真祈り文庫
2001年6月2日 No.1
「徳」という漢字の読みは、行人偏に、昔の字で直接の
-ありがとうございます-
「徳を積む」とは、どうお考えになりますか?
ありがとうございます:
「徳」という漢字の読みは、行人偏に、昔の字で直接の「直と心」と書きます。だから、「直心を行ずる」といいます。「直心」というのは、「神さまの根源の働き」を言うのですが、「直霊」ともいいます。神さまの御心を行ずるのが「徳」なのです。だから、神さまの働きが本当の意味の「徳」です。
その神さまが、一瞬一瞬、新しい宇宙を創り続けているという働きそのものが、本当の意味の「徳」です。「新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯」というのが、一瞬一瞬、神さまの宇宙創造の姿です。その徳を頂くと自分のものになります。
でも、世間的に言うと、「何か良いことをして徳を積む」という意味もあります。それは、特に「陰徳を積む」と言うのですが、神さまの真似事をすれば、本当の「徳」に近づくのです。でも、本当の徳は、「神さまの働きそのもの」なのです。
だから「自分が徳を積む」という場合でも、神さまの徳を、感謝の心を起こして受けるのが大事で、感謝で受けるという方が大きい無限の徳を頂けるのです。逆に言い換えると「感謝することが大きい徳積み」です。この肉体を使っていろんな世の為、人の為に尽くすことも良いのですが、先ず根本は「神さまへの感謝」です。「ありがとうございます」を唱える事が、本当の意味の大きい徳積みになって、それが自然に具体化したら、世の中の為に必要なことを、結果として「させて頂いている」という姿になるのです。それが自然な「徳」の積み方です。
お守りを作る人の心境も関連するのですが
-ありがとうございます-
車の「交通安全のお守り」や「お払いを受けたり」又は、「お祈り」をしていただくのは、効果があるのですか?
ありがとうございます:
お守りを作る人の心境も関連するのですが、例えば、それぞれの神社で、お祭りしている神さまがいらっしゃいますから、神社のお守りもそれなりの効果はあるのですが、最高のお守りは「ありがとうございます」なのです。もう究極の神さまを呼ぶことによって、本当の助けを受けるので、どちらが良い悪いではありません。
-ありがとうございます-
それじゃ、お守りをもらってこなくても「ありがとうございます」を貼っていた方がいいのでしょうか?
ありがとうございます:
大きいお護りを頂けます。
-ありがとうございます-
あっちの神社、こっちの神社ってみなさんよく行かれますが、それはどういうことでしょうか?
ありがとうございます:
神社というのは「模型」なのです、本物ではありません。例えば、「天照大御神さま」をお祭りしている伊勢神宮がありますが、「天照大御神さま」というと、宇宙の絶対神の最高表現の姿を指す名前なのです。だから、宇宙全体なのです。無限に無限に輝いた宇宙全体が「天照大御神さま」なのです。その神さまが、ちっぽけな地球に降り立つわけがありません。また日本の小さい場所に降りて、人間の作った神社に降り立つ訳がない、そんな場所には入れないのです。本当の天照大御神さまは、宇宙全体にあって、なお且つ、この世にはまだ出て来ていません。もっともっと奥の、次元の高い次元の一番奥に、最高に輝いた姿で本当の意味で実在しているのです。
その神さまに、直接出会うというのは大変です。また、そういう神さまがいることを知らない人にとったら、本当にどうにもなりません。だからやはり、ある意味で教える為に模型を作って、ここに「天照大御神さまがいらっしゃる」というふうに教えると、神さまの方へ向くという心の姿勢が整ってくるのです。ただ、模型にとらわれたら駄目です、模型にとらわれると偶像崇拝信仰になり、間違ったゆき方になるのです。
偽者を本物と間違えてしまうという、間違った信仰が起きるので、あくまでも模型は模型として、そして模型を通して本物をしっかり把握する為に使えばいいのです。
だから、伊勢神宮でお参りして、そこで深く深く祈って、本当の天照大御神さまへ心を向けるのです。ただ、本体の天照大御神さまが直接「伊勢の神宮」へ働くのではありません。下の方のいろんな神さまが間に立って伊勢神宮を護るのです。それで、お参りする人を助けて、本体の天照大御神さまをつなぐ為の働きをするのです。そういう意味だったら、お参りすることによって、大勢の高級神霊の神さまの助けを受けて、本体の天照大御神さまと自分とをつないでもらえるのです。そういう意味で、神社に参ることも大事だし良いことなのです。
-ありがとうございます-
夜、昼は別に関係ないのですか?
