| ありがとうございます |
真祈り文庫
小さい時からいろいろ苦労させてもらったから
-ありがとうございます-
先生のお話を聞いて「ありがとうございます」を根底にして共感を覚えまして、今日 来させていただいたのです。「ありがとうございます」は、悟る為とか、点数を上げる為というのじゃなくて、もう既にいっぱい無限のものが与えられているというか? 感謝の「ありがとうございます」だということを話の中で聞きまして、病気の人とか、ご恩や阿弥陀様からいろんな事を一杯頂いて、感謝の阿弥陀仏という感じで、すごくそういう事と共通していると思います。どうして先生がそういうふうな「与えられているんだ」という感謝の「ありがとうございます」になったのか、ちょっとお聞きしたいのですが。
ありがとうございます:
小さい時からいろいろ苦労させてもらったから。苦労をさせてもらったお陰かも知れないですが、自然に「ありがたい」という気持ちが起こるのです。それで「ありがとうございます」を祈り言葉として、今までにも大体何億回か繰り返ししてきているのです。その繰り返しが多くなるにつれて、段々と深い意味が解らせてもらえたというのですか。それが最近では、「ありがとうございます」は、もう言葉で表現できないぐらい、もの凄いものを与えてもらっているのです。
本当の意味を現す言葉は日本にしかないようです。英語のサンキューでは全然意味が違うのです。この日本の言葉というのは、「言霊の幸はふ国」と言われるだけあって、言霊に裏づけされた言葉です。この「ありがとうございます」を一字ずつ解釈しても、もの凄い深い意味があるのです。日本の神さまの「神」というのもそうです、英語だったらゴットです、やっぱり一部しか表現できていません。でも、神という言葉はいろんな深い意味があるのです。これを最初にちょっとだけ解説してみようと思います。
神という語源は五つの意味があるのです。
「絶対」の「隠身」をつづめて「神」です。
「創造」の「仮凝身」をつづめて「神」です。創造する働きを「かごる」と言うのです。
「統一」の働きを「輝身」をつづめて「神」なのです。
神通自在の「八百万の神さまの働き」なんかを「翔身」という、それが「神」になっている。
その自由自在の神さまが愛の心で、例えば、石ころになって静止するとか、限定して現す体というのが「限身」という、それでその「神」。
この五つの意味をぜんぶ総称して「神」というのです。そうすると「絶対」からこの世の物質に現れた全部が神さまを現しています。普通、私たちは神さまがどこにいるのか探し回るのですが、でも、本当は全体が神さまなのです。だから、ひとつの唯一絶対神の神さまの体がこの宇宙の全部なのです。だからどこもかしこも神さまばっかりです、この浅いこの世もそうだし、奥深い世界も、もっともっと奥も、全部神さまなのです。その「神」という言葉にそれだけの深い意味があるのです。
それと同じで「ありがとうございます」は同じ意味があるのです。
「あ」というのが「光・光源・命の本源・絶対」という意味です。そこから、「絶対」からすべてのものが相対の両極に振り分けられて、それが組み合わさって宇宙が生まれるのです。
それが、螺旋状に組み合わさります。直線だと交差するのは一点なのですが、らせん状だと交わりが無限にできるのです。それが小さいものから大きいものまで、相似形に無限に組み合わさっていくという。そういう仕組みで宇宙が作られているというのが「り」のら行音に現すのです。
それが無限に無限に「輝く」というのがダブって「が」なのです。だから「無限に無限に輝く」という意味になっているのです、「が」がです。
「とう」は「十」ですけど、十字交差という、ありがたしの「たし」だと、た行音とさ行音になるのです。それも相対の両方を指します、縦と横とを。それが十字に組み合わさってすべてが調和した姿をとっています。だから、一点に統一されて調和しているという姿をとるのです。
