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2001ねん6がつ30にち・2


     ゆめつうは、つづけてもおぼえていないというか

-ありがとうございます-
 わたくしはあまりゆめないのですが、せんせいはなしをこのまえテープでいたときに、いろんなチャンネルがあるとわれていました。そのなかぶんたチャンネルをこういうふうにるような・・・。ぜんぜんゆめないということは、なにかそういうチャンネルがぶんなかにあるのですか?まったゆめない・・。

ありがとうございます:
 ゆめつうは、つづけても (ていてもおぼえていないのですか?) おぼえていないというか、おぼえていないようにしてもらっているあいもあるのです。だからねむるということは、たとえばにくたいからたましいけて、たかげんへエネルギーきゅうがって、エネルギーきゅうしたらもどってくるのです。すいみんかんひとによってぜんちがってくるのですが、ただその、もどってくるていつうするところをゆめかたちたり、またそのはいしゅじんさん、しゅれいさんなどは、こころまったものをゆめかたちしてせているとこもあります。
 つうはずうっとゆめさせて、つづけているのがほんとうしゅれいさんのきよめのはたらきなのですが、そのいちきがけにてくるときがあるのです。ほんとうなくていいのです、なくていいのだけど、ちゅうよそをしてながめてくるあいに、おくのこあいがあるのです。

-ありがとうございます-
 みながこんなゆめた、あんなゆめたと、いろんなことをわれるのをくのですが、ぶんあいまったゆめおくにないのです。

ありがとうございます:
 それはしあわせなのかもしれません。ゆめしゅるいがいろいろあります、きよめのゆめもあるのですが、たとえばいろんなれきてきせるゆめも、またかみさまがとくべつおしえたいという、れいによってどうゆめもあるのです。だからそういうときは、ハッキリときつくようにせてもらっておぼえています。しゅるいはいろいろですが、ひつようだったら、はっきりえるゆめせてもらえるし、なくていいゆめなくていいのです。あまりゆめとらわれるのも、ほんとうくありません。

-ありがとうございます-
 ぼくちちほんさいせい (めい) ぼくわかいから、ほんさいせいということがよくからないのですが。こうなってほん、そんなにまつなのかなとおもうのです。ぼくはそんなにじっかんがありません、そうさいせいしなきゃならないっていう・・。せんせいほんまつだとおもっていらっしゃるのですか? さいせいしなければならないとか、そういうのがよくからないのです。

ありがとうございます:
 さいせいということがどういう使つかわれているか、いろいろがあるとおもうのですが、たぶんいっしゅんいっしゅんあらたにわってくるというだったら、「さいせい」ということはことです。いまあらわれた姿すがたいまいっしゅんかされて、いろんなひょうげんをとっています。それをまたあらたないのちわってきてかされているという姿すがたをとると、これはもうかみさまのちゅうそうぞうはたらきとひとつになってゆくのです。そうすると、いものがどんどんてくるようになります。
 いままでのはつかみすぎて、しがみついていると、さいせいこらないのです、まれわりというえがにくいのです。らそのえをはやくするほど、いものとえがしてもらえるのです、かみさまのさいこうひょうげんまでてくるようになります。そういうほんさいせいという、ほんをもっともっとあたらしいサイクルでえてゆこうというのであれば、ほんさいせいということはいいことだとおもいます。

-ありがとうございます-
 ちちがすごくほんになっていて、ぶんいのちをかけて、このこんじょうをかけてやるとっているのです。それをぼくもおつだいしています。コンピューターでデータつくったりとかしているのですが、もんだいは、ぼくほんさいせいというものをじっかんできない。じっかんできないと、なんだか、ほんさいせいめい)しているのだというにならないのです。かみさまのさいこうひょうげんというのがかりません、だからどうしたらいいのかなとおもって。

ありがとうございます:
 でももうこころおくかっているとおもいます、かっていて、たぶんここへられたのは、それはほんとうかっているぶんづくかくにんのためにられたのだとおもうのです。
 ほんとうほんというのは、このしまほんということではありません。もとくにという、いちばんこんげんかいという、かみさまのさいこうひょうげんかいなのです、ほんとうもとくにというのは。ってみれば、けいけいうつっているような姿すがたがこのほん姿すがたになっているのです。そのかみさまのひながたを、さいこうそうひながたをこのほんにまずろして、それをかいひろげようとされているのです、かみさまのほうでは。そのほんとうかみさまのかいをしっかりととらえるのが、ほんほんとう姿すがたつかむことになるのです。
 それをどんどんどんどん、ふるいものとあたらしいものをえては、どんどんどんどんげんじつそうしてゆく、そうへとちかづけてゆくのです。えがたくさんこるほど、おくかみさま、さいこうひょうげんであるほんとうもとくに姿すがたが、そうぞうてきますから、そのまれわるえがどんどんないといけないのです。ふるいものをててあたらしいものをどんどん、かみさまのほうからすのです。

