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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつ23にち No.2



       かたちゆうざいです 

-ありがとうございます-
 先生(せんせい)じっさいにどのようにおいのりをしているのでしょうか?

ありがとうございます:
 かたちゆうざいです。こころなかで。
-ありがとうございます-
 こえしたりとかは?

ありがとうございます:
 たまにこえすことがあっても、ほとんどこえしません。こころなかだけでありがとうございます! 



      つなどう 

-ありがとうございます-
 つなきをされていますね。どうして、つなきをされるのですか?

ありがとうございます:
 どれだけちからしてもちません、ですから、じんわざはありません。いっしょうけんめいいているつもりでえんしているのです、ほんとうにちからしているかわかりません。だからぶんさずにすむのです。
 うしろにるのではなく、けんきょうしろにがるのです。それはけではなく、さを、いなのです。だから、っぱりさせてもらって、「ありがとうございます」とかんしゃできるのです。しかもあいつよほどぶんちからっぱりしてもらえるのです。ちからてくるということは、かみさまからいろいろなものをもらって、ちからはっできるのです。それで、かみさまのたすけをおおきくけたということになり、ますますかんしゃふかくなります。いろいろながあるのです。

-ありがとうございます-
 つなどうということですか?

ありがとうございます:
 そう。つなどうというみちがつくと、ほんとうさとり、かみさまといったいすることをもくてきとするのです。だから、みんなが「かみさまといったいであるとさとっている」というじっかん()たいために、それをさいしゅうもくひょうにして、いっしょうけんめいたすって、さをうのです。


       「ありがとうございます」ということなか
 
-ありがとうございます-
 あたくすことと、「ありがとうございます」とることのながれがどうもいまひとつピンをしないのです。それを、どうにしたいのですが?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」ということなかに、けることと、あたえることとがどうおこなわれているのです。

-ありがとうございます-
 どうにですか? つうなにかをけて、よろこびをかんじますね。それが 「ありがとうございます」ですね。そして、ぶんなかにあるものをあたくすときには、なんうのですか?

ありがとうございます:
 それはたとえばたいようから、げんひかりけたとすれば、けたしゅんかんぶんげんひかかがやくのです。それでかがやいたら、ぜんそれはもうあたえているのです。けるとどうあたえているのです。

-ありがとうございます-
 で、あたえたときなんうのですか?けたときに「ありがとうございます」そして、あたえたときなんえばいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 けたとどうに「ありがとうございます」で、あたえているのです。つぎいっしゅんにまた、あたらしくげんのものを「ありがとうございます」で、けて、どうにまた「ありがとうございます」であたくしているのです。
 あくまで、ぶんはパイプやくです、からっぽのパイプのようなものです。かみさまから、どんどんひかりはいってきます、はいってくるとどうに、そのひかりがどんどんそとへとながれてゆくのです。そくそれがぶんのものになって、それがぜんたいあたかえしているのです。もうすぐじっかんができます。 

-ありがとうございます-
 わたくしたちは、「ぶんが・・」という「」を、どこでまなんでてしまったか?どこでたいけんしたものなのか、どのへんでコントロールされてしまったものなのか? どこでまよってしまったのでしょうか?

