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()(いの)(ぶん)()

2001年5月3日-1


100チャンネルだけをているときもあります

-ありがとうございます-
 (ばんぐみはなしせんせいはチャンネルの1チャンネルから100チャンネルのぜんていらっしゃるのか、それとも100チャンネルだけをていらっしゃるのか?

ありがとうございます:
 100チャンネルだけをているときもありますし、けんきょけんきょになって、いちばんしたからぜんあおようとしているときもあります。もう、なにもかもプラスでたい、ごくばんぐみもプラスでたいのです。りょうほうあります、でもなかなかぜんきれないのです。なかなかけんきょになりがたいのです、やはりほんとうごくつうあじわうのはたいへんです。みなぶんわりになってマイナスをってくださっている姿すがたあい姿すがたおもっても、じっさいそのまえつとくるしい、いたいがさきつのです。でもしたからげたいのです。どこまでもどこまでもしたがあるみたいで・・・。ありがとうございます。

-ありがとうございます-
 (「ありがとうございます」とひびきのている)「おめでとうございます」というのはことだまてきにはどうなんでしょうか?

ありがとうございます:
 よくているのです、そっくりなくらいに。おしょうがつの「おめでとうございます」もすごいことです、あらたになおことなのです。「お」はおおきいというだったら、げんげんだいそんざいというふうにとらえられますし。「め」はえる姿すがたあらわれたすべてをとらえることです、ぜったいからあらわれるぜんというです。「で」はかがやく、それがだぶっているというふうにると、かがやかがやき、げんげんかがやいたということです。「とう」は「ありがとう」の「とう」といっしょです。
 だから、おなじとってもいいくらい、いいことです、「ありがとう」と「おめでとう」は。こういうらしいことほんにしかいらしいのです。ありがたいことだとおもいます。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」も「おめでとうございます」もこれからたくさん使つかわせてもらおうとおもいます。

ありがとうございます:
 そうです。「あけまして」ということもいいです、「しんねん」というのも、つねあらたにあらたにと、いいことがいっぱいです、うれしいです。

-ありがとうございます-
 (ここのったおかねなどせんせいのおかねどころは・・・?

ありがとうございます:
 どこからはいってくるんでしょう。このへんからさっとはいってくるといいのですけど、ひつようときに、すっとおかねってきてくださるのです、そのたら。わたくしなんにもおもっていなくても、なにでこんなおはいってくるの?とおもうのですが、そのすぐあとはなしるのです。もう、ゆうなにいのです、やはりはいかみさまが、おかげさまがはたらいてくださるみたいです。だからわたくしけいかくなにもしていないのに、むこうのほうから、むこうのかいけいかくしてうごいてくださるかみさまがいっぱいいるようです。そうでないと、ぴたっときんがくうことはいでしょう。だから、ひつようなだけしかはいってこないですが、それがぴったりのきんがくなのでなのです。
 めんどうなければ可哀想かわいそうおもってくださるのかかりませんけど、(そのひつようぶんは)かみさまのけいかくではひつようなのです。それでかみさまのせきにんのもとにいろんなかみさまを使つかわれておうえんしてくださるのだとおもいます。それでなかったらこういうところでは、だいわってもぜんぜんすすみません。まず、このへんがいっぱいえていて、でんちゅうぽんててくれるいうこともぜったいいのです、りだすときじゃになるからです。このまえやまでもそうなのですけど、しんりんくみあいとかやましょゆうしゃかんしているんで、ぜったいつくらせないのです。それがせきみたいにでんちゅうったのですから。だからすべてがそういうふうに、せきれんぞくです、かみわざみたいなかんじで。けんちくせいてんでも、ぶんなおかねぜんぜんかからずにゆうてさせてもらえました。ぜんうまくいっているのです、(あいがわに)かみさまがかくししてくれたのかもしれません。むこうの宿しゅくはくせつもそうです、かんがえられない、ほんとうせきみたいです。だれくちふうじしたのかというかんじです、じょうかみさまがあやつってるのかもしれません。

-ありがとうございます-
 ひとるかどうかもからないてんでこのような宿しゅくはくせつてたというのはのようなものがはたらいたのでしょうか?