-ありがとうございます-
 ちちほんのことにこだわるのです、ほんみんぞくゆうしゅうだ、みたいなことをうのですが、べつほんでなくてもいいのではないかとおもうのですが。ほんでなくてもアフリカじんでもいいし、アメリカじんでもいいし、ユダヤじんでも・・・。そういうくにがあるのではなくて・・、くになかにいろんなひとがいますが、そのなかにはまったこくせきとかかんけいなしに、さいこうひょうげんをしているひとがいる・・。そういうふうにかんがえたあいに、ほんほんひつようがあるのかなという・・・。ぼくかんせいがそういう・・。

ありがとうございます:
 そのかんせいただしいのです。ふるひとあたまなかは、しばりのざんぞうがありますから、みんぞくしゅてきしばりがあるのです、おもいのしばりが。だからほんはそういうおおきいやくわりがあって、いものをっていたりしても、みんぞくしゅてきなものはおおきいしばりなのでマイナスにはたらくのです。
 かみさまからほんとうてきたものは、かいのものなのです。ほんちいさいものをぶつする、ゆうするものではありません。いものはかいひろがらなければなりません。ほんいものをかみさまからけたら、それをぜんかいていきょうしないといけません。またかいが、どこかでけたものをほんにもていきょうしてもらい、おたがいにたすいですから、ぜんきょうゆうしないといけないのです。みんぞくしゅとらわれたひとは、ほんだけがうえほかしたというかたなので、それはちがっています。だからどのくにも、どのこくみんひとひとも、ほんとうかみさまのさいこうのものをけて、せいゆたかにその姿すがたはっしたら、かいちゅうしんとしてかがやくのです、びょうどうなのです。

 いものをどんどんしたひとかいおおきく、らしいものにへんするわけです。だからほんがそのおほんしめちでいないと、かいにばかりこころけてたよっていても、ぶんわらないといけないから、まずぶんが、ほんくにが、というのを、それはまぁ、わるいことではないとおもいます。ただ、かくしてゆうれつめたらおかしいのです。いものはどんどんさきしてゆきましょうというのだったらかるのですが。
 だからおとうさんよりもあなたのほうかんがかたがしっかりしているとおもいます。ほんとうほんさいせいはたらきをするとおもいます。そういう使めいで、そういうやくわりになっているとおもいます。

-ありがとうございます-
 たぶんちちもそういうのをかっているとおもいます。そのほう便べんとして、やっぱりほんという・・・。

ありがとうございます:
 ほんくにかい姿すがたちがいというのが、たとえば、てもかるのです。ほんれっとう姿すがたかいたいりくしゅくになっていますが、それはぐうぜんではありません、です。タマゴがさきか、ニワトリがさきかのはなしはべつにしても、ほんはやはりかいしゅくというだけでも、かいひろがる、なにいものをひろげるやくというのはあるとおもうのです。
 ただ、まんるものではないのです。かいたいりくというしゅくというのだったらぶんのほうがちいさいのです。かいかされているというかんしゃちで、たすけてもらっているというおんがえしのちで、かいいものをはっしんするのがいいとおもいます。 ありがとうございます。



      にんげんはこのまれてきただけではないのです

-ありがとうございます-
 にんげんはこのまれてきたのですか?

