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2001ねんがつ23にち No.1



     ひとこんぽんかみさまにいだかれているのです 

-ありがとうございます-
 わたくしたちはさいしょくしゅであるべきか、またそうでないのか? またどんなものべたらいいのかおしえてください。

ありがとうございます:
 ひとこんぽんかみさまにいだかれているのです。だから、かみさまのいのち(いただ)くというもちであれば、なに(いただ)いてもほんとうはいいのです。どうぶつころしてべるというもちであれば、かみさまのいのち(いただ)くというもちではありません。かみさまがどうぶつ姿すがたをとって、いのちささげて、べさせて(いただ)き、わたくしたちをかしていただくというあい姿すがたであれば、かんしゃして(いただ)くというのがただしいのです。
  だから、どうぶつしょくぶつぜんかみさまのいのち(いただ)いてきているのです。ただ、いのちころすというでは、しょくぶつをとってころすのもおなじことなのです。ただ、どうぶつまわるといういちめんはあるのですが。ただかみさまがかしてくださるというで、いのち(いただ)くということだったら、ささげもののいのち(いただ)いてもいいのです。そのかわり、ぶんはそのどうぶつにしなければいいのです。
 そうであればどうぶつほんとういのちをまっとうできます、だから、ひといのち(いただ)き、それをかてとして、もっとおおきなはたらきをさせてもらったらいいのです。そうしたらどうぶつおおきくきるのです。だからさいしょくしゅにあまりこだわらなくていいとおもうのです。かんしゃして(いただ)くものはぜんかみさまのいのちなのですから。

-ありがとうございます-
 せんせいむかしさいしょくしゅしゃであったということですが、にくべてもいいとなるまで、どのようなへんがあったのですか?

ありがとうございます:
 わたくしちいさいときは、ものをあまりあたえてもらえなかったのです。いちにちいっしょくくらいです。それもなにもなかったら、ねんでもべなさいとわれたのです。ふゆさむいときなどはさいくずがないとき、きるために、さかなりにったのです。こおったつちなかってどじょうをったりして、いろいろとべさせてもらったのです。でも、ゆうがあったらわざわざどうぶつしょくべなくてもいいかもしれません。
 わたくしはもうだいからずうっとだんじきばかりしていたのです。ほんとうしょくぶつべたくないくらいです。ひとつぶがんやくがあってきてゆけるならそれでよかったのです、でも、そうはゆきません。そうしてだんじきして、だんじきというものはどういうものかべんきょうさせて(いただ)いたのです。だから、ものをべているというのいうのであれば、ほんとうはだめなのです。かみさまのいのち(いただ)いているとわったら、たんなるぶっしつべているのではなく、だんじきになるのです。それがたとえどうぶつしょくにくべたとしても、わらないのです。
 こうぼうだいともだちそうりょあるいていて、(いのしし)にくようされたのです。くうかいさんがにくべたのです。はたでていたおぼうさんが「おまえ、ぼうのくせににくったのか?」というのです
 ところがこうぼうだいさんが「わたくしにくべてはいない」とったのです。やはりたいしたものです、かみさまのいのち(いただ)いたのです。 そこで、「ほんとううそか?してみよ」とうのです。こうぼうだいしたところに、にくはないのです。「ではおまえしてみよ」とったら、せめたそうりょしたほうから、にくてきたのです。だから、ほんとうかみさまのいのちべていたら、ぶっしつべてはいないのです。やはりかただいだとおもうのです。

-ありがとうございます-
 せんせいいちにちなんしょくで、どのようなメニューをべるのですか?

ありがとうございます:
 なんでもべています。(わらいながら)まあひとって・・なんでも(いただ)いています。なんでもべるといっても、そんなにべられないのですが。
 
-ありがとうございます-
 あさひるばん

ありがとうございます:
 ぜんあたえられて、そのなかえらんでちょっとです。

-ありがとうございます-
 どうぶつしょくまいにちべられるのですか?


ありがとうございます:
 いまは、あまりべません。くだものいちばんだいきなのです。でも、あたえられたら、なんでもべます。
 わたくしぶんからべたいとぜったいいません、つくってしいともぜったいいません。あたえられたらべます、だから、あれべたい、これべたいというものがないのです。
 だいたいしょくかんがなかったらべません。だいたいむかしからいそがしかったので、そのしょくをするかんすくなかったくらいだから、かんあいをぬってちょこちょこっとべていたのです。いまています。もしいそがしかったらべません。 


      いのりはいつも、ずうっといまおなじです 

-ありがとうございます-
 だんいのりのかんながいのですか?