ありがとうございます:
 まず、かみさまといったいぶんがなぜ、マイナスにとらわれ、まよってしまうのかということです。これは、「ありがとうございます」のいのこと使つかって、いっしゅんいっしゅんさいこうのプレゼントをなおしていたら()いかもしれません。
 だからその、かみさまのさいこうひょうげん、というさいこうばんぐみいっしゅんいっしゅんなおしているかぎりは、いつもげんげんしあわせいっぱいというじょうたいつづくのです。それはやっぱりふかかんしゃがいるのです。ところが、ひくばんぐみこころけたとたんに、かみさまからとおざかっています。
 それはいろいろなめんかみさまとはなれているのです。かんてきにも、くうかんてきにも、ないようてきにも、いろいろとかみさまからはなれてゆくと、それだけかみさまのたすけがなくなり、たすけをけるのもすくなくなるのです。そのぶんだけマイナスにはまりこんでいくのです。
 ただ、マイナスにとらわれたりよったりするかんというのは、えいえんからみれば、ほんのいっしゅんぐらいなものなのです。ほんとうは「ありがとうございます」が、ほんとうぶんいのちきゅうなのです。
 ただ、きゅうというものは、このきゅうもそうですが、あるいっていかんめておけます。まんして、やりできます。ですが、きゅううばかりではまってしまいます、もとめるこころだけではまってしまうのです。もとめるこころきているときは、きゅうまって、くるしくなります。くるしくなったら、まんしきれなくなってすのです、そのときはじめてかんしゃされてくるのです。
 そのきゅうも、ぶんやり、りょくしてするものではありません。ぜんにさせてもらっているのです。そのいっしゅんきゅうめているかんが、かみさまからすればいっしゅんなのですが、ひくく(ひくばんぐみに)なるほどかんながかんじるのです。それは、かみさまのかんくうかんかんけいからて、そうなのです。いいじょうたいときは、かんがたつのをわすれ、かんみじかくなるのですが、マイナスのおおひとかんながかんじられます。それで、このくるしんでいるかんなんおくねんながかんずるひともあるわけです。
 それを、もういっかいかみさまのほうこころけるひとつのチャンスというようにれば、そのマイナスのたいけんおおきくきるのです。こんは、かみさまからあたえられるもののほうげんげんにすばらしいものばかりだと、かんげきあらたになってきます。そういうで、そのマイナスのたいけんでなかったとえるのです。  

        ひとには、かんぜんゆうがある。これをまずぜんてい

-ありがとうございます-
 わたくしのまわりには、けっこうもうそうにとりつかれているひとがいるのですが、そのひとたすけたいとおもっても、なにもできない。そのときはいったいどうしたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 ひとには、かんぜんゆうがある。これをまずぜんていにおかないといけません。だから、いいばんぐみだけをかみさまはきょうせいてきあじわいなさいとはわないのです。ゆうそんちょうして、どのばんぐみでも、きなばんぐみていらっしゃい、そして、さいにはさいこうばんぐみあじわってというかんじです。いちばんしたごくのどんぞこのマイナスのきょくばんぐみていても、かみさまはめようとはしません。それもいずれはおおきいプラスのはたらきにわるはずですから。ごくのどんぞこひとは、さいこうばんぐみたら、げんげんのさらにげんしあわせとかんじるのです。

-ありがとうございます-
 それはこちらがてばいいということですか?

ありがとうございます:
 そうです。

-ありがとうございます-
 なにもできないということでしょう。

ありがとうございます:
 そう、なにもできない。

-ありがとうございます-
 でも、ひとこえかけたい。そのあいは、どうったらいいのでしょうか?
ありがとうございます:
 そのときにひつようことは、「ありがとうございます」です、かみさまをまずぶのです。ぶんがもしマイナスにえるかい姿すがたていたら、ぶんがマイナスのばんぐみながめているのです。だから、そのばんぐみえられない、ぜったいわらないのです。もし、ばんぐみがマイナスがプラスにわったばんぐみを、ぶんたいとうのでしたら、「ありがとうございます」ととなえることによって、ばんぐみたいえてもらえるのです。そうすると、びょうひとびょうなおった姿すがたせてもらえるのです。いいばんぐみになればそうなのです。

-ありがとうございます-
 では、「ありがとうございます」と、となえなさいというのですか?

ありがとうございます:
 そうではないのです。それは、ぶんがマイナスのばんぐみまれていると、ぶんにんかんけいがよくわからなくなってしまうのです。
 ちょうどテレビをいまているとすると、テレビのばんぐみでいろいろな姿すがたうつわります。そのなかびょうひとがいて、そして、ぶんがそこにいるのです。そして、ぶんなにかいいことをかけたいとおもっているのです。でも、ストリーどおりにしかうごかないのです。そのているばんぐみで、また、もうひとつテレビがあって、そのテレビにまた、またたような姿すがたうつっていたら、もうひとつ、えづらいのです。
 どんなにあいえたいとおもっても、できないのです。かみさまでさえできないのですから。

