真祈り文庫
2001年6月24日 No.2
奉仕
-ありがとうございます-
小冊子に、「神さまへの奉仕」というのがありますけど、それは具体的にはどういうことですか。
ありがとうございます:
神さまというのは、やっぱり本物は神さまです、宗教団体の教団とか、そこの祭神とかそんな意味じゃない。本当の神さまの御心をそのまま受けることなのです。
神さまは人に対して何を願っているかでしょう。だから、神さまの本当の御心を受けることです。それは、やっぱり、感謝を深めて神さまの最高表現を受けきることです。だから、そのための人に対してのお手伝いも、そういうふうになってもらうほうがいい。自分はもちろん感謝して、最高表現を受ける努力をすればいいのです。それが一番の神さまへの奉仕です。それをしているうちに段々と自分と同じような方向に進みたい人が周りに現れてきます。波が波長が合っている人が。
そしたらそのお手伝いの意味で何かできることがいっぱいあるはずです、それをすることが神さまの御心を大きく生きることになります。
いろんな真理の学びでも、自分が勉強せずに人に伝えようと思ったら伝わらない。自分が学んで身に付けたものが自然に伝わるでしょう。自分の理解できてないことを人になんぼ教えて理解させようとしても、無理です。
だから、先ず真理の勉強で、自分が学んで理解して深める、それが結局、人に与えていることになる。先ず、自分が感謝していると、感謝を周りに与えています、言ったら、ボランティアです。どんな学びも学んだだけが人に伝わるから、学んだ分は周りにも同じものを与えてるボランティアなのです。
だから、無理に積極的に外へ向かってというのじゃない、先ず自分です。自分がしっかり勉強してお祈りして、自分を深め高めたらいい。そうするとそれを必要とする人がまわりに自然に無理なく現れてきます。その時は、ちょっとお手伝いさせてもらえばいい。その方が本当は理想的です。
お節介に働きかけをするのも、必要だったらそれもいいけど、時期を間違うと、お節介して先に与えたら、今度はわかったつもりになって、本当の学びを必要とする時に「私はもうそれは知っているから」という感じで、時期を失う時があります。だから、それは時期を見て人に伝えるというのが大事だから、その自然な時期というのは神さまでないとわからないのです。
だから、感謝しながら自然に待っている方がいい、本当のボランティアはね。
-ありがとうございます-
伝えようとする場合、自分の心に抵抗があります。そういう場合はしないで、神さまのほうから自動的に自分から出るように‥‥
ありがとうございます:
自然に自分を使ってくださる時がくるし、また、相手の方から自然に助言を求めてきたり、そのチャンスをつくってくれます。
御心と個性
-ありがとうございます-
そうすると、全託すると自分の自由意志というのはどうなってしまうのですか。
ありがとうございます:
神さまの本当の完全な自由自在な心でしょう。神さまは一人一人に個性を与えて自由自在に生きることを願っています。だから、自分が神さまに意志を・命を捧げて「神さまの御心のままにあります」ということは、個性ある生き方をするということなのです、神さまの奴隷じゃない。「神さまが用意してくれた最高の生き方、個性ある生き方をとらしていただきます」という意味です。だから、自分がなくなるんじゃない、本当の最高の個性を生きるのねです。(自然と個性が出てくる)そうそう。
個性と癖とはぜんぜん違う。個性は神さまの用意してくれた最高の生き方です。癖の方が我流の、自分が勝手にとりつけたようなもんです。
幸せは無限の幸せまで
-ありがとうございます-
本には「マイホーム主義はよくない」とかありますが。どういう意味で使われてるのですか。
ありがとうございます:
小さくなる、マイホーム主義はね。小さい自分を掴んで小さい生き方で終わるでしょう。神さまの願いは、宇宙を自分の家にして欲しいのです。地球なんて小さい箱庭ぐらいです。
「自分」というのを大きいものに、「宇宙全体」というぐらいにとらえて欲しいわけです。本当の、無限の無限の幸せというのは、そういう大きい心でないとわからないのです。肉体の自分が「これが本当の自分だ」と掴んでると小さい、その小さい自分が掴める幸せは無限の幸せまで行かないのです。
魂の世界
-ありがとうございます-
死んだ後は私の魂は私のものなのですか、それとも一体化して別のものになってなくなるのですか?