ありがとうございます:
 にんげんはこのまれてきただけではないのです、もともとかみさまのなかからまれてきたという、
ぶんしんとして、やくわりがあって、そんざいしているのです。そのかみさまからてきているぶんが、かみさまのつくられたいろんなげんげんのチャンネルのほうそうばんぐみを、ほんとうたのしんでおおきいしあわせをあじわってしいのです。だからひとしあわせがかみさまのしあわせにちょっけつするのです。
 そういうで、ひとはこのというひとつのばんぐみちょうわせて、このばんぐみなかはまんでいるのですが・・・だからまず、はまむとたのしめないのです。テレビでもいっしょうけんめいると、なかってゆきます、はいってゆくとゆううしなうのです。だからそういうときひとつのチャンネルにとらわれてしまうので、もっとさいこうのチャンネルのばんぐみがあっても、そっちのほうかなくなります。

 まず、ひとかみさまのこころねがいをしっかりととらなおさないといけないのです。かみさまはひとたいしてなにねがっているかという・・・。ひくばんぐみをあるていたら、こんさいこうばんぐみこころけて、それをこころゆくまであじわえるぶんにまずもどることなのです。そのためにはばんぐみからさないといけません。すこはなしてかんかくがいいのです、この姿すがたぜんを。ひとつのテレビばんぐみながめているぐらいのかんかくで、けて、そしてちがばんぐみこころうつすぐらいのゆうこころだいなのです。
 ただそれはなかなかむずかしいので、かみさまのたすけをひつようとするのです。それで「ありがとうございます」ととなえることによって、ほんとうかみさまをんでたすけてもらい、そのかみさまといったいぶんもどしてもらうのです。それがばんぐみそとることになるのです。そうするといろんなチャンネルがあるのがかって、それでそのひくばんぐみたいけんしたこときてきて、さいこうばんぐみほんとうかんどうこころたのしくたのしめるようになるのです。
 しあわせがどんどんおおきくなるのがじんせいの、ひとまれてきたもくてきなのです。じんせいほんとうもくてきはなかなかおくぶかいのです。じんせいもくてきげんにいろいろあってもいいのですが、さいしゅうかいの、ほんとうもくてきはだんだんかってくるとおもいます。

-ありがとうございます-
 かんかんかくについて、かくにんしたいなとおもったのですが。らいかんしては、つぎにしかみょうにちないとか、そういうじゅんばんというかんかくかるのですが、おもしたときに、そうじゅんばんどおりにはぜんぜんおもせないし、いまこのしゅんかんにいろんないっせいにあるようながするのです。むかしからこういっぽんせんうえに、かららいつながっているというかんかくが、なんだかさいきんちがうのではないかなというがしてきました。せんせいかんのことにかんしてはなにか・・・・。

ありがとうございます:
 かんというのはむずかしいのです、かんくうかんわせて、かみさまがかいちゅうつくっています。そのそうたいひとつのようなのです、かんというのは。そのかんが、たんじゅんかんではなく、しゅるいがあげたらげんにあるかもしれません。いろんなかんを、いろんなくうかんわせて、いろんなかいしているのです、いまているこのかいはこのかんくうかんげんなかひとつです。だから、げんざいらいというようにとらえるこころと、けい辿たどこころぜんぜんちがうのです。けいかんひとこころかんぜんぜんちがいます。
 たのしいときけいかんながっていても、いっしゅんみたいにおもい、つらいことだったら、けいかんいちかんでもながねんげつくるしんだようなかんかくになるのです。ほんとうかんなにかというと、やっぱりひとたいけんするかんほうほんものなのです。けいがこれだけまわったからといっても、ぶんとはかんけいないのです。べつけいがいなにか、かいはかったからといって、そんなのはかんけいです。やはりぶんかんかくとらえるかんほうが、ぶんにとってはただしいのです。
 
 そのかんくうかんかんけいが、くうかんひろがるほどかんしゅくしょうされるのです。たのしいときかいひろがります、ちゅうだいひろがったら、かんいっしゅんしぼりこまれるのです、はんれいかんけいです。それでもう、いやなこといちぱいごくなんかだと、もうあながあったらいつてんはいみたい、ちいさくなりきりたいかんかくになるのです。くうかんてきにそうなってゆきます。そうしたらかんげんひろがってなんおくねんくるしむようなかんかくになるのです。
 このかんもいろんなかんかたかんがあるし、また、そちらのかいはいるとかんしゅるいおおいです。げんざいらいいっしゅんえるようなかんもあるし、タイムスリップとか、いろんなにんげんかんがえているいろんなことも、のうかんいっぱいあるのです。だからかんくうかんかんがかたいっぱいあるというほうがいいのです。「それがただしい、ちがっている」ではなく、ぜんただしいだという・・それで、そのぜんたいぞうとらえたときほんとうしんじつとらかたかるのです。