-ありがとうございます-
 そうですか。なにもできないことをみとめてしまうのですか・・。

ありがとうございます:
 ひとゆうがあるから、ぶんきなばんぐみわせてゆくのです。どんなマイナスのばんぐみであっても、ぶんがそのばんぐみしゅやくなのです。かみさまがつくるげんげんのチャンネルというのは、すべてを()くしているのです、ひとがどんなばんぐみたいといってもぜんそろっています。みんながみんなべつべつばんぐみをみていても、まだまだげんげんあまるのです。ぜんれません。それだけのものをぜんようしてつくっているのです。だから、ぜんたいをみると、ばんぐみたいかみさまのかんぺきさいこうひょうげんなのです。
 ごくばんぐみもそうです。ごくばんぐみつくるのもたいへんなのです。ごくらくばんぐみつくるよりもむつかしい。また、ようかいばかり、ものばかりのかいばんぐみもあるのです。ありとあらゆるものがぜんそろっています。どんなばんぐみもあるということがだいぜんていになっています。
 そのなかから、ことで、おもいで、わせて、どんなばんぐみでもあじわえるようになっています。それも、いっしゅんいっしゅんこと使つかかたが、チャンネルわせになるわけです。ただやくさきにあると、そのやくゆうせんされるというだけのことなのです。だから、おもいをしてつづけるあいだは、ずうっとやくをしつづけるというかんじです。
 かんしゃによって、やくぜんえてゆくのです。やくひつようないということで、かんしゃできたら、おもいがなくなります。かいがどんどんひろがるかんじで、ばんぐみがどんどんがってゆきます、かんしゃきるようになったら、そのげんがよくわかってきます。そのばんぐみからいつもせるのです。
 おもいがプラスのおもいだったら、いいとおもうのですが、しかし、おもいはひとつのことをつかんでしまうのです、どんないいおもいもです。それがかさなると、マイナスのくらおもいにわってしまうのです。丁度ちょうどそらくもおなじです。じょうのものをつかんで、すいじょうがどんどんがってゆきます、さいしょしろくもうすぐもです。それがかがやいているようにえるのです。ああ、いいおもいだなとおもっています。でも、それがどんどんまると、あつくなり、かさなってくると、くろくもわります。おもいはどんなものもやはりマイナスなのです。


        ほんとうおんとはなにかを、かんがえたら
 
-ありがとうございます-
 おんとか、しがらみというものはどうかんがえたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 それは、ほんとうおんとはなにかを、かんがえたらいいのです。ちいさいおんもあれば、おおきいおんもあり、またげんげんおおきいおんもあります。ほんとうおんかみさまからいただくものへのおんです。もとこころといういちばんおくもとこころが、かみさまのこころです。そこから、げんげんのすばらしさを、それもえいえんにいただきつづけるということで、それがほんとうおんにあたります。
 それで、おんがえしということで、なにひつようかということになるのですが、おんがえしといっても、かえすわけにはゆきません。けておかえしするといっても、おかえししたぶんというものはふるいものですから、おんがえしになりません。
 でも、かみさまがいちばんよろこんでくださることというのは、あたらしいものをどんどんつづけることです。かみさまをよろこばせることがあるおんがえしです。だから、さいこうのものをつづければいいのです。そして、かんしゃつづければ、ほんとうでのおんがえしにもなるし、おおきいものをけて、かみさまをよろこばすことにもなるのです。


       ぶんえてみたほうがいいのです 

-ありがとうございます-
 ひとからもとめられたら、どうしたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 まず、ぶんえてみたほうがいいのです。ぶんもとめるこころがあるかないかです。もとめるこころあたえるこころせいはんたいこころです。
 あたえるこころひかりのこころかみさまといったいするこころです。もとめるこころはマイナスのやみこころになるのです。もとめるというのは、ひとゆうしばり、うばうことになります、ぶんおもどおりにしたいというだけで、あいをがんじがらめにしばってしまうのです。
 でも、かんしゃちがいます。かんしゃあいゆうかんぜんそんちょうするのです、せいそんちょうしているわけです。かみさまはもともとおなじものをふたつとつくらないし、おなじことをかえしません、そこまでてっていしています。だから、ほんとうゆうざいせいみとめたときかんしゃになるのです。

