ありがとうございます
真祈り文庫へ

()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち・1



        べつに、それもどちらでもいいのです、きなほう 
    
-ありがとうございます-
 こんしたのですが、そのときまえをずっと使つかってきたのです。じっが、わたくしあとりというおやくがあったようで、いろんなげんしょうきてきて、きゅうせいが○○なので、まええようとおもっているのですが、どうなんでしょう。

ありがとうございます:
 べつに、それもどちらでもいいのです、きなほうえらべば。どれがわるいではなく、ぶんきなみちえらぶことがいいことなのです。「こっちがい」とおもったらこっちがいので、もうゆうざいにされてください。


      でも、いてもおかしくなるひともあるのです
   
-ありがとうございます-
 むかしから、ヨーガとかぜんめいそうとかいろんなしゅぎょうをしていると、あるていいてやっておればもんだいはないのですが、ぶんどくでいろんなことやっていますと、そのことがげんいんせいしんてきじょうをきたしてしまうというようなひとをよくきますしることもあるのですけど、それはどうしてでしょう。

ありがとうございます:
 でも、いてもおかしくなるひともあるのです。ほんとうただしいえらぶのはむずかしいのです。ただしいおしえをけてもただしくじっこうしなかったら、またうまくいかないあいもあるんだとおもうのです。
 めいそうとかぜんというのは、かなりいいしょういていてもやすいのです。かなりぶんおもみがあるのです。とくぶんこころなかてゆくあいは、つかみをはなしてゆくのがなかなかたいへんなのです。
 ぜんでもおくふかいところへゆくと、しょうまでてないとなのです。「これがぶんしょう」とつかむだけでもいけない。いろんなほとけさまがあらわれても、それまでもててゆかないとなのです、ほんものいだすまでは。
 だからさいしょぶんているかいがどういうかいかというと、「ほんものかいかどうか」とかんがえたときに、まだほんものではないとおもうのです。「ほんもの」ということていむずかしいのですが、ほんものというのは、ちゅうおおがみさまのさいこうひょうげん姿すがたほんものなのです。そこからどのていさいこうひょうげんわりあいあらわれているかによって、10%あらわれたら10%がほんもののです。1%しかあらわれていなかったら1%だけがほんものです。

 だから、このほんもの姿すがたがどれだけパーセンテージてきてきているかというと、かなりすくないのです。
 だから、ほんものをしっかりといだしてゆくには、こころきがかみさまのさいこうひょうげんほうへ、しっかりとまとしぼってつめつづけてゆかないといけないのです。
 そのさいこうひょうげんなにかというのは、めいそうとかぜんで、ぶんひょうめんこころを「にしてくうにして」、さらおく姿すがたつかんでゆくというあいでも、やはりこと使つかかたがものすごだいになってくるのです。いまぶんこころたんていするだけでは、いちばんおくさいこうひょうげんにまではこころとどかないのです。そうしたらちゅうはんなプラスのことでもなのです。だから、ひとかんがえられるかぎりのさいこうこと使しないと、かみさまのさいこうひょうげんひょうげんするわけにはゆかないとおもうのです。
 だから、さいこうことをいっぱい使つかわないといけません。ねんそうほんとうかみさまのさいこうひょうげんきょうまでとうたつするのはほんとうむずかしい、ねんそうというかたちでは。
 ぜんでもめいそうでもさいしょしょは、いろんなざつねんが「ねんそう」になってざつねんはらって、なにかんがえないじょうたいになろうとするのですが、それすらほんとうむずかしいのです。
 かりにそれがあるていできたとしても、ねんそうきょうになってからが、かみさまのさいこうひょうげんちかづくのです、いっいっ。そこからがだいいっしているのです。どれだけかみさまのさいこうひょうげんことでしっかりとひょうげんし、こころでしっかりそのまとしぼってつめつづけてゆけるかというと、たいへんだとおもうのです。

