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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつ24にち No.2



     ほう 

-ありがとうございます-
 しょうさっに、「かみさまへのほう」というのがありますけど、それはたいてきにはどういうことですか。

ありがとうございます:
 かみさまというのは、やっぱりほんものかみさまです、しゅうきょうだんたいきょうだんとか、そこのさいじんとかそんなじゃない。ほんとうかみさまのこころをそのままけることなのです。
 かみさまはひとたいしてなにねがっているかでしょう。だから、かみさまのほんとうこころけることです。それは、やっぱり、かんしゃふかめてかみさまのさいこうひょうげんけきることです。だから、そのためのひとたいしてのおつだいも、そういうふうになってもらうほうがいい。ぶんはもちろんかんしゃして、さいこうひょうげんけるりょくをすればいいのです。それがいちばんかみさまへのほうです。それをしているうちにだんだんぶんおなじようなほうこうすすみたいひとまわりにあらわれてきます。なみちょうっている人が。
 そしたらそのおつだいのなにかできることがいっぱいあるはずです、それをすることがかみさまのこころおおきくきることになります。
 いろんなしんまなびでも、ぶんべんきょうせずにひとつたえようとおもったらつたわらない。ぶんまなんでけたものがぜんつたわるでしょう。ぶんかいできてないことをひとになんぼおしえてかいさせようとしても、です。
 だから、しんべんきょうで、ぶんまなんでかいしてふかめる、それがけっきょくひとあたえていることになる。ず、ぶんかんしゃしていると、かんしゃまわりにあたえています、ったら、ボランティアです。どんなまなびもまなんだだけがひとつたわるから、まなんだぶんまわりにもおなじものをあたえてるボランティアなのです。
 だから、せっきょくてきそとかってというのじゃない、ぶんです。ぶんがしっかりべんきょうしておいのりして、ぶんふかたかめたらいい。そうするとそれをひつようとするひとがまわりにぜんなくあらわれてきます。そのときは、ちょっとおつだいさせてもらえばいい。そのほうほんとうそうてきです。
 おせっかいはたらきかけをするのも、ひつようだったらそれもいいけど、ちがうと、おせちかいしてさきあたえたら、こんはわかったつもりになって、ほんとうまなびをひつようとするときに「わたしはもうそれはっているから」というかんじで、うしなときがあります。だから、それはひとつたえるというのがだいだから、そのぜんというのはかみさまでないとわからないのです。
 だから、かんしゃしながらぜんっているほうがいい、ほんとうのボランティアはね。

-ありがとうございます-
 つたえようとするあいぶんこころていこうがあります。そういうあいはしないで、かみさまのほうからどうてきぶんからるように‥‥

ありがとうございます:
 ぜんぶん使つかってくださるときがくるし、また、あいほうからぜんじょげんもとめてきたり、そのチャンスをつくってくれます。


     こころせい 

-ありがとうございます-
 そうすると、ぜんたくするとぶんゆうというのはどうなってしまうのですか。

ありがとうございます:
 かみさまのほんとうかんぜんゆうざいこころでしょう。かみさまはひとひとせいあたえてゆうざいきることをねがっています。だから、ぶんかみさまにを・いのちささげて「かみさまのこころのままにあります」ということは、せいあるかたをするということなのです、かみさまのれいじゃない。「かみさまがようしてくれたさいこうかたせいあるかたをとらしていただきます」というです。だから、ぶんがなくなるんじゃない、ほんとうさいこうせいきるのねです。(ぜんせいてくる)そうそう。
 せいくせとはぜんぜんちがう。せいかみさまのようしてくれたさいこうかたです。くせほうりゅうの、ぶんかっにとりつけたようなもんです。


