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真祈り文庫
宗教の必要性
-ありがとうございます-
これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?-
ありがとうございます:
どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というのです、教えの元というのは神さまです。そういう意味だったら本物の神さまが必要です。絶対必要なのです。ただ、教えというのは、直接神さまから来ているというわけじゃなく、ピンからキリまである、いろんな教えがあるのです。
本物の神さまの教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神さまの教えは必要なのです。それは教えというよりは、元の神さまの働きなのです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神さまの働きが必要になってくるのです。
だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うのです。そして、中から湧き上がるような本当の神さまの助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神さまの本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思います。
それともうひとつは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れてる姿がいっぱいあるのです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるのですね。本当の神さまはどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神さまじゃない。模型はあくまでも模型です。
ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神さまだけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるのです。
これからそういうふうになって行くと思います。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神さまがみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要です。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神さまの働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れない。
供養
-ありがとうございます-
人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?
ありがとうございます:
そうです。これはお釈迦さまの教えとはちょっと違うのです。お釈迦さまは「悟りを開く為にはどういういきかたがいいか」と、悟りを教えているのです、肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないのです。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかっなのです。
本当は「みんなは悟っているんだ」という見方の方が正しいのです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげよう、いろんな供養をしよう」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なのです。「みんな神さまと一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受けるいきかたの方が、正しい受け方です。
-ありがとうございます-
という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?-
ありがとうございます:
みんな「ありがとうございます」という神さまと一体なのです。本物の神さまの現われと見るんだったら「みんな天照大御神さま」というふうに見た方がいい、無限に無限に輝いているというふうに。それは「ありがとうございます」と感謝する事なのです。
だから、その仏壇も模型なのです、本物の世界の模型になっています。中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を守りに護ってくださっている」という見方の模型なのです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてはいない、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なのです。
-ありがとうございます-
お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったのです。
ありがとうございます:
全部自分の方へ向けてもらっている。だから神さま、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」というのを確認する模型なのです。
ただ、誰も仏壇の中には入ってはいないのです。そういう小さい中に入っていない、本当の力のある宇宙大の大きい神さまが入れるわけがないのです。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのです。
そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方です。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。
ただ、模型は別に必要だったら使うのですけど、必要なくても破壊する必要はない。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいのです。
-ありがとうございます-
やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。
ありがとうございます:
はい。
-ありがとうございます-
古神道も神棚は必要なんでしょうか?
ありがとうございます:
まあ模型としてですから。だから必要な人はそれを使っていいと思うのです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神さまでないといけない、いろんな神名が出てくるのですけど。神社でも神名がそうでしょう、その神名の奥に本当の神さまが働いている、本当の神さまのいわば分身として、すべての神さまが助けてくださっているのです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです、「ありがとうございます」で全部に通じます。
何故「先生の話」が聞けるようになったの?
-ありがとうございます-
二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなのですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?
ありがとうございます:
昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていました。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです、深く深く祈る為に。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいのですけど、やっぱりお祈りの方が力があるのです。深く祈るお祈りというのが大きい力があります。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきました。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてきます。
そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神さまに力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さまが必要と認めてくださるのです。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っています。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さまが与えてくださったということです。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですから。
断食
-ありがとうございます-
三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。
ありがとうございます:
私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだった、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないのです。
それで二十歳過ぎから「命を神さまに捧げて、平和運動を一生懸命にしよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたのです。そうすると人の病気治しを一杯頼まれるでしょう、もう寝る時間がないくらい忙しい。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話がかかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。
中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうのです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのがおっくうになってしまって、面倒くさくなり、「丸薬ひとつで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまいます。
-ありがとうございます-
四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったのですが。
ありがとうございます:
思いっきりでもないですけど、はははは。
-ありがとうございます-
それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なのですけど。
ありがとうございます:
不思議です、出来るのです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのです。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのです。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張っていました。
普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと護ってもらえて、力を添えてもらった」という感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力は凄いなあと思います。限界をいくらでも破ってもらえるます。
-ありがとうございます-
百日やって、神さまを試されたのですか?
