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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち No.1


   ちいさいときからいろいろ苦労くろうさせてもらったから
 
-ありがとうございます-
 先生せんせいのおはなしいて「ありがとうございます」を根底こんていにして共感きょうかんおぼえまして、今日きょう させていただいたのです。「ありがとうございます」は、さとためとか、点数てんすうげるためというのじゃなくて、もうすでにいっぱい無限むげんのものがあたえられているというか? 感謝かんしゃの「ありがとうございます」だということをはなしなかきまして、病気びょうきひととか、ごおん阿弥陀あみださまからいろんなこと一杯いっぱいいただいて、感謝かんしゃ阿弥陀仏あみだぶつというかんじで、すごくそういうこと共通きょうつうしているとおもいます。どうして先生せんせいがそういうふうな「あたえられているんだ」という感謝かんしゃの「ありがとうございます」になったのか、ちょっとおきしたいのですが。
 
ありがとうございます:
 ちいさいときからいろいろ苦労くろうさせてもらったから。苦労くろうをさせてもらったおかげかもれないですが、自然しぜんに「ありがたい」という気持きもちがこるのです。それで「ありがとうございます」をいの言葉ことばとして、いままでにも大体だいたいなんおくかい繰り返く  かえししてきているのです。その繰り返く  かえしがおおくなるにつれて、段々だんだんふか意味いみわからせてもらえたというのですか。それが最近さいきんでは、「ありがとうございます」は、もう言葉ことば表現ひょうげんできないぐらい、ものすごいものをあたえてもらっているのです。
  本当ほんとう意味いみあらわ言葉ことば日本にほんにしかないようです。英語えいごのサンキューでは全然ぜんぜん意味いみちがうのです。この日本にほん言葉ことばというのは、「言霊ことだまさきはふくに」とわれるだけあって、言霊ことだまうらづけされた言葉ことばです。この「ありがとうございます」をいちずつ解釈かいしゃくしても、ものすごふか意味いみがあるのです。日本にほんかみさまの「かみ」というのもそうです、英語えいごだったらゴットです、やっぱり一部いちぶしか表現ひょうげんできていません。でも、かみという言葉ことばはいろんなふか意味いみがあるのです。これを最初さいしょにちょっとだけ解説かいせつしてみようとおもいます。
 
かみという語源ごげんいつつの意味いみがあるのです。

絶対ぜったい」の「隠身かくりみ」をつづめて「かみ」です。

創造そうぞう」の「凝身ごりみ」をつづめて「かみ」です。創造そうぞうするはたらきを「かごる」とうのです。

統一とういつ」のはたらきを「輝身かがりみ」をつづめて「かみ」なのです。

神通じんつう自在じざいの「八百やおよろかみさまのはたらき」なんかを「かけりみ」という、それが「かみ」になっている。

その自由自在じゆうじざいかみさまがあいこころで、たとえば、いしころになって静止せいしするとか、限定げんていしてあらわからだというのが「かぎり」という、それでその「かみ」。
 
 このいつつの意味いみをぜんぶ総称そうしょうして「かみ」というのです。そうすると「絶対ぜったい」からこの物質ぶっしつあらわれた全部ぜんぶかみさまをあらわしています。普通ふつうわたくしたちはかみさまがどこにいるのかさがまわるのですが、でも、本当ほんとう全体ぜんたいかみさまなのです。だから、ひとつの唯一ゆいいつ絶対ぜったいしんかみさまのからだがこの宇宙うちゅう全部ぜんぶなのです。だからどこもかしこもかみさまばっかりです、このあさいこのもそうだし、奥深おくぶか世界せかいも、もっともっとおくも、全部ぜんぶかみさまなのです。その「かみ」という言葉ことばにそれだけのふか意味いみがあるのです。

 それとおなじで「ありがとうございます」はおな意味いみがあるのです。
 
 「」というのが「ひかり光源こうげんいのち本源ほんげん絶対ぜったい」という意味いみです。そこから、「絶対ぜったい」からすべてのものが相対そうたい両極りょうきょく振り分ふ  わけられて、それがわさって宇宙うちゅうまれるのです。
 
 それが、螺旋状らせんじょうわさります。直線ちょくせんだと交差こうさするのは一点いってんなのですが、らせんじょうだとまじわりが無限むげんにできるのです。それがちいさいものからおおきいものまで、相似形そうじけい無限むげんわさっていくという。そういう仕組しくみで宇宙うちゅうつくられているというのが「」のらぎょうおんあらわすのです。
 
 それが無限むげん無限むげんに「かがやく」というのがダブって「」なのです。だから「無限むげん無限むげんかがやく」という意味いみになっているのです、「」がです。
 
とう」は「じゅう」ですけど、十字じゅうじ交差こうさという、ありがたしの「たし」だと、たぎょうおんとさぎょうおんになるのです。それも相対そうたい両方りょうほうします、たてよことを。それが十字じゅうじわさってすべてが調和ちょうわした姿すがたをとっています。だから、一点いってん統一とういつされて調和ちょうわしているという姿すがたをとるのです。

