真祈り文庫
2001年4月8日・1
きっかけはありません、最初は、この世の姿を良>く
-ありがとうございます-
何がきっかけで今のような境地になりましたか?
ありがとうございます:
きっかけはありません、最初は、この世の姿を良くしたいと思ってお祈りの練習をさせてもらっていたのです、病気の人を治したいとか、地球の滅亡を防ぎたいとか、それを練習しているうちに、「ありがとうございます」を唱えているうちに中から変えてもらうのです。そしたら、この世なんてちっぽけに見えてくるのです、中からの輝きのほうが無限に無限に大きいから、この世なんて相手にしなくてもいいようになり、過去を掴まなくなります。
そういう心に変えてくれたのです、「ありがとうございます」の神さまの力です。唱えさせてもらって、助けてもらって、幸せにしてもらって、そんなものです。
本当は私のほうが最低だったと思います
-ありがとうございます-
誰でも皆「先生」のようになれるのですか?
ありがとうございます:
そうです、そうです。本当は私のほうが最低だったと思います、こんな最低の自分でも、神さまが助けてあげようということになったら、いろんな体験も与えてもらい、感謝できるようにしてくれて、本当の感謝の意味も実感させてくれて、幸せにしてくれます。あとは「ありがとうございます」と感謝させてもらえば良いだけです。そうしたら一瞬に悟れるのです。
だから、最低に自分を置いたほうが、謙虚になって感謝しやすいのかもしれません、神さまに縋れるというところがあります。
「ありがとうございます」という最高の神さまは、最後の切り札みたいな神さまです、とても謙虚な神さまで、でしゃばってこない、人の自由を縛らないから、どんな神さま仏さまにも縋りなさいと言う、自由にしなさいよと言ってきます。でも、最後に戻ってきたら、大きな力で助けてくれます。
皆、ある一定期間、自由な生き方をするのです、でも、満足できない、どんな生き方をしても、どんな神さまを信仰しても、本当の満足は得られないのです。最後に、「ありがとうございます」という究極の神さまに縋るのです。その時に最高の力で悟らせてくれます。
すごい神さまです、何も要らないのです、どんな修行をしなさいもない。何にもなしで、神さまと一体なんだよと解からせてくれるから、何も否定する事がないのです、この世を否定する事も何もいらない、すべてを大肯定できます。この世もあの世もすべて肯定できるのです、みんな神さまなんだとわかってくるから、プラスにプラスに受け直せるのです。
「ありがとうございます」という神さまの力が「ありがとうございます」という祈り言葉に降りているのです、その言葉さえ受け入れたら良いだけなのです。「ありがとうございます」という言葉を唱えるだけです。難しくはありません。
ほかの祈り言葉が前面に出てくると、ありがとう
-ありがとうございます-
そんなに素晴らしい「ありがとうございます」という言葉なのに、アーメンとか南無阿弥陀仏という祈り言葉のように普及していない、普通の挨拶言葉としてしか普及してないのはなぜですか。
ありがとうございます:
ほかの祈り言葉が前面に出てくると、ありがとうございますの神さまは、どうぞどうぞと応援するのです。
-ありがとうございます-
(アーメン・南無阿弥陀仏などの祈り言葉と)同じじゃないのですか?
ありがとうございます:
同じではありません。南無阿弥陀仏がでてきたら、それを前面に出しなさいというふうに広がるのです。後押しだけをしてくれるのです。
-ありがとうございます-
過去にも悟った人はいましたが、(ありがとうございますに)気付かなかったのですか?
ありがとうございます:
例えば、南無阿弥陀仏で悟るとそれが最高と思い込んでしまうのです、その奥に「ありがとうございます」という神が控えているのですが。どんな神仏を信仰する人もその次に必ず「ありがとうございます」というのです。最後の切り札のバックアップをしている神さまの働きを感じているのです。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」の神さまは天地創造の神さまですか?
ありがとうございます:
天地創造の神でもあるし、全体でもあるのです、すべてです。創造した側とされた側とに分かれていない、両方全部をひっくるめて全体なのです。
言霊のさきはう(幸ふ)国と日本は言われます
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」は日本語ですが、他国語に同じ意味の言葉がありますよね、他国語には同じようなパワーはないのですか?