 ちょう、あのぞうでも、ぐんもうぞうひょうするときにはぶんてきにはみなただしいことをっているのです。ぶんてきにはただしいかんかくなのですが、ぜんたいとらえたときはぶんだったらただしいとはえないのです。だからいろんなかんくうかんかんがかたぜんかってきて、それぜんぜんたいそうかつできたときが、かんくうかんぜんたいぞうとらえるのです。そういうときに、よりただしくかいできたというふうにおもえるのです。
 このきていても、どんどんかんかんかくくうかんかんかくへんするかもしれません。いろんなたいけんかさねて、それをどんどんかいふかめてゆくことがいいとおもいます。いまたいけんできないことをことひょうげんしても、チンプンカンプンかもしれません。くうかんでも、(めい)とわれたら、そんなのあるのかとおもいますが、じっさいそういうかいはあるのです。それでひつようなものを、あっ、コーヒーみたいなとおもうと、ぱっとしてくる、しゅんかんてくるのです。そうして、しゅんかんひつようなくなってえたりするくうかんも、そんなくうかんもあるのです。 

 ちゅうそうぞうはたらきが、ちょうどちいさいはこおおきいはこんで、さらにそのうえおおきいはこをというような、こうぞうなのです。それもたんじゅんこうぞうではなく、ふくざつげんというくらいこうぞうというみです。げんなかにこのちゅうがあるとわれたらどうしますか? でもそういうみなのです。ちいさいいっげんなかに、このだいちゅうなかっているという、そういうようなそうけい姿すがたをとっている、じゅんばんおおきくげんひろがっているのです。
 ほんとうちゅうそうぞうかみさまのそうぞうはそうなのです。どのげんなかちゅうんでいるかという、そうぞうぜっするのです、ほんとうは。そのくらいにものすごい、そこれぬもの・すごいものがかみさまのほんとうかいなのです。さきたのしみということで、どんどんかんかくが、いろんなかんかくまれてくるとおもいます、かんとかくうかんたいして。


     べつにんじょうわるいばかりではありません、それをとおして

-ありがとうございます-
 ほんとうは、しゅれいさんとか、しゅじんさんとかよろこびたいことをしたいのですが、げんじつかいの、いまげんじょうの、とかにんじょうしばられて、どうしてもそっちをゆうせんしてることはおうおうにしてあるとおもいます。そうなってくるとやはりほんとうこころなかではしゅれいさん、しゅじんさんのよろこぶことをしたいと、こうおもうのですが、かいとかそういうことかんがえると、どうしてもにんじょうおもきにおいて、そっちへはしってしまうということがげんじつかいけっこうわたしはあるのです。
 そういうのはやはりこれからどっちにおもきをくべきかなとおもうと、やはりしゅれいさん、しゅじんさんのよろこぶことをしたいのですが。せいかつかんがえると、どうしてもにんじょうしばられて、そっちにはしってしまっています、そのへんを、どこかでべつしなくてはいけないなとおもいます。そのへんちょっとおしえていただけますか。

ありがとうございます:
 べつにんじょうわるいばかりではありません、それをとおしてほんとうひとしあわせにるのだったら、これはもうしゅれいさん、しゅじんさんのねがいで、かみさまのねがいなのです。それであいほんとうしあわせにるかどうかというのがだいなのです。
 たとえば、けっこんしきのおいわいにって、あいほんとうよろこんでくれるようなプレゼントをし、しゅっせきしておいわいする、そういうのだったらあいしあわせにしています。でもほんとうかたちだけで、こころともなわないかたちだけというかんじだったら、ほんとうぶんしあわせではないし、あいしあわせではないのです。

 ほんとうぶんしあわせをかんじ、あいしあわせをかんじるようなことをゆうせんしたら、ほんとうにんじょうしゅれいさんのあいこころひとつなのです。そのほうほんとうぶんほんとうしあわせをつかんでゆけるとおもいます。ほんとうしあわせをあたえたぶんかえってきますから。だから、もうどうしてもかたちだけになるのなら、るだけすくなめにして「ありがとうございます」をくわえて、ちいさいかたちでちょっとととのえるといいのです。「ありがとうございます」をくわえることによって、かたちおおきくきてかがやきます。
 いやけっこんしきでもばれてったら、かたちだんわらなくても、「ありがとうございます」ととなえてあげるだけで、それがほんとういのちたようなかんじできてくるのです。だからそういうるということによって、おおきいしあわせをみなりまくはたらきを、「ありがとうございます」をとなえることでます。そうしたら、またかみさまと、しゅれいさまのこころいっしてきます。そこはまたゆうざいです。



      これはわたくしがおではなく、わたくし使つかってくださるかみさまのがお

-ありがとうございます-
 せんせいがおは、とてもなにかほっとして、つつまれているかんじになるのですが、どうしたらそんなふうになれるのですか?

