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2001ねんがつ10にち-1


ほとんどのひとせんは、をつかんでのせん

-ありがとうございます-
 せんというのは、どのようにかんがえたらいのでしょうか?

ありがとうございます:
 ほとんどのひとせんは、をつかんでのせんです、ちょっとつかみかたちゅうはんなのです。ほんとうせんというのは、かみさまのあらわれとしてのげんげんかがやいた姿すがたで、いっしゅんいっしゅんぶんせんとしてあります。ざんぞうとしてのせんは、ちゅうはんなつかみかたせんです。だから、いまぶんが、かみさまのなかからまれげんげんかがやいたぶんだとしたら、このぶんていで、げんからのせんぜんそなわるのです。それはげんげんかがやいた姿すがたで、せんのすべてがあり、どうげんげんかがやいたそんもあります。そのぜんたいちゅうしんいまぶんかがやいてそんざいしているのです。だからしばりのなかで、このせんまよっているからようしなければならないというのはつまらないのです。あるでマイナスをつかみぎて、ちがっているつかみかたなのです。だから、かみさまのあらわれとしてのせんげんげんかがやいた姿すがたで、ぶんしあわせにするためにそんざいしているというせん、それがいちばんいいのです。

-ありがとうございます-
 そういうで、ぶつだんわせるということですか?

ありがとうございます:
 ほんとうは、ぶつだんぶんげんげんかがやいた姿すがたで、ぶんしあわせにするためにそんざいしているというと、うえからこころ調ととのえるためのけいとしてのはたらきがあります。なにもなくても「ありがとうございます」で、せんげんげんかがやいたととらえられればいちばんいいわけです。そこにゆくていとして、けいがあれば、そういうこころになりやすいのです。だからぶつだん姿すがたが、ほんぞんちゅうしんひかかがやいたそうごん姿すがたをとっているのです。そこにごせんさまがいらっしゃって、ぶんまもってくださるのです。
 おそなえするのも、みんなぶんほうけておそなえして、みんなごせんさまからのめぐみがあるなとけるのです。だから、こんなにもまもりにまもられているというかくますための、けいとしてのぶつだんです。ぶつだんなかはいっているわけではないのです。あくまでもちいさいけいだから、ごせんさまはもっと、おおきくちゅうだいひろがってげんげんかがやいて、ぶんまもりにまもっているととらえたほうがいいのです。



 ほんとうのおまか

-ありがとうございます-
 ぶんりょくでするんではなく、みんなおまかせするのが一ばんということですが、ひかりかがやいていてもくもがかかるときってあるとおもうんですけど、そのくもることはぜんなことではないでしょうか。

ありがとうございます:
 ほんとうにおまかせになったら、てくるものみんなプラスのはたらきになるのです。おまかせにならないときは、ぶんかっにいらないものまでせたりするのです。

-ありがとうございます-
 それはぶんつくっているということですか?

ありがとうございます:
 それもかみさまからいただいた姿すがた使つかわなければいけないのです。ものりょう使つかえばいいのに、ひときずつけたりするのに使つかったらおかしい、使つかかたちがっているのです。てきざいてきしょ使つかえるかどうかです。だから、そらかぶくもがいつもわるいとはかぎりません、たいようがいつもかがやいているからいいのでもありません。くもたいようひかりさえぎってやわらげてくれるのがひつようなときもあるのです。だからあまぐもてくるのもいい、ひつようなときにひつようなものとしててきたらいいのです、てんであってほしいのにあめったらこまるし。



 これもプラスのかた、マイナスのかたがあるのです

-ありがとうございます-
 ちちくなったときは、ちちかんじ、ははくなったときはははおやまもりをかんじたりすることがあるんです。だからきている姿すがたのときより、くなったときの姿すがたほうが、まもちからきょうくなるのかなとおもったんですけど、どうなのですか。

