真祈り文庫
2001年5月3日 No.2
寿命も必要あってそういう寿命になっているのです
-ありがとうございます-
肉体としては命には限りがありますね。百二十五歳ぐらいと、五十・六十歳ぐらいとの違いはどういうふうに見ればいいのですか。
ありがとうございます:
寿命も必要あってそういう寿命になっているのです。今の地球のレベルでも、例えば人口が百倍にもなったら先ず生きてゆけません。だから程々の人口を整えてバランスをとってくださるのです。ただ、この地球の場のいくつかのチャンネルの幅の中での動きです。日本でもそうです、食糧が少ない時は三千万人、四千万人です。外国から食料が入ってくると一億超えてもいいのです。
-ありがとうございます-
アメリカなんかは癌で死ぬ人が多いのです。それもやっばり神さまに与えられた寿命なのですか?
ありがとうございます:
いや、いや、それも本人が選ぶのです。どの番組をどの寿命を選んでいるかというのは、一人一人の責任で選んで決めているのです。本当はこの世に近いところは理想が百二十五歳というのですけど、もっとちょっと高い番組になると寿命は何千歳です、肉体を持ちながら。もっと高いともっと伸び伸びと自由に長生きできるのです。それで年をとればとるほど若くなる、老化がないのです。だから、番組によったらぜんぜん違う寿命の表現があるのです。
-ありがとうございます-
そうすると私達はその狭い中の。
ありがとうございます:
そう。その中でまた細かく分けるといろいろあるのです。だから、その寿命を短くして終わる人も、長くして終わる人もいろいろです。それも必要性で決まるのです。だから、長生きしたからいいのではないのです。「勉強をし残しているから、ちょっと長生きして勉強しなさい」というのもあるのです。早死にするのもそうです、「この一生の分は終わったからもっといいところゆきなさい」というのもあるのです。
-ありがとうございます-
人生は卒業式だと思うのです。後、私も卒業式まで幾つかこなさないといけないのかな、と思ってるのです。
ありがとうございます:
まあ、それもひとつの考え方なのです、卒業式という考え方も。でも、卒業式なしで、早く勉強の場へ移る人もあるのです。途中で「もっと良いとこへ」と移動させてもらうと卒業ではないのです。一番やはり良いとこへ良いとこへゆくのです。必要なとこへ、必要なとこへと。卒業でも転入でもいいのです、落第してもうひとつ年数を重ねてもいいのです。それも一番いい方法だったら必要で、その方がいいのです。
だから、一番いいように計らってもらってるというように見て、それも自分ひとりの考えで決めるのではなく、神さまが周りがぜんぶ自分のことを詳しく見ていて、それで一番いい方法を与え続けてくださっているのです。
-ありがとうございます-
条件が整ったらそっちへ行ったほうがいいわけですか?
ありがとうございます:
それも自然に、自然に一番いい方へいい方へゆくのです。
「ありがとうございます」を全員が唱えても、地獄は
-ありがとうございます-
チャンネルのお話しなのですが。パラレルワールド(平行世界・多元宇宙)というチャンネルの世界があって、今見えている現象ではなくて、極楽みたいな地球があって、地獄みたいな地球があって、それがみんな同時平行にあるという話しがあるのです。(あるのです。)未来がどうなるというのもあるのですか。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」を全員が唱えても、地獄はずうっと永遠に存在し続けて、ただ、「ありがとうございます」を唱えている人にとったら、地獄番組も神さまの最高傑作のひとつとして味わえるのです、「必要な番組」とわかるのです。
「ただ苦しいばっかり」というような見方をしなくなるのです。「地獄の石ころも輝いている」というぐらい、どんな悪役の姿も「名演技なんだ」という見方ができるのです。(ホラー映画をみてるようで、楽しんでるような。)そうです。こういうのを演技できる俳優さんは名優だなあと。
-ありがとうございます-
Fさんなんかは地球レベルで変革することをおっしゃっていますし、Sさんも良くしていこうとしておられますし。先生の方からはそういう情報はあるんでしょうか。
ありがとうございます:
多分にみんなひとつの番組の中にはまり込んでいます。はまり込んだ人を如何に番組の外に引き出して、そして、より良い番組の方へ心を向けさせるかという方法・テクニックはいろんなのがあるのでしょうが。
-ありがとうございます-
案外みんな恐いもの見たさというのがある。
ありがとうございます:
それもあるでしょう。
-ありがとうございます-
嫌々いいながら見ている?