ありがとうございます:
神さまは別に何時でもいいのです。
-ありがとうございます-
やはり、「ありがとうございます」は言った方がいいのですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」は、「本当の神さまの名前を呼んでいる」ことになります。いつも神さまを呼ぶと、いつも神さまが身近に現れて、必要な助けを与えて包み込んでくださる感覚になってきます。そして、他のマイナスの思いを出さずに済みます。そういう意味では「ありがとうございます」が一番良いのだと思います。宇宙全体が無限に輝いているという感じで、そういう感覚で呼べば良いのです。
-ありがとうございます-
人に対しても何かしてもらって「ありがとうございます」とか「ありがとう」と言いますが、それは、その人の内側にある、例えば「神的なもの」そういったのをふまえて「ありがとう」という言葉になるのですか。
ありがとうございます:
本当は「ありがとうございます」は、神さまからすべての必要な物を降り注ぐように与えてもらうのです。ただ、その末端の、例えば「人」という姿を通して、背後に神さまが働くということです。
例えば、「南無阿弥陀仏」と唱える時は
-ありがとうございます-
家の中に、仏さまと神さまとあるのです。「仏さま」だったら「南無阿弥陀仏」と言うのですが、「ありがとうございます」でもいいのですか?
ありがとうございます:
いいのです、例えば、「南無阿弥陀仏」と唱える時は、「阿弥陀さま」は、宇宙の大神さまから見ると分身のひとつなのです。
-ありがとうございます-
「南無阿弥陀仏」は止めて「ありがとうございます」っていう形でいいのですか?
ありがとうございます:
いいのです、ただ、縁あって阿弥陀さまとつながっているわけですから、阿弥陀さまのお蔭で「ありがとうございます」につながったかも知れません、恩があります。
だから、「阿弥陀さま、ありがとうございます」と、後へ「ありがとうございます」を付け加えたら、阿弥陀さまにも大きい光が届きます。また、阿弥陀さまを通して、大きい助けを受けられます。別に否定することは無いのです、時々思い出せたら「阿弥陀さま、ありがとうございます」と加えたらいいのです。
ただ、阿弥陀さまだけではなく、観音さまなり、お不動さまなり、稲荷さまなり、またいろんな神さまをみんな信仰されているとしたら、一々呼ぶのは大変です。だから、無限の神さまの名前を呼んで、「恩返しの心、感謝の心を起して」という意味だったら煩わしくなります。それだったらもうすっきりと、ひとつの神さまの名前でいいのです。「ありがとうございます」と、宇宙の大神さまの名前を呼べば、もうすべてにそのまま通じるのです。ご先祖さまにも、無限のいろんな神さまにも、またこの世の人にも、物にもすべてに通じます。だから「ありがとうございます」ひとつですっきり全体に感謝することになるのです。
それもあるのでしょうが、そういうのではなく
-ありがとうございます-
私には孫がおりますが、この孫は好き嫌いが激しく、食事をあまりいたしません。皆がやかましく言っても、直そうとしません。小さい子供の頑固さは、意思があってそうしているのでしょうか?
ありがとうございます:
それもあるのでしょうが、そういうのではなく、守護霊さまなんかが、働きかけるのです。
-ありがとうございます-
さっき瞑想していた時に、孫の顔がずっと出てきたので、何かあるかなと思って、ちょっと伺ったのです、そっとしておく方がいいのでしょうか?大人の感覚で言わない方がいいんでしょうか?
