真祈り文庫
2001年6月30日
離婚について
-ありがとうございます-
今の世の中で離婚がいっぱい増えてますし、何回も離婚する人がいますけどが、あれは別に悪いことではなのですよね?
ありがとうございます:
悪いことではないのです。結婚の目的は色々な目的があります。でも神さまは人の自由を絶対縛っていないのです。どんな人と、どういう目的で結婚して助け合ってもいい。だから、自分の自由意思に叶わないものだったらまた変えたらいいのです。
この世で仮に百回位、結婚して、結婚して、結婚してでも、離婚してでも、百生分生きるような感じです。百回生まれ変わった分を短期間で過ごしたような感じです。特にスピ−ド化してくると、そのくらいあっても別にね、したい人はしたらいいのです。そこまで自由だと思います。だからお互いに我慢してというのはあまり必要ないのです。両方が早く大きい幸せをつかめそうもないので、助け合いだったら縛り合わずにどんどん助け合って与え合う方がいいですから。
だから本当の人の目的というのは、全体に自分のすべてを与え尽くして、全体から大きく無限の無限のプラスを受け直すことなのです。だから結婚というのは、特定の人に与え尽くすのですけど、全体に与え尽くすひとつの勉強です、練習です。そういう意味だったら早く神さまに、全体に、大きく自分を与え尽くすためだったら、色々な与え尽くし合いの練習すればいいのです。何れは全体に自分を与え尽くして、全体から大きな幸せを頂く極楽世界に住む自分になるでしょうね。
だから、もっともっと自由な発想の方がいい。過去に縛られ過ぎると本当の自由がないんで苦しいのです、だから本当は今結婚をされている人でも、今日始めて結婚をしたんだという受け直しをすると新婚気分で、また感動が新たに出来ます。同じ人のようでも、人も一瞬にして生まれ変わります、変化しますから、いつも新しい人と結婚しているという感覚はいいですね、いつも新婚です。ただ名前が同じ人が続いているんです。でも、人は変わっていますよ、毎日、毎日ね。
夫婦喧嘩について
-ありがとうございます-
夫婦喧嘩をしてもいいのですか?
ありがとうございます:
鍛え合うという意味では。お相撲取りさんはいつもバンバンとやられるんで、肌が綺麗ですよね。叩くと肌が丈夫になって綺麗になるらしいです、もち肌の艶々した肌になるらしですから、いいかもしれない。喧嘩はちょっとは誰とでもまた仲良く助け合う姿をもう一回見直したい時に幸せが大きくなりますものね。
だからいい姿には馴れ過ぎたら感動が取れなくなるのです。一回マイナスの体験をするとまた、今の状態が大きいプラスに見えて幸せを噛み締めて味わえるようになります。喧嘩したい人はどうぞ!でもいつもすると苦しいですから一生に一回位でいいですよ。
生まれ変わりと親子関係
-ありがとうございます-
生まれ変わりで親子の関係は何代か続きますか?それとも一代限りですか?