「ありがとう」で絶対神が、創造の働きを起こして宇宙を生み出して、それが無限に無限に輝いた姿をとって、すべてが大調和の姿をとっているのが「ありがとう」なのです。
これを別な言葉でいうと「天照大御神さま」と表現できるのです。宇宙絶対統一神という意味です。これは、伊勢の神宮にお祭りされている天照大御神さまという、そういう小さい意味ではなく、宇宙全体を無限に無限に輝かせた姿で現れている神さまの名前という意味の天照大御神さまです。「ありがとう」が「天照大御神さま」なのです。
「ございます」の「ご」というのが、「凝り固まって、凝り固まって」という、「物質化されて、物質化されて」という、そういう意味をダブらせています。神通自在な、自由自在な神さまが物質化して魂的な要素で出てきて、また更に物質化すると、この世の物体となって出てくるのです。
「さ」というのは「サラサラ流れる」という意味で、「清々しい・爽やかな・素晴らしい・素敵な」とかいろんな意味です。桜でもそうですが、清らかなすがすがしい良い意味の響きがあるのです。宇宙の全部がサラサラと流れているという、一瞬一瞬、命の流れになって、光の流れになって流れているんだというのが「さ」をダブって「ざ」なのです。
普通この世の物体というのは、静止したものを見ると死んでいるように見えるのですが。この命の「い」というのを現して、すべて生きてるんだ、石ころ一個も生きているんだ、原子も生きているんだ、全部生きているんだという意味で、命の「い」を現しています。全部命の躍動を現しているのです。
次の「ま」というのは「完全な・完き・完壁な」という意味です。それですべてを現すという意味です。
「す」が「絶対」の「す」で、全部をひとつに統一して澄み清まって大調和する姿をとっている。また「ます」で二文字を現すと「どんどん増える」という意味で、今の状態がどんどん「いやましにます」(*ますます、どんどんふえる…弥増す)という。だから、今よりもどんどん良くなってゆくという、大きくなってゆく、広がってゆくという。
最初のありがとうございますの「あ」から「す」までが、神さまの働きの全部を現しています。「神」という言葉の意味と同じで、「絶対」から「この世」まで全部をひとつに統一して現しています。
だから、この「ありがとうございます」というのは、ある意味では究極の神名という「神さまの名前」なのです。その中には、すべてを中に持っていて、すべてを大包容して、すべてを生かしきってと、そこには全部あるという意味です。
翔身の神さまというのは、普通、神さまを信仰する時は、何々の神さまの名前を使うのです。ところがいろんな神さまが出てくると、どうしても対立というのが生まれます。この神さまが上だとか下だとか。でも、この「ありがとうございます」を唱えると全部ひとつにつながってしまうのです。全部中に納めてしまっているという感じです。すべての神仏の背後で大きい力を添えている根源の神さまになるのです。それでいてこの世に生まれ、体を現しているという。だから、悟りを開くために「自力」とか「他力」とかいろいろな種類があるのですが。
この「ありがとうございます」を唱えるゆきかたは「絶対力」なのです。最初から対立がないのです。この世のものも、肉体を持った私達も、究極の絶対神と一体です、この世にまで神さまの体が現れてるのです。一体だから離れていないのです。神さまと最初から一体という立場で、「ありがとうございます」と神さまを呼べば、必要なものを的確に与え続けてくださるのです。
今更、悟るとか、救われるとかでは無いのです。唱えた時に神さまと一体のその自覚を呼び起こして、必要な助けを先に与えて受けさせて、それで一体化してくれているのです。そしたら何も要らないのです。必要なものは全部備わっています。それだけの凄い言葉が、「ありがとうございます」なのです。