「ありがとう」で絶対ぜったいしんが、創造そうぞうはたらきをこして宇宙うちゅう生み出う  だして、それが無限むげん無限むげんかがやいた姿すがたをとって、すべてがだい調和ちょうわ姿すがたをとっているのが「ありがとう」なのです。
 
 これをべつ言葉ことばでいうと「天照あまてらす大御おおみかみさま」と表現ひょうげんできるのです。宇宙うちゅう絶対ぜったい統一とういつしんという意味いみです。これは、伊勢いせ神宮じんぐうにおまつりされている天照あまてらす大御おおみかみさまという、そういうちいさい意味いみではなく、宇宙うちゅう全体ぜんたい無限むげん無限むげんかがやかせた姿すがたあらわれているかみさまの名前なまえという意味いみ天照あまてらす大御おおみかみさまです。「ありがとう」が「天照あまてらす大御おおみかみさま」なのです。
 
「ございます」の「」というのが、「凝り固こ  かたまって、凝り固こ  かたまって」という、「物質ぶっしつされて、物質ぶっしつされて」という、そういう意味いみをダブらせています。神通じんつう自在じざいな、自由自在じゆうじざいかみさまが物質ぶっしつしてたましいてき要素ようそてきて、またさら物質ぶっしつすると、この物体ぶったいとなっててくるのです。
 
」というのは「サラサラながれる」という意味いみで、「清々すがすがしい・さわやかな・素晴すばらしい・素敵すてきな」とかいろんな意味いみです。さくらでもそうですが、きよらかなすがすがしい意味いみひびきがあるのです。宇宙うちゅう全部ぜんぶがサラサラとながれているという、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんいのちながれになって、ひかりながれになってながれているんだというのが「さ」をダブって「」なのです。
 
 普通ふつうこの物体ぶったいというのは、静止せいししたものをるとんでいるようにえるのですが。このいのちの「い」というのをあらわして、すべてきてるんだ、いしころいっきているんだ、原子げんしきているんだ、全部ぜんぶきているんだという意味いみで、いのちの「」をあらわしています。全部ぜんぶいのち躍動やくどうあらわしているのです。
 
 つぎの「」というのは「完全かんぜんな・まったき・完壁かんぺきな」という意味いみです。それですべてをあらわすという意味いみです。
 
 「」が「絶対ぜったい」の「す」で、全部ぜんぶをひとつに統一とういつしてきよまってだい調和ちょうわする姿すがたをとっている。また「ます」で文字もじあらわすと「どんどんえる」という意味いみで、いま状態じょうたいがどんどん「いやましにます」(*ますます、どんどんふえる…弥増す)という。だから、いまよりもどんどんくなってゆくという、おおきくなってゆく、ひろがってゆくという。
 
 最初さいしょのありがとうございますの「あ」から「す」までが、かみさまのはたらきの全部ぜんぶあらわしています。「かみ」という言葉ことば意味いみおなじで、「絶対ぜったい」から「この」まで全部ぜんぶをひとつに統一とういつしてあらわしています。
 だから、この「ありがとうございます」というのは、ある意味いみでは究極きゅうきょくかみという「かみさまの名前なまえ」なのです。そのなかには、すべてをなかっていて、すべてをだい包容ほうようして、すべてをかしきってと、そこには全部ぜんぶあるという意味いみです。
 
 翔身(かけりみ)かみさまというのは、普通ふつうかみさまを信仰しんこうするときは、なん々のかみさまの名前なまえ使つかうのです。ところがいろんなかみさまがてくると、どうしても対立たいりつというのがまれます。このかみさまがうえだとかしただとか。でも、この「ありがとうございます」をとなえると全部ぜんぶひとつにつながってしまうのです。全部ぜんぶなかおさめてしまっているというかんじです。すべての神仏しんぶつ背後はいごおおきいちからえている根源こんげんかみさまになるのです。それでいてこのまれ、からだあらわしているという。だから、さとりをひらくために「自力じりき」とか「他力たりき」とかいろいろな種類しゅるいがあるのですが。
 
 この「ありがとうございます」をとなえるゆきかたは「絶対ぜったいりき」なのです。最初さいしょから対立たいりつがないのです。こののものも、肉体にくたいった私達わたしたちも、究極きゅうきょく絶対ぜったいしん一体いったいです、このにまでかみさまのからだあらわれてるのです。一体いったいだからはなれていないのです。かみさまと最初さいしょから一体いったいという立場たちばで、「ありがとうございます」とかみさまをべば、必要ひつようなものを的確てっかくあたつづけてくださるのです。

 今更いまさらさとるとか、すくわれるとかではいのです。となえたときかみさまと一体いったいのその自覚じかく呼び起よ  おこして、必要ひつようたすけをさきあたえてけさせて、それで一体化いったいかしてくれているのです。そしたらなにらないのです。必要ひつようなものは全部ぜんぶそなわっています。それだけのすご言葉ことばが、「ありがとうございます」なのです。