ありがとうございます:
 これはわたくしがおではなく、わたくし使つかってくださるかみさまのがおかんじているのです。わたくしはもうぜんかみさまにかえしてからっぽになりたい、いちばんけんきょになりたいとねがっています。ごくのどんぞこでもかまわないとおもっているのです、いつも。おんがえしのためだったら、みなわりにごくって、どれだけくるしみをあじわってもよろこんでけますというちでいつもいるのです。
 だから、からっぽになってひらなおっているのです、からっぽだからかみさま使つかいやすいのかもしれません。もしがおらしいとってくださっているのなら、らしいがおしてくださったのはみなさんのほうなのです、ひつようあってしてもらったのです。わたくしがおではありません、ひつようなだけのかみさまのがおかもしれません。



    ぶんおもどおりにをいっぱいして、いっしょうけんめいきようと

-ありがとうございます-
 ぶんでずっときてきて、ぶんちからでいろいろやって、ロクなことにならなくて、あぁ、もうたいがいだなとおもって、これはやはりかみさまのちからで、ぜんたくというか、ほんとうかみさまにおまかせして、どういうけっぶんおもっているけっとたぶんぜんぜんちがなにかがこるのかもしれないけど、もうかみさまにおまかせしてしまったほうがいいなとおもって、じゃあかみさまのおはいけんといこうとか、ちょっとそういうふうにおもってしまうのは、そういうふうにおもうと、またちょっと、かみさまガツンて・・。

ありがとうございます:
 そんなことはありません。ぶんおもどおりにをいっぱいして、いっしょうけんめいきようというのもわるいことではありません。かみさまがしできないのです、ひとゆうしばって、きょうせいてきかみさまはなにないのです。してがんっているときはだめなのです、やはりかみさまのたすけがぶんだけづまり、あたまつときがあるとおもいます。
 ただ、かみさまのおはいけんでもいいのです。そんなのはべつにいいのです、かみさまのはたらけるじょうたいにしてあげると、おはいけんで、よし、いっぱいいものせてあげようとってたすけてくれるかもしれません。それはいいのです。だからかみさまのたすけをれようというちになったときに、かならかみさまのたすけのほうはいってくるのです。だからなにかしたから、じょうけんてきなにかしたからたすけてあげるというのではありません。たすけをれるちにさえなっていたら、じょうけんたすけてくれるのです。

 それが、「ありがとうございます」ととなえる姿すがたになっててきたりするのです。だから「ありがとうございます」ととなえないとたすけてあげないではありません。ぎゃくです、たすけてもらったから「ありがとうございます」のかんしゃこころぜんてくるようになっているのです。
 だからさきたすけてもらっているのです。ことても、ぶんことをしたからかみさまにたすけてもらうかくたのではありません、ぎゃくです。かみさまにさきたすけてもらったから、ことるようにして、けっせてもらってしあわせにしてもらっているのです。それがじゅんかんこしているのです。

 たくさんためしたほうがいいのです、すごいちからせてくれます。わたくしじゅうさいだいだんじきばっかりしていたのです。かみさまをためしていたところがあり、どこまでげんかいがあるのかとやっても、たすけてもらえるかという・・・まもつづけてくれたのです。だから、もうこわいものらずになってしまったのです。

-ありがとうございます-
 ためすというのは、ぶんよくとか、いろんなものぜんしてなにくならないと、かみさまというのはたすけてもらえないのではないかなとおもうのです。やはり、よくは、にんげんさんげんかいきていると、やはりよくというのはてられません。てようとおもっても、なにかをしがったりするから、そういうひとひとつをててからっぽになったときに、かみさまをこうためすというか、そうしたときにはたすけていただけるのではないかというちがあるのですが?