私も、最初は小さい時は、物をもらって「ありがとう」とか、そんな感じに思っていたのです、最初は。それでもいろんな苦労をしていると、湧き上がる感謝があるのです、「ありがたいなあ〜」と。それでやっぱり、自然に「ありがとうございます」に変化してきて、それを祈り言葉に代えて一生懸命に唱えていると、もう何が起こってもどんなマイナス、大きいマイナスがあっても「ありがたい」「ありがとうございます」が消えないのです。
病気をして大病して、どんなに苦労しても、そんなのなんでもない、ヘッチャラになってしまったのです。「ああ、凄いなあ」という「ありがとうございます」と唱えただけで、心がいつも幸せ一杯にしてもらえます。それを益々繰り返して唱えていると、今度は神さまの本当の実体と言うのですか、「これが神さまなんだ」というのが、ちょっと感じられてくるのです。
最初は小さい光りかも知れませんが、それがどんどんどんどん光が大きくなってきたのです。丁度、実物の太陽があって、私たちはこの地上で太陽の光体を乱反射した姿を見ているのです。その地球に現れた光体でも凄いでのす。その神さま、例えると、それが無限に無限に輝いた姿で、感謝をすると受けられるのです。空に少々雲がかかってようが、上ではいつも輝いてくださっているというような感じなのです。
それを感謝することによって「ありがとうございます」で、その大光体を感じるのです。その大光体の奥に、実物の太陽までの間にも、ところてん式に大きい光体がずうっとつながっているような感じです。天照大御神さまという大光体が、無限に無限に連なって、奥にところてん式につまっていて、更に奥に絶対の大きい光の源があるんだというように。
その「ありがとうございます」を唱えているうちに、どんどんどんどん神さまの実態が大きくなってきたのです。だから、もう言葉では表現できないくらい「凄いんだなあ」と思うのです。それが今の実感なのです、だから、唱えた回数を積み重ねただけ、中身もどんどん変えてもらえると、そういうふうに思うのです。
最初は病気を治してもらったとか、必要なものを与えてもらったとか、奇跡的なことがいっぱい起こったのです。それもありがたかったのですが、それよりも、「何が起こっても平気」という、幸せが絶対崩れない心の幸せ、絶対崩れ無いというのがもっと上なのです。 今仮に地獄に下りて、「ちょっと苦しんでおいで」と言われても平気なのです、苦痛に思いません。大きい幸せを与えてもらっているから。丁度、夏の暑い日に、氷をちょっと触るぐらい平気でしょう。そんな感じで、苦しみとかマイナスを受けられるようになってしまったのです。だから、幸せな心は何があっても幸せになってしまうのです。その源が神さまなのです。
皆さんもここへ来られて、何の為に来たのかと思うでしょう。「だまされて来たかも知れない…。」でも本当は神さまに導かれて、本当の自分を確認するために来られているんだと思います。今までにいろんな苦労を一杯されて、いろんな修行も一杯されて、最後にたどり着くところが、この「ありがとうございます」という絶対の神さまなのです。それが本当の自分だと思うのです。最後に本当の自分にたどり着いたというのを、多分ここで確認されたと思います。だから、そういう確認をする時期に来た人だけがここへ来られているようです。私は、何の力もないのです、ぜんぜん何の力もない、ゼロ以下。ただ、感謝して神さまの助けをたくさん受けられるように訓練してもらっただけなのです。
私の両親は、親も兄弟も早死にして家系が絶えるような家系だったのです。それで両親とも苦労をしてるのですけど。そういう家系というのはあんまりいい家系ではありません。たくさんのマイナスを一杯積み重ねて、家系が絶えるかも知れないという状態です、そうとう悪い事を一杯してきたかも知れません。そういう家系に生まれて、尚且つこんなに幸せな心に、状態にしてもらえたというのは、神さまの力だけです。
だから、ありがたくってたまらなくなって、万分の一、億分の一の恩返しでもできたら…、と思うのですが。返すものが何も無い、貰うばっかりで返すものが何ひとつ無いのです。この笑顔ももらっているのです、神さまから。ちょっとは地獄へ落ちて苦しい顔をしたいと思うのですが、逆に…、出来なくなってしまった。はははは。五井先生もそうでしたが、人類の業・マイナスの想念感情を背負って、全部清める働きです。私もそういう役目を、やっぱり幸せだから、ちょっと恩返しをさせて頂いているのです。