ありがとうございます:
 おいのりはいつも、ずうっといまおなじです。ただひとたいだんしているときはあさくなります。だから、おいのりだけにてっていしたほうふかくできます。


      どくしんにみえますか? 

-ありがとうございます-
 せんせいけっこんしていらしゃるということですが?

ありがとうございます:
 どくしんにみえますか?

-ありがとうございます-
 けっこんとはどういうことだとおもいますか?

ありがとうございます:
 けっこんもいろいろなかんがかたがあるとおもうのです、たましいみがきあいとか、それはまだひくげんかもしれません。けっこんかぎらずですが、ほんとうあたくしい、というのが大事(だいじ)なのです。ひとあたくして、しあわせをかんじるのです。ただほんとうもくてきかみなるものに、すべてのすべてなるものにあたくすのをさいしゅうもくひょうにするのです、そのあたくすれんしゅうです。ひとたいしてあたくしてよろこれんしゅうです。
 ひとひとこころをくみとるのはむつかしいのです。そのひとほんとうなにひつようとし、なにほんとうねがっているのか、くみとるれんしゅうをかねて、ひつようなものをてっかくあたえつくすれんしゅうなのです。

-ありがとうございます-
 もしかたほうせいちょうして、どうちがってきて、こんするというようなことをいてあって、こんするのはとうぜんというのを、どうおもいますか?

ありがとうございます:
 だんかいがいろいろあって、そういうのもあります。ただあたくすのだったらべつもんだいないのです。 


      やはりすばらしいかたです。ただ、すばらしいといってかくするのは 

-ありがとうございます-
 インドのサイババについてどうかんじていますか?

ありがとうございます:  
 やはりすばらしいかたです。ただ、すばらしいといってかくするのはいいことではないとおもうのです。このひとはすばらしいというとひとはだめなのです。それよりも、ひとほんとう姿すがたかみさまといったい姿すがたげんげんにすばらしいのです。
 このてきている姿すがたかみさまのあたえてくれるげんげんのチャンネルのほうそうばんぐみいちなのです。だからていがかなりちるとおもうのです。いろいろなやくわりのこの姿すがたてきても、それをかくするのはあまりよいことではありません。みんなそのばんぐみからいいものをまなび、たのしんで、しあわせをかんじるためにやるものですから。だから、いちばんほんしつげんげんのすばらしいかみそのものなのだというぜんていにおいて、その(ひと)がいろいろなやくわりえんじて、いろんな姿すがたあたえて、ひとひとしあわせにしようとしているとうことでいいとおもうのです。

-ありがとうございます-
 それではせんせいにおいて、サイババはどんなやくわりになっているとおもいますか?

ありがとうございます:
 みんなわせるチャンネルがひとひとみんなちがうのです。おなじチャンネルにわせてはいません。だから、ひとひとぶん姿すがたてくるのをて、いろんなプラスのものをているとおもうのです。ひとひとかたちがうとおもいます、このにあってもチャンネルがげんかれるとおもいます。かたちがっていいし、ちがわないとうそだし。

-ありがとうございます-
 やくわりかたはそれぞれあっていいとおもうのですけれど、たとえば、さきほどのさいしょくについては、サイババにおいては、なんでもべていいとはかぎらない。もし、それがからだどくであったら、こまるでしょう。からだはゴミばこではないから、いいものだけをべるというかんがかたです。そういうかんがかたについてどうおもわれますか?

