ありがとうございます:
自分の力で何かしているというと、我があるのです。だから、「ありがとうございます」は、本当の神さまの助けを受け入れようという心なのです、神さまを呼ぶことです。だから、感謝するというより、神さまの助けを呼ぶことなんです。
だから、謙虚になるほど呼びやすい、「自分の力で何かしてきた」というと、ちょっと高慢になっている時です。その時は本当の意味で神さまを呼んでいないのです。だから、ちょっと頭を打つと大きい力にすがろうとする気持ちが出て、呼べるようになると思います。「呼ぼう」という気持ちになった時に、はじめてすっと「ありがとうございます」が自然に出てきます。それもひとつの勉強です、心配ないと思います。
-ありがとうございます-
病気という癌を与えられたということは、神の最大のプレゼントなのです。いろんな知識でいろんなことを学んだよりも「もう最大のプレゼントだから感謝できるようになったでしょう」と言ったら「出来る」と言うのです。今までの考えを百八十度変えないといけない。変えないと、また癌になって寿命を縮めている。
そうすると、やっぱりこういう世界に相当進んだということですね、知識じゃなくて、進んで実際に心から体験をする。私はワープロで「ありがとうシール」を作って渡してあるのです。効くそうですから。それで「いろんな状態の時にどうしたらいいか」を聞いてきてくれって頼まれたのです。病気に金縛りになっているのです。放せば完全に治るのですが、それにまだ気がつかないのですね。
ありがとうございます:
もう一回掴んだら震えがくるぐらいになります。でも、必ず放せる時がきます、放した時の本当の喜び幸せは大きいのです。
神さまの現れ
*神さまの現れとして受け直す*
-ありがとうございます-
神さまは、そうやって苦しまなければ楽しみがわからないように…。さっきの光の中にいれば光はわからないし、海の中にいれば魚は海が解らないし…。結論からいうと、どんな苦しみも神のプレゼント、最高のプレゼント、例えようもないプレゼントではないかと思います。
ありがとうございます:
その時は、大変なようでもすぐに良いように変わります。病気をした人は、大抵は病気という部分を掴むのですが、全身の六十兆の細胞を一個一個ながめたら、一個一個はもう一生懸命働いて輝いているのです。その病気のところだけが、その一個一個の細胞が、人のマイナスの思いを背負って消し続けるのです。病気は、細胞が人のマイナスの思いを被って、背負って消し続けているほど、もの凄い大きい働きの姿です。
病気の症状がでた時は、心の中のマイナスをどんどん消してくれて、正しくなる姿なのです。症状の症は、病垂に正しいと書きます。その、一個一個の細胞に「ありがとうございます」と言えたら六十兆回です!そうしたらどんな病気でも治ってしまいます。「全身の細胞さん、無限の無限のありがとうございます」と言わないとちょっと大変です。
-ありがとうございます-
私も危ない、五年持たないと言われて、癌センターを退院した時は、普通の雑草の花が、光に輝いたのです。ところが咽もと過ぎると、途端にこの世のことでこんなになっちゃうのですね。これはもうどうしようもないですね。また掴んじゃうのです。それでまた病気を作って、また手放して…。そしてまた、この世の中が光り輝いてくるのです。
-ありがとうございます-
咽もと過ぎれば…。
-ありがとうございます-
忘れちゃうのですね。
-ありがとうございます-
だから人間なんでしょうね。はははは。そうやね。
ありがとうございます:
人間だから感謝に生きるのです。感謝というのは、本当の自分の呼吸です、感謝を忘れたら呼吸を止めてしまうのです。だから、吸って吐いて、吸って吐いて、新たな受け直しというのが必要です、そういう意味で大事です。この世だけを見ているのは、過去を掴んだままなのです。
いつも神さまから受け直すというのは、やっぱり、この世を放して新しく神さまのほうへ向いて受け直さないと、「神さまの現れ、神さまの現れ」と受けないといけない。神さまを無視するのでは、神さまの現れとは見ていないのです。「神さまの現れ」と見る時は、みんな輝いてきます、そういう意味の「ありがとうございます」です、本当はみんな輝いています。
あとのお祈りというのは、二十四時間プラスアルファ、プラスアルファが常についています、二十四時間。そのプラスアルファにいろんな意味があります、普通のお祈りは自分がするんだったら、二十四時間一生懸命しても、二十四時間のお祈りです。