ありがとうございます:
 これもプラスのかた、マイナスのかたがあるのです。プラスにおもえるひとは、くなったひとぢかって、まもりにまもってくれるというじっかんあいもあります。マイナスにているひとは、んだひとのせいで、マイナスのうんめいばかりぶんうんめいににふりかかるとかんじてしまいます。やはり、ぶんかんかたなのです、だから、プラスにプラスにかんじているほうがいいのです。さいこうのプラスのかたというのは、ぶんせんおやも、みんなかみさまからいっしょにしあわせにまれてきて、げんげんかがやいている姿すがたで、いつもぶんまもりにまもってくれているというかたです。「ありがとうございます」のなかほんとうおやもいるのです。

-ありがとうございます-
 せんといっても、だいさかのぼると、ぶんらないひとばかりだし、ぶんしきなかにはそんざいしていないわけです。こちらがわかんかたおもいであるなら、わたくしにとっては、ぶんまもってくれるせんたいてきにはちちははであって、でもぶんらないせんまもりもあるとすれば、ぶんまもりと、ぶんらないせんまもりとだんがまえでおもってもいということになるのでしょうか。

ありがとうございます:
 ぶんまもりにまもってくれているというのは、だんがまえではなく、げんがまえなのです。づかないことばかりですが、げんだんかいからげんまもりがつづいているのです。



 なんでもちゅうしんがないと調ちょうしません。調ちょうというのは

 なんでもちゅうしんがないと調ちょうしません。調ちょうというのは、つねちゅうしんがあって調ちょうするのです。げんでもげんかくちゅうしんにあって、でんまわりをまわって調ちょうしているのです。だからちゅうぜんが、ちゅうしんがあって調ちょうするようになっています。たとえばほんでも、きゅうでも、じんるいちゅうしんるのです。そのちゅうしんというのはうえつものではないのです、いちばんしたでみんなをささえるたちです。だからてっていしてくしてしまわないと、ちゅうしんてないのです、があるとうえてゆくのです。だからころして、にきって、けんきょけんきょになってはじめて、いちばんしたってちゅうしんになれるのです。ちょうどたいふうも、しんくうたかまればたかまるほどおおきなはたらきがあるようなものです。

 ほんあいは、かいひながたとしての使めいがあります。きゅうおうえんするために、きゅうに、かいに、ちゅうしんをもってこないとだめなのです。そのひながたのモデルとして、ほんくにわらないちゅうしんいてくださっているのです。だからがいこくくんしゅせいとちょっとちがうのです。ほんてんのうせいは、どんなたいになってもくずれないのです。がいこくあいはどんどんくずれていって、くなっています。これはもうかみさまがようしてくださったちゅうしんと、ひとつくったうえちゅうしんとはぜんぜんちがうのです。かみさまがようしてくださっているちゅうしんえいえんめつなのです。ちょうどたいようかがやくように、どれだけくもそらおおってたいようかくそうが、くもうえには、すでにたいようかがやいているのとおなじなのです。でもにんげんつくったものはかならくずれてしまう、えいえんではありません。
 だからほんてんのうえいえんです、かみさまがほんのために、きゅうぜんたいのために、さいしょからようしてくださるちゅうしんです。ただちゅうしんてんのうへいとくべつひとかというと、そうでもない、みんなびょうどうなのです。みんなも、かみさまがひつようだったら、てんのうたちかれるかもしません。ただ、みんながけんきょになればなるほどぶんからなりたいとひとひともいないから、そういうではかみさまがさいだれかをめてくるのです。いちばんけんきょなふさわしいひとえらぶかもしれないし、ぎゃくにまだけんきょになれていないひとえらんで、まだべんきょうさせるかもしれないし。そのときそのとき、どういうひとえらんでくるかはかみさまだいです。
 みんながかみさまの御心みこころれて、いまちゅうしんひつようだからとれて、このそうてき姿すがたれているのです。だからほんてんのうせいというのは、こくみんひとひとかみさまの御心みこころれたけっなのです。またそれがかいひろがるとしたら、かいのすべてのひとびとが、かみさまの御心みこころれないといけないのです。でもまだ、ほんてんのうせいさいこう姿すがたをとっているかというと、そうでもない。こくみんひとひとちが、まだしっかりとかみさまの御心みこころれていないいちめんがあります。かみさまの御心みこころをしっかりれてゆくというのは、かんしゃぎょうを、ありがとうございますとかみさまの御心みこころいつたいになると、ぜんかみさまのさいこうそうほうこうれます。そういうひとがあるていえてくると、もっとそうてきてんのうへい姿すがたをとってくるのです。