ありがとうございます:
 かみさまのあたえてくれるげんげんのチャンネルのかたと、またこれをぜんたいをひとつのテーブルというかたと、これをせつめいするとぜんわってきます。ただ、げんげんのチャンネルのなかのひとつをえらんでいるというならば、もうひとひとゆうなのです。ただえらぶだけなのです。ほんにんなにえらんでもいいのです、ただ、いいばんぐみえらんだら、そうてき姿すがたがあるわけです。さいしょくではなく、かすみべてきてゆくかもしれないし、それでいて、げんけんこうあたえてもらいます。いのちかがやくというばんぐみがあるのです。
 どのばんぐみえらぶかとなると、ひとひとゆうなので、ひくばんぐみえらんだからといって、そのひとがだめというわけではありません。ただぜんたいをひとつにまとめてみると、いろんな姿すがたがあって、このえらべんきょうなので、どういうかたをしたらいいのか、なにえらびたいのかというなのです。だからいろいろなものをさんこうにしてえらんでゆくのです。
 そので、にくしょくしていたひとさいしょくがいいとなればそれをえらんでゆくし、そういういろいろなかたがあっていいとおもうのです。ただどうげんさんのはなしだと、にくしょくをしているのをめなかったということがあります。なぜかというと、あるいんねんがあるというかたで、もし、そこでにくしょくめてしまったら、ぎゃくほかせっしょうするという。そういうあいにくしょくをすることで、せっしょうかるくするのです。だから、それをめないのです。そういういちめんもあります。
 だから、いろいろないがあって、はじめてみんなしあわせになればいいのです。それがわるいとめたらだめだとほんとうおもいます。だから、わるいをめるのは「おもいのこころ」でめるわけです。でもかんしゃというのはぜんそのままプラスにけてゆきます。すべてかみさまのいろいろなげんだんかいひょうげんというふうに、プラス、プラスにけてゆくのがかんしゃきるかたです。そのおもいがぶんわないと、プラスにしたりマイナスにしたりしてしまいます、やはり「おもい」は「とらわれ」がおこるとおもいます。
 ほんとうはすべてをひかりいちげんおがみあげて、ちいさいプラスから、そのおくげんげんかがやいたさいこうほんたいがあるという、おがみあげるかたかんしゃかたなのです。
 だから、どのばんぐみもすばらしいというふうになってゆくのです。それをごっちゃにしてしまうと、とらわれがちになるとおもいます。わるいをめてしまうと、ぶんべつこってしまいますから。すべてがプラスにえるほうがいいのです。なにもかもすべてがげんがあるというのがいいのです、なにをみてもしあわせになれるのです。
 

   ひとひとこころがプラスプラスにいてたら
 
-ありがとうございます-
 きゅうむらのTさんのかたについて、せんせいにはどんなふうにえますか?

ありがとうございます:
 ひとひとこころがプラスプラスにいてたら、そのプラスのばんぐみにあってゆくのです。そういうていではいろいろとうつわりがあるのです。マイナスをはたらきや、これからこるかもしれないマイナスのこともプラスにわるかもしれない。そういういろんなへんがあってプラスのばんぐみができます。

-ありがとうございます-
 うらないなどで、せいまつがくるぞ、とかいうひとたちについてどうおもいますか?

ありがとうございます:
 げんというのはなんのためにげんするかと、マイナスなことをだんていてきうだけだったら、げんしないほうがいいのです。ひとこころくらくするだけですから。
 ただ、それをプラスにえるためのじょげんだったら、げんきてきます。マイナスを(つか)んで(とら)われるのではなく、プラスにえるならいいのです。マイナスをんで、マイマスをプラスにえることはほんとうはできないはずなのです。ばんぐみとしてはまっているのですから。
 だから、ぶんこころをプラスにけて、ことをプラスに使つかって、あかるいプラスのばんぐみちょうわせてゆけばいいのです。そうすると、わってくるのです。


    ようはみんながよりしあわせになればいいので
 
-ありがとうございます-
 いまもんだいとなっている、いけしょうがっこうけんたいして、どうプラスこうしたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 ようはみんながよりしあわせになればいいのです。はんにんも、がいしゃも、それにはどうしたらいいか。そのほうほうはいっぱいあるとおもいますが、わたくしはもういちばんいいのはげんげんかがやきがいっぱいというおくほんしつおがうのがいいとおもうのです。ひくばんぐみわせたこころたかばんぐみわせるようになれば、・・

-ありがとうございます-
 そのわせかたは?

ありがとうございます:
 わせかた?それはかんしゃぎょうです。はんにんも、められたら、こころくらくして、ひくごくちるかもしれません。

-ありがとうございます-
 もし、せんせいむすめさんが、おなじようにころされたとしたら、どうちちおやとしてかんがえたらいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 それはいろんなかたができます。ただわたくしあいぶんどもはいても、っていないから。ぶんのものはなにっていないから、そういうではべつなにもないのです。ただ、かりぶんむすめかんじたときは、ほんとうごくちるのをこんなにかるくしてもらったとか、いんねんもこれでしてもらったとか、だれかのわりに、ひとだすけをしたとか、そういうプラスのかたをいっぱいできます。
 そういうぜんたいだと、マイナスはないのです。はんにんほうも、じんるいつみって、マイナスをえんじて、おおきなかいせんそうげんいんしてくださっただというかたもできます。ですから、ぜったいひとめたりしません。まだいろいろなかたができるし、まだいっぱいてくるととおもいますが、そのときプラスプラスとて、みんながしあわせになれればいいとおもうのです。 


     いちばんこんぽんかたというのは 

-ありがとうございます-
 ぶんがんとなって、やまいおかされたら、どんなおもいにしたらいいでしょうか?せんせいだったら、どういうこころかたをなさるのでしょうか?

