真祈り文庫
2001年4月24日No.3
すべて、腐れ縁も光の縁に変わるのです
-ありがとうございます-
人生で出会いや別れ・縁とか・・・その中で「ありがとうございます」と言っていれば導かれますか?
ありがとうございます:
そうです、すべて、腐れ縁も光の縁に変わるのです。どんな腐れ縁も神さまからの神縁に変わります。みんな光り輝いてしまいます。どういう世界に自分が置かれていてもそこが中心になるのです。神さまの中心に置いてもらうのです。自分の周りは無限に無限に輝いている神さまの世界・神さまの体になります。
中心というのは上とは違うのです。一番下・中心というのは、一番下だからすべてが降りそそぐように流れ込みます。謙虚に謙虚になると中心に立てるのです。そして、無限の無限の感謝が湧き上がります。だから、一番下に降りたら一番幸せなのです。すべてがプラスに見えるのです。
例えば人に悪く言われればチョッと腹を立てるのですが、それはその言葉より上にいるからです。馬鹿といわれて腹を立てる人は賢いのです。どんな言葉を言われても喜べたらいいのです。悪い言葉をいっぱい並べてくれたら良いのです。「ありがとうございます」と言えたら良いのです。一番下に降りたらそうなります。悪魔と言われても、人殺しと言われても「ありがとうございます」と言えたら良いのです。もっともっと下にいるのです、謙虚な立場で。
馬鹿野郎と言われたって、糞ッたれと言われたって、何を言われてもいい。ああ!ほめ言葉だと思えるくらい下に出たら、こんなに褒めてもらって「無限の無限のありがとうございます」と言わないと!謙虚な立場ほど神さまの光をいっぱい浴びられます。だからみんな中心に立っているという、一番下が中心なのです本当はそうです。周りは光ばっかり。
だから、呼吸でいうと、神さまからいろんなものを受けたり吸い込むといった感じです。それを全部吐ききったら良いのです。吐ききって何もない状態が一番謙虚です。後は入ってくるだけです。後はスーッと自然に入ってきます。その繰り返しをすれば良い。だから、感謝は呼吸なのです。「ありがとうございます」と全部受けて同時に吐き出して神さまにお返ししているのです。
一回一回の「ありがとうございます」が一番謙虚にすべてを受け直しているのです。だから、「ありがとうございます」には全部あるという意味はそういう意味もあるのです。受けるのもお返しするのも全部そろっています。同時です。だから、呼吸になっているのです。
だから、「ありがとうございます」を繰り返したら謙虚になって中心に立つ自分・いつも神さまを感じられる自分になります。でも、元々はみんなそうなのです。難しい事を全部捨てたらフッと元に戻るのです。みんな難しい事をしすぎています。元に戻れないだけです。悟りというのはそうです。元々みんな悟っていて、難しい事をして迷うのです。それで、迷って、もう嫌だと全部捨てたら単純に戻ります。そしたら悟った自分に気付くという、そんな感じです。
神さまをどこに見出すか?肉体の中に魂の自分があり命の自分があり神さまがありといって、神さまを小さく見たらだめです。逆です。分け方はいろいろです。肉体があって・幽体があって・霊体があって・神体があってというふうに。
神さまを中心に置く人もあります。でも神さまは中心・下ではありません。自分を一番中心・下に置いたほうが良いのです。だから、どういう立場の自分でも、中心から外広がりに無限に無限に神さまへ広げてしまえば良いのです。だから、中心に置いてもらうのは大光源の大光体の中です。自分はあくまでも常に中心です。だから、どこにもマイナスの闇はなくなります。自分以上の闇はない(笑い)。
中心のお手本を見せてもらっているのです
-ありがとうございます-
天皇陛下は中心に立たれる方で、それをどういうふうに考えたら良いですか?