ありがとうございます:
神さまの助けがどんだけあるかと。断食するのは、神さまの恵みを拒絶することなので、よくないのです。いつも注意されていたのです、与えられたものを感謝して受けるのがいいのです。
私の場合は、我が強かったんだと思います、とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さまの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがありました。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我」があります、そういう我を消す意味もあっての事です。
神さまに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のです。断食や、またいろんな行的な修行なんか絶対必要ないと思います。何もしない方が、神さまの救いの働きを邪魔しないのです、本当は何もしない方がいいのです。
本当の祈りとは
-ありがとうございます-
「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?
ありがとうございます:
祈りというのは、神さまの命の宇宙創造の働きを指しているのです。本当の祈りというのは、神さまの宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さまの働きが祈りなのです。「本当の祈りをする」というのは「それとひとつに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけない、「受けて一体化する」というのが本当です。
-ありがとうございます-
受ける為にはどうすればいいのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と唱えて、「神さまの働きとひとつに一体化させていただく」のです。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。
-ありがとうございます-
そこまで「ありがとう」を言い続けなくてはいけない?
ありがとうございます:
その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのです。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるのです。
周囲の人もチャンネルが上がる
-ありがとうございます-
この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたのですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?
ありがとうございます:
本当は一人一人の自由な意志があるのです。回りの人は「上がりたい」と思っても、自分は絶対に「上がりたくない、下がりたい」という人もいます。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」と言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがある。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのです。
昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神さまに助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さまにすがって神さまから命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたのです、一対一です。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さまが助けるのですけど、数が少なかったのです。
今の時代は、特に『神さまの本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在ないきかたで、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきています。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。
その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化します。その内お祈りの方へ向いてくると、みんな一緒にすうっと救われるのです。
-ありがとうございます-
会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。
ありがとうございます:
そうです、祈りは必ず相乗効果が起こるのです。二人だったら2x2で4倍ね、三人だったら3x3が9倍に、もの凄い力です。
-ありがとうございます-
だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったのですけど。
ありがとうございます:
それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮します。
-ありがとうございます-
同じ場所にいることが大事なのですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。
ありがとうございます:
それでもいいのです。ただお祈りは、時間、空間を越えるのです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるのです。どの場所でもひとつにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるのです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さまの光どんどん流してくれているのです。
-ありがとうございます-
例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく「ありがとうございます」を言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?
ありがとうございます:
いやいや、何も思わなくて、ただ神さまの働きがみんなを通して働くのです。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれます。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのです。その病気の必要性もいろんな意味がある、心の勉強でもあるのですけど、いろんな勉強です。
また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行の。母親なんて特にそうです、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さまがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのです。
そうすると子供にとったら大きいプラスになる、そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれる。それは自分の方で願わなくても、神さまの方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるのです、大丈夫です。
-ありがとうございます-
神さまは微に入り細に入り、すべてを与えて頂けるのですね。
ありがとうございます:
そうです、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのです。
-ありがとうございます-
私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったのです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。
ありがとうございます:
祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいのです。自分の願いと神さまの願いは、ちょっと違う、ズレることがある、だからお任せの方がいいのです。お任せが一番いい状態になります。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?
ありがとうございます:
いや、自分の祈るぺースというのは大体わかります。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同じペースだったら大体わかります。
-ありがとうございます-
それが解ればもう、はい、わかりました。
無条件の幸せ
-ありがとうございます-
自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神さまへの全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?
ありがとうございます:
そうです、イメージトレーニングというのが流行ってます。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなのです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違います。だから、思いの力がないと崩れるのです、太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てきます絶対なくならないのです。
「神さまにお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはない、いくら「白雲で明るい」と言ったって、光とは比較できないし、本当の幸せ、という所までは行かないのです。
だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなる。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいのです、ひとつのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。
だからプラスに思うのもいいのですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいい。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいのです。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらない、感謝だけで最高の神さまの光を浴びられるのです。
-ありがとうございます-
そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなのですか?