ありがとうございます:
 いといったらいし、あるといったらあるのですが。でも、もう、ひとつのばんぐみのストーリーとしてかみさまがけいさんしたとおりになっているのです。でも、いまいっしゅんいっしゅんべつなんおもいもいし、かんしゃだけなのです。だから、いいばんぐみのストーリーどおりにはこばれていっているだけというかんじです。たぶんこのいきいったいすめらせいというようなかんじで、(かみさまの)けいかくてきにはこういうおおぜいさとったひとしょになっているらしいのです。「ありがとうございます」をとなえることによってほんとうかみさまといったいするのです、いっぱいてくるらしいのです、なんまんにんどころではないみたいです。だから、そういうことだったらかみさまのほうおおきいけいかくてて、きゅうをかえるためにというけいかくのもとにうごいているのです。でも、そういうとことにとらわれてしまうのでかくしとくほうがいいのかなとおもいます。けって、それでよかったとおもったらいいのです。

-ありがとうございます-
 ぶんにとってかみさまはまだとおそんざいだけれども、じんるいがこのさきしんするにつれ、かみさまのかいわれわれにんげんかいがそれぞれそんざいする、というかんがかたつようになるのでは?かみさまのけいかくがあるとすれば、われわれにんげんはいちいちじたばたせずに、そのけいかく沿ってすすんでゆけばいいのでは?

ありがとうございます:
 そのほうほんとうです、そういうかんがえにたどりいたらすごいさとりです。やはりかみさまがこんぽんで、そこからぜんあらわれてうごかしています。ただいままでのじんるいおもいをして、そのおもいでほんとう姿すがたかくしてきていたというかんじなのです。ダーウィンのしんろんにしても、いまいろいろわれているクローンにんげんにしても、ほんとうおおきなちがいをおかしているみたいです、ちがったかんがえをしているみたいなのです。かというと、かみさまはぜったいなかおなじものを一つとしてっていない、ぜんちがうものをげんげんにいっぱいそうめてあります。それを一つずつしてきてあたらしいそうぞうをしつづけるのです。だからしんろんといっても、たとえばさんかくがあってかくがあって(まる)があってとすると。さんかくからかくになるのはなりやすいとおもうのです、ちょくせつさんかくから(まる)よりは。さんかくからかくになって、それから(まる)になるほうがただししいんだろうとおもわけです。そういうかんがえをていせつとしてながして、それにさんどうするにんげんえてきたからしんろんまれたとおもうのです。でも、かみさまのほうからはさんかくかく(まる)ぜったいなかぜんっていて、それをあらたにあらたにしてくるのです。いままでさんかくしかなかった、ちょっとさびしいからこんかくろそうかというわけです。で、さんかくかくろしたからこん(まる)ろそうかと。だから、さんかくかく(まる)えたのではないのです、あたらしくそこへってきただけなのです。だから、しんろんわない、ちがっているのです。
 それともうひとつクローンにんげんは、どうじものもうひとつくれるのかというかんがえですが、これはぜったいのうです。たとえば一つのせっけいさんけんいえてるとすると。ざいをマツとスギとヒノキとみっつにけたとします。マツのいえ、スギのいえ、ヒノキのいえ、とすると、かたちおなじだけど、おないえとはいいません。べつかるひとはこっちはマツ、こっちはスギと、おなじではないといます。せっけいおなじでかたちおなじでも、ざいちがったらやはりまったべつのものです。それとおなじでこうせいするひとひとつがほんとうぜんちがうのです。もう、げんいっいっでもぜんちがうし、げんこうせいするりゅういっいっぜんちがうのです。おおきいものほどちがうものをいっぱいわせてつくられているから、いくらひょうめんてきたような姿すがたをとっていてもぜんぜんちがいます。もう、げんおおきいちがいがあるのです。