ありがとうございます:
「肉体があって、魂があって」という魂だったら、魂が大きくなったり小さくなったりします。その大きい魂があの世でいくつもに分割されたり、また分かれた魂が肉体に生まれたりします。また、いろんな魂が寄り集まって大きくなったりします、それは魂の段階はそうです。
でも、一番奥の本体、本当の自分は番組を超えています。神さまの表現を超えて神さまと一体の自分です、神さまの全部を受け直せる自分なのです。番組としての無限の無限のチャンネルを受け直せる自分でもあるけども、神さまそのものを一体化して受けられる自分です。その自分と、魂の生まれ変わりのような自分とはぜんぜん違います。大きい自分がいい、一番大きい自分がね。
-ありがとうございます-
魂の話なのですけど。今世で「ありがとうございます」を言って感謝の気持ちで死んだ場合に、今度生まれ変わってくる時に、言っていた分はなくなってしまうのですか、また、そのまま残って?
ありがとうございます:
番組としての肉体の自分や魂の自分はずっとあります、番組としてぜんぶ用意されています。ただ「ありがとうございます」を唱えていると、番組の外へ抜けた自分になります。それで自由自在にどの番組でも味わえる、自由な心の自分に変わってしまいます、その方が幸せなのです。だから番組の中で移り変わるだけでは、大したことはないのです。
例えば、この世にいろんな大聖者がいっぱい生まれています、イエス・キリストにしても、お釈迦さまにしても、いろんな聖者がいっぱい生まれて。でも、生まれ変わってくる大聖者といえども、本当の自分から見たらゼロ以下なのです。低い番組の中のひとつの役割です。
でも、本当の自分は、そんな低い番組の役割の中に入るようなものじゃない、無限に無限に素晴らしい存在です。だから、感謝を深めて本当の自分を気付きだしたら、いろんな番組の中のちっぽけな自分なんてもう取るに足らないね、もう。逆につまらんね。そんなんを掴んでしまうこと自体、馬鹿らしくなる。
-ありがとうございます-
〈魂の生まれ変わりの質問〉
ありがとうございます:
先ず、番組の外へ抜け出たら神なる自分に戻るのです。でも、番組の中に入っている限りは、いろんな番組があります。いろんな表現の自分が出てきます、低い番組だと、魂の生まれ変わりで輪廻転生して磨く番組です。
でも、高い番組だと、生まれ変わりのない番組になってくる、いつも輝いた自分だけがずーっと存在するような番組もあるのです。
自由自在な本当の自分
-ありがとうございます-
先生は人に教えるために今回生まれてきたのですか。
ありがとうございます:
はははは。私がいつも見てるのはこの世じゃないのです。もっと輝いた番組をいつも見ています。ただ、心が自由自在だからいろんな番組の中に入って行けます。みんなの見ている番組の中に入り込めるのです、それで必要なだけの助けが与えられます、それだけの自由があるのです。
でも、いつも見ているのは「無限に無限に輝いた‥‥」というふうに見ています。だから、番組の外へ抜け出なないといけない、自由になるために。
-ありがとうございます-
どういう状態が神さまというのですか。
ありがとうございます:
自由自在な本当の自分が神さまなのです。神さまは番組の中に入っていない、本当はね。番組を創った外にいます、本当の神さま・本当の自分というのはね。この形に現れたこの私は、ひとつの番組の役割として出ています。でも、本当は皆さんも同じような役割で、みんなを救う役割をしている番組もあるのです、別な番組で。
だから、自分が主役のありとあらゆるものはぜんぶ揃っているのです。ただ、その時その時、自分がどういう番組を選ぶかです。私と皆さんの立場が変わる番組もあります、一人一人がお釈迦さまやキリストになってる番組があります。
いい役ばっかりだったら不公平じゃない。みんながそれぞれいい役もあり悪い役もありで、お互いに平等に振り分けられていきます。それで、無限の無限のチャンネルの番組が創られているのです。
だから、自分にとって低い番組は助けてもらうばっかしじゃない。でも、それも「助けてもらって」という気持ちで感謝ができて恩返しの心を起こせたらいいのです。