 
 わたくしも、最初さいしょちいさいときは、ものをもらって「ありがとう」とか、そんなかんじにおもっていたのです、最初さいしょは。それでもいろんな苦労くろうをしていると、がる感謝かんしゃがあるのです、「ありがたいなあ〜」と。それでやっぱり、自然しぜんに「ありがとうございます」に変化へんかしてきて、それをいの言葉ことばえて一生懸命いっしょうけんめいとなえていると、もうなにこってもどんなマイナス、おおきいマイナスがあっても「ありがたい」「ありがとうございます」がえないのです。
 病気びょうきをして大病たいびょうして、どんなに苦労くろうしても、そんなのなんでもない、ヘッチャラになってしまったのです。「ああ、すごいなあ」という「ありがとうございます」ととなえただけで、こころがいつもしあわ一杯いっぱいにしてもらえます。それを益々ますます繰り返く  かえしてとなえていると、今度こんどかみさまの本当ほんとう実体じったいうのですか、「これがかみさまなんだ」というのが、ちょっとかんじられてくるのです。
 
 最初さいしょちいさいひかりかもれませんが、それがどんどんどんどんひかりおおきくなってきたのです。丁度ちょうど実物じつぶつ太陽たいようがあって、わたくしたちはこの地上ちじょう太陽たいようこうたい乱反射らんはんしゃした姿すがたているのです。その地球ちきゅうあらわれたこうたいでもすごいでのす。そのかみさま、たとえると、それが無限むげん無限むげんかがやいた姿すがたで、感謝かんしゃをするとけられるのです。そら少々しょうしょうくもがかかってようが、うえではいつもかがやいてくださっているというようなかんじなのです。
 それを感謝かんしゃすることによって「ありがとうございます」で、その大光だいこうたいかんじるのです。その大光だいこうたいおくに、実物じつぶつ太陽たいようまでのあいだにも、ところてんしきおおきいこうたいがずうっとつながっているようなかんじです。天照あまてらす大御おおみかみさまという大光だいこうたいが、無限むげん無限むげんつらなって、おくにところてんしきにつまっていて、さらおく絶対ぜったいおおきいひかりみなもとがあるんだというように。
 その「ありがとうございます」をとなえているうちに、どんどんどんどんかみさまの実態じったいおおきくなってきたのです。だから、もう言葉ことばでは表現ひょうげんできないくらい「すごいんだなあ」とおもうのです。それがいま実感じっかんなのです、だから、となえた回数かいすう積み重つ  かさねただけ、中身なかみもどんどんえてもらえると、そういうふうにおもうのです。
 
 最初さいしょ病気びょうきなおしてもらったとか、必要ひつようなものをあたえてもらったとか、奇跡的きせきてきなことがいっぱいこったのです。それもありがたかったのですが、それよりも、「なにこっても平気へいき」という、しあわせが絶対ぜったいくずれないこころしあわせ、絶対ぜったいくずいというのがもっとうえなのです。 いまかり地獄じごくりて、「ちょっとくるしんでおいで」とわれても平気へいきなのです、苦痛くつうおもいません。おおきいしあわせをあたえてもらっているから。丁度ちょうどなつあつに、こおりをちょっとさわるぐらい平気へいきでしょう。そんなかんじで、くるしみとかマイナスをけられるようになってしまったのです。だから、しあわせなこころなにがあってもしあわせになってしまうのです。そのみなもとかみさまなのです。

 みなさんもここへられて、なんためたのかとおもうでしょう。「だまされてたかもれない…。」でも本当ほんとうかみさまにみちびかれて、本当ほんとう自分じぶん確認かくにんするためにられているんだとおもいます。いままでにいろんな苦労くろう一杯いっぱいされて、いろんな修行しゅぎょう一杯いっぱいされて、最後さいごにたどりくところが、この「ありがとうございます」という絶対ぜったいかみさまなのです。それが本当ほんとう自分じぶんだとおもうのです。最後さいご本当ほんとう自分じぶんにたどりいたというのを、多分たぶんここで確認かくにんされたとおもいます。だから、そういう確認かくにんをする時期じきひとだけがここへられているようです。わたくしは、なんちからもないのです、ぜんぜんなんちからもない、ゼロ以下いか。ただ、感謝かんしゃしてかみさまのたすけをたくさんけられるように訓練くんれんしてもらっただけなのです。
 
 わたくし両親りょうしんは、おや兄弟きょうだい早死はやじにして家系かけいえるような家系かけいだったのです。それで両親りょうしんとも苦労くろうをしてるのですけど。そういう家系かけいというのはあんまりいい家系かけいではありません。たくさんのマイナスを一杯いっぱい積み重つ  かさねて、家系かけいえるかもれないという状態じょうたいです、そうとうわること一杯いっぱいしてきたかもれません。そういう家系かけいまれて、尚且なおかつこんなにしあわせなこころに、状態じょうたいにしてもらえたというのは、かみさまのちからだけです。
  だから、ありがたくってたまらなくなって、まんぶんいちおくぶんいち恩返おんがえしでもできたら…、とおもうのですが。かえすものがなにい、もらうばっかりでかえすものがなにひとついのです。この笑顔えがおももらっているのです、かみさまから。ちょっとは地獄じごくちてくるしいかおをしたいとおもうのですが、ぎゃくに…、出来できなくなってしまった。はははは。五井ごい先生せんせいもそうでしたが、人類じんるいごう・マイナスの想念そうねん感情かんじょう背負せおって、全部ぜんぶきよめるはたらきです。わたくしもそういう役目やくめを、やっぱりしあわせだから、ちょっと恩返おんがえしをさせていただいているのです。
 