ありがとうございます;
 いちばんこんぽんかたというのは、もしわたくしびょうであったら、びょうばんぐみちょうわせているのです。それをげんけんこういっぱいというさいこうばんぐみわせてしまえば、ばんぐみさえわったらしゅんかんえてしまいます。

-ありがとうございます-
 ばんぐみわせかたおしえてください。

ありがとうございます:
 ひとにいろんなばんぐみて、ばんぐみからいろんなじょうほうて、マイナスのじょうほうがあったらマイナスのこころむのです。そこで、プラスのことやマイナスのこと使つかったりします。おもいにきるというのは、そのおもいというのはしゅうちゃくなのです。(つか)んでしまうのです。(つか)んだものは、こころのこるのです。
 だから、ばんぐみわせかたというのは、ことわせています、ことどおりになってゆくのです。そのことがいろいろなおもいにへんしているのです。
 そのばんぐみやくというのを、ひとは、しすぎるのです。こころんだことおもいがぜんばんぐみやくになるのです。そうすると、いまいいことをおもっても、そくにプラスのばんぐみわらないのです。さきやくしたものがゆうせんされます。だから、まずそのやくをいかにすかがだいなのです。いま、プラスに、ありがとうございますとおもっても、すぐにプラスのばんぐみわらないげんいんが、やくなのです。
 もし、やくぜんされていたら、いま、ありがとうございますとえば、すぐにプラスのばんぐみわるのです。いいばんぐみつぎつぎわってゆくのです。

-ありがとうございます-
 その「ありがとうございます」というのは「かんしゃち」なのか、それとも、それがることがわかっているから、「ありがとうございます」なのでしょうか。

ありがとうございます:
 いろんなあいがあるのです。「ありがとうございます」をとなえるのは、なんのためかというと、そのやくかみさまのちからしてもらいたいからです。かみさまのたすけをけたいからなのです。
 さいしょかみさまといったいなのに、どうしてマイナスのかいむかというと、こんぽんげんいんは、(いちばんさいしょに)かみさまにけててきているのです。げんげんのチャンネルをどれでもゆうたのしみなさいとわれててくるのです。ですから、かみさまにけててきているのです。そして、ゆうてきとうばんぐみあじわってまるのです。
 だから、マイナスほど「おもい」のでるかいです。かんしゃではないからです。マイナスがいっぱいたまってくると、マイナスのやくがいっぱいなのです。それがおおきなこうげんいんになっているのです。そのマイナスのやくをもうぶんちからせなくなるのです。マイナスのばんぐみをみているかぎりではかんきょうえいきょうけて、マイナスのことすし、「おもい」もいっぱいすし、つぎからつぎへと、やくつづけにしてゆくかんじです。
 だからもう、ぶんではどうしようもありません。そのときに、ぶんゆうあたえられて、せんたくしているのはたしかですから、ぶんぜんせきにんがあるのです。まず、ぶんかみさまのたすけをけたいというそういうこころこさないといけません、ひつようせいかんじないといけないのです。
 かみさまはゆうにしていることにはかんしょうしません。かっなにしてもかまわないのです。ところが、かみさまをひつようとしたときには、さっとんできてたすけてくれます。だから、こころきる、おもいどおりにきるというときには、かみさまはおくむしかありません。ところが、かみさまのこころのままにきたいというこころこせたら、かみさまはたすけてくれます。かみさまはいつもひとこころています。
 かみさまのこころのままにきたいのか、ほんとうかみさまといっしょきたいのか?それとも、ぶんかっきたいのか、どっちをえらぶかと、いつもてくれています。
 ぶんかっきているときはかならまることになっているのです。ひどくなったら、しちなんはっでいっぱいになりごくのどんぞこにおちるのはまっています。それで、あたまってづくわけです。「ああ、かみさまのもとにもどりたいと」。だから、かみさまのほうはやくもどってさいこうばんぐみあじわってほしいのです。かみさまのねがいは、いつでもたすけようとたいしているのです。