ありがとうございます:
何回か続く場合も、一回限りもあります、色々です。只、その親子の関係というのも何かの意味で心の波長、波が合うのです。全体じゃない、部分的にしても、波の合う所で親子関係が生まれます。
だからその肉体的な姿形で似通っている親子もありますし、また心の状態で似通っている親子もあります。後は色々な能力、芸術かなんかだったらヴァイオリンの名手だったらヴァイオリンという能力で似通って親子関係になる場合もあるのです。色々な意味の色の波と同じになるという、波の変化によって色々な親子関係が生まれます。ただそれも、何回親子関係になるかというのは皆違うのです、かなり自由があるのです、幅があります。
「ありがとうございます」の意味
-ありがとうございます-
「ありがといございます」という言葉に一語一語全部意味があると聞いたのですがそのことについて教えてください。
ありがとうございます:
日本の国は言霊の幸はふ国といわれるだけあって、神さまの宇宙創造の働き、これを言霊というのですが、言葉になっているのです。それと人の使う言葉との間にかなり似通った近似性のものがあるのです。それでその一言一言に言霊の裏付けです、バックアップ、応援があるのです。
「あ」というのは、「絶対」とか、「光源」とか、「光」とか、そういう意味なのです。
「り」は、螺旋状に宇宙すべてが組み合わさって生み出されるという「ら行音」なのです。直線の交わりは一点ですが、螺旋状にどんどん広がっていくと交わりが無限に出来るのです。それも相似形の姿を取って生まれてくるという宇宙の仕組みが、入れ子構造の作り方です。そういう意味で「り」が使われている。
「が」というのは、「か」をダブらせて「輝きに輝く」という、「無限に無限に輝く」という意味が「が」で現します。
「とう」というのは数字の十なのですけど、「ありがたし」という「た行音」と「さ行音」で、た行音が縦の線で、さ行音が横の線、という相対に分かれるすべてを十字に組合わせる訳なのです。
例えば光と闇、生と死、善と悪・・・とかね。全部縦横十字に組み合わせてそれをひとつに中心にまとめて大調和させるというのが「とう」です。
「ありがとう」で神さまの絶対から生み出された最高表現を「ありがとう」という形で表現しているのです。これは新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯という、古神道で言うと「天照大御神さま」です。宇宙絶対統一神です。宇宙全体が無限の無限に輝いた最高表現を取っているというこの天照大御神さまを指しているのです。この「ありがとう」という言葉はね。
次の「ご」というのは「こ」がダブって「凝り固まって、凝り固まって」いく、高いものが低くなって低くなっていく「物質化して物質化して」いくのです。
「ざ」というのは、「さ」がダブって宇宙のすべてが変化無常なのです。さらさら流れている、命が流れている、さわやかな、素晴らしい、美しいものがさらさらと川の流れのように、光の流れのように、命の流れのように流されているんだというこれが「ざ」なのです。
「い」は命の「い」でこの宇宙のすべてを生きているんだというこれを強調しているのです。石ころ一個の命を生きているんだ。神さまの命そのものなんだ。鉱物だから、動物だからというのではなしに、みんな同じなのです。みんな命を生きている、神さまの命そのものなのです。それを「い」という言葉で現すのです。
「ま」は、「まったき、完全な、完璧な」という言霊なのです。丸と言うのでも角張っていない円相の姿です。だから「ま」は「完璧な」という意味なのです。宇宙のすべてが最高表現を頂点にして、この現実化されたすべてなのです。神さまの立場から見て全体像が完璧なのです。これを別な言葉でいうと神さまの放送番組として無限の無限のチャンネルが用意されているということなのですけど。一番上の最高番組から一番下の地獄の番組迄全部番組として揃えてくださっているのです。
だからそれをどれだけ味わっているかは、またちょっと違うのですけど、全部味わえないのです。ほんの一部しか味わっていないんですけど、番組としては完璧に揃っているという、それが「完璧」だというんで「ま」なのです。
その神さまの最高表現を頂点にした無限の無限のチャンネルの番組は一瞬一瞬また新たに置き換わってくる、それが「す」という。常に現れたものは絶対に戻って来るというその繰り返しをしています。ただその繰り返しが常に「ます」、増えるのです、どんどん良くなってくるのです。増えてくる、どんどんプラスが増えるのです、それが「ます」なのです。
だから、神さまの作るすべてのものは同じものがふたつとないのです。すべてが異なっている、同じとことは二度と繰り返さない方がいいんだという、それでいて働きはどんどん出てきています、そういうことが「ありがとうございます」という言葉の神さまの働きの全体を指しているのです。
今までの信仰だと神さまの全体をさす言葉はない。何々の神さまといっても全体じゃない。その神さまの大きい働きの中の一部です。ところが「ありがとうございます」は神さまのすべてのすべての働きを、このひとつの言葉に表現されている。だからその究極の神名なのです。
これは本物の神さまなのです。人の作ったものじゃない、元々ある神さまの働きの全体像であり本物なのです。だから不思議な言葉なのです。人が作った言葉じゃないのです、神さまが最初から用意してくださった言葉です。人の誰かが作った言葉だったらその人の専売特許なので、誰でも自由に使えないかもしれないです。また其処まで本当の神さまの大きな力がないかも知れないです。これは誰でも自由に使えて最初から用意されている言葉なのです。
「ございます」の意味は
-ありがとうございます-
「ありがとう」は、このままでもすごく良い言葉だとわかるのですが「ございます」の方にも意味があると教えて頂きました。ありがとうございますはそのままでも心に響き渡る言葉ですが、では例えばスチュワ−デスさんに「これなんですか」と聞いて「これはオレンジジュ−スでございます」と言った時の「ございます」の意味も「いのち」の意味なのでしょうか?
