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()(いの)(ぶん)()

2001年4月8日・1

      
  きっかけはありません、最初さいしょは、この姿すがた>く

-ありがとうございます-
 なにがきっかけでいまのような境地きょうちになりましたか?

ありがとうございます:
 きっかけはありません、最初さいしょは、この姿すがたくしたいとおもっておいのりの練習れんしゅうをさせてもらっていたのです、病気びょうきひとなおしたいとか、地球ちきゅう滅亡めつぼうふせぎたいとか、それを練習れんしゅうしているうちに、「ありがとうございます」をとなえているうちになかからえてもらうのです。そしたら、このなんてちっぽけにえてくるのです、なかからのかがやきのほうが無限むげん無限むげんおおきいから、このなんて相手あいてにしなくてもいいようになり、過去かこつかまなくなります。
 そういうこころえてくれたのです、「ありがとうございます」のかみさまのちからです。となえさせてもらって、たすけてもらって、しあわせにしてもらって、そんなものです。


       本当ほんとうわたくしのほうが最低さいていだったとおもいます

-ありがとうございます-
 だれでもみんな先生せんせい」のようになれるのですか?

ありがとうございます:
 そうです、そうです。本当ほんとうわたくしのほうが最低さいていだったとおもいます、こんな最低さいてい自分じぶんでも、かみさまがたすけてあげようということになったら、いろんな体験たいけんあたえてもらい、感謝かんしゃできるようにしてくれて、本当ほんとう感謝かんしゃ意味いみ実感じっかんさせてくれて、しあわせにしてくれます。あとは「ありがとうございます」と感謝かんしゃさせてもらえばいだけです。そうしたら一瞬いっしゅんさとれるのです。 
 だから、最低さいてい自分じぶんいたほうが、謙虚けんきょになって感謝かんしゃしやすいのかもしれません、かみさまに(すが)れるというところがあります。

 「ありがとうございます」という最高さいこうかみさまは、最後さいご切り札き  ふだみたいなかみさまです、とても謙虚けんきょかみさまで、でしゃばってこない、ひと自由じゆうしばらないから、どんなかみさまほとけさまにも(すが)りなさいとう、自由じゆうにしなさいよとってきます。でも、最後さいごもどってきたら、おおきなちからたすけてくれます。

 みんな、ある一定期間いっていきかん自由じゆう生き方い  かたをするのです、でも、満足まんぞくできない、どんな生き方い  かたをしても、どんなかみさまを信仰しんこうしても、本当ほんとう満足まんぞくられないのです。最後さいごに、「ありがとうございます」という究極きゅうきょくかみさまに(すが)るのです。そのとき最高さいこうちからさとらせてくれます。
 すごいかみさまです、なにらないのです、どんな修行しゅぎょうをしなさいもない。なんにもなしで、かみさまと一体いったいなんだよとからせてくれるから、なに否定ひていすることがないのです、この否定ひていすることなにもいらない、すべてをだい肯定こうていできます。このもあのもすべて肯定こうていできるのです、みんなかみさまなんだとわかってくるから、プラスにプラスになおせるのです。

 「ありがとうございます」というかみさまのちからが「ありがとうございます」といういの言葉ことばりているのです、その言葉ことばさえ受け入う  いれたらいだけなのです。「ありがとうございます」という言葉ことばとなえるだけです。むずかしくはありません。


       ほかのいの言葉ことば前面ぜんめんてくると、ありがとう

-ありがとうございます-
 そんなに素晴すばらしい「ありがとうございます」という言葉ことばなのに、アーメンとか南無阿弥陀仏なむあみだぶつといういの言葉ことばのように普及ふきゅうしていない、普通ふつう挨拶あいさつ言葉ことばとしてしか普及ふきゅうしてないのはなぜですか。

ありがとうございます:
 ほかのいの言葉ことば前面ぜんめんてくると、ありがとうございますのかみさまは、どうぞどうぞと応援おうえんするのです。

-ありがとうございます-
 (アーメン・南無阿弥陀仏なむあみだぶつなどのいの言葉ことばと)おなじじゃないのですか?

