真祈り文庫
2001年4月14日・2
神さまの御心は、すべてに個性を与えて、全体を
-ありがとうございます-
クローン人間(の実験研究)が始まっていますが、同じ物は二つとないということに反すると思うのですが?
ありがとうございます:
神さまの御心は、すべてに個性を与えて、全体を最高の表現に変えてゆこうとすることです。それが純白の光だったら、それが七色の光に分かれて個性を与えているわけです。その光がお互いに交流しあう事によって、いろんな光の色合いが生まれるのです。
だからそういう形で、無限の人がいたら無限の個性を与えて、それを無限に発揮させようとするのが神さまの御心なのです。だから同じものを作っても神さまが喜ぶはずないのです。また同じ事を繰り返しても喜ばないのです。それは神さまの御心から外れたゆきかたになります。
本当は、クローン人間は創りようがありません。全部中身が違います。原子一個が全部顔が違うように、似たものを作って錯覚してるだけです。本当はクローンは作れないのです。
神さまが生み出したものは全部個性があって、全部違うものです。それをどれだけ人間が組み合わせて、似たようなものに作ろうとしても本当は無理です。
個性の一個一個違うものです、砂の一個一個が違うものなのです。たくさん砂を寄せ集めて塊を作ったら、似たような塊がたくさんできるようなものです。似たように見えるだけ、錯覚です。
人間というのは、単なる肉体ではないから、肉体より魂のほうが遥に価値があるものです。その魂が違えば同じ肉体という道具を使ってもガラッと変わってきます。
肉体は道具だから、ちょうど上着みたいなものです。どんな上着を着ようが中身が大事です。魂という中身が。魂も本当は下着みたいなものです。本当は命の自分・本体の自分が大事なのです。その自分が神さまから個性を与えられているのです。だから同じ個性のある人は一人もいないのです。だから絶対同じ物は作れないのです。
-ありがとうございます-
そしたら、魂も別なものが入るのですか?
ありがとうございます:
魂も別なものが入るし、肉体自体が同じ物ではありません、絶対同じ物ではないのです。ただ、区別がつかないのです。人間が猿の顔を見て区別をつけにくいのと同じです。本当は細かいところまで全部違うのに。
-ありがとうございます-
それは、レベルが下がるということですか?
ありがとうございます:
ある意味ではそうです。神さまの御心から遠ざかっている姿です。神さまの最高表現というのは、あくまでも個性がはっきりしています。個性がぼんやりしてしまったら程度が低くなっています。個性を最大限に発揮する生き方が、正しい生き方です。
ところが、誰か一人リーダーがいて、その人に従うというのは個性を無くしてゆきます。だからひとつの集団が生まれます、一人のリーダーを元にした。ぼんやりとボケてくるわけです、それでは進歩ではありません。逆に退行しているような感じです。
みんな好きなのですが、天皇陛下も役割として
-ありがとうございます-
天皇家のカレンダーが飾ってあるのですけど、天皇陛下がお好きなのですか?
ありがとうございます:
みんな好きなのですが、天皇陛下も役割として、何事にも中心は大事です。中心がないとまとまらない、調和しません。ただ、中心というのは上に立って押さえつけるというのではないのです。上に立つというのは中心ではありません。中心というのは一番下に立って、皆を生かし切ることです。
神さまの御心は、自分を出さずに皆を表面に出して、個性豊かに発揮させるのです。そういうのが中心です。個性が鮮やかに出てくるのです。国民一人一人が最高の個性を発揮して、全体が助け合いの姿をとったときに、全体が調和します。そういう意味の中心です。中心の役割は日本だったら天皇陛下の役割です。だから、外国の風習とはチョッと違います。上から支配するのではないのです。
喜んで欲しいという求める心があるのです
-ありがとうございます-
感謝の心は、ギブ&テイクじゃなく、見返りを求めない心だと思うのですが、なかなか難しいです?
