真祈り文庫
2001年5月10日-1
ほとんどの人の先祖は、過去をつかんでの先祖で
-ありがとうございます-
先祖というのは、どのように考えたら良いのでしょうか?
ありがとうございます:
ほとんどの人の先祖は、過去をつかんでの先祖です、ちょっとつかみ方が中途半端なのです。本当の先祖というのは、神さまの現れとしての無限に無限に輝いた姿で、一瞬一瞬、自分の先祖としてあります。過去の残像としての先祖は、中途半端なつかみ方の先祖です。だから、今の自分が、神さまの中から生まれ出た無限に無限に輝いた自分だとしたら、この自分を生み出す過程で、無限の過去からの先祖が全部備わるのです。それは無限に無限に輝いた姿で、先祖のすべてがあり、同時に無限に無限に輝いた子孫もあります。その全体の中心に今の自分が輝いて存在しているのです。だから過去の縛りの中で、この先祖が迷っているから供養しなければならないというのはつまらないのです。ある意味でマイナスをつかみ過ぎて、間違っているつかみ方なのです。だから、神さまの現れとしての先祖、無限に無限に輝いた姿で、自分を幸せにするために存在しているという先祖、それが一番いいのです。
-ありがとうございます-
そういう意味で、仏壇に手を合わせるということですか?
ありがとうございます:
本当は、仏壇も自分を無限に無限に輝いた姿で、自分を幸せにするために存在しているというと、上から心を調えるための模型としての働きがあります。何もなくても「ありがとうございます」で、先祖を無限に無限に輝いたととらえられれば一番いいわけです。そこにゆく過程として、模型があれば、そういう心になりやすいのです。だから仏壇の姿が、本尊を中心に光り輝いた荘厳な姿をとっているのです。そこにご先祖さまがいらっしゃって、自分を守ってくださるのです。
お供えするのも、みんな自分の方に向けてお供えして、みんなご先祖さまからの恵みがあるなと受けるのです。だから、こんなにも守りに護られているという自覚を呼び覚ますための、模型としての仏壇です。仏壇の中に入っているわけではないのです。あくまでも小さい模型だから、ご先祖さまはもっと、大きく宇宙大に広がって無限に無限に輝いて、自分を守りに護っているととらえた方がいいのです。
本当のお任せ
-ありがとうございます-
自分の努力でするんではなく、みんなお任せするのが一番ということですが、光輝いていても雲がかかる時ってあると思うんですけど、その雲が出ることは自然なことではないでしょうか。
ありがとうございます:
本当にお任せになったら、出てくるものみんなプラスの働きになるのです。お任せにならないときは、自分で勝手にいらないものまで引き寄せたりするのです。
-ありがとうございます-
それは自分で作っているということですか?
ありがとうございます:
それも神さまからいただいた姿に使わなければいけないのです。刃物を料理に使えばいいのに、人を傷つけたりするのに使ったらおかしい、使い方が間違っているのです。適材適所に使えるかどうかです。だから、空に浮かぶ雲がいつも悪いとは限りません、太陽がいつも輝いているからいいのでもありません。雲が太陽の光を遮って和らげてくれるのが必要なときもあるのです。だから雨雲が出てくるのもいい、必要なときに必要なものとして出てきたらいいのです、天気であってほしいのに雨が降ったら困るし。
これもプラスの見方、マイナスの見方があるのです
-ありがとうございます-
父が亡くなったときは、父の加護を感じ、母が亡くなったときは母親の守りを感じたりすることがあるんです。だから生きている姿のときより、亡くなったときの姿の方が、守る力が強くなるのかなと思ったんですけど、どうなのですか。
ありがとうございます:
これもプラスの見方、マイナスの見方があるのです。プラスに思える人は、亡くなった人が身近に寄り添って、守りに護ってくれるという実感を持つ場合もあります。マイナスに見ている人は、死んだ人のせいで、マイナスの運命ばかり自分の運命ににふりかかると感じてしまいます。やはり、自分の感じ方なのです、だから、プラスにプラスに感じている方がいいのです。最高のプラスの見方というのは、自分の先祖も親も、みんな神さまからいっしょに幸せに生まれてきて、無限に無限に輝いている姿で、いつも自分を守りに護ってくれているという見方です。「ありがとうございます」の中に本当の親もいるのです。
-ありがとうございます-
先祖といっても、代が遡ると、自分は知らない人ばかりだし、自分の意識の中には存在していないわけです。こちら側の感じ方、思いであるなら、私にとっては、自分を守ってくれる先祖は具体的には父や母であって、でも自分の知らない先祖の守りもあるとすれば、自分の父母の守りと、自分の知らない先祖の守りと二段構えで思っても良いということになるのでしょうか。