ありがとうございます:
普通で言う「ございます」は、「ここにある」というような感じで軽いものです。
「ありがとうございます」まで深くなればいいのですが。
-ありがとうございます-
でも、何にでも「ございます」とつけたほうが良いですか?
ありがとうございます:
「ございます」の付け方が丁寧に言っているという意味も色々な意味があります。でもこれは、「ありがとうございます」の言霊はそういうのと意味が違います。もっと大きく深いものなんです。
-ありがとうございます-
先生は小さいときからずっと「ありがとうございます」をずっと唱えられていたと聞いた事があるのですが、その意味がわかられて直感みたいに唱え続けられていたのですか。
ありがとうございます:
本当に答えが見えたのは、それが神名とわかったのは一億回以上唱えてからです、やはりそれまでは浅い。ありがたいことはありがたい、光を感じることは感じるし、みんなそれは見える事は見えるのです。ただこれが本当の神さまの究極の神名ぐらいに見えてこないのです。中々ね。
-ありがとうございます-
外人さんが「ありがとうございます」と言ってもいいのですか?
ありがとうございます:
いいのです。
-ありがとうございます-
意味が解からない人でも言ってもいいのですか?
ありがとうございます:
いいのです。
-ありがとうございます-
では、日本人だけということはないのですよね。でもフランス人だとメルシ−というじゃないですか、メルシ−とありがとう、彼らにとってはどちらを使うべきなんでしょうか。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」の方がいいのです。
-ありがとうございます-
そうですか、フランス人でも。
ありがとうございます:
元々は神さまからすべて生まれているのです。人の使う言葉も元々は神さまの中から言霊を元にして生まれているのです。だた、言霊のバックアップが多いか少ないかはまたちょっと違うのです。
-ありがとうございます-
フランスにも言霊はあるのですか。
ありがとうございます:
全部にあるのです。あるのですが、ただ多いか少ないか、バックアップがあるか、ないかの違いなのです。国の違い、国境というのも神さまが作ったか人が作ったかというと、人のほうが作っているのです。神さまの方は、皆そこそこおなじに個性はあるのですけど一体化しているのです、バラバラじゃないのです。
人間の作った国境があるから争いの原因になる。これだけは自分の物だと掴んでしまいます、一体感がなくなっていきます。元々「ありがとうございます」は、地球の人なら地球の人全体に神さまが与えてくださった言葉です。だから日本の国だからこの言葉を使ったら良いではないです。良い言葉は世界全体の為の言葉です、その為に用意されているのです。だからこれを日本の言葉なんだと決めつける方が私物化しているでしょう。
-ありがとうございます-
そうですね。でも外人にとってはどっちを使えばいいのかなぁ。彼らにとってはメルシ−の方が自然ですから…でも、それを捉えていてもあまり意味がないのかなぁ。「ありがとう」の方が言霊的にはレベルが上って事なのですね。
(そうです。)
でも、そうなってくるとサンキュ−、メルシ−、ありがとうで言うと、どれが一番下のレベルでどれが一番上のレベルって言うのが出てくる訳ですか?
ありがとうございます:
あります。サンキュ−では「ありがとうございます」の本当の意味がぜんぜんないと言うくらい無いのです。サンキュ−は新たに感謝するという意味でしょう。その程度じゃこの宇宙絶対統一神の最高表現を現わすような言葉にはならないのです。
-ありがとうございます-
では例えばアメリカ人にして見ればどの言葉を唱えればいいのでしょうか。結局彼らにとって「ありがとう」というのはちょっと別の言葉なので、「私達(アメリカ人)の言葉の日本の中で最高レベルの言葉は何ですか」と聞かれた場合は、どう答えたらいいのでしょうか?