 突然とつぜん体中からだじゅういたみがはしったり、突然とつぜん咳き込せ  こんでたんたりするのです。まあ、いま日本にほんもいろんな意味いみで、マイナスのさばこころおおいですから。いま小泉こいずみさんが総理大臣そうりだいじんになって前向まえむきに改革かいかくするってさけんでくださっているんで、ちょっと人気にんきないと。いままでが責め合せ  あいで、あし引っ張ひ  ぱいなんです。そういうさばおもいを、やっぱりちょっとはけてはたらきをさせてもらわんならんとおもいます。
 最近さいきん、ちょっと夜中よるじゅうずうっと咳き込せ  こむのです、それでたん一分いっぷんきざみにるのです。むかしはもっとひどかったときもあるのです。なんヶ月かげつ連続れんぞくしたこともあったのですけど。いまいっ週間しゅうかんほどで、らくなのです。それでも一分いっぷんきざみでると、られないのです。こうしてはなしをするときは、ほとんどまるのですけど。なにときにはっぱなしなのです。咳き込せ  こつづけてたん一分いっぷんきざみでます。だから、ティッシュペーパーを夜中よなかじゅうにはこぐらい使つかってしまいます。それはべつくるしいとおもわないし、平気へいきになります。
 
 だいぶまえには、さんヶ月かげつぐらい連続れんぞくしてつづいたことがあったのです。そのときはやっぱり、さすがに弱音よわねてきます。「これだけつづくんだったら大変たいへんだなあ」とおもって「ちょっとお医者いしゃさんにってくすりでももらおうか・点滴てんてきでもけようか」とそういうことがあったのです一度いちど

 病院びょういんったら「そく入院にゅういん」とわれたのです。レントゲンをっても「これは、絶対ぜったいかえったらぬ」とわれました。それで検査けんさしてもらってしてくれんのです、それでも無理むりやりかえりました。そうしたらお医者いしゃさんが、「うことかんでかえったから、んでも保障ほしょうしない」というのです。「誓約書せいやくしょけ」という。本当ほんとうにそうでした。お医者いしゃさんは責任せきにんがあるらしいのです。
 ところが検査けんさだけをけて、それだけのことわれてかえったら、そのにピタッとなおっているのです。「それだったら、可哀相かわいそうだ」とおもったんでしょう。「お医者いしゃさんやくすりたよるんだったら、ちょっとなおしてあげようか」というかんじで、それでも不思議ふしぎなことにピタッとまるのです。かみさまのはたらきってすごいなとおもうのです。

 最近さいきんは、少々しょうしょうでもへこたれないのです。もうからだいたみがはしっても平気へいきなのです。それだけよろこびがおおきいのです。おおきいよろこび・しあわせをあたえてもらっているから、ちょっと地獄じごくあし突っ込つ  こんでも平気へいき、そんなかんじになります、それもみんな「ありがとうございます」という、このいの言葉ことばのおかげだったとおもいます。一番いちばんとくしているでしょう。あっはははは。だから、このいの言葉ことば絞り込しぼ  こめたひとが、一番いちばんはやしあわせをつかんでやすらげるとおもうのです。みなさんもいろんなことをしてきたでしょう、ぼちぼちと最後さいご究極きゅうきょくいの言葉ことば絞り込しぼ  こ時期じきになってるのです。

      「ありがとう」が天照あまてらす大御神おおみかみです
 
-ありがとうございます-
 いまのおはなしなかで、ちょっと最初さいしょほうだったのですが、「ありがとうございます」と「天照あまてらす大御神おおみかみ」と一緒いっしょということわからなかったのです。そこをもう一度いちど説明せつめいねがいます。
 
ありがとうございます:
 「ありがとう」が天照あまてらす大御神おおみかみです。「ございます」がつくと「天照あまてらす大御おおみかみさま、いまここにいらっしゃいます、します」という意味いみです。「このにまで姿すがた物質ぶっしつしてあらわしてくださっている」という意味いみです、「ございます」で。「いまここにいらっしゃる、します」という意味いみです。
 本当ほんとう天照あまてらす大御おおみかみさまはおくに、こころおくかがやいているのです、一番いちばんおくにです。その天照あまてらす大御おおみかみさまが物質ぶっしつして物質ぶっしつして、このぜん大宇宙だいうちゅうあらわれるのです。だから「天照あまてらす大御神おおみかみいまここにします」というのが「ありがとうございます」です。
 
-ありがとうございます-
 わたくしいままで、こういうのにえんがなかったので、天照あまてらす大御神おおみかみをここでおきして「ああそうかな」というレベルの認識にんしきなのですけど。自分じぶん奥底おくそこにあるのが「天照あまてらす大御神おおみかみ」というのは、それはどういうことなのですか?