     しあわせはげんしあわせまで 

-ありがとうございます-
 ほんには「マイホームしゅはよくない」とかありますが。どういう使つかわれてるのですか。

ありがとうございます:
 ちいさくなる、マイホームしゅはね。ちいさいぶんつかんでちいさいかたわるでしょう。かみさまのねがいは、ちゅうぶんいえにしてしいのです。きゅうなんてちいさいはこにわぐらいです。
 「ぶん」というのをおおきいものに、「ちゅうぜんたい」というぐらいにとらえてしいわけです。ほんとうの、げんげんしあわせというのは、そういうおおきいこころでないとわからないのです。にくたいぶんが「これがほんとうぶんだ」とつかんでるとちいさい、そのちいさいぶんつかめるしあわせはげんしあわせまでかないのです。


      たましいかい 

-ありがとうございます-
 んだあとわたしたましいわたしのものなのですか、それともいったいしてべつのものになってなくなるのですか?

ありがとうございます:
 「にくたいがあって、たましいがあって」というたましいだったら、たましいおおきくなったりちいさくなったりします。そのおおきいたましいがあのでいくつもにぶんかつされたり、またかれたたましいにくたいまれたりします。また、いろんなたましいあつまっておおきくなったりします、それはたましいだんかいはそうです。
 でも、いちばんおくほんたいほんとうぶんばんぐみえています。かみさまのひょうげんえてかみさまといったいぶんです、かみさまのぜんなおせるぶんなのです。ばんぐみとしてのげんげんのチャンネルをなおせるぶんでもあるけども、かみさまそのものをいったいしてけられるぶんです。そのぶんと、たましいまれわりのようなぶんとはぜんぜんちがいます。おおきいぶんがいい、いちばんおおきいぶんがね。

-ありがとうございます-
 たましいはなしなのですけど。こんせいで「ありがとうございます」をってかんしゃちでんだあいに、こんまれわってくるときに、っていたぶんはなくなってしまうのですか、また、そのままのこって?

ありがとうございます:
 ばんぐみとしてのにくたいぶんたましいぶんはずっとあります、ばんぐみとしてぜんぶようされています。ただ「ありがとうございます」をとなえていると、ばんぐみそとけたぶんになります。それでゆうざいにどのばんぐみでもあじわえる、ゆうこころぶんわってしまいます、そのほうしあわせなのです。だからばんぐみなかうつわるだけでは、たいしたことはないのです。
 たとえば、このにいろんなだいせいじゃがいっぱいまれています、イエス・キリストにしても、おしゃさまにしても、いろんなせいじゃがいっぱいまれて。でも、まれわってくるだいせいじゃといえども、ほんとうぶんからたらゼロなのです。ひくばんぐみなかのひとつのやくわりです。
 でも、ほんとうぶんは、そんなひくばんぐみやくわりなかはいるようなものじゃない、げんげんらしいそんざいです。だから、かんしゃふかめてほんとうぶんきだしたら、いろんなばんぐみなかのちっぽけなぶんなんてもうるにらないね、もう。ぎゃくにつまらんね。そんなんをつかんでしまうことたい馬鹿ばからしくなる。

-ありがとうございます-
 〈たましいまれわりのしつもん

ありがとうございます:
 ず、ばんぐみそとたらかみなるぶんもどるのです。でも、ばんぐみなかはいっているかぎりは、いろんなばんぐみがあります。いろんなひょうげんぶんてきます、ひくばんぐみだと、たましいまれわりでりんてんしょうしてみがばんぐみです。
 でも、たかばんぐみだと、まれわりのないばんぐみになってくる、いつもかがやいたぶんだけがずーっとそんざいするようなばんぐみもあるのです。


     ゆうざいほんとうぶん 

-ありがとうございます-
 せんせいひとおしえるためにこんかいまれてきたのですか。

ありがとうございます:
 はははは。わたしがいつもてるのはこのじゃないのです。もっとかがやいたばんぐみをいつもています。ただ、こころゆうざいだからいろんなばんぐみなかはいってけます。みんなのているばんぐみなかはいめるのです、それでひつようなだけのたすけがあたえられます、それだけのゆうがあるのです。
 でも、いつもているのは「げんげんかがやいた‥‥」というふうにています。だから、ばんぐみそとなないといけない、ゆうになるために。