-ありがとうございます-
 もし、もとめられたときに、ありがとうございますとけたくなかったら、どうしたらいいのでしょう。

ありがとうございます:
 もし、ぶんもとめるこころをしっかりとにぎっていたら、まわりからもとめられるのです。だから、ぶんもとめるこころて、かんしゃできるようになったら、あいからもとめられることはなくなるります。そして、しばられることはいっさいなくなるのです。
 まずかんしゃきようとし、かんしゃきてゆくうちに、ぶんなかから、もとめるこころり、まわりからももとめられることもすくなくなってゆき、もとめるこころが、だんだんとくなってゆきます。そして、ゆうかんぜんにまわりからもしょうしてもらえます。


      「ありがとうございます」ととなえているだけで 

-ありがとうございます-
 どもそだかたについて、「ありがとうございます」のしきそだてるためにはどのようなほうほうがいいのかおしえてください。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」ととなえているだけで、もうどもかみさまはついているのです。しゅれいさましゅじんさまをはじめ、ほんとうちゅうおおがみさままでもが、まもまもっているのです、それにおまかせすることになるのです。かみさまにそだてをおまかせします、そうすると、かみさまが、もしひつようだったら、ぶんにそのひつようだすけをさせてくださいます。もし、ほかひとだすけしてくれたら、ほかひととおして、かみさまはどもそだてるのです。
 かみさまはゆうざいです、かんぺきまもってくれます。ただ、ひとというのはそとからってばすものではありません、なかからいのちはたらき、かみさまのちからてきてすくすくとせいちょうするものです。だから、やりって、りっぱにえようなんてできません、ちぎれてしまいます。ぜんなかからびといのちてきてせいちょうしてゆくものです。
 そのせいちょうかみさまがさせているのです、おやどもそだてることはできません。だから、てっていするのがいいのです。そだてはかみさまがする、おやはそのせいちょうせてもらって、たのしませてもらって、しあわせにしてもらうだけ。そのくらいのもちで、かんしゃしていたら、(ほう)っておいてもだいじょう(ほう)っておいてもかみさまがそだててくれます。もっとらくきられるのです。 


       けんかするときに、あいもとめすぎるのです 

-ありがとうございます-
 ふうげんかも「ありがとうございます」で、かいしょうされるでしょうか?

ありがとうございます:
 けんかするときに、あいもとめすぎるのです。こうして、ああして、というようにねがいがおおすぎるのです。ぶんねがどおりにならないときに、ちょっとたりちらすわけです。
 かんしゃというのは、もとめるこころいっさいしてしまい、それをあたえるこころえてくれるから、あいしあわせになるように、なるようにひつようなものをあたくす、そういうこころぜんいてくるから、けんかしなくなります。


       かたちからはいり、りょくしなくても 

-ありがとうございます-
 せんせいのようになるにはどうしたらいいのでしょうか?かたちからでも、がおからとかで、はいっていけばいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 かたちからはいり、りょくしなくても、ようかみさまをれたらいいだけのことなのです。かみさまはたすけたくてたまらないのです、かみさまはたすけをれてほしいといっしょうけんめいっているのです。だから、かみさまのたすけをれようというちにさえなったら、ぜんと、なかから、「ありがとうございます」といてくるし、なかから、うれしい、たのしいというかくがわいてきて、ぜんぶんえてくださいます。
 ところが、ぶんちからで、りょくしてとなると、かみさまはちょっとえんりょしなくてはならなくなります。りょくもすばらしい、とうといとはえるのですが、かみさまのたすけをきょぜつすると、かみさまはせなくなります。だからまず、かみさまのたすけをれるというもちをしっかりともったほうがいいのです。「かみさまとともにきる、かみさまとともにりょくする」そういうもちだと、かみさまはたすけやすいのです。おうえんがどんどんえて、ぜんなくぶんひつようなものがそなわってきます。

-ありがとうございます-
 つねかみさまをしきするというですか?