突然、体中に痛みが走ったり、突然、咳き込んで痰が出たりするのです。まあ、今の日本もいろんな意味で、マイナスの責め裁く心が多いですから。今、小泉さんが総理大臣になって前向きに改革するって叫んでくださっているんで、ちょっと人気が出ないと。今までが責め合いで、足の引っ張り合いなんです。そういう責め裁く思いを、やっぱりちょっとは受けて消す働きをさせてもらわんならんと思います。
最近、ちょっと夜中ずうっと咳き込むのです、それで痰が一分刻みに出るのです。昔はもっと酷かった時もあるのです。何ヶ月も連続したこともあったのですけど。今は一週間ほどで、楽なのです。それでも一分刻みで出ると、寝られないのです。こうして話をする時は、ほとんど止まるのですけど。何も無い時には出っぱなしなのです。咳き込み続けて痰が一分刻みで出ます。だから、ティッシュペーパーを夜中じゅうに三箱ぐらい使ってしまいます。それは別に苦しいと思わないし、平気になります。
だいぶ前には、三ヶ月ぐらい連続して続いたことがあったのです。その時はやっぱり、さすがに弱音が出てきます。「これだけ続くんだったら大変だなあ」と思って「ちょっとお医者さんに行って薬でももらおうか・点滴でも受けようか」とそういうことがあったのです一度。
病院へ行ったら「即、入院」と言われたのです。レントゲンを撮っても「これは、絶対帰ったら死ぬ」と言われました。それで検査してもらって出してくれんのです、それでも無理やり帰りました。そうしたらお医者さんが、「言うこと聞かんで帰ったから、死んでも保障しない」というのです。「誓約書を書け」という。本当にそうでした。お医者さんは責任があるらしいのです。
ところが検査だけを受けて、それだけの事を言われて帰ったら、その日にピタッと治っているのです。「それだったら、可哀相だ」と思ったんでしょう。「お医者さんや薬に頼るんだったら、ちょっと治してあげようか」という感じで、それでも不思議なことにピタッと止まるのです。神さまの働きって凄いなと思うのです。
最近は、少々でもへこたれないのです。もう体に痛みが走っても平気なのです。それだけ喜びが大きいのです。大きい喜び・幸せを与えてもらっているから、ちょっと地獄に足を突っ込んでも平気、そんな感じになります、それもみんな「ありがとうございます」という、この祈り言葉のお蔭だったと思います。一番得しているでしょう。あっはははは。だから、この祈り言葉に絞り込めた人が、一番早く幸せを掴んで安らげると思うのです。皆さんもいろんなことをしてきたでしょう、ぼちぼちと最後の究極の祈り言葉に絞り込む時期になってるのです。
「ありがとう」が天照大御神です
-ありがとうございます-
今のお話の中で、ちょっと最初の方だったのですが、「ありがとうございます」と「天照大御神」と一緒という事が解らなかったのです。そこをもう一度ご説明願います。
ありがとうございます:
「ありがとう」が天照大御神です。「ございます」がつくと「天照大御神さま、今ここにいらっしゃいます、在します」という意味です。「この世にまで姿を物質化して現してくださっている」という意味です、「ございます」で。「今ここにいらっしゃる、在します」という意味です。
本当の天照大御神さまは奥に、心の奥に輝いているのです、一番奥にです。その天照大御神さまが物質化して物質化して、この世の全大宇宙に現れるのです。だから「天照大御神今ここに在します」というのが「ありがとうございます」です。
-ありがとうございます-
私は今まで、こういうのに縁がなかったので、天照大御神をここでお聞きして「ああそうかな」というレベルの認識なのですけど。自分の奥底にあるのが「天照大御神」というのは、それはどういう事なのですか?