 あたらしいせいになってほんがどんどんくならないと

-ありがとうございます-
 いずみないかくたんじょうして、りつたかく、だいながれがわるのではないかというたいかんをもっているのですが、せんせいはどうおかんがえになるのでしょうか。

ありがとうございます:
 そうです。あたらしいせいになってほんがどんどんくならないと、かいくなるわけがないのです。でもいままでのせいかいでも、あしいです。どんないことをってもそれではじつげんしません。そういうかたは、ほんほんとうかたとはせいはんたいなのです。ほんまつりごとというのは、かみさまの御心みこころにんげんこころをつりわせて、それをたいして、その姿すがたかたです。だからおたがいにわないといけないのです。かなえさんきゃくおなじで、おたがいにって、あなたがいるからこそ、このさんきゃくせいりつしているというように。ぶんえらえらいとすと、ぶんあしながびて、かなえはひっくりかえります。またあいをダメだダメだとうことは、あいあしみじかくするのです、それもおたがいにバランスをうしなってくずれます。いままでのせいたいが、「まつりごと」ではなかったのです。それでも、このていんでいたのはです。
 これからはほんらいの「まつりごと」にうつってゆかないといけません。まずはこころをなくしてゆくのです。そのなくしかたかんしゃのおいのりをしてくれるひとえたら、それであいのマイナスのこころされてゆきます。そういうでは、おいのりするひとはそのおおきいやくになっているのです。わたくしもずっとたいへんだったのです、そのめるこころさなければいけない、そういうおもいをすために、いっぱいぶんこころはいんでくるのです。そうしたら、なかじゅう、むのです、なんでこんなにむのかとなくらい、いつぷんきざみでたんてきます。むといったら、いつぷんかんなんじっかいんで、ひとばんじゅうそうです。ティッシュペーパー3はこか4はこひとばんでなくなるのです。そういうおもいをるように、きゅうしゅうしてはたんたりしてしてくれるのです。

-ありがとうございます-
 そういうせんせいいのりが、たんるということで、あらわされているということですか。

ありがとうございます:
 それだけじんるいおもいをどんどんしてくれているといういちめんがあるのです。そうするとこころまえきに、ひとつになれます。
 にんてくるのも、おたがまえきにこころわせてといういちめんもあるのかもしれません。ほかせいとうぜんなかたすってひとつのもくてきかえば、ぽっとくなります。
 みんなもおなじなのです。たい調ちょうくずしたりするときがそうです。おいのりをしているのに、なんでたい調ちょうくずれるのかとおもうのですが。になったり、んだりするかもしれません。でもそれはみんな、マイナスのおもいを、ぶんにはなくても、まわりのひとおもいをぶんなかんで、おいのりをするひとがわってきて、おおきくせるのです。そういう使つかわれるのうせいおおきいのです。

 やはりぜんたいひとつにつながっているのです。おたがいにえいきょうえないと、えようがないのです。だからおいのりするあい、そういうひとのマイナスのおもいをあつめてきよめてあげれば、まわりのひとこころかるくなって、プラスこうになるし、またおいのりできるようにはやわってゆきます。そうするとどんどんそうてきなまつりごとになってくるとおもうのです。でもこれもせいひとちからでできるかというと、なにもできないのです。こくみんぜんたいおおきいちからへんがないと、そのへんも、にんげんにできるかというとできないのです。かみさまがおおきくちからをふるってこないと、ほんとうかみさまがちからをふるわないと。そのためにひつようなのは、ほんものかみさまをばないといけません、ありがとうございますと。かみさまをんで、たすけをれないといけないのです。そういうで、ありがとうございますをとなえるひとがどんどんえてきているというのがです。そういうかみさまをひとえたということが、かみさまのおおきいたすけをれて、ぜんたいおおきくえていくちからになっているとおもいます。