ありがとうございます:
 かみさまの言葉ことば定義ていぎは、いろんな解釈かいしゃくがあって定義ていぎをしっかりしないと間違まちがうのです。ひとによったら、肉体にくたいってあらわれた女神めがみさまのようにいうひともあるし、太陽たいよう天照あまてらす大御おおみかみさまというひともある。また、伊勢いせ神宮じんぐうにおまつりされている天照あまてらす大御おおみかみさまで、皇室こうしつ先祖せんぞだというひともある。
 でも、わたくしのはそういうものではなしに、宇宙うちゅうのすべてを生み出う  だしている一番いちばんおく無限むげん無限むげんかがやいたそのかみさまのはたらきを天照あまてらす大御おおみかみさまというのです。そのかみさまの表現ひょうげんよそおい、それがこのぜん大宇宙だいうちゅうなんだというような意味いみなのです。
 
-ありがとうございます-
 そのひとによって解釈かいしゃくとか理解りかい仕方しかたがあるんだけれど、先生せんせいがおっしゃっているのは「わたくしはこういうふうにおもいます」そういう…。

ありがとうございます:
 そうです、そうです。そういう意味いみ天照あまてらす大御おおみかみさまをとらえて「ありがとう」とおなじです。だから、ひとつくったかみさま・ほとけさまの信仰しんこうというのは、ちょっとかたよるのです。よっぽど言葉ことば定義ていぎをしっかりしないとおたがいの説明せつめい噛み合か  あわないところがあるのです。
 
-ありがとうございます-
 「かみ」というのを人間にんげんがどう表現ひょうげんしていいかわからない。片一方かたいっぽうは、エネルギーという、それをとき天照あまてらす大御神おおみかみ名前なまえんだのかなあとおもったのですが。そういう理解りかいはどうでしょうか。
 
ありがとうございます:
 「あまてらす」という言葉ことばも、言霊ことだま解釈かいしゃくするとよくわかるのです。

「あ」が「ひかり光源こうげんいのち本源ほんげん」です。
「ま」宇宙うちゅう全体ぜんたいが「完全かんぜんな・まったき」姿すがたをとってるという。
「てらす」で「て」が、びるように無限むげんひろがるという意味いみです。無限むげん無限むげんひろがってゆく…。それでらせんじょうに、
それで全体ぜんたい「す」だい調和ちょうわ統一とういつされていると。
 
 だから「あまてらす」で、それだけの宇宙うちゅう根源こんげん姿すがた表現ひょうげんしてくださっているのです。これが、たとえばマホメットきょうのアラーのかみだと「あ」と「ら」の意味いみはわかるのですけど、「て・す」がないでしょう。「ま」もないし、ちょっと意味いみすくないのです。だから「あまてらす」で全体ぜんたいおおきく表現ひょうげんしてくださっていてわかやすいのです。
 
-ありがとうございます-
 それは言霊ことだまという、我々われわれ大和やまと民族みんぞくっている表現ひょうげんでそういう・・・。
 
ありがとうございます:
 あるのです、はい。かみさまは言霊ことだま宇宙うちゅう生み出う  だしているのです。言霊ことだまそくした言葉ことばがあると、理解りかいできわかやすいのです。日本人にほんじんってしあわせなのです、私達わたくしたち使つか言葉ことばで、かみさまの言霊ことだまを、いうたらつかみやすい、繰り返く  かえやすいのです。
 
-ありがとうございます-
 それは天照あまてらす大御神おおみかみだけではなく、ほかかみさまのいろんな名前なまえがありますが、それもぜんぶことだまで・・・・。
 
ありがとうございます:
 それも言霊ことだま解釈かいしゃくするのです。かみさまのいろんな名前なまえは、本当ほんとうかみさま、唯一ゆいいつ絶対ぜったいしんはたらきをすのです、「かみ」です。かみさまの本当ほんとうはたらきは無限むげんにあるのです。だから、無限むげんかみさまの名前なまえまれてきても、べつ不思議ふしぎではないのですけれど。「ただひとつのかみさまの無限むげんはたらき」ととらえたら間違まちがわないのです。かみさまは、唯一ゆいいつ無二むに絶対ぜったいなのです、ただひとつだけ。(いろんなはたらきによって…)かみさまの名前なまえ一杯いっぱいまれてくるのです。
 
-ありがとうございます-
 その唯一ゆいいつ絶対ぜったいしんというのが「あまてらす」という。
 
ありがとうございます:
 だから、その無限むげん無限むげんかがやいた表現ひょうげん中心ちゅうしんってきたときに、おく創造そうぞう絶対ぜったいはたらきも、なかかくしてっているわけです。それで、分身ぶんしんとしての無限むげん無限むげんはたらきを表面ひょうめんって、全大ぜんだい宇宙うちゅうという姿すがた物質ぶっしつしてあらわれているのです。だから、わかりやすい言葉ことばです、「あまてらす」というのは。
 