 ひとうんめいぜんぱんしゅぎょうにおいてもそうですが、「なにえらつづけるか」なのです。こともどういうことえらつづけるか、どういうこと使つかつづけるか。
 また、もくてきもくひょうにしても、なにもくてきもくひょうえらつづけるか。だから、ぶんえらんだとおりにすべてなってゆくのです。ほんとうぜんこころざしたときに、ほんとうもくてきもくひょうなにか、ほんとうきゅうきょくさとりをもとめているのか、さいしょはそこまでっていないあいもあるのです。ねんそうになったらこれがほんとうさとりなんだ、とおもっているひともいるし。いろんなもくひょうもくてきがあって、それぞれにいろんなしゅぎょうかたを、そのひとなりにつかんでいるとおもうのです。

 ほんとうぜんたいぞうつかんで、しっかりとつかんで、それからぶんねがさいこうほうこころけられたら、もうぜったいちがわないとおもうのです。でも、ぜんたいぞうつかめないとやはりちゅうはんじょうたいだと、あっちへまよったりこっちへまよったりして、しっぱいえるようなこともこるんだとおもうのです。
 いちばんだいなのは、やはり「こと」だとおもいます。『さいこうのいいことをしっかり使する、使つかる』ということがだいだとおもうのです。

-ありがとうございます-
 ということは、たとえば、アメリカではTMめいそうというのが流行はやって、ひゃくまんにんとか。そのひとひつようなといいますか、マントラをあたえるということで。これがもんだいあるというかたもいるのですけど、それもことだとおもうのです。どんなことかもりませんけど。そういうことにいては、どのようにおもわれますか。

ありがとうございます:
 いろんなほうほうげんにあってもいいとおもうのです、じっさいあるとおもうのです、げんに。

 かみさまがほんとうあたえてくるさいこうひょうげんちょうてんにして、げんげんだんかいのいろんなかたを、みんなにすでびょうどうあたえられているのです。そのなかからぶんなにえらぶかだけで、やはりぶんなにえらんでれているかなのです。そういうかたも、それがひつようだったらそれをれるひとたくさんいるだけです。ただ、それをれたからさいこうかたかというと、そうではないかもれないのです。

 わたくしたちもこのきゅうじょうでいろんなかたがあって「これがすべて」というわけにはゆかない。まだまだこのきゅうじょうあらわれていない、いろんなかたがいっぱいげんにあるはずなのです。ほんとうぶんひつようとしてなっとくできたら、いをのこさないかたでそのかんごせるとおもうのですが。ただ、じょうほうはいっぱいしいのです、えらあいに。

 「これがさいこう」とわれても、それぞれに「これがさいこう」とおしえてきますし、またせんでんもしてきます。
 でも、ほんものというのはあまりせんでんしてこないのです、ぎゃくかくしてきます。だから、がきたらほんものいだちからてきて、しんけんもとめるこころこして、そういうときに、ぜんほんものたいしてはひつようなものをあたえられてゆくのです。ぎゃくに、かくしてかくしてかくされて、どれだけしんけんさがいるか、どれだけほんものもとめるこころてくるか、かみさまのほうっているのです。それまではゆうにいろんなものにこころけてたいけんして、まよってもなにしてもいいから、「しんけんもとめるこころこしてきなさい」というのがかみさまのこころなのです。

 そうしたら「ほんものはどこにあるか」と、ほんものというのはほんとうはどこにでもあるはずなのです。かみさまがほんものであるというかぎり、かみさまはちゅうのどこにでもしゅんかおせます。
 だから、ほんとうぶんしょうというのはかみさましかいないのです。あとは、ほんものにたどりくまでのいろんなていにおけるかりしょうかもれないのです。

 ほんとうみなさんも、『なにいのちけでしんけんもとめているか』というのがだいなのです。なにもくてききているのか、なにほんとうけたいのか、ほんとうにそれをじっかんしたいのかと。それも『ぶんいのちすべてをえてでも』ほんとうれたいとねがっているのかと。ほんとうしんけんだったらかみさまのほうからスッとあらわれて、それにたいしてひつようなものをあたえてくださるとおもうのです。