-ありがとうございます-
 どういうじょうたいかみさまというのですか。

ありがとうございます:
 ゆうざいほんとうぶんかみさまなのです。かみさまはばんぐみなかはいっていない、ほんとうはね。ばんぐみつくったそとにいます、ほんとうかみさま・ほんとうぶんというのはね。このかたちあらわれたこのわたしは、ひとつのばんぐみやくわりとしてています。でも、ほんとうみなさんもおなじようなやくわりで、みんなをすくやくわりをしているばんぐみもあるのです、べつばんぐみで。
 だから、ぶんしゅやくのありとあらゆるものはぜんぶそろっているのです。ただ、そのときそのときぶんがどういうばんぐみえらぶかです。わたしみなさんのたちわるばんぐみもあります、ひとひとがおしゃさまやキリストになってるばんぐみがあります。
 いいやくばっかりだったらこうへいじゃない。みんながそれぞれいいやくもありわるやくもありで、おたがいにびょうどうけられていきます。それで、げんげんのチャンネルのばんぐみつくられているのです。
 だから、ぶんにとってひくばんぐみたすけてもらうばっかしじゃない。でも、それも「たすけてもらって」というちでかんしゃができておんがえしのこころこせたらいいのです。
 でも、たかくなってくると、こんたすけるがわばっかしになるじゃない。それは、みんなをおがんでおがんで、おんがえしとか、そういうちでどんどんたすけていくかたです。

 ぜんぶぶんにとったらしあわせをおおきくするためのべんきょうなのです。だから、いまているぶんにとってのばんぐみも、やっぱりぶんにとってはひつようべんきょうです。ひつようなかったらほかばんぐみているはずです。いまているばんぐみから、おおきいげんあるものをいだしてっているのです。おおきいしあわせをつかもうとしてつかんでっているていです。もうそこからなにきゅうしゅうするものがなくなったら、かならべつばんぐみうつってきます。ぜんぶんほかばんぐみえらんできます。それで、どんどんしあわせをおおきくしてきます、それもぜんにです。


      ばんぐみなかのシナリオ 

-ありがとうございます-
 ここにたんじょうするまえに、ぶんじんせいこんせいじんせいのシナリオを、ぶんせんたくしてプログラムをしてまれてくるんだ、というふうにいてあったほんがあるのですが。そのへんせんせいはどうとらえていらっしゃるのですか。

ありがとうございます:
 そうね、それはひとつのばんぐみなかのシナリオです、そのぜんたいがね。

-ありがとうございます-
 ということは、さいしょからあるていけいかく、シナリオをってまれてくるとかいしていいのでしょうか。

ありがとうございます:
 かみさまのつくったげんげんのチャンネルのばんぐみというのはね、すべてをくしている。だから、ひとかんがえつくおもいつくようなことはぜんぶようされている。そのたましいぶんけいかくってまれてくるというのもプログラムにまれているのです、それもちいさくです。だから、ひとつのチャンネルのなかのストーリーです。
 また、ほかかんがかたばんぐみもある。ぶんけいかくしてまれてくるんじゃなしに、だれはいしゅれいさまがけいかくしてまれさせるんだ、というばんぐみもある。ばんぐみによってちょっとずつニュアンスがわってきます。

-ありがとうございます-
 ぶんけいかくしたものであれば、けいかくですから、いくらきょしてもけいかくですからちゃんとくるんだとおもうし、そうでないとすれば、またそうでないのもあるでしょうし、とらえかたとして。
 たとえば、ぶんこんせいのプログラムをつくったとして、ひゃく%そうだとするならば、きてくるごとがぜんぶひつぜんだとおもえるんじゃないですか。ところがそうでないとすれば、なんでこういうことがきるのか、ということはみとめたくなくなります。
 でも、どうとらえればいいのかわからないのですが。ぶんけいかくててりょうしんえらび、そして、ぶんまえめて、そのかんきょうぶんけいかくなかせんたくしたとするならば、いくらきょをしたとしてもけいかくですから、それはひつぜんとしてあたえられるとするならば、すべてのものはなおちになれるのですけども。もし、そうでないとすると、そのげんいんというのはどこにあるのかなとクエスチョンをつけてしまうのですが。どうとらえたほうがいいのかなというのが、いまフッとおもったのです。