ありがとうございます: 
 おなじではありません。南無阿弥陀仏なむあみだぶつがでてきたら、それを前面ぜんめんしなさいというふうにひろがるのです。後押あとおしだけをしてくれるのです。

-ありがとうございます-
 過去かこにもさとったひとはいましたが、(ありがとうございますに)気付きづかなかったのですか?

ありがとうございます:
 たとえば、南無阿弥陀仏なむあみだぶつさとるとそれが最高さいこう思い込おも  こんでしまうのです、そのおくに「ありがとうございます」というかみひかえているのですが。どんな神仏しんぶつ信仰しんこうするひともそのつぎかならず「ありがとうございます」というのです。最後さいご切り札き  ふだのバックアップをしているかみさまのはたらきをかんじているのです。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」のかみさまは天地てんち創造そうぞうかみさまですか?

ありがとうございます:
 天地てんち創造そうぞうかみでもあるし、全体ぜんたいでもあるのです、すべてです。創造そうぞうしたがわとされたがわとにかれていない、両方りょうほう全部ぜんぶをひっくるめて全体ぜんたいなのです。


      言霊ことだまのさきはう(さきはふ)くに日本にほんわれます

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」は日本語にほんごですが、国語こくごおな意味いみ言葉ことばがありますよね、国語こくごにはおなじようなパワーはないのですか? 

ありがとうございます:
 言霊ことだまのさきはう(さきはふ)くに日本にほんわれます、「ありがとうございます」は言霊ことだま一致いっちしている言葉ことばです。だからかがやきがおおきいのです。
 
-ありがとうございます-
 それは日本人にほんじんにとってということですか?外国がいこくひとも「ありがとうございます」とったほういのですか?
 
ありがとうございます:
 ったほうがいのです。世界せかい共通語きょうつうごになったほうがいいのです、「ありがとうございます」ぐらいは。
 日本にほんひながたになります。ひながたというのは、たとえば、中心ちゅうしんえんができたら、中心ちゅうしんからえん同心円どうしんえんてきひろがります。だから、日本にほんくなれば世界せかいかならくなります。

 これは地理ちりてきにいってもそうです、日本列島にほんれっとう世界せかい大陸たいりく縮図しゅくずになっているのです。なんでこんなにそっくりにしているのかとおもうくらい不思議ふしぎです、北海道ほっかいどうきたアメリカ大陸たいりくそっくりで、四国しこくなんかオーストラリア大陸たいりくそっくりです、全部ぜんぶピタッとあっています。そういうふうにみると、日本にほん世界せかいひながたです、だから、日本にほんわれば世界せかいわるはずです。
 ほし世界せかいもそうらしいのです、星座せいざ世界せかいにもきたアメリカ大陸たいりくそっくりの星座せいざがあるというのです。すると、星座せいざ世界せかいにまで日本にほんひながたひろがるのです、宇宙うちゅうに。不思議ふしぎです、こういうのは人間業にんげんわざではありません。

 中心ちゅうしんえんひながた役目やくめがあります、だから、日本にほんには世界せかい文化ぶんか全部ぜんぶはいってくるのです。日本にほんだけでしす、宗教しゅうきょうでも全部ぜんぶはいってくるのは。それで、全部ぜんぶかしてなか取り込と  りこむ、吸収きゅうしゅうしてしまう、そして違和感いわかんがなくなります。
 外国がいこくは、対立たいりつします。建物たてものだってそうです、外国がいこくはドアーでピシャッとじてしまいます、日本にほんはふすまだけでひろくなったりせまくなったり、部屋へや伸び縮の  ちぢ自由じゆうです。カバンだって、一定いっていかたちのままですが、風呂敷ふろしきおおきいものでもちいさいものでもつつめます。着物きものも、下駄げた草履ぞうりもそうです。くつだとちいさすぎるとはいらないおおきすぎると不自由ふじゆうするのですが、下駄げた草履ぞうりだとおおきいひとちいさいひと使つかえます。日本にほんにはそういうのが自然しぜんそなわっています。