-ありがとうございます-
 それでは、いつもかみさまのほうけているにはどうしたらいいのでしょう。

ありがとうございます:
 それは、ぶんかっっても、かならあたまつ。じゅん調ちょうっても、それはいちてきなのです。それがあるていたいけんされ、きるくらいにまでなり、れんがなくなったら、かみさまのほうきます。だから、きょうせいてきかみさまのほうきをえさせても、またもとほうもどってゆきます。だから、とことんなっとくするくらいにたいけんし、れんをなくすくらいがいちばんいいのです。
 そのをみてかみさまはスッとべてくださいます。だから、かみさまはたすけない、なにもしないのではなく、いつでもたすけようとたいしているのです。いちばんひつようときに、てっかくたすけをあたえてくれます。そのたすけをあたえてもらったけっが「ありがとうございます」ととなえさせてもらう姿すがたになったり、プラスにこころになるのです。だから、なにかしたらたすけてくれるのではないのです、かみさまのほうぜんとおしているから、ほんとうたすけたほうがいいというときたすけてくれるのです。そのときに、「ありがとうございます」と、となえさせてもらえるのです。 


     まだかしていません!
 
-ありがとうございます-
 せんせいは、2001ねんまではかくして、おいのりをつづけていたのですが、どうして2001ねんからかすようにしたのですか?

ありがとうございます:
 まだかしていません!
    
-ありがとうございます-
 それはかみさまから、「ありがとう」を、みんなにというようなことがあるのですか?

ありがとうございます:
 そんなおおげさなものではありません、ただ、おんがえしのこころこさないとだめなのです。ぶんしあわせにもらったのは、いろんなひとのおかげです。ひつようになったら、おんがえしさせてもらわないと。
 でもほんとうかみさまがたすけてくださるだけなのです。かみさまのちからがなかったら、マイナスげんだいちからしかないのですから。だから、いつもげんからっぽのじょうたいにならなくてはいけません。かみさまがいうなれば、ぶん使つかってくださるのです。からっぽになっていたらです。
 そして、かみさまがひとひとているわけです。ひつようだったら、ぶん使つかって、かみさまがなにかをあたえようとしているのです。ただ、ひとひとかみさまをあいにしないと、ほんものはつかめません。ほんとうちょくせつにつかまないといけないのです。だから、かみさまはどこにいるかというと、どこにでもいるのです。かみさまはぜんたいですから、すべてにわたっているから、どこからでもけられるのです。ただ、かみさまがあらわれてくれないといけません、どこからでも。それがひつようだったら、あらわれて、かんじさせてくださるのです。
 「ありがとうございます」ととなえさせてもらったということがひとつのかみさまのたすけをけて、かみさまとたいめんしてゆくひょうめんけっとしてあらわれてきます。だから、だんだんと「ありがとうございます」ととなえるひとは、かみさまとのたいめんふかくなってゆくのです。

 
     かみさまに100%おまかせするには

-ありがとうございます-
 つうかみさまにすべてをささげたいとおもっても、なかなかできません。やはりけいざいてきもんだいがついてまわり、30%はしょくじゅうるためにはたらき、70%をかみさまのためにはたらくというようになってしまいますが、100%かみさまのためにはたらきたいとねがうのですが、どうもうまくできません。そのなやみがどうしてもとれません。そのなやみをとるためにはどういうかんがかたをすれば、そのなやみがとれるかなのです。


ありがとうございます:
 それは、どんなかんがかたをしてもとれないのです、それはかみさまにたすけてもらってとれてゆくのです。かみさまのほうじょうなのです。というのはすべてかみさまはすべてをき、とおしているのです。ひつようなときにたすけつづけて、どんななやみもなにもかも、とれるようにたすけつづけるのです。だから、かならるのです。


-ありがとうございます-
 ではたいてきにどうしたらいいのでしょうか?


ありがとうございます:
 かみさまにおまかせする、ぜんたくするには、さいしょから、100%するということはできません。さいしょぶんかっきたいのです。おもどおきたいのです。そういうときかみさまなどあいにしません。かんぜんきょぜつしてしています。それがだんだんとかみさまにこころいてくることたいが、かみさまのたすけをけているのです。かみさまにたすけをもらっているから、かみさまにこころけさせていただけるのです。
 そして、かみさまにおまかせしよう、かみさまのためにおやくにたちたいというもちこさせてくださるのです。それはかみさまのたすけがぶんなかはいっているからなのです。かんしゃをさせてもらい、かみさまへのおつだい、おんがえしをさせてもらえるのです。ただ、さいしょからゼロからいっそくびに100へとはゆかないのです。
 じょじょに、でいいのです。だんだんとそのわりあいえてゆきます。それだけかみさまはずうっとめんどうつづけるのです。そうして、だんだんとほんものちかづいてくるのです、100%にちかづいてきます。だから、べつにあせるひつようはないのです。ああ、ここまでたすけてつづけてもらえたというふうに、プラスにてゆけたら、どんどんプラスにへんするからです。