ありがとうございます:
言霊のさきはう(幸ふ)国と日本は言われます、「ありがとうございます」は言霊と一致している言葉です。だから輝きが大きいのです。
-ありがとうございます-
それは日本人にとってということですか?外国の人も「ありがとうございます」と言った方が良いのですか?
ありがとうございます:
言ったほうが良いのです。世界共通語になったほうがいいのです、「ありがとうございます」ぐらいは。
日本が雛型になります。雛型というのは、例えば、中心に円ができたら、中心から円が同心円的に広がります。だから、日本が良くなれば世界が必ず良くなります。
これは地理的にいってもそうです、日本列島は世界の大陸の縮図になっているのです。何でこんなにそっくりにしているのかと思うくらい不思議です、北海道が北アメリカ大陸そっくりで、四国なんかオーストラリア大陸そっくりです、全部ピタッとあっています。そういうふうにみると、日本が世界の雛型です、だから、日本が変われば世界が変わるはずです。
星の世界もそうらしいのです、星座の世界にも北アメリカ大陸そっくりの星座があるというのです。すると、星座の世界にまで日本の雛型が広がるのです、宇宙に。不思議です、こういうのは人間業ではありません。
中心の円・雛型の役目があります、だから、日本には世界の文化も全部入ってくるのです。日本だけでしす、宗教でも全部はいってくるのは。それで、全部を生かして中に取り込む、吸収してしまう、そして違和感がなくなります。
外国は、対立します。建物だってそうです、外国はドアーでピシャッと閉じてしまいます、日本はふすまだけで広くなったり狭くなったり、部屋が伸び縮み自由です。カバンだって、一定の形のままですが、風呂敷は大きいものでも小さいものでも包めます。着物も、下駄や草履もそうです。靴だと小さすぎるとはいらない大きすぎると不自由するのですが、下駄や草履だと大きい人も小さい人も使えます。日本にはそういうのが自然と備わっています。
そういう意味で日本が全世界の責任を負っているのです。だから、日本を良くしたら世界が必然的に自然に良くなってゆくと思います。
本物の神さまは唯一絶対のものです、その全体の
-ありがとうございます-
とても初歩的な質問なのですが笑わないでください、神さまはお一人ですよね?総元締めというか、としたら、認可されている宗教法人はその支社みたいになるのですか?
ありがとうございます:
本物の神さまは唯一絶対のものです、その全体の部分部分の別れがいっぱいあります。
-ありがとうございます-
認可を受けているというのは、一応本物の神さまですか?
ありがとうございます:
いやいや、そういうのはまだまだ本物じゃない。本物の神さまはこの全大宇宙です、全大宇宙が神さまの体です。この全大宇宙の中の小さい地球です、地球なんて無限の中の一点みたいなものです。無限の中の一点みたいな地球の中で、なおかつ、人間が作って、これが神さまだと指差している姿が宗教法人の神さまです。本物じゃない。全部を包み込んでいるのが本物の神さまです。
本物と模型は違います、地球と地球儀とはぜんぜん違うのです。人間がこれが神さまだと指さしているだけです。さしているほうが正しいかどうかはわからないのです。人間が作ったのはみんな偽神さまです。本物の神さまは名前も名乗らないし、宣伝もしない。掴みどころがないように思うのですが、でも、全体なのです。
子分にもはいらない。無限に無限に小さすぎて
-ありがとうございます-
キリストとかお釈迦さまとかそういう昔から頂点に立っているような人たちも、本物の神さまから見たら子分みたいなものですか?