ありがとうございます:
神さまの言葉の定義は、いろんな解釈があって先ず定義をしっかりしないと間違うのです。人によったら、肉体を持って現れた女神さまのようにいう人もあるし、太陽が天照大御神さまという人もある。また、伊勢の神宮にお祭りされている天照大御神さまで、皇室の先祖だという人もある。
でも、私のはそういうものではなしに、宇宙のすべてを生み出している一番奥の無限に無限に輝いたその神さまの働きを天照大御神さまというのです。その神さまの表現・装い、それがこの全大宇宙なんだというような意味なのです。
-ありがとうございます-
その人によって解釈とか理解の仕方があるんだけれど、先生がおっしゃっているのは「私はこういうふうに思います」そういう…。
ありがとうございます:
そうです、そうです。そういう意味の天照大御神さまを捉えて「ありがとう」と同じです。だから、人の作った神さま・仏さまの信仰というのは、ちょっと偏るのです。よっぽど言葉の定義をしっかりしないとお互いの説明が噛み合わないところがあるのです。
-ありがとうございます-
「神」というのを人間がどう表現していいかわからない。片一方は、エネルギーという、それを呼ぶ時に天照大御神と名前で呼んだのかなあと思ったのですが。そういう理解はどうでしょうか。
ありがとうございます:
「あまてらす」という言葉も、言霊で解釈するとよくわかるのです。
「あ」が「光・光源・命の本源」です。
「ま」で宇宙全体が「完全な・まったき」姿をとってるという。
「てらす」で「て」が、手が伸びるように無限に広がるという意味です。無限に無限に広がってゆく…。それでらせん状に、
それで全体が「す」で大調和で統一されていると。
だから「あまてらす」で、それだけの宇宙の根源の姿を表現してくださっているのです。これが、例えばマホメット教のアラーの神だと「あ」と「ら」の意味はわかるのですけど、「て・す」がないでしょう。「ま」もないし、ちょっと意味が少ないのです。だから「あまてらす」で全体を大きく表現してくださっていて解り易いのです。
-ありがとうございます-
それは言霊という、我々の大和民族が持っている表現でそういう・・・。
ありがとうございます:
あるのです、はい。神さまは言霊で宇宙を生み出しているのです。言霊に即した言葉があると、良く理解でき解り易いのです。日本人って幸せなのです、私達が使う言葉で、神さまの言霊を、いうたら掴みやすい、繰り返し易いのです。
-ありがとうございます-
それは天照大御神だけではなく、他の神さまのいろんな名前がありますが、それもぜんぶ言霊で・・・・。
ありがとうございます:
それも言霊で解釈するのです。神さまのいろんな名前は、本当の神さま、唯一絶対神の働きを指すのです、「神名」です。神さまの本当の働きは無限にあるのです。だから、無限の神さまの名前が生まれてきても、別に不思議ではないのですけれど。「ただひとつの神さまの無限の働き」と捉えたら間違わないのです。神さまは、唯一無二絶対なのです、ただひとつだけ。(いろんな働きによって…)。神さまの名前が一杯生まれてくるのです。
-ありがとうございます-
その唯一絶対神というのが「あまてらす」という。
ありがとうございます:
だから、その無限に無限に輝いた表現を中心に持ってきた時に、奥の創造も絶対の働きも、中に隠して持っているわけです。それで、分身としての無限の無限の働きを表面に持って、全大宇宙という姿に物質化して現れているのです。だから、わかりやすい言葉です、「あまてらす」というのは。
-ありがとうございます-
今、言霊の話ですけど。先程からずっとお聞きしていましたら、あ行、か行、さ行によって働きが違うようにお聞きしたのですけど。あ行から・・・・。
ありがとうございます:
一字一字違うのです。
-ありがとうございます-
一字一字は違うでしょうけども、行ごとに大きな働きがあるように感じ取れたのですけど。時間が掛かりますんで、五十音まで行かんでもいいのですけども。あ行は光、ら行はらせんという事で今伺ったのですが・・・。
