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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつ24にち・1



   「ありがとうございます」をとなえるかいすうえるごとに 

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」はとてもことだといたのですけど、どれくらいいのですか?

ありがとうございます: 
 「ありがとうございます」をとなえるかいすうえるごとに、ドンドンへんします。がいけんないめんもドンドンへんしてゆきます。そして、かみさまのとらかたたいが、こんなにおおきいのかなとドンドンおおきくなってゆきます。

 さいしょひょうめんてきないろんなせきこります。びょうなおったり、ひつようものあたえてもらったり、いまではそういうせきてきなものはかぞれません。

 つぎないめんてきこころへんです。びょうをしていてもとらわれないこころというのがあるのです。びょうをしていてもしあわせはえません、いつもしあわせなんだという。ひょうめんかりごくでも、しあわせはぜったいくずれません。ありがたい・しあわせというかんじが、かたちでは(によっては)へんしません。そこまでないめんへんしてゆきます。

 こんは、かみさまをかんれるようになってきます。ほんとうかみさまがじっかんできてきます。そのかみさまのかんかたがドンドンおおきくなります。それで、「ありがとうございます」というのは、きゅうきょくかみさまのまえなんだということがわかってきたのです。

 いろんなしんこうをしていると、いろんなかみさまのまえしんじていますが、それをぜんっているようなおおきいかみさまです。「ありがとうございます」というかみさまは。それでいて、このべつそんざいではないのです。このもそのからだいちにもっています。すべてのすべてなるかみさまが「ありがとうございます」というかみさまです。
 だから、「ありがとうございます」とうことは、かみさまをんでいることです。だから、そのかみさまがひつようおうじてたすけをてっかくあたえてくれるので、たくさんとなえているうちに、ドンドンひつようたすけをたくさんけてゆくのです。そして、かみさまのちからへんさせてくださるのです。だから、ぶんりょくなにらない。となえるだけで、となえさせてもらうだけで、それだけで、すべてがドンドンくなってゆきます。それで、かみさまがぢかかんじられて、いつもかみさまといったいというかんじです。だからいつもげんげんほうえつかんというのがいてきます。

 ほんとうはみんなっているはずです。げんむかしからっていて、こころおくでわかっているはずなのです。ただ、ひょうめんてきにはそこまでひつようなかったというだけです。ひつようになったら、さいかみさまのところへもどってくるのです。いちばんこころふるさとへ、いのちこんげんへ。それで、「ありがとうございます」へしぼまれてくるのです。そうしたら、いちばんやすらぎがあたえてもらえます。みんなっているとおもいます。
 だから、どんなかみさまほとけさまをしんじていてもこれはちいさい。かみさまとたいりつしているでしょう。それはそれでいいのですが、でもまだほんとうやすらぎではないのです。かみさまのほうがもっとうええらいのかとか、もっとぶんしあわせにしてくれるかみさまがにいないのかとおもうでしょう。でも、げんかみさまのところ、いろんなかみさまのところへってたしかめるわけにはゆかない。それで、チョッとだけまわってくるのです、みな。それでさいに「ありがとうございます」に辿たどけばいいのです。
 はや辿たどけたひとしあわせです。あとなにもいりません、「ありがとうございます」だけですべてがかなえられます。


    かんがたしとか、そういうのはチョッとあさいのです 

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」のおしえてください

ありがとうございます:
 かんがたしとか、そういうのはチョッとあさいのです。なになにがたしとか、にんげんかっおもうだけです。また、かみさまのそんざいかったらすべてがそんざいしがたいというのも、あまりにもあさい。
 だから「ありがとうございます」はひらがなでいたほうがいのです。ことだまかいしゃくするとほんとうがわかります。ほんじんとくにそうです。ことだまのさきはふくにまわしてもらっているからには、ことだまてきかいしゃくしてゆくほうがいいので、ひらがなのほうがただしいのです。

 「あ」は、ひかりとかこうげんというです。すべてのほんげんです。

 「り」は、らぎょうおんで、ちゅうのすべてをそうぞうするときに、かみさまがそうたいりょうきょくわせるときに、せんじょうわせます。せんじょうというのはちょくせんではないので、むすばれかたいっかいではないのです。ちょくせんだといっかいきりですが、せんじょうだとげんわさります、そうけいに。