ありがとうございます:
子分にもはいらない。無限に無限に小さすぎて、人間なんてたいした事ないのです。でも、一番奥へ戻ったら、本当の本体の自分に戻ったら、みんな神さまの意識をもらって、神さまのすべてを一瞬一瞬受け直せる自分だから、その自分は神さまとひとつだから素晴らしいのです。その神さまとひとつになった自分でも、神さまから新しいものを受けなかったらゼロなのです、マイナスなのです、何もない状態です。
一瞬一瞬受け直してこそ神さまの素晴らしさを頂けます。それは自分ではありません、神さまです。だから、謙虚になるしかないのです。自分には何もないということに気付くしかなくなります。そして、前面に出てくるのは、「ありがとうございます」という神さまだけになってきます。
そうしたら、過去のどんな立派な人がでてきてもそんなものは、足跡のちっぽけなものです。本当の自分から見たら、魂の自分・肉体の自分もつめの垢よりずっと小さい。だから、過去なんかも相手にしなくなります、そして、最高の神さまだけを心に感じ取ろうとするのが大事です。そして、無限に無限に輝いた姿を実感しようとしてゆくのが感謝行なのです。
「ありがとうございます」という一言に、「新たな無限の無限の幸せがいっぱい!」という意味も含まれています、「無限の無限の喜びがいっぱい!」という意味が含まれているのです。ありとあらゆる神さまの徳が全部含まれています、全部考えるのはややこしいから「ありがとうございます」の一言で押さえるのです。「ありがとうございます」一言で全部受け直すのです。
その「ありがとうございます」を無限に無限に積み重ねたものも、もうひとつ大きな「ありがとうございます」の中に納まってしまいます。その大きな「ありがとうございます」を無限に無限に積み重ねた「ありがとうございます」がもうひとつ大きな「ありがとうございます」になってゆきます。「ありがとうございます」がドンドン大きくなるのです。最初はちいさいかんじかも知れませんが、唱えているうちに大きくしてもらうから、中身がドンドン変わってきます。だからできるだけたくさん唱えたほうが得なのです。
その中身が実感できてきたら、神さまがますます遠く感じるかも知れません。遠くに感じるけど、あまりに大きすぎるからです。全部を掴みきれないという意味で遠くになるけれど、神さまの中心に置かれているというのはわかってくるのです、大光源の中心にいつも自分が置かれているというのが、いやというほどわかってくると思います。
だから、神さまをどこに捜し求めるのか?探し求めなくて良いのです。神さまの中心にいるのです。
ここは何でも出ます。たまたま出なかっただけです
ありがとうございます-男
今日の食事で肉は出ていなかったのですが、それは、なぜですか?
ありがとうございます:
いや、ここは何でも出ます。たまたま出なかっただけです。
ありがとうございます-女
出てましたよ、私食べました。
ありがとうございます:
何を食べても良いのです。みんな命を捧げてくれてるのです、いい事してください!菜食も良いですけど、それもひとつの生き方です。お米も一粒一粒、生きているのは動物も同じです。命を捧げてもらったという感謝で頂くんだったら、動物でも悪い事ではないのです。
弘法大師さまでもお肉を頂くのです、「ありがとうございます」と感謝して受けたら、一緒にいたお坊さんに「お前、肉を食べて(食べたな)!!」と言われて、「わしは、食べていない」と弘法大師、「じゃー、吐き出してみろ」と言われて、弘法大師からは何も出てこないのに、文句を言った人から肉が出てくるのです。
弘法大師は、命を捧げてもらったという深い感謝で受けているから、肉ではないのです命なのです。でも、人を責める心は肉を掴んでいるのです、心で肉を取り込んでいるから自分の中から肉が出て来るのです。
食べ物というのはいつも、神さまの命を頂いているのです。お米の粒がたくさんあるのは、たくさん感謝できるように!食べ終わるのに時間がかかる(笑い)そこで、「無限の無限のありがとうございます」と言えばいいのです。
輪廻転生はかなり低い番組
-ありがとうございます-
輪廻転生()はどうですか?
ありがとうございます:
輪廻転生()はかなり低()い番組()()なのです。新()たに受()け直()す番組()は輪廻転生()しないのです。常()に一瞬一瞬()生()まれ変()わる世界()の番組()だから、絶対()の神()さまの世界()から新()たに生()まれてくる輝()いた自分()だけになります。だから、輪廻転生()する肉体()・魂()を掴()まなくなります。そういう番組()も上()のほうにはたくさんあります。
だから高()い神()さまは、輪廻転生()はないと断言()するのです、だけど、輪廻転生()はあるという神()さまも低()い世界()にはいます。それも正()しいのです、決()して間違()いではありません。
-ありがとうございます-
誰々()の生()まれ変()わりとかそういうのはないということですか?