-ありがとうございます-
 ということは、もとめないものにはあたえないということですか。

ありがとうございます:
 そうです。あたえても、きょうせいてきあたえてもがないのです。

-ありがとうございます-
 らない。

ありがとうございます:
 らないし、ひつようのないものをあたえてもしあわせになるどころじゃない、ぎゃくになってしまいます。

 
      ぶんも「あいじょう」の「あい」をもとめているのか「じょう」を 
    
-ありがとうございます-
 「あいじょう」の「じょう」のぶんひつようないとくのですが。じょうをあまりけすぎたらいけないとか、ていどもそだてているとじょうたいせつおもときもあります。ぶんなにもとめてるのかなあって。

ありがとうございます:
 ぶんも「あいじょう」の「あい」をもとめているのか「じょう」をもとめているのかです、おおきくければ。

-ありがとうございます-
 ぶんてたいというたら、あまりにもドロドロしたぶんがありますよね、おやじょうが。とおもはんめん、やはりひつようかな、とおもうし。

ありがとうございます:
 たとえば、かみさまのひょうげんとして、げんのチャンネルのなかじょうふかいチャンネルと、バランスのれたチャンネルと、あいだけのかがやいているチャンネルと、いろんなチャンネルがあるのです。
 さいしょは、じょうにまみれるようなかんじのチャンネルをたいけんつづけて「ああ、これはあまりにもドロドロしている」とかんじたひとは、ちょっとあいのほうをわりあいやしてゆこうとするのです。それだけでもらなかったら、「あいだけのかがやいているあいぜったいしばらない」というかたにあこがれてゆくのです。
 だから、ぜんぶ「あいじょう」というんだったら、「あい」のほうかみさまのプラスのがわです。「じょう」のほうはマイナスがわはたらきをするのです。「しゅうちゃく」というのがあるのです。
 だから、ほんとうあいというのは「ぜったいあい」、ぜったいゆうしばらないのです。それで、ひつようなものをてっかくあたくすだけ。そしてあいぜったいマイナスにないで「プラスにだけ」てゆけるこころです。
 だから「じょう」と「あい」とはまったせいはんたいかたをとるのです。どれがわるいではなく、「ぶんいまなにたいけんしてあじわいたいか」というひとひとゆうがあります。「じょう」にきてきたら「あい」のほうったらいいのだし、わるいではないのです。ひとひとそれはぶんゆうえらんで、ぶんせきにんでそれをあじわいたのしむだけなのです。みんなスパッとぜんぶててもかまわないのです。

-ありがとうございます-
 使つかけて、けっればオーケーということですか。

ありがとうございます:
 かみさまからなにえらんでけてもいいわけです。ほんとうはぜんぶけたらいいのかもれないのですが。ぜんぶけるのはむつかしい、すべてのひょうげんを、ちょう、テレビをいてげんのテレビをあいにするのはむつかしいですから。なにいくつかをえらんでるだけなのです。
 それはもうぶんきなものをえらんだらいいのです。だから、ひとからなにきょうせいされることもなにもないのです、しばられることはないとおもいます。ぶんいま「これをたい」とおもったら、それをえらんでみるだけです。またこころへんしたら、べつなのをたらいいとおもうのです。

-ありがとうございます-
 おしゃさまでもその「じょう」をまったててしまったということはないんでしょうね。

ありがとうございます:
 べつに、ひつようだったらぜんぶかしきるのです。
 おしゃさまがさとりをひらいて、それで「すべてをひかりいちげんにプラスにれる」というしんきょうだったら、どんなさいていじょうたいでもわるくはないのです。「じょう」でしばりつけられてくるしんでいるひとても、「いちてきにはそれもいいんだ」と。そういうたいけんがあるからこそ、ほんとうあいゆうかたも、ほんとういだしてよろこべるんだし、というように。
 きょくたんうと「いったんごくちてもかまわん」というぐらい、それもひつようだったらごくたいけんだいなのです。しゅうちゃくしてじょうこころきてしばって、いずれごくちたにしてもマイナスではないのです、ほんとうは。ちょっとそれをたいけんすることによって、もっともっとしあわせなかたらいひらけてくるのです。