ありがとうございます:
 そうです。そので、かみさまをぶというのが「ありがとうございます」です。ぶというのもぶんちからぶことではなく、そのひとかみさまをひつようとするということをいて、かみさまがさきたすけにきてくれているのです。だから、「ありがとうございます」というかんしゃわってきます。
 「ありがとうございます」ということてくるということは、もうすでにかみさまのたすけをれているのです。ところが、「ありがとうございます」がてこないときは、やはりぶんつよいのです、かみさまのたすけをきょぜつしているときです。それで、そのてようとすれば、またかみさまのたすけをれようとすれば、それだけかんしゃしやすくなるのです。ですから、だいじょうです、ぜんくなってゆきます。
 

        、ぶん使つかことおもいに

-ありがとうございます-
 しんじていたのに、とつじょとしてうたがいがでてきたら、そのうたがいのこころをどうたいしょしたらいいでしょうか?

ありがとうございます:
 なんでもそうですが、ぶん使つかことおもいにかならぞうふくされるのです。まわりから、ちょうがあうものがあつまってくるし、それが、どんどんぞうふくされる姿すがたをとるのです。うたがったら、うたがいのなみがどんどんあつまってきて、どんどんおおきくふくらんできます。
 だから、うたがいとせいはんたいのものをってこなければいけません。かみさまとして、しんずるとか、まずプラスのことせんこうさせなくてはいけません。うたがいのこころてきたときのように、こころをひとつにとうせいしたり、はいすることはむずかしいのです。そのときは、「わたくしはあのひとしんじている」とか、「あのひとげんにすばらしい」とか、「かんぜんなんだ」とかで、プラスのこと使つかうと、うたがこころえてゆきます。プラスのほうちからがあります、やみよりひかりのほうちからがあるのです。
 プラスのことせんこうさせたら、マイナスのことぜんされてゆきます。プラスのこと使つかって、プラスのおもいになれば、マイナスはぜんえてゆくのです。だから、うたがいのもちてきたら、「わたくしはあのひとしんじています」と、えばいいのです。だから、せいはんたいのプラスのことをまず使つかうことです。
 

         びょうがぱっとなおったというのは 

-ありがとうございます-
 がんなおったとか、いろいろなせきがありますが、そうしたせきについてどうおもいますか?

ありがとうございます:
 びょうがぱっとなおったというのは、チャンネルがちょっとわっただけです。ほんとういっしゅんいっしゅんあたらしくされて、さいこうのものから、さいていのものまで、ぜんりそろえて、いっしゅんいっしゅんうつわることが、だいだいだいせきです。それはにんげんわざではないのです。

-ありがとうございます-
 もし、いっしゅんいっしゅんということでなく、オーバーにそのせきをとらえてしまったら、マイナスにはたらくことがおおいとおもうのですが、たとえば、かみがかりやちょうのうりょくがあるから、そのひとはすごいとかで・・

ありがとうございます:
 そういうひとはそのひとゆうなのです。それは、そういうせまちいさいはんでとらえているから、そうとらえてしまうだけのことです。かみさまのたちかられば、びょうがぱっとなおるのは、じなじなで、ちいさいじなです。かみさまはげんげんけんこうあたつづけています。それは、びょういっさいならないくらいのげんけんこうあたつづけているわけです。そっちのほうがもっとおおきなせきなのです。まんびょういっしゅんえても、たいしたことではありません。げんげんけんこうあたつづけているほうが、ほんとうで、もっとおおきなちからだいせきなのです。かみさまはずうっとそれをしつづけているのです。
 だから、ほんものかみさまのはたらきというのは、げんげんのすばらしいものばかりだけではありません。ひくだんかいのどんなせきといっても、じなみたいなものです。そんなものでよろこんでいたら、鹿みたいなものです。