本当のお祈りには、その上にプラスアルファが加わります。いろんな意味があり、プラスアルファの方に本当の力があるのです。ギリシャ文字も最初にα(アルファ)です、一番最初の言葉でしょう。最高の光というように「絶対」と言えるのです。神さまがいつも最高の光を添えて来て、人のするお祈りのプラスアルファとして加わるのです。いろんな助けが、いっぱいアルファがあるのです。
守護霊さま、守護神さまの応援もあるし、縁ある人の大勢の応援もあるし、見えない世界からも、見える世界からもいっぱいプラスアルファが加わってきます。二十四時間、自分ひとりで頑張るお祈りよりも、無限に無限に凄い応援があります、それを受け入れる心がい大事です。だから自分独りが力んで孤立して祈るよりも、謙虚に素直にみんなの助けを受け入れたら、そのお祈りが大きい働きです。みんな自分の為に祈ってくれています。
だから、お祈りを忘れているときも、みんなが代わりに祈ってくれているというのがいい。みんなが忘れても神さまは祈ってくれていると!お祈りしたから良くなるのではなく、神さまの助けを受けてお祈りもさせてもらっているんです。「助けてもらってありがとうございます」と喜びの言葉です、喜んでいる言葉が「ありがとうございます」です。
だから肉体がひとつ病気をしていても、万病を抱えているよりはいいのです、だから、万病を消していただいてありがとうございますです。健康だけでは、本当のありがたみがわからないから、ちょっとは病を残してもらって「ありがとうございます」なのです。もう不必要なものは消してもらって、必要なものだけ与えてもらえるから、すべてプラスに喜べるというのが、一番幸せです。病気になっても、健康になっても、どっちも幸せなのです、死んでも生きても幸せなのです、何があっても幸せなのです。だからマイナスは本当はないのです。
-ありがとうございます-
マイナスという思いが、マイナスになっているのですか?
ありがとうございます:
神さまの計らいの方が、もっともっと無限に大きいプラスです。プラスを発見して気づいてゆく、「いっぱいプラスばっかり、幸せばっかり」というふうに。そうしたら、また「ありがとうございます」と湧いてきます。
-ありがとうございます-
そうしたら、もうストレスなんかなくなりますよね。
ありがとうございます:
どこにあるんでしょうか、あっははは。
極楽世界
*人を幸せに出来て、自分も幸せ*
-ありがとうございます-
会社で、能力給とかいって、仕事が出来る人が給料を上げているのがありますね。本来それが良いかというのは、どうなんでしょうか。
ありがとうございます:
能率的にしっかり働いて、それでお給料を人よりたくさんあげるというのは、働く意欲を起こさせる意味でいいかも知れない。時間だけを費やして働きが少ないというのでは、その本人にとってもあまりプラスにならない。だから、能力をどんどん引き出す意味だったら、励ましの意味でそれも悪くはないのです。
でも、やっぱりそういうのに縛られるよりは、もう喜んで喜んで自分の力を発揮する方が理想です。お給料なんか関係なしに、人を幸せに出来て、自分も幸せというように、人の幸せを自分の幸せにする方がいい。
だから、みんなのために何かお役に立てたら、みんなを幸せにしてるんだし、その人の幸せが自分の大きい幸せになっているのです。みんながそうなったら極楽世界です、それをみんな目指しているはずなのです。
「業想念」を消す
-ありがとうございます-
業想念の元の元というのは、結局どういうことですか。
ありがとうございます:
感謝を忘れると、自分の使った言葉とか思ったことが消されていかない。残っていって、それが積み重なって「業想念」となるのです。感謝し続けていたら新しく置き替わって、どんどん消されていくと思います。古いものが消されたら、新しいものに置き替わるから、残っていくものは何もありません。
これが、感謝がないと置き替わらない、古いものを消して、新しいものに置き替えてもらえないのです。その分だけ古いものが残っていくと、その時は良くても古いものは必要なくなって、不要なものになって「業想念」というマイナスに変わる。だから、感謝があるかないかなのです、感謝を忘れた途端に、業想念を生みだし続けるのです。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を言っているとき、最初は純粋に感謝の気持で、お蔭さまでと思って言っているのですが、言ってるうちに何か業想念に引っ張られて「何とかしてくれ」とか、「何か起こらんかなあ」などと、先程言われていたように、自分だけが力んでやっている状態があったのです。しばらくして気づくのですけど、そこへはまり込んだ時に、抜け出す何かありますか。