 「が」は、かがやくをダブらせています。かがやきにかがやく・げんげんかがやくというです。

 「とう」は、そうたいりょうきょくします。ほんとうは、がたしのたぎょうおんとさぎょうおんなのですが、たぎょうおんたて・さぎょうおんよこというで、そうたいりょうきょくをこのふたつのことしています。だからそうたいりょうきょくわかれるものはたくさんあります。かんくうかんとか・れいたいとか・ひかりやみとか、そういうけられたものをぜんふくめます。

「ありがとう」だけで、ぜったいからげんげんかがやきになって、すべてのようけられて、だい調ちょうそうごん姿すがたをとっている、このだいちゅうというです。これはいちばんおくさいこうひょうげん姿すがたです、「ありがとう」は。

 ただそれだけではりないで、「ございます」とけてくるのは、

「ご」は、「こ」というのはかたまるという・ぶっしつしてくるというです。それが、かたまってかたまってというのが「ご」なのです。ほんとうゆうざいかみさまがたましいてきなものにかたまってぶっしつなのです。それがこのぶっしつにもうひとつぶっしつしています。だから、かたまってかたまってということです。それがこの姿すがたになっててきます。

「ざ」は、「さ」をかえしています。「さ」というのはぜんにさらさらとながれる姿すがたです。それもさわやかに清々すがすがしく。ちょうどさくらはなるようなかんじです。いっしゅんいっしゅんあらたにというひびきがあります。それがたんなる「さ」ではなくて「ざ」とダブるところは、そういう姿すがたばかりになっている(というです)。

「い」は、いのちでもあるし、いのちというのは、きている・かがやくというです。かたまってこのかたちにあらわれたらしいものでも、きているというのがだいです。たんなるものではんでいる・せいしたものです。いのちとしてやくどうしてきているというのがいのちの「い」なのです。

「ま」は、かんぜんな・まったきというです。

「す」は、ぜったいちゅうしんいちばんおくこんげん姿すがたというで、だい調ちょうさせるちからです。「ます」というのも、いまよりくなる・える・おおきくなるというです。

 だから、「ありがとう」は、ぜったいかみさまの姿すがたさいこうひょうげんであり、それはまた、このぶっしつつづけて、まったんにまでさわやかな清々すがすがしいらしいひょうげん(いや)()しに()してつくりだされているというです。だから、このだけではなくてあのふくめて、かみさまのいちばんおくさいこうひょうげんぜんふくめて、さらに、そうぞうはたらき・ぜったいはたらぜんをひっくるめて「ありがとうございます」なのです。

 もともとかみさまということたいにこのいつつのはたらきがあります。

 まず、ぜったい隠身(カクリミ)のかみさま(ぜったいしん)。カクリミをつづめて「かみ」。

そうぞうは、凝身(カゴリミ)のかみ。カゴリミがつづまって「かみ」。そうぞうしんです。

 輝身(カガリミ)、かがやつづまって「かみ」。これはさいこうひょうげんあまてらすおおかみとういつしん)の姿すがたです。

 翔身(カケリミ)のじんつうざいはたらきがやおよろかみさま(ざいしん)という姿すがたをとって、カケリミが「かみ」になります。

 このぶっしつされたすべてのひょうげん・このもあのもすべてふくめてぶっしつとしてあらわれているのが、限身(カギリミ)のかみげんていしん)。

 このいつつのはたらぜんかみなかにもともとっています。かみさまのはたらきをとらえるというでは「かみ」でもいいのですが、「ありがとうございます」のほうがそのかみさまのはたらきをそのままかんじて、ける。「ける」ところまでゆくのです。だから「ありがとうございます」とっていることになるのです。あたえるだけでは、らないことにはとどかないのです。でも「ありがとうございます」ととなえたときは、あたえてもらってことるのです。るとろこまでめんどうてもらえるというところがすごいのです。きゅうきょくすくいのかみさまのまえでもあるのです。
(いや)()しに()して・・・ゆきわたる、(おお)()くす、(ひさ)しい、(ふか)い、(おお)きい、あまねく、きわめる・・・()くの(ごと)(くわ)わり()えること。
 
       たとえば、しょくよくとかすいみんよくといいます。でも、よく 

-ありがとうございます-
 よくは「ありがとうございます」でこくふくできますか?

