真祈り文庫
2001年6月3日・1
お金はどういう働き方するのか
-ありがとうございます-
今、お金に対してのお話しが出ているのですけど、その中で、投資とか株とか薦めるようなことが書いてあるのですけど、そういうのはどういうふうに…。
ありがとうございます:
お金はどういう働き方するのか、色んな考え方がありますが、お金がたくさんあったら幸せになれるでしょうか? 本当うはお金は、幸せとは関係ないのです。本当うの幸せは神さまから来るものなのです、ただ神さまから何を受けるかが一番大事なのです。お金はもう神さまの世界に無いと言った方がいいのです。
だから人と人との約束事なのです、自分がどれだけ人のために尽くしたかということなのです。その尽くした量に対してのお金を与えてもらって、そのお金でまた自分が与えたものと同じ価値ぐらいのものを買えるという、また取り替えができるという感じの約束なのです。
だから昔からよく「あぶく銭は価値がない」という言葉がありますが、本当うに人にプラスを与えずにお金を手に入れたら、全部高利の借金になります。あぶく銭は、サラ金で借りるよりももっと高利の大きい借金になってしまいます。
だから、株を買ってもいいのですが、それで会社を支えて、世の中のために大きく貢献できるのだったら、それはもう大きいプラスを与えることになり、その見かえりでいただいたお金だったら、まだ価値があります。でもただお金だけ儲かるというのでは、何のプラスをも与えていないから、あぶく銭になってしまいます。それだともう一時的な高利の借金をしたということになってしまうのです。
そして大抵はみんなお金があると贅沢に使ってしまうのです。利息以上のような正しい使い方ができたらいいのですけど、やはり、中々難しいのです。一時的にお金がたくさん入った人は、あとで苦しい思いをするのです。
やはりそれよりも人のためにプラスのものをただで与える方がいいのです、ただで与えたら貯金なのです。だからただというのは利息の付いた貯金です。早く返してもらわない方がたくさん利息がつき、あとで大きな幸せが戻ってくるのです。
だから本当うの意味での奉仕というのが一番大きな幸せを生み出すのです。それはちょうど種まきも同じです、種を食べてしまうような生き方ではいけません、まいてもすぐほじくり返したのではいけないのです、実るまで待たないと。長い年月置いた方がいいのです。
宝くじが当たっても幸せになる人は少ないのです。やはり買う人自体は楽して儲けたいという気持ちで買います、そういう人のお金はマイナスの思いがいっぱいです。
「みんなを幸せにしたい」「はい、与えましょう」という人は少ないのです。だからマイナスの思いの付いたものは、高利の借金と同じなのです。宝くじが当たったとたんに心がマイナスを背負うのです。それで儲かった、得したと思っているのはマイナスの心です。人を幸せにできて「ああ、幸せ」というのとは違います。
だから本当に神さまと一体化する、悟りを開くための道を歩む人にとっては、お金とか財宝とかいうものは逆に言うとマイナスの方が多いのです。お釈迦さまも、金銀財宝を見て、あれは毒だからと言うぐらい、きつく戒めたというぐらいです。
ただ人のために尽くして、社会のために生きている人だったら、それはお金をもう自由自在に必要だったら使ったらいいのですが、そういう人はお金には頼らないのです。必要な道具ぐらいに考えて、それを掴んで貯めてというような気持ちはならないのです。
私の友達に銀行に勤めている人が何人かいるのですが、結構、銀行のお金を扱うと、敏感な人ほど人の思いを被ってしまいます。ちょっとノイローゼ気味になったり、躁鬱のうつ病的になります。きれいなお金ではすまないのです。そういう意味では、気持ちが明るくしっかりしていないと負けてしまいそうになります。それは自分のお金ではないのですが、それでも思いを被ってしまいます。
最初入社するときは明るいのですが、明るい人を選んで採用するみたいなので。ところが二、三年たってくると、やはり、暗く落ち込んでくる場合が多いのです、明るい心・感謝を補充できる人だったらいいのですが。またお金のクリーニングを一生懸命にしてあげたら、それが大きい世の中のためになることになるのですが。
だからお祈りのできる人はしっかりとお金を使ってあげて、お金の循環を速くすればするほどお金をきれいにしてゆくことができます。ただ、お祈りに自信がなくて、あんまりお金を集め過ぎたらお祈りしにくいのです。