ありがとうございます:
そうです、喜んで欲しいという求める心があるのです。でも、純粋な、まったく求めない心というのが神さまの心・最高の心です。与えて与えて与え尽くして、一切報いを求めない。与えたものを受けてくれなくても良い。それによって、感謝したり喜んでくれなくても良いのです。ただひたすら必要なものを与え続ける・尽くすだけ、それが本当の自由を縛らない喜びです。
だから、人がそういう神さまの真似事をすることによって人は何が得られるかというと、神さまが自分の中に入ってくるのです。神さまと一体化できるのです。人の喜びは、神さまにどれだけ近づけるかです。神さまとどれだけ一体化できるかで幸せが決まります。
-ありがとうございます-
シール(ありがとうございますシール)とか、人に渡すときは、喜んでもらおうとか思わないで、ただ良いですよという感じで渡しているのですが?
ありがとうございます:
それが一番良いのです。そうすると、また自分に必要なことは求めずとも自然に与えてもらえます。それも相手から縛られる事が絶対にないのです。自由を保障してもらって、必要なものを与えてもらえるようになるのです。自分のした通りに帰ってくるみたいです。それが、自由と波長が合うというのです。
本当に与え尽くす世界は、極楽世界です。求めるとお互いに縛りあうから地獄になってゆきます。肉体が自分だと思うと、力がいろんな面で不足して足りないのです。また、必要なものが不足すると、求める心を起こしがちです。でも、魂の自分というように掴むとチョッと自由になります。でも、もうひとつ、命の自分というように掴んだほうが、無限のものがいっぱいというように満ち足りた心になってゆきます。永遠に生きているんだと。
豊かにすべてが整っている・満たされているという気持ちになると、もう、与えるしかないのです。だから自然に与える生き方ができてゆくのです。だから、進化というのは、小さい自分から大きくなってゆくことです。蝶々でも、芋虫の間は一生懸命に食い荒らすばっかりです。さなぎになって脱皮して蝶々になって飛び回ると与えるばっかりです。蜜をチョッと吸うぐらいです。
だから、人も、肉体の自覚から魂の自覚へ、さらに、命の自分に戻ってゆくのです。そうすると、自由自在に与える心が自然に湧きあがるように出てきて、与える生き方が自然にとれるようになります。
だから、物質文明・精神文明・霊的文明と、この三つが大調和の姿をとって、全部生かされてくると思います。どれかひとつになると偏ります。霊的文明だけで良いんだったら、魂も肉体も消えてしまいます。でも、肉体もあって、魂もあって、霊性も発揮されて、三つがちょうどバランスよく調和して最高に輝くのが、神さまの願いだと思います。そうでなかったら最初から肉体を作らなくてもいいのです、魂も要らなかった、命だけで良いという感覚です。
今までは、物質文明も、精神文明もある程度進んでいるのです。もう、後はそれを際立たせる働き、命の自覚、神さまと一体の自覚があったら全部が生かされてくるのです。輝いてゆくのだと思います。だから、神さまと一体の自覚というのは、感謝行だけでいいのです。感謝しているうちに自然に、神さまと一体の自覚が湧き上がってきます。
だから、自分というのを出さないほうが良いみたいです。自分を拡大してというと、まだまだ小さい状態で終わってしまいます。どれだけ拡大しても自分というものがある間は、自分が宇宙なんだと言ったって、自分を元にした宇宙です。自分はすべての人になっているんだと言っても、小さい。自分を神さまの中に投げ入れて、神さまがすべてなんだという方が良い。神さまが自分として現れている、神さまがすべての人に現れているのです。そういうふうに見ると、神さまが中心になると無限に無限に大きく、無限に深くなってゆきます。
今までは、自分を拡大していこうとしたのです。でも、それは今までのやり方です。今度は、自分を拡大するのではなく、自分を神さまの中に投げ入れて消してしまうのです。そして、神さまが大きく広がるという感覚です。神さまが天から舞い降りて降ってくるという感じです。そういう時代になってきます。そのほうが楽です。自分から何もしなくて済みます。ただ受けるだけです。それも小さい受け方ではありませ。全体を大きく受けて、無限に無限に輝いたというふうに受けてゆけるのです。
マイナスのときにもプラスに仰ぎ見てゆける
-ありがとうございます-
どんな状況でもプラスにみてゆきなさい、どんなマイナスの極地でも感謝しなさい、それがプラス思考ですということですか?