ありがとうございます:
そういうのもあります、そういう番組()もあります。いろんな人()に生()まれ変()わるのです。低()い番組()をみたらあります。神()さまの放送番組()には、無限()のチャンネルがあります、低()いほうには必()ず輪廻転生()があります。番組()の中()にはまり込()んだら、その番組()のストーリー通()りに動()くのです、でも、番組()を離()して見()る自分()は自由自在()です。縛()りのない自分()です。
感謝()というのは縛()りのない自分()に戻()ることです。感謝()の心()は縛()りのない自分()になるためなのです。番組()の中()にはまり込()んで抜()けられない人()は「ありがとうございます」を唱()えているうちに抜()けてしまうのです。だから、自由()になり、世界()が広()がります。思()いの世界()はひとつのものを掴()んで小()さくはまり込()んでゆきますが、感謝()は縛()りから抜()けて無限()に広()がります。
日本語()は言霊()で捉()えると正()しく理解()できます
-ありがとうございます-
「ありがとう」と「ありがとうございます」の違()いは、「ありがとうございます」の方()が謙虚()に聞()こえるのですが、それだけなんでしょうか?
ありがとうございます:
日本語()は言霊()で捉()えると正()しく理解()できます。「ありがとうございます」を言霊()的()に解釈()すると。
「あ」は、光()とか光源()という意味()です。
「り」は、ら行()音()で、螺旋状()に宇宙()の創造()は行()われています。螺旋状()が直線()と違()うのは、螺旋状()に二本()の線()が回()ると、途中()で出会()うのが無限()に大()きくなってたくさん増()えるのです。直線()だと一回()交()わるだけです。螺旋状()の渦巻()きで交()わると、途中()で何回()も交()わってゆきます。そして、小()さいものから大()きいものまで相似形()のものがたくさん出来()あがります。このように、宇宙()の創造()の仕組()みが、螺旋状()に組()み合()わさるというようになっています。「り」は創造()の働()きを指()しています。
「が」は、輝()くという意味()をダブらせています。(無限()に)(無限()に)輝()くという意味()を「が」に現()しています。
「とう」は、ありが(たし)と言()うと、た行()音()とさ行()音()になります。それを縮()めて「ありが(とう)」となり、た行()音()は縦()の線()・さ行()音()は横()の線()です。すなはち、相対()に別()れる両極()を十字()に組み合()わせるという意味()です。
だから(ありがとうございますは)、宇宙()のすべてのすべてを指()しています。神()さまの絶対()の光源()から(あ)、光()が螺旋状()に放射()されて(り)、無限()に無限()に輝()いて(が)、すべての相対()の両極()に分()かれたものがピッタリと大()調和()の姿()に組み合()わされている(とう)、という意味()です。
「ございます」の意味()は、ただ、いらっしゃるという浅()い意味()だけじゃないのです。神()さまは自由自在()な性質()を本質()としてもっていて、それが凝り固()まって形()あるものまで出()てきます。
「ご」は、凝()り固()まってさらに凝り固()まってという意味()です。
「一()霊四魂()・一元()四()体()」という言葉()があります。
霊()が魂()という四()つの魂()の働()きに分()かれる、「奇()霊()・「幸()霊()」・「和()霊()」・「荒()霊()」の四()つの魂()の働()きに分()かれます。
一元()四()体()というのは、物質()は一元()がまず(精()体())見()えない姿()に分()かれて、(精()体())・(気体())・(液体())・(固体())の四()つの働()きに分()かれます。
神()さまの絶対()の自由自在()なる姿()が凝り固()まって魂()の姿()をとります。さらに凝り固()まったら「体()」という形()に現()れてくるのです。凝り固()まって凝り固()まって宇宙()のすべては生み出()されてきます。それが「ごー」という響()きになります。
「ざ」は、「さ」わやかというのは清清()しいという意味()です。汚()れが全然()ない・澄み切()って気持()ちがいい、そういう「さ」がダブって「ざ」になります。どこにもマイナスがない状態()です。
「い」は、活き活き()と生()きてるという感()じです。
「ます」は、増()すという意味()があります。同()じ状態()を保()っていない、ドンドン殖()える・さらに良()くなるという意味()があります。「ま」は、完全()・完()きという意味()です。「す」は、澄み切()る・中心()という意味()です、大()調和()の姿()です。
「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」全部()で、神()さまの働()きをそれぞれ表現()しているのです。だから、神()さまの働()きを小()さく受()けるんだったら「ありがとう」と言()えばいいのです。この世()的()な小()さい幸()せとか喜()びを受()けるんだったら、「ありがとう」でいいのです。
でも宇宙()全体()、それも無限()に深()いところまで全部()受()け直()すには、どうしても、自然()に「ありがとうございます」になってしまいます。あまりに大()きすぎて深()すぎて・恐れ多()いのです。だから自然()に「ございます」と言葉()だけでもつけてくるのです。
だから、「ありがとうございます」と「ありがとう」は別()といえば別()だけど、「ありがとうございます」の中()に「ありがとう」もあります。最初()は「ありがとう」から入()っても良()いのです。「ありがたや・ありがたや」と歌()っても良()いのです。
罪()の捉()え方()もいろんな段階()があります
-ありがとうございます-
罪()を犯()した場合()、償()いが出来()るのならば、どのようにしたら良()いですか?