ありがとうございます:
ないですね、ないから、日本人がこれを日本の言葉といわなかったらいいんでしょう。どうぞお使いくださいと、自由に世界に投げ出せばいいのです。私達はこの言葉で幸せにして頂きましたし、皆さんもどうぞ、がいいのです。国境を取り払ったらいい、今の時代は特にそうです。国境が無くならないと世界が平和にならないのです。
-ありがとうございます-
すいません長くなって、でもフランス人にとっては「ア・リ・ガト・ゴザイ・マァシュ」(笑)となってしまうじゃないですか、発音が違ってもいいのですか。
ありがとうございます:
可愛いじゃないですか!!発音が違っていてもいいです。段々とわかってくるんじゃないですか?日本の言葉でも世界の共通語になっているのがあります、柔道で「一本!」とやるじゃないですか。柔道も国際語みたいなものです。「一本」は日本の言葉です。だから世界共通語になっても良い言葉が一杯あってもいいじゃないですか。
神には五つの大きい意味がある
-ありがとうございます-
ありがとうございますの他にも言霊の隠された言葉って有りますか。
ありがとうございます:
あるんじゃないですか。「明けましておめでとうございます」なんて良い言葉です、「お蔭様で」とか、神さまの働きを色んな意味で現わしています。
神という言葉もそうです。日本の神という言葉も深い意味を秘めているのです。神というのが一番の大きい働きを指す言葉で、五つの大きい意味があるのです。
「隠身」、絶対を隠身と言うのです、これを縮めたら神です。創造の働きがかごる「仮凝身」を縮めて神です。無限に輝いた最高表現を輝く身で「輝身」、これが縮まって神で、その分身としての無限の無限の神さま、八百万の神さまを指して「翔身」という。神通自在に宇宙を翔け廻れるという意味で、「翔身」が縮まって神です。
この世の姿もそうですけど、あの世の色々な物質化された世界の姿全部を愛の心で、自分の自由を限定して色々な姿に変身するのです。例えば石ころでもそうです。宇宙を自由に飛び廻りたい神さまが石ころに変身して、みんなに踏まれても「ありがとうございます」と支えてくれるって凄いです。愛の塊みたいなものです。
そういう愛の変身の姿「限身」というのです。それが縮まって神です。
神という言葉に五つの大きい神さまの働きが全部表現されているでしょう。神ひとことでも全体像つかむのです、神さまの働き全部をです、だから素晴らしい。英語じゃゴッドだけでしょう。言霊の幸はふ国の言葉という意味で判るのです。それでも全体の意味が全部出ていない。だからアラ−の神といってもそうです、「あ」と「ら行音」は判るのですけど「がとうございます」はない。そういう意味ではちょっと足りないところも多いのです。
神と髪、色々な意味の神
-ありがとうございます-
始めに言葉ありきと聖書でも始まります。言霊と日本では言いますし、母音であらゆるものが生み出される言葉もありますね。そういうことから考えてみると「ありがとうございます」という言葉にも母音が全部含まれてます。そしてまた、ありがとうが天照大御神という宇宙統一神を指し、ございますにも色々な意味があるということが、お話でよく判ったのですが、私達の体の一部である髪の毛もかみと発音しますがその辺はどう関係があるのでしょうか。
ありがとうございます:
字を書く紙もかみです、上・下の上もかみです。だから色々な意味のかみがあるのです。言霊というのも、「あ」という言霊の解釈も一通りや二通りじゃないんです、沢山の意味があるのです。
だから言葉というのはちょうどダイヤモンドみたいなもので、その面が沢山あります、どの面を前に出すかなのです。「あ」というのを前面に出した時はバックが色々な面が付いているひとつのダイヤモンドです。
だからその角度、動きで全部意味がいっぱい分かれて出てくるのです。だから同じ「あ」というのでも単調な言霊じゃない、表面に出ているけどバックに全部持っている「あ」なんです。細かく分類したら「あ」という言霊は本当は無限に分かれるのです。無限の働きをもっているという其処までいくのです。