ありがとうございます:
 たとえば、しょくよくとかすいみんよくといいます。でも、よくうからわるいもののようにおもうのです。よくというると、たにけるこころきます。むかしたいよく)がそうです。たにちゅうぜったいしんあらわして、ぜったいしんこころいっしていないこころよくこころです。

 でも、かみさまのこころひつようなものをてっかくあたえるこころです。ものべて、ひつようだったらべていいのです。よくとはわない、ひつようなだけをいただくのはよくではないのです。だから、ものかみさまからめぐまれて、どんなにゆたかかにめぐまれてもいいのです。それをかんしゃしていただいて、なかのためにはたらけばいいのです。
 それはいくらべてもよくではありません。しょくよくというのではなく、かみさまにめぐみを・いのちいただいているだけです。それはぜんいただくようになるのです。おなかがすいていのです。そのときに「ありがとうございます」といただけばいいのです。

 すいみんおなじです。すいみんも、たましいにくたいからけてエネルギーそくおぎなうためにおくげんはいって、かみさまのおおきいエネルギーをいただくためです。
 しゅれいさま・しゅじんさまがってたかいところへげてくれます。そこでかみさまのおおきいひかりけて、もういっかいたましいにくたいもどされてくるのです。またげんはたらけるようにエネルギーをきゅうしてくださるのです。エネルギーをきゅうするためだったらねむいときにねむっていいのです。いちばんらくほうほうとしてエネルギーをじゅうしてくださいます。
 ただ、おいのりのあいさきこうからエネルギーをきゅうされるのです。だからエネルギーそくにはなりません。かんしゃしているとかみさまのほうからエネルギーをおくんできますから、きゅうにゆかなくてみます。そういうすいみんかんがチョッとすくなくてみます、ましてもらうのです。ひつようだったらねむらないでむかもしれません。
 なにかしたいことがあったらねむりません。どもでもえんそくだといったら、ねむらないでっているでしょう。だれでもたのしいことをしているときはねむれてゆきます。
 だから、そういうのはマイナスにつかまないほうがい。かんしゃしたらぜんプラスにわってきます。

 
    にんげんりょくかんけいないのです。「ありがとうございます」を 

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」はちがこもっていないとだめですか?

ありがとうございます:
 これは、にんげんりょくかんけいないのです。「ありがとうございます」をとなえたら、そこにかみさまがあらわれてちからるうのです。そのときひつようなだけのたすけをあたえてくれます。ひつようなだけというのがかみさまのたすかたです。
 たとえば、モグラにたいようひかりがばっとたら「いやだ」とうでしょう、つよすぎてこまります。ひつようなだけでい。そのときひつようたすけはかならあたえてもらうのです。

 だから、どんなとなかたでもいいのです。かみさまをんだことになるのです。「ありがとうございます」をとなえたからたすけてもらうのではないのです。ぎゃくほんとうとなえさせてもらっているのです。それでひつようたすけをかみさまからけているのだから、いっしょうけんめいごころめてとなえないと、たすけてもらえないのかとおもうとそうではないのです。ひつようなだけのたすけのとなかたをさせてもらうのです。
 からねんぶつのようなとなかたといっても、ぜったいからねんぶつではないのです。かならずそこにちからくわわってきています。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」をなんしきもなしにって、ああしたいこうしたいというしたごころありでもいいのですか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」としたごころべつです。したごころしたごころはたらいています。「ありがとうございます」は「ありがとうございます」ではたらいています。べつなものです。

-ありがとうございます-
 したごころを「ありがとうございます」でしょうさせようとしてはいけない?