ありがとうございます:
いいでしょう、私も小さい時は小食でした。特に小学校へ上がってからは、いろんな貧しい状態で耐乏生活をさせられたので、日に一食ぐらいだったので、そう食べていません。二十歳ぐらいから月の内二週間は断食して、その後ちょっと食べるだけでした。だから、無理に食べなくてもいいのです、人によってぜんぶ違うし、健康だったらいいのです。人によったら霞だけで生きる人もあるし、水だけ飲んでも、平気で生きる人もあるのです。
だから頂けるものを感謝の心で受けて、「神さまの命をいただいた」という気持ちで頂いたら、もうわずかちょっと食べるだけでも「本当の神さまの命」という感じだったら生かして頂けます。だから、病気にもなりませんし、痩せることもないと思うので、それは別に心配されないほうがいいのです。
次元上昇、元々神さまの最高表現
-ありがとうございます-
「先生は、いろいろな本を読んでおられる」と聞いたのですが、その中でアセンションですか、ある意味では次元上昇と言うのでしょうか、そのことに関してはどういうふうに思われますか?
ありがとうございます:
次元上昇、元々神さまの最高表現、神さまの宇宙創造の姿というのは、無限の無限のチャンネルの放送番組をいつも放射し続けています。「絶対」から「相対」とすべてが組み合わさって生まれた宇宙のすべてというのが、もう何ひとつとして欠けることはない、すべてを尽くした表現なのです。
だから、人がちょっと「想像する」というのもぜんぶ含めて、全部神さまの中にあります。人間は自分の言葉で・心で波長を合わせて、そのひとつをすべて感じるだけなのです。それで、無限の無限のチャンネルが既にあるということになると、次元上昇というのは、一番高い一番上までゆく事です。
この世も、無限の無限の中のひとつのチャンネルとしてあり、そのひとつのチャンネルがまだ無限に分かれます。この世でいろんな心の波長合わせをして世界を見ているのですが、人はみな同じ波長ではないのです。自分の見ている世界が違うのです。(同じ世界を)見ているように見えて違うのです。ただ、幅があって、その中でまだ無限に分かれているので、誰一人として同じ番組は見ていないと言えるのです。
無限というのは凄いのです。数字に限定されると、大体どんなものか解るのでしょうが、この世も本当は無限に分かれるのです。だからもう誰一人として同じ番組は絶対に見ることは出来ません。また一人一人過去の生き方も違うし、(心の)立場も違うので、仮に同じ番組を見たとしても、見方が違うのです。だから、その次元上昇というのも、「番組をどういうふうに見てゆくか」なのです。
最初、神さまの中から生まれてくる自分というのは、本当の自分というのは、神さまを背にして番組を楽しむ為に下がって来るのです。無限の無限のチャンネルを放送番組として与えてもらって、「さあ、好きな番組を見ていらっしゃい」と送り出してもらうのです。それでみんな好きな番組に波長を合わせて一応は楽しむのですが、でも全部は楽しめません、余りにも多すぎるのです。それで、チョッチョッと楽しんで、その番組に、ある時、囚われてゆく、はまり込んゆくのです。そうするとその番組から抜け出せない状態になります。
良い番組の時はまだいいのです。プラスだけの時は「ああ、楽しいな、幸せだな」という感覚です、でも、その番組にはまり込んだままなのです。本当の自由はないのです、低い番組になるとやはりマイナスが出て来るのです。そうすると苦しいから、そこから「どうして抜けようか」とあがく、でもなかなか抜け出せません。マイナスが消えないので(抜け出せないで)困るのです。ただ、その時に、いろんな守護霊・守護神さまも含めて、いろんな神さまが護ってくれるのです。「どうしたら抜けられるか」という方法を教えに来るのです。
一番良いのは言葉の使い方です。プラスの言葉使うと心がプラスに整って、次元上昇という、波長を合わせる番組の程度が高くなるのです。
-ありがとうございます-
言葉とイメージでは、言葉の方がいいのですか。
ありがとうございます:
イメージの中心・思いの中心・心の中心が「言葉」なのです。核になるのが「言葉」なのです。だから、言葉を変えたら心の状態・イメージが変わります。でも最初から「イメージする」というのは、難しい、だから、言葉を抜きにして「イメージ通り」と言っても、なかなか大変なのです。心でも、コロコロ変わって変え難いのです。自分で心をこうして支配してでも難しいです。でも、言葉を支配したら、心はいつでも自由に支配できるのです。
-ありがとうございます-
私個人的には、そういうマイナスの言葉をすぐに使ってしまいます。それで、マイナスの言葉を出しながらずっと生活しているわけで、なかなかその切り替えがうまくゆかないのです。自分では「やろう」と頭の中で思っているのですが、誰かがアドバイスしてくれても、やはり出てくる言葉というのは、マイナスの言葉なのです。簡単にアドバイスしていただけないでしょうか?