      かたというのはいっぱいいろいろとできます

ありがとうございます:
 かたというのはいっぱいいろいろとできます。ほんとうは、ひととおりではありません。かみさまがひかかがや姿すがたと、そのかがみ(にうつ姿すがた)とのりょうめんせてくれる、というひとつのかたかんがかたです。それがすべてをあらわすわけではないのです。
 ひとたいようほういているとき、そこにいっさいやみかんじません、ひかりをけるだけ、かがやきだけをかんじるだけなのです。こんは、かみさまにけて、たいようけて、ぎゃくやみほうくと、やみというのは、どこまでもやみで、まれてしまいます。やみだけではそのひとしあわせになれないし、すくわれないから、かみさまはかがみへんしんするのです。ちょうどまどガラスをて、そとると、そとあかるいときひるときは、けてみえる、そしてあかるくかがやいてみえます。ところが、よるになると、そとくらいから、まどガラスがかがみわるのです。
 だから、やみくと、つねかみさまはかがみ姿すがたをとって、ぶん姿すがたうつしてくださるのです。ぎゃくうと、それはひかりをあたかえしたいからなのです。ぶんちいさいひかりをつかまないでやみほういています。そういうものででもそのひとかせたい、ぶんひかりなんだと。そういうで、かがみへんしんするのです。つねに、かみさまのほういてしい・いてほしいのです。
 そのかがみというのは、ぶんうつかがみというのは、ほんとうへいめんきょうひとつではありません、ほんとうはいろいろなかがみがあるのです。かみさまがへんしんするかがみはありとあらゆるしゅるいかがみがあるのです。だから、どういうかがみぶんせてくれるか、そのいろいろなかたがあります。そのときそのときぶんのまわりのかい姿すがたぜんを、いわばぶんこころかみさまのほうけるためのべんきょうざいりょうとしてあたえてくださっているとけられたら、スッとすぐに、ぶんこころかみさまのほうけられるのです。
 だから、そのかがみだけでもけんきゅうしだしたら、たくさんでてくるとおもいます。ほんとうに、かみさまのなかにはないものはない、ぜんりそろえてあります。

 クローンにんげんいまさわいでいますが、おなじものはなにひとつもつくれないのです。まずそうぞうげんてんで、どんなちいさいりゅうでもぜんちがいます。さいしょしゅっぱつてんからぜんちがうものとしててきます。それをわせて、じゅんばんおおきいものをつくってゆくとしたら、ちがうものばっかりとして、つぎだんかいおおきいものができてくるのです。それをまたわせてつくるとしたら、まったくなかちがうものができてしまいます。だから、かみさまはすべてにせいあたえているし、またちがはたらきをあたえているのです。

-ありがとうございます-
 ぞうしょくとか、こつずいしょくとかは?

ありがとうございます :
 それはちゅうで、ちょっとすりえて、たよっているようなものです。ちょうど、あしわるくなってしまったから、まつつえあるくようなものです。

-ありがとうございます-
 べつにいけないということではないのですか?

ありがとうございます:
 それもゆうかたです。そういうばんぐみもあるのですから。ただ、さいこうばんぐみちかづけば、いっしゅんに、わるくなったあしなおるかもしれないし、またくなったあしさいせいしてきます。それはほんとうで、せいある姿すがたとなっててくるはずです。
 だから、ぶんぞうぶんだけのぞうです。ほんとうは、おくからてくるものはぜんそうなのです。わざわざよそからってこなければということはないのです。どこかわないことがてきます。ぶんなかから、ぜんつくしてもらったほうほんとうはいいのです。ただいちてきたよれないときがあると、なかから、さいせいしてもらうときに、かんてきってくれないとか、こころかたがそこにゆかないときは、たよってもしかたがないのです。
 
-ありがとうございます-
 いのちあたえてかえらせたとかんがえていいのでしょうか?

ありがとうございます:
 いや、かみさまが、ひとゆうしばってなにかしてこないのです。ほんとうにそうなのです。ひとゆうかんぜんそんちょうしてくれます。ひとえらんでいるだけなのです、ぶんきなばんぐみを。

-ありがとうございます-
 よくかみさまが使めいあたえるというのは、かんがかたとしてはちがうのですか?