ありがとうございます:
そういう番組も人によったらあります。戦争番組ばかり趣味で観る人もあります。それぞれにいろんないきかたがあっていいんだと思います。どれが良い悪いではなく、みんな必要あってそういう方法があるのです。
だから、本当に自分に必要なものを的確に与え続けてもらって、いろんな体験を勉強しながら、もし必要だったらもっと番組が上がるように最短コースを歩めるようにしてもらっていると思うのです。ひとつだけの方法というのはないのです、沢山あります、同時に。
-ありがとうございます-
こういういろんな問題は神さまが与えてくるのですか。それとも自分が選んでいるのですか。
ありがとうございます:
神さまが与えていると言えば、すべてのチャンネルを作って与えている、と受けた方がいいのです。神さまは強制的に「この番組を見なさい」とは言われていません。どれを選んで見るかは人の側の自由と責任に伴ったいきかたです。自分の好きなものを選んで見ているのです。
だから、神さまがどうのこうのとは言えないのです。その神さまが「創り損ないをしているか」、絶対そんなことはないのです。すべてを尽くした表現ですから、「ないものはひとつとしてない」のです、もう全部揃っているのです。「まだこれが足りませんよ」ということは絶対言えない、全部あるのです、本当に。
無限の無限のチャンネルという言葉通りにぜんぶ揃っています、神さまがぜんぶ揃えて与えている限りは、後は、それを受けて味う人間の側の全責任になってくるのです。「病気が治るようにいろんなアドバイスがきた」と思えても、これが「神さまの導きか」と思うと、やはり違うのです。本当の神さまの導きというよりも、その番組の中のストーリーを、自分がそういう「番組として見ている」ぐらいです。
-ありがとうございます-
腑に落ちません。神さまが創っているというのが腑に落ちません。暗いマイナスの意識は人間が作っていると思うのです。人間が作っていって、自分も神ですから、人間意識は暗い方を取ってゆくんだけど。神というのは、どの瞬間も輝ける、白にひっくり返せる可能性を持たしているのと違うかなと見えるのですけど、どうでしょうか。
ありがとうございます:
形で決まるというと、本当は「限身」という輝いた神通自在なものを限定して、スッと形に現した姿なのです、全部。だから、無限のチャンネルのすべてが限身なのです。それだともう決まってしまっているのです。永遠の未来まで全部ストーリーも決まってしまって、形も用意されてしまっていると言えるのです。
でもその同じ形を見ていても受け方はいろいろです、人によって。地獄をも輝いて見る人もあるし、苦しいばかりの思いでいる人もあるし、見方はいろいろです。でも、形は変わっていないのです。地獄は地獄の形はあります。
-ありがとうございます-
その時に、神は、地獄に光と闇があるではないですか。神は光を見せよう、見せようとしていると私は理解しているのです。人間意識・エゴが、闇を闇を見つめている。闇を見ているのは人間意識で、神は常に光を見せよう見せようとしているという捉え方をしているのです。
ありがとうございます:
神さまの方は一番輝いた番組もあるし、順番に段階を追って下へゆくほど光の少ない番組です。これはもう仕方ないのです、全部それぞれの番組ですから。それに上と下とを比較したら、上は無限に無限に輝き、下は無限に無限に闇なのです。その違いは絶対あるのです。だから、一番下の闇のほうを神さまが輝かせようとする必要はないのです。形として、そこは闇として、その役割としての形なのです。
ただ、見る人によったら「地獄にもいろんな無限のプラスの役割の姿」として見ることは出来るのです。相対の両極というのは、悪いばかりがマイナスの闇ではないのです。双方がいいように見る立場なのです。だから、与える側があったら、受ける側があるわけです。「受ける側」が悪いかというと、違います。受けるから「与える側が生きる」のです。また、時間と空間というのが相対の両極だったら、どっちもやはりいいです。プラスとマイナスというより、時間という要素も素晴らしいし、空間という要素も素晴らしい。どっちも褒め称えあうだけです。