ありがとうございます:
中心のお手本を見せてもらっているのです。地球上の日本の天皇陛下が、宇宙全体から見て一番の中心というわけではないのです。まだまだ小さい地球上の日本のお手本です。本当の中心はどこにあるか?宇宙絶対神です。一番謙虚に謙虚に奥へ隠れてしまう絶対の姿なのです。「ありがとうございます」という神さまです。
絶対に自分を出さない本当は。神棚も要らないと言う。絶対に要らんと、褒めてくれないでいいと、お礼も言わなくて良いと、何も要らないと、それで良いと、必要な助けをいくらでも与えましょうと、でしゃばっても来ないしおせっかいもしないし、みんなの自由を尊重して必要なだけを与えてくる。本当の中心はその神さまです。
だから、その神さまの真似事と言ったら何だけど、まねをして神さまに近づいてゆくのです。だから、天皇陛下の中心の姿を真似して自分も近づけば良いし、さらにはもっと神さまのまねをして、もっともっと深い中心に入れば良いのです。
本当の中心は一定に定められたものではないのです。だから、天皇陛下と同じ立場に皆さんも立とうと思えばいつでも立てます、ただしたかったらですが。でも、謙虚にならないと中心に立てないのです。謙虚な人は自分から立ちたいとは言わないのです。みんな謙虚に謙って一番最後で結構ですというのです、お先に皆さんどうぞどうぞと、それだったら決まらないでしょう。仕方ないから神さまが誰か一人、適当にかもしれない(笑い)ポッと一人指名するのです。だからみんな平等なのです。だから、形の上で中心に立てなくっても、本当の意味での宇宙の中心に・神さまの中心におかれているのだったら、それ以上の中心はありません。
だから「ありがとうございます」と皆に感謝するだけです。天皇陛下にも大変な中心に立って頂いて「ありがとうございます」と、私たちは楽をさせていただいていますと(笑い)。
初歩の頃は数えるのです。でも今は「ありがとう
-ありがとうございます-
一時間ぐらい瞑想をされていたでしょう。その間にカウントをされていたのですか、それとも、数えずに言われていたのですか?
ありがとうございます:
初歩の頃は数えるのです。でも今は「ありがとうございます」の中に「無限の無限のありがとうございます」が入っているから数え切れないのです。無理して数えなくても良いのです。本当は自分一人の「ありがとうございます」は回数ではないのです。バックで守護霊さまも「ありがとうございます」と一生懸命唱えてくれているし、守護神さまもいっぱい唱えるし、縁ある人は全部自分のために唱えてくれているのです。この世の人もどこに自分のために一生懸命に唱えてくれているかもわからないのです。
だから、本当はみんなと一緒にお祈りをさせてもらっていると思って、自分が一回「ありがとうございます」と言うと「無限の無限のありがとうございます」を同時に与えてもらっていると思えばいいのです。それに対してまた「ありがとうございます」とお返ししないといけない。
だから本当は、一瞬一瞬・一回のお祈りが「無限の無限のありがとうございます」なのです。そのぐらい価値のあるお祈りをさせてもらうのです。だから幸せになるしかないのです。だから、これは自力ではありません、自力のお祈りではありません。他力でもない、絶対力のお祈りです。すべてを努力なしで与えてもらうお祈りです。だから素晴らしい、すごいのです。
そのときその時に自分がどの立場にいるのか
-ありがとうございます-
瞑想を初めてしたのですが、自分では瞑想なのか寝ていたのか区別がつきません?
ありがとうございます:
そのときその時に自分がどの立場にいるのか、自由自在で良いのです。それにふさわしい状態で神さまの助けを受けていたら、小さい自分だけの祈りではないのです、何時も全体に生かされて光を与えてもらっての祈りなのです。
だから、光も輝きも全部そのままで良いのです。居眠りの時は居眠りの状態でも我のない深い祈りかもしれません。だから、それはマイナスに思わない事です。すべてを大きくプラスにプラスに思い返していったほうが良いのです。
徹底した楽天主義・楽観主義が良いのです。プラスばっかり拾い上げるのが楽天主義。すべてをプラスにプラスに思い返すのが楽観主義。人が何を言おうが関係ない。自分にとったらプラスプラスです。何もかもプラスに思い返せば良いのです。
この世に名前を出して宣伝して立派に見せたいというのは程度が低いのです。神さまの世界はもっとそうです。名乗って出てくる神さまは低いと思わなければいけない。本当に立派な高い神さまは絶対に正体を表さないというくらい、自分の表す姿を自由に変身できるけど、醜い姿で出てくるかもしれません。名も名乗らないで、名乗ったら面白い変な名前かもしれません。
「ありがとうございます」が急に「無限の無限の
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」が「無限の無限のありがとうございます」になったきっかけは何ですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」が急に「無限の無限のありがとうございます」に一足飛びに変化するわけだからすごい進化です。これも唱えていたら自然に変化してゆきます。だから、幸せ・幸せ・幸せと言い続けたら、そのうちに無限の無限の幸せというのがわかってきます。
ありがとうも同じなのです。「ありがとうございます」を唱え続けているうちに必ず「無限の無限のありがとうございます」に変化します。ドンドン深く大きくなってゆきます。いろんな意味合いが出てくるのです。自己暗示ではなく、暗くないのです。
元々あるものに気付いてゆくみたいです。目の前の鱗が一枚一枚はがれてゆくような感じです。一枚はがれるごとに明るさを増して世界が広がります。
最高の供養になります。最高のプレゼントです
-ありがとうございます-
いろんな宗派があって、私のうちは南無阿弥陀仏なのですが、「ありがとうございます」だけで供養になりますか?
