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()(いの)(ぶん)()

2001年4月14日・1


        いろんなことひょうげんしているのです。めいそうだとか

-ありがとうございます-
 めいそうはまだいちもしたことがないのですが、めいそうとはどんなものですか?

ありがとうございます:
 いろんなことひょうげんしているのです。めいそうだとかぜんだとか、ぜんじょうとか、おいのりとか、とういつとか。いろんなことひょうげんされるのです。めいそうなんのためにするのか、じてこころおくつめてほんとう姿すがたかんるというのがめいそうです。
 にんげんこころいちばんおくかみさまのじつざいする姿すがたそんざいしています。それをじっかんするためのこころしずめるぎょうめいそうです。でも、あまりかたくるしくかんがえないほうがいのです。ぜんたいめいそういちばんふさわしい姿すがたです。らくじょうたいで。

 じなくてもをあけていてもめいそうるのです。ねんそうになるのがいいか、これももんなのです。なにおもわないのがほんとうではないのです。やはり、かみさまをおもうのがだいなのです。さいこうのいいこと使つかってかみさまをことおもうというのが、かみさまをちょっかんとらえやすいのです。ねんそうではなにもないじょうたいです。それは、ざつねんはらうというではチョッといいのですが。そのあとそこからかみさまがスーッとてくるようなかんじでかんれないといけないのです。
 なにもないのとかみさまがいるのとではチョッとちがいます。ぶっきょうでもくうとのべつははっきりされているのです。というのはなにもないじょうたいくうというのはげんげんのプラスがあるじょうたいです。だからくうにならないといけないのです。
 

     だいぶこんぽんちがうのです、さとりをもとめて、さとりをひら 

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」ととなえるのと「ぶつ」ととなえるのとはおなじですか?

ありがとうございます:
 だいぶこんぽんちがうのです、さとりをもとめて、さとりをひらくためのしゅぎょうほうほうはいろいろあるのです。

 さいしょりきてきぎょうむのです。ぶんりょくりきで。ところがこのさとりをひらくというのはかなりむずかしいのです。だいちからげんかいというのがるのです。そこで、さきさとったひとたすけをけるためにりきぎょうまれてきます。だから、「ぶつ」のさまもしゅぎょうしゅぎょうかさねてやっとさとったのです。さまがりきさとるのはたいへんだからというので、「ぶつ」ととなえたらおうえんしますよというかたちなのです。

 でもたすけてもらうみっつのじょうけんがあるのです。じょうしんじんしんこうほつがんしんみっつをまもりなさいというところがあります。むずかしいのですやっぱり。
 じょうしんというのはいのちがけのしんけんこころというです。じんしんとはふかこころさまのあいしんじなさいということです。こうほつがんしんは、ひたすらさまをおもつづけなさいということです。ぶつぶつと。というのはいのちささげますとです。さまにわたくしいのちささげますというぶつです。
 なぜいのちささげないといけないかとうと、にんげんというのはだいたいつかんでいます。ふるぶんつかんでいるので、その(ふるい)いのちさまにあずけて、マイナスをプラスにえてもらうのです。そういうです、だから、さまのちからけるだけではだめなのです。いのちささげてふるいマイナスをどうわたさないといけないのです。そういうで、ぶつぶついのちささげます、ということはだいなのです。
 このあいにも、りきりきともうひとつぜったいりきがあるのですけど、りきあいでも、すくがわすくわれるがわとがはなれているのです。
 みっつのじょうけんたしてたすけてもらうにしても、ぼんぶんがどれだけさまにちかづけるかというと、なかなかむずかしいのです。

 「ありがとうございます」というのは、りきでもりきでもないのです、ぜったいりきです。ぜったいりきというのはたいりつがありません。かれていないのです。さいしょからちゅうぜったいしんぶんとはいったいなんだ、ってもれないあいだがらなんだという、そこからしゅっぱつするのです。みんなすでにさとっているんだということがだいぜんていになります。かみさまといったいなんだと。

 だから、したからがるのではなく、かみさまから、てんからりてるようなかんじでさとりのきょうあたえてもらうのです。それは、なんぎょうぎょうなにひつようありません。「ありがとうございます」をとなえてけるだけというかんたんぎょうで、すでにさとっているぶんかせてもらうのです。
 だから、「ありがとうございます」にはすべてがふくまれています。りきのありとあらゆるしんぶつまえはたらきもなかにあります。いのちささげるぜんたくこころもあるし、あたえてもらってこころもあります。ぜんふくまれているのが「ありがとうございます」です。だから「ありがとうございます」はかみさまのきゅうきょくまえです。これさえとなえたらだれでも、どんなじょうたいでもひつようたすけをあたえて、かならさとりへみちびいてたすけますよということです。