ありがとうございます:
 それはかみさまのはたらきをぜんとおしていないのです。かみさまにすりかえているときなのです。かみさまのせいにすると、なにぶんがいっぱいあるようにかんじます。それだったら、げんげんばんぐみぜんかみさまからあたえてもらっているというなおしをしたほうがいいのです。そのなかからぶんきなばんぐみえらんでいるといったほうがいいのです。
 どのばんぐみえらんでもかみさまからいただいたものだから、かみさまからのたすけかもしれません。ひとつのばんぐみえらんで、それをぜんけるのもかみさまからのプレゼントです。それから、ひつようなものがあたえられるとしたら、かみさまからのおおきなたすけなのです。だから、ちょっとしたじなみたいなかたちたすけてもらうというのは、ほんとうかみさまからのたすけではないのです。

-ありがとうございます-
 でしたら、どんぞこから、いただいたもののほうが、かみさまからのプレゼントととらえたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 いや、それはちょっとちがいます。どんぞこりたほうかみさまのほうこころけやすいのです、どんぞこりたらもうしたがないから、かみさまのほうくしかないのです。
 それでも、かみさまのさいこうげんげんのプラスをれるかというと、すぐにはれないかもしれません。まったんほうだと、ちいさいひかりかもしれないから、かみさまにちかづくほどおおきなものにわってきます。ただ、こころきがかみさまのほういているので、かみさまからのプレゼントをけているということなのです。それがおおきいか、ちいさいかはみんなちがいます、そのときそのときかたがみんなちがうのです。だから、ほんとうかみさまのたすけというのでしたら、さいこうげんおおきいものをけてこそ、そうえるのです、「かみさまのもの」と。
 ただ、ひとかみさまのせいにして、せきにんかみさまにてんするところがあるのです。かみさまから、なになにしてもらったというと、やはりぶんせきにんがなくなります、せきにんのすりえができます。なにかマイナスがてきても、かみさまのせいにすると、かみさまがあたえてくださった、かみさまがくださった、とせいとうできるのです。
 でも、ほんとうかみさまはそんなちいさなものはのぞんでいません。かみさまのほうげんげんおおきなもの・プラスをあたつづけたいのです、そんなちいさなものをあたえてよろこんでいないのです。だから、ほんとうげんげんのプラスをけているかどうかなのです。それだったら、かみさまがあたえてくれたものとえるかもしれません。
 たとえばけっこんしてどもまれるときでもそうです。かみさまがあたえてくれるから、まれるというかんがかたがあります。でも、それはひとつのばんぐみなかのひとつのストーリーにすぎません、かみさまはわざわざそんなこまかいところまでかんしょうしてこないのです。やっぱりぶんがそのストーリーをえらんでいるのです。もっとうえばんぐみでしたら、どもまれないばんぐみかもしれないのです。どもがひつようないかもしれない。どものまれかたたいにしても、おやからだとおらずに、くうちゅうからぱっとてくるかもしれない。いろいろなまれかたがあるのですから。
 にんげんは、おとこおんなわかれていますが、りょうせいがったいというにんげんがいるかもしれません。

-ありがとうございます-
 すると、ぶんじんせいえらんで、かみさまにたくしているとっていいのですか?

ありがとうございます:
 ほんとうかみさまをしんじてきるのだったら、げんげんのチャンネルをいつもかみさまからあたえてもらって、ぶんきなばんぐみえらんでたのしませてもらっている、というのがげんてんじょうけん)です。
 それでもひくばんぐみとどまってはだめです。よりたかばんぐみこころけてさいさいこうばんぐみこころけてたのしまないといけません、それをかみさまはつづけているとみたほうがいいのです。ほんとうげんげんしあわせがいっぱいというもちにならないと・・。そんなもちいてこないといけないのです。

-ありがとうございます-
 というと、かみさまにたくすことで、よりたかばんぐみえらんでゆく、そういうじゅんかんでぐるぐるまわるのがそうてきなのですか?

ありがとうございます:
 そうです。かみさまへぜんたくすることで、どんどんぶんえてもらう。ばんぐみれるようにどんどんたかめてもらう。それでさいたんコースにしてもらえるから、いちばんそうてきかたです。

 「ありがとうございます」ととなつづけることがほんとうぜんたくです、はやさいこうばんぐみあじわえるようにわります。そのばんぐみえて、かみさまとのいったいかくてくるのです。ほんとうぶんばんぐみなかにいないのです。さいこうひょうげんばんぐみったとしても、そのばんぐみなかには(ぶんは)いないのです。あくまでもばんぐみひょうげんなのです、ほんとうぶんかみさまといったいです。ほんとうかみさまのなかに、そしてぜったいなかにいるのです。だから、かみさまとはぜったいはなせないのです。ひょうげんではないのです、ほんとうぶんは。ほんとうぶんというはかみさまとまったいったいで、ぜったいなかにあり、そこで、かみさまのひょうげんながめるたちにあるのです。