ありがとうございます:
それも言霊の一部なのです。もっと詳しくというと、やっぱり表面にひとつの顔が出ても、奥にいろんな働きを同時に持っているのです。だから、次から次へいろんな顔が表に出てくるのです。
例えば、同じ「あ」でも、いろんな角度からの説明が全部加わってこないと「あ」ひとつの言霊も解釈できないのです。それを今すると時間がぜんぜん足りません。それはまた他の人の研究に任せておいて。
言霊を研究されている方は、日本でもかなりいらっしゃるのですけれど。まあ、みんな説が違うのです。でも、良いとこ取りでぜんぶ勉強されたら、ある意味ではかなり詳しくわかると思います。
-ありがとうございます-
「感謝します」という言葉があります、こういう言葉というのはなんか中国ならよく謝々とか、感謝という感じそのものも「感謝します」と言っても、頭がちょっと下げにくいというのは失礼かもしれないけれど。「ありがとうございます」って自然に頭が下がって、本当にありがたいという気持ちになる感じです。やっぱり日本人というのは、意識の中に既にあるというか、説明されましたように、体が反応するというか、自然にというのがありますよね。(要約)
ありがとうございます:
漢字の文字も素晴らしいのですけど、感謝も言霊の言葉の放射を感じるという意味で、ちょっと解り易いという意味もあるのです。
でも、「ありがとうございます」と唱えたら、即、神さまがそのまま目の前にあるわけです。全部を与えてくださる、与えるだけじゃなくて消してくださるのです、必要の無いものを。だから、結果がそのまま出てきます、そうしたら自然に頭が下がります。「感謝します」じゃあ、本当にそうです、頭が下がりません、結果まですぐ出ないのです。だから、やっぱり凄いのです、「ありがとうございます」は。
父は財産家に生まれて両親と別かれて、一人で
-ありがとうございます-
小さい時からお祈りをされていて、どういうふうにお祈りをするようなことに…。
ありがとうございます:
父は財産家に生まれて両親と別かれて、一人で財産を食いつぶしました。放蕩で体をボロボロにし、それで、もう絶対死ぬというところを、やっぱり神懸かりで助けてもらった、命を救ってもらったのです。その後いろんな滝に打たれたり、断食したり、いろんな行をして、神さまのお手伝いをするという意味で奉仕活動をしていました。仕事は時計屋をしながら、そういう神さま事で人助けをしていたのです。
ある時、私が小学校へ上がった頃から、「こんなのは、修行でもなんでもない」というふうに降りてきた神さまが指導してくれたのです。「これから本当の修行をさせてあげる」と、どういう修行かというと。それまではやっぱり商売繁盛しているのです。通勤客の為に朝の六時には店を開けて、時計の修理を持ってこられるようにしていたから、ものすごく繁盛して借家まで持っていたのです。
ところが、そういうお告げが出た途端にお客さんはピタッと止まる、それで「仕事を辞めなさい」というわけです。それでもう時計屋ができなくなりました。誰一人修理に持ってこないし、買いにも来てくれない。そのうちに借家も売ってしまう、家財道具も質に流してしまう、全部消えてしまったのです、すっからかんに。最後まで残ったのは、時計です。腕巻きなんかが残るのですが、それも、鉄と真鍮に分けて全部売ってしまう。だから、全部無くなるのです、そこからです、「これから耐乏生活をさせます」というのです。
それで、人から物置を借りて、トタン張りの物置なのです。六人家族がそこで生活することになります。雪が舞い込むような穴だらけのトタンで、そのくらいのところだったのです。そこで藁布団を敷くんじゃなくて、かぶって。重たい藁布団をかぶって、その時は着替える服、シャツ一枚もありませんでした。それで食べ物もない、何もかもなくした状態で生活が始まるのです。繕い糸も無かった、本当に無いというたらすっからかん、何もない。本当に、見事に全部取られてしまう。はははは。