 そういう意味いみ日本にほん全世界ぜんせかい責任せきにんっているのです。だから、日本にほんくしたら世界せかい必然的ひつぜんてき自然しぜんくなってゆくとおもいます。


      本物ほんものかみさまは唯一ゆいいつ絶対ぜったいのものです、その全体ぜんたい

-ありがとうございます-
 とても初歩しょほてき質問しつもんなのですがわらわないでください、かみさまはお一人ひとりですよね?総元締そうもとじめというか、としたら、認可にんかされている宗教法人しゅうきょうほうじんはその支社ししゃみたいになるのですか?

ありがとうございます:
 本物ほんものかみさまは唯一ゆいいつ絶対ぜったいのものです、その全体ぜんたい部分ぶぶん部分ぶぶんわかれがいっぱいあります。

-ありがとうございます-
 認可にんかけているというのは、一応いちおう本物ほんものかみさまですか?

ありがとうございます:
 いやいや、そういうのはまだまだ本物ほんものじゃない。本物ほんものかみさまはこのぜん大宇宙だいうちゅうです、ぜん大宇宙だいうちゅうかみさまのからだです。このぜん大宇宙だいうちゅうなかちいさい地球ちきゅうです、地球ちきゅうなんて無限むげんなか一点いってんみたいなものです。無限むげんなか一点いってんみたいな地球ちきゅうなかで、なおかつ、人間にんげんつくって、これがかみさまだと指差ゆびさしている姿すがた宗教法人しゅうきょうほうじんかみさまです。本物ほんものじゃない。全部ぜんぶ包み込つつ  こんでいるのが本物ほんものかみさまです。
 本物ほんもの模型もけいちがいます、地球ちきゅう地球儀ちきゅうぎとはぜんぜんちがうのです。人間にんげんがこれがかみさまだとゆびさしているだけです。さしているほうがただしいかどうかはわからないのです。人間にんげんつくったのはみんなにせがみさまです。本物ほんものかみさまは名前なまえ名乗なのらないし、宣伝せんでんもしない。つかみどころがないようにおもうのですが、でも、全体ぜんたいなのです。


      子分こぶんにもはいらない。無限むげん無限むげんちいさすぎて

-ありがとうございます-
 キリストとかお釈迦しゃかさまとかそういうむかしから頂点ちょうてんっているようなひとたちも、本物ほんものかみさまからたら子分こぶんみたいなものですか?

ありがとうございます: 
 子分こぶんにもはいらない。無限むげん無限むげんちいさすぎて、人間にんげんなんてたいしたことないのです。でも、一番いちばんおくもどったら、本当ほんとう本体ほんたい自分じぶんもどったら、みんなかみさまの意識いしきをもらって、かみさまのすべてを一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんなおせる自分じぶんだから、その自分じぶんかみさまとひとつだから素晴すばらしいのです。そのかみさまとひとつになった自分じぶんでも、かみさまからあたらしいものをけなかったらゼロなのです、マイナスなのです、なにもない状態じょうたいです。
 一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんなおしてこそかみさまの素晴すばらしさをいただけます。それは自分じぶんではありません、かみさまです。だから、謙虚けんきょになるしかないのです。自分じぶんにはなにもないということに気付きづくしかなくなります。そして、前面ぜんめんてくるのは、「ありがとうございます」というかみさまだけになってきます。

 そうしたら、過去かこのどんな立派りっぱひとがでてきてもそんなものは、足跡あしあとのちっぽけなものです。本当ほんとう自分じぶんからたら、たましい自分じぶん肉体にくたい自分じぶんもつめのあかよりずっとちいさい。だから、過去かこなんかも相手あいてにしなくなります、そして、最高さいこうかみさまだけをこころ感じ取かん  とろうとするのが大事(だいじ)です。そして、無限むげん無限むげんかがやいた姿すがた実感じっかんしようとしてゆくのが感謝かんしゃぎょうなのです。