ありがとうございます:
マイナスのときにもプラスに仰ぎ見てゆけるというけど、これも自分というものがあると、自分の立場が生まれます。その立場からみた姿で、それより下はマイナスです。それから上がプラスに見えるのです。
自分の立場がある間は本当に自由自在な姿は難しい。自分というものを掴む習性というものがどうしてもあります。習慣性が。自分というものを掴んだら、幸せな自分というものを掴んだら、マイナスのほうへ降りにくいのです。地獄のどん底の亡者になれるかというとなれません。そうするとどうしても、上から下を見てしまいます。
だから、自分というものを消してもらうほうが良いのです。自分を神さまへ投げ入れて消してもらうと、神さまはいつもすべてを与え尽くして、全部与え尽くして、与え尽くして全部なくなって、さらに与え尽くしてなくなって、マイナスの極に立てるのです。
神さまの宇宙創造の働きがそうです。イザナギの神さま・イザナミの神さまという両神が相対の極に立って、与え尽くしあいで組み合わさった姿が宇宙の姿です。イザナギの神さまがプラスの極に立って、イザナミの神さまがマイナスの極にまず立ちます。そして、イザナギの神さまが自分のすべてをイザナミの神さまに与え尽くします。そうしたら全部なくなります。ゼロになるのではなく、なおかつ与え尽くしてマイナスの極まで与え尽くすのです。受けたほうはプラスの極に立つのです。それを交互にくり返すのです。だから、イザナギの神さま・イザナミの神さまは一体の神さまです。一体で創造神なのです。
神さまのあり方がそうなのです。神さまの御心に自分の心を合わせてもらうためには、自分を神さまの中に投げ入れて、自分を消してもらって、神さまと一体化すればいいのです。そうするといつもマイナスの極に立てるのです。マイナスの極に立ったときにはいつも、最高のプラスの極を受けられます。受けた時にすぐにそれを与え尽くす立場に立って、与えて与えて与え尽くすのです。自然にできるのです。与え尽くしたらまたマイナスの極に自然と立てて、そこでまた無限のプラスを受けます。その交互の繰り返しによって、いつも神さまと交流されて一体化が深まります。それも、いつも新たに新たにと、いつも感動を覚えるような生き方がとれるようになってきます。
自分を神さまの中に投げ入れるのが一番大事なのです。その方法が「ありがとうございます」なのです。全托です。「ありがとうございます」を唱える事が全托なのです。自分の命もすべてを神さまに捧げ尽くしてお返しして、そして即新たに、新しいプラスを受けているのです。だから、感謝行は、命の呼吸です。言ってみれば、宇宙創造の仕組みをこの身をもって行じているのです。
初めもない、終わりもない、常にあり続けている
-ありがとうございます-
神さまは最初の最初からいるのですか?