 だから、DNAのせっけいをもとにしてつくったとしても、ひとひとつをこうせいしているようちがうから、どこをさがしてもおなじものはぜったいい、ちゅうには一つだけなのです。それにわるものはどこからもってこられないのです。にんげんさいぼうろくじゅうちょうちかくあったとして、ろくじゅうちょうおもえば、Aというようはここ、Bというようはこことめられているとしたら、たものでもどこからもってこられない、だいようがきかないのです。だから、クローンにんげんつくれるとおもっているひとは、あたまがいいのです、よすぎるのです。つくったようにさっかくできるのですけど、でもそれはかみさまのがわからたら、よう鹿ちがったかんがえなんだというふうにかみさまはってくるのです。

-ありがとうございます-
 (にんげんちがったかんがえも)さいしゅうてきにはかみさまのけいかく沿ったほうこうかうためのていなんでしょうか?

ありがとうございます:
 かみさまのひょうげんは、どのばんぐみひょうげんほんとうさいこうひょうげんなのです、ごくばんぐみかみさまのさいこうけっさくになるのです、ごくいしころいっも、ほんとうげんげんかがやいているのです。ぜったいせいあるものをふくざつわせてして、ごくいしころひとつにかえるわけですから、そのほんとうちがいがかればいついっそんざいげんげんかがやいてえるのです。たとえごくにあってもそのちがいがかったら、ほんとうでのかみさまのひょうげんただしくあじわえているとえるのです。それがからないのはまだいのです。そのなにかでおおいかぶしているか、えないじょうたいなのです。それがおもいでかくししているのかもしれないですけど、おもいをててかんしゃこころただしくあかるくえるようになったときに、そのべつがはっきりるようになるのです。

 たとえば、いまここにおまんじゅうがあったらいつべるかというもんどうをかけてくるおさんがいたとします。おまんじゅういつべますか?(たとえば)「いまべるとうでしょう。でも、いまというのはすぐにになるのです、まんぶんいちびょうたったらもうかんです、にはべられないのです。まんぶんいちびょうらいだったらまだていないからべられないし。それをもっとしぼんで、げんぶんいちびょうったとしても、もうですからべられません。げんぶんいちびょうらいでも、まだていないからべられません。だから「いまべることはぜったいのうです、えいえんべられないのです。

 もうひとつ、うさぎがかめいかけているとします。それで、うさぎがかめいつくでしょう。(いついたしゅんかんに)かめはちょっとまえすすみます、そうするとてきます。つぎにまたうさぎがかめいかけて、またいついたとします。でもかめはまたちょっとまえすすみ、それがえいえんつづきます。うさぎはえいえんかめいつけないのです。
 これはぜんいっしゅんいっしゅんえたらかるのです。(うさぎとかめが)はなれているじょうたいを(いっしゅんあらわして、つぎいっしゅんいついたじょうたいあらわしているのです。いついた姿すがたあらわしたらもうしているのです。おまんじゅうはなしおなじです。「いまべていないという姿すがたです。ただ、いっしゅんいっしゅんえといってもかんいのです、かぎりなくゼロにちかげんぶんいちびょうっても。(こととしていっしゅんいっしゅんとはうけれど)かみさまのえはかんえで、なにひとおなじものをあらわさず、かえさずさいこうひょうげんをしてくださるのです。

 だから、いっしゅんいっしゅんを「ありがとうございます」でいかにそれをもらうしゅんかんたのしむか、というのがだいなポイントだとおもうのです。だからしんろんちがいだとおもいます。さるからるいじんえんになってにんげんになってなんて、そんなかんがかたとてもれられません。たとえばせいしょなかでも、つちいきれてにんげんつくったとありますけど、かみさまのこととはえません。まあ、たとえとしてひょうげんしているにしても、かみさまのがわからたらなにかちょっとおかしいのです。



ぶつ」はりきかたなのです

-ありがとうございます-
 「ぶつ」をしんじればすくわれるのか、それともかいすうおおとなえればすくわれるのかというはなしがありますが、「ありがとうございます」はどうなんでしょうか?