ありがとうございます:
 いろんなストーリーのばんぐみはもうかみさまがつくったばんぐみは、えいえんわらない。ストーリーはわらない、えようがない。ただ、ひとゆうというのは、そのチャンネルをえてべつばんぐみれるのです、そこにゆうがあるのね。だから、いまわれたとおりのばんぐみは、そのとおつづくのです。
 えようとしてもえられない、ばんぐみたいはね。ただ、べつかたぶんにとっていいとおもうのだったら、べつなストーリーのばんぐみえて、ばんぐみかんけいです。まったちがせいはんたいかたがあるかもれません。
 だから「ぶんめた」というばんぐみもあるし、ほかからどうてきめられてぶんがそれにしたがえないというばんぐみもあるはずです。もう、のうせいのあるばんぐみがぜんぶあります。ありとあらゆるばんぐみようされてて、なおつ、ぶんにはばんぐみえらびのゆうのこっているのです。どういうばんぐみでもえらべるのです。だから、ぶんゆうばんぐみえらびのゆうです。

-ありがとうございます-
 ばんぐみえるというのは、たとえば、ともだちとかごとえたりすることなのか、それとも、おなじところにいるのだけれども、ぶんてんとかちをえるというのか、ばんぐみえるというのは?


ありがとうございます:
 ばんぐみえるのです。ばんぐみないようわらないのです。いまているばんぐみぶんひといっぱいいて、それはまっています。でも、べつばんぐみでは、ひとちがうし、またおなひとばっかしでも、ひとひとへんがあります。すこしずつへんしていく、ぜんね。かなりはなれたばんぐみだったらガラッとわってしまいます。

 たとえば、ぶんけっこんするあいえらぼうとするでしょう。ひとひとえらぶでしょう。このひとがどこのばんぐみでもぶんあいかというと、そうではないです。げんのチャンネルというとかずげんがありません。すべてのひとけっこんあいにしているばんぐみがあります。だれとでもけっこんできるばんぐみがあります。100にんいてたら100にんけっこんしているばんぐみがあるはずです。のうせいはぜんぶくされているから、いちおくにんいてたらいちおくにんあいにしているばんぐみがあるのです。
 だから、だれとでもけっこんしているのうせいはあるのです。だからそういうばんぐみようされてる。ただ、このひとひとえらんだり、なんにんかとこんしてはけっこんしてと、なんにんかをえらあいもあります、それはほんのいちなのです。げんなかのひとつのチャンネルにしかすぎないのです。
 だから、もうかみさまはいたれりくせりで、ひとかんがえつく、おもいつく、ねがうことぜんぶようしている、さきにね。それで、きなばんぐみえらんではそれをたのしませてもらいます。だから、ぜったいゆうしばっていない、ひとゆうをね。もう、かんぜんゆうしょうしてどこまでもゆうざいしあわせになってしいのです。

 かみさまのちゅうそうぞうは、そこまでいたれりくせりです。だから、ぶんなんにでもなれるのです、どういうじょうたいにもなれます。なにになりたいか、いしころになりたいといったら、いしころになっているぶんがあるのです。ひとになりたいといったら、ひとになっているばんぐみもあります。ほしになりたいといったら、ほしになってるばんぐみもある、ひととしてのぶんだけじゃない、ありとあらゆるものになれるのです。
 そのばんぐみがぜんぶようされているから、ただ、ぜんばんぐみあじわいくすわけにはぜったいいかない。ほんのいちだけえらんでたのしんでるだけです。