ありがとうございます:
初めもない、終わりもない、常にあり続けているのです。ただその存在に人が気付くか気付かないかだけです。それもどういう気付き方をするかどうかだけです。
この世も神さまの全体からすると一部なのです。ところが人間が勝手に作り上げた神さまというのは、いろんな神さまがあります。本物ではなく、人間が作り上げた虚像みたいなものです。偽物なのです。だから、人間の言葉で、観念で作り上げたものは本物ではありません。本物は厳然とあり続けるのです。
皆は、本物に気付きたい・本物に出会いたいわけです。どこにあるかと探し回っているのですが、外にあるのか心の中にあるのかと探し回っても見つかりません。でも、「ありがとうございます」を唱えたときに、外にも中にも神さまが現れて感謝させてくださるのです。
不思議な言葉なのです、この「ありがとうございます」というのは。「ありがとうございます」と唱えたところに本物の神さまが現れて実感できるようにしてくださるのです。神さまは心の中にだけあるのかというとそうではありません。周り全部そうなのです。中にもあるし外にもあるし、上にも下にもどこにでもあるのです。
本当の神さまは、無限の無限の輝きがいっぱいが、さらに無限に無限にいっぱいという感じで、どこまでも無限に輝きます。それが頂点・中心にあるのです。「ありがとうございます」と言うと無限に無限に輝いてきます。だから、この世で見ている感覚ではありません。眩しくて眩しくて目を開けられないという程度ではまだだめなのです。もっともっと輝いて輝いています。
本当は、自分が輝けば強い光にも負けない感覚が生まれます。強い光に成れたら見てもはっきり見通せるのです。感謝すると自分も大きい・強い光に成っていゆのです。そうすると、神さまの強い光・大きい光が平気で見れるように成ります。ドンドン神さまに合わせてもらうのです。どこまで強い光・大きい光になるかは自分でもわからないのです。神さまは行き止まりがないから、ここまで来たらお終いではないのです。
宇宙人という言葉も定義の仕方がいろいろなのです
-ありがとうございます-
宇宙人はいますか?
ありがとうございます:
宇宙人という言葉も定義の仕方がいろいろなのです。地球人以外を宇宙人と言うのとか、自分は宇宙なんだという大きい自覚を持った人を宇宙人というのとか。地球のほかの星の人たちは異星人・他星人と言ったほうが良いかもしれません。
-ありがとうございます-
いますか?
ありがとうございます:
います。宇宙が自分という自覚に立った人もいます。
-ありがとうございます-
その人たちにとっても共通の神さまなのですか?
ありがとうございます:
神さまは唯ひとつです。皆その神さまの中に神さまと一体化して存在しているのです。神さまと離れては何も存在できません。神さまの分身です。
正しいです。私の父もだいぶ前に亡くなって
-ありがとうございます-
私が死んだら灰にして、その辺に撒いてくださいと子供たちには言っているのですが、これでいいですか?
ありがとうございます:
正しいです。私の父もだいぶ前に亡くなっているのですが、灰にしたら山に撒いてくださいと言って・・撒いてあげました。だから、肉体という感覚ではないから、もう亡くなったら魂か本当の自分に戻るんだから、残った分も花や木の肥料にしてあげたら生きてくるのです。美しい花が開きます。
-ありがとうございます-
一般的には変人じゃないけど、世間の手前、子供たちが困りはしないかと
ありがとうございます:
今までの考えが小さく、間違っているから。正しい自由な生き方をとれる人が増えてくれば、考え方が正反対に変わるので、正しい生き方をとれる人はこれからは勇気をもって、その魁として生きないと、後の時代はその勇気のある人についていきます。
亡くなって、焼き場で焼いてお骨をお墓に納めるのですが。でも、お墓に納めてもらって本当に喜ぶのかというと、幸せにしているかどうかわからないのです。不自由です、そんな中に入り込んだと思うと。お墓で眠っているんだと思ったら、余計、幸せがなくなります。じっと石の中で眠っていなければならないのですから。
でも、本当はそんなものではないのです。魂の自分ですら自由自在にあの世のいいところへゆきたいのです、自由に。そうしたらお墓なんかに絶対入りません。この世の人がご先祖さまを思うための目印ぐらいのものです。だから、石で作るという意味も、本当は石のように永遠に砕けない素晴らしい世界で、幸せいっぱい暮らしているんだというように、石を使って思うようならいいと思います。でも、その石の下に入っているなんて絶対に思わないほううがいいのです、失礼に当たります。そんな失礼な思いを出すと、ご先祖さまも悲しむかもしれません。
普通、思いとか心にいろんなものがあります
-ありがとうございます-
魂の自分と本心の自分と言われたのですが、死んだら魂の自分はどうなっているのですか?