でも、高くなってくると、今度は助ける側ばっかしになるじゃない。それは、みんなを拝んで拝んで、過去世の恩返しとか、そういう気持ちでどんどん助けていく生き方です。
ぜんぶ自分にとったら幸せを大きくするための勉強なのです。だから、今見ている自分にとっての番組も、やっぱり自分にとっては必要な勉強です。必要なかったら他の番組を見ているはずです。今、見ている番組から、大きい無限の価値あるものを見出して行っているのです。大きい幸せを掴もうとして掴んで行っている過程です。もうそこから何も吸収するものがなくなったら、必ず別な番組へ移って行きます。自然に自分が他の番組を選んで行きます。それで、どんどん幸せを大きくして行きます、それも自然にです。
番組の中のシナリオ
-ありがとうございます-
ここに誕生する前に、自分の人生を今世の人生のシナリオを、自分で選択してプログラムをして生まれてくるんだ、というふうに書いてあった本があるのですが。その辺は先生はどうとらえていらっしゃるのですか。
ありがとうございます:
そうね、それはひとつの番組の中のシナリオです、その全体がね。
-ありがとうございます-
ということは、最初からある程度の計画、シナリオを持って生まれてくると理解していいのでしょうか。
ありがとうございます:
神さまの創った無限の無限のチャンネルの番組というのはね、すべてを尽くしている。だから、人が考えつく思いつくようなことはぜんぶ用意されている。その魂の自分が計画を持って生まれてくるというのもプログラムに組み込まれているのです、それも小さくです。だから、ひとつのチャンネルの中のストーリーです。
また、他の考え方の番組もある。自分が計画して生まれてくるんじゃなしに、誰か背後の守護霊さまが計画して生まれさせるんだ、という番組もある。番組によってちょっとずつニュアンスが変わってきます。
-ありがとうございます-
自分が計画したものであれば、計画ですから、いくら拒否しても計画ですからちゃんとくるんだと思うし、そうでないとすれば、またそうでないのもあるでしょうし、とらえ方として。
例えば、自分が今世のプログラムをつくったとして、百%そうだとするならば、起きてくる出来事がぜんぶ必然だと思えるんじゃないですか。ところがそうでないとすれば、なんでこういうことが起きるのか、ということは認めたくなくなります。
でも、どうとらえればいいのかわからないのですが。自分が計画を立てて両親を選び、そして、自分の名前を決めて、その環境を自分が計画の中で選択したとするならば、いくら拒否をしたとしても計画ですから、それは必然として与えられるとするならば、すべてのものは素直に受け取る気持ちになれるのですけども。もし、そうでないとすると、その原因というのはどこにあるのかなとクエスチョンをつけてしまうのですが。どうとらえた方がいいのかなというのが、今フッと思ったのです。
ありがとうございます:
いろんなストーリーの番組はもう神さまが創った番組は、永遠に変わらない。ストーリーは変わらない、変えようがない。ただ、人の自由というのは、そのチャンネルを変えて別な番組を見れるのです、そこに自由があるのね。だから、今、言われた通りの番組は、その通り続くのです。
変えようとしても変えられない、番組自体はね。ただ、別な生き方が自分にとっていいと思うのだったら、別なストーリーの番組に切り替えて、過去の番組は無関係です。全く違う正反対の生き方があるかも知れません。
だから「自分が決めた」という番組もあるし、他から他動的に決められて自分がそれに従えないという番組もあるはずです。もう、可能性のある番組がぜんぶあります。ありとあらゆる番組を用意されてて、尚且つ、自分には番組選びの自由が残っているのです。どういう番組でも選べるのです。だから、自分の自由は番組選びの自由です。
-ありがとうございます-
番組を変えるというのは、例えば、友達とか仕事を変えたりすることなのか、それとも、同じところにいるのだけれども、自分の視点とか気持ちを変えるというのか、番組を変えるというのは?