ありがとうございます:
 かみさまがたすけたいというときはやはり、(めいいちばんたすけやすいのです。ただ、どんなじょうたいでもいっしょうけんめいにやっているときおうえんしたくなるのです、なまけているときはやはり、あまりすことはしないです。 そのかみさまのたすけというのも、いろんなたすかたがあるのです。(やはりぶんこころだい?) かみさまのほうからたすけてあげたいというちをこさせるぐらいの、なにかそういうかたをしていたら、ことわってもたすけにるかもしれません。いろんなたすかたゆうざいにしてくださるのです

-ありがとうございます-
 いまのことについてですが、やはりあの、なにもしないよりもどんどんしっぱいしてもいいから、どんどん
こうどうしたほうが、よりけっるわけですか?

ありがとうございます:
 「なんでも」とはばひろくするのもいいし、ひとつのことをいっしょうけんめいにやるのもいいし、いろいろなのですそのときそのときで。だからあさひろくというのもいいし、ひとつのことふかくというのもいいのです。ただもうぜんりょくでしくすというのがだいです、ぶんげんかいやぶるぐらいの。そうするとどうしてもかみさまがおうえんしたくなるのです。まわりのひともそうだとおもうのですが。あのひとはあれだけがんっているのでおうえんしたいというちをこします。ひとでもそうですから、かみさまもたすけたくてたまらないのです。
 いつもっているのです、いつたすけてあげたらいいかなというふうに。だからいっしょうけんめいまえきにがんっているときは、そのひとほんとうたすけてしいというちでがんっていますよね。まえすすみたいという、なにもくてきっているときはそうなのです。いくらおうえんしてももんわれないから、うしろから(かみさまは)おうえんします。



     そのひとだんどういうこと使つかっているかがだいになります

-ありがとうございます-
 わたくしはたらいていないのですが、もうほんとうしあわせにらさせてもらっているのです。わたくしともだちみやざき
から鹿しまてんきんして、かんちょうをしているのですが、そこですごくいじめられるというか、50だいなものですから、わかひとたちおおいのです。そのなかでやっぱりリストラみたいなかんじでめざるをえないようなわるをされたりとか、いろんなことがあって、もうきついおもいをしているのです、そのひとにいつもそうだんされながら、いてやるだけしかないのです、わたくしは。
 そのなかでちょっと、めたいというちがこってそのひとが、めたいめたい、あと1ねんとかもうにでもめたいというようなこころがあります。そのなかわたくしはどうやってってあげたらいいのか?

ありがとうございます:
 そのひとだんどういうこと使つかっているかがだいになります。たぶんマイナスのことえてきているのです。

-ありがとうございます-
 はい、もうそのとか、どんどんてくるようになりました、やはりそういうことがあるから・・・。だからそういうことすこしずつっていって、そういうことわないようにしたらいいね、とかっているのですが。

ありがとうございます:
 げんじつはどれだけマイナスでいちぱいでも、そのなかからプラスをさがそうとおもったらさがせるのです。そのプラスのたからものさがちになるとプラスこうになり、プラスのことをいっぱい使つかえたら、かならずマイナスがプラスにわってくるのです。
 ことはとてもだいなのです、どういうこと使つかうかということが。ことえらびのべんきょうです、まわりがどれだけわるひとでも、たいていみなこと使つかったかとおもうのですが、(すごくそのひとこときずつくのです)そうです、マイナスのこときずつくのです。(はい)

 やはりぶんがマイナスのこと使つかっていると、ちょううものをせるのです。マイナスのこといっぱいかされるようになってくるのです。だからもうプラスのことだけぶんすようにしていると、マイナスのことってきません。プラスのことれるのだというちになっていると、プラスだけせるのです。そうするともう、こころしあわせだし、べつまわりのことっかかりません。ぶんはもうプラスのものあたえるだけというふうに、あたえるこころわれるのです。
 かんさんはとくにそうです。あいあたえるだけです。むくいをもとめずにあたくすこころほんとうもくてきなのです、かんさんは。ほんらいもくてきに、ちゅうしんもどればいいのですが、まだひとなにかおかえしをもとめたり、ひとにこうなってしいともとめると、またくるしくなるのです。

-ありがとうございます-
 じゅうしょうどもたちのところにいるのですが、そこのどもたちはすばらしいどもたちだから、もうわたしたちじょうにすごいものっているのだよって。だからそのどもたちためがおさせてあげて、と、どもたちたすけてくれるから、どもためいっしょうけんめいやったらってまえからっていたのです。でもこのごろやはりそういうのが、こう、るものだから、ちょうがなんだかくるってしまって、いまどんぞこじょうたいなのです。
 だからそこからがる・・・。いままではすごくかったのです、いろんなひとはなしきながら、プラスこうきていたものだから、だけどやはりひとつそういうのがると、ぶんなかはいっているものがどんどんされて、すごくとかいろんなものがてくるのです。そういうのをくしたほうがいいかなというアドヴァイスのほうがいいのかなとおもって・・・。