ありがとうございます:
本人が「しよう」としないと、やはり本人が必要としないと、どんなアドバイスも受け入れられないのです。本人が必要な時に、背後の神さまが・護っている神さまが、的確に必要な物を与えてゆくのです。その時に、自分を使ってもらえるかも知れない。「プラスの言葉を使う方がいいよ」とか、「ありがとうございますを唱えたら良くなるよ」とか、誰か人を使って、背後の守護霊さまがアドバイスして来ます。ただ、必要にならないと受け入れないのです。
本当の神さまの思いやりの心というのは、「必要な時に必要な物を的確に与えてゆく働き」なのです。必要とするまでは、気長に待ってくれているだけです。それでないと、本人が、みんな人のせいにするのです、それでは責任を感じないし、本人の生き方も定まらないのです。だから、ある程度は、マイナスでいっぱいになって頭を打っても構わないのです、自分で気付いた方が、逆戻りせずに済むし、同じことを繰り返さなくて済むのです。ちょっとは徹底した方がいいのです。ちょっと頭を打って、苦しい時も大事なのです。そうすると、本当の気持ちが定まるのです。その時に「ありがとうございますを唱えている」とか、「プラスの言葉を繰り返し唱えている」そうなれば、もう絶対逆戻りもないし、幸せへ幸せへ、どんどん前へ前へ進めるのです。
-ありがとうございます-
やはり、本人が気付くしかないのですか?
ありがとうございます:
本人の気付きが一番大事です。
-ありがとうございます-
「待ってあげる」ということですか?
ありがとうございます:
必要な時に、サッと、手を差し伸べる・アドバイスが出来るという準備は大事です。でもあまり強制的に言うと、反発されたり、またお節介し過ぎても、逆に受け取ったりします。必要な時を「この程度か」と感じて、チャンスが来たのを、また見逃してしまう時があるのです。
-ありがとうございます-
すると、準備が出来た時に、そういう師が現れる、というのはやはり神の計らいですか?
ありがとうございます:
本当はみんな、神さまが本当の師匠であり先生なのです。それでいて、神さまはいつも見守ってくれています。本当に必要な時に、「神さまの現われのすべて」を通して神さまはいつも導いているのです。どこから導きが来るかわかりません。花の姿を見て、スッと導きを感じるかも知れないし、石ころから来るかも知れない。または、人から来るかも…。それはもう、神さまの方は自由自在に導いてくださるのです。それが必要になった時、本当に必要になった時に導いてくださると思います。
神さまの恵みは無限にあります
-ありがとうございます-
さっきは、小食のお話だけど、食べ過ぎはどう思われますか?
ありがとうございます:
神さまの恵みは無限にあります。「ありがとうございます、ああ、なんて美味しい素晴らしい」と言って、たくさん受けるのも良いことなのです。ただ、食べることに時間を割きたくないという時は、寝食を忘れて何かに打ち込んでもいいのです。それは自由なのです。だから、どれが良い悪いではなく、その時その時必要な姿で、感謝も深まり喜びも大きくなればいいのです。だから、たくさん頂くことも大事なこともあるのです。
いろんな方法を、自由自在に加えられたら
-ありがとうございます-
「言葉を支配する」中で、頭の中で言葉を思っているより、やはり発した方が良いのですか?
ありがとうございます:
いろんな方法を、自由自在に加えられたらいいのです。心だけでもいいし、口に出すのもいいし、紙に書いてもいいし。
ただ、言葉というのは字の言葉だけではありません、図形も言葉です、音楽の響きも言葉です。そういう意味で、大きい幅広い意味の言葉なのです。自由に活用されればいいのです。
音楽聞くだけでも、プラスの良い音楽だったら、プラスの言葉を使っていることになるし、メロディーも言葉の一種なのです。「絵」もそうです、「絵」も言葉になります。素晴らしい絵を見ると良い言葉を使った状態になります。景色もそうです、素晴らしい景色を見ると、素晴らしい言葉を使ったのと同じ状態なのです。
だから「絵」も「景色」も言葉です。山の頂上で周りを広く見渡したら気持ちが、スカッと晴れて来ます、海なんかを眺めてもそうです。素晴らしい景色を眺めるということは、素晴らしい言葉を使ったのと同じなのです。
小さい時から別に腹は立たないのです
-ありがとうございます-
先生は怒ったことはないのですか?どうすれば怒らずに済むのでしょうか?「ありがとうございます」を繰り返していれば、変わってくるものなのでしょうか?