ありがとうございます:
見る番組を変えるのです。番組の内容は変わらないのです。今見ている番組に自分が出会う人が一杯いて、それは決まっています。でも、別な番組では、出会う人も違うし、また同じ人ばっかしでも、一人一人の変化があります。少しずつ変化していく、全部ね。かなり離れた番組だったらガラッと変わってしまいます。
例えば、自分が結婚する相手を選ぼうとするでしょう。一人の人を選ぶでしょう。この人がどこの番組でも自分の相手かというと、そうではないです。無限のチャンネルというと数に限度がありません。すべての人を結婚相手にしている番組があります。誰とでも結婚できる番組があります。100人いてたら100人と結婚している番組があるはずです。可能性はぜんぶ尽くされているから、一億人いてたら一億人相手にしている番組があるのです。
だから、誰とでも結婚している可能性はあるのです。だからそういう番組は用意されてる。ただ、この世で一人の人を選んだり、何人かと離婚しては結婚してと、何人かを選ぶ場合もあります、それはほんの一部なのです。無限の中のひとつのチャンネルにしかすぎないのです。
だから、もう神さまは至れり尽くせりで、人の考えつく、思いつく、願うことぜんぶ用意している、先にね。それで、好きな番組を選んではそれを楽しませてもらいます。だから、絶対自由を縛っていない、人の自由をね。もう、完全な自由を保障してどこまでも自由自在に幸せになって欲しいのです。
神さまの宇宙創造は、そこまで至れり尽くせりです。だから、自分は何にでもなれるのです、どういう状態にもなれます。何になりたいか、石ころになりたいといったら、石ころになっている自分があるのです。人になりたいといったら、人になっている番組もあります。星になりたいといったら、星になってる番組もある、人としての自分だけじゃない、ありとあらゆるものになれるのです。
その番組がぜんぶ用意されているから、ただ、全部の番組を味わい尽くすわけには絶対いかない。ほんの一部だけ選んで楽しんでるだけです。
-ありがとうございます-
どの番組でも楽しんで感謝するだけですか。
ありがとうございます:
本当はそうです。その番組を楽しんで幸せを大きくするために与えてもらっているのです。だから、先ず自由な心って大事でしょう。今見ている番組を掴んでしまうと自由が少なくなります、そしたらその中であがくのです。でも、自由な心はサッと変えて行ける、自分の必要なこと、願うことをスッと掴めます。
でも、掴んだらまた不自由になるでしょう。もうサラサラ流すほうがいい、掴まずに。それが、感謝の生き方です、感謝というのは絶対掴まない。移り変わる姿をサラサラ流して一瞬一瞬受け直していけるから、どんどん新しいものを見続けるのです。
五欲以上の幸せ
-ありがとうございます-
睡眠中は魂はどこかに行っているのですか。
ありがとうございます:
この世的に、この世に近い番組では、肉体から離れたらちょっと高い次元へエネルギーの補給です。魂が肉体から抜けるとエネルギーの補給をしてくれるところへ上がります。それで充電してもらって戻ってきて目覚めます。
-ありがとうございます-
睡眠の欲は悪いと書いてあるのですが。
ありがとうございます:
五欲の心というのは、マイナスを掴む心のなのです。本当は睡眠欲というのでも、寝ずに二十四時間明るく楽しく幸せ一杯に過ごせる方が幸せです。寝る必要がない方がいいのです。
また、食欲にしてもそうです。本当に寝食忘れて楽しみたいことがあったら、食べずに済む方がいいじゃない。「食べないと生きられない」と思うから食べるでしょう。でも、「何も食べずとも幸せ一杯」というのなら、食欲なんて要らない、食べずに済んだらね。
色欲でもそうでしょう、異性がお互い触れ合って喜びを感じたり確かめ合ったりするんだけど。でも、心が本当に喜び一杯だったら、そんなん必要なくなる。だから、肉体のそういうセックスというのは必要ないのです、次元が高くなるとそういうのは消えてしまいます。そんなのを確かめる必要ない、いつも心が一体感で愛の心一杯で幸せ一杯だからね。お互いの自由を縛りあうことはぜんぜん要らないし、本当の与え尽し合いの心になり尽しているから、いつも与え返されているのを実感するのです。本当の一体感があったら、別にいろんな色欲のような感じは消えてもいいわけです、必要ない。