-ありがとうございます-
 どのばんぐみでもたのしんでかんしゃするだけですか。

ありがとうございます:
 ほんとうはそうです。そのばんぐみたのしんでしあわせをおおきくするためにあたえてもらっているのです。だから、ゆうこころってだいでしょう。いまているばんぐみつかんでしまうとゆうすくなくなります、そしたらそのなかであがくのです。でも、ゆうこころはサッとえてける、ぶんひつようなこと、ねがうことをスッとつかめます。
 でも、つかんだらまたゆうになるでしょう。もうサラサラながすほうがいい、つかまずに。それが、かんしゃかたです、かんしゃというのはぜったいつかまない。うつわる姿すがたをサラサラながしていっしゅんいっしゅんなおしていけるから、どんどんあたらしいものをつづけるのです。


      よくじょうしあわせ 

-ありがとうございます-
 すいみんちゅうたましいはどこかにっているのですか。

ありがとうございます:
 このてきに、このちかばんぐみでは、にくたいからはなれたらちょっとたかげんへエネルギーのきゅうです。たましいにくたいからけるとエネルギーのきゅうをしてくれるところへがります。それでじゅうでんしてもらってもどってきてめます。

-ありがとうございます-
 すいみんよくわるいといてあるのですが。

ありがとうございます:
 よくこころというのは、マイナスをつかこころのなのです。ほんとうすいみんよくというのでも、ずにじゅうかんあかるくたのしくしあわいっぱいごせるほうしあわせです。ひつようがないほうがいいのです。
 また、しょくよくにしてもそうです。ほんとうしんしょくわすれてたのしみたいことがあったら、べずにほうがいいじゃない。「べないときられない」とおもうからべるでしょう。でも、「なにべずともしあわいっぱい」というのなら、しょくよくなんてらない、べずにんだらね。
 しきよくでもそうでしょう、せいがおたがってよろこびをかんじたりたしかめったりするんだけど。でも、こころほんとうよろこいっぱいだったら、そんなんひつようなくなる。だから、にくたいのそういうセックスというのはひつようないのです、げんたかくなるとそういうのはえてしまいます。そんなのをたしかめるひつようない、いつもこころいったいかんあいこころいっぱいしあわいっぱいだからね。おたがいのゆうしばりあうことはぜんぜんらないし、ほんとうあたつくいのこころになりつくしているから、いつもあたかえされているのをじっかんするのです。ほんとういったいかんがあったら、べつにいろんなしきよくのようなかんじはえてもいいわけです、ひつようない。
 また、ざいよくでもそうでしょう。ぶんのものをつかまんでもいい、ほんとうはね。もうちゅうぜんぶをかみさまからあたえてもらっているかんかくだったら、ちゅうぶんいえだったらぶんのちっぽけなものをつかまんでもいい。「これがぶんのもの」なんてらないのです。ざいよくちいさい、やっぱりね。
 めいせいよくもそうです。ちっぽけなぶんせたって、そんなんたいしてえない。かみさまといったいぶんげんげんらしいけど、ばんぐみなかてきているにくたいにんげんなんて、もうゼロです、ほんとうはね。そのぶんせようなんて、ほんとうきょほこるようなきょえいしんです。ちょっとぶんえらせたってたいしたことない。そして、ひとをマイナスにさばいたってなんやくにもたん、しあわせにもなにもないから。