ありがとうございます:
 そんなのはかんけいです。ぎゃくです。したごころを「ありがとうございます」がしてしまいます。したごころされてしまいます。

-ありがとうございます-
 したごころがうまくいったら、「ありがとうございます」でうまくいったんじゃないのですか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」のほうはそんなおもどおりになったからというようなていではありません。そんなのおもどおりにいったからといって、しあわせでもなんでもないのです。
 いろんなびょうなおったり、せきがいっぱいこるでしょう。これは、たいよう姿すがたかみさまとすると、そこからひかりほうしゃされて「ありがとうございます」がひかりなのです。おもいのほうは、したごころほうそらかぶくもです。しろくもくろくもがあります。しろくもひかりけてチョッとはんしゃしているじょうたいです。しろくもおもどおりになります。くろくもはいくらねがってもおもどおりにゆかないのです。
 「ありがとうございます」ととなえるとサーッとひかりはいってきます。それでくろくもしろくもわっておもいがかなった、そういうでは「ありがとうございます」がおもいをかなえたともえるのです。でも、そんなものではありません。「ありがとうございます」はひかりだからくもなんかかんけいです。

 ひかりげんかいひろがってゆきます。ありがたい、げんのプラスがいっぱいときになってきます。あれもありがたい、これもありがたい、げんかいひろがります。おもいのほうくもおなじで、なかにはまりんでゆきます。ちいさくちいさく、せまくなります。ひとつおもいがかなえられてもそれだけになるのです。そのなかにはまりんでしまって、たいようがあって・くうがあって・みずがあるのをかないのです。ひとつのおもいだけです。
 でもかんしゃかいひろげてくれます。ぜんぜんげんちがいます。しあわせのていうんでいどころではないのです。げんげんおおきくなるのが「ありがとうございます」です。かんしゃが・しあわせが。
 
-ありがとうございます-
 ほとけさまのまえなんかでは、ねがいがあって、それがかなったこともあります。そうすると、ほとけさまがかなえてくれたとおもうのです。

ありがとうございます:
 たとえば、ほとけさま・ごせんさまとぶでしょう。ぶと、そのたすけをけるのです。ただ「ありがとうございます」というかみさまはもっともっとちからのあるかみさまだから、ごせんさま「ありがとうございます」とあとにつけるとごせんさまもおおきいたすけをけます。ぶんおおきいたすけをけられます。こうなんばいにもなります。そういうでは「ありがとうございます」をあとくわえるほうがいいのです。すべてのそうもとめみたいなものです。

 
     それはそれで、そうなったものはなったものでかたない 

-ありがとうございます-
 ああかったなー、今日きょういちにちしあわせだったなーとおもっていても、しゅじんってけんかになり、げんじつもどされる、今日きょういちにちがだめになったようながしますが?

ありがとうございます:
 それはそれで、そうなったものはなったものでかたないのです、それを「ありがとうございます」ととなえてけたらへんします。かたちへんしますが、まずかたへんします。かたがプラスにめるようにわります。かたちのほうもかならずプラスにへんしてゆきます。

-ありがとうございます-
 そうなったしゅんかんとなえるのですか?

ありがとうございます:
 しゅんかんでもいいし、あとからでもいいのです。そうするとこころがプラスにへんしてやすらいできます。そのあとからかたちまでへんしてきます。だから、ひと姿すがたへんしてあらわれるようになります。「ありがとうございます」をとなえたひとも、となえてもらったひともプラスにわります。

     
     「ありがとうございます」のなかかみさまのはたらきがぜん 

-ありがとうございます-
 「ごめんなさい」ということは「ありがとうございます」とどうちがいますか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」のなかかみさまのはたらきがぜんふくまれます。だから、「ごめんなさい」も「ありがとうございます」のなかふくまれています。「ごめんなさい」ということわることではありません。ぶんわりにマイナスをってくださっているというです。

 ものでも、いのちささげてわたしかしてくださっている・いのちわりにわたしかしてくださっているというです。また、ぶんわることをしても、ほんとうはマイナスをあたえずにプラスをあたえたほうがかったんだけど、あいはマイナスをけてくれた、ぶんわりにマイナスをけてくれた。そういうで、まぬがれたというなのです。

