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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち No.2



       寿命じゅみょう必要ひつようあってそういう寿命じゅみょうになっているのです

-ありがとうございます-
 肉体にくたいとしてはいのちにはかぎりがありますね。百二十五ひゃくにじゅうごさいぐらいと、五十・六十ごじゅうろくじゅっさいぐらいとのちがいはどういうふうにればいいのですか。

ありがとうございます:
 寿命じゅみょう必要ひつようあってそういう寿命じゅみょうになっているのです。いま地球ちきゅうのレベルでも、たとえば人口じんこうひゃくばいにもなったらきてゆけません。だから程々ほどほど人口じんこうととのえてバランスをとってくださるのです。ただ、この地球ちきゅうのいくつかのチャンネルのはばなかでのうごきです。日本にほんでもそうです、食糧しょくりょうすくないとき三千さんせんまんにん四千よんせんまんにんです。外国がいこくから食料しょくりょうはいってくるといちおくえてもいいのです。

-ありがとうございます-
 アメリカなんかはがんひとおおいのです。それもやっばりかみさまにあたえられた寿命じゅみょうなのですか?

ありがとうございます:
 いや、いや、それも本人ほんにんえらぶのです。どの番組ばんぐみをどの寿命じゅみょうえらんでいるかというのは、一人一人ひとりひとり責任せきにんえらんでめているのです。本当ほんとうはこのちかいところは理想りそう百二十五ひゃくにじゅうごさいというのですけど、もっとちょっとたか番組ばんぐみになると寿命じゅみょう何千なんぜんさいです、肉体にくたいちながら。もっとたかいともっと伸び伸の  のびと自由じゆう長生ながいきできるのです。それでとしをとればとるほどわかくなる、老化ろうかがないのです。だから、番組ばんぐみによったらぜんぜんちが寿命じゅみょう表現ひょうげんがあるのです。

-ありがとうございます-
 そうすると私達わたくしたちはそのせまなかの。

ありがとうございます:
 そう。そのなかでまたこまかくけるといろいろあるのです。だから、その寿命じゅみょうみじかくしてわるひとも、ながくしてわるひともいろいろです。それも必要性ひつようせいまるのです。だから、長生ながいきしたからいいのではないのです。「勉強べんきょうをしのこしているから、ちょっと長生ながいきして勉強べんきょうしなさい」というのもあるのです。早死はやじにするのもそうです、「この一生いっしょうぶんわったからもっといいところゆきなさい」というのもあるのです。

-ありがとうございます-
 人生じんせい卒業式そつぎょうしきだとおもうのです。あとわたくし卒業式そつぎょうしきまでいくつかこなさないといけないのかな、とおもってるのです。

ありがとうございます:
 まあ、それもひとつの考え方かんが  かたなのです、卒業式そつぎょうしきという考え方かんが  かたも。でも、卒業式そつぎょうしきなしで、はや勉強べんきょううつひともあるのです。途中とちゅうで「もっといとこへ」と移動いどうさせてもらうと卒業そつぎょうではないのです。一番いちばんやはりいとこへいとこへゆくのです。必要ひつようなとこへ、必要ひつようなとこへと。卒業そつぎょうでも転入てんにゅうでもいいのです、落第らくだいしてもうひとつ年数ねんすうかさねてもいいのです。それも一番いちばんいい方法ほうほうだったら必要ひつようで、そのほうがいいのです。
 だから、一番いちばんいいようにはからってもらってるというようにて、それも自分じぶんひとりのかんがえでめるのではなく、かみさまがまわりがぜんぶ自分じぶんのことをくわしくていて、それで一番いちばんいい方法ほうほうあたつづけてくださっているのです。

-ありがとうございます-
 条件じょうけんととのったらそっちへったほうがいいわけですか?