 「ありがとうございます」という一言ひとことに、「あらたな無限むげん無限むげんしあわせがいっぱい!」という意味いみふくまれています、「無限むげん無限むげんよろこびがいっぱい!」という意味いみふくまれているのです。ありとあらゆるかみさまのとく全部ぜんぶふくまれています、全部ぜんぶかんがえるのはややこしいから「ありがとうございます」の一言ひとことさえるのです。「ありがとうございます」一言ひとこと全部ぜんぶなおすのです。

 その「ありがとうございます」を無限むげん無限むげん積み重つ  かさねたものも、もうひとつおおきな「ありがとうございます」のなかおさまってしまいます。そのおおきな「ありがとうございます」を無限むげん無限むげん積み重つ  かさねた「ありがとうございます」がもうひとつおおきな「ありがとうございます」になってゆきます。「ありがとうございます」がドンドンおおきくなるのです。最初さいしょはちいさいかんじかもれませんが、となえているうちにおおきくしてもらうから、中身なかみがドンドンわってきます。だからできるだけたくさんとなえたほうがとくなのです。

 その中身なかみ実感じっかんできてきたら、かみさまがますますとおかんじるかもれません。とおくにかんじるけど、あまりにおおきすぎるからです。全部ぜんぶつかみきれないという意味いみとおくになるけれど、かみさまの中心ちゅうしんかれているというのはわかってくるのです、だい光源こうげん中心ちゅうしんにいつも自分じぶんかれているというのが、いやというほどわかってくるとおもいます。
 だから、かみさまをどこにさがもとめるのか?さがもとめなくていのです。かみさまの中心ちゅうしんにいるのです。

      ここはなんでもます。たまたまなかっただけです

ありがとうございます-おとこ
 今日きょう食事しょくじにくていなかったのですが、それは、なぜですか?

ありがとうございます:
 いや、ここはなんでもます。たまたまなかっただけです。

ありがとうございます-おんな
 てましたよ、わたくしべました。

ありがとうございます:
 なにべてもいのです。みんないのちささげてくれてるのです、いいことしてください!菜食さいしょくいですけど、それもひとつの生き方い  かたです。おこめ一粒ひとつぶ一粒ひとつぶきているのは動物どうぶつおなじです。いのちささげてもらったという感謝かんしゃいただくんだったら、動物どうぶつでもわることではないのです。

 弘法大師こうぼうだいしさまでもおにくいただくのです、「ありがとうございます」と感謝かんしゃしてけたら、一緒いっしょにいたおぼうさんに「おまえにくべて(べたな)!!」とわれて、「わしは、べていない」と弘法大師こうぼうだいし、「じゃー、吐き出は  だしてみろ」とわれて、弘法大師こうぼうだいしからはなにてこないのに、文句もんくったひとからにくてくるのです。

 弘法大師こうぼうだいしは、いのちささげてもらったというふか感謝かんしゃけているから、にくではないのですいのちなのです。でも、ひとめるこころにくつかんでいるのです、こころにく取り込と  こんでいるから自分じぶんなかからにくるのです。
 食べ物た  ものというのはいつも、かみさまのいのちいただいているのです。おこめつぶがたくさんあるのは、たくさん感謝かんしゃできるように!わるのに時間じかんがかかる(わらい)そこで、「無限むげん無限むげんのありがとうございます」とえばいいのです。


       輪廻転生(りんねてんしょう)はかなり(ひく)番組(ばんぐみ)なのです。(あら)たに()

-ありがとうございます-
 輪廻転生(りんねてんしょう)はどうですか?

ありがとうございます:
 輪廻転生(りんねてんしょう)はかなり(ひく)番組(ばんぐみ)(ばんぐみ)なのです。(あら)たに()(なお)番組(ばんぐみ)輪廻転生(りんねてんしょう)しないのです。(つね)一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)()まれ()わる世界(せかい)番組(ばんぐみ)だから、絶対(ぜったい)(かみ)さまの世界(せかい)から(あら)たに()まれてくる(かがや)いた自分(じぶん)だけになります。だから、輪廻転生(りんねてんしょう)する肉体(にくたい)(たましい)(つか)まなくなります。そういう番組(ばんぐみ)(うえ)のほうにはたくさんあります。
 だから(たか)(かみ)さまは、輪廻転生(りんねてんしょう)はないと断言(だんげん)するのです、だけど、輪廻転生(りんねてんしょう)はあるという(かみ)さまも(ひく)世界(せかい)にはいます。それも(ただ)しいのです、(けつ)して間違(まちが)いではありません。

-ありがとうございます-
 誰々(だれだれ)()まれ()わりとかそういうのはないということですか?
 