ありがとうございます:
一回感謝を忘れてしまって、渦巻く業想念に巻き込まれた時の本当の苦しさを味わって、「そこから抜けたい」という気持ちになって、それで抜け出させてもらった時の本当の喜びがわかったら、「自分はどっちを選ぶか」が決まります。幸せなほうを選び取ろうとした時は、必ず神さまは助けつづけます。ただ、大きい業想念を一回溜め続けたかぎりは、やっぱり自分の責任でそれを消していかないといけない。
そういう意味だったら、一度神さまに頼んだからといって自然に全部消してもらえるなんて、そんな甘くはない。溜めたものは順番に表面に浮かび上がらせては、自分の中の神さまの助けを受けて、どんどん消していくのです。外からパッと消してもらうんじゃなしに、自分も消す能力、力をどんどん付けないといけない。「どれだけ大きいマイナスがあっても消せる」というぐらいの大きい力がある方が、自信ができて本物になります。そして、いつも神さまに守られているという実感が強くなります。
そういう意味で「消す能力を付けている」というように、何回もそれを練習することによって、力が付きます。それも大きい神さまからのプラスのプレゼントです。
-ありがとうございます-
浮かび上がることによって?
ありがとうございます:
そう、楽しんで。それは何時までも続くんじゃない、今しばらく楽しんで、その内に「浮かばないじゃないの」と文句を言う。はははは。
「護られている」実感をも持つには
-ありがとうございます-
今の話に絡むのですけど。浮かび上がってきたときに「ありがとうございます」と言って消すということは、やっぱり他力本願的になっているのですか?
ありがとうございます:
そういう中で「ありがとうございます」と神さまを呼べたら大したものなのです。普通は浮かび上がったら、なかなか呼べない。呼べなくても大丈夫です、必ず神さまの助けが入ってきて、後から呼べるようになった時に、過去もぜんぶ消せます。いろんな意味の訓練、勉強をさせてもらって、それがぜんぶ大きいプラスに変わってくるのです。
本当は、神さまの護りが無限に無限に大きいのです。幸せへの最短コースを歩むようにって、どんな時にも守りに護られています。本当は何も心配ないのです。
-ありがとうございます-
いつも「神さまが護ってくださっている」という実感を持つには?
ありがとうございます:
だから言葉で「いつも神さまに守りに護られている」と言うと、護りが実感できるようになってくる、言葉通りになってきます。いつも神さまの護りの中に自分を置けます、だから、不安がなくなる、心の安らぎがどんどん大きく広がります、本当の安心立命を得られるのです。
神さまは大きくプラスが実現するのを助けるけど、マイナスの実現を助けることはない。ちょっと失敗してマイナスの言葉をいっぱい使っても、プラスの言葉を使おうとして使い始めたら、プラスの応援が大きいから、マイナスの実現を抑えてプラスの方を現してくれるのです。
常に神さまの護りは無限に無限に大きい。その神さまの護りを、やっぱり言葉にして繰り返せば心配はなくなります。自分の力でプラスの言葉を使ったら、プラスのことが実現し、マイナスの言葉を使ったらマイナスが実現して出てくるというのだったら、法則的な働きはそうかもしれないけど、神さまの愛の働きはそこへ出ていません。
神さまは、法則どおりだったら冷たい。でも、法則であると同時に、愛の塊みたいなものです。神さまは、マイナスは抑えて、プラスを実現しようとしてきます。ただ、人の自由意志をしっかりプラスヘ向けさせようというのはあります。そのための方便的な一時的な勉強材料は与えてくるけど、必ずプラスヘ向きを変えてくれるのです。最短コースで幸せが実現するようにしてくれます。
だから、そういうふうに何か機会がないと、ここへも来られない。ここへ来て何か必要なものを得るのも、最短コースかも知れない。だから、神さまはすっとよこしたのかもしれない。きっかけは取るに足らない、つまらん物かも知れないけど、神さまのほうから見ると、いろんな意味があるのです。神さまはもっと大きいプレゼントを用意しているのです。
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