ありがとうございます:
 「ぶつ」はりきかたなのですけど、すくがわすくわれるがわさいしょからはなれているのです。しんじゃだけでひとつにつながってすくわれるとか、ぎょうじただけですくわれるとか、いろんなほうほうがあっていいとおもうのです。ただ、さいしょはなれているところがちょっともんだいがあるとおもうのです。
 「ありがとうございます」はぜったいりきで、さいしょからはなれていないのです。さいしょからかみさまとぶんとは(いっ)たいなんだ、はなすことはできないのだと。だから、しんじてもいいし、ぎょうじてもいいし、どっちもしなくてもすくわれているのです。「ありがとうございます」ととなえたときにもういったいなのです、あたえてもらってさとっているかくがよみがえってくるのです。だからじょうけんかもしれません。

-ありがとうございます-
 「しゅんかんしゅんかんかみひかりなおす」というひょうげんをされますが、「つづける」と「なおす」のちがいは?

ありがとうございます:
 ているのですが、「なおす」というとこんぽんからいただなおすというようなかんじなのです、こんぽんこころけなくても「つづける」ことはできるのです。ところがこんぽんくほうがただしくやすいのです。けて、ちょくせつこんぽんからなおすというかんじで、かみさまからちょくせつけているというかんじを「なおす」ということひょうげんしているのではないかとおもいます。いっしゅんいっしゅんあらたになおすと。

-ありがとうございます-
 かみさまといつたいになるとおもうのは、ぶんかみだということでしょうか?

ありがとうございます:
 おもうのではなく、かんしゃだけでいいのです、おもいだけではぶんてきなのです。かんしゃおくまですうっとはいるのです。があってっぱがいっぱいしげって、いちまいっぱがひょうめんぶんとすると。そのたちで「ありがとうございます」とかんしゃすると、すうっとえだからみきからまでゆくのです。そうするとからるとみんな一体いったいです、かみさまがすべてなのです。ところがおもいというのはつながっているようでも、そのっぱをちゅうしんにしたかんがかたなので、までなかなかはいってゆかないのです。そうするとうたがいのこころまれたり、ほんとういったいかんじっかんとしていてよろこぶことがないのです。かんしゃぜんなのです、かみさまのこころかんしゃなのです。かみさまのこころはいつもぜんたいあくしているので、ぜんたいあくするこころがすうっとぶんこころよみがえるようなかんじなのです。かんがかからない、いっしゅんかみさまのこころからせてもらえるのです。かみさまのこころはすべてのものといつたいあいこころですから、えだっぱをゆうざいはなしてびとせいちょうさせるわけです。おもいのほうは、あいいったいかんおもえばおもいうほっぱとっぱをくっつけるのです。ゆううばってしばってゆくから、おもいのあいいったいかんにせものなのです。っぱどうおもいのせっちゃくざいでくっつけるから、ゆうになってゆくばっかり。もとからのほんとういったいかんいちまいいちまいっぱをくっつけずにびとゆうはなすのです。

-ありがとうございます-
 ひとにはそれぞれにてんめいがあるのか?また、かんしゃこころてんめい沿ってきるだけではなく、ぶんしんこうありたいというおもいもっていたほうがいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 おもいがなくなったら、てんめいたしているのです、てんめいというのはそのひとせいさいだいげんはっしているじょうたいです。かみさまとぶんとをはなさなかったら、ひとつにつながっているじょうたいだったらかならせいまれるのです。それで、その(かみさまといつたいの)せいはっするのです。それがほんとうてんめいたしているのです、かみさまのほうからやくけられて。
 (たとえば)このゆびがそうです。いつぽんいつぽんぜんはなしておいたらたんゆびいつぽんいつぽんあるだけなのです。おやゆびであろうがひとゆびであろうがかんけいなくなります、たんゆびがあるだけになってしまいます、せいがないのです。でもこれがつながってうごいているときはひとひとつにやくがあってせいがあります。ひとかみさまとつながっているときは、かんしゃしているときかならやくがあり、せいがあってせいはっしているのです。それがほんとうでのてんめいたしているじょうたいなのです。だからかみさまとぶんとは一たいなんだというかくこすだけがいい、そのいちばんいいほうほうが「ありがとうございます」をとなえるだけでぜんせいはっしててんめいたさせてもらえるのです。むずかしいことはかんがえないほうがいいみたいです。