ありがとうございます:
 そういうのもあります、そういう番組(ばんぐみ)もあります。いろんな(ひと)()まれ()わるのです。(ひく)番組(ばんぐみ)をみたらあります。(かみ)さまの放送番組(ほうそうばんぐみ)には、無限(むげん)のチャンネルがあります、(ひく)いほうには(かな)輪廻転生(りんねてんしょう)があります。番組(ばんぐみ)(なか)にはまり()んだら、その番組(ばんぐみ)のストーリー(どお)りに(うご)くのです、でも、番組(ばんぐみ)(はな)して()自分(じぶん)自由自在(じゆうじざい)です。(しば)りのない自分(じぶん)です。

 感謝(かんしゃ)というのは(しば)りのない自分(じぶん)(もどり)ることです。感謝(かんしゃ)(こころ)(しば)りのない自分(じぶん)になるためなのです。番組(ばんぐみ)(なか)にはまり()んで()けられない(ひと)は「ありがとうございます」を(とな)えているうちに()けてしまうのです。だから、自由(じゆう)になり、世界(せかい)(ひろ)がります。(おも)いの世界(せかい)はひとつのものを(つか)んで(ちい)さくはまり()んでゆきますが、感謝(かんしゃ)(しば)りから()けて無限(むげん)(ひろ)がります。

        日本語にほんご言霊ことだまとらえるとただしく理解りかいできます

-ありがとうございます-
 「ありがとう」と「ありがとうございます」のちがいは、「ありがとうございます」のほう謙虚けんきょこえるのですが、それだけなんでしょうか?

ありがとうございます:
 日本語にほんご言霊ことだまとらえるとただしく理解りかいできます。「ありがとうございます」を言霊ことだまてき解釈かいしゃくすると。

「あ」は、ひかりとか光源こうげんという意味いみです。

「り」は、らぎょうおんで、螺旋状らせんじょう宇宙うちゅう創造そうぞうおこなわれています。螺旋状らせんじょう直線ちょくせんちがうのは、螺旋状らせんじょう二本にほんせんまわると、途中とちゅう出会であうのが無限むげんおおきくなってたくさんえるのです。直線ちょくせんだと一回いっかいまじわるだけです。螺旋状らせんじょう渦巻うずまきでまじわると、途中とちゅう何回なんかいまじわってゆきます。そして、ちいさいものからおおきいものまで相似形そうじけいのものがたくさん出来できあがります。このように、宇宙うちゅう創造そうぞう仕組しくみが、螺旋状らせんじょうわさるというようになっています。「り」は創造そうぞうはたらきをしています。

「が」は、かがやくという意味いみをダブらせています。(無限むげんに)(無限むげんに)かがやくという意味いみを「が」にあらわしています。

「とう」は、ありが(たし)とうと、たぎょうおんとさぎょうおんになります。それをちぢめて「ありが(とう)」となり、たぎょうおんたてせん・さぎょうおんよこせんです。すなはち、相対そうたいわかれる両極りょうきょく十字じゅうじ組み合く  あわせるという意味いみです。

 だから(ありがとうございますは)、宇宙うちゅうのすべてのすべてをしています。かみさまの絶対ぜったい光源こうげんから(あ)、ひかり螺旋状らせんじょう放射ほうしゃされて(り)、無限むげん無限むげんかがやいて(が)、すべての相対そうたい両極りょうきょくかれたものがピッタリとだい調和ちょうわ姿すがた組み合くみあわされている(とう)、という意味いみです。