       
-ありがとうございます-
 わたくしたちだったらどもそだてるときに、ここはあいぶん、ここはじょうぶんというかんじで使つかけてあいそだつように。どもがいるのですよ、ともだちとかいで、なんかほんにんみずから「じょうくちゃねー」てうのですよ。

ありがとうございます:
 おやまれて、おやどもそだてるあいもあるし、どもおやそだてるあいもあります。いろんなあいがあります、おやかんけいになっても。

 「ぶんおや」というたちべんきょうするあいだったら、いろんなおやたちべんきょうするのがいいのです。それも「じょう」でどもそだてるあいもあるし、「あい」だけでそだてるあいもあるし、いろんな姿すがたがあるとおもうのです。
 ただ、ぎゃくあいぶんおやたちなのに、どもめんどうてもらってそだててもらう、そだててもらういっしょうめんどうてもらうあいもあるのです。どもほうとくおおきくっているようなとくがあったら、おやしあわせにするのはどもなのです。どもとくをいっぱいもらって、おやしあわせにいっしょうおくらせてもらうんだったら、おやどもめんどうてもらっているのです。
 だから、いろんなおやかんけいがあります。それも、どれがわるいではないのです。ぶんはどういうたちおやえらび、どういうたちどもえらび、それぞれぶんじんせいたいけんとしてえらんでそれをあじわっているのです。じゅんばんにいろんなべんきょうませて、さいこういちばんしあわせなぶんなっとくできるたちもどってゆくんだとおもいます。


       かみさまは「もてあそぶ」もなにもくださないのです 
   
-ありがとうございます-
 かみさまはかならずしも、そのひともとめているものとか、あるいはひつようなものとかをいちばんたんきょでパッパッとあたえるということよりも、いろいろもてあそんでたんというか、もうこれじょうはというときにパッとすくいのべるというか、「もてあそぶ」というところがじゃっかんかみさまにあるようにおもうのですけど。
 ぶんかっおもっているのかもれませんけど、それはどうなんでしょうか。そのていなかにむしろほんにんこころくプロセスあるということなんでしょうか。

ありがとうございます:
 かみさまは「もてあそぶ」もなにもくださないのです。ひつようなものをあたえておいて、あとゆうえらんでそれであそびなさいというわけです。(ぶんあそんでいるのですか?)ぶんあそびきれずに、かみさまのたすけがしかったら、やはりかみさまをばないと、そうしたらかみさまがてきます。だから、ぶまではばんがないのです、かみさまのほうは。いくらおせっかいなにかしてあげようとおもってもそれはないのです。やはり、にんげんがわかんぜんゆうがあるのです。

-ありがとうございます-
 いままでいろんなべんきょうぶんなりにしていますが、それでまなびとっているというおもみもあります。そのかいしゃくのひとつが「もてあそばれている」というかいしゃくだったりするのです。(あります)とらわれをはずして。

ありがとうございます:
 だからかみさまがあたえてくるげんチャンネルのひとつしか、つうあじわっていません。ひとつあじわってわかっても、のことはわかっていないです。だから、いまているばんぐみからあるていゆうになって、ゆうたちでまたべつなものをえらべるようになっていないといけません。

-ありがとうございます-
 あたらしいテレビをえた、というしきほうがいいですか?

ありがとうございます:
 「たいけん」はあまりたいしたことはないのです。「いろんなたいけんんでいる」と、まんできるものはないのです。

-ありがとうございます-
 じゃあ、いまぶんめぐためれんしゅうだった、というかんじで、たいけんは?