遺産相続する場合、兄弟何人かいて、親の莫大な遺産相続をする場合でも、財産放棄した人がお祈りしやすいのです。自分がよけいもらおうと思って、たくさんもらった人ほどお祈りできません。もう極端にその差が出てきます。
財産は大体、色んなマイナスのものが積み重なっています。大体事業を起こして成功した人は、儲け過ぎるのです、だからプラスのものをいっぱい与えて、それもただで与えた方がいいのです。それは徳を積んだという姿をとります。逆にお金に替えてたくさん財産をつくると、もらい過ぎの場合が多いのです。本当うは安く提供すればいいのに、何でも。ただもう、儲けるという気持ちになると、もらい過ぎて、それがやはり借金になってゆきます、それも高利の借金として。それは人のマイナスをいっぱい背負うことになるのです。だから財産にはマイナスのものがいっぱいついてくるのです。
一代目はだいたい形の上では成功します。二代目ではそれを維持するのが大変なのです。三代目で全部、散財してしまうのです。大体そういう繰り返しみたいです。
-ありがとうございます-
なんか、そごうの会長なんか、何億円っていうお金を一瞬で失ったみたいなのですけど…。
ありがとうございます:
本当に。
-ありがとうございます-
商売する上で、適正価格としてなるべく安く提供するほどいいのですか。
ありがとうございます:
本当うはそう、安いほどいいのです。あとはまあ循環できる程度で。
-ありがとうございます-
でも一般ピープルとしては高いものに価値を感じるっていうのもあると思うのですが…
ありがとうございます:
本当うは自分がどれだけプラスを与えるかで、与えた分が自分のプラスになって返って来るのです。お金の額は自分には関係無いのです。あとはその人のために高くしてあげる、必要なときはそうしてあげたらいいのです。高くしてあげた方がいい人には、高くしてあげるといい。与える心を起こした方がたくさん受けられるという意味で。
でもそのお金が無くても、ただ本当に求めている人にとっては、ただにしてあげたいものです。やはり両方の道を自由自在に、使いこなせるのがいいのかもしれません。相手次第です。
感謝の心があって続いている場合と
-ありがとうございます-
先ほど三代で財産が散財するとおっしゃいましたが、実際にはずっと継続している家系もあります。これはやはり「ありがとうございます」という感謝の思いがその家系の中に流れているということでしょうか?
ありがとうございます:
それは両方です。感謝の心があって続いている場合と、逆にお清めがなしに、ずっとマイナスを背負い続けて財産がいっぱいという場合もあるのです。やはりもう心はたいへんしんどい思いをしています、本当に心がやすらいで与えてもらうというのがないのです。
-ありがとうございます-
将軍家が十五代続くなども、よく似たような感覚なのですか?なんで十五代?と思うこともあるのですけど。
ありがとうございます:
天皇家は特別に違うのです。まず自分がない、自我がないのです。愛の心だけを生きています、感謝と愛の心で、みんなの幸せだけを祈り続けて自分を一番下に落としています。すべての人のマイナスを全部一身に背負う気持ちで、それで神さまに祈ってみんなを助け続けているのです。そういう人は必ず天の助けを受け続けます。
だから贅沢しているのではないのです。ただ天皇陛下は国の代表だから、着せ替え人形みたいにいいものを着せられます。うさぎ小屋には住めないのです。本人は別に質素なもので喜んでいるのです。服一枚を大事に使い続けるのです、粗末に絶対にしません。食べ物でもそんな贅沢な食べ物を自分は食べたくないのです、質素に生きています。ただ国の代表として色んなものを受けて、それを活かさないといけないから仕方ないのです。
でも幕府なんかだったら将軍なんかは贅沢します。自分の権力をかさにきて、何でも思い通りにしてしまおうとします。ただ形が似ているというよりも、似ていないのです、正反対です。だから幕府がずっと続いたからといっても、本当の幸せはつかんでいません。逆で、続いたら続いた分だけあとで、業を清算するときがくるからたいへんなのです。
だから日本が敗戦のあと、天皇陛下が殺されずにすんでいるとていうのは奇跡です。天皇陛下は人から何も奪っていないから、幸せを与え続けるばかりだから、誰も命を奪いに来ないのです。逆にどんな状態に陥っても、生かしてくれる、助けてくれるのです。神さまからも人からも助けてもらえます、そこが違います。
-ありがとうございます-
会社などが二つあっても、人員構成や売上げなど表面は同じように見えても、バックや中身が違うものがありますが、それを私たちはどうやって見分ければよいのでしょう?