 だから、よくこころというのは、マイナスのこころね。よくこころきてるかぎりはしあわせになっていない、みんなね。だから、そんなんあいにせんほうがいいのです。よくあいにせずに、かんしゃきているとよくえるし、かんしゃきていると、よくあたえられているぜんぶをすであたえられていることにくのです。
 ひつようものすでゆたかにあたえられているし、ひつようだったらすいみんてきとうすいみんあたえてもらって、エネルギーをきゅうしてもらっているし。相応ふさわしいせいはちゃんとあたえられてしあわせをあたえてもらっているし。ざいよくにしても、ぶんのものをたんでも、ひつようなものをぢかてきかくあたえてもらっているし。
 べつきょえいしんまんせんでも、みんなからめられてよろこんでもらっているし。よくられるものなんかは、かんしゃをちょっとするだけで、すべてすであたえられていることにくのです。それじょうに、ほんとうしあわせがかんしゃをしてるうちに、どんどんおおきくふかくなっていくのです。だから、よくらない、よくつかんだらそんをします。
  

     とく

-ありがとうございます-
 もくひょうとしてみんなよくっている。ほんなかに、だいじんめいされたらそれだけでマイナスだとか。

ありがとうございます:
 だから、しょうしょういいことをしてもめられたらそれでちょうしです、ゼロです。んだとくがね。

-ありがとうございます-
 ほんにんとくがゼロになるのですか。

ありがとうございます:
 しんせつにして、ちょっとめられるだけでもちょうしです。ひょうしょうなんかされたらマイナスになるのうせいがある。だから、いいことをしてもそれをとくとしてちょきんとしてのこそうとおもったら、かくしてするのがいい、ひとれずかくしておかないと。
 ひとめたということも、ひょうしょうじょうをもらうこともそうだし、みんなしたことにたいしてもらうととくうしないます、したことがゼロになる。とくのこしておけるひとけんきょになれます。ところがもらってしまうとてんになる。とくうしなうとそういうマイナスのこころになりやすいのです。

-ありがとうございます-
 どうしてもあたえようとするあいも?

ありがとうございます:
 いやあ、けんきょ退たいするほうがいい。だから、だいじんになるとななだいたたるぐらいとくうしなうというぐらいなのです。やっぱり、いことをどんどんしてくにのためにひとのためにくしても、なかなかだいじんになったとくうしないのあなめはむづかしいのです。
 こっかいいんえらばれるだけでもおおきいとくうしなうのです、ほんとうはね。だいじんになったら益々ますますうしないます。そしたらいことがしにくくなる、マイナスのこころになってしまうからです。よっぽどこころめてしょしんもどってぶんてて、ためひとためくさないと、とくかいふくません。だから、なにやくしょくたないほうがいい。なにもないときほうほんとうちからはっできます。かたがききをもらったたんそんをします。



     まえはいらない 

-ありがとうございます-
 さいきんそらひばりのばんぐみがあって、かみがついているというのと、ついてないというのがあって。テレビにればみんなにめられる、そうかといって、ていはいるとさんざんな‥‥

ありがとうございます:
 かみさまがついているというけど、どのかみさまがついてるかです。だんかいげんにあるのです、ひくかみさまからたかかみさま、ほんものかみさまというように。

-ありがとうございます-
 うたというのはらしいです。でも、ていてきにはくなかった。

ありがとうございます:
 それはうたうたうことによって、いろんなおかねたくさんもらったとするでしょう。だから、うたうたってひとしあわせをあたえるだけだったら、とくまれてしあわせです。
 ところが、おかねたくさんもらっておかえしをけるだけでちょうしになっていくでしょう。それももらぎたら、ひとのマイナスのおもいもいっしょにもらいます。そうするとマイナスのこころになってうんめいがマイナスになりやすい。だからなんでもあたくすほうがいいのです、しょうあたくしておかえしをもとめないぐらいのほうがいい、おかねもうけをしすぎたらそんをします。

-ありがとうございます-
 あたえるもののなかに「ひとれず」といまおっしゃいましたね、そこのところがたいせつなところなのですか。かげかくれたまま、だれにもわからないままぶんつくしきる、あたえるということがほんとうのことなのですね。