-ありがとうございます-
 いま言霊ことだまはなしですけど。先程さきほどからずっとおきしていましたら、あぎょう、かぎょう、さぎょうによってはたらきがちがうようにおきしたのですけど。あぎょうから・・・・。
 
ありがとうございます:
 一字いちじ一字いちじちがうのです。
 
-ありがとうございます-
 一字いちじ一字いちじちがうでしょうけども、ぎょうごとにおおきなはたらきがあるように感じ取かん  とれたのですけど。時間じかんかりますんで、五十音ごじゅうおんまでかんでもいいのですけども。あぎょうひかり、らぎょうはらせんということいまうかがったのですが・・・。
 
ありがとうございます:
 それも言霊ことだま一部いちぶなのです。もっとくわしくというと、やっぱり表面ひょうめんにひとつのかおても、おくにいろんなはたらきを同時どうじっているのです。だから、つぎからつぎへいろんなかおおもててくるのです。

 たとえば、おなじ「あ」でも、いろんな角度かくどからの説明せつめい全部ぜんぶくわわってこないと「あ」ひとつの言霊ことだま解釈かいしゃくできないのです。それをいますると時間じかんがぜんぜんりません。それはまたひと研究けんきゅうまかせておいて。
 言霊ことだま研究けんきゅうされているかたは、日本にほんでもかなりいらっしゃるのですけれど。まあ、みんなせつちがうのです。でも、いとこりでぜんぶ勉強べんきょうされたら、ある意味いみではかなりくわしくわかるとおもいます。
 
-ありがとうございます-
 「感謝かんしゃします」という言葉ことばがあります、こういう言葉ことばというのはなんか中国ちゅうごくならよくしゃ々とか、感謝かんしゃというかんじそのものも「感謝かんしゃします」とっても、あたまがちょっとげにくいというのは失礼しつれいかもしれないけれど。「ありがとうございます」って自然しぜんあたまがって、本当ほんとうにありがたいという気持きもちになるかんじです。やっぱり日本人にほんじんというのは、意識いしきなかすでにあるというか、説明せつめいされましたように、からだ反応はんのうするというか、自然しぜんにというのがありますよね。(要約ようやく)
 
ありがとうございます:
 漢字かんじ文字もじ素晴すばらしいのですけど、感謝かんしゃ言霊ことだま言葉ことば放射ほうしゃかんじるという意味いみで、ちょっとわかやすいという意味いみもあるのです。
 でも、「ありがとうございます」ととなえたら、そくかみさまがそのまままえにあるわけです。全部ぜんぶあたえてくださる、あたえるだけじゃなくてしてくださるのです、必要ひつよういものを。だから、結果けっかがそのままてきます、そうしたら自然しぜんあたまがります。「感謝かんしゃします」じゃあ、本当ほんとうにそうです、あたまがりません、結果けっかまですぐないのです。だから、やっぱりすごいのです、「ありがとうございます」は。
 


     ちち財産家ざいさんかまれて両親りょうしんかれて、一人ひとり
  
-ありがとうございます-
 ちいさいときからおいのりをされていて、どういうふうにおいのりをするようなことに…。
 
ありがとうございます:
 ちち財産家ざいさんかまれて両親りょうしんかれて、一人ひとり財産ざいさんいつぶしました。放蕩ほうとうからだをボロボロにし、それで、もう絶対ぜったいぬというところを、やっぱりかみかりでたすけてもらった、いのちすくってもらったのです。そのあといろんなたきたれたり、断食だんじきしたり、いろんなぎょうをして、かみさまのお手伝てつだいをするという意味いみ奉仕ほうし活動かつどうをしていました。仕事しごと時計とけいをしながら、そういうかみさまごと人助ひとだすけをしていたのです。

 あるときわたくし小学校しょうがっこうがったころから、「こんなのは、修行しゅぎょうでもなんでもない」というふうにりてきたかみさまが指導しどうしてくれたのです。「これから本当ほんとう修行しゅぎょうをさせてあげる」と、どういう修行しゅぎょうかというと。それまではやっぱり商売しょうばい繁盛はんじょうしているのです。通勤つうきんきゃくためあさろくにはみせけて、時計とけい修理しゅうりってこられるようにしていたから、ものすごく繁盛はんじょうして借家しゃくやまでっていたのです。
 ところが、そういうおげが途端とたんにおきゃくさんはピタッとまる、それで「仕事しごとめなさい」というわけです。それでもう時計とけいができなくなりました。だれ一人ひとり修理しゅうりってこないし、いにもてくれない。そのうちに借家しゃくやってしまう、家財道具かざいどうぐしちながしてしまう、全部ぜんぶえてしまったのです、すっからかんに。最後さいごまでのこったのは、時計とけいです。うできなんかがのこるのですが、それも、てつ真鍮しんちゅうけて全部ぜんぶってしまう。だから、全部ぜんぶくなるのです、そこからです、「これから耐乏生活たいぼうせいかつをさせます」というのです。