ありがとうございます:
 それも自然しぜんに、自然しぜん一番いちばんいいほうへいいほうへゆくのです。


      「ありがとうございます」を全員(ぜんいん)(とな)えても、地獄(じごく)

-ありがとうございます-
 チャンネルのお(はな)しなのですが。パラレルワールド(平行世界(へいこうせかい)多元宇宙(たげんうちゅう))というチャンネルの世界(せかい)があって、(いま)()えている現象(げんしょう)ではなくて、極楽(ごくらく)みたいな地球(ちきゅう)があって、地獄(じごく)みたいな地球(ちきゅう)があって、それがみんな同時平行(どうじへいこう)にあるという(はな)しがあるのです。(あるのです。)未来(みらい)がどうなるというのもあるのですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を全員(ぜんいん)(とな)えても、地獄(じごく)はずうっと永遠(えいえん)存在(そんざい)(つづ)けて、ただ、「ありがとうございます」を(とな)えている(ひと)にとったら、地獄番組(じごくばんぐみ)(かみ)さまの最高傑作(さいこうけっさく)のひとつとして(あじ)わえるのです、「必要な番組(ひつよう  ばんぐみ)」とわかるのです。
 「ただ(くる)しいばっかり」というような見方(みかた)をしなくなるのです。「地獄の石(じごく  いし)ころも(ががや)いている」というぐらい、どんな悪役の姿(わるやく  すがた)も「名演技(めいえんぎ)なんだ」という見方(みかた)ができるのです。(ホラー映画(えいが)をみてるようで、(たの)しんでるような。)そうです。こういうのを演技(えんぎ)できる俳優(はいゆう)さんは名優(めいゆう)だなあと。

-ありがとうございます-
 Fさんなんかは地球(ちきゅう)レベルで変革(へんかく)することをおっしゃっていますし、Sさんも()くしていこうとしておられますし。先生(せんせい)(ほう)からはそういう情報(じょうほう)はあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 多分(たぶん)にみんなひとつの番組(ばんぐみ)(なか)にはまり()んでいます。はまり()んだ(ひと)如何(いか)番組(ばんぐみ)(そと)()()して、そして、より()番組(ばんぐみ)(ほう)(こころ)()けさせるかという方法(ほうほう)・テクニックはいろんなのがあるのでしょうが。

-ありがとうございます-
 案外(あんがい)みんな(こわ)いもの()たさというのがある。

ありがとうございます:
 それもあるでしょう。

-ありがとうございます-
 嫌々(いやいや)いいながら()ている?

ありがとうございます:
 そういう番組(ばんぐみ)(ひと)によったらあります。戦争番組(せんそうばんぐみ)ばかり趣味(しゅみ)()(ひと)もあります。それぞれにいろんないきかたがあっていいんだと(おも)います。どれが()(わる)いではなく、みんな必要(ひつよう)あってそういう方法(ほうほう)があるのです。
 だから、本当に自分(ほんとう  じぶん)必要(ひつよう)なものを的確(てっかく)(あた)(つづ)けてもらって、いろんな体験(たいけん)勉強(べんきょう)しながら、もし必要(ひつよう)だったらもっと番組(ばんぐみ)()がるように最短(さいたん)コースを(あゆ)めるようにしてもらっていると(おも)うのです。ひとつだけの方法(ほうほう)というのはないのです、沢山(たくさん)あります、同時(どうじ)に。

-ありがとうございます-
 こういういろんな問題(もんだい)(かみ)さまが(あた)えてくるのですか。それとも自分(じぶん)(えら)んでいるのですか。

ありがとうございます:
 (かみ)さまが(あた)えていると()えば、すべてのチャンネルを(つく)って(あた)えている、と()けた(ほう)がいいのです。(かみ)さまは強制的(きょうせいてき)に「この番組(ばんぐみ)()なさい」とは()われていません。どれを(えら)んで()るかは(ひと)(がわ)自由と責任(じゆう  せきにん)(ともな)ったいきかたです。自分(じぶん)()きなものを(えら)んで()ているのです。

 だから、(かみ)さまがどうのこうのとは()えないのです。その(かみ)さまが「(つく)(そこ)ないをしているか」、絶対(ぜったい)そんなことはないのです。すべてを()くした表現(ひょうげん)ですから、「ないものはひとつとしてない」のです、もう全部(ぜんぶ)(そろ)っているのです。「まだこれが()りませんよ」ということは絶対(ぜったい)()えない、全部(ぜんぶ)あるのです、本当(ほんとう)に。
 無限の無限(むげん  むげん)のチャンネルという言葉(ことば)(どお)りにぜんぶ(そろ)っています、(かみ)さまがぜんぶ(そろ)えて(あた)えている(かぎ)りは、(あと)は、それを()けて(あじわ)人間の側(にんげん  がわ)全責任(ぜんせきにん)になってくるのです。「病気(びょうき)(なお)るようにいろんなアドバイスがきた」と(おも)えても、これが「(かみ)さまの(みちび)きか」と(おも)うと、やはり(ちが)うのです。本当(ほんとう)(かみ)さまの(みちび)きというよりも、その番組(ばんぐみ)(なか)のストーリーを、自分(じぶん)がそういう「番組(ばんぐみ)として()ている」ぐらいです。