-ありがとうございます-
 そういうことですか。つまりもっとりょくしていけば・・

ありがとうございます:
 さいしょはゼロだったのですから、ゼロから1%、かみさまにここまでプラスにたすけられたとよろこべばいいのです。2%だっらら、もっとよろこび、3%だったらもっとよろこび、そして、もう50%になったら、もうがって、ころまわってよろこばなければ!そしてみんなかみさまのおかげなんだ、かみさまのおおきなたすけをいただいているのだ!と。だから、かみさまのたすけをいただかないとそこまでゆかないのです。

-ありがとうございます-
 もし、100%かみさまにまかせたしゅんかんはどういうもちなのでしょうか?

ありがとうございます:
 それは、ぶんえてなくなるのです。かみさまのはたらきだけ、かみさまのよろこびだけなのです。

-ありがとうございます-
 それをけいけんしたいのですが?

ありがとうございます:
 それはだんだんとそうなります。それは、たいようがぱっとぶんからだなかはいってきたらびっくりするでしょうが、そんなちいさなことではないのです。ぶんばされてえてしまいます、そのれんぞくです。
 だから、ほんとうたいようげんだいこうたいぶんなかんでくれて、ぶんなんかばしてくれるのです。そこまでおおきなしあわせをあたえてくれるのです、かみさまは。



    みなほんにんえらぶのです 

-ありがとうございます-
 まれたときに、やさしいりょうしんそだてられたどもと、ぎゃくたいされ、ひどくわれてりょうしんそだてられたどもがいますが、それは、かんしゃしようとおもってもスタートラインがちがうのですが、なにがあるのでしょうか?

ありがとうございます:
 みなほんにんえらぶのです、じゅんばんに。だから、だれのせいではないのです、ほんにんえらんで、ちょうものあつまるのです。だから、ぶんえらぶのをえたら、かならわるのです。
 それをわるいと、めたらいけないのです。やさしいおやまれたのはひつようだったのですし、きびしいおやまれたのも、それがいちばんかったのです。みんなぶんをどうしてゆくかということを、ひとりぶんえらんで、そのばんぐみわせてたいけんし、じゅんばんぶんたかめていっているはずなのです。だから、こんぽんぶんえらんでいるのです。
 そのゆうせんたくかっしばれないのです。だから、いろいろなひと姿すがたせてもらって、それをさんこうにして、ぶんほんとうなにねがい、なにひつようとしているか、それにづいてえらなおせばいいのです。いいものを、いいものをと。そういうで、いっぱいいろいろな姿すがたせてもらっているのです、プラスもマイナスもです。

-ありがとうございます-
 いまかたが、つぎかたになり、もっとらくになるか、しあわせになるというかんけいはあるのですか?

ありがとうございます:
 かんけいありません。もっとこうになってゆくひともあるし、えらかたによってです。しあわせのほうにゆくひともあるし、それでもいちてきです。さいかならさいこうばんぐみわせてゆくのです、みんな。ちゅうちょっとだけです、かっにさせてもらうのは。
 


      それはあさだんかいで、ぶんてき 

-ありがとうございます-
 どうぶつのことですが、かわいがられるどうぶつと、ぎゃくたいされるどうぶつがいますが、どうぶつにはどうというものがないのに、どうしてそういうちがいがまれるのですか?