また、財欲でもそうでしょう。自分のものを掴まんでもいい、本当はね。もう宇宙ぜんぶを神さまから与えてもらっている感覚だったら、宇宙が自分の家だったら自分のちっぽけなものを掴まんでもいい。「これが自分のもの」なんて要らないのです。財欲も小さい、やっぱりね。
名声欲もそうです。ちっぽけな自分を良く見せたって、そんなん大して良く見えない。神さまと一体の自分は無限に無限に素晴らしいけど、番組の中に出てきている肉体人間なんて、もうゼロ以下です、本当はね。その自分を良く見せようなんて、本当の虚を誇るような虚栄心です。ちょっと自分を偉く見せたって大したことない。そして、人をマイナスに見て責め裁いたって何の役にも立たん、幸せにも何もないから。
だから、五欲の心というのは、マイナスの心ね。五欲の心を生きてる限りは幸せになっていない、みんなね。だから、そんなん相手にせんほうがいいのです。五欲を相手にせずに、感謝に生きていると五欲が消えるし、感謝に生きていると、五欲で与えられているぜんぶを既に与えられていることに気付くのです。
必要な食べ物は既に豊かに与えられているし、必要だったら睡眠も適当に睡眠を与えてもらって、エネルギーを補給してもらっているし。相応しい異性はちゃんと与えられて幸せを与えてもらっているし。財欲にしても、自分のものを持たんでも、必要なものを身近に的確に与えてもらっているし。
別に虚栄心で自慢せんでも、みんなから褒められて喜んでもらっているし。五欲で得られるものなんかは、感謝をちょっとするだけで、すべて既に与えられていることに気付くのです。それ以上に、本当の幸せが感謝をしてるうちに、どんどん大きく深くなっていくのです。だから、五欲は要らない、五欲を掴んだら損をします。
徳
-ありがとうございます-
目標としてみんな欲を持っている。本の中に、大臣に指名されたらそれだけでマイナスだとか。
ありがとうございます:
だから、少々いいことをしても褒められたらそれで帳消しです、ゼロです。積んだ徳がね。
-ありがとうございます-
本人の徳がゼロになるのですか。
ありがとうございます:
親切にして、ちょっと褒められるだけでも帳消しです。表彰なんかされたらマイナスになる可能性がある。だから、いいことをしてもそれを徳として貯金として残そうと思ったら、隠してするのがいい、人知れず隠しておかないと。
人が褒めたということも、表彰状をもらうこともそうだし、みんなしたことに対してもらうと徳を失います、した事がゼロになる。徳を残しておける人は謙虚になれます。ところがもらってしまうと天狗になる。徳を失うとそういうマイナスの心になりやすいのです。
-ありがとうございます-
どうしても与えようとする場合も?
ありがとうございます:
いやあ、謙虚に辞退する方がいい。だから、大臣になると七代祟るぐらい徳を失うというぐらいなのです。やっぱり、良いことをどんどんして国のために人のために尽くしても、なかなか大臣になった徳失いの穴埋めは難しいのです。
国会議員に選ばれるだけでも大きい徳を失うのです、本当はね。大臣になったら益々失います。そしたら良いことがし難くなる、マイナスの心になってしまうからです。よっぽど心を引き締めて初心に戻って自分を捨てて、世の為、人の為に尽くさないと、徳を回復出来ません。だから、何も役職を持たないほうがいい。何もない時の方が本当の力を発揮できます。肩書きをもらった途端に損をします。
名前はいらない
-ありがとうございます-
最近、美空ひばりの番組があって、神がついているというのと、ついてないというのがあって。テレビに出ればみんなに褒められる、そうかといって、家庭に入ると散々な‥‥
ありがとうございます:
神さまがついているというけど、どの神さまがついてるかです。段階が無限にあるのです、低い神さまから高い神さま、本物の神さまというように。
-ありがとうございます-
歌というのは素晴らしいです。でも、家庭的には良くなかった。
ありがとうございます:
それは歌を歌うことによって、いろんなお金を沢山もらったとするでしょう。だから、歌を歌って人に幸せを与えるだけだったら、徳が積まれて幸せです。