-ありがとうございます-
 ちません。かみさまがつくっているというのがちません。くらいマイナスの意識いしき人間にんげんつくっているとおもうのです。人間にんげんつくっていって、自分じぶんかみですから、人間にんげん意識いしきくらほうってゆくんだけど。かみというのは、どの瞬間しゅんかんかがやける、しろにひっくりかえせる可能性かのうせいたしているのとちがうかなとえるのですけど、どうでしょうか。

ありがとうございます:
 かたちまるというと、本当ほんとうは「かぎり」というかがやいた神通じんつう自在じざいなものを限定げんていして、スッとかたちあらわした姿すがたなのです、全部ぜんぶ。だから、無限むげんのチャンネルのすべてがかぎりなのです。それだともうまってしまっているのです。永遠えいえん未来みらいまで全部ぜんぶストーリーもまってしまって、かたち用意よういされてしまっているとえるのです。
 でもそのおなかたちていても受け方う  かたはいろいろです、ひとによって。地獄じごくをもかがやいてひともあるし、しいばかりのおもいでいるひともあるし、見方みかたはいろいろです。でも、かたちわっていないのです。地獄じごく地獄じごくかたちはあります。

-ありがとうございます-
 そのときに、かみは、地獄じごくひかりやみがあるではないですか。かみひかりせよう、せようとしているとわたくし理解りかいしているのです。人間にんげん意識いしき・エゴが、やみやみつめている。やみているのは人間にんげん意識いしきで、かみつねひかりせようせようとしているというとらかたをしているのです。

ありがとうございます:
 かみさまのほう一番いちばんかがやいた番組ばんぐみもあるし、順番じゅんばん段階だんかいってしたへゆくほどひかりすくない番組ばんぐみです。これはもう仕方しかたないのです、全部ぜんぶそれぞれの番組ばんぐみですから。それにうえしたとを比較ひかくしたら、うえ無限むげん無限むげんかがやき、した無限むげん無限むげんやみなのです。そのちがいは絶対ぜったいあるのです。だから、一番いちばんしたやみのほうをかみさまがかがやかせようとする必要ひつようはないのです。かたちとして、そこはやみとして、その役割やくわりとしてのかたちなのです。

 ただ、ひとによったら「地獄じごくにもいろんな無限むげんのプラスの役割やくわり姿すがた」としてることは出来できるのです。相対そうたい両極りょうきょくというのは、わるいばかりがマイナスのやみではないのです。双方そうほうがいいように立場たちばなのです。だから、あたえるがわがあったら、けるがわがあるわけです。「けるがわ」がわるいかというと、ちがいます。けるから「あたえるがわきる」のです。また、時間じかん空間くうかんというのが相対そうたい両極りょうきょくだったら、どっちもやはりいいです。プラスとマイナスというより、時間じかんという要素ようそ素晴すばらしいし、空間くうかんという要素ようそ素晴すばらしい。どっちも褒め称ほ  たたえあうだけです。

 また人間にんげんの「れいたい」というのも、そういうふうにわけると、れい素晴すばらしいし、たいほうももっと素晴すばらしくなってきます。両方りょうほう褒め称ほ たたえあう要素ようそ相対そうたい両極りょうきょくかれるのです。「プラスとマイナス」にわかれる相対そうたいもあるし、また、「せい」という相対そうたいかれるのもあるし、いろんな要素ようそがいろいろなのです。だから、極楽ごくらく地獄じごくも、場合ばあいによったら地獄じごくだい犠牲ぎせい精神せいしんあい極致きょくちというふうにると、地獄じごくにもそういうだい犠牲ぎせい精神せいしんあいかがやいた世界せかいです。そういう意味いみだったらおおきいプラスもえる番組ばんぐみ逆転ぎゃくてんするのです。だから、そのへん立場たちばえたり、いろんな見方みかたをすると、自由自在じゆうじざい変化へんかする…、それもいいかもれません。