ありがとうございます:
自分を守りに護ってくれているというのは、二段構えではなく、無限構えなのです。気づかないことばかりですが、無限の段階から無限の守りが続いているのです。
何でも中心がないと調和しません。調和というのは
何でも中心がないと調和しません。調和というのは、常に中心があって調和するのです。原子でも原子核が中心にあって、電子が周りを回って調和しているのです。だから宇宙の全部が、中心があって調和するようになっています。たとえば日本でも、地球でも、人類の中心は要るのです。その中心というのは上に立つものではないのです、一番下でみんなを支える立場です。だから我を徹底して無くしてしまわないと、中心に立てないのです、我があると上に出てゆくのです。だから我を殺して、死にきって、謙虚に謙虚になって初めて、一番下に立って中心になれるのです。ちょうど台風の目も、真空度が高まれば高まるほど大きな働きがあるようなものです。
日本の場合は、世界の雛形としての使命があります。地球を応援するために、地球に、世界に、中心をもってこないとだめなのです。その雛形のモデルとして、日本の国に変わらない中心を置いてくださっているのです。だから外国の君主制とちょっと違うのです。日本の天皇制は、どんな事態になっても崩れないのです。外国の場合はどんどん崩れていって、無くなっています。これはもう神さまが用意してくださった中心と、人が造った上に立つ中心とは全然違うのです。神さまが用意してくださっている中心は永遠不滅なのです。ちょうど太陽が輝くように、どれだけ雲が空を覆って太陽を隠そうが、雲の上には、すでに太陽が輝いているのと同じなのです。でも人間の造ったものは必ず崩れてしまう、永遠ではありません。
だから日本の天皇は永遠です、神さまが日本のために、地球全体のために、最初から用意してくださる中心です。ただ中心に立つ天皇陛下が特別な人かというと、そうでもない、みんな平等なのです。みんなも、神さまが必要だったら、天皇の立場に置かれるかもしません。ただ、みんなが謙虚になればなる程、自分からなりたいと言う人が一人もいないから、そういう意味では神さまが最後に誰かを決めてくるのです。一番謙虚なふさわしい人を選ぶかもしれないし、逆にまだ謙虚になれていない人を選んで、まだ勉強させるかもしれないし。そのときそのとき、どういう人を選んでくるかは神さま次第です。
みんなが神さまの御心を受け入れて、今、中心が必要だからと受け入れて、この理想的な姿を受け入れているのです。だから日本の天皇制というのは、国民一人一人が神さまの御心を受け入れた結果なのです。またそれが世界に広がるとしたら、世界のすべての人々が、神さまの御心を受け入れないといけないのです。でもまだ、日本の天皇制が最高の姿をとっているかというと、そうでもない。国民一人一人の気持ちが、まだしっかりと神さまの御心を受け入れていない一面があります。神さまの御心をしっかり受け入れてゆくというのは、感謝行を、ありがとうございますと神さまの御心と一体になると、自然に神さまの最高の理想の方向を受け入れます。そういう人がある程度増えてくると、もっと理想的な天皇陛下の姿をとってくるのです。
新しい世紀になって日本がどんどん良くならないと
-ありがとうございます-
小泉内閣が誕生して、支持率も高く、時代の流れが変わるのではないかという期待感をもっているのですが、先生はどうお考えになるのでしょうか。
ありがとうございます:
そうです。新しい世紀になって日本がどんどん良くならないと、世界が良くなるわけがないのです。でも今までの政治の世界でも、足の引っ張り合いです。どんな良いことを言ってもそれでは実現しません。そういう生き方は、日本の本当の生き方とは正反対なのです。日本の政というのは、神さまの御心と人間の心をつり合わせて、それを具体化して、その姿を生み出す生き方です。だからお互いに誉め合わないといけないのです。鼎の三脚と同じで、お互いに誉め合って、あなたがいるからこそ、この三脚が成立しているというように。自分が偉い偉いと我を出すと、自分の脚が長く伸びて、鼎はひっくり返ります。また相手をダメだダメだと言うことは、相手の脚を短くするのです、それもお互いにバランスを失って崩れます。今までの政治自体が、「まつりごと」ではなかったのです。それでも、この程度で済んでいたのは不思議です。