それから、最初仕事をさせてくれないのです。そしたら何を食べたら良いんか、野菜屑を近くの畑に放してあるのを拾い集めて、良いとろこだけとって水炊きで食べていました。お醤油なんか絶対買えない。焚くものといっても、ここは山だから木が一杯あるけど、町の中だもので、木もないしその辺に落ちている下駄とか、木屑を拾い集めて焚きものをする。集め回るのも大変だったのです。
それでしばらくしてから、「内職だけはしても良い」という。ところが内職というのも、皆さん、されたら解るけど安いでしょう。内職によったらすればするほど損するものもあります。昔チューインガムみたいな笛みたいなのがありました、それを紙に巻くんだけど、最初に測ってくる時は、ちょっと湿気ているからか、それで巻いて持って行くと減っているの、はははは。そしたら、逆に内職代を余計に取られる。そういう内職もあります。家族で、私と私の姉と妹二人とみんなでやるけど、ほとんど一食分の小麦粉を買うお金もできません。朝から晩まで一生懸命やっても。そういう内職を、次から次に内職の種類を変えては一杯させてもらいました。
そうすると、病気にかかっても薬が買えない、お金は無いし、それでも風邪を引いたら、アスピリンを、昔はアスピリンを欲しいからと思います。それで、薬局ヘアスピリンちょうだいといって一回は貰えます、「ちょっと貸しといてね」ってパッと帰るのです。でもそれは二回三回になってくると、やっぱり薬局によったらもう通用しなくなってきます。かなり遠いところまで薬局を探しにいくのです、あっははは。それでもやっぱり最後は、もうダメ。「前のを持っておいで」と言われたらもう。手に入りません、アスピリンも。だから、薬にも頼れない、お医者さんにも掛かれないとなったら、ちょっと病気したり怪我したりするとやっぱり神さまにすがるようになってきます。
ところが、神さまは不思議な力を持っているのです。神さまに「ありがとうございます」と言っていると治してくれます。同じ病気をしている人は、お医者さんに掛かって悪くなるのに、「ありがとうございます」と言うたらパッと治してくれたのです。それでまた味を占めて、一生懸命「ありがとうございます」を言えるようになったのです。
学校の教科書でも、お金がないから買えません。今はタダでもらうけど、その時は買わないと教科書が無くて勉強できなかったんだけど。もうぎりぎりの最後の日に「教科書代、これだけ」というのは不思議と入ってくるのです。もう学校へゆく寸前に入ってくる。一時間前だったら多分ダメなのです、食べ物に変わってしまう、あっははは。もう、ぎりぎりのとこでお金がサッと入ってきて、それがきっちり教科書代です。そうすると親も食べ物に代えられんと思うのです。それでスーッと持って行って、それで教科書は与えてもらうのです。そんな感じで、必要なものは与えてもらったのです。
ところが給食代なんかは払えません。PTAのお金も払えない。だから、給食の時はみんなが教室で食べていても、一人だけ校庭に出て冬の寒い時でも、校庭でジッと立って「ありがとうございます」を唱えていました。でも、それが苦痛でなくなるのです、「ありがとうございます」を唱えていると暖かくなってきます、はははは。寒いときでも暖かくなります。
だから、その時は手袋や靴下は無いのですが、そんなん絶対買ってもらえません。靴も破れた靴をそのまま履いているから、殆ど裸足状態。お風呂にも入れません、石鹸も無かったし、お風呂なんか無いから。手がどうなんかいうたら、松の木の肌みたい、本当にそう、見事ですこれ。こんなきれいな手と違います。小学生の可愛い手が、本当に松の木の肌みたいになっていました。凄いでしょう。
でも、それでも、平気です。強いなあと思う、しもやけにもならん。それに寒さに対しても平気です。やっぱりこれは「ありがとうございます」の力です。神さまがやっぱり何か光のバリアみたいなので包んでくれて、それで痛みや苦しみがないようにちゃんと護ってくれたんだと思います。