     これからはひとがでしゃばる時代じだいではない

-ありがとうございます-
 全国ぜんこくまわられたら、おおくのかたが「ありがとうございます」の素晴すばらしさに気付きづいて、おいのりをするひとえるんではないかとおもうのですが。

ありがとうございます:
 これからはひとがでしゃばる時代じだいではないのです。「ありがとうございます」のかみさまが前面ぜんめんて、みんなを仲良なかよくさせてゆくのです。だから、わたくしべつに「ありがとうございますが素晴すばらしい」と、わたくしいているのではなく、わたくしは「ありがとうございますをとなえてしあわせにしてもらった」というちいさいひとつの実例じつれいをちょっと体験たいけんてきべているぐらいなのです。

 みなさんがこれから「ありがとうございます」で素晴すばらしい体験たいけんをいっぱいされるにしても、それを謙虚けんきょに「ちいさい現実げんじつなんだ」というぐらいに、そして「ありがとうございます」というかみさまをおもてに・前面ぜんめんせばいいかとおもうのです、これからは。そしたら、もうあらそいも一切いっさいえてなくなって、本当ほんとう意味いみ調和ちょうわした姿すがたはや実現じつげんしてきます。そうしたら、もう宗教しゅうきょうあらそいもなにもないのです。これからそういう一体化いったいかする時代じだいです。わたくしはどんどんおくかくれます。はははは。そのへんやまあなってはいります。



       ちょっとことりないのです。「アラーのかみ」と

-ありがとうございます-
 あまてらすおおかみげんげんそうぞうしゅですか。ほんがいこくということで、かいほうぼうにいろんなかみがありますよね。そういうでは「あまてらす」イコールというのは?・・・

ありがとうございます:
 そうです。ちょっとことりないのです。「アラーのかみ」とったらているのですが、あまてらすおおかみそうとしているのです。「アラー」とうだけではちょっとりないのです。「あまてらす」のほうたくさんそろっているのです。

-ありがとうございます-
 キリストもそうですか。

ありがとうございます:
 そうです。キリストをしんとらえても「あまてらす」というにはちょっとちがうのです。いちばんわかりやすいかんじやすいことはやはりほんおおいのです。てきはやかんじとりやすいひとほんまれてきています。みんなしつおなじなんだとおもいますけど。
 がいこくんでいるひとは、ぶんてきにしっかりべんきょうして、それでさいそうかつするべんきょうはいる、というてゆくと、ほんじんせんぱいになるのです。じょうきゅうせいというかんじかもれません。それがじゅんばんにまたほんというがっこうにゅうがくしてきます。がいこくにいるひとには、りっどうてきやくわりをするひとほんまれてもいいのに、「がいこくまれてどうしゃとしてのやくわりたしている」といったらえるひともあるのです。ちのひろおおきいひとも。

-ありがとうございます-
 ほんかいさいことわれていて。Tさんのおっしやることからも「ほど」とおもうところもあります。だいによってさいじょうきゅうせいいきわるんでしょうか。

ありがとうございます:
 わるでしょう。でも、ほんとうの「ほんちゅうしん」というのは、この「しまぐにほん」ということではないのです。「もとくに」といのは「ぜったい」なのです。かみさまのいちばんおく、「さいこうひょうげん」とほうがいいのです。
 そこからいつもぜんたいひつようしきおくんできます。このしまぐにほんあいは、だいだいはたらきがへんするとしたら、ほんからかいひろがるときもあって、こんかいからほんはいときもあるはずなのです。そのりょうほうかえしているかもれないですから。だから、いつも「ほんうえだ」とはえません。ぎゃくかいほううえで、どもそだてるようにほんそだててもらっているもあるはずなのです。でも、「ぜったい」という「こんぽんもと」は、いつもひかりあたえるがわなんで、それはわらないとおもいます。

-ありがとうございます-
 「すめら」がちゅうしんになっているのですか?