ありがとうございます:
それが一番の幸せの最短コースです。神さまの新しい働きをずうっと受け続けて、一番いいようにしてもらえます。
-ありがとうございます-
受験でも具体的に願いを持たないでいい?
ありがとうございます:
もうすっかりお任せがいい。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのです、入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれない。それがすべて神さまの護ってくださった姿です。
-ありがとうございます-
やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」ですべてを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。
ありがとうございます:
だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのです。
だから幸せな心は何があっても幸せなのです、絶対崩れない。神さまの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなのです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものです、無条件で幸せが出てきます、幸せな心が湧いて出てくるのです。
最高番組を味わえるように
-ありがとうございます-
池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?
ありがとうございます:
人は、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているのです。どれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるか、これはもう無限に近いのです。
そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さなのです。
本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれない、また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている、だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「守りに護って頂いている」というような受け方の方がいいのです。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神さまの愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。
そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められる。そしてプラスヘプラスへ自分の心を向け続けてもらって「神さまの最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」と、もうすべてが感謝につながってきます。感謝で受け止めて行くのが一番いいのです。
それをマイナスに掴んだら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ない。被害者に「可哀相に」と言ったって幸せになれない。みんなが幸せになるいきかたというのは、やっぱり、そこへ神さまの大きい助けが降りて来ないといけない。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいのです、そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるのです。
-ありがとうございます-
池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?
ありがとうございます:
当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうに。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんです。一回殺されるぐらいじゃ済まない、それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのです。
だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行きます、そしたら幸せがどんどん大きくなるのです。
中心
-ありがとうございます-
皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?
ありがとうございます:
なられるんでしょう。中心というのは本当は、みんなも中心なのです。神さまと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なのです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくのです。
天皇陛下というのは、役割として、神さまの絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのです。だから「我」が一切ない、「我」がないから中心になるのです。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるのです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのです。その中心は無限にあってもいいのです、みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。
中心にもいろんな意味の中心があります。この体を見ても、中心は何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心というように。でも指を一本こう前に出したら、指が中心です、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいのです。
だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になります。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのです。固定された中心はないのです。もう常に、神さまはすべての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にです。
マイナスではなく神さまの助けに感謝する
-ありがとうございます-
古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ?
ありがとうございます:
善悪を含めて人の自由を縛るのは縛りなのです。感謝というのは、一人一人の自由ないきかたを尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なのです。
古いいきかたには、型にはめて、縛ろうというのがあったのです。これが正しいというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」と責めるのです。マイナスに見ることも大きい責め言葉です、言葉の槍で突き刺すような感じになるのです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しています、お返しを受ける可能性が大きいです。
どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さまの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうのです。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないようにみんながなればいいし、「ありがとうございます」と感謝すればいいですね。
やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神さまから加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神さまに加えてもらうのです。
神の怒り・悲しみ
-ありがとうございます-
神さまは「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?
ありがとうございます:
番組毎に違います。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正してくれます。高い方には怒りはない、だから感謝に生きる人は神さまのプラスを受け入れようとするんです、喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかり、怒りなんか全然ありません。
でも、神さまの助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくする。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれます。それも神さまの深い愛の働きです。でも優しい方がいいですね。
-ありがとうございます-
怒りの次に、悲しみなのですけと、神さまは戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?
ありがとうございます:
神さまは放送番組としてしか見てないのです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないと。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見ているのです。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいです、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。
-ありがとうございます-
悲しみもないんでしょうか?
ありがとうございます:
神さまの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方です。神さまは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いです、神さまを悪者にしてしまいます。「神さまの御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ということです。
この世の運命のストーリーがありますが、これが全部「神さまの御心のままに」と言うと間違いなのです。「本当の神さまの御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのです。まだ低い番組だったら、神さまの御心のままにとは言えない。何%かの神さまの御心のままにです、百%じゃない。
「百%神さまの御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さまの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さまのせいじゃない。良いものだけは神さまのお蔭なのです。
台風の意味
-ありがとうございます-
寝台車で来たのですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたのです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。
雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か