ありがとうございます:
普通、思いとか心にいろんなものがあります、想念・感情とかそういう。そうすると魂の姿が残ります。想念・感情を全部消しきったら魂はないのです。そうしたら、本心の自分・命の自分だけになります。そうしたら、神さまの心そのままに生きるようになるから、小さい形がなくなるのです、殻がなくなるのです。
そしたら、宇宙と言ったら宇宙になるし、自由自在になります。変身自在になってしまいます。変身自在になったら、これがあの人と掴めないのです。名前付けてこの人がああだこうだと言えません。あるときは太陽になり、あるときは風や雲になり、あるときは人間になり、あるときは動物になり、自由に変身したら掴み所がないのです。どこに魂があるのだと、魂はないのです。
命の・本心の自分に戻ってしまったら、自由自在に変身自在だから、そういう自分が本当の自分です。魂の自分を残している間はまだいろんな想念・感情があります。それを感謝行で徹底して消してしまったら、自由自在な自分に戻ってゆきます。本来の自分に戻ってゆきます。
-ありがとうございます-
幽霊とか霊とかしばらくは形として残っているというのは事実なのですか?
ありがとうございます:
事実です。思いを、想念、感情を持っている人はみんな、それをよりどころにあの世へ行っているのです。それからまだ抜けられないのです。だから姿形を持っています。だから、感謝していない人はそうです、魂が残っています。マイナスの思いが多いほど低い世界に、プラスが多いほど高い世界に。
-ありがとうございます-
私らなんかは、肉体の自分と魂の自分と本心の自分とで、三層になっているみたいな感じですが?
ありがとうございます:
だから、霊・魂・魄、というふうに三つに、「霊」が命の自分、「魂」が心とか思いの世界、「魄」が肉体という感じです、霊・魂・魄 三つをまとめて人間なのです。「ありがとうございます」で神さまと一体化すれば全部に光が通ってきます。肉体も輝いて見えてくるようになります。
「ありがとうございます」を最優先すると仕事が楽に
-ありがとうございます-
仕事をしている身だと、「ありがとうございます」を唱えてばかりはいられないですよね?
ありがとうございます:
そうですが。ただ、「ありがとうございます」を最優先すると仕事が楽にスムーズにゆきます、本当に逆になってきます。「ありがとうございます」と言っていると神さまが降りてきて、神さまの応援が、後押しがいっぱいになります。能力が伸びるし、セールスしていても神さまがまとめます。
お茶でも飲もうかと喫茶店に入っていったら、そこで商談が全部まとまるような感じです。必要な人を全部集めてきます。そこで世間話をしながら商談をまとめてしまいます。神さまはそんなものです。無駄がなくなります。「ありがとうございます」をたくさん唱えているほど不思議な事がいっぱい出てきます。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を唱えながら仕事をしていく感じですか?
ありがとうございます:
そう、「ありがとうございます」と仕事をしていくと、疲れもすぐ取れるし疲れなくなったり、本当に楽になります。
それは信念が問題なのです。人の思いが
-ありがとうございます-
水とか健康に良いような物を使うとき、好転反応と言って一時期良くなる事がありますが、そういうことって起こりえますか?
ありがとうございます:
それは信念が問題なのです。人の思いが。薬でも効く時は、薬を発見した人の思いです、信念が効くのです。この薬は効くという信念が効果をあらわします。でも、この薬は効かないという信念が強くなってきたら、その薬はだめになります。効かなくなってきます。信念と信念の戦いなのです。
だから、そういうものを使うときに、どういう信念が使われているか、その信念を排除するんだったら、自分の思い通りになります。人類の信念と自分の信念と合わさったもので影響を受けます。だから、最初からプラスプラスに見ていったら、そういうマイナス面には一切ならないかもしれません。
-ありがとうございます-
食べ物が悪いから病気になるとか、食べ物で体が出来ていると思っていますが、先生のお話を聞いていると、何を食べても病気にはなりそうにない感じです。それって、先生だからそうなのでしょうか?私たちもそうでしょうか?