 だから、「ぶつ」もいのです。りきよりはるかにいいのです。それよりもなんまんばいも「ありがとうございます」のぜったいりきほんとうすくわれみちのほうがいのです。
 ただ、この「ありがとうございます」というかみさまは、げんげんけんきょぎて、ほかのほうほうえらんでそれをしますというときはんでしまいます。どんなかみさま、どんなほとけさまにすがってもいいのです。そっちをさいゆうせんしてがんばりなさいというわけです。

 でもさいに、どうしてもまんぞくできなくてまるときがあります。どんなほうほうをとってもきゅうきょくさとりではないからです。そういうときにやはり、さいもどるところが「ありがとうございます」のかみさまです。らくにスッとさとりにみちびいてもらうのです。

-ありがとうございます-
 しんらんしょうにんがいらしたとうには、「ぶつ」ととなえることかってきなことだったのですか?

ありがとうございます:
 そうです、かってきなことだったのです。りきなんぎょうぎょうしてさとろうとりょくしたのです。ところがみんなあたまってまるのです。

-ありがとうございます-
 ざいしんこうひろめようとしたことかってきなことですか?

ありがとうございます:
 そうです、かってきです。まずほうねんさんがりきしゅぎょうしゅぎょうかさねてさとろうとされたのです。ところが、ぶんにはこれはだといたのです。あのとうほんいちぐらいのりっかたです。ありとあらゆるりきしゅぎょうをして、はたからたら、こんなりっひとはいないというくらいです。
 ところが、ほうねんさん、こころではまんぞくできなかったのです。ぶんにはさとれない、あきらめのきょうおちいって、そして、このぶんすくわれるみちはないかと、おきょうぜんだいぞうきょうなんかもおどうにこもってあさるのです。さいつけるのです。あっ!これだとひらめいたのが「ぶつ」。

 ほうねんさんですらりきのうだとおもっているのです。それで、ひたすら「ぶつ」をいちにちまんへんぐらいとなえたのです。ほかのことなにおもわないというのはすごいことです。まんべんくらいとなえないとほかのことおもってしまうのです。
 それで、のすべてをったというのもすごいことです。あれだけのはくしきぜんてて、さらりとわすれてしまうわけです。ひとからなにしつもんされてももうこたえない。りませんと。わたくしはもう「ぶつ」しかりませんというかんじです。そこまでしぼんだのです。だからりきぎょうで、「ぶつ」でしんきょうまでげてもらったのです。すごいことだとおもいます。

 せんもんのおぼうさんでも、さとりというのがなのです。ましてやざいで「ぶつ」をとなえたぐらいではむずかしいのです。まず、ごとをしながらというのはむずかしい、ねんぶつもうしながらごとしてというなら、まだすくわれるみちはあるのですが。あさすくわれ、ふかすくわれといろいろあるのですけど、あさすくわれでもなかなかむずかしいのです。
 そうしたら、すくわれるみちがどこにあるかとなってくるのです。でも、りきあきらめがまれてもいのです。もうひとつふだのこっていたと、さいふだとしてきゅうきょくかみさまが「ありがとうございます」としてみずかてくるのです。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」ととなえたさとりのきょうというのは、おしゃさまがさとりをひらいたきょうおなじですか?

ありがとうございます:
 にくたいってまれてしゅぎょうしてさとったしんきょうというのはひくいのです、ちいさいのです。だからおしゃさまもさいしょちいさいさとりをてて、かみさまのなかんで、かみさまのがわからあらたにてくるぶんを、ほんとうぶんづいたときには、げんむかしからさとっているぶんしゅぎょうしてさとったのではないぶんです。たましいぶんにくたいぶんかんけいげんげんむかしからさとっているぶんいたときが、ほんとうの、かみさまとのいったいかくがあります。それだったら、みんなさいしょからっているはずです。