ありがとうございます:
 それはあさだんかいで、ぶんてきにそういうかたもできるのですが、かみさまといったいぶんというのは、なににでもなれるのです。いしころにも、しょくぶつにも、どうぶつにもにんげんにも、またおおきいほしにもなれるのです。ほんとうぶんは、ほんとうゆうざいなのです、だから、どうぶつまれわったこともあるのです。
にんげんにんげんとしてまれわるのです、どうぶつどうぶつまれわるのですが、ほんとうぶんどうぶつにもしょくぶつにも、なんにでもなれるのです。あるこうぶつになっていたかもしれない、あるときしょくぶつ、あるときどうぶつに。いまにんげんにんげんになったら、にんげんにんげんまれわりなのです。
 どうぶつぶんせいにして、ひとのためにくしたりすることをべんきょうとしてかんがえることもあるのです。あたくすべんきょうです、だいせいはっするべんきょうです。そういうどうぶつおおきくしんしてにんげんまれわろうとするかもしれません。それはおおきなてんになるのです。だから、いちばんおくからてあげなければならないのです。
 いしころいっでも、ほんとうは、ざいかみさまがいしころにへんしんしているのです。にんげんいたいかみさまがいしころになって、ゆうげんていしてです。そしてじーといわのままでいるかもしれません。すごいにんたいりょくです、それはかみさまだからできることかもしれません。

-ありがとうございます-
 ぎゃくたいされているどうぶつをみるとすごくつらいのですが、それをどうしたらいいのでしょう?

ありがとうございます:
 それがかわいそうとるのをもうひとつ、おくおくへとはいって、もっとしたからてあげるといいのです。いちばんしたごくからながめてあげると、この姿すがたなんて、マイナスをまんぶんいちかるくしてもらった姿すがたでしかないとれるのです。
 だから、かるくるしむことによって、おおきなしゅぎょうをさせてもらっているとか、もっとプラスにられるとおもいます。
 だから、こうぶつより、しょくぶつよりは、どうぶつほうがいいのです、ここまでしんさせてもらっているというふうにてあげたら、いいことだし、またどうぶつになっても、そういうくるしむことによって、おおきくたましいしんしてがっているとてあげたら、それはおおきくしんする姿すがたなんだとられるのです。
 だからプラスにプラスというかたで、いろんなかんがかたをキャッチすればいいのです。プラスこうかんがかたげんにインスピレーションとしてってくるのです。そして、いろいろなかたができるようになっています。だから、プラスのことをいっぱい使つかっていると、プラスのものとちょううから、げんかたがでてきます。ぜんプラスにられるように、ほんやくできるようになってくるのです。


      ちょうわせのべんきょうです 

-ありがとうございます-
 このプリントのなかで、どんなごとをするときでも、スピードこころがけることはほんしんかいはつおおきくやくつことですと、ありますが・・・。それと、あたふたとやってしまうこととのちがいはなんですか?

ありがとうございます:
 これもちょうわせのべんきょうです。いまばんぐみで、いちれんうごいていればなにもないのです、そのままでいいのです。かりにスピードしていても、ばんぐみ姿すがたです。ただいまよりももっとスピードすると、ばんぐみがります。かならず。

-ありがとうございます-
 ただ、あれやこれやあたふたとすると、オーバーヒートしてしまうのではないでしょうか?こころかないというか・・

ありがとうございます:
 ただ、それはやりすぎて、オーバーヒートするというかたもありますが、オーバーヒートしないばんぐみもあるのです。やればやるほどこころやすらいでいてオーバーヒートがなくなります。どれだけいっしょうけんめいはたらいても、ぎゃくつかれがなくなって、つかれたぶんまでえて、ひとつのかつりょくがわきあがって、げんいっぱいになるのです。そういうばんぐみもあるのです。

-ありがとうございます-
 それはこれをやったらしっぱいするのではないかというおそれがあったりして・・

ありがとうございます:
 それはちょっとマイナスにおもいちめんのこっています。それをどんどんプラスにえて、プラスのこと使つかいつづけると、ばんぐみたいがプラスのばんぐみわると、どれだけはたらいても やればやるほどつかれがえて、げんいっぱいになるのです。



   べつに、それはげたくてというより、ほんとう
 
-ありがとうございます-
 びょうくるしみをかんしゃえできなくて、もし、げたとしますね、そうしたら、らいでもっとおおきなくるしみにうのでしょうか?

ありがとうございます
 べつに、それはげたくてというより、ほんとうはそれをえらんできたのです、マイナスのほうを。マイナスをえらんでわるいのではなく、マイナスをえらぶことによってけんきょにも、べんきょうにもなるのです。けんきょになると、かんしゃももっとおおきくふかくなるのです。
 ゼロからプラスへばかりゆくひとと、ゼロからマイナスにゆき、おおきなマイナスをたいけんして、もういっかいプラスにもどるひとと、どっちがしあわせかというと、いっかいマイナスにってから、プラスのほうにもどるひとほうがもっとおおきなしあわせになるのです。それもほんにんえらぶから、べつげているようでもそれはちがいます。マイナスよりもまえゆうをもってすすんでいるとればいいのです。それがおおきなでプラスになってゆくとおもいます。
 


      ありがたいから、かなしまないのです 

-ありがとうございます-
 せんせいおこったことも、かなしんだこともないのですか?