ありがとうございます:
罪()の捉()え方()もいろんな段階()があります、でも、[ありがとうございます」と唱()え始()めたら、罪()というのは、過去()の古()いものを掴()んで積み重()ねて、新()しいものを受()け損()なった結果()なのです。
だから、新()しいものを受()け直()す[ありがとうございます]という生き方()に変()わったら、その時点()で一()切()の罪()はありません。本当()の罪()の消()し方()は、新()たに受()け直()すことです。[ありがとうございます]という神()さまを心()に受け入()れたら良()いだけです。[ありがとうございます]と言()えば過去()の一()切()の罪()はないのです、最高()の消()し方()です。
第一直感()でサッと入()っただけなのです。これから必要()な事()は
-ありがとうございます-
先生()は、DDNに参画()されているのですが、事業()も含()めて構想()はどのようにお考()えですか?
ありがとうございます:
第一直感()でサッと入()っただけなのです。これから必要()な事()は神()さまの方()から、この世の中()をよくするための働()きをしてくるのです。その一環()として自然()に出()てくる姿()が・形()がDDNの姿()です。今()までは、誰()かが頂点()にあって、支配()するような形()をとってきています。でも、これからはそうではありません、神()さまの御心()を中心()にして、一人一人()が自由自在()に望()める、そして全体()が大()きい働()きをします。だから、ネットワークが大事()です。
一本一本()の糸()では、それが救()いの糸()だったら一人の人()は救()えるけど、それが網()になると一挙()にザーッと救()い上()げられます。救()いの光()のネットワークです。これが光()でなかったら、思()いの・業()の心()だったら、皆()を網()で縛()ってしまいます。今()までは縛()りのネットワークです、これからは、一人一人を自由()にする光()のネットワークが必要()になってきます。そういう意味()で、一人一人()が神()さまの御心()と一体化()して、一人一人()の持ち味()を活()かして自由自在()の働()きをします。それで、全体()が助()け合()いをとって大()きい働()きをするのです。
世界()を大()きく変革()する働()きは、中心()は神()さまから生()まれてきて、その神()さまの御心()を一人一人()が具体化()するのです。だから、縛()りのない働()きでないと本物()になりません。本物()は、「ありがとうございます」という究極()の神()さまがどれだけ降()り立()つかなのです。神()さまが一人一人()の中()に降()り立()って自由()に動()けてこそ働()きなのです、皆()を幸()せに出来()る働()きになってくるのです。
捨石()になりたいと思()ったのです。基礎()を作()るときの捨石()です、将来()大()きな建物()を作()るときの基礎()を作()る捨石()になりたいと思()ったのです。
自分()が先祖()をどのように見()ているかが根本()です
-ありがとうございます-
先祖()供養()とはなんでしょうか?