ありがとうございます:
 そう、だからひとなにかをおくってプレゼントしても、いろいろられてしまうと、またもとかえってくるおかえしに、それがちょうしなんでしょう。でも、まえかずにらさずにおくって「どうぞこれをかしてお使つかいください」と、それぐらいはかないとだけどね、だれからたかわからんかったらこわがって使つかわないかもれんから、ぶんまえだけはせて「どうぞ」とうたら、そのひととくうしなわずにみます。「とくひとたすけてくれて、ありがたいなあ」というかんしゃちをつづけてくれたら、そのかんしゃぶんもどってくる、とくがどんどんえていきます。
 だから「ぶんはこうした」というようなちでまえさないほうがいいのです。

-ありがとうございます-
 それどころか「これをやったらなにかえってるかな」と、そういうことですから。

ありがとうございます:
 はははは。そうです。

-ありがとうございます-
 そういうときは、やくわりをいつもかんがえちゃうのですね。だいじんだいじんでなければできないこともあって、ぼくだったらぼくしかできないこともあるし、それはやくわりだとおもうのですね。やくわりだとすればまえしたほうがいいんじゃないか?(ようやく

ありがとうございます:
 まえしてうごいているひとは、なんちからはっしていないのです。ほんとうちからはっするひとは、まえかくして「おかげさまちから」をいただいているひとなのです。「すべてかみさまがしてくださっている」というちでぶんさずにけんきょけているひとが、ほんとうはたらきをかみさまにさせてもらうのです。
 だから、だいじんになったからだいじんなにかしているかといったらなにもできない、だいじんになったらけんきょざいって、おきゅうりょうももらわずにほんとうかんぜんほうこころで、為人ためひとためくすというのだったらかみさまのよう使つかってもらえます。そういうひとは、ほんとうはたらきをしてとくめるのです。
 でも、ざいさないといけない、ざいさんをつくるようじゃあなのです。もう、けんきょけんきょにならないとね。おんがえしのこころで、「為人ためひとためいのちささげてくすんだ」というちだったら、かみさまのよう使つかってもらえます。そういうひとぶんまえさない、「おかげさまで、おかげさまで」と、みんなをめてかんしゃしてひつようなことをさせてもらうだけです。そのほうがやっぱりたかばんぐみ姿すがたなのです。

-ありがとうございます-
 やくわりかんがえないでいいですか。

ありがとうございます:
 ほんとうせいはっできるやくわりだったらいいのです。せいはっするというときは、せいけんきょころさないとてこない。ぜったいぶんまえさないのがほんとうせいはっするみちなのです。
 まえさなかっても、まわりからぜんに「こういうはたらきをしてくださって、ありがたいな」とみとめてもらえるのです。まえせんでんのためのレッテルみたいなものよ。(べつに、まえしたって‥‥)だから、まえらない、やっぱり、なくってもいいのです。

-ありがとうございます-
 そういうのではなくて。ぼくっているやくわりは、たとえば、「ありがとうおじさ」んというまえがある、それはやっぱりやくわりだとおもうのですよ。(ようやく

ありがとうございます:
 らない、らない、そんなん。

-ありがとうございます-
 Mさんというまえがあるじゃないですか、ぎゃくに「ありがとうおじさん」はひつようなのですよ。
 そういうのはやっぱりぜんめんてきに「ありがとうおじさん」をして、「ありがとうおじさん」ですとったほうぼくはもっとなかあかるくなるんじゃないかと。「ありがとうおじさん」だけはのこしておいてもらって。

ありがとうございます:
 いや、みんなゆずるよ、あっはははは。
「ありがとうおじさん」がげんてくれていいから。ゆうめいらない。


      げんげんしあわせのほんたい 

-ありがとうございます-
 ちいさいときに、だれからいたのかはおくがないのですが。ひとまれながらにいのちあたえられて、このそつぎょうしていく。そのひときるかんひつようなもの、ひととのえんとかざいさんだとか、そういうものをすべてそのひと相応ふさわしくあたえられている、だから「るをりなさい」みたいなことをわれたようにおもうのですが。そういうかたでよろしんでしょうか。