ありがとうございます:
 たいけんというのは、もう「いまぶんう」という、そんなたいしたものではないのです。たくさんなかからたりだいにパッパッパッとちょっとだけえらんで、ちょっとたいけんしたぐらいなのです。
 げんのチャンネルのいちばんしたからじゅんばんにというのはむずかしいのです、ひとつのチャンネルをべんきょうするのもひゃくねんぐらいではりないのです。

-ありがとうございます-
 そうしましたら、いろんなチャンネルがありますね。できるだけぶんはそのばんぐみなかでも、ぶんにとってためになるゆうえきばんぐみさいしょからえらんで。たとえば、ほんだったらてんむとか、そうしてほんものえらぶとか。どうでもいいばんぐみもあるとおもうのですよ。たとえば、じんせいななじゅうねんぐらいだからせめてばんぐみえらんでぴしっときてゆこうというふうに、そういうほうほうというのはあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 あるとったらあるのですが、それをしてもたいしたことはないのです。

-ありがとうございます-
 たいしたことないのですか。

ありがとうございます:
 げんのチャンネルをひとつ、ちょっとさそうなのをえらんでも、まだまだうえにはうえがあっていっぱいずうっとつづくのです。いまぶんが「これがさいこうばんぐみえらんでたいけんしている」とおもっても、たかがひゃくねんぐらいであじわいつくせるわけもないし、まだおくからどれだけいものがてくるかもわかりません、ひとつのばんぐみですら。すくなくともいちおくねんぐらいはずうっとつづけないと、どんないいものがてくるかわからないのです。それでちょっとうえのほうへまたばんぐみえたら、またぜんぜんちがかいひらけるのです。

-ありがとうございます-
 ということはどこへかってっているんでしょうか。

ありがとうございます:
 ひとつひとつあじわおうとおもったらむずかしいのです。それをしてもあまりがないかもれないのです。それならどこへけばいいか?やはりかみさまのさいこうひょうげんこころけないといけないのです。ちょうてんきわめたらしたかりやすくなるのです。やまでもいちばんうえちょうじょうあがってしまったらしたがよくえるわけです。「さとりをひらく」という「くうこころになりきる」とか、そういうのがいちばんだいなのです。「かみさまのさいこうひょうげんなにか」という、これをしっかりきわめてゆくことだとおもうのです。

-ありがとうございます-
 たとえば、そこにいたるまでのいちばんてきせつばんぐみぶんにあたってくると。

ありがとうございます:
 いや、いまているばんぐみとらわれてしばられて、そのなかにはまりんだらけられないのです。
 だから、げんざいらいながれています。そのつかむだけでそのばんぐみからけにくいのです。だから、いまいっしゅんだけながめているぐらいのかんかくで「さらさらさら」とながさないと、ばんぐみなかからですらけにくいのです。そうするとつぎばんぐみうつるどころではないのです。
 だからこころをかなりゆうにしてゆかないと、「ぜったいあいにしない」というぐらいてっていしてこそ、いまているばんぐみからもスッとけやすいのです。

-ありがとうございます-
 というのは。きょねんは、和気清麻呂わけのきよまろさんにうごかされるというかうごいたのです。そのままうごいていいですか。わたくしにしかわからないかんかくですけど。みちびかれている、うごかされているというかんかくだったのです。そういうのは――

ありがとうございます:
 それは、わるいではないのです。ぶんなっとくできてえらんでいがないのであれば、それもべつわるいことではないのです。でも、ほんとうぶんぜんせきにんってえらぶのです、なんでもです。

-ありがとうございます-
 なにか、ワクワクしてうごいていたのです。まあ、ワクワクしているからだいじょうだ、とか、はんだんして。のことのです、そういうことは。

ありがとうございます:
 だいひとてきたという?あるではまわしています。

-ありがとうございます-
 けっきょくわかったことは、どうきょうさんも和気清麻呂わけのきよまろそのときだいのおやくによって、ほんとうおなじでてきかたじゃなくて、おやくというかおやくをされたので。おまえが「」だから、いまというかでいいかなとかっおもったのです。どうきょうさんもあるれきてきには――

ありがとうございます:
 それは、ひとつのばんぐみにはまりんだのです。れきじょうかたでもいろんなかたが、ばんぐみによったらぜんぶせいはんたいぐらいにちがばんぐみがあります。まれたひとてきても、ほんものにせものかわかりません。まえったからほんものとはかぎりません。