ありがとうございます:
 いままではぶんちからきているとか、ひとかされているという・・・まだあさいのです。これからはかみさまにかされているという、そのほうがいいのです。そのえのかもしれません(われても、それをながすぐらいの、ありがとうございますって・・。)。
 かみさまにしあわせをあたえていただいているという、ほんとうのプラスこうになって、かんしゃこころで「ありがとうございます」のことだけとなえていたら、もうぜんかみさまのたすけでくなるのです。

 いままではやはり、ぶんちからきたい、ひとささえてもらってきるのはあさかただったら、それをふかい、ほんとうふかい、「かみさまにかされて」というほんとうふかしあわせをつかかたへんするときだとおもいます。ほんものだいはいだから、ぶんこころわらないとおかしいのです。そのわるきっかけをいまつくってもらっているかもしれません。
 だから「ありがとうございます」をとなえることをゆうせんさせたら、ぜんにプラスこうわってあたくすこころになれて、ほんとうしあわせなこころたくさんまたいてくるのです。「ありがとうございます」をとなえるのをすすめてあげて・・・。(わかりました。いつもすすめています。)、それをじっこうされたらかならわるとおもいます。



     びょうめいけだしたからびょうえたのです。むかしびょうめいいて

-ありがとうございます-
 ぼくあねがここにいるのですが、あの、ななねんぐらいそううつやまいしんだんされて、くすりんでいるのです。んでいるうちにおさまって・・。ははおやちちおやぞくはんたいけてがいしゅつできないのです。そううつやまいだと、しんぱいするのです、ははおやが。そとて、あれこれひとせっって、(めい) でも、ぼくていたら、びょうではないとおもうのです。そういうふうにそういうチャンネルにわせてせいかつしてしまっているとぼくおもっているのです。

ありがとうございます:
 ほんとうです、びょうめいけだしたからびょうえたのです。むかしびょうめいいていないで「かぜひき」ぐらいでわって・・、たくさんのびょうめいけだしたから、いろんなしゅるいびょうがどんどんてきているのです。だから「びょうである」とみとめないほうがいいのです。

-ありがとうございます-
 ははおやあねじゅくまれたものだから、にかけてまれたのです。それでははおやが、まれたときに、ぬかさんけるとかで、ウイルスかなんかでえなくなったというはなしいたのです。で、たすかったのです、たすかって、ははおやが「このいっしょうわたしまもる」とかみさまにちかったらしいのです。それはじょうにいいことなのですが、ぎゃくむすめたいしてのたいというかかまえとか、そういうのはどう・・・じゅうなんせいくなったかなとおもいます。

ありがとうございます:
 マイナスにおもぎているのです。じゅくまれるぐらいのじょうたいでも、かされているという、ものすごいかみさまのせきてきりのちからなのです、ものすごくうんがいいのです。どんなじょうたいでも、ぜったいまもってもらっているぶんなのです。しんぱいすることはなにもありません、ぎゃくです、げんげんまもられているぶんなのです。
 だからはいまもかみちからがあるのです。しゅれいさん、しゅじんさんにものすごいちからがあるのです。だからどんなじょうたいになっても、そういうじょうたいまもってもらえたのだから、なにこってもだいじょうなのです。ほんとうはマイナスにることではなくプラスにほうかったのです。マイナスにおもっただけが、そのおもいをきずっているのです。

 (あまりにもしんぱいぎる?)そうです、しんぱいおもいがくない・・。(ぼくはやはりむすだから、どうしてもははおやにはてないというか、そのへんそういうジレンマがいつもある・・。)それでも、どもおやえてゆかなくてはいけません、おやよりもパワフルになる・・・。だからそれをべつにマイナスにおもわないで、このおやからまれたかぎりはぶんほうがもっとパワフルだと、はははは。かならずどんどんくなってまれてくるようになっているから、なんでも、なんでもそうです。おやいものをどんどんいで、それをあしにしてどんどんびるのですから、ぶんのほうがうえだとおもったほうがいいのです。
 ちいさいときべつにして。いまはもうおやえているとプラスこうおもったら、ほんとうちからてくるのです。だからそのマイナスにま</