 どうげんさんでもそうとうなやんだのです。ほんらいさとっているぶんがなぜしゅぎょうしてさとろうとするのかと。やはりおおきいもんだいだったんだとおもいます。なんさとっているぶんさとろうとするのかと、さとろうとしなくてもさとっているのに。でも、さとったぶんいたときにはくわかるのです。さとろうとするぶんちいさくつかんでいるときは、りょうほうかんがえがまれてくるのです。

 すべてのおもいをほうほうは「ありがとうございます」でひとつになってゆかないとだめなのです。「ありがとうございます」はかみさまのすべてをるためのことです。だから、たいりつがなくなる・つないでしまう・いったいするのです。にくがんているちゅうかみさまのいちとしてとらえてしまいます。このはなれてかみさまがあるとか、べつてゆくかんがえがえてゆきます。ぜんあいいったいかんてゆくようになるのです。
 にんげんのこのからだおなじです。あたまもあり、あしもあり、なかにはつめあかもあるわけです。これがひとつのものとしてえたときはぜんたいてきとらえて、そうたいてきかんがえにはおちいりません。「ありがとうございます」はきゅうきょくかみさまのぜんたいぞうとらえていっさいまよいがえてゆくゆきかたなのです。

 「ありがとうございます」をたくさんとなえるほうがいのです。ほかのことをおもわなくなるし、「ありがとうございます」というかみさまのはたらきがひつようおうじて、じゅんばんりてきてそれをかんじさせてもらうのです、じっかんしていきます。そしたら、じゅんてんがドンドンえてゆきます。いままではいろいろじゅんっているでしょうが、じゅんがドンドンされていってこころがスッキリしてきます。まえうろこもドンドンがれていってえるかいひろがります。


     しゅれいさまはおおがみさまのわり 

-ありがとうございます-
 なまぶんちからいちとすると、しゅれいさまのちからはどれくらいなのですか?

ありがとうございます:
 しゅれいさまということもいろんな使つかわれるのです。ていかたはいろいろなのです。しゅれいさまを、しゅぎょうしてさとってりっになったかみさま・しゅじんさまのひとると、いったんさとるとげんちからがあります。それでにくたいにんげんってさとりをたすけるためにまもっているのです。

 だから、ひつようおうじてのちからるってきます。ひつようなだけをじゅんばんあたえてくれるので、ひつようじょうかんしょうはしてこないのです。ちいさいたすけでいいときちいさいたすけでとどめるのです。おおきいたすけがるときはおおきいたすけをあたえてきます。
 ひょうめんだけをて、このしゅれいさまはひくいのかな、ちからがないのかなとうのはちがいです。やはり、げんちからがあるというふうにたほうがいのです。ただひつようなだけのちからるってくるから、かならゆうざいにいろんなちからはっしてくれます。

 あさひょうめんはたらいている姿すがただけをながめていると、このしゅれいさまはこのていはたらきしかないかなとさっかくします。だいたいあのえるれいのうしゃはそういうふうにてしまうから、そうてしまいます。でも、そのときはそのときひつようなだけのはたらきを姿すがたあらわしてするだけだから、もっとおおきいちからひつようなときにはもっとおおきなちからるいますので、げんていしたかたをするのはちがいです。

 だから、ほんとうちゅうおおがみさまのわりに、(自分(じぶん)を)せんぞくとしてまもるためにりてくるのです。きゅうきょくちゅうおおがみさまのちからなおして、使つかえるかみさまとたほうがいのです。ちいさくないほうがいのです。
 だから、しゅれいさま「ありがとうございます」とさいにつけているかぎりは、しゅれいさまはちゅうおおがみさまといったいなのです。しゅれいさまをとおしてひつようたすけがりやすくなっています。そういうかたちるのが大事(だいじ)なのです。


  ごとひつようことほんとうにしたいこととをべつ 

-ありがとうございます-
 さいきんあさきて、ごとにゆきたくないのです。それは、ごとめなさいよということでしょうか?それとも、ちをえなさいよということでしょうか?

ありがとうございます:
 ごとひつようことほんとうにしたいこととをべつすると、ひつようことはしたほうがいのです。だから、させてもらえるはずです、かならず。でも、ぶんきなこと、したいことはどっちでもいのです。てきとうで、ほどほどで、したいときにして。

 ほんとうひつようことだったら、かならずさせてくださるのです。ごとでもなんでも。そのときぶんほんとうひつようなものはなにかいしゃにゆくことですか?ちがうでしょう、たぶん。ほんとうひつようことかならずさせてくださるから、いやだとってもしてしまうのです。
 たとえば、きゅうひつようです、まらないのです、チャンとうごいています、ごはんひつようなだけべます。ぜったいひつようことかならかみさまのほうがバックアップしているから、ぜんにさせてもらっているのです。あとはあんまりひつようないことはなにしてもかっなのです。してもしなくてもいというかたちゆうにさせてもらうのです。

-ありがとうございます-
 じゃあ、ごとはしてもしなくてもい?