ありがとうございます:
 ほんとう、そうです。「すめら」ということが「すめ(たか)(あま)(はら)(みこと)」で「ちゅうぜったいしんのすべて」。だから、「ありがとうございます」とおななのです。てんのうへいを「すめらみこと」ということいちとして「ちゅうぜったいしんこころをそこにおおきくたいげんしたひと」というで「すめらみこと」というのです。これはみんなもちゅうぜったいしんこころをしっかりとあくして、それをきているひとは、みんな「すめらみこと」なのです。だから、ぜったいしんのことを「すめ(たか)(あま)(はら)(みこと)」とぜんたいこととして使つかうのです。「すめら」というだけではちょっとりないのですが、ただながいとちょっと便べんなので、「すめら」とかるかんたんことでいうのです。


    ぶんいのちを・すべてをぜんかみさまに

-ありがとうございます-
 さっかんしゃがいっぱい』のなかの、「ぶんもとめているところへあたえてゆくのも、ぶんひつようとしているところへあたえてゆくのも、ぶんひつようとしてしいというもとめるこころかくされている…。」ひとたのまれごとがあります。「はい、よろこんで」と。それはぶんしんなかもとめるこころがあるのですか。

ありがとうございます:
 ぶんいのちを・すべてをぜんかみさまにおかえしするまでは、やはりおもい・ねがいはるのです。だから「ぜんかみさまにささげます、お使つかいください」というかたちで「ぜんたくぎょう」というのをかなりかさねてゆかないと、ちょっとのこっているのです、おもい・ねがいというのは。

 かみさまはぶんをどういうふうに使つかいたいか。いちばんひつようなところで使つかってくださるはずなのです。ところが、ねがいがあるとぶんねがどおりのところで使つかってもらいたい、というちがさきてきます。おおきく使つかいたいのに「ちいさく使つかってしい」とうとかみさまは使つかいにくいのです。だから、「なんでもかみさまのこころのままに」になっていないのです。やはり「おもいのままに」というふうにうごかしているのうせいがあるのです。それだと、ほんとうではきづまるのです。

-ありがとうございます-
 たのまれごとをしまして、やったのですけど、そのへんがちょっとっかかりまして。

ありがとうございます:
 どっちだとおもわれます。

-ありがとうございます-
 かみさまが「せえ」、うた。

ありがとうございます:
 そうです。

-ありがとうございます-
 おまえるよ、と。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」をこれだけしっかりとなえているかぎりは、かみはからいでひつようなことをさせていただくのです。それでさいこうです。(ありがとうございます)ははは。



       そのままでいいのです、だいじょうです

-ありがとうございます-
 ここにはしょっちゅうれないとおもうのですけど。「ありがとうございます」がほんなのですが、にちじょうせいかつなかでアドバイスがあれば。

ありがとうございます:
 そのままでいいのです、だいじょうです。かみさまのまもりはげんげんおおきいですから。そのとおりでぜんでいいのです。「ありがとうございます」のおいのりがないときは、「かみさまがわりにしてくださっている」ぐらいのおおきいひらなおりでいいのです。

  
       ぶんというのはどのぶんぶんでもいいのです

-ありがとうございます-
 にんげんこうぞうをちょっとおしえていただきたいのです。かみこころからだ、というとらかたをしているのですけど。もうすここまかくおしえていただきたい。

ありがとうございます:
 ぶんというのはどのぶんぶんでもいいのですけど。いまぶんちゅうしんくのです、ぜんたいちゅうしんに。かみさまのはたらきがすえひろがりにどうしんえんてきげんげんのどこまでもどこまでもひろがっています。いちばんそとがわが「ぜったい」というふうにるのです。
 ぜったいというだいこうげんちゅうしんいまぶんがあるのです。ひともそれぞれ、ちゅうしんはどれだけあってもだいじょうなのです。「ぜんぶぜったいちゅうしんかれてまもまもられている」というかたがいいのです。そのはたらきというのは、ことあらわすのはのうです。げんげんはたらきがふくざつわさって、いまちゅうしんにいるぶんをありとあらゆるところから、まもりにまもってくださっているのです。だから、ぎんけいとおいところからほしひかりはいってきているのです。どういうふうにはいってきているかかんがえてもわからのです。でも、ちゅうぜんからちょくせつかんせつてきにありとあらゆるところからはいってきています。
 また、にくたいというこのじんたいしょうちゅうというふうにると、だいちゅうかならそうけいなので、おたがいにえいきょうしあっています。だから、ふくざつこうぞうげんげんこうぞうとしてあるのです。ちょっとわかりづらいのですが、あまりたんじゅんするとけいにわかりにくいのです。げんげんふくざつでそのままでいいというぐらいが、ありのままをみとめるかたかもれません。
 だから、げんいっかおちがうというかたと、すいげんいっはみなおなじだというかたと、どっちがただしいか、といったら、やはり「ちがう」とうほうがいいのです。あまりたんじゅんしすぎて「おなじ」というふうにてしまうとまた、それにとらわれてしまうとわかりにくくなります。