 
       いのりはなにかあったときにするのではないのです 

-ありがとうございます-
 「いのりを鹿にしてはいけない」と、われたことにドキッとしたのですが、そのてんをもうすこはなしてほしいのです。こんなはなしがあります。イスラムきょうがたくさんっていたふねがまさにたいふうちんぼつしそうになったとき、みんないっせいに「アラー」とさけび、いのはじめました。そこにいたがくしゃが、なにをしているのだ、もっとぶんあたまなにかできることをかんがえたらどうなんだ。また、めいそうしているひとたいして、そこがとてもよごれていました。なにやっているんだ、めいそうするよりも、そうでもしたほうやくにたつとったほうせいかいのようにおもえるのですが?

ありがとうございます:
 おいのりはなにかあったときにするのではないのです。それもひとつのみちです、どうしようもなく、ぎりぎりになったところに、かみさまにすがるというのもいいのですが、そのときしんけんになったらすっとたすけてくれます。それはたしかにあるのです。でもほんとうのおいのりはいのつづけるのです、じゅうかん
 そうすると、だんにそのいのりのなかぶんをおいておくと、いつもひつようたすけがかみさまからどんどんてきます。またひつようのうりょくてくるのです。だから、どんなぜんさいがいにしても、そのふせだてをさきこうじてしまいます。マイナスのじょうたいにならないようにじゅんばんたんととのえて、かんぺきじょうたいととのえてしまいます。だいしんしょうしょうしんがあっても、ぜったいへいたてものぜったいこわれないというようにさきげてしまうのです。おおあめってこうずいだといっても、そのえいきょうぜんぜんないようにしてしまいます。あいによってはたいふうたといっても、そのたいふうぜんしてしまうくらいのがくりょく使するのです。
 だから、だんから、いのつづけているひとかみさまののうりょくぜんてくるのです。だんから、ぜん調ちょうした姿すがたえるだけのちからはっするのです。それもなにもしないで、こまったときだけかみさまというのではなかなかほんものいのりとはほどとおいのです。ほんとういのりというのはがくともすべて調ちょうするのです。せいはんたいなゆきかたではありません。
 ほんとうがくしゃかみさまのまえけんきょにならないとなんちからはっできないとおもいます。ひとつのはつめいはっけんすらかみさまからアイデアをけないかぎりできません。だいいっせんほんとうがくしゃかみさまのまえほんとうけんきょなのです。かみさまのをいただいて、いろいろなはつめいはっけんをします。だからほんとうはひとつです。
 こうずいてからのたいしょではおそいのです、ほんとうのおいのりするひとは、まえもってちゃんとたいしょしておかないといけません。


       ちゅうということかいということ 

-ありがとうございます-
 かんとはなにでしょうか?

ありがとうございます:
 ちゅうということかいということがあります。ちゅうくうかんちゅうかんです。かいかんかいくうかんです。だから、かいちゅうというのはかんくうかんわせでまれます。それはそうたいりょうきょくかれたひとつのようです。
 かんというのはけいはかかんとはちょっとちがい、かんにもいろいろなかんしゅるいがあります。くうかんにもいろいろなくうかんしゅるいがあります。
 このとあのくらべてみればいいのです。りゅうぐうじょうというのをたとえていえば、うらしまろうりゅうぐうじょうって、たのしいしあわせなかんします。ほんのちょっとそこでたのしんできたというかんかくで、このもどされたとすると、ながねんげつがたっていたのです。それで、ぶんとしいた姿すがたとしてあらわれてしまいます。
 だから、かんというのは、すばらしいくうかんひろがったかいではかんみじかくなり。ぎゃくにこのくうかんせばまって、マイナスのおおかいではかんながくなります。だから、ごくらくかいではかんがないのです、いっしゅんです、いっしゅんいっしゅんしあわせいっぱいというのがごくらくかいです。ごくくるしみばかりです。
 くうかんくなるとかんげんひろ<