ありがとうございます:
まず、食べ物をなんと見るかです。毒と見たり薬と見たりいろいろするですが。薬になる食べ物ばかりを食べていても、やっぱりチョッと毒があるかもしれないと受けると、その毒に影響を受けます。でも、それは全部神さまの命なんだと受けると、食べれば食べるほど命が輝きます。病気になりようがないのです。
-ありがとうございます-
添加物がいっぱい入っているから病気になるとかよく言われますけど?
ありがとうございます:
添加物の入ったものを心で食べているのです。それも過去を掴んで古いものを、マイナスをいっぱい取り込んでいる姿なのです。でも、今の一瞬、神さまの命が食べ物として現れて、今一瞬いただくんだと言うんだったら、光り輝いた命以外は受けていないのです。だから、物質を頂いていない、命をいただいているんだという感覚になると、なにを食べても大丈夫です。絶対健康を保てます。
空気を吸うだけで、霞を食べるだけで、水を飲むだけで大丈夫かもしれません。本当にそこまで信念が強くなったときは!!でも今の地球では、何か食べなければという逆の信念もありますので、まったく霞だけでは辛いところがあるかもしれません。
-ありがとうございます-
なにを食べるかよりも、どんな気持ちで食べるかが大事?
ありがとうございます:
感謝しながらお料理してもらったものを食べると、絶対病気も治るし、健康に成ります、美味しいし。でも、コンチクショウと呪いながら作った食べ物は、絶対に腹を下したり健康を害するのです。やっぱり、プラスが多いか、マイナスが多いかです。
優劣つけると悪いじゃない!皆、無限に無限に感動
-ありがとうございます-
先生はいつも楽しんでいらっしゃるようですが、最近一番楽しかったのは何ですか?
ありがとうございます:
優劣つけると悪いじゃない!皆、無限に無限に感動を与えてくれているのに、これだけと言うと。チョッと天皇陛下の真似をしないと。天皇陛下はどの番組が好きですかと言われると、この番組が好きと言うと、そのテレビ局は喜ぶけど他の局が悲しむらしいのです。
何もかも感動の連続です!
今の一瞬に新たに生まれてくる神さまの最高
-ありがとうございます-
あるがままに受け入れて感謝するというと、何もしないで感謝だけしているというように思ってしまいますが、現実的なことはちゃんとしなければなりませんよね?
ありがとうございます:
今の一瞬に新たに生まれてくる神さまの最高表現の宇宙を、「ありがとうございます」と感じ取るのです。それを根本にして自然に必要な事をさせてもらうのが良いのです。
だから、現実のあるがままではありません。あるがままというのは、無限に無限に輝いたあるがままです。それを心に受け入れて、それを実現するために自然にすべてが動くのです。すべてがそういう物質化現象として必要な働きが全部出てきます。
だから、排気ガスの問題ひとつでも、排気ガスの出ない良い車が生まれてくるかもしれないし、排気ガスのない状態へ全体がいろんな仕組みをもって動きだしていきます。「ありがとうございます」と無限に輝いた状態を心に受け入れるとそれがスッと出てきます。
だから、現実はあんまり掴まないほうがいい。一瞬一瞬良くなると眺めているぐらいがいいと思います。マイナスに掴むとそれを放せないから、そのとき新しいものを受け損ないます。神さまが全体を通して良くしてくださいます。そのひとつの働きは自分を通してしてくださるというぐらいで良いのです。
-ありがとうございます-
それくらいで良いのですか?いろんな環境保護活動とかありますけど?