-ありがとうございます-
 ひとせつめいするときにね。

ありがとうございます:
 ひとせつめいするとき、でも、わかるひとにはわかるので、わからないひとにはわからないから。どっちにしてもあまり、ひょうめんなっとくさせてもわからないのです。おもいでいくら「なっとくした」といっても、すぐけろっとわすれて、またはんたいのことをします。
 でも、かんしゃこころでちょっとかんじたのはもうわらないのです。かいしてなっとくしているのです。あるときわすれていてもまたおもすのです。ほんとうはみんなさいしょから「っている」というだいぜんていのもとに、ひつようときにそのかくがよみがえってきたらいいんだ、というぐらいでいいのです。

         「ものころしては」というのも、ころ

-ありがとうございます-
 いたるところにかみがいる。カメムシもそういったではむやみにころせないとなるかとおもうのですけど。にくしょくですが、にくべるぜんあくについてはどうでしょうか。

ありがとうございます:
 「ものころしては」というのも、ころひつようのないばんぐみもあっていいです。ころいのばんぐみもあってもいいです。でもまた、「ころすというたちではなしに「いのちささげあう」というたちもいいのです。にくしょくでもマイナスにたらマイナスのばんぐみになるのです、プラスにたらプラスのばんぐみになります。
 だから、うしぶんいのちにんげんささげて「どうぞわたくしいのちかつようをはかってください」といってみずかねがってべてしいとったとしたら、ものすごだいせいせいしんです。あいぶかこころで、かみさまにぜんたくこころです。そうしたら、うしたましいすごしんげて、にんげんえてかみさまになるかもれません。そういうばんぐみだったら、そういううしささげてくれるにくべるのもらしいゆきかたなのです。でも、いやがるのをころしてやりべてというと、うらみのおもいをひとかぶって、ちがあらあらしくどうぶつてきになるとかというえいきょうけてしまうのです。それもいろんなばんぐみおうじてのひつようせいだとおもうのです。ここでもカメムシをこういうところへれてぬのですけど、はははは。
 だから、そのしょをどこにさだめるかということです。これもそとんでってノタレんでもいいのですが。ここへれてだんじきぎょうをしながら、はははは、おいのりのひかりびて、さいこうしんかいがるかもれません。ここではしあわせなばんぐみなのです。だから、べつかたちとらわれずにプラスにおもかえしてかすほうほうばんぐみとしていいでしょう。
 でも、ばんぐみとしてこのカメムシがたくさんてきたときに、ここらでもなんぜんなんまんてくるときもあります。そしたらどうします、それ。カメムシさまさまとおがんでおいといていえなかはいられたら、もうこのなかにいっぱいはいんできたら、そういうときどうします? やはり、はやかみさまのところへもどってしい、あはははは。はやくおやくわってかえってくださいと。そのときは、もうカメムシのさっちゅうざいをバッとけて「ありがとうございます」。あっはははは。

-ありがとうございます-
 アフリカかどっかで、しょくもつをとりにゆくのにげんひとされないのです。なぜかといたら「きみたちのじゃはしないよ、ものしいからそれをったらてゆくからさないでね」とおねがいいしたらされないのです。それをいてじっさいはいっていったらされなかった、というはなしいたことがあるのですけど。ぶんひつようでないもの、ぶんのチャンネルにないものはあらわれないというおはなしがずっとあったので。カメムシがこうやっててくるというのは、せんせいじゃなしにここへているものひつようなのですか。

ありがとうございます:
 あっはははっはは。

-ありがとうございます-
 やはりないのですか、るのですか、ときはやっばりひつようとされとるのですか。

ありがとうございます:
 カメムシがひつようとしてきます。

-ありがとうございます-
 ちいさいばえあみしにはいってきて、「ありがとうございます」でスプレーをかけたのです。むしころさないので、いつもはってもらうのですけど、たいりょうしたちたのをるとこころなかがなんかさんにちなやんでました。