 ほんとうかみさま、ゆいいつぜったいかみさまは

-ありがとうございます-
 かみさまはいつもどこにいるのでしょうか?

ありがとうございます:
 ほんとうかみさま、ゆいいつぜったいかみさまはこののすべてにるし、おくのすべてにもるし、ぜんるのです。ぜんたいひとつのかみさまというふうにえたらいちばんいいのです。(かみさまは)どのかみさまですかとわれたら、ぜんたいかみさまでなかったらぶんかみさまだったらるとこにるのです。

-ありがとうございます-
 せんせいかみさまは(どこにるのですか)?

ありがとうございます:
 わたくしかみさまは「ありがとうございます」というかみさまだけです、ぜんにいます。こののすべてにもあののすべてにも、もっともっとおくげんぜんにも。すべてのすべてにちわたってすべてのすべてになっているかみさまというかんじです。

-ありがとうございます-
 なかではいろんなけんおこるけれど、そういうのはすべてにかみさまがながらもおこるようにしているのか、それともじんやくとしてやっているのか?

ありがとうございます:
 かみさまのつくっているほうそうばんぐみげんげんのチャンネルのなかのストーリーだったら、かみさまがぜんやくあたえてつくらせているのです。かみさまがつくっているわけだから、どうしようもない、かっえるわけにはぜったいにゆきません。でもそれをつくったひと、それをあじわうひとばんぐみなかにはいないのです。あくまでもばんぐみなかつくられたもので、ほんものではないのです。はいゆうさんは、さつえいしょにはいるかもしれないけどテレビのなかにはいないのです、テレビのめんじょう姿すがたで、ほんとうぶんはテレビのなかにはいないのです。だからどんなわるいことをしていてもほんにんはこたつでおいしいものべながらているわけです。だから、げんじつこころでちょっとはなすだけでいいのです。ちょっときょいてているぶんになれば、ぶんいろんなばんぐみをつくるために、いいやくわるやくたしたというふうにて、それをいまちゃみながら、きなばんぐみをもういっかいているんだというかんかくです。だから、かみさまがなにかをしているわけでもなんでもないのです、たのしませてくださっているのです。

-ありがとうございます-
 ただたんに「ありがとうございます」をとなえるべきなのか、それともげんげんあいかんじながらとなえるべきなのか?また、こえしたほうがいいのか、それともこころなかとなえればいいのか?

ありがとうございます:
 べつにそれはゆうでいいとおもいます。ただ、かいすうえればえるほどゆうほんとうぶんもどってゆくのです。こころとなえるだけでもいいしくちしてもいいし、また、ひととなえているのをくだけでもいいし、ひととなえてもらうのもいいし。それはもう、ぶんなかに「ありがとうございます」というのがどんどんはいってくるようにしてもらうのがいいのです。みずからもかんしゃひとからもかんしゃされるそういうひととくです、はやゆうになりかんしゃこころもどってゆくので、そのぶんかみさまのいろんなひょうげんゆうたのしめるようになってくるのです。だから、ぜんなのがいいです。じょうけんきにこれをとなえたからどうのこうのとおもわないほうがらくでいいのです。もうさいしょからけっを「ありがとうございます」とけるようなちで、じょうけんけないほうかんしゃそのものであるのです。

-ありがとうございます-
 せんせいにはじんるいくしようとか、そういうちはないのですか?