ありがとうございます:
最高の供養になります。最高のプレゼントです。「ありがとうございます」があればその中にすべてのお経・この世のお経だけじゃない、あの世にも高い世界にも、真理の教えのお経がいっぱいあるのです。その全部が中にあります。だから、この世のお経みたいなそんな意味のわからないお経よりも、「ありがとうございます」の意味のわかるほうが、すべてのお経それも本当のお経の光を全部持っている最高の真髄みたいなものです。
「ありがとうございます」に辿り着けば、すべての、自分の家のご先祖さまだけではなく、ありとあらゆる過去の全部の縁あるものに光を届けることになるから、宇宙全体への恩返しになります。
恩返しなんてそんなこと考える事もないかもしれない。みんなみんな無限に無限に輝いて悟っているんだというふうに、自分がなってしまうから、恩返しではなく、供養ではなく、ただただ自分を幸せにして頂いているだけという、そういう世界に自分が入ってしまいます。
本当は、仏壇もお墓も必要ないのです。邪魔になります。「ありがとうございます」の世界はそんなものは必要ないのです。神社も仏閣も何もいらない。宗教も宗派も教えも要らない。どんな教祖も要らない、出てこなくて良いのです。そんなのはでしゃばってこなくてもいい。ただ、一番中心の一番謙虚な神さまをしっかり受け止めて感謝していたら良いのです。
だから、表に出てくるのはたいした事ないから、どこまでもめり込んでしまう神さまが一番偉いんだから、その神さまをしっかり心で「ありがとうございます」を唱えて、しっかり実感してゆけば何にも要らないのです。
表に出るのは、フッと出てそれをつかませる事は過去をつかませる事です。過去を掴んだら古いものをつかんだ事です、新しいものを全部受け損ないます。幸せになるどころじゃない、逆、幸せから遠ざけてゆくようなものです。
だから、過去をつかませないというのが良いのです。本当の神さまは自分の正体を表さない・絶対つかませない、それでいて新しいものをどんどん与え尽くしてくるのです。だから、過去を掴むなというのが良いのです。形あるものも一瞬一瞬消えてゆくのが良いのです。そしたら、自由になって本当の幸せを感じると思います。
自分の心を縛るものは何も要らないのです。でも、必要と思う人は大事に持っていたら良い。それも「ありがとうございます」と言っているうちに自然と消えてゆくから、だんだんと必要なくなるから。
-ありがとうございます-
無理やり引き剥がそうとすると心が苦しいでしょう。なくなって切れて離れていくものは追いかけないほうが良いですか?
ありがとうございます:
そうです、自然に移り変わるのです。思いも感情も、自然に移り変わって表面に現れては消してもらうのだという気持ちで、自分はサラサラした感じで眺めていたらいいのです。すべて、形も、心の動きも全部。
-ありがとうございます-
それを寂しいと思っちゃいけないのですよね?
ありがとうございます:
神さまといつも一緒だったら寂しさなんかないのです。どこに寂しさを探すのか?どこにもないのです本当は。「ありがとうございます」を繰り返せば寂しさは完全に消えてしまいます。何もなくても新しいものが無限に無限に湧き出てきます。過去のものは何も掴まなくて良いのです。要らないのです。
-ありがとうございます-
仏壇もお墓も要らないという事ですが、それを通して感謝するという意味ではあってもいいと思いますが?