ありがとうございます:
 わたくしはカメムシはひつようとしていないのですが、カメムシがさとりをひらきたいとってたくさんんでくるのです。それではえたたきで、これでいっかんわりです。はははは。
 だから、べつかたちではないのです。ちょうこうぼうだいがいのししのにくべたときいっしょにいたぼうさんが、「おまえはいのししのにくべた」とめるのです。でも、こうぼうだいは「べていない」とうのです。「わしはべていないんだ」と、そして「くらべしようか」というと、めたほうぼうさんのくちからしたのがいのししのにくなのです。こうぼうだいからはてこないのです、なにも。
 だから、こころつかんでいないのです。いのししのいのちぶんいただいただけだと、せっしょうしていないのです。わたくしもカメムシをすくっただけです。あはははは。もう、ここでぬかほかぬかです。寿じゅみょうたらにます。さいさいに「ありがとうございます」のおいのりにふれてほうが・・・。そのためにとおいところからんできているかもれません。それもひつようなだけしょうてんしていただくのです。

-ありがとうございます-
 いろいろおはなしをうかがっていまてんだけはちません。

ありがとうございます:
 そうですか。あっはははは。


       かみさまとのいったいかんなのです。はなれているという

-ありがとうございます-
 「さとり」というのはどういうかんじなのですか、だんかいもあるでしょうけど。

ありがとうございます:
 かみさまとのいったいかんなのです。はなれているというのががあるじょうたいで、はなれているというかんかくがどんどんられてしまうと「さとり」は、「かみさまといったいである」というなのです。ほんとうはすべてがいったいだったら、カメムシをころしてもぶんぶんいのちひつようないからかみさまのかいもどします、というかんかくでいいのです、はははは。

-ありがとうございます-
 まだもうちょっと。

ありがとうございます:
 あっははははは。いろんなむしがいます。ここらでもモリアオガエルがたまごみにきてすくないのです。ブト(ブユ・ブヨ)というのです、さいしょとしおおかったのです。みんなされてまれていっばいらしていましたから。それがどんどんるのです、モリアオガエルがえることによって。さいしょはブトなんかにまれたらそうとうれますから。ぎょうしていてたいへんなのです、さっちゅうざいバァ〜〜〜ツとやってははらころしていたのです。それもひつようあってする、しかなかった、さいしょは。だんだんとモリアオガエルがべてくださる。はははは。そしたらべつさっちゅうざいころさなくてもむ、といういちめんはだいぶあるのです。
 でも、どっちがいいかとかんがえると、モリアオガエルがべると「ごそうさま」といってべるかもれません。さっちゅうざいをかけるほうは「ありがとうございます」とおいのりしているかもれません。だから、むしにとってどっちがしあわせかなと。まだちょっとモリアオガエルは「ありがとうございます」まではゆかないかもしれません。ほんとにカメムシがじょうはんしょくときがあります。それもやはりじんるいおもいがそういうかたちで、そういうじょうはんしょくかたちをとるときがあります。だから、それをすのもそれぞれのひとさなければなりません。


-ありがとうございます-
 そのしきのおはなしですけど。カメムシのしきもあるでしょうし、にんげんどうぶつしょくぶつこうぶつ、すべてしきっている。しきというのは、レベルのというのか、それはどういう。

ありがとうございます:
 ランクがあるのです。どれだけかみさまのおおきいしきちかいか。にんげんはやっばりばんぶつれいちょうというだけ、いちばんかみさまのしきちかいのです。どうぶつよりはこんちゅうほうがレベルはひくいとおもいます。しょくぶつはもっとあるではひくいかもれない。
 そのひくしきたかめるほうほうもいろいろでしょうけど。いのちささげることによっておおきくしんするといういちめんもあります。だからカメムシがじょうはんしょくして、じんるいごうをいっぱいってきて、そのごうしてもらいながら、いのちささげておおきくしんをはかるというときに、こういうところをえらぶのです。
あっはっはっはははは。

-ありがとうございます-
 それでしたら、にんげんいちばんかみちかしきぜんたいてきにはっておるのですけど。こうぶつなかでも、あるものはにんげんおなしきはいってるものも?

ありがとうございます:
 あります。だからいろんなれいがあっていろいろなのです。いしころのほうにんげんしきよりはるかにたかあいもあります。カメムシもさとったかみさまもいるかもれないのです。
              


ありがとうございます
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