ありがとうございます:
 おもいのあるときはそういうちになりますが、かんしゃになったときは、いのです。もしマイナスのおおばんぐみているとしても、そのばんぐみをいいばんぐみにかええようとはおもわなくなるのです、そのばんぐみはそれでいいのだと、いいばんぐみはすでにあるのです。もしいいばんぐみたかったら、ちょっとだけチャンネルをかえていいばんぐみをそのままさっとけたら、もうくしないでみます、もうそこにじつげんしているのですから。
 きゅうげんのチャンネルのきゅうがあります。ひくばんぐみきゅうもあるし、たかばんぐみきゅうもあるし、ひとおなじです。ひくばんぐみぶんもあるし、たかばんぐみぶんもあるし、ぜんそろえられているのです。(ぶんがどこにチャンネルをわせるかによって)えてくるかいちがってくるのです。

-ありがとうございます-
 わるばんぐみても、ぶんでチャンネルをかえることによってがいこうむらないようにできるのでしょうか?

ありがとうございます:
 たとえばごくばんぐみているとして、いっしょうけんめいているとそのなかはいんでしまうのです。そのなかのとうじょうじんぶつぶんだとおもんで、まわりからのがいをそのままけてしまうようなさっかくこしてしまうのです。でもテレビをているぶんと、なかはいやくぶんちがうのです。テレビをているというふうにちょっときょいたときに、これはつくごとだからとはなしたらぶんにはがいおよばないのです。かんしゃするということはテレビをているぶんもどることなのです。



 「ありがとうございます」のことだけにたよらずに

-ありがとうございます-
 一にちのうちでもたかい(ばんぐみの)ぶんときひくぶんときがありますが、ひくじょうたいときかんしゃの「ありがとうございます」をとなえることによってたかぶんりかえたらいいのです?

ありがとうございます:
 そうです。(ぶんだけの)「ありがとうございます」のことだけにたよらずに、まわりのひともいつもぶんのために「ありがとうございます」といのってくれているとか、かみさまがこんぽんてきげんげんの「ありがとうございます」をぶんけてあたつづけてくれている、というふうにおもうとらくになります。

-ありがとうございます-
 じんじゃわれわれがんしたりする姿すがたかみさまからてどういうふうにうつっているのか?また、かみさまにねがいをかなえてもらうには、もうすでにそのねがいがかなったかのようにけいねがうといいというはなしきました。いのってねがいがかなうのであれば、どういういのかたがいいのでしょうか?

ありがとうございます:
 いのりにもげんだんかいがあるのです。げんのマイナスのいのり、げんのプラスのいのりがあるのです。プラスのいのりにしてもげんだんかいがあって、それはそれぞれのだんかいひつようなのです。だから、どれがいいかわるいかはえないのです、ひつようだんかいいのかたがないとのぼれないのです。いろんなじんじゃがありますが、ほんとうかみさまをちょくせつあくするのはむずかしいのです、だからこころけるためのけいってくるのです。そして(そのけいであるじんじゃに)こころけることによってほんものかんじやすくするのです。じっさいにはかみさまはじんじゃにはいません、そんななかれるようなかみさまではないのです。ちゅういっしゅんいっしゅんつくつづけるかみさまはけいなかにはれません、おまつりしてあるのはほんものかみさまではないのです。でもそこになんちからもないのかというと、またちがうのです。かみさまにこころけることは、けっきょくそのかみさまからのいったいながれをけるのです、けやすくなる。ちょくせつかみさまではなくてもそこからじゅんばんだんかいってかみさまの使つかいというかんじで、だんかいったいろんなかみさまがはたらいてしたまでるのです。それでじんじゃねがごとをすると、そのこころちょうかみさまがたすけてくれます。