また人間の「霊と体」というのも、そういうふうにわけると、霊も素晴らしいし、体の方ももっと素晴らしくなってきます。両方が褒め称えあう要素が相対の両極に分かれるのです。「プラスとマイナス」にわかれる相対もあるし、また、「生と死」という相対に分かれるのもあるし、いろんな要素がいろいろなのです。だから、極楽と地獄も、場合によったら地獄も大犠牲精神の愛の極致というふうに見ると、地獄にもそういう大犠牲精神の愛の輝いた世界です。そういう意味だったら大きいプラスも見える番組に逆転するのです。だから、その辺が立場を変えたり、いろんな見方をすると、自由自在に変化する…、それもいいかも知れません。
これからは人がでしゃばる時代ではない
-ありがとうございます-
全国を回られたら、多くの方が「ありがとうございます」の素晴らしさに気付いて、お祈りをする人が増えるんではないかと思うのですが。
ありがとうございます:
これからは人がでしゃばる時代ではないのです。「ありがとうございます」の神さまが前面に出て、みんなを仲良くさせてゆくのです。だから、私は別に「ありがとうございますが素晴らしい」と、私が説いているのではなく、私は「ありがとうございますを唱えて幸せにしてもらった」という小さいひとつの実例をちょっと体験的に述べているぐらいなのです。
皆さんがこれから「ありがとうございます」で素晴らしい体験をいっぱいされるにしても、それを謙虚に「小さい現実なんだ」というぐらいに、そして「ありがとうございます」という神さまを表に・前面に出せばいいかと思うのです、これからは。そしたら、もう争いも一切消えてなくなって、本当の意味の調和した姿が早く実現してきます。そうしたら、もう宗教争いも何もないのです。これからそういう一体化する時代です。私はどんどん奥へ隠れます。はははは。その辺の山に穴を掘って入ります。
ちょっと言葉が足りないのです。「アラーの神」と
-ありがとうございます-
天照大御神は無限の無限の創造主ですか。日本語と外国語ということで、世界方々にいろんな神がありますよね。そういう意味では「あまてらす」イコールというのは?・・・
ありがとうございます:
そうです。ちょっと言葉が足りないのです。「アラーの神」と言ったら似ているのですが、天照大御神を指そうとしているのです。「アラー」と言うだけではちょっと足りないのです。「あまてらす」の方が意味が沢山揃っているのです。
-ありがとうございます-
キリストもそうですか。
ありがとうございます:
そうです。キリストを真理と捉えても「あまてらす」という意味にはちょっと違うのです。一番わかりやすい感じやすい言葉はやはり日本に多いのです。時期的に早く感じとりやすい人は日本に生まれてきています。みんな素質は同じなんだと思いますけど。
外国に住んでいる人は、先ず部分的にしっかり勉強して、それで最後に総括する勉強に入る、という意味で見てゆくと、日本人は先輩になるのです。上級生という感じかも知れません。それが順番にまた日本という学校へ入学してきます。外国にいる人には、立派な指導的な役割をする人が日本に生まれてもいいのに、「外国に生まれて指導者としての役割を果たしている」といったら言える人もあるのです。気持ちの広い大きい人も。
-ありがとうございます-
日本語が世界最古の言葉と言われていて。Tさんのおっしやることからも「成る程」と思うところもあります。時代によって最上級生の地域は変わるんでしょうか。
ありがとうございます:
変わるでしょう。でも、本当の意味の「日本が中心」というのは、この「島国の日本」ということではないのです。「日の本の国」といのは「絶対」なのです。神さまの一番奥、「最高表現」と見た方がいいのです。
そこからいつも全体に必要な知識を送り込んできます。この島国日本の場合は、時代時代で働きが変化するとしたら、日本から世界に広がる時もあって、今度、世界から日本に入る時もあるはずなのです。その両方を繰り返しているかも知れないですから。だから、いつも「日本が上だ」とは言えません。逆に世界の方が上で、子供を育てるように日本を育ててもらっている時期もあるはずなのです。でも、「絶対」という「根本・日の本」は、いつも光を与える側なんで、それは変わらないと思います。
-ありがとうございます-
「皇」が中心になっているのですか?