ありがとうございます:
 ほんとうは、そんなもんじゃないのかな。どんなあいでも、「ありがとうございます」となおせばかんげきあらたになります。つかんで、そのれんぞくていると、どうしてもマンネリしてくるのです。きてしまっているのです、つかみすぎているのです。そのつかこころしてもらうには「ありがとうございます」をチョッとかいすうおおとなえるとえてしまいます。そうするとあらたに、なにかしてみたい、なにかさせてしいというちになります。なにしてもがたがたいになります。

 しょしんかえって、あらたにあらたになおちはだいです。そういうで、マンネリじょうたいかれて、もういっかいしょしんかえってよろこぶためのべんきょうかもしれません。かたちかんけいないのです。こころかたひとつです。どんなごとしてもいのです。ひとじゅうばいぐらいたのしんでたのしんで。



       いまいっしゅんあらたになおして、いっしゅんだけをつかめばいいのです 

-ありがとうございます-
 つかむときるということですが、だんなにつかめばいいのですか?

ありがとうございます:
 いまいっしゅんあらたになおして、いっしゅんだけをつかめばいいのです。だからほんとうは、かみさまがちゅうそうぞうするというのはいっしゅんいっしゅんあたらしいものをしてゆくので、それをけてあじわうというのがだいです。いっしゅんいっしゅんあらたになおすことです。

 ごとをしているというのも、ごとをしている姿すがたいっしゅんなおすのです。つぎなにをさせてもらうにも、あらたにいっしゅんなおす。そうするとかみさまがぶんとおしておおきくはたらいている姿すがたてきます。ごとだけではなくて、ほかのことぜんです。ぞくごすときも、いっしゅんだけかみさまがぞく姿すがたあらわれたということです。いっしゅんだけとおもうとありがたいのです。つぎいっしゅんすべてえたらなにもないのですから。
 ちゅうのすべてがくらやみなにそんざいしないとおもうと、いしころいっもありがたいとおもうのです。ほかのものもげんのあるものとえてくるのです。

 いっしゅんいっしゅんしぼむのがたいへんなので、今日きょういちにちだけでもいし、としいちねんでもいのです。こころあらたにするそういうかただとかんしゃかんげきふかくなります。かんしゃふかくなると、いっしゅんというのがドンドンかんみじかくなってゆきます。げんおくまんぶんいちびょうまですすみます。そしてあたらしいちゅうけなおすようになってゆきます。

-ありがとうございます-
 そのへんがサッパリわからないのです。いっしゅんいっしゅんというのが、ぼくらはれんぞくえていますから。

ありがとうございます:
 かんくうかんかんけいが、かんくうかんというのはそうたいりょうきょくけられて、そのわせで、かんくうかんわさったちゅうかいまれるのです。かんかぎりなくみじかくなるほどいのです。ゼロにちかづくほどげんひろがります。それだけらしいかいあじわえます。

 だから、ごとしていてもマンネリしてくるとかんをダラダラながかんじて、そうするとているかいがつまらないかいです。いやごとをしているときはそうです。くうかんせばまっていやじょうたいがいっぱいというじょうたいのときは、かんながながかんじます。でも、たのしくてたまらないときはかんのたつのをわすれてしまいます。かんかんけいないのです。
 けいかんこころかんじるかんはチョッとちがうのです。こころではいっしゅんというものをちかくまでしぼむほど、ぶんこころひろがるかいげんげんおおきくなって、らしいしあわせなじょうたいかんしているのです。

 このひといっしゅんというのを、まばたきするかんというぐらいにるのですけど、このいっしゅんというかんをドンドンみじかるのがいのです。そうすると、かみさまのちゅうそうぞうみがわかってきます。ほんとういっしゅんちゅうのすべてがわります。げんおくまんぶんいちびょうというみじかかんわるから、つうれんぞくしてしかえないのです。つうりをつけるのうりょくがないのです。
 えいのフイルムがそうです。24こまを1秒びょうかんまわしたらうごきがれんぞくしてえます。そうすると、ばらばらにえないから(れんぞくしているように)さっかくするのです。でも、24まいべつべつにしたらよくわかります、バラバラというのが。
 そういうみとているとえばています、げんのコマをいっしゅんにしてながしてしまうから、れんぞくしているようにしかえないというだけです。