ありがとうございます:
あることによって、それを模型的に使って心を神さまのほうへ振り向ける役に立てば良いのです。でも、逆になる場合もあります。囚われると偶像崇拝です。偽物を本物に思い違えます。
お墓の中にご先祖様がいるなどと思うと、ご先祖さまというのは石の中に閉じ込められて気の毒な人に思えてきます。プラスにプラスに思えたら良いのですが、どうしてもマイナスに思えてきます。
お墓が壊れでもしたら、大変と驚いてびっくりするのです、なんでもないのに。お墓を捨てることが出来なくなります。怖いたたりがあるかもしれないとか。本当はそんなの最初からなかったら何の縛りもないのですが、形を作ったら、形を自分で破壊できるか?本当に単なる模型だったら破壊できます。そのぐらいの強さがないと負けてゆきます。
それもいろんな段階の勉強だけど、本物へ辿り着くまでの、いろんな勉強をしながら本物と偽物の違いを知って本物に戻ればいいのです。本物はこんなに無限に無限に素晴らしいんだとわかればいいのです、何が良い悪いはないのです。必要だったら掴んでいっても良いのですが、必要なくなったら必要なほうを掴み変えたらいいのです。「ありがとうございます」を掴むほうが必要です。そしたら後は全部放しても大丈夫です。
-ありがとうございます-
家を建てるといろんなことがおきるといわれて、信じてもいない神棚を置きました。「ありがとうございます」を言っていれば取り外しても良いですか?たたりがあるようで取り外せないのです。
ありがとうございます:
そういうふうになってゆくのです、どうしても。いろんな神さまをたくさん祭る人があります、形で。本当に高い立派な神さまだったら謙虚だから、他の神さまを祭ったら謙虚に退きます。あの神が守っていたら自分たちは何もしないでも良いだろうと。
低い神さまは、自分を見せたい、お礼も言って欲しい、お供えもして欲しい、そういう神さまは表に出てきます。一生懸命尽くしたら、よし守ってやるぞと守ってくれます。粗末にすると、何をこの馬鹿野郎と仕返しをしてきます。
だから、そういう低い神さまも高い神さまも、本当の神さまと比べたら全部偽神さまです。最高の神さまじではありません。いろんな段階のそれぞれの表現の神さまです。自分がどちらに心を向けてすがるかです。「ありがとうございます」と唱えれば最高の神さまの助けを受けれる状態なのです。本当の神さまがバックについたら、どんな高い神さまも低い神さまも、いい神さまも悪い神さまも、全部自分にとったらプラスに働いてくれます。
-ありがとうございます-
神棚はそのままにして「ありがとうございます」と唱えていればいいですか?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と加えれば、形を破壊して捨てても、そのまま続けてもどっちもいいのです。どちらでも大丈夫。本物の神さまは、全部に光を与えて全部を幸せに生かしきるから。
形にお祭りしたのも縁なのです。必要な時は「ありがとうございます」と縁を生かして助けてもらったら良いのです。みんな助けたいから来てくれたのです。大きい助けも小さい助けもいっぱいあります。それを序列する事もないのです。
形が負担になるのだったら、心でしっかり感謝させていただきますから、どうぞ高い世界へお戻りくださいと感謝に切り替えたらいいだけです。そうしたら形はもう要らなくなります。それも「ありがとうございます」という神さまへお返しすればいいのです。一番良い所へお返しするのだから、たたりも仕返しも何もないから心配ありません。
本当の神さまと偽の神さまがあります
-ありがとうございます-
神というのはどういう存在なのですか?与え尽くすだけの神さまなのですか?
ありがとうございます:
本当の神さまと偽の神さまがあります。模型的な神さまとか、人間が観念的に作り出した神さまとか、神さまはピンからキリまであります。本当の神さまは人間にとっては最高のプラスの価値のある存在です。すべての必要なものを与え尽くしてくれる神さまです。
-ありがとうございます-
神さま同士で争うような事はないのですか?
ありがとうございます:
そういう争うような神さまは本物の神さまではありません。低い偽神さまです。本物と偽物を区別する事が必要です。本物を実感しないと区別がつきません。本物を知る人は本物と偽物の区別がつきます。「ありがとうございます」を唱え続けて、本当の神さまをしっかり実感した人は偽神さまを見抜けるのです。
何にもないのです、組織も普及も何も
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」の組織とか普及とか、どういう段階なのか教えてください?
ありがとうございます:
それが、何にもないのです、(笑い)組織も普及も何もしていません。何にも一切ないのです。
-ありがとうございます-
本当にいいものならば皆に普及したほうが?
ありがとうございます:
それが、「ありがとうございます」という神さまはでしゃばらないのです、でしゃばらせてくれないのです。逆に、隠れて隠れてとなります。縁がある人で本当に必要な人だけに、必要なだけを与えてくれます。
だから、質問して、聞きたいことしか言ってくれません。だから、ここに来られてもみんな受けるものが全部違います。素晴らしいものを聞けたという人は素晴らしいのです。同じように同じ話をしてもらえませんから。だからここは何もないのです。でも何でも出てきます。
中略
-ありがとうございます-
ここに来られている人は、縁があって?