ありがとうございます:
小さい時から別に腹は立たないのです。「何故か」と考えたら、全部プラスに見ているのです、もう全部。「ありがたい」という、「神さまの現われ」というふうに、「神さまの愛のプレゼント」とか、「すべて神さまからのプレゼント」というような感じで見ているので、マイナスに見えないのです。たとえ人から殴られようが、悪く言われようが、みんなプラスに見えてきます。
だから、別に腹立つ感情がぜんぜん無いのです。また悲しみもありません、悲しい感覚も無いのです。プラスに見る練習をすると、それが乗り越えられるのではないかと思うのです。だから、プラスに見るというのはやはり「神さまの現われ」というように、神さまを認めることが先ず第一です。
「神さまからすべてが与えられてくる」という、「その無限の無限のチャンネルを楽しむ為に与えられている」というように、どんな地獄番組でも、楽しむ為だったら、別にマイナスに見えないのです。それでその低い番組を見ることによって、謙虚な心になれます。それと比較して、いろんな姿を眺めたらみんなプラスに見えてくるのです。
だから、いろんな方法でプラスに見る練習をすれば、もう自然に腹の立たない状態になってくると思うのです。そうしたら、感情がスッと鎮まり、安らかになってきます。でも、どうしても出来ない時は「ありがとうございます」が一番効果が大きいと思います。
大抵は「ありがとうございます」を普段唱えていたら、出てくるものが先に消されて出て来なくなります。仮に出てきても、出てきた後で「ありがとうございます」を唱えたら、もう過去にさかのぼって消してくれるし、また未来に出てくる可能性のあるものを先に消してもらうので、段々と「どこに腹立つ思いがあったのかな」と思う感覚も消えてしまうのです。
「自分」という言葉は、先ず「自ずからなるもの」
-ありがとうございます-
「自分の人生は自分でプログラムして生まれて来た」とお聞きしたことがあるのですが、それも元は神さまから出てきているということであれば、それは神さまから与えられたものなのですね。自分で幾度も幾度も生まれ変わったりする中で、いろんなものを溜め込む。マイナスのものも溜め込んで、それを例えば「プラスに変えたい」と思ってプログラムをしていることも、やはり神さまの恵みでしょうか。「自分」っていうふうに考えるより、「神さまから」と考えた方がいいのですか。
ありがとうございます:
「自分」という言葉は、先ず「自ずからなるもの」というのが「自」なのです。そこから「分かれて」来たのが「自分」です。だから、自ずからなるもの、自ずから存在するもの、自由自在なるものとは神さまなのです。神さまからの分かれが自分です。「本当の自分はどういうものか」というと、絶対の神さまから、一瞬一瞬に分かれて新たに出てくる自分です。
その自分は、神さまと同じように無限に無限に輝いた自分なのです。神さまの御心そのままに自分の心として生きている自分が本当の自分です。その自分は、自由に自分の判断で、すべて理解し、決断して自由に生きてこそ、自分が生きてきます。その自分だったら、神さまから無限の無限のチャンネルを与えられて、それを楽しむ為に、自分任せで、ぜんぶ波長を合わせて出てくるのです。
ところが、その自分に気付かない、それを忘れてしまった時は、ひとつの番組の中にはまり込んでいるのです。だから、今見ている風景の中で自分を掴む小さい自分です。例えば、この「肉体の自分、魂の自分」というふうに掴みだすと、やはり小さい自分を掴んでいます。その自分が「どう判断して、どう決断して」というふうになると、それなりにその自分もいろいろな自由意志を持って決断して決めているのです。