 かみさま」ということも、ほんとうふかだったら

-ありがとうございます-
 「かみさまありがとうございます」と、ただの「ありがとうございます」と、「げんげんのありがとうございます」と、どうちがうのでしょうか。

ありがとうございます:
 「かみさま」ということも、ほんとうふかだったら、「ありがとうございます」といっしょなのです。「かみさま、かみさま」とぶだけで、「ありがとうございます」とおなじなのです。でもつう、みんなのこころなかにあるかみさまというのが、ピンからキリまであるのです。だから、ありがとうございますをあとけないと、きゅうきょくかみさまにまでとうたつできないです。ちいさいかみさまをおもっているひとにとっては、ありがとうございますをけて、おおきくなるのです。でも「ありがとうございます」だけでもいいのです。きゅうきょくかみさまにこころけるのだったら、「ありがとうございます」だけでいいのです。
 「げんげんのありがとうございます」も、ほんとうかみさまのはたらきをればるほど、いままでとらえてきたかみさまが、さらにげんげんおおきくなるのです。そういうふうにかんじられてくるのです。だからどんどんどんどん、ありがとうございますがおおきくしんするのです。いまげんげんにありがたいというちでかみさまをとらえたとしても、それがまたげんげんのありがとうございますとおおきくなるのです。どこまでもかみさまのほんとう姿すがたが、おおきくおおきくかがやいてくるのです。そういうでもそこれないのです、おおきさがはかれません。だからときどきは、「げんげんのありがとうございます」をくわえたほうがいいのです。こころおおきくひろげ、ふかくするために。

-ありがとうございます-
 「誰々だれだれさん、ありがとうございます」と、「誰々だれだれさん、しあわせでありますように」のちがいはどうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 「誰々だれだれさんがしあわせでありますように」というのは、どうしてもちいさいのです。でも「誰々だれだれさん、ありがとうございます」のほうは、ありがとうございますが、きゅうきょくかみさまをすことになって、げんげんかがやいた姿すがたでそのひとあらわれてくるというで、ほんとうにそのひとおがるゆきかたなのです。かみさまのなかから、ぜったいなかから、いまげんげんかがやいた姿すがたてきたひとというふうにとらえるのです。それが「誰々だれだれさん、ありがとうございます」なのです。どんなかみさまにたいしてでも、ありがとうございますをくわえると、どのかみさまもげんげんかがやいた姿すがたで、あらたにてきた姿すがたととらえるのです。だからありがとうございますとかならくわえるのがいちばんいいのです。あのひとしあわせでありますようにというのでは、まだそこまではかがやいてこないのです。げんげんしあわせがいっぱい!というふうにほんとうにとらえて、げんげんさちせいっぱいでありますようにとげんじつするのだったら、まだちょっとはちかくなるのうせいはあるのです。でもそれよりも「ありがとうございます」で、きゅうきょくかみさまがあらわれてくださるとてゆくほうが、すっきりしやすいのです。


-ありがとうございます-
 げんじつにマイナスのじょうたいにいるひとかって、そのいまじょうたいなかで、ありがとうございますととなえればいと、なかなかえないのですが・・・

ありがとうございます:
 げんじつにどんなマイナスの姿すがたをとっていても、そこにありがとうございますをくわえることによって、げんげんかがやいたかみさまがあらわれます。そしたら、のマイナスいっさいってくださるのです、それでプラスの姿すがたあらわれてくるのです。してもらうひつようなのです。

-ありがとうございます-
 それはこえしてえたひとだとおもうのですが、ぶんあいじょうしきはんなかにいるから、なかなかありがとうございますをとなえられないのです。ここにあつまっているかたこころなかとなえるというかたちです。