 でも、「ありがとうございます」のなかぜんはいっていることだから、「ごめんなさい」ばっかりをとなえるよりも「ありがとうございます」とほうぜんをいっぺんにけられます。こうおおきいし、かみさまのはたらきもぜんいっぺんにけたほうがいのです。
 でも、たまには使つかったほうがいのです「ごめんなさい」も。けんきょになれます。「おかげさまです」というのもいいことです。「おかげさまです」というのは、かげはたらいてくれているかみさまのほんとうはたらきです。「ありがとうございます」のかみさまのほんとうはたらきは「おかげさま」なのです。ぶんさずにおくかくれていっしょうけんめいたすけてくれます。


    このだけだったらそうかもしれませんが 

-ありがとうございます-
 このさき、ああなりたい、こうしたいというごぼうはありますか?

ありがとうございます:
 ない。

-ありがとうございます-
 あるがままにいのちいただいているというかんじですか?

ありがとうございます:
 そんなんでもないのです。このだけだったらそうかもしれませんが、このげんなかいちつぶぐらいにしかえていません。「ありがとうございます」ととなえさせてもらうときは、あらたなぜんとくげんげんかがやきがげんげんにいっぱい!というふうにとらえているから、それもいっしゅんいっしゅんあらたにというふうに。
 だから、にくがんているちゅうげんげんかがやかした姿すがたかみさまがあらわれてくれます。いっしゅんいっしゅんです。だから、ああしたい・こうしたいというようなねがいもこらないのです。いまあたえられたものをけるだけでもせいいっぱいです。つぎからつぎへと、ちょうどげんかがやいたたいようまえにドンドン・ドンドンてくるようなかんじです。いっしゅんをそらすわけにはいかない、ありがたいばっかりです。
 

  「ありがとうございます」とかんしゃぎょうをしているうち 

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」がきゅうきょくかみさまだとかれたきっかけはなんですか?けんきゅうをなさったのですか?

ありがとうございます:
 けんきゅうなにも、「ありがとうございます」とかんしゃぎょうをしているうちに、ほんものかみさまのひかりがドンドンつよくなってかんはじめるのです。だから、にくがんているたいようなんてつぶみたいになってえてしまいます。それだけつよひかりがバーッとげんげんってたら、あーそうかなとおもうのです。「ありがとうございます」ととなえてそこまでおおきいひかりかんじさせてもらえたら。
 しょころにも、ぜんひかってかんじられます。くうまでもぶんひかっておどっているのがかんじられます。いしころもぜんかがやいてえます。これはしょころです。いまは、たいようげんげんおおきくかがやかしたような姿すがたちゅうのすべてをかんじられます。

-ありがとうございます-
 そのようにかんじられたひとほかにいますか?

ありがとうございます:
 なんおくかいとなえたひとがまだいないから。だから、そこまで「ありがとうございます」にしぼんだら、かみさまをかんってゆくとおもいます。

-ありがとうございます-
 かみさまとはなんですか?

ありがとうございます:
 むずかしいのです。にんげんつくったしんこうは、にんげんかっつくったかみさまほとけさまのまえです。それも、こころを、つくったかみさまにけさせるほう便べん使つかうのですが。でも、ほんとうかんじているのかというとそうでもないのです。
 ほんとうかんじないとわかりません。ほんとうの「ありがとうございます」のかみさまは、すべてのほんげんだから、このかみさまをかんじたら、げんげんしあわせががるようにかんじます。げんげんよろこびもきあがるようにかんじます。じっかんするのです。
 かみさまというのはすべてなのです。よろこびもしあわせもやすらぎも、あいも、・・マイナスはいプラスばっかりです。だから、ごくのドンぞこくるしみまでプラスにえてきます。

-ありがとうございます-
 よろこび・かなしみ・あいらくはない?

ありがとうございます:
 それはそらかぶくろくもしろくもです。それはこころかんじょうです。たいようげんひかりかんじょうではありません。たいようほんとうひかりかんじょうだったらよろこびばっかり・プラスばっかりです。ぜんぜんちがいますくもひかりとは。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」をとなえていると、かなしみのなみだではなくてよろこびのなみだるというひとがいらっしゃるのですが、ほんとうにそんなことってあるのですか?