ところが、お金を沢山もらってお返しを受けるだけで帳消しになっていくでしょう。それも貰い過ぎたら、人のマイナスの思いも一緒にもらいます。そうするとマイナスの心になって運命がマイナスになりやすい。だから何でも与え尽くすほうがいいのです、無償で与え尽くしてお返しを求めないぐらいの方がいい、お金儲けをしすぎたら損をします。
-ありがとうございます-
与えるものの中に「人知れず」と今おっしゃいましたね、そこのところが大切なところなのですか。陰に隠れたまま、誰にもわからないまま自分を尽しきる、与えるということが本当のことなのですね。
ありがとうございます:
そう、だから人に何かを送ってプレゼントしても、いろいろ知られてしまうと、また元に返ってくるお返しに、それが帳消しなんでしょう。でも、名前も書かずに知らさずに送って「どうぞこれを活かしてお使いください」と、それぐらいは書かないと駄目だけどね、誰から来たかわからんかったら恐がって使わないかも知れんから、自分の名前だけは伏せて「どうぞ」と言うたら、その人は徳を失わずに済みます。「奇特な人が助けてくれて、ありがたいなあ」という感謝の気持ちを持ち続けてくれたら、その感謝が自分に戻ってくる、徳がどんどん増えていきます。
だから「自分はこうした」というような気持ちで名前を出さないほうがいいのです。
-ありがとうございます-
それどころか「これをやったら何が返って来るかな」と、そういうことですから。
ありがとうございます:
はははは。そうです。
-ありがとうございます-
そういう時は、役割をいつも考えちゃうのですね。大臣も大臣でなければできないこともあって、僕だったら僕しかできないこともあるし、それは役割だと思うのですね。役割だとすれば名前は出した方がいいんじゃないか?(要約)
ありがとうございます:
名前を出して動いている人は、何の力も発揮していないのです。本当の力を発揮する人は、名前を隠して「お蔭様の力」をいただいている人なのです。「すべて神さまがしてくださっている」という気持ちで自分を出さずに謙虚に受けている人が、本当の働きを神さまにさせてもらうのです。
だから、大臣になったから大臣は何かしているかといったら何もできない、大臣になったら謙虚に私財を投げ打って、お給料ももらわずに本当に完全な奉仕の心で、世の為人の為に尽くすというのだったら神さまの御用に使ってもらえます。そういう人は、本当の働きをして徳を積めるのです。
でも、私財を投げ出さないといけない、財産をつくるようじゃあ駄目なのです。もう、謙虚に謙虚にならないとね。恩返しの心で、「世の為人の為に命を捧げて尽くすんだ」という気持ちだったら、神さまの御用に使ってもらえます。そういう人は自分の名前は出さない、「お蔭様で、お蔭様で」と、みんなを褒めて感謝して必要なことをさせてもらうだけです。そのほうがやっぱり高い番組の姿なのです。
-ありがとうございます-
役割は考えないでいいですか。
ありがとうございます:
本当の個性を発揮できる意味の役割だったらいいのです。個性を発揮するという時は、個性は謙虚に我を殺さないと出てこない。絶対自分の名前を出さないのが本当の個性を発揮する道なのです。
名前を出さなかっても、周りから自然に「こういう働きをしてくださって、ありがたいな」と認めてもらえるのです。名前は宣伝のためのレッテルみたいなものよ。(別に、名前を出したって‥‥)だから、名前は要らない、やっぱり、なくってもいいのです。
-ありがとうございます-
そういうのではなくて。僕の言っている役割の意味は、例えば、「ありがとうおじさ」んという名前がある、それはやっぱり役割だと思うのですよ。(要約)
ありがとうございます:
要らない、要らない、そんなん。
-ありがとうございます-
Mさんという名前があるじゃないですか、逆に「ありがとうおじさん」は必要なのですよ。
そういうのはやっぱり全面的に「ありがとうおじさん」を出して、「ありがとうおじさん」ですと言った方が僕はもっと世の中明るくなるんじゃないかと。「ありがとうおじさん」だけは残しておいてもらって。
ありがとうございます:
いや、みんな譲るよ、あっはははは。