 でも「ありがとうございました」というかんじょうひとにはそのちょうかみさまがおうえんしてたすけてくれます。いちばんいいのは「ありがとうございます」とさいくわえるのがいい、きゅうきょくかみさまからのおおきいたすけがすっとはいります。それぞれにいろんないのかたがあっていいのです、ただぶんがどんどんいいいのかたへんしてゆけば、さいにゆきつくところは「ありがとうございます」です。どのじんじゃでもそのじんじゃかみさまのまえんで、さいに「ありがとうございます」をくわえるのです。
 なになにでありますように、ということだんていてきいのるのもいのれるひとはいいのです。ただげんじつそうとのギャップのおおきいひとは、たとえばげんじつびょうなのにけんこうであるとだんていするのはじゅんしょうじて、ぎゃくけんこううたがってそうおもえなくなるというのがあるのです。そういうあいだんていではなくかみさまのかいけんこうがあるというのをしんじて、そのけんこうろしてくださいというかんじでけんこうでありますようにといのほうが、じゅんとかこころつづらふじいのですうっとひかりはいってきやすいあいがあるのです。それもひとつのほうほうです。それぞれにひつようひとひつようほうほう使つかって、よりかみさまのおおきいたすけをけるというのがじくになっているのだとおもうのです。

-ありがとうございます-
 (おいのりは)けいでもげんざいけいでも、そのときぶんちに沿ったかたですればよいのでしょうか?

ありがとうございます:
 「かいじんるいへいでありますように」といういのことあさいのかたふかいのかたりょうほうそなえているのです。「かいじんるいへいであります」というだんていかいにまずぶんんでつかんだら、それはだんていいのりなのです。あとに「ように」ということいてたとしても、ぜんつうようするようにつくっていることなのです。だんていできないひとには「ように」がおおきくはたらくのです。だんていてきいのれるひとには「かいじんるいへいであります」というだんていかいさきこころにとらえてしまうのです。そしたら「ように」はらない、くてもそのままでさっとじつげんするのです。だんていいのりをさきおくでつかまえないひとげんじつさきているのです。
 げんじつにはだんていかいなんかいのです。まだへいではないじょうたいというのがげんじつにはあるのです。いのこといろんなかつようかたがあるのですが、かみさまからいのことはいくとおりにもかいしゃくできるのです。だれにでもつうようすることなのです。



 もういまびょうひとまえ

-ありがとうございます-
 せんせいぜんびょうほうなおされていたときましたが、もういまはやっていらっしゃらないのですよね?

ありがとうございます:
 そうです。もういまびょうひとまえあらわれなくなりました。

-ありがとうございます-
 そのときいやしのほうほうというのは?

ありがとうございます:
 わたくしちいさいときからおしゃさんになってびょうひとぜんなおしてあげたいとおもってたのです。ところがそれはびょうをつかんでいるこころぶんにあったとおもうのです。だから、びょうひといてかたがなかったのです。それでいっしょうけんめいなおしてあげたいとおもっていのっていたのです。いのるのはびょうつめるのではなく、げんげんかんぜんけんこうつめてえてもらうといういのりなのです。みなかみさまでかんぜんけんこうなんだというように、ひかかがやいているけんこう姿すがたを、こころにイメージではなく「かんじる」まで「いのりごと」をとなえるのです。そうするとまえにいるひとぜんいんが(めい)。びょうひとじょうほうとしてはいってこなくなります、なくなる。だからひとびょうなおしたというよりも、ぶんこころなかびょうけんこうえてもらったとったほうただしいかもしれません。ぶんえらんだばんぐみだったかもしれません、ほんとうけんこうばかりているのがしあわせです。

-ありがとうございます-
 それはたとえばびょうひとまえあらわれたとしても、もうそのひとけんこうだっていう・・・?

ありがとうございます:
 そうです。いまだったらもうげんげんかがやいてるというかたでしかないですから。だからびょうなおしてあげたいともおもわないし、おいのりできるようにしてあげたいともおもわないのです。もうみなげんけんこうげんしあわせにおいのりできている、みなあまてらすおおかみさまなんだというふうなかんしゃかたをずっとつづけさせてもらっているのです。いちばんとくやくあたえてもらっています。


ありがとうございます
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