 「ありがとうございます」ととなえたときにかみさまが 

-ありがとうございます-
 ひつようこと、やらなければならないことというのは、「ありがとうございます」をとなえているとぜんにそうなってくるんでしょうか?それとも、いまてんえらぼうとすることことなんでしょうか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」ととなえたときにかみさまがりてきて、ひつようことあたえてくるのです。そしてそれをれるじょうたいかならずなるのです。
 ひつようことほんとうにしなければならないことは、ぜんにさせてもらってけってきます。だから、「ありがとうございます」ととなえることいまいちばんひつようことだったら、「ありがとうございます」ととなえることだけでわります。

 「ありがとうございます」をとなえるだけでも、ほんとうはものすごいはたらきになっているのです。ってみれば、こころにためたものことひつようだったら、すためのはたらきがぜったいひつようになるのです。「ありがとうございます」をとなえるだけで、マイナスのものをおおきいはたらきをしてしまいます。
 こころのチャンネルをたかいチャンネルにえるために、こころなかをプラスにえることがひつようだったら、「ありがとうございます」だけをとなえてげんのプラスをこころくわえてくるのです。そのあとまたチャンネルがわって、そこの姿すがたかたるのがひつようだったら、スッとわっていろんなプラスのはたらきのおおきくているぶんわっててきます。

 すべてが、ひつようなものがドンドンかみさまのほうからあたえてきて、それをけているけっまれてきます。あれこれぶんかんがえても、まだわからないのです。あれしたらいいかどうかまよってしまうだけで、かみさまのたすけをそこなってしまいます。だから、「ありがとうございます」それだけでとおしたほうがかんがえないでむし、けっがチャンとてきます。


   こころとなえたらひつようおうじておおきいかみさまのはたらきが 

-ありがとうございます-
 はじめておうかがいするのですけど、あちこちに「ありがとうございます」というシールがたくさんってあるのですけれど、れるだけでこうがあるというのでそうしてあるのですか?

ありがとうございます::
 そうです。こころとなえたらひつようおうじておおきいかみさまのはたらきがはいってきます。こうしてっていると、ここからかみさまがひかりほうしゃするのです。とうだいみたいにひかりほうしゃするのです。いつでもつよひかりほうしゃするかというと、そうとはげんらないのです。ひつようひととおるとひかりつよくなります。です。ひかりりょうまでげんしてきます。

-ありがとうございます-
 このシールはとくべつなものですか?ぶんいてもいいですか?

ありがとうございます:
 いいえいいえ、とくべつではありません。ぶんいてそれでいいのです。こうして、るのもいいし、テープにろくおんしてくのもいのです。ほかに、「ありがとうございます」をこころほうほうがあればなんでもいいのです。


         
     いろんなのうりょくは、ぶんこころかいはつしたものは 

-ありがとうございます-
 のうさとりとはかんけいないですか?のうりょくくんれんかたはありますか?

ありがとうございます:
 いろんなのうりょくは、ぶんこころかいはつしたものはマイナスになりがちです。いろんなのうりょくというのはぜんてくるのがつうなのです。ところが、それをちゅうでふたをしてしまうというのはひつようなかったのです。ひつようないからふたをしてしまうのです。
 ほんとうひつようなものだったらまたぜんてくるはずなのです。やりしなくてもいいのです。いろんなのうりょくてきたらほんとうしあわせかというと、そうではないかもしれないのです。ほんとうひつようだったらそれがやくつのですが。

 いろんなのうりょくにんげんはたくさんおくにもっているのです。げんのうりょくっていてそれをゆうせるようになっているのです。
 たとえば、ひとらいぜんできるのうりょくてくるとすると。みんなのぬときがぜんわかったとしてもがありません。ひつようない、ぎゃくぶんこころくるしいしこころいためます。ひとおしえてもこころいためるしなやみます。わかってもやくちません。ぎゃくにわかることがぶんにとってマイナス・こうになります。ほかののうりょくぜんおなじです。ほんとうひつようのうりょくがそのときだけてくればいいのです。