ありがとうございます:
それも、神さまがしてくださるという感覚が良いのです。全体を良くするためには。
だから、これからの情報は、情報というのも神さまの愛の働きと捉えると、神さまの愛に働きに報いるという、神さまの運動とか、神さまの物質化現象とかいう大きい捉え方が、これから必要になってくるんじゃないかと思います。自然に必要な事をさせていただくようになってゆくのです。ドンドンプラスのものがいっぱいになってくるのです。
いろんな発明発見も、神さまのほうからの物質化現象です。良い姿が出てきます、ドンドンそういうものは早く発明発見させてくれます。一年ぐらいしたら排気ガスをパッと消すものが出てくるかもしれません。
形はあまり関係ないかもしれません。自分というものを
-ありがとうございます-
自分の感謝がどれほど深まったのか掴めないのですが、表情が明るく楽しくなったら深まったということなのかなと思いますが?
ありがとうございます:
形はあまり関係ないかもしれません。自分というものを掴まないほうがいいのです。神さまの感謝を頂いていると思えば、確認の意味で神さまから自分が受け取っているという意味で、「ありがとうございます」と唱えていたら、神さまの感謝が自分の感謝です。みんなの感謝も自分の感謝と思えば、深めるも大きくするもありません、最初から全部もらえばいいのです。
私も、この世で何億回唱えた感謝とは思っていません。無限億万回唱え続けてくれた感謝と思って頂いています。
最初は自分の感謝でも良いのです。それが早く大きくなったほうが良いのです。だから、みんなの感謝が自分の感謝になって、神さまの感謝が自分の感謝になれば、早くたくさん唱えたことになります。
頭は理屈が湧いてくるのです。胸は感情が湧いて
-ありがとうございます-
心というのは、頭にあるのですか、胸にあるのですか?
ありがとうございます:
頭は理屈が湧いてくるのです。胸は感情が湧いてきます。丹田という下腹のほうからは奥の心が湧き上がってきます。でも、湧きあがってくるけど心はどこにあるのか、肉体の中にあるのか外にあるのか、肉体の中にもないし外にもないし、次元が変わるのです。次元が変わって心があります。その心もいろんな次元があります。場所は関係ないのです。
年齢は関係なしに、大人でも子供でもないのです
-ありがとうございます-
もし、生まれてから、言葉がしゃべれるようになったらすぐに、「ありがとうございます」をずっと言い続けていたら、先生のようになりますか?
ありがとうございます:
年齢は関係なしに、大人でも子供でもないのです。私以上に・・・私以上になったらいかん!。謙虚にならないと!私以下になります 皆平等なのです。神さまは一番出来の悪い子から先に育て上げるのです。だから常に皆おんなじです。
脳にあるというより、脳を通して出てくるだけです
-ありがとうございます-
記憶は脳にあるのですか?
ありがとうございます:
脳にあるというより、脳を通して出てくるだけです。違う次元に溜まるのです。出てくるところが脳を通して出てくる感覚かもしれません。これも形ではないし場所ではありません。
これからは形に囚われなくなるのがいいのです。天からいっぱい出すという感覚が本当の情報の世界かもしれません。
いろんな見方が出来るのです。一番良いのは
-ありがとうございます-
嫌いな人が自分の前に現れたとき、自分の姿が鏡の働きで現れたと見るべきですか?
ありがとうございます:
いろんな見方が出来るのです。一番良いのは、自分の他は神さましかいないと思うことです、それが一番良いのです。その神さまが自分を幸せにするために、いろんな姿をとってくださっています。根本にそれがあると、もし自分の心の中にマイナスがあったとしたら、神さまが身代わりにそれを引き受けて、それを気付かせて消してくださいます。
知らぬ間に消されたら嫌でしょう。チョッと確認とって消してもらうほうが良いのです。周りにマイナスが見えたら自分の心のマイナスを神さまが確認をとって、こういうのがあるから「消してもいいですか」と念を押して、消してくださるとというふうに感謝したほうが良いのです。だからマイナスを見たときには「ありがとうございます」と言えばOKを出したことになります。 (以下不明)