そういう感じで順番に感謝させてもらったのです。「その感謝が、やっぱり、本当の行」だったようです、神さまからの。だから、一番楽な行を、神さまが教えてくれて、神さまが実行させてくれて、それで、早く幸せにしてもらったんだと思います。
先ず、神さまと自分との間には何もないのです。お金もないし、物もないし、貯金も何も無い、クッションはおいてないのです。そのまま必要なものは、サッとはいってくるのです。それが、その神さまの愛の護りがヒシヒシと感じるのです。余裕があったら感ではありません、間にクッションを置くからです。
だから、その食べ物でも、神さまからサッと出してきたら、ありがたいのです。どんなまずいものでも「ああ、美味しい」となるのです。そういう体験をいっぱいさせてもらったのです、だから、ありがたくてたまらなかった。
ご飯の、お米のご飯なんか食べたことがありませんでした、一番のご馳走が小麦粉のおだんごです。それを野菜を取ってきたりして、一緒に煮込むわけだけど。それでお塩で味付けして、それが一番のご馳走だった。たまに麦でも丸麦をもらいます、それはそのままでは食べません。押しつぶすと食べやすいけど、それでも炊いたのでも美味しかった。玄米をそのまま炊いたのより、もうひとつツルツルします、ツルツル過ぎるます、硬いから。でも、それでも、食べたら美味しいのです。
あの当時は、戦後の食べ物の無い時だったから、外国からトウモロコシの粉が入ってきていました。普通はケーキを焼いたりして食べるのですけど。それでもそのまま食べても美味しい。凄いなあと思う、神さまから直接もらったものは、味が付いていて、はははは。
-ありがとうございます-
アスピリンを買いにいく時は「ありがとうございます」は言わなかったのですか?
ありがとうございます:
いやっ。それでも先に頼るのです、そっちへ。身近なものにどうしても頼ってしまいます。だから、神さま以外に頼るところを全部断ち切ってくれたのです。そこへ頼り切ったら治してあげるという感じです。
本当は神さまだけに頼ったら一番いいんだと思います、神さまが全部面倒を見てくれているのです、本当は。でも、みんなそれを忘れて、お金に頼ったり、ものに頼ったり、人に頼ったりしがちなのです。だから、一番の幸せは、本当の神さまに頼ればいいんだというのを、そういう意味で教えてくれたのです。それで早く神さまを身近に感じられたのです。この幸せはぜったい崩れない、神さまが消えない限り、神さまは永遠に消えないのです。
-ありがとうございます-
お父さまが神さまに繋がられた時に唱えられていたのは、なんとかの神さまだったと思うのですね。それが、今先生がおっしゃいますようように「ありがとうございます」イコール神さまにつながるというのはどういうふうな・・・
ありがとうございます:
私の父は、いろんな神さま、神さまを広くとって、いろんな神さまを祭っていました。たくさん祭ったら、たくさん護ってもらえると思って。それでお祭りも小さい時は、「おきゅじ」というのか、お米を一杯お供えしたり、お水を替えたり、お花・榊をいろいろしたり、それをずうっとしていました、小さい時から。
でもある時、一人の神さまが出てきて、「たくさん祭っているけどなあ」と言うのです。「お稲荷さんに心を向けていたら、お稲荷さんは力があるからなあ、護ってくれるから、他の神さまは全部お稲荷さんに任しておいたら大丈夫だから、みんな手を引くよ」と。そうしたら、お稲荷さんはお稲荷さんで、「お不動さんを祭っているから、お不動さんは力があるから、大丈夫だからお稲荷さんは手を引くよ」と言うのです。神さまはだいたい謙虚だから。
そんなにたくさん祭って在るのです、いろんな神さまを一杯。そうしたら「一体だれが護ってくれるの」。そうやってたずねてくる。だから「たくさん祭らんで良いんだよ」と言うて来るのです。ただ、ひとつの神さま・根本