 このげんつうぶんではません。それをかみさまにおまかせするのがいのです。「ありがとうございますととなえていて、かみさまがひつようとしてそのたすけがりてきて、ぜんてくるのうりょくだったら、どんなのうりょくきてきます。
 だから、「ありがとうございます」ととなえていて、ほんとうらいするのうりょくひつようだったら、ひつようなだけののうりょくがかならずてきます。ひらめくようにわかるのです。


     やくわりちがい、はたらきのちがいというのはあるのですが 

-ありがとうございます-
 きゅうにはいろんなじんしゅがありますが、ほんじんとくしゅというのはありますか?

ありがとうございます:
 やくわりちがい、はたらきのちがいというのはあるのですが、それをうとぜんちがうのです。ほんじんひとひとぜんちがいます。かみさまのつくげるものはおなものはひとつもないのです。おなことかえさない。これはてっそくみたいなものです。

 みんなひとひとちいさいところまでちがうんだというのがわかるのがただしいのです。だから、じんしゅちがいも、おおざっちがいがわかっただけで、もっとこまかくひとひとちがいまでもはっきりわかるほうがいのです。ひとひとちがいがあるはたらきがかみさまにとってひつようなのです。ほんとうひつようはたらきはひとひとせいです、それでぜんたいだい調ちょう姿すがたをとります。

 ほんみんぞくは、ほんみんぞくやくわりおおきくたらあります。ほんじんひとひとやくわりちがってあります。でもどれがわるいではないのです。とうといとかどうこうとか、ぜんひつようはたらきです。ぜんたいにとって、ほんみんぞくひつようだし、ほかのみんぞくぜったいひつようです。だからそのおなじです。びょうどうがあります。

 ちょうどおしばをするのがそうです。ストーリーがまったらやくわりめます。やくをしているひとがあるかというとそうではないのです。どんなやくあくやくも、おしばにはぜったいひつようようです。おなびょうどうがあります。
 そういうで、かみさまのちゅうそうぞうもそういうみになっているので、いしころいったいようひとつもびょうどうがあります。いしころも、おまえちいさいからだめだとわれたら、「くやしかったらたいようまえちいさくなってみろ」と()われてもなれません。かみさまのまえったときにはみなびょうどうがあります。げんのあるぜったいのものがあります。

 せいというのは、「ありがとうございます」をとなえているとほんとうせいてきます。ぜんたいしゃいったいしないとせいまれないです。このでも、ぜんたいしゃいったいになっているからおやゆびです。ひとゆびなかゆびというようにまるのです。ゆびとしてならべたら、どれがおやゆびまりません、いっぽんゆびがあるだけです。これはせいえてしまっていて、もうないのです。せいぜんたいしゃつながっているときだけがせいまれるのです。
 かみさまといったいのときだけがせいはっできるのです。「ありがとうございます」ととなえてかみさまといったいしているときが、ひとひとせいはっしておおきいはたらきをさせていただくのです。せいくせとはちがいます。せいかみさまのはたらきです。


   ことだまとしてのひびきがだいです。これでかみさまをんでいる 
 
-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」というのは、ひびきがだいなのですか?
 
ありがとうございます:
 そうです。ことだまとしてのひびきがだいです。これでかみさまをんでいるはたらきです。きゅうきょくかみさまをしているはたらきになります。

-ありがとうございます-
 じょうきょうによって、「ありがとう」・「ありがとうございました」・「ありがとうございます」を使つかけていますが、ことちからとしては「ありがとうございます」がいちばんですか?

ありがとうございます: 
 これも、かみさまのまえというふうにみたら、「ありがとうございました」はかみさまのまえぶのではなく、かみさまのはたらきがあったというぐらいのです。かみさまのまえぶほうがスッとてきてひつようはたらきをサッとしてたすけてくださいます。だから「ありがとうございます」がほんです。
 「ありがとう」でもべつわるくはないのですが、「かみさま」というのと、「かみ」とうのと、そういってもてきてくださるとおもうのですが、でも、かみさまとったほうが、ばれたとおもっててくるのです。

-ありがとうございます-
 ことだまがくほんにだけあるのですか?