 それで、ひとから物置ものおきりて、トタン()りの物置(ものおき)なのです。ろくにん家族かぞくがそこで生活せいかつすることになります。ゆき舞い込ま  こむようなあなだらけのトタンで、そのくらいのところだったのです。そこで藁布団わらぶとんくんじゃなくて、かぶって。おもたい藁布団わらぶとんをかぶって、そのとき着替きがえるふく、シャツ一枚いちまいもありませんでした。それで食べ物た  ものもない、なにもかもなくした状態じょうたい生活せいかつはじまるのです。つくろいとかった、本当ほんとういというたらすっからかん、なにもない。本当ほんとうに、見事みごと全部ぜんぶられてしまう。はははは。
 それから、最初さいしょ仕事しごとをさせてくれないのです。そしたらなにべたらいんか、野菜やさいくずちかくのはたけほかしてあるのをひろあつめて、いとろこだけとって水炊みずたきでべていました。お醤油しょうゆなんか絶対ぜったいえない。くものといっても、ここはやまだから一杯いっぱいあるけど、まちなかだもので、もないしそのへんちている下駄げたとか、木屑きくずひろあつめてきものをする。あつまわるのも大変たいへんだったのです。
 
 それでしばらくしてから、「内職(ないしょく)だけはしても()い」という。ところが内職(ないしょく)というのも、(みな)さん、されたら(わか)るけど(やす)いでしょう。内職(ないしょく)によったらすればするほど(そん)するものもあります。(むかし)チューインガムみたいな(ふえ)みたいなのがありました、それを(かみ)()くんだけど、最初(さいしょ)(はか)ってくる(とき)は、ちょっと湿気(しけっ)ているからか、それで()いて()って()くと()っているの、はははは。そしたら、(ぎゃく)内職代(ないしょくだい)余計(よけい)()られる。そういう内職(ないしょく)もあります。家族(かぞく)で、(わたくし)(わたくし)(あね)(いもうと)二人(ふたり)とみんなでやるけど、ほとんど一食分(いっしょくぶん)小麦粉(こむぎこ)()うお(かね)もできません。(あさ)から(ばん)まで一生懸命(いっしょうけんめい)やっても。そういう内職(ないしょく)を、(つぎ)から(つぎ)内職(ないしょく)種類(しゅるい)()えては一杯(いっぱい)させてもらいました。

 そうすると、病気びょうきにかかってもくすりえない、おかねいし、それでも風邪かぜいたら、アスピリンを、むかしはアスピリンをしいからとおもいます。それで、薬局やっきょくヘアスピリンちょうだいといって一回いっかいもらえます、「ちょっとしといてね」ってパッとかえるのです。でもそれは二回にかいさんかいになってくると、やっぱり薬局やっきょくによったらもう通用つうようしなくなってきます。かなりとおいところまで薬局やっきょくさがしにいくのです、あっははは。それでもやっぱり最後さいごは、もうダメ。「まえのをっておいで」とわれたらもう。はいりません、アスピリンも。だから、くすりにもたよれない、お医者いしゃさんにもかれないとなったら、ちょっと病気びょうきしたり怪我けがしたりするとやっぱりかみさまにすがるようになってきます。
 ところが、かみさまは不思議ふしぎちからっているのです。かみさまに「ありがとうございます」とっているとなおしてくれます。おな病気びょうきをしているひとは、お医者いしゃさんにかってわるくなるのに、「ありがとうございます」とうたらパッとなおしてくれたのです。それでまたあじめて、一生懸命いっしょうけんめい「ありがとうございます」をえるようになったのです。

 学校がっこう教科書きょうかしょでも、おかねがないからえません。いまはタダでもらうけど、そのときわないと教科書きょうかしょくて勉強べんきょうできなかったんだけど。もうぎりぎりの最後さいごに「教科書きょうかしょだい、これだけ」というのは不思議ふしぎはいってくるのです。もう学校がっこうへゆく寸前すんぜんはいってくる。いち時間じかんまえだったら多分たぶんダメなのです、食べ物た  ものわってしまう、あっははは。もう、ぎりぎりのとこでおかねがサッとはいってきて、それがきっちり教科書きょうかしょだいです。そうするとおや食べ物た  ものえられんとおもうのです。それでスーッとってって、それで教科書きょうかしょあたえてもらうのです。そんなかんじで、必要ひつようなものはあたえてもらったのです。
 
 ところが給食きゅうしょくだいなんかははらえません。PTAのおかねはらえない。だから、給食きゅうしょくときはみんなが教室きょうしつべていても、一人ひとりだけ校庭こうていふゆさむときでも、校庭こうていでジッとって「ありがとうございます」をとなえていました。でも、それが苦痛くつうでなくなるのです、「ありがとうございます」をとなえているとあたたかくなってきます、はははは。さむいときでもあたたかくなります。
 だから、そのとき手袋てぶくろ靴下くつしたいのですが、そんなん絶対ぜったいってもらえません。くつやぶれたくつをそのままいているから、ほとん裸足はだし状態じょうたい。お風呂ふろにもはいれません、石鹸せっけんかったし、お風呂ふろなんかいから。がどうなんかいうたら、まつはだみたい、本当ほんとうにそう、見事みごとですこれ。こんなきれいなちがいます。小学生しょうがくせい可愛かわいが、本当ほんとうまつはだみたいになっていました。すごいでしょう。
 