ありがとうございます:
 ばんぐみどおりにストーリーがまっているとったらそうなんです。ひくばんぐみだったら、ひつようなものをてきかくあたえてもらっているそのひつようせいが、びょうになることもひつようだし、びんぼうするのがひつようだったらそれもあたえられるでしょう。でも、それを「るをる」といってそれをけるのも、ひとつのばんぐみたのしむかたかもれない、それはそれでいいのですけど。
 ただ、ばんぐみえたら、ひつようなものをゆたかかにあたえられて、びょうにもならない、いろんなのうりょくはっして、みんなによろこんでもらうというばんぐみもあるわけです。それもひつようたすけをけたばんぐみです。
 でも、やっぱりぶんがどのばんぐみたのしみたいか、あじわいたいかというほうだいです。ひとつのばんぐみしばられないほうがいい、ゆうばんぐみえていけるというところから、ぶんねがいをしっかりかくにんしながらすすむのがいいのです。

-ありがとうございます-
 そういうぶんのプログラムがきちっとがっていて、そのひときるためにひつようなものがぜんぶあたえられているものだとかいできれば、そのしんぱいとかあんだとかおそれとかマイナスてきなものはまったたずに、かみにゆだねるという、エゴというものがえるひとつのようになるかなとおもうのですが。そのへんがブロックをかけてづらくなっている。エゴてきなものでぶんしばってしまう。
 ぶんかみにゆだねれないでいる。そういうエゴのようなものが、すごくぶんせいちょうはばんでしまっているというふうにおもうのですけれど。

ありがとうございます:
 ただ、ひとつのばんぐみなかで、すべてをかみさまからあたえられているというふうにけてまんぞくしてしまうと、そのひとつのばんぐみからせない、そのばんぐみえようとしない。それでまんぞくしてしまい、ちいさいしあわせのばんぐみでも「このしあわせだけでいいんだ」というのです。
 でも、かみさまはちっぽけなしあわせでまんぞくしてしくないから、もっとおおきいしあわせのばんぐみはやうつってきてしい。どのばんぐみでもかみさまからあたえられたというのはおなじです。ただ、よりおおきいしあわせのばんぐみうつほうかみさまのねがいです。だから、まんぞくしたらです、ちいさいしあわせではね。ほんとうげんおおきいしあわせをあじわってこそ、ぶんほんとうまんぞくなっとくできるはずなんです。

-ありがとうございます-
 それほど、ひとゆうきられるということですね。ということはなにあんがないです。

ありがとうございます:
 あんがないのです。かみさまがやっぱりさいこうひつようなものをさきじゅんしてあたえているからです。

-ありがとうございます-
 もっともっとおおきなしあわせというものにかんがえが、「ぼくはここでいいや」とどうしてもなっちゃうのです。
 もっとおおきなしあわせをかんがえるひまがないというか、われてみれば「あるんだ」となるんだけど。もっとおおきなしあわせというふうにかんがえたいのですけど、そのへんのアドバイスを。(ようやく


ありがとうございます:
 いちばんかいけつほうは「ありがとうございます」をとなつづけて、げんげんしあわせなほんたいぶんを、どれだけかくふかめていくかです。しあわせなぶんいたら、ちいさいしあわせにまんぞくできないぶんです。
 げんげんしあわせなぶんに、どんどんいていくというのがだいです。そのぶんがどんどんたかばんぐみちょうわせてくのです。だから、「ありがとうございます」をとなえてかみさまのたすけをけて、ほんとうかくふかめることです。
 ひたすら「ありがとうございます」をとなえていたらそうなっていく、かならず。それがいちばんばやいです。しあわせはみんなっているのです、いちばんおくぶんげんげんしあわせがいっぱいというのをっているから。
 そのぶんひょうめんにスッとかびてくればいいだけです。そうしたらしあわばんぐみじゅんばんえらんでいけます。「ありがとうございます」をとにかくとなえてみたら? となえてみたらぜんてきます。               


ありがとうございます
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