-ありがとうございます-
 まえらなくて、偶々たまたまゆきたいところへったらそこに和気清麻呂わけのきよまろのおはかがあったり、ながされたところにもったり。れいかんてきにじゃなくて、うごいたらそこがそうだった。でも、たのしめばいいのです。

ありがとうございます:
 そういうかたも、まあたのしめるときはたのしんでいいのです。でも、そういうかたまんぞくできなくなったら、またべつかたもいいのです。ようぶんゆうをやはりだいっていないとなのです。ひとうごかされるようではなのです。
 いまぶんみちびいてくれるという、しんきょうたかめてくれるというあいでも、どこからみちびきがくるかです。げんにきます、いろんなところから、ひとつやつではありません。げんみちびきを、そのなかぶんいまひつようとするものをえらばないとです。ぜんぶけるわけにはゆきません。そのときぶんひつようなものをてっかくえらべるかどうかむずかしいかもれないですが。

-ありがとうございます-
 やはりそのときも、かみさまにもどってはんだんして。

ありがとうございます:
 ほんとうかみさまはいちばんけんきょです。かみさまにほんとうにすがらないと、ぜんたくしないとばんがないのです。それまではいろんなかみさまにゆうにすがりなさいというわけです。
 すがるかみさまでもげんにいるわけです、いろんなかみさまが。ひくかみさま、たかかみさと。それはゆうなににでもすがりなさいという。ひとつのあるだんかいかみさまにすがったとしたら、そのかみさまがたかかったらあまりきょうせいりょく使つかったりしてきません。けんきょはいひかえながら、ひつようだったらアドバイスをあたえてくるかもれないのです。
 でもひくかみさまだときょうせいてきに、「ぶんのしていることはただしいんだ」ときょうせいてきおもどおりにしてくるかもれません。だから、めいれいしてきます。「こうしなさい、ああしなさい」とうるさいぐらい。
 でも、ほんとうかみさまはもっとけんきょだから、いろんなかみさまにちょっとでもすがるようなでいてるんだったら「そっちをゆうせんしなさい」とってきます。また、ぶんのしたいことがあって、ぶんおもどおり、ねがどおりにしたいとうんだったら、「それをさきにしなさい」とってくるのです。かみさまのみちびきをけるどころではないのです。ぶんおもいやねがいをさいゆうせんさせてくれるし、しんぶつにすがるんだったら、それをゆうせんさせてくれるから。けっきょくはすべてをかみさまにおまかせするぐらいのぜんたくこころにならないとなのです。ほんとうかみさまにすがるというのは。

 
       だんかいげんけたほうがいいかもれない 
   
-ありがとうございます-
 かみさまの「レベル」というはなしなのですけど。わたくしたちがいっぱんてきにイメージでうと、かみさまはすごいたかそんざいで、もうらしいたからしいレベルのかたがたかみさまというイメージがあります。
 そのひくいレベルのかみさまとかいうのは、たとえば、しゅうきょうひとしょもつわれてるゆうかいなんかのせいぶつかみさまのかたちをとってあらわれてきたりとか。そういったいろけががあるのかどうかわかりませんけど。かみさまというのはどういうそんざいからかみさまというのか、わからんかったのです。そのあたりはどういうふうにかんがえたらいいでしょうか。

ありがとうございます:
 それはだんかいげんけたほうがいいかもれません、「かみさま」というまえ使つかっても。
 このかみさまは「あるていいろんなちからがあってじんつうざい」なんだ、というかみさまです。「やおよろかみさま」というかんじの使つかわれるかみさまがあって、それがピンからキリまでげんだんかいかれている、というふうにほうがいいのです。
 たかかみさまはやはりぶんさない「けんきょ」です、どこまでもぶんくしてしまいます。ぶんくしてけんきょになればなるほど、ほんものちゅうおおがみさまのちからたすけをけやすくなっています。そのかみさまがほんものかみさまがぶんとおしてはたらいている、というぐらいのかんかくてっかくひつようたすけをあたつづけるやくわりたすわけです。