これからは本来の「まつりごと」に移ってゆかないといけません。まずは責め合う心をなくしてゆくのです。そのなくし方も感謝のお祈りをしてくれる人が増えたら、それで相手のマイナスの心も消されてゆきます。そういう意味では、お祈りする人はその大きい役目を担っているのです。私もずっと大変だったのです、その責める心を消さなければいけない、そういう思いを消すために、いっぱい自分の心に入り込んでくるのです。そうしたら、夜中じゅう、咳き込むのです、なんでこんなに咳き込むのかと不思議なくらい、一分刻みで痰が出てきます。咳き込むといったら、一分間に何十回と咳き込んで、一晩中そうです。ティッシュペーパー3箱か4箱、一晩でなくなるのです。そういう思いを吸い取るように、吸収しては痰が出たりして消してくれるのです。
-ありがとうございます-
そういう先生の祈りが、痰が出るということで、現されているということですか。
ありがとうございます:
それだけ人類の思いをどんどん消してくれているという一面があるのです。そうすると心は前向きに、一つになれます。
人気が出てくるのも、お互い前向きに心を合わせてという一面もあるのかもしれません。他の政党も全部、仲良く助け合って一つの目的に向かえば、ぽっと良くなります。
みんなも同じなのです。体調を崩したりするときがそうです。お祈りをしているのに、なんで体調が崩れるのかと思うのですが。風邪気味になったり、咳き込んだりするかもしれません。でもそれはみんな、マイナスの思いを、自分にはなくても、周りの人の思いを自分の中に取り込んで、お祈りをする人の側に持ってきて、大きく消せるのです。そういう意味で使われる可能性は大きいのです。
やはり全体が一つにつながっているのです。お互いに影響し合えないと、変えようがないのです。だからお祈りする場合、そういう人のマイナスの思いを集めて清めてあげれば、周りの人も心が軽くなって、プラス思考になるし、またお祈りできるように早く変わってゆきます。そうするとどんどん理想的なまつりごとになってくると思うのです。でもこれも政治家一人の力でできるかというと、何もできないのです。国民全体の大きい力の変化がないと、その変化も、人間にできるかというとできないのです。神さまが大きく力をふるってこないと、本当の神さまが力をふるわないと。そのために必要なのは、本物の神さまを呼ばないといけません、ありがとうございますと。神さまを呼んで、助けを受け入れないといけないのです。そういう意味で、ありがとうございますを唱える人がどんどん増えてきているというのが不思議です。そういう神さまを呼ぶ人が増えたということが、神さまの大きい助けを受け入れて、全体を大きく変えていく力になっていると思います。
「神さま」という言葉も、本当の深い意味だったら
-ありがとうございます-
「神さまありがとうございます」と、ただの「ありがとうございます」と、「無限の無限のありがとうございます」と、どう違うのでしょうか。
ありがとうございます:
「神さま」という言葉も、本当の深い意味だったら、「ありがとうございます」といっしょなのです。「神さま、神さま」と呼ぶだけで、「ありがとうございます」と同じなのです。でも普通、みんなの心の中にある神さまというのが、ピンからキリまであるのです。だから、ありがとうございますを後に付けないと、究極の神さまにまで到達できないです。小さい神さまを思っている人にとっては、ありがとうございますを付けて、大きくなるのです。でも「ありがとうございます」だけでもいいのです。究極の神さまに心を向けるのだったら、「ありがとうございます」だけでいいのです。
「無限の無限のありがとうございます」も、本当の神さまの働きを知れば知るほど、今までとらえてきた神さまが、さらに無限に無限に大きくなるのです。そういうふうに感じられてくるのです。だからどんどんどんどん、ありがとうございますが大きく進化するのです。今、無限に無限にありがたいという気持ちで神さまをとらえたとしても、それがまた無限の無限のありがとうございますと大きくなるのです。どこまでも神さまの本当の姿が、大きく大きく輝いてくるのです。そういう意味でも底が知れないのです、大きさが計り知れません。だから時々は、「無限の無限のありがとうございます」を加えた方がいいのです。心を大きく広げ、深くするために。
-ありがとうございます-
「誰々さん、ありがとうございます」と、「誰々さん、幸せでありますように」の違いはどうなんでしょうか。
ありがとうございます:
「誰々さんが幸せでありますように」というのは、どうしても小さいのです。でも「誰々さん、ありがとうございます」の方は、ありがとうございますが、究極の神さまを呼び出すことになって、無限に無限に輝いた姿でその人が現れてくるという意味で、本当にその人を拝み切るゆき方なのです。神さまの中から、絶対の中から、今、無限に無限に輝いた姿で出てきた人というふうにとらえるのです。それが「誰々さん、ありがとうございます」なのです。どんな神さまに対してでも、ありがとうございますを付け加えると、どの神さまも無限に無限に輝いた姿で、新たに出てきた姿ととらえるのです。だからありがとうございますと必ず付け加えるのが一番いいのです。あの人が幸せでありますようにというのでは、まだそこまでは輝いてこないのです。無限の無限の幸せがいっぱい!というふうに本当にとらえて、無限の無限の幸せいっぱいでありますようにと現実化するのだったら、まだちょっとは近くなる可能性はあるのです。でもそれよりも「ありがとうございます」で、究極の神さまが現てくださると見てゆく方が、すっきりしやすいのです。
-ありがとうございます-
現実にマイナスの状態にいる人に向かって、その今の状態の中で、ありがとうございますと唱えれば良いと、なかなか言えないのですが・・・
ありがとうございます:
現実にどんなマイナスの姿をとっていても、そこにありがとうございますを加えることによって、無限に無限に輝いた神さまが現れます。そしたら、過去のマイナス一切を消し去ってくださるのです、それでプラスの姿で現れてくるのです。消してもらう意味で必要なのです。
-ありがとうございます-
それは声を出して言えた人だと思うのですが、自分の場合は常識の範囲の中にいるから、なかなかありがとうございますを唱えられないのです。ここに集まっている方は心の中で唱えるという形です。
ありがとうございます:
どんな状態で唱えてもいいのです。ありがとうございますを加えることによって、まず自分の心でマイナスにつかんだものが、消してもらえます。マイナスをつかんだ心を消してもらったら、マイナスをつかまなくなります。するといつまでも過去にとらわれなくなります。そしてなおかつ、神さまの無限に無限に輝いた姿を心に得やすくなって、感じやすくなって、感じ取った状態になれば、もう一切、過去のマイナスの残像は残っていないのです。本当にみんな輝いているし、その人が本当に神さまの姿をとっていると見えます。だからまだみんな、過去の残像に怯えています、消しきれないから、いつまでも影響を受けやすいのです。それは自分の力では消しきれません、やはり、神さまの大きい無限の無限の輝いた力を下ろしてもらうほか無いのです。
それで、ありがとうございますをどんどん使った方がいいのです。神さまをどんどん呼び出して、無限に無限に輝いているという姿で出てくるから、どんな闇も消してくれるのです。わざわざマイナスをつかんで、そこにプラスを加えるというゆき方でなくていいのです。ただ神さまの名前さえ呼んだら、マイナスなんていつの間にか知らない間に消してもらえるから。いちいち、この人のマイナスをつかんで、あの人のマイナスをつかんでいって、そこにありがとうございますを加えないと、ではないのです。そんなもの、もう放っておいていいのです。ただありがとうございますを加えることによって、知らない間に、全部のマイナスを消してプラスに変えてもらえるのです。
ただ、つかんでしまって放せない人にとったら、放すためにもありがとうございますを加えたら、早く放せます。だからマイナスにつかんだものを放すのは大変なのです、心に深くつかんだマイナスはなかなか離れません。消してもらうために、思いの転換という、ありがとうございますに転換して、それを唱え続けることによって、マイナスを思わなくなる、つかまなくなる、また消してもらえるのです。一石三鳥以上の効果が出てくるのです。
自分の立場を、下へ下へ謙虚な立場に置き換えたら
-ありがとうございます-
プラスの極を楽しむ時には、マイナスもあった方がいいのかなあと思ったりもするんですけど。
ありがとうございます:
そうです、自分の立場を、下へ下へ謙虚な立場に置き換えたら、そのギャップが大きいだけ、もう一つありがたく感じます。(ひもじさを感じるときの満腹感というか・・・)そうです。お腹が空いたらご馳走もおいしいのです。
すべて自分が選んでいるのです。だからプラスを選んだ瞬間に
-ありがとうございます-
自分の意志と、大いなる意志と、何かつき押してくる意志と、それに反発する意志が、心の中に感じるんですけど・・・。それをコントロールすることがむずかしくって・・・。今日参加しようっていうのも、なんか後ろから押されているという感じもしますし、溜まっている仕事から逃げ出したいからなのかなあと思ったりもしますし、なかなかコントロールが難しいです。
ありがとうございます:
でもすべて自分が選んでいるのです。だからプラスを選んだ瞬間に、いろんなところからプラスの応援、助け、後押しがあるのです。神さまは強制力はつかいません、神さまのプラスの助けは、自分がプラスを向いたときに、プラスを選んだときに、必要なところから必要な助けが的確に入ってきます。でもマイナスを選んだときには、神さまはマイナスへの後押しはしません、自分が勝手にマイナスに向いてゆくのは自然に任せてくれるのです。だから良いも悪いも知らなくて、ありがとうございますという言葉を使い始めたら、神さまへのプラスへの意思表示をしていることになるのです。たいていはありがとうございますを唱え始めた人が、大きい助けをいろんなところから、順番に受け続けているのです。大きい変化がどんどん出てくるのです。だからありがとうございますを使った方がいいのです。嘘でも何でもいいのです。疑っていてもいいのです。要はありがとうございますを使えば、神さまが動き出せるのです。騙されてもいいと思って、嘘でも何でも、ありがとうございますと言えばいいのです。
でもそのうち、マイナスに、逆に出てくる可能性
-ありがとうございます-
「水からの伝言」の結晶の写真は、すごいです。
ありがとうございます:
そうです。でもそのうち、マイナスに、逆に出てくる可能性もないとは限りません。お米の発酵実験でも、「ありがとうございます」と貼った方が黒カビになって、「バカヤロー」が白カビになったり。実験って、反対のものが出てくる可能性があるのです。いろんな要素がいっぱい加わるのです、強烈な逆念が加わったらどうなると思いますか?「ありがとうございます」というシールを貼った方に、大きい逆念が来たら、逆念の方が高いうちに、水がおかしい結晶写真になるかもしれないのです。いろんな要素がどういうふうに加わっているか、まだ証明しきれないのです。もし「ありがとうございます」という力が、黒カビには働かないと言ったら、黒カビは滅んでしまいます。黒カビが悪いとは限らないのです。黒カビが本当に人類を幸せにする特効薬を生み出すカビかもしれないのです。そうしたら、「ありがとうございます」を貼って、黒カビが栄えるように出てきたら、本当はプラスなのにマイナスと見てしまう可能性があるのです。
-ありがとうございます-
朝起きて、自分の体に「ありがとうございます」と言った方が良いのでしょうか。「五臓六腑、おお、がんばってくれているなあ」と思って。
ありがとうございます:
そうです、一瞬一瞬、神さまがこの体として現れてくださっているという、そういう意味なら、ありがとうございますを全身の細胞に投げかけるのがいいのです。全身の細胞が神さまの現れで、無限に無限に輝いているというように。そうしたら、自分はいつも神さまの光が輝いているという意識が強くなるのです。
-ありがとうございます-
我が家の犬が18年生きたんです。先生のテープをダビングしているときに、いつもその犬も横にいたんですよ。ずっと聞いているんです。家の犬は自分を犬と思っていないで人間と思っているようなんです。亡くなる前、二日間だけ鳴いて天国に行ったんです。その前にはずっとテープを聞いて、幸せに天国にゆきました。良かったなあと思っているんです。去年病院に行って、血液検査したら、「この犬は血液がさらさらだから、まだ長生きしますよ」って言われたんです。ふつうはダニとか蚊に食われて血液が濁って病気を起こすらしいんですけど、そういうことがなかったんです。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」はすごいのです。普通は動物と人間とどっちが上かと思うのですけど、また人間は万物の霊長なんていうと、人間の方が上とみんな錯覚するのですが、でも本当はみんな神さまの現れです。神さまの現れだったら、みんな平等です。犬も人間も、同じ神さまの無限の無限の輝きがそこにあるはずです。命の兄弟という感じです。だから犬だからといってバカにしたらいけません。自分と同じか、自分よりも無限に尊い価値のあるものとして拝むくらいがいいのです、犬神さまと、石だったら石神さまと・・・。
-ありがとうございます-
石もよく言われますよね。石は意志をもっているって・・・。
ありがとうございます:
神さまが石になって現れたら、「悔しかったら石になってごらん」と言ってくるかもしれません。石になれる神さまはすごいのです。
-ありがとうございます-
前世の記憶というのがありますよね。
ありがとうございます:
でも、人類の記憶も過去の記憶も、たいしたことはありません。神さまの意志をもって現れている石のほうが最高です。悟りを開いた石はすごい、石ころ一個の中に大宇宙があると言うかもしれません。
本当の神さまからの見方と、いろいろな人の立場からの見方と違うのです。人間の側から見ると、人間が一番いいように見えてしまいます。でも犬の側から見ると、犬が最高という見方をするかもしれません。だから神さまの側から見れば、みんな平等です、同じ価値があります、尊いのです。人間がいろいろな思いを発するから偉いのでもないのです、犬が思いなんか出さないから、ダメだと言われたら困ります。思いがない方がいいのだと偉ぶるかもしれません。