ありがとうございます:
 がいこくにもあるのです。ただほんにはことだまうらちされたことおおいのです。がいこくにもことだまうらちされたことはあるのです。ことというのはみなそうだけど、りないのです。
 かんあいことだまとチョッとちがいます。かたちかみさまのはたらきをあらわすのです。だからことだまてきはチョッとずれます。ひらがなの「ありがとうございます」でいろんな使つかったほうがいいとおもいます。

-ありがとうございます-
 こころなかで「ありがとうございます」というのと、ことして「ありがとうございます」というのとでは、ことおもみとしてはおなじなのですか?

ありがとうございます:
 そのときのじょうきょうわります。こころとなえるというのは、ぶんこころふかはいるのです。おくふかくにはいってとなえるほどちからおおきくなります。そういうではこころおくふかくにいのる・となえるというのもいのです。
 でも、くちしてうのもだいです。それをだれかがいていたら、そのひとに「ありがとうございます」ととなえてもらったのとおなじで、それがぜんぶんかえってきます。ぶんいのりとひとつになります。そのときそのときりょうほう使つかけて、ゆうざいでいいとおもいます。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」ととなえるときと、「げんげんのありがとうございます」ととなえるときと、「かみさまありがとうございます」ととなえるときがあります。どれでもいのですか?

ありがとうございます:
 それも、マンネリしないというではえてもいのです。「げんげんのありがとうございます」とときどきうと、「げんげんのありがとうございます」をなかっているおおきい「ありがとうございます」をとなえやすくなってきます。「げんげんのありがとうございます」をなかっているおおきい「ありがとうございます」にわってきます。そういうでは「げんげんのありがとうございます」ととなえたほうがいのです。

 ちいさい「ありがとうございます」からおおきい「ありがとうございます」までいっぱいあります。あさいのからふかいのまで、それがすべてそなわっているのです。「ありがとうございます」のなかにです。
 あるときはげんげんおおきくなります。あるときはげんちいさくなるかもしれません。げんなかはいってちいさいなかのものをもとめる「ありがとうございます」になるかもしれないのです。そうやってぜんたいどうるかもしれない。たのしめばいのです。いっかいいっかい「ありがとうございます」をたのしませてもらうのです。

 
      ほんほんとう姿すがたは、たいようかがやくようにいつもかがやいて 

-ありがとうございます-
 ほんというくにが、けいざいてきすい退たいせいてきにもこころもんだいふくめて、いいほうこうすすんでいるようにおもえないのですけれど、せんせいはどうおもわれますか?

ありがとうございます:
 ほんほんとう姿すがたは、たいようかがやくようにいつもかがやいています。ひょうめんだけくもがかかってたいようえない、くもがあるからじゃしているだけです。いまほん姿すがたおなじです。ほんとう姿すがたかくしているなにかがあります。それをドンドンしてもらったらいわけです。

 バブルのほうかいなんていうのは、そらにかかっているくもあめでざっとしてもらったような姿すがたです。それぞれみなじゃしているものをしてもらうほど、ほんほんらい姿すがたたいようがざっとてきます。
 だからたいようぜったいえません、ただひょうめんえるかどうかです。えるようにスッキリすればいいのです、こころをスッキリさせたらいのです。こころめたつかおもいとか、マイナスのおもいとかをぜんってしまったらいいのです。
 だからいま、いろいろマイナスのめんがあるというのも、あるというふうにてもえません、「ありがとうございます」というふうにかんしゃしたらしてもらえるのです。「ありがとうございます」ととなえてくれるひとえてきたら、じゃするものぜんえてしまうから、ほんらいほん姿すがたしあわせなじょうたいがサッとてきます。
 これを、ひょうめんだけつくろってもだめなのです。おく姿すがたさないといけない、いくらペンキをってもいけないのです。ダイヤモンドのかがやきをみがさないといけないのです。ペンキをってれいかざってもほんとうのダイヤモンドのかがやきはてこないのです。
 ほんらしいじょうたいも、ひとしあわせなじょうたいも、そとからペンキをってつくるのとはちがいます。じゃするものをぜんとしてみがきだせばいのです。

 だからシンプルなのがいのです、すべてが。いままではほんものおおすぎたのです。ひつようでないものがおおすぎるのはシンプルではありません。ほんとうひつようなだけが()ったほうがスッキリしているとおもいます。だから、ごみがいっぱいになってしまって、けいくなるといっても、ごみがいっぱいになるようなけいくなりかたではこまります。けいくなるためのものを、ひつようなだけつくって、