ありがとうございます:
 ありません、ありがたいから、かなしまないのです。べつぞくだれかがんだとしてもかなしみません。このから、たましいけて、えたとしても、べつかなしみにえないのです。そつぎょうではないですか!いいかいがってゆくだけ、しあわせがおおきくなるだけですから。

-ありがとうございます- 
 もし、そこにくるしんでいるひとがいたら、そこでなんひとこといますか?

ありがとうございます:
 かみさまにこころけてたすけてもらいましょう。それでいいのです。

-ありがとうございます-
 でも、そのひとかみさまをしんじていなかったら?

ありがとうございます:
 だから、しんじていなかったからくるしんでいるのです。

-ありがとうございます-
 でも、そのひとしんろんしゃであったら、かみさまをしんじろといってもでしょう。

ありがとうございます:
 くるしみがちゅうはんだと、づかないのです。だから、もうちょっとごくってもらったら・・・・

-ありがとうございます-
 もし、そのひとが、「はい、さようなら」とさつしようとしたらどうしますか?せんせいだったら、どうしますか?

ありがとうございます:
 どうする?それはみんなぶんえらぶのです。ほんにんせきにんえらぶのです。

-ありがとうございます- 
 では、つぎめんです。あるわるひとほうちょうをもって、げるどもころそうとしていました。そのときせんせいはそこにいました。そして、ふたかってどういますか?

ありがとうございます:
 りょうほういんねんひとつになったら、どうぞ。

-ありがとうございます-
 めないのですか?

ありがとうございます:
 そりゃあ、わかりません。めたほうがいいのだったら、めるようにはしるかもしれないし。ただ、わたくしあい、おいのりばかりなので、みんなげんかがやいて、かしっているというしかないのです。そういうばんぐみえるだけなのです。ころそうとするひとこころえるかもしれません。

-ありがとうございます-
 でも、いっしゅんですから、おいのりしてたら、もうわってしまいますよ。

ありがとうございます:
 おいのりはいっしゅんちからがあるのです。たぶん、そういうめんそうぐうしないとおもいます。そういうめんていないですから。

-ありがとうございます-
 では、そういうめんるには、やまりて、まちにゆくとか?まちにはそれがいっぱいありますよ。やまおくにいたら、そのめんすくないですよ。

ありがとうございます:
 そうです。こういうやまおくめられているということなのです。そういうかいわってしまったかもしれません。いつもげんのプラスいっぱいというかいをおいのりしているので、マイナスはないのです。
 むかしは、びょうひとなおしたい、なおしてあげたいと、びょうなおしをせんもんにおいのりしていたもあるのですけれど、それで、びょうけんこうわって、みんなげんけんこういっぱいというようにわってしまったら、さいきんびょうひとえません。みんな、びょうひといますか?それに、わたくしにはけんこうとしかえないのですから。なかには「わたくしここがいたい」といますが、わたくしにはげんけんこうとしかえないのです。みんなけんこうそのものとしかえないのです。

-ありがとうございます-
 まちっても、やまっても、おなじようにしかえないということですか?

ありがとうございます:
 そうです。みんなしあわせいっぱいとしかえないのです。


      ほんとうかみさまにまかせる、ぜんたくというのは  
-ありがとうございます- 
 ぶんりょくかみさまへのぜんたくとは、どこからがりょくで、どこからがぜんたくなのかよくわからないのですが。ぜんたくをすればなにもしなくていい、いえなかでこもっていればいいというわけではないのでしょう。

ありがとうございます:
 そう、ちがいます。ほんとうかみさまにまかせる、ぜんたくというのは、かみさまのすべてのちからなかからがってくるものです。げんのうりょくてくる、げんちからいてくるから、なにをしてもつかれることはないし、たのしいし、みんなにおおきなプラスを、しあわせをあたえることができます。

-ありがとうございます-
 たとえば、リストラにあって、かみさまにぜんたくしたとしますね。そこで、さらにしゅうしょくかつどうをしなくていいということではないですよね。

ありがとうございます:
 ほんとうぜんたくできたらば、ほんとうぜんたくできたなら、かみさまのちからけますから、ただでなかのためにいっぱいはたらくとおもいます。げんのプラスをいっぱいあたえようと