ありがとうございます:
本当、そうです。「すめら」という言葉が「皇高天原命」で「宇宙の絶対神のすべて」。だから、「ありがとうございます」と同じ意味なのです。天皇陛下を「皇命」という言葉を一部として「宇宙絶対神の御心をそこに大きく体現した人」という意味で「皇命」というのです。これはみんなも宇宙絶対神の心をしっかりと把握して、それを生きている人は、みんな「皇命」なのです。だから、絶対神のことを「皇高天原命」と全体を指す言葉として使うのです。「すめら」というだけではちょっと足りないのですが、ただ長いとちょっと不便なので、「すめら」と軽く簡単な言葉でいうのです。
自分の命を・すべてを全部神さまに
-ありがとうございます-
冊子『感謝がいっぱい』の中の、「自分を求めているところへ与えてゆくのも、自分を必要としているところへ与えてゆくのも、自分を必要として欲しいという求める心も隠されている…。」人の頼まれごとがあります。「はい、喜んで」と。それは自分自身の中に求める心があるのですか。
ありがとうございます:
自分の命を・すべてを全部神さまにお返しするまでは、やはり自我の思い・願いは出るのです。だから「全部神さまに捧げます、お使いください」という形で「全託の行」というのをかなり積み重ねてゆかないと、ちょっと残っているのです、自我の思い・願いというのは。
神さまは自分をどういうふうに使いたいか。一番必要なところで使ってくださるはずなのです。ところが、自我の願いがあると自分が願い通りのところで使ってもらいたい、という気持ちが先に出てきます。大きく使いたいのに「小さく使って欲しい」と言うと神さまは使いにくいのです。だから、「何でも神さまの御心のままに」になっていないのです。やはり「自我の思いのままに」というふうに動かしている可能性があるのです。それだと、本当の意味では行きづまるのです。
-ありがとうございます-
頼まれごとをしまして、やったのですけど、その辺がちょっと引っかかりまして。
ありがとうございます:
どっちだと思われます。
-ありがとうございます-
神さまが「せえ」、言うた。
ありがとうございます:
そうです。
-ありがとうございます-
お前、出来るよ、と。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」をこれだけしっかり唱えている限りは、神計らいで必要なことをさせて頂くのです。それで最高です。(ありがとうございます)ははは。
そのままでいいのです、大丈夫です
-ありがとうございます-
ここにはしょっちゅう来れないと思うのですけど。「ありがとうございます」が基本なのですが、日常生活の中でアドバイスがあれば。
ありがとうございます:
そのままでいいのです、大丈夫です。神さまの護りは無限に無限に大きいですから。その通りで自然でいいのです。「ありがとうございます」のお祈りが出来ない時は、「神さまが代わりにしてくださっている」ぐらいの大きい開き直りでいいのです。
自分というのはどの部分の自分でもいいのです
-ありがとうございます-
人間の構造をちょっと教えていただきたいのです。神・心・体、という捉え方をしているのですけど。もう少し細かく教えていただきたい。
ありがとうございます:
自分というのはどの部分の自分でもいいのですけど。今の自分を中心に置くのです、全体の中心に。神さまの働きが末広がりに同心円的に無限に無限のどこまでもどこまでも広がっています。一番外側が「絶対」というふうに見るのです。
絶対という大光源の中心に今の自分があるのです。他の人もそれぞれ、中心はどれだけあっても大丈夫なのです。「ぜんぶ絶対の中心に置かれて護り守られている」という見方がいいのです。その働きというのは、言葉で現すのは不可能です。無限の無限の働きが複雑に組み合わさって、今の中心にいる自分をありとあらゆるところから、護りに守ってくださっているのです。だから、銀河系の遠いところから星の光も入ってきているのです。どういうふうに入ってきているか考えてもわからのです。でも、宇宙の全部から直接・間接的にありとあらゆるところから入ってきています。