ありがとうございます:
 どんなじょうたいとなえてもいいのです。ありがとうございますをくわえることによって、まずぶんこころでマイナスにつかんだものが、してもらえます。マイナスをつかんだこころしてもらったら、マイナスをつかまなくなります。するといつまでもにとらわれなくなります。そしてなおかつ、かみさまのげんげんかがやいた姿すがたこころやすくなって、かんじやすくなって、かんったじょうたいになれば、もういっさいのマイナスのざんぞうのこっていないのです。ほんとうにみんなかがやいているし、そのひとほんとうかみさまの姿すがたをとっているとえます。だからまだみんな、ざんぞうおびえています、しきれないから、いつまでもえいきょうけやすいのです。それはぶんちからではしきれません、やはり、かみさまのおおきいげんげんかがやいたちからろしてもらうほかいのです。
 それで、ありがとうございますをどんどん使つかったほうがいいのです。かみさまをどんどんして、げんげんかがやいているという姿すがたてくるから、どんなやみしてくれるのです。わざわざマイナスをつかんで、そこにプラスをくわえるというゆきかたでなくていいのです。ただかみさまのまえさえんだら、マイナスなんていつのにからないあいだしてもらえるから。いちいち、このひとのマイナスをつかんで、あのひとのマイナスをつかんでいって、そこにありがとうございますをくわえないと、ではないのです。そんなもの、もうはなっておいていいのです。ただありがとうございますをくわえることによって、らないあいだに、ぜんのマイナスをしてプラスにえてもらえるのです。
 ただ、つかんでしまってはなせないひとにとったら、はなすためにもありがとうございますをくわえたら、はやはなせます。だからマイナスにつかんだものをはなすのはたいへんなのです、こころふかくつかんだマイナスはなかなかはなれません。してもらうために、おもいのてんかんという、ありがとうございますにてんかんして、それをとなつづけることによって、マイナスをおもわなくなる、つかまなくなる、またしてもらえるのです。いつせきさんちょうじょうこうてくるのです。



 ぶんたちを、したしたけんきょたちえたら

-ありがとうございます-
 プラスのきょくたのしむときには、マイナスもあったほうがいいのかなあとおもったりもするんですけど。

ありがとうございます:
 そうです、ぶんたちを、したしたけんきょたちえたら、そのギャップがおおきいだけ、もうひとつありがたくかんじます。(ひもじさをかんじるときのまんぷくかんというか・・・)そうです。おなかいたらごそうもおいしいのです。



 すべてぶんえらんでいるのです。だからプラスをえらんだしゅんかん

-ありがとうございます-
 ぶんと、おおいなると、なんかつきしてくると、それにはんぱつするが、こころなかかんじるんですけど・・・。それをコントロールすることがむずかしくって・・・。今日きょうさんしようっていうのも、なんかうしろからされているというかんじもしますし、まっているごとからしたいからなのかなあとおもったりもしますし、なかなかコントロールがむずかしいです。

ありがとうございます:
 でもすべてぶんえらんでいるのです。だからプラスをえらんだしゅんかんに、いろんなところからプラスのおうえんたすけ、あとしがあるのです。かみさまはきょうせいりょくはつかいません、かみさまのプラスのたすけは、ぶんがプラスをいたときに、プラスをえらんだときに、ひつようなところからひつようたすけがてっかくはいってきます。でもマイナスをえらんだときには、かみさまはマイナスへのあとしはしません、ぶんかっにマイナスにいてゆくのはぜんまかせてくれるのです。だからいもわるいもらなくて、ありがとうございますということ使つかはじめたら、かみさまへのプラスへのひょうをしていることになるのです。たいていはありがとうございますをとなはじめたひとが、おおきいたすけをいろんなところから、じゅんばんつづけているのです。おおきいへんがどんどんてくるのです。だからありがとうございますを使つかったほうがいいのです。うそでもなんでもいいのです。うたがっていてもいいのです。ようはありがとうございますを使つかえば、かみさまがうごせるのです。だまされてもいいとおもって、うそでもなんでも、ありがとうございますとえばいいのです。



 でもそのうち、マイナスに、ぎゃくてくるのうせい

-ありがとうございます-
 「みずからのでんごん」のけっしょうしゃしんは、すごいです。

ありがとうございます:
 そうです。でもそのうち、マイナスに、ぎゃくてくるのうせいもないとはかぎりません。おこめはっこうじっけんでも、「ありがとうございます」とったほうくろカビになって、「バカヤロー」がしろカビになったり。じっけんって、はんたいのものがてくるのうせいがあるのです。いろんなようがいっぱいくわわるのです、きょうれつ逆念ぎゃくねんくわわったらどうなるとおもいますか?「ありがとうございます」というシールをったほうに、おおきいぎゃくねんたら、ぎゃくねんほうたかいうちに、みずがおかしいけっしょうしゃしんになるかもしれないのです。いろんなようがどういうふうにくわわっているか、まだしょうめいしきれないのです。もし「ありがとうございます」というちからが、くろカビにははたらかないとったら、くろカビはほろんでしまいます。くろカビがわるいとはかぎらないのです。くろカビがほんとうじんるいしあわせにするとっこうやくすカビかもしれないのです。そうしたら、「ありがとうございます」をって、くろカビがさかえるようにてきたら、ほんとうはプラスなのにマイナスとてしまうのうせいがあるのです。