だから言霊で、言葉で宇宙のすべて表現されてくる、創造されてくるというのでも単純な、例えば五十音なら五十音の組み合わせで宇宙のものが生まれるかといったらそうじゃない。「あ」が無限に分かれて、「い」が無限に分かれてといったら、もう想像を絶する組み合わせが起ります。そこまでいかないと無限の無限のチャンネルを作ることが出来ないのです。
個性と癖の違い
-ありがとうございます-
そのダイヤモンドの色々な面がある一番良い面を出そうとしたらどのような事を心がければいいのですか。言葉を発する時の気持ちですか。
ありがとうございます:
良さは自然に出てくるのが本当なのです。自分の良さを出すには、自分の個性がそのまま自然にサッと出てくるのが良い。ただ個性というのは、指あるでしょう、親指、人差し指、中指がありますね。この指を切り落として並べたら、親指、人差し指、中指と言えない。だから全体と繋がっている時だけが個性が生まれるのです。
人も神さまと本当にひとつに一体化している時にその時個性があるのです。神さまは宇宙に何ひとつ同じものを作っていないという所が個性なのです。一人一人独特のその人でないと果たせない、宇宙にただ一人の個性有る自分が有るのです。そして全体の為に大きい働きをする訳です。だから自分は宇宙全体のいつも中心に置かれるのです、一人一人がね。ダイヤモンドの面と同じです、表面が自分なのです。他の面もみんなそれぞれの自分があって中心なのです。それでその全体で大きく輝かすというのが神さまの願い、目的なのです。
本当の自分の良さが出てくるのは、個性をはっきり自覚してそれを自然に出すのが良いのです。神さまと一体化しているという自覚をどんどん深める方がいいのです。
神さまと一体化する方法は自分の方から神さまの方に戻って行く生き方と、神さまの方から自分の方に一体化して合体して来る方法と両方あります。
だから自分の方から戻っていくのは「ありがとうございます」で感謝して、恩返しの気持ちで自分の命を神さまにお返していけば良いのです。自分の方から神さまに戻れるでしょう。
また「ありがとうございます」で神さまを呼べば神さまの方から自分の方に入ってくる。両方から合体するのですね。そしていつも心の交流、命の交流は神さまと自分の間で起るといつも融合して一体化するのです。そうすると個性がはっきりと出てくるようになるのです。
ところが神さまと自分を切り離すと個性が消えて癖だけが残る。個性と癖とは違うのです。「私はよく腹がたつ」というのは個性じゃない、癖なのです。個性というのは自分にしかない素晴らしい輝いた部分です。それがこれから本物の時代というのは、みんな個性が発揮されてくるのです。だからこの個性がわかるのは奥が深く解かってこないと見えないジャンルでしょう。今まではぼんやりしていたのです、人の顔だったら違いがわかるでしょうが、猿だったらちょっとわからない。三十匹の猿を捕まえて、どの猿がどれでとは中々見分けがつきにくい。すぐごっちゃにして同じように見てしまう。だからその違いがわかる所まで行かないといけないのです、そういう細かい所まで。例えば原子、水素とか酸素原子があります。酸素原子がいっぱいあったら、無限にあったら、一個一個の顔が違うという所まで見ぬかなければいけない。大変ですけど。
-ありがとうございます-
自分の個性を本当に輝かせる為には「ありがとうございます」と感謝しながら神さまも降りていらっしゃる、私も(神さまを)呼ぶ、その一体化する為の心の持ち方は「ありがとうございます」を沢山、沢山唱えるだけでいいのですか。
ありがとうございます:
そうです。だから「ありがとうございます」は神さまに自分を、命をすべてを任せきる全託の心なのです。それで神さまから与えて貰うものを素直にスッと受ける心です。だから神さまとの交流になるのです。「ありがとうございます」だけで助け続けてもらえて神さまと一体化します、そうすると神さまの心が自分の心になれば、神さま全体を全部見通してわかっているのです、わかる心にしてもらえるのです。
今神さまと交流する
-ありがとうございます-
日常でトラブルに遭遇した時に「ありがとうございます」の心で受け止めるのは中々難しいところもありますが、色々なことが起っても「ありがとうございます」と言える心を常に持ち続けるということですか。