 だから「どれだけけんきょになっているか」というのは、だいたいはかれるとおもうのです。ちょっとでもぶんに「これはちからがあるんだ」とか、まんするほどでなくても「これはぶんちからなんだ」とつかむようだったらなのです。まだ、けんきょさがまだまだりない。それが、げんちからがあってたいようのようにひかりほうしゃするたちでも、「ひくい」とうのです。ぶんは「こういうかみさまだ」と、まえすだけでなのです。

-ありがとうございます-
 ぶんちからしめしたり、あるいはきょうせいてきにいろんなことをやらせてくるかみさまでも、それもかみさまのレベルのひとつであって、おかしなそんざいではないのではないのですか。

ありがとうございます:
 かみさまというたちあいは、あるではプラスにてんかんさせるためのじんつうざいはたらきをしてゆくというあいです。

-ありがとうございます-
 ゆうかいとかいうおかしなところからいっせんかくされたもので、「プラス、マイナス」というのはたしてわからないですけど、このてきえばプラスのはたらきもされて?
               
ありがとうございます:
 プラスのかみさまとマイナスのかみさまにけるんだったら、じゃしんとか、せいしんけてもいいのですが。それも、げんげんだんかい、とけたらいいかもれません。
 やはりとらわれぎるとややこしいのです。だから、そういうかみさまよりも、ほんとうただひとつのきゅうきょくかみさまにすがるほうがいいのです。ほんとうかみさまはぶんひつようなものをてっかくいてあたえてくださるし、また、それをけさせてくださるというでは「さいこうみちび」なのです。

-ありがとうございます-
 いまわれてるかみさまというのは、エンジェルとかわれてる?

ありがとうございます:
 ぜんふくまれているのです、そういうのもぜんひっくるめて。だから、ほんとうゆいいつぜったいかみさまは、もうすべてのすべてなるかみさまです。「そのかみさまがいにない」という。そのかみさまがすべてのすべてだったら、いまったいろんなしゅるいかみさまがぜんなかおさまっています。そしてそれだけではないのです。はたらきのようぜんなかっているかみさまなのです。
 だから、このかみさまのあらわれとうんだったら、このかみさまになってくるのです。「みんなかみさまのあらわれ」というと、いしころいっ(神さまと)ないといけなくなったら、どのかみさまがえらいのかというとむずかしいのです。
 ほんものかみさまは、このいしころいっげんげんかがやいた姿すがたです。ほんものかみさまのはたらきであれば、いしころいっかがやいてくるのです、げんに。それがほんものかみさまのあらわれとしてのいしころです。
 「せいしんじゃしん」にわけるかた、このかたと、ほんものやおよろかみさまとのかんけいとはちょっとちがうのです。
せいしんじゃしん」にけるかたひょうげんとしての姿すがたです。そのおくほんとうはいゆうとしてのやおよろかみさまがあります。はいゆうとしてのやおよろかみさまだったら、やくわるやくどうゆうざいえんれるかみさまです。ほんものかみさまのぶんしんとしてのやおよろかみさまというと、ほんとうめいゆうとしてのかみさまになるのです。だから、ひつようだったらプラスのいいはたらきをえんじきれるし、また、ひつようだったらマイナスのあくのような姿すがたえんじきれるのです。
 このぶっしつぶったいがありますが、あのゆうかいではゆうたいがあります。れいかいれいたいしんかいしんたいという。だから、かんろっかんかんかくかんでとらえるかいはみんなぶっしつなのです。ぶっしつがあるかいがこのからるといろんなげんがあるとえるのです。
 このかくして、たとえば、れいかいとかしんかいはこのではじんつうざいなんで、しんかいれいかいほんとうやおよろかみさまがいらっしゃるのかなとおもうのです。でも、そういうかたはあるではちょっとはたっていても、ほんとうやおよろかみさまではないのです。 
 ただ、しんかいれいかいをもこのおなじようにぶっしつかいとして、しんかいれいかいぶっしつかいとしてて、それをはたらきとして、おくやおよろかみさまがひかえている、そういうかたほうただしいのです。しんかいをもほんとうやおよろかみさまです。またこのやおよろかみさまです。またごくをもやおよろかみさまなのです。
 ぜんたいおおきくながめたときに、こんぽんちゅうただひとおおがみさまが、すべてのようをぜんぶわせてさいこうひょうげんちょうてんに、そしてげんげんのチャンネルをつくりあげるという。それをつくりあげるときに、そのやおよろかみさまがはいゆうとしてはたらくのです、そしてストーリーがかんぺきえんじきられるのです。だから、ひとつのばんぐみもちゃんとストーリーがずうっとまっています。いちだけのかんだけまるのではなく、もうげんねんげつぜんまってしまいます。