 でも、それでも、平気へいきです。つよいなあとおもう、しもやけにもならん。それにさむさにたいしても平気へいきです。やっぱりこれは「ありがとうございます」のちからです。かみさまがやっぱりなにひかりのバリアみたいなのでつつんでくれて、それでいたみやくるしみがないようにちゃんとまもってくれたんだとおもいます。
 そういうかんじで順番じゅんばん感謝かんしゃさせてもらったのです。「その感謝かんしゃが、やっぱり、本当ほんとうぎょう」だったようです、かみさまからの。だから、一番いちばんらくぎょうを、かみさまがおしえてくれて、かみさまが実行じっこうさせてくれて、それで、はやしあわせにしてもらったんだとおもいます。
 
 ず、かみさまと自分じぶんとのあいだにはなにもないのです。おかねもないし、ものもないし、貯金ちょきんなにい、クッションはおいてないのです。そのまま必要ひつようなものは、サッとはいってくるのです。それが、そのかみさまのあいまもりがヒシヒシとかんじるのです。余裕よゆうがあったらかんではありません、あいだにクッションをくからです。
 だから、その食べ物た  ものでも、かみさまからサッとしてきたら、ありがたいのです。どんなまずいものでも「ああ、美味おいしい」となるのです。そういう体験たいけんをいっぱいさせてもらったのです、だから、ありがたくてたまらなかった。
 
 ごはんの、おこめのごはんなんかべたことがありませんでした、一番いちばんのご馳走ちそう小麦粉こむぎこのおだんごです。それを野菜やさいってきたりして、一緒いっしょ煮込にこむわけだけど。それでおしお味付あじつけして、それが一番いちばんのご馳走ちそうだった。たまにむぎでも丸麦まるむぎをもらいます、それはそのままではべません。しつぶすとべやすいけど、それでもいたのでも美味おいしかった。玄米げんまいをそのままいたのより、もうひとつツルツルします、ツルツルぎるます、かたいから。でも、それでも、べたら美味おいしいのです。
 あの当時とうじは、戦後せんご食べ物た  ものときだったから、外国がいこくからトウモロコシのこなはいってきていました。つうはケーキをいたりしてべるのですけど。それでもそのままべても美味おいしい。すごいなあとおもう、かみさまから直接ちょくせつもらったものは、あじいていて、はははは。

-ありがとうございます-
 アスピリンをいにいくときは「ありがとうございます」はわなかったのですか?

ありがとうございます:
 いやっ。それでもさきたよるのです、そっちへ。身近みぢかなものにどうしてもたよってしまいます。だから、かみさま以外いがいたよるところを全部ぜんぶ断ち切た  きってくれたのです。そこへたよったらなおしてあげるというかんじです。
 本当ほんとうかみさまだけにたよったら一番いちばんいいんだとおもいます、かみさまが全部ぜんぶ面倒めんどうてくれているのです、本当ほんとうは。でも、みんなそれをわすれて、おかねたよったり、ものにたよったり、ひとたよったりしがちなのです。だから、一番いちばんしあわせは、本当ほんとうかみさまにたよればいいんだというのを、そういう意味いみおしえてくれたのです。それではやかみさまを身近みぢかかんじられたのです。このしあわせはぜったいくずれない、かみさまがえないかぎり、かみさまは永遠えいえんえないのです。

-ありがとうございます-
 おとうさまがかみさまにつながられたときとなえられていたのは、なんとかのかみさまだったとおもうのですね。それが、いま先生せんせいがおっしゃいますようように「ありがとうございます」イコールかみさまにつながるというのはどういうふうな・・・
 
ありがとうございます:
 わたくしちちは、いろんなかみさま、かみさまをひろくとって、いろんなかみさまをまつっていました。たくさんまつったら、たくさんまもってもらえるとおもって。それでおまつりもちいさいときは、「おきゅじ」というのか、おこめ一杯いっぱいそなえしたり、おみずえたり、おはなさかきをいろいろしたり、それをずうっとしていました、ちいさいときから。

 でもあるとき一人ひとりかみさまがてきて、「たくさんまつっているけどなあ」とうのです。「お稲荷いなりさんにこころけていたら、お稲荷いなりさんはちからがあるからなあ、まもってくれるから、かみさまは全部ぜんぶ稲荷いなりさんにまかしておいたら大丈夫だいじょうぶだから、みんなくよ」と。そうしたら、お稲荷いなりさんはお稲荷いなりさんで、「お不動ふどうさんをまつっているから、お不動ふどうさんはちからがあるから、大丈夫だいじょうぶだからお稲荷いなりさんはくよ」とうのです。かみさまはだいたい謙虚けんきょだから。
 そんなにたくさんまつってるのです、いろんなかみさまを一杯いっぱい。そうしたら「一体いったいだれがまもってくれるの」。そうやってたずねてくる。だから「たくさんまつらんでいんだよ」とうてるのです。ただ、ひとつのかみさま・根本