ありがとうございます:
そうです、「ありがとうございます」という神さまに辿り着くようになっている人だけがきているのです。
自分の全部を神さまに「ありがとうございます」で
-ありがとうございます-
いろんな役がたくさん回ってきたり、仕事でもしなければならない事がたくさんあります。どれもこれも全部は出来ません。どうしたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
自分の全部を神さまに「ありがとうございます」でお返ししてしまいます。それで、神さまが自分を使ってくれるようになればいいのです。
神さまが自分のすべてを使って働いてくださるのです。神さまの働きは無限です。どういう役目を受けても、引き受けて神さまが働くんだったら、形は何もしなくても良いのです。ここにいるだけで皆を動かしてしまいます。皆が助けてくれて一番いいように全部移り変わり変化します。
あれこれしたらだめ、しなくて良いのです。「ありがとうございます」だけをしていたら良いのです。自分は「ありがとうございます」だけを一生懸命唱えて、神さまの御用に使ってもらえば良いのです。自分が中心にそこにいるだけで全部が調和するのです。大きい働きが出来てきます。
-ありがとうございます-
自分でやっぱり動いてしまいますね!
ありがとうございます:
神さまに動く時に動かしてもらったらいいのです。「ありがとうございます」と唱えていたら必要だったら神さまが、自分の意志・考えとは無関係に動かしてくれるから、自然にスッと動くから、その動きが本当の必要な動きになります。
自分であれこれ考えて動かないで良いのです。「ありがとうございます」だけ言っていたら良いのです。しないで良い事をするのは間違いだから、皆に動かすチャンスを与えなければいけません。皆が一番必要な働きをさせてもらえるようにするのが大事です。「ありがとうございます」を皆に加えてあげたら良いのです。みんな助けてもらって本当の働きをしてくれるから、そのほうが大きい働きになってきます。
今までみたいな感覚は要らないのです。ガラッと変えたほうが良いのです。「神さまが君を使って必要な働きをしてくれる、自分がするんじゃない、神さまがしてくれるんだ」そのほうが良いのです。そうしたら楽になります。
-ありがとうございます-
それは楽ですけど、何かしてしまうのです。
ありがとうございます:
ありがとうございますだけを唱えさせてもらうほうが、本当に大きい仕事になります。大きいプラスを与える仕事だから。
-ありがとうございます-
依頼されたものはすべて「ありがとうございます」で受けるのですか?
ありがとうございます:
その辺は、「ありがとうございます」を唱えていたら、必要なものだけが集まってきます。必要なかったら自然に離れてゆくから、自分の足を引っ張るような邪魔するものは現れてきません。「ありがとうございます」を唱えていたら良いものだけが寄ってきて、必要のないものは消えてゆきます。その計らいは全部神さまがします。だから、神さまに全部任せ切るのが一番楽になります。
-ありがとうございます-
自分が強くこうしようと思った時は、動いて良いですか?
ありがとうございます:
動いて良いけど、その時は神さまは引っ込んでしまいます。自分で動かしてしまうから、神さまを引っ込めたらだめです、「ありがとうございます」をいつも言って、自分の思いも願いも全部消してもらってなくなるほうが良いのです、神さまが一番上手に皆を生かしてくれるから、自分が勝手に思ってこれが一番皆のためになると思ったって神さまには及ばないのです。
-ありがとうございます-
どこの線で、自分の思いなのか神さまの支配なのか?
ありがとうございます:
わからないのです、だから、思いを捨てて「ありがとうございます」だけで押し通す。「ありがとうございます」で押し通せば神さまだけが働くようになります。「ありがとうございます」と唱えた時に神さまにお任せしたことだから、神さまは全力を振るいます。それだけで良いのです。それだけで神さまが人の自由を縛らずに働けるから、本当の働きをしてくださいます。後は自然に任せていたらうまくゆきます。
-ありがとうございます-
いい結果だけを待ってればいいのですか?
ありがとうございます:
待っていて、動く時は自然に動きます。自分が動くのではなく神さまが自然に動いてくれます、本当はそうです。心臓は自分では動かしていません、神さまが動かしているのです。呼吸もそうです、目玉もそう。自分が動かしていると思っているだけで、神さまが動かしてくれてるのです。神さまを逆に動かそうと思ったら目玉がこっち向くよ(笑い)。
-ありがとうございます-
自然に動くというのは、神さまの心が自分の心になって動くのですか?
ありがとうございます:
全部、心も何もかも、神さまが動かしてくれるのです。
-ありがとうございます-
その時の心の状態は?
ありがとうございます:
「ありがとうございます」だけ、幸せ感だけが湧いてきます。