ただ、その「本当の自分」と比べると相当違いがあります。また小さい自分だと他からの影響もたくさん受けて、他から操られたように見える可能性もあるのです。そうすると「他からの力で動かされている」、というふうに見て判断する時も出てきます。根本は、本当に自分が自由自在にいろんな番組に波長を合わせて楽しむ為に出てきて、偶然にその中にはまり込んだりしても、いつでも抜けだせて、また他のチャンネルも見られるという状態なのです。
人がいろんな説をたてますが、チャンネルの中には全部あるのです
-ありがとうございます-
先ほど「無限のチャンネルがある」という話をされたのですが、「無限のチャンネル」でも、やはり段階があると思うのです。ある程度の人達は「大体この付近にチャンネルを合わせる」というように。
例えば、輪廻転生、他のチャンネルにゆけば輪廻転生はないですね。輪廻転生があるというチャンネルでは、それを追求している。カルマなんかも当然ある。一というのもあり、カルマとは質の悪い冗談であるという意見もある。そういう人が集中して集まることによって、成り立っているのですか。
ありがとうございます:
人がいろんな説をたてますが、チャンネルの中には全部あるのです。そんなのは氷山の一角です、どんな説をたてても、その説に合う世界があるのです。別に「間違い」とは言えないのですが、ただ「それがすべて」というと、間違っています。「そういう説を指し示す世界もある」というのは正しいです。
ただ、神さまの方は、ぜんぶ用意してくれているのです。もうすべてを尽くして、無いものは何ひとつないのです、もうぜんぶ揃っています。
ただ、与えてくれるすべてに人がぜんぶ揃っても「波長を合わせきれるか」と言うと、全部には合わせきれません。ほんの一部が合わせているだけで、一部だけ合わせて受けているだけなのです。丁度テレビがそうです。放送局があって、電波を出して放送番組を作っています。それが十二チャンネルの放送番組があったとして、そのどのチャンネルに一人一人波長を合わせるかは自由です。
ただ神さまの方は無限のチャンネルだとすると、無限の人がいてもやはり全部に波長を合わせ切れません、まだ見ていない番組だっていっぱいあります。でも神さまの願いは、低い番組を見て、やはり現実化して欲しくないのです。やはり幸せ一杯のプラスばかりの世界で、味わって欲しいのです。ただ最初は、ちょっとマイナスを見てもらうと、プラスがよりありがたく見えるので、ちょっとだけ体験して欲しいのです。
最初、自由に送り出してくれるのですが、最高の番組へ心を向け波長を合わせて、それをしっかり味わって欲しいので、すぐ戻って来て欲しいのです。その最高の番組も一瞬一瞬新たに、出し続けていて、最高の状態をどんどんどんどん、与え続けてもらえるので、低い番組なんて相手にして欲しくないのです。
だから「ありがとうございます」と、感謝を深めて神さまの最高の番組だけを、新たに新たに受け直せる方がいいのです。それを神さまはいつも首を長くして待っているのです。早くそうなって欲しいから守護霊さま、守護神さまを派遣して、みんなの心の持ち方を、プラスにプラスに変えるように助け続けているのです。ただ、自由があるので、強制的には何も出来ません。やはり本当に自分が必要とした時に的確に助けてもらえるのです。
それも必要に応じてです。正守護霊さま
-ありがとうございます-
守護霊さま、守護神さまは一人一人にいますね。その数というのは、途中で増えたり減ったりということはあるのですか?