また、肉体というこの人体が小宇宙というふうに見ると、大宇宙と必ず相似形なので、お互いに影響しあっています。だから、複雑な構造が無限の無限の構造としてあるのです。ちょっとわかり辛いのですが、あまり単純化すると余計にわかりにくいのです。無限に無限に複雑でそのままでいいというぐらいが、ありのままを認める生き方かも知れません。
だから、原子一個の顔が違うという見方と、水素原子一個はみな同じだという見方と、どっちが正しいか、といったら、やはり「違う」と言うほうがいいのです。あまり単純化しすぎて「同じ」というふうに見てしまうとまた、それに囚われてしまうとわかりにくくなります。
-ありがとうございます-
人に説明するときにね。
ありがとうございます:
人に説明するとき、でも、わかる人にはわかるので、わからない人にはわからないから。どっちにしても余り、表面を納得させてもわからないのです。思いでいくら「納得した」といっても、すぐけろっと忘れて、また反対のことを言い出します。
でも、感謝の心でちょっと感じたのはもう変わらないのです。理解して納得しているのです。ある時忘れていてもまた思い出すのです。本当はみんな最初から「知っている」という大前提のもとに、必要な時にその自覚がよみがえってきたらいいんだ、というぐらいでいいのです。
「生き物を殺しては駄目」というのも、殺す
-ありがとうございます-
いたるところに神がいる。カメムシもそういった意味ではむやみに殺せないとなるかと思うのですけど。肉食ですが、肉を食べる善悪についてはどうでしょうか。
ありがとうございます:
「生き物を殺しては駄目」というのも、殺す必要のない番組もあっていいです。殺し合いの番組もあってもいいです。でもまた、「殺すという立場ではなしに「命を捧げあう」という立場もいいのです。肉食でもマイナスに見たらマイナスの番組になるのです、プラスに見たらプラスの番組になります。
だから、牛が自分の命を人間に捧げて「どうぞ私の命の活用をはかってください」といって自ら願って食べて欲しいと言ったとしたら、もの凄い大犠牲精神です。愛深い心で、神さまに全託の心です。そうしたら、牛の魂が凄い進化を遂げて、人間を飛び越えて神さまになるかも知れません。そういう番組だったら、そういう牛の捧げてくれる肉を食べるのも素晴らしいゆき方なのです。でも、嫌がるのを殺して無理やり食べてというと、恨みの思いを人が被って、気持ちが荒々しく動物的になるとかという影響を受けてしまうのです。それもいろんな番組に応じての必要性だと思うのです。ここでもカメムシをこういうところへ入れて死ぬのですけど、はははは。
だから、その死に場所をどこに定めるかということです。これも外へ飛んで行ってノタレ死んでもいいのですが。ここへ入れて断食の行をしながら、はははは、お祈りの光を浴びて、最高の神界へ上がるかも知れません。ここでは幸せな番組なのです。だから、別に形に囚われずにプラスに思い返して生かす方法も番組としていいでしょう。
でも、番組としてこのカメムシがたくさん出てきた時に、ここらでも何千、何万と出てくる時もあります。そしたらどうします、それ。カメムシさまさまと拝んでおいといて家の中に入られたら、もうこの中にいっぱい入り込んできたら、そういう時どうします? やはり、早く神さまのところへ戻って欲しい、あはははは。早くお役目終わって帰ってくださいと。その時は、もうカメムシの殺虫剤をバッと掛けて「ありがとうございます」。あっはははは。
-ありがとうございます-
アフリカかどっかで、食物をとりにゆくのに現地の人は刺されないのです。なぜかと聞いたら「君たちの邪魔はしないよ、食べ物が欲しいからそれを取ったら出てゆくから刺さないでね」とお願いしたら刺されないのです。それを聞いて実際入っていったら刺されなかった、という話を聞いたことがあるのですけど。自分の必要でないもの、自分のチャンネルにないものは現れないというお話しがずっとあったので。カメムシがこうやって出てくるというのは、先生じゃなしにここへ来ている者に必要なのですか。
ありがとうございます:
あっはははっはは。
-ありがとうございます-
やはり来ないのですか、来るのですか、来た時はやっばり必要とされとるのですか。
ありがとうございます:
カメムシが必要としてきます。
-ありがとうございます-
小さい小蝿が網戸越しに入ってきて、「ありがとうございます」でスプレーをかけたのです。虫は殺さないので、いつもは出て行ってもらうのですけど、大量に下へ落ちたのを見ると心の中がなんか二・三日悩んでました。