ありがとうございます:
見分けなくてもいいのです、本当は自分が神さまの側に立っていたらいいのです。やはりどういう生き方をするかによって結果が必ず出てきます。似ているように見えていても、いい実はいい実を結ぶし、毒の実は毒の実結ぶのです。それは必ず、歴然と表れてきます。
種をまいて芽が出て来る…それと似ているのです、見分けつかないぐらい似ています。でも結果が必ず、実ったときに、どっちが正しかったか示してくれます。自分が正しい側に立って種まきしてもらったらいいのです、必ずいい実を結ぶようになっているのです。
だから自分がどういう会社に入っても、自分が正しかったら会社がよくなってゆくのです、正しい人が多いとその会社はよくなります。だから仮に最初、その会社の社長さんがおかしくっても、いい人が社員に入れば入るほど、社長さんの気持ちが変わります。会社全体がプラス、プラスに大きく変わってゆくのです。
神さまが宇宙を創造するときに
-ありがとうございます-
地獄っていうのはあるもんなのですか?意識の世界に。
ありがとうございます:
神さまが宇宙を創造するときに、やはり極楽があれば反対に地獄ができてくるのです、すべてバランスがとれています。最高表現の番組もあれば最低の表現の番組もあります。だから地獄の放送番組として、永遠に存在し続けるのです。
-ありがとうございます-
…死んでからゆくとこっていうのも…・・。
ありがとうございます:
この世はあの世の無限の縮図みたいなものなのです。だからこの世にも、地獄も極楽もあるのです。ただあの世のほうが地獄も極楽も、何万倍も何億倍も増幅されたものです。この世の地獄が本当に辛くても、あの世の地獄からみたら万分の一、億分の一の辛さです。それは番組としてあるというだけで、それを受ける受けないかは別に人の自由なのです。
だから、地獄に番組を合わせて受ける人もありますが、ひとりも受ける人がいなくてもいいのです。神さまはその方を願っています、みんな極楽番組だけを味わってほしいのです。たまに地獄を体験する人もあります、だから、みんなそこで苦しまなければいけないというのではないのです、「一応番組としては用意しているけど」というだけです。でも波長を合わせたら、迫真に迫った地獄が現れてきます。
人が亡くなってお葬式をあげてあげる場合
-ありがとうございます-
自分の身内が葬式をやったのですが、形にこだわるのです。戒名に何百万円などというのには反対なのですが、そういうのはどうお考えですか?
ありがとうございます:
人が亡くなってお葬式をあげてあげる場合、質素にしたほうがいいのです。贅沢な葬式をすると足を引っ張ります。代わりに徳を失うような働きしてあげたことになります。本人は絶対それを望んでいないと思います。あの世で低いところに落とされるより、あの世で幸せなところに上がるほうがいいのです。
だからこの世の人が高い葬式代や戒名代を出したりすると、逆に大きい借金背負わせて向こうに送り込んでいるのと同じになります。いくらいい戒名をもらっても低いとこへ落ちてしまうのです。贅沢な葬式をだされると、それだけ大きい借金を背負わされて下に落ちてゆくのです。だから本当はお金をかけずに、逆にそれをみんなに施すような形で、徳を積むような使い方をしてあげるほうがいいのです。形の贅沢はいらないのです。
-ありがとうございます-
…でも何か当たり前という感じでやってしまいますよね。
ありがとうございます:
葬式に来る人が、本当に亡くなった人を慕って、幸せを祈りに来てくれるかどうかで、そういう人は少ないのです。もう義理で来るのです。本当に喜んで来てくれないと、大勢来てくれるほど逆にマイナスになります。マイナスの思いを背負わせてしまうのです、亡くなった人に対して。
だから、大勢集めたからいいのではないのです、できるだけ来ないようにと、断るのがいいぐらいです。何も持ってきてほしくないとか、徹底して迷を惑かけない方がいいのです。その方が葬式に参加しなくても、感謝してくれたり祈ったりしてくれるのです。そういうことが亡くなった人に大きくプラスになって返ってゆくのです。
-ありがとうございます-
葬式のとき、亡くなった方は上から見ているのですか?
ありがとうございます:
そう、見ているのです
-ありがとうございます-
…その時にどういう思いで見ているのですか?
ありがとうございます:
亡くなった人の心境によってみんな違うのですが、亡くなってすぐ目覚めない人もあるし。もう目覚めないで、眠っている間にわいわい葬式をやって終わっていることもあるのです。でも心境の高い人、魂の高い人はすぐ目覚めてあの世に上がってしまっています。もうこの世に未練がないのです。だからそういう人はもう、この世の葬式を見ていません。色々なのです。ほどほどにこの世を見ながら、「あー、馬鹿なことしているな、この人はいい人だな」というように、また向こうから光を送って色々してくれたりしているのです。
-ありがとうございます-
…ということはこの世を見ている期間はその人によって違うのですか?
ありがとうございます:
違います。波が本当に変わったら、全然関係ないのです。ただ心の波が通じたときだけ、つう〜っと合わせてくるから、ちょっとだけ、色々なことを心配したり助けたりしてくれます。だから、亡くなった人を、あまり縛りつけない方がいいのです。思いで縛り過ぎると足を引っ張ります。実質的に幸せを与えてもらえるやり方を、亡くなった人は願っているのです。