「ありがとうおじさん」が無限に出てくれていいから。固有名詞は要らない。
無限の無限の幸せの本体
-ありがとうございます-
小さい時に、誰から聞いたのかは記憶がないのですが。人は生まれながらに死ぬ命が与えられて、この世を卒業していく。その人の生きる期間に必要なもの、人との縁とか財産だとか、そういうものをすべてその人に相応しく与えられている、だから「足るを知りなさい」みたいなことを言われたように思うのですが。そういう受け止め方でよろしんでしょうか。
ありがとうございます:
番組通りにストーリーが決まっていると言ったらそうなんです。低い番組だったら、必要なものを的確に与えてもらっているその必要性が、病気になることも必要だし、貧乏するのが必要だったらそれも与えられるでしょう。でも、それを「足るを知る」といってそれを受けるのも、ひとつの番組を楽しむ生き方かも知れない、それはそれでいいのですけど。
ただ、番組を変えたら、必要なものを豊かに与えられて、病気にもならない、いろんな能力を発揮して、みんなに喜んでもらうという番組もあるわけです。それも必要な助けを受けた番組です。
でも、やっぱり自分がどの番組を見て楽しみたいか、味わいたいかという方が大事です。ひとつの番組で縛られない方がいい、自由に番組を変えていけるというところから、自分の願いをしっかり確認しながら進むのがいいのです。
-ありがとうございます-
そういう自分のプログラムがきちっと出来上がっていて、その人が生きるために必要なものがぜんぶ与えられているものだと理解できれば、その心配とか不安だとか恐れとかマイナス的なものは全く持たずに、神にゆだねるという、エゴというものが消えるひとつの要素になるかなと思うのですが。その辺がブロックをかけて生き辛くなっている。エゴ的なもので自分を縛ってしまう。
自分を神にゆだね切れないでいる。そういうエゴのようなものが、すごく自分の成長を阻んでしまっているというふうに思うのですけれど。
ありがとうございます:
ただ、ひとつの番組の中で、すべてを神さまから与えられているというふうに受けて満足してしまうと、そのひとつの番組から抜け出せない、その番組を変えようとしない。それで満足してしまい、小さい幸せの番組でも「この幸せだけでいいんだ」というのです。
でも、神さまはちっぽけな幸せで満足して欲しくないから、もっと大きい幸せの番組へ早く移ってきて欲しい。どの番組でも神さまから与えられたというのは同じです。ただ、より大きい幸せの番組へ移る方が神さまの願いです。だから、満足したら駄目です、小さい幸せではね。本当に無限に大きい幸せを味わってこそ、自分が本当に満足、納得できるはずなんです。
-ありがとうございます-
それほど、人は自由を生きられるということですね。ということは何も不安がないです。
ありがとうございます:
不安がないのです。神さまがやっぱり最高の必要なものを先に準備して与えているからです。
-ありがとうございます-
もっともっと大きな幸せというものに考えが、「僕はここでいいや」とどうしてもなっちゃうのです。
もっと大きな幸せを考える暇がないというか、言われてみれば「あるんだ」となるんだけど。もっと大きな幸せというふうに考えたいのですけど、その辺のアドバイスを。(要約)
ありがとうございます:
一番の解決法は「ありがとうございます」を唱え続けて、無限に無限に幸せな本体の自分を、どれだけ自覚を深めていくかです。幸せな自分に気付いたら、小さい幸せに満足できない自分です。
無限に無限に幸せな自分に、どんどん気付いていくというのが大事です。その自分がどんどん高い番組に波長を合わせて行くのです。だから、「ありがとうございます」を唱えて神さまの助けを受けて、本当の自覚を深めることです。
ひたすら「ありがとうございます」を唱えていたらそうなっていく、必ず。それが一番手っ取り早いです。幸せはみんな知っているのです、一番奥の自分は無限の無限の幸せが一杯というのを知っているから。
その自分が表面にスッと浮かび出てくればいいだけです。そうしたら幸せ番組を順番に選んでいけます。「ありがとうございます」をとにかく唱えてみたら? 唱えてみたら自然に出てきます。