-ありがとうございます-
 あさきて、ぶんからだに「ありがとうございます」とったほういのでしょうか。「ぞうろっ、おお、がんばってくれているなあ」とおもって。

ありがとうございます:
 そうです、いっしゅんいっしゅんかみさまがこのからだとしてあらわれてくださっているという、そういうなら、ありがとうございますをぜんしんさいぼうげかけるのがいいのです。ぜんしんさいぼうかみさまのあらわれで、げんげんかがやいているというように。そうしたら、ぶんはいつもかみさまのひかりかがやいているというしきつよくなるのです。

-ありがとうございます-
 いぬが18ねんきたんです。せんせいのテープをダビングしているときに、いつもそのいぬよこにいたんですよ。ずっといているんです。いえいぬぶんいぬおもっていないでにんげんおもっているようなんです。くなるまえふつかんだけいててんごくったんです。そのまえにはずっとテープをいて、しあわせにてんごくにゆきました。かったなあとおもっているんです。きょねんびょういんって、けつえきけんしたら、「このいぬけつえきがさらさらだから、まだながいきしますよ」ってわれたんです。ふつうはダニとかわれてけつえきにごってびょうこすらしいんですけど、そういうことがなかったんです。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」はすごいのです。つうどうぶつにんげんとどっちがうえかとおもうのですけど、またにんげんばんぶつれいちょうなんていうと、にんげんほううえとみんなさっかくするのですが、でもほんとうはみんなかみさまのあらわれです。かみさまのあらわれだったら、みんなびょうどうです。いぬにんげんも、おなかみさまのげんげんかがやきがそこにあるはずです。いのちきょうだいというかんじです。だからいぬだからといってバカにしたらいけません。ぶんおなじか、ぶんよりもげんとうとのあるものとしておがむくらいがいいのです、いぬがみさまと、いしだったらいしがみさまと・・・。

-ありがとうございます-
 いしもよくわれますよね。いしをもっているって・・・。

ありがとうございます:
 かみさまがいしになってあらわれたら、「くやしかったらいしになってごらん」とってくるかもしれません。いしになれるかみさまはすごいのです。

-ありがとうございます-
 ぜんおくというのがありますよね。

ありがとうございます:
 でも、じんるいおくおくも、たいしたことはありません。かみさまのをもってあらわれているいしのほうがさいこうです。さとりをひらいたいしはすごい、いしころいっなかだいちゅうがあるとうかもしれません。

 ほんとうかみさまからのかたと、いろいろなひとたちからのかたちがうのです。にんげんがわからると、にんげんいちばんいいようにえてしまいます。でもいぬがわからると、いぬさいこうというかたをするかもしれません。だからかみさまのがわかられば、みんなびょうどうです、おながあります、とうといのです。にんげんがいろいろなおもいをはっするからえらいのでもないのです、いぬおもいなんかさないから、ダメだとわれたらこまります。おもいがないほうがいいのだとえらぶるかもしれません。

-ありがとうございます-
 イルカとかはかんがえるときますけど・・・

ありがとうございます:
 にんげんちかいようなおもかたかんがかたかんかたがあったら、えらいようにさっかくするのです。でもにんげんにわからないことはたくさんあります。ちいさいむしぴきでも、かみさまのこころかんじるむしだったら、らいぜんとおせるし、まわりをすべてかがやいてるし、にんげんにできないことをいっぱいできるのです。