ありがとうございます:
普通はマイナスに対して感謝しなさいという教えは今迄ありました。ところがこの「ありがとうございます」というのは、もうマイナスを相手にしないのです、過去も相手にしない、今神さまと交流するのです。神さまの与えてくださる無限の無限のプラスのものを、今新たに受け直すのです。その為に過去の古いものを全部要らないから消して頂きましょうという、交換してくださいという生き方なのです。
だからマイナスがあるからこそマイナスとプラスを置き換えてもらう、交換してもらえるのです。だから「ありがとうございます」と唱えたら神さまが交換してくだいます、マイナスと取り組まんでもいい、相手にして戦って良くしようなんて思わなくてもいいのです。
-ありがとうございます-
お任せすればいいのですか。
ありがとうございます:
そうそう、お任せしているのです。「ありがとうございます」と唱えることはお任せしている全託の表明なのです。だから神さまが良いものと悪いものを取り替えてくださるのです、だから楽なのです。
-
ありがとうございます-
ということは例えば病気であっても、それ(ありがとうございます)を唱えていれば治ってしまうのですか。
ありがとうございます:
そうそう。「ありがとうございます」を唱えて色々な病気が短期間に奇跡的に治る人がいっぱいいます。それは置き換えてもらうのです、時間の違いがあるのはその人がどれだけマイナスを掴んでいるかだけの問題です。掴んでいる間は置き換えが遅くなります、神さまに任せた分だけ早くなります。
病気が起こる仕組み
-ありがとうございます-
病気が起こる仕組みを教えてください。自分に気づきを与える為ですか。それとも前世のカルマですか。
ありがとうございます:
いやいや、そういう小さな意味でなしに、これは神さまの宇宙創造の最初の原点から考えてみると。
例えば相対に分かれるもので健康と病気という両方に分かれる要素、この組合わせで生れたものは無限の病と無限の健康が両方の頂点に立つ訳です。その間に無限の病からだんだんと病の少なくなった姿をとりながらゼロまで来る訳です。それから健康がひとつづつ増えて行く、無限の健康があるという状態になる。これが神さまの健康と病を組み合わせた表現なのです。
だから神さまの表現の番組の中に無限の病も、無限の健康も番組としては有るのです。そのどの番組を受けるかはその人がマイナスの言葉を使うとマイナスの病に波長が合います。プラスの言葉を使うと健康の番組に波長が合います。だから病気の姿を体験する人はマイナスの言葉を使い過ぎています。マイナスの言葉で心を暗くしてしまって、番組をマイナスの病気のある番組に合わせてしまうのです。そうすると体験的に病気をするという姿を取るのです。
ただそれもちょっとはいいのです。無限の病まで抱えたら大変ですけど、ちょっと病気することに依って健康のありがたさが浮かび上がってよく判ってきます。健康ってありがたいと判ってくると、感動を新たに健康を受け直せるのです。そういう意味だったらマイナスの病気もちょっとは体験的にはいいのです。
神さまは最初から病気を体験しなさいとは言っていない。好きにどの番組でも味わってきなさいと言うのだけど、程々にしか味わえません、無限の無限のチャンネルの中から幾つかだけチャンネルを合わせて見る訳です。でも神さまは早く最高の番組へ波長を合わせて戻ってきて、それを見続けてくださいと言うのが神さまの願いです。
ちょっと病気の番組を見といて、無限健康の番組に心を合わせてくるといつも健康ってありがたいなといつも感動を新たにずっと受け続けられるでしょう。そういう意味だったら両方プラスの働きをします。健康も無限のプラスの働きだし、病気もそうです。
-ありがとうございます-
結局、病気が起こる原因は言霊の問題だけなのでしょうか。
ありがとうございます:
根本は言葉なのです。マイナスの言葉を使いすぎると病気になります。
マイナスの言葉とプラスの言葉
-ありがとうございます-
マイナスの言葉、プラスの言葉というのはどういうことなのでしょうか。例えば人が気持ち良くなる言葉はプラスの言葉なのでしょうか。
ありがとうございます:
例えば、人を叱り飛ばしてばかりいると肝臓を痛めるでしょう。心配して暗くなると胃が痛くなって胃を痛めます。
-ありがとうございます-
褒め殺しという言葉がありますね。心にも思ってないことですごく相手を持ち上げて気持ち良くさせる。ああいうのは良い言葉ですか、悪い言葉ですか。
ありがとうございます:
言葉はいいのです。言葉はプラスの言葉の方がいいのです。表面の言葉も働くけども、心の中の、心で唱えている言葉があります、思いというのがそうです。表面の言葉はプラスだけど、心の中の思いはマイナスの言葉を使っている状態です。どちらが大きいかによってプラスにもマイナスにもなるのです。
それを本当にプラスに受けた人はどんどん幸せを大きくします、その逆も言えます。愛の心で叱り飛ばすマイナス言葉もどちらが強いかです。叱り飛ばされてそれを励みに考えて力を発揮して良くなる人もあるのです。だから言葉の使い分けは色々です。
-ありがとうございます-
言葉を話すことが出来ない人の場合はどうなのでしょうか。
ありがとうございます:
プラスの言葉というのは口に出していう言葉もあり、ただ心に唱えるだけの言葉もあります。だから言葉と心と表現の体と三つあるのです、言葉の表現がね。だからニコニコ笑うのもプラスの言葉を発しています、目は口ほどにものを言うというじゃないですか。目に愛の心があると愛の言葉がほとばしり出きます。
だから言葉というのは幅広い意味がある。心に映像として思い浮かべるのも言葉です、そういう幅広い意味の言葉です。それがプラスの言葉であれば良い番組に波長が合い幸せが一杯になるのです。
-ありがとうございます-
基本的に心があって、その思いのプラスとマイナスをパワ−アップさせる働きが言霊で、言葉に出した時にそういうパワ−があるとわかったのですが、文字にもそういったパワ−があるのですか。
ありがとうございます:
あります、全部あります。言霊は神さまの宇宙創造の働きを、力を指しているので、番組を作り上げる力の働きなのです、言霊は。人の言葉はそれに波長をあわす、番組にチャンネルを合わせるための言葉なのです。人の言葉には何かを作り出す力はないですね。波長を合わせて番組を選んで、それを受けるだけの働きです。
-ありがとうございます-
良い書物を読むとそこから文字のパワ−を受けることが出来ますか。
ありがとうございます:
そうね、良い番組に波長を合わせていくことですね。
-
ありがとうございます-
テレビやラジオの影響はどうですか。
ありがとうございます:
同じです、それもね、一瞬一瞬を自分がどういう言葉を選んで使い続けるかが大事です。だからテレビを見るのでも、良い番組を見るほどプラスの言葉を使っていることになる。マイナスの番組を見ると逆にマイナスの多い言葉を使ったことになります。
-ありがとうございます-
ニュ−ス等はどうなのでしょうか。
ありがとうございます:
同じです、同じになります。プラスの多いニュ−スはプラスの言葉を自分が使ったと同じです。マイナスのニュ−スは見ない方がいい、幸せになりたい人はね。
-ありがとうございます-
殺人事件が起ったと聞くとやはり気持ちが暗くなったりするじゃないですか。あまり聞いたり見たりしない方がいいですか。
ありがとうございます:
そうですね。
「ありがとうございます」は神さまの言葉
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」という言葉が素晴らしい最高の言霊だという事が解かったので沢山唱えたいなと思うのですが、時間を決めて真剣に唱える時と、仕事や主婦業をやっていると色々と忙しいので、掃除しながらとか何かしながらとか畑やりながらとか、色々なことをしながら「ありがとうございます」を唱えてもいいのでしょうか。
また色々やりながら唱えるのは失礼かなと思ったりするので、やはり一日の内で時間を決めて真剣にそれだけを感謝の心を込めて祈る方が良いのかどうか教えてください。
ありがとうございます:
元々「ありがとうございます」というのは神さまの助けを受けた時に、自然に神さまの働きに対して「ありがとうございます」という言葉であって、「ああ、助けてあげたよ」という確認の意味で出てくる言葉なのです。
だから