    いろんなストーリーがあるのです。すべての 
   
-ありがとうございます-
 いまおっしゃっている「はいゆう」といういますと、ヒットラーでさえすごめいゆうで、いまいっぱんひとごくかいっているだろうとおもいきや、そうじゃなくてやくたしててんじょうかいにいるんだというほんがありまして。それがじっさいそうなのかどうかというのはわからないのですけど。そういうやくえんっているのか、あるいはぶんで、たとばなしでゴキブリがくらいところをこのむように、あのってもくらいところへっちゃうようになっているのか。そういったことはわたくしたちがているひょうめんかいただけでははんだんできない、ということなんでしょうか。

ありがとうございます:
 いろんなストーリーがあるのです。すべてのにんげんかんがくすべてのかんがえのかいぜんあり、そろっているのです。じっさいわるいことをしてごくちているという姿すがたもあります、そういうばんぐみもあるし、えんとしてえんじていいかいっているというばんぐみもあります。もっとにいろんなばんぐみがあります、おなひとひとをとらえても。だから、さいしょからさとっててきていて、じんるいごういっしんってああいう姿すがたをとって、すぐにさいこうしんかいもどっているとったら、そういうかいもあるのです。だから、どのばんぐみぶんがとらえてはんだんするかなのです。
 たかばんぐみきょくたんにプラスばかりのいいかいしゃくしかできないばんぐみです、だから、どんな姿すがたてきてもいいのです。そうしたら、このまれたひとなんのためにきているのかというのでも、いろんなもくてきってきているのです。たのしむためにだけきているひともあるし、なかくしようとおもっていっしょけんめいになっているひともあるし。どれがいいんでしょうか。


      ばんぐみえらかたかた 
   
-ありがとうございます-
 「じんるいしきたとえばしんするとしたら」というひょうげんときどきされますけど。そういうあいは、わるいじゃなくて、じんるいえらぶチャンネルがすこしずつわってきたらと、いうようなかいしゃくでいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 そういうかたもできます、ひとつとして。ほかにもいろんなかたができるとおもいます。「ぶんいまかみさまからなにえらんでけるか」です、いちばんだいなことは。
 いまているこのばんぐみぜんほんとうって、かみさまのさいこうひょうげんこころけたら、そのばんぐみがスッとけられるぶんわってしまいます、ほんとうは。このなんかはもうまったしてがいしてしまうのです。それもいっしゅんでできてのうです、でもないのです。
 でも、このながらまたちょっとかいをというのも、ひつようであったらのうですし、また、このかいをどういうふうにへんさせてゆくか、いろんなへんのさせかたかたがあるとおもいます。
 かみさまのひょうげんがすべてをくしています、ありとあらゆるぜんなかそんざいしているのです。ほんとうにんげんそうぞうできるかぎりのものぜんさきようされているとおもいます。そのなかから「なにえらぶか」、(神さまが)そうぞうしたものをえらんでゆくのです。おもとおりのものをえらんでゆけるとおもうのです、でも、ひとぶんつかみすぎているのです、ひとつのばんぐみにしがみつきすぎています。

-ありがとうございます-
 むしろばんぐみなかへはまることをのぞんでいるようなとこがある。

ありがとうございます:
 そうです。ひとつのばんぐみにはまりんでも、さらさらとながれるようにあたらしい姿すがたながめる