ありがとうございます:
 それもほんとうしょだんかいでそうです。かみさまのひとすじひかりがスッとはいるだけで、ぜんよろこびにわります。うれしい・ありがたいという。ひかりはいったてんでマイナスのおもいがぜんされますきよめられます。そのきよめのはたらきのけっが、なみだてきてよろこびががってくるのです。
 ほんのチョッとひかりはいるだけでそうなのです。だから、「ありがとうございます」をなんまんかいとなえたら、それだけかみさまをしているわけです。チョッとんでチョッとはいっただけでそうなります。

-ありがとうございます-
 なにもわからないまま「ありがとうございます」をとなえていれば、そういうものがわかってくるのですか?

ありがとうございます:
 そう、ただ「ありがとうございます」ととなえさせてもらうだけで、ぶんこころへんがドンドンきてきます。かたちまでかならへんしてきます。


   どうへんするかは、そのひとゆうそんちょうして 

-ありがとうございます-
 こんすんぜんふうたいして、うまくゆくようにねんじて「ありがとうございます」をとなえれば、そのふうだっしますか?

ありがとうございます:
 どうへんするかは、そのひとゆうそんちょうして、かみさまがひつようたすけをあたえてゆきます。かみさまにはきょうせいてきいのです。
 だから、ひとがそのひとのために「ありがとうございます」をとなえてくれたら、かならかみさまはそのひとたすけるためにひつようたすけをあたえてきます。ただ、そのひつようたすけが、なかくなってずっとゆくということではありません。やはりりょうほうゆうがあるから、ゆうそんちょうして、いちばんいいようにたすけてゆきます。そのなかには、こころかっとうぜんえてなかくなっていっしょううまくゆくかもしれないし、また、こころなみちがったら、りょうほうしばりあわずにむようにこんして、おたがいがゆうしあわせをいだすかもしれません。そのへんかみさましだいです。かみさまがいちばんひつようことっていますから。
 ひとのためにとおもってとなえていても、それはぜんぶんもどってきます。けっきょくぜんぶんのものになってきます。ひとしあわせにしたぶんの、ぶんしあわせにしたのとおなじになってもどってくるから、どんなとなかたをしてもぜんぶんかえってくるから、おおきいぶんしあわせにつながってゆきます。


      かみさまはおかねひつようないから、ただ、このにんげん 

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」とおかねかんけいはありますか?

ありがとうございます:
 かみさまはおかねひつようないから、ただ、このにんげんかいひつようなだけで、それもやくそくごとみたいなものです。これだけはたらいてこれだけおかねをもらったから、ぶんはたらいたぶんだけかえしてもらうというやくそくごとです。だから、おかねたいちからがあるのではありません。いっしょうけんめいはたらいてたおかねは、ぶんはたらいたぶんをそのおかねかえしてもらうのです。
 あぶくぜにってあるでしょう。はたらかないでたおかねではなにえない、あぶくぜにだからぜんえてしまいます。やはり、ぶんあたえたものがかえってくるのです。これもほうそくなのです。ただ、あいだにおかねもんだいをはさむかだけです。
 「ありがとうございます」をとなえることしあわせにするはたらきでもあります。ぶんしあわせにするのももちろのですが、「ありがとうございます」とひとでもえば、そのひとおおきいしあわせにします。かならおおきいしあわせがぶんかえってきます。そういうでは、おかねはいってこなくても「ありがとうございます」をとなえているひとは、ぶんひつようしあわせをまわりからいっぱいあたえてもらうのです。おかねらないのです。

 わたしなんか、おかねらないのです。ってもこまらないけど(わらい)。こういうたてものはいざいつくっていますが、おかねがかかっていないのです。ただでつくっているのです。ぜんひつようなものがあつまって、いろんなひとぜんほうしてくださって、ぜんがりました。おかねっているひとたのんでつくってもらったのではありません、ただでています。
 このせいかつで、おかねがほしいというひとにはおかねはらわなければいけないので、そういうときひつようなだけはいってきますが、みんながおかねはいらないというひとになったら、おかねはなくなるとおもいます。でんをつけたらでんだいせいきゅうしてくるから、そういうおかねぜんはいってきます。               


ありがとうございます
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