-ありがとうございます-
 しんする、しんするというかんがかたはどうでしょうか

ありがとうございます:
 いちばんしあわせなかたは、みんなかみさまのあらわれとしておがめるこころです、まわりをかみさまとしてげんかがやいているというようにけるこころです。だからぶんえらいなんておもったらおおちがいです。それだったら、まわりをかみさまとしてえなくなってしまうのです。だから、じゅうたんすわらせてもらっても、じゅうたんかみさまのあらわれで、げんかがやいているとおもえたほうしあわせです。ぶんえらいからじゅうたんすわっているなんておもったら、じゅうたんたんなるものです。そこになんかがやきもかんじられなかったら、しあわせなんてどこにもないのです。じゅうたんになって、ぶんまえあらわれてくれるといったら、ぶんよりうえです。ぶんよりえらかみさまが、このじゅうたん姿すがたってあらわれてくれているのです、けんきょな、けんきょかみさまです。そういうけんきょかみさまに、まわりいっぱいにつつまれて、ぶんしあわせにしてもらっているのだから、ぶんしんこうじょうし、しんするというかたよりも、さいしょからぶんはもうかみさまのなかかれて、かんしゃひとすじというのがいいのです。しんこうじょうして、しんしているとったら、ぶんえらくなっているかというと、そうではないのです。ほんとうまわりがみんなかみさまで、かみさまにかされてあいされて、しあわせにしてもらっているというかんしゃだけのかたいちばんいいのです。いちばんさいていでいい、いちばんさいていだから、かみさまにまもまもられてあいされてしあわせにしてもらっているのです。



 いつも、かみさまのプレゼントは、げんげんかがやいて

-ありがとうございます-
 いまこうしておはなしかせていただいているというのは、わたくしにとってとくべつなのか、それともおおきなちゅうからったら、ただたんながれのなかひとつなのか、わたくしにとってはここにられて、すごくよかったとおもうんですが、これってとくべつということでもないのでしょうか。

ありがとうございます:
 いつも、かみさまのプレゼントは、げんげんかがやいてわたっているのです、そのなかにすべてがすでにあるのです。ただぶんが、いままでづかなかったというだけです。やっとそれにづきはじめて、づきがどんどんおおきくなってくるのです。づけばづくほど、いまなかに、もうすべてがそなわってあたつづけていただいているとわかってくるのです。づいてただけです。いまさらかみさまのながれであたえてもらったというのではなく、もうぜんあたえられみなのです。まだまだもっともっとづいゆくのです。



 ひつようなだけのたす

-ありがとうございます-
 にんげんかんじょうなかで、いかり、ねたみ、しっしゅうちゃくしんなどのぼんのうを、ぼんのうぼんのうでそのままでいいともおっしゃるんですけど、できたらそういうぼんのうゆうされないようにしないと、ぼんのうばんぐみなかちてしまうものですから、それをはなれるということのたすけとして、しょくけてをきれいにするとか、きゅうきょくてきにはありがとうございますととなえるということなのでしょうけど、なにじょてきなものがあるのでしょうか。

ありがとうございます:
 じょてきなものなんてなんにもいらないのです。いま、ありがとうございますをえらんでつかめば、かみさまのげんかがやいたこころぶんこころにすっとはいってくるのです。そうしたら、ぼんのうこころなんてもうぶんのものではないのです。あいにしなくても、ほおっておいたらえてゆくものです。でもありがとうございますをとなえずに、ぼんのうこころをしっかりつかみだしたら、ぼんのうこころはよりおおきくなります。だから、いまいっしゅんです。いまいっしゅん、ありがとうございますとえばいいです。ぼんのうなんてあいにしなくてもいいのです。

-ありがとうございます-
 あのでも「ありがとうございます」が・・・

ありがとうございます:
 あのだけでなく、このでもおなじです。ありがとうございますは、ほんとうかみさまのたすけがすっとおりるから、ひつようだったらどんなはたらきでもおりてくるのです。ひつようだったら、ごくいっしゅんごくらくへんぼうするのです。

-ありがとうございます-
 ひつようだったらということがすごく・・・・

ありがとうございます:
 ほんとうに、ひつようだったらなのです、そのひとほんとうひつようとしないと!
 
途中ですが、ここから2001年5月10日-2へ移行します               


ありがとうございます
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