ありがとうございます:
私はカメムシは必要としていないのですが、カメムシが悟りを開きたいと言ってたくさん飛んでくるのです。それで蝿叩きで、これで一巻の終わりです。はははは。
だから、別に形ではないのです。丁度、弘法大師がいのししの肉を食べた時に一緒にいた坊さんが、「お前はいのししの肉を食べた」と責めるのです。でも、弘法大師は「食べていない」と言うのです。「わしは食べていないんだ」と、そして「吐き比べしようか」というと、責めた方の坊さんの口から吐き出したのがいのししの肉なのです。弘法大師からは出てこないのです、何も。
だから、心で掴んでいないのです。いのししの命を自分は頂いただけだと、殺生していないのです。私もカメムシを救っただけです。あはははは。もう、ここで死ぬか他で死ぬかです。寿命が来たら死にます。最後の最後に「ありがとうございます」のお祈りにふれて死ぬ方が・・・。そのために遠いところから飛んできているかも知れません。それも必要なだけ昇天して頂くのです。
-ありがとうございます-
いろいろお話しをうかがって今の点だけは腑に落ちません。
ありがとうございます:
そうですか。あっはははは。
神さまとの一体感なのです。離れているという
-ありがとうございます-
「悟り」というのはどういう感じなのですか、段階もあるでしょうけど。
ありがとうございます:
神さまとの一体感なのです。離れているというのが差がある状態で、離れているという感覚がどんどん取られてしまうと「悟り」は、「神さまと一体である」という意味なのです。本当はすべてが一体だったら、カメムシを殺しても自分で自分の命を必要ないから神さまの世界へ戻します、という感覚でいいのです、はははは。
-ありがとうございます-
まだもうちょっと。
ありがとうございます:
あっははははは。いろんな虫がいます。ここらでもモリアオガエルが卵を産みにきて蚊が少ないのです。ブト(ブユ・ブヨ)というのです、最初の年は多かったのです。みんな刺されて噛まれていっばい腫らしていましたから。それがどんどん減るのです、モリアオガエルが増えることによって。最初はブトなんかに噛まれたら相当腫れますから。作業していて大変なのです、殺虫剤バァ〜〜〜ツとやっては追い払い殺していたのです。それも必要あってする、しかなかった、最初は。段々とモリアオガエルが食べてくださる。はははは。そしたら別に殺虫剤で殺さなくても済む、という一面はだいぶあるのです。
でも、どっちがいいかと考えると、モリアオガエルが食べると「ご馳走様」といって食べるかも知れません。殺虫剤をかけるほうは「ありがとうございます」とお祈りしているかも知れません。だから、虫にとってどっちが幸せかなと。まだちょっとモリアオガエルは「ありがとうございます」まではゆかないかもしれません。ほんとにカメムシが異常繁殖の時があります。それもやはり人類の思いがそういう形で、そういう異常繁殖の形をとるときがあります。だから、それを消すのもそれぞれの人が打ち消さなければなりません。
-ありがとうございます-
その意識のお話しですけど。カメムシの意識もあるでしょうし、人間・動物・植物・鉱物、すべて意識を持っている。意識の差というのは、レベルの差というのか、それはどういう。
ありがとうございます:
ランクがあるのです。どれだけ神さまの大きい意識に近いか。人間はやっばり万物の霊長というだけ、一番神さまの意識に近いのです。動物よりは昆虫の方がレベルは低いと思います。植物はもっとある意味では低いかも知れない。
その低い意識を高める方法もいろいろでしょうけど。命を捧げることによって大きく進化するという一面もあります。だからカメムシが異常繁殖して、人類の業をいっぱい背負ってきて、その業も消してもらいながら、命を捧げて大きく進化をはかるという時に、こういうところを選ぶのです。
あっはっはっはははは。
-ありがとうございます-
それでしたら、人間は一番神に近い意識を全体的には持っておるのですけど。鉱物の中でも、あるものは人間と同じ意識の入ってるものも?
ありがとうございます:
あります。だからいろんな例があっていろいろなのです。石ころの方が人間の意識よりはるかに高い場合もあります。カメムシも悟った神さまもいるかも知れないのです。