ありがとうございます:
自分()が先祖()をどのように見()ているかが根本()です、その見方()によっていろんな方法()が生()まれてきます。だから、神()さまの最高()表現()に近()い光()のご先祖()さまと見()たときには、みんな無限()に無限()に輝()いて悟()っています。子孫()に対()しては、幸()せを与()え尽()くそうとするばかりです。そうしたら、先祖()供養()は感謝()だけです。
仏壇()を家()にお祭()りしてお供()えするにしても、中心()にご本尊()さまがあってご先祖()さまがあって、輝()いた姿()をとっています。お供()えは向()こう向()けずにこっち向()けます。これは、ご先祖()さまから必要()な一()切()を私()たちに与()えてもらっているのです。仏壇()は感謝()を深()めるための模型()です、本当()の供養()は感謝()ばかりです。
でも、ご先祖()さまは悪()い事()をしたので、まだ迷()ってると思()うと、それを助()けなければいけない立場()になります。そういう立場()にたつと、真理()の言葉()を教()えて上()げなければいけない、お経()を唱()えて上()げなければいけない・お祈()りしてあげなければいけないとなります。
どっちを選()ぶかは一人一人()が選()びます、段階()が全部()違()うから、低()い段階()・高()い段階()と必要()な段階()があります。順番()にいろんな段階()を通()って最後()は感謝()に行き着()きます。早()く「ありがとうございます」に戻()ったほうが良()いと思()います。仏壇()もお墓()も必要()なくなります、感謝()の心()があったら、形()の模型()は必要()なくなって、もっと自由()になります。だからと言()って、仏壇()もお墓()も破壊()する事()はないのです、それが必要()な人()には必要()です。大事()に守()るこことも大事()です。
小学校()から大学()まであります、自分()が大学生()だから小学校()も中学校()も高校()も要()らないと壊()してしまったら大変()です、あとから小学校()に入学()してくる子()もいます。そういうのも大事()に守()ってあげるのも大事()です。
木()を例()えに言()うと、中心()に幹()があり枝()が
-ありがとうございます-
自分()と他人()が一体()なんだと、よく聞()くのですが、どうしたらその実感()が得()られるのでしょうか?
ありがとうございます:
木()を例()えに言()うと、中心()に幹()があり枝()があって細()い枝()があって、末端()に葉()っぱがあります。そうすると、肉体()を自分()と思()っていると、一枚()の葉()っぱを自分()と思()っている感覚()です。
葉()っぱ同士()は別々()です、でも、小枝()から太枝()へ遡()ると繋()がっています。繋()がった時点()で一体()なのです。だから、できるだけ自分()の心()を根元()まで下()げてゆくと良()いのです、それは神()さまの中()へ入()ることです。神()さまへ近()づけば近()づくほどたくさんのものとの一体感()が自然()に生()まれてくるのです。
これも感謝()だけです、感謝()すればするほど神()さまとの一体感()が大()きく深()くなってゆきます。そうすると、みんな自分()なんだという感覚()が、そして宇宙()全部()が自分()なんだという感覚()が自然()に生()まれてくるのです。だから、みんなの幸()せが自分()の幸()せです。自分()の幸()せは無限()の幸()せだとしても小()さいのです、でも、全部()の人()の無限()の幸()せが自分()の幸()せになれば、無限()の無限()の幸()せをいつも味()わえます。「ありがとうございます」を唱()えたらいいだけです。
みんな無限()に無限()に輝()いていると感謝()しているだけで
-ありがとうございます-
先生()は、統一()・瞑想()している時()どういう世界()なのですか?
ありがとうございます:
みんな無限()に無限()に輝()いていると感謝()しているだけです。皆()が無限()に輝()いて素晴()らしいなーと、褒め称()えて感謝()して喜()んでいます。一番()幸()せにしてもらって「ありがとうございます」と喜()んでいるだけです。
たくさん感謝()できるほうが統一()は深()いのです。出来()るだけ沢山()の人()を感謝()の対象()にするほうが良()いのです。みんなの幸()せを自分()の幸()せにしてしまうのです。
本当()の統一()は、一()なるものに統()べられるということです。一()なるものとは「ありがとうございます」という神()さまの事()です。そこへ繋()がれば良()いのです、統一()というのは。「ありがとうございます」という神()さまと繋()がっているという心()の実感()がドンドン大()きく深()くなってくれば良()いのです。日に日()に実感()が大()きく深()くなります。
私()の場合()、統一()は、目()をあけていても閉()じていても大丈夫()なのです。このまま「ありがとうございます」の神()さまに向()いているのです。