-ありがとうございます-
イルカとかは考えると聞きますけど・・・
ありがとうございます:
人間に近いような思い方、考え方、感じ方があったら、偉いように錯覚するのです。でも人間にわからないことはたくさんあります。小さい虫一匹でも、神さまの心を感じる虫だったら、未来も全部見通せるし、周りをすべて輝いて見るし、人間にできないことをいっぱいできるのです。
-ありがとうございます-
進歩する、進化するという考え方はどうでしょうか
ありがとうございます:
一番幸せな生き方は、みんな神さまの現れとして拝める心です、まわりを神さまとして無限に輝いているというように受ける心です。だから自分が偉いなんて思ったら大間違いです。それだったら、まわりを神さまとして見えなくなってしまうのです。だから、絨毯に座らせてもらっても、絨毯が神さまの現れで、無限に輝いていると思えた方が幸せです。自分が偉いから絨毯に座っているなんて思ったら、絨毯は単なる物です。そこに何の輝きも感じられなかったら、幸せなんてどこにもないのです。絨毯になって、自分の目の前に現れてくれるといったら、自分より上です。自分より偉い神さまが、この絨毯の姿を取って現れてくれているのです、謙虚な、謙虚な神さまです。そういう謙虚な神さまに、まわりいっぱいに包まれて、自分が幸せにしてもらっているのだから、自分が進歩向上し、進化するという見方よりも、最初から自分はもう神さまの中に置かれて、感謝一筋というのがいいのです。進化向上して、進歩していると言ったら、自分が偉くなっているかというと、そうではないのです。本当は周りがみんな神さまで、神さまに生かされて愛されて、幸せにしてもらっているという感謝だけの生き方が一番いいのです。一番最低でいい、一番最低だから、神さまに守り護られて愛されて幸せにしてもらっているのです。
いつも、神さまのプレゼントは、無限に無限に輝いて
-ありがとうございます-
今こうしてお話を聞かせていただいているというのは、私にとって特別なのか、それとも大きな宇宙から言ったら、ただ単に流れの中の一つなのか、私にとってはここに来られて、すごくよかったと思うんですが、これって特別ということでもないのでしょうか。
ありがとうございます:
いつも、神さまのプレゼントは、無限に無限に輝いて満ち渡っているのです、その中にすべてがすでにあるのです。ただ自分が、今まで気づかなかったというだけです。やっとそれに気づき始めて、気づきがどんどん大きくなってくるのです。気づけば気づくほど、今の中に、もうすべてが備わって与え続けていただいていると解ってくるのです。気づいて来ただけです。今更、神さまの流れで与えてもらったというのではなく、もう全部、与えられ済みなのです。まだまだもっともっと気づいゆくのです。
必要なだけの助け
-ありがとうございます-
人間の感情の中で、怒り、妬み、嫉妬、執着心などの煩悩を、煩悩は煩悩でそのままでいいとも仰るんですけど、できたらそういう煩悩に左右されないようにしないと、煩悩の番組の中に落ちてしまうものですから、それを離れるということの助けとして、食事を気を付けて血をきれいにするとか、究極的にはありがとうございますと唱えるということなのでしょうけど、何か他に補助的なものがあるのでしょうか。
ありがとうございます:
補助的なものなんて何にもいらないのです。今、ありがとうございますを選んでつかめば、神さまの無限に輝いた心が自分の心にすっと入ってくるのです。そうしたら、煩悩の心なんてもう自分のものではないのです。相手にしなくても、放っておいたら消えてゆくものです。でもありがとうございますを唱えずに、煩悩の心をしっかりつかみだしたら、煩悩の心はより大きくなります。だから、今の一瞬です。今の一瞬、ありがとうございますと言えばいいです。煩悩なんて相手にしなくてもいいのです。
-ありがとうございます-
あの世でも「ありがとうございます」が・・・
ありがとうございます:
あの世だけでなく、この世でも同じです。ありがとうございますは、本当の神さまの助けがすっとおりるから、必要だったらどんな働きでもおりてくるのです。必要だったら、地獄が一瞬に極楽に変貌するのです。
-ありがとうございます-
必要だったらということがすごく・・・・
ありがとうございます:
本当に、必要だったらなのです、その人が本当に必要としないと!
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