ありがとうございます:
それも必要に応じてです。正守護霊さま、正守護神さまは変わりません、ずうっと専属です。ただ仕事でもいろんな仕事を沢山し始めたら、その仕事に堪能な神さまが、副守護霊さまとして付いてきて、大勢の神さまが護ってくれるのです。全部こなせるのがいいのです。だから、その働きに応じて、必要だったら大勢になるし、そこまで必要ではなかったら守護霊さまは暇になります、その時はすうっと他へ行ってしまいます。
-ありがとうございます-
それで、他の方をお護りする・・
ありがとうございます:
そう、必要に応じて、護ってくださるのです。
-ありがとうございます-
行動すればするほど・・
ありがとうございます:
働きが大きくなった人は、何百人とつかれるのです。
-ありがとうございます-
メインの守護霊さま、守護神さまというのは、自分で替わってもらうというと、そのままに生きていたらいいのですか。
ありがとうございます:
ただ、宇宙の大神さまから、必要に応じてスッとそういう形で出てくるだけで、根本は「ありがとうございます」を唱えていたら宇宙の大神さまから、必要に応じて本当に必要な働きとして出てくるだけなのです。
だから、その特定の名前を呼ぶと、名前で縛ると、小さくなったりいろいろするので、その名前も必要ないのです。守護霊さま、守護神さまという言葉は使ってもいいですが、断定して、また過去のいつの時代に生まれたこういう姿と捉えると、小さく落としてしまいます。受け方も護りも小さくなってしまいます。
-ありがとうございます-
沢山応援してくださいって言うと・・
ありがとうございます:
必要になったら、頼まなくても応援してくれます。
-ありがとうございます-
守護霊さま、守護神さま、宇宙絶対神、というと、なんとなく私達は人間の姿を想像してしまうのですけど。
ありがとうございます:
守護霊さま、守護神さまは一応悟りを開いて、心を自由自在に切り替えられる人で、波長合わせが上手な人です。ただあまり高いとこにいる神さまはあまり低いとこへは合わせ難いのです。合わせられないことはないのですが、その段階に応じて波長合わせしてもらわないと、「一番上から一番下まで」では大変です。途中の段階が幾段階もあって、上から降ろせばいいのです。
この世の人も同じです。地獄に波長を合わせたり、極楽に波長合わせたり、上下に波長合わすのは大変でしょう。大体この世と合っているわけです。
だから、守護霊さまが一番身近で、この世に波長を合わせやすく、助けやすく、働きかけしやすいのです。そういう意味で、段階をおいて護っているのです。ただ上にいるから偉いとかではなく、働きの違いとしてなのです。守護神さまが偉いからと言って、低い人を護れなかったら偉いもなにもありません。低いとこを護るのは守護霊さまの方が堪能だから、そういう意味だったら守護霊さまの方が上なのです。
-ありがとうございます-
「波長合わせがどこでも合わせられるようになった方」とおっしゃいますけど、現在肉体を持って生きておられる方もあるし、亡くなられた方の時もあるのですか?
ありがとうございます:
それは、過去にいろんな体験を積んでいるから、いろんな番組に波長を合わせて、生きているのです。それで番組から抜け出て自由な心になっているのです。それが悟っている状態なのです。だから、どの番組でも波長を合せて自由に見れる状態です。
-ありがとうございます-
現在肉体を持っている人もいる・・
ありがとうございます:
私みたいに、肉体を持っていても自由に波長を合わせられます。
-ありがとうございます-
その場合は、守護霊さまは・・
ありがとうございます:
「何時も護っている」と! 専属にというのではなくても、応援は出来ます。だから、今自分の波長が「こういう段階」としてそこに囚われたらその番組です、働きようがないのです。ただもう低い番組の波長よりも自由に波長を合わせて、そこへ光を送り込めないといけません。
-ありがとうございます-
じゃあ、これを出しとくと、先生が守護霊についてくれるのですか?
ありがとうございます:
いやいや、私なんか大したことはありません、バックに大きい神が付いていますから。私はいつも「ありがとうございます」と、宇宙の大神さまを呼び続けてその力を受けているので、私の力でも大したことはないのです。本当の神さまが応援してくれます、私を使って…、
大丈夫、向こうからニコッと笑って出てきてくれます
-ありがとうございます-
亡くなった伯父に「ありがとうございます」を唱えているのです。離婚し、親兄弟はもちろん子供たちにも、伯父にも、すごく迷惑をかけて、大変辛い思いをしました。主人も同じ会社にいましたので、同じ商売をしていて出て行ったのです。
私もですが、伯父の方は、もっともっと辛い思いしたんじゃないかと、今も思いつづけています。みんな身内の会社なのですけど、その時の事を思い出して、どうしても足が向かないです。伯母と会っても前みたいに出来なくて。
ありがとうございます:
大丈夫、向こうからニコッと笑って出てきてくれます。
-ありがとうございます-
姪の中で一番大事にしてもらって、一番大好きな伯父だったのです。
ありがとうございます:
大丈夫です。「ありがとうございます」を唱えていたら、必ず良い姿で向こうから出てくるから。宇宙の大神さまは凄いのです、太陽が無限のスピードでパッと自分の方へぶつかって来たら大変です。でも、本