統一()というのは、無念無想()とかそういうのとは違()うのです、感謝()が深()くなる事()なのです。心境()が澄み切()って青空()のようになって・・・そんな事()は考()えなくて良()いのです、もっと自由自在()なのです。感謝()というのは、いろんな状態()を全部()中()に持()っています。澄み切()った状態()が必要()だったら出()てきます、踊り狂()うような喜()びの表現()が必要()なら踊り狂()うのです。歌()を歌()うのが良()かったら歌()いだすし、自由自在()なすべてを中()に持()っています。
神()さまの世界()はお金()ではありません
-ありがとうございます-
お金()とは何()でしょうか?結構()これに惑()わされるのです。
ありがとうございます:
神()さまの世界()はお金()ではありません、必要()ないのです。人間()の世界()です、お金()があるのは。人間()の世界()のお金()は約束()事()です、働()いたらそれをお金()に換()えて、またそのお金()で同()じ働()きの分()を返()してもらうという、基本的()にはその約束()事()なのです。沢山()働()いてそれを貯金()という形()で残()すためには、何()か別()なものに振り替()えなければいけない、お金()という形()で振り替()えておいて、必要()なときにそれを働()きに換()えてもらうわけです。
基本的()にはそうなのですが、今()の世界()は、あんまり働()かないで沢山()儲()けます。その儲()けたお金()は金額()は多()いのですが、その多()い金額()で返()してもらうのは、自分()の働()いた分()だけしか帰()ってこないのです。だからそのお金()には余()り価値()がありません。
昔()から、あぶく銭()には価値()がないといいます。博打()で勝()ったお金()もすぐに消()えてしまいます。泥棒()して奪()ってきたお金()は価値()がありません、何()も与()えず奪()ってきたものだから価値()はゼロなのです。あるいはマイナスかもしれない。
お金()の額()よりも、それを手()に入()れるときにどれだけ働()きとして、幸()せをどれだけ与()えたかが大事()です。それでそのお金()が生()きてくるのです。
お金()は相手()にしなくても良()いと思()うのです、沢山()働()いて報()いを求()めず全部()与()えてしまったら、お金()はないのですが、今度()必要()なときに、ただで与()え返()されるのです。だから、無報酬()でするボランティアが一番()神()さまの世界()に近()いのです。
だから、お金儲()けに縛()られなくて済()むのです、自分()が喜()ぶことを喜()んで一生懸命()にできます。ボランティアで自分()の出来()る事()を一生懸命()、世()のために尽()くして働()いておけば、それに見合()ったものは必()ず利息()をつけて返()されてきます。そのような与()える心()は神()さまの世界()の高()い世界()に波長()が合()います、運命()はドンドン急上昇()します。そして恵()みがいっぱいになってきます。
見返()りというより、そういう信()じる心()は良()いのです
-ありがとうございます-
与()えたものが大()きくなって帰()ってくるとか、見返()りを求()める下心()があってボランティアしてもいいのですか?
ありがとうございます:
見返()りというより、そういう信()じる心()は良()いのです。与()えれば与()えられるとか、神()さまの世界()に波長()が合()うとか、そういう確信()は大事()です。それで喜()んで喜()んで与()え尽()くせば良()いのです。
下心()が有()っても最初()は良()いと思()います。そのうち下心()も消()えてなくなるかもしれないし、それ以上()の大()きな喜()びが湧()き上()がってきます。
私()は二十歳()のころから全部()ボランティアで、働()いても自分()の生活費()に使()っていません。そうしたら、必要()なもの全部()ただで与()えてもらうのです。
ここもそうです、お金儲()けしてお金()ためてしてないのです。何()もないところに出来上()がっていくのです。スピードが速()い、普通()だったら家()を建()てるのは大変()です、それがバーッと作り上()げていってもらえます。必要()な材料()もほとんど集()まってきます、不思議()でたまりません。
「ありがとうございます」の神()さまの力()なのです。天()から降()ってくるという、物質()化()される感覚()です。「ありがとうございます」だけ唱()えていたら寝()ていても良()いのです、でも、嬉()しくて動き出()しますけど!
-ありがとうございます-
先生()が二十歳(代()の時()に、病気()の人()を治()したいと祈()っているときに、寝()る暇()もなかったとのことですが寝()られないのはきついですよね。
ありがとうございます:
今()にも死()にそうな人()が来()たら寝()ていられません。そういう真剣()な思()いが育()ってくるのです。子供()が死()にそうになったら母親()は寝()ません、一()週間()ぐらい徹夜()で寝()ないでがんばれます。真剣()になった時()は寝()ないで済()むみたいです。神()さまが応援()に降()りて来()るんだと思()います。