 「ございます」の意味いみは、ただ、いらっしゃるというあさ意味いみだけじゃないのです。かみさまは自由自在じゆうじざい性質せいしつ本質ほんしつとしてもっていて、それが凝り固こ  かたまってかたちあるものまでてきます。

 「ご」は、かたまってさらに凝り固こ  かたまってという意味いみです。
 「いち霊四魂れいしこん一元いちげんたい」という言葉ことばがあります。
 れいこんというよっつのたましいはたらきにかれる、「くしみたま・「さきみたま」・「にぎみたま」・「あらみたま」のよっつのこんはたらきにかれます。
 一元いちげんたいというのは、物質ぶっしつ一元いちげんがまず(せいたい)えない姿すがたかれて、(せいたい)・(気体きたい)・(液体えきたい)・(固体こたい)のよっつのはたらきにかれます。
 かみさまの絶対ぜったい自由自在じゆうじざいなる姿すがた凝り固こ  かたまってこん姿すがたをとります。さらに凝り固こ  かたまったら「たい」というかたちあらわれてくるのです。凝り固こ  かたまって凝り固こ  かたまって宇宙うちゅうのすべては生み出う  だされてきます。それが「ごー」というひびきになります。

 「ざ」は、「さ」わやかというのは清清すがすがしいという意味いみです。よごれが全然ぜんぜんない・澄み切す  きって気持きもちがいい、そういう「さ」がダブって「ざ」になります。どこにもマイナスがない状態じょうたいです。

 「い」は、活き活きい  い  きてるというかんじです。

 「ます」は、すという意味いみがあります。おな状態じょうたいたもっていない、ドンドンえる・さらにくなるという意味いみがあります。「ま」は、完全かんぜんまったきという意味いみです。「す」は、澄み切す  きる・中心ちゅうしんという意味いみです、だい調和ちょうわ姿すがたです。

 「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」全部ぜんぶで、かみさまのはたらきをそれぞれ表現ひょうげんしているのです。だから、かみさまのはたらきをちいさくけるんだったら「ありがとう」とえばいいのです。このてきちいさいしあわせとかよろこびをけるんだったら、「ありがとう」でいいのです。
 でも宇宙うちゅう全体ぜんたい、それも無限むげんふかいところまで全部ぜんぶなおすには、どうしても、自然しぜんに「ありがとうございます」になってしまいます。あまりにおおきすぎてふかすぎて・恐れ多おそ  おおいのです。だから自然しぜんに「ございます」と言葉ことばだけでもつけてくるのです。
 だから、「ありがとうございます」と「ありがとう」はべつといえばべつだけど、「ありがとうございます」のなかに「ありがとう」もあります。最初さいしょは「ありがとう」からはいってもいのです。「ありがたや・ありがたや」とうたってもいのです。
 

       つみとらかたもいろんな段階だんかいがあります 

-ありがとうございます-
 つみおかした場合ばあいつぐないが出来できるのならば、どのようにしたらいですか?

ありがとうございます:
 つみとらかたもいろんな段階だんかいがあります、でも、[ありがとうございます」ととなはじめたら、つみというのは、過去かこふるいものをつかんで積み重つ  かさねて、あたらしいものをそこなった結果けっかなのです。
 だから、あたらしいものをなおす[ありがとうございます]という生き方い  かたわったら、その時点じてんいっさいつみはありません。本当ほんとうつみかたは、あらたになおすことです。[ありがとうございます]というかみさまをこころ受け入う  いれたらいだけです。[ありがとうございます]とえば過去かこいっさいつみはないのです、最高さいこうかたです。

      第一直感(だいいちちょっかん)でサッと(はい)っただけなのです。これから必要(ひつよう)(こと)

-ありがとうございます-
 先生(せんせい)は、DDNに参画(さんかく)されているのですが、事業(じぎょう)(ふく)めて構想(こうそう)はどのようにお(かんが)えですか?

ありがとうございます:
 第一直感(だいいちちょっかん)でサッと(はい)っただけなのです。これから必要(ひつよう)(こと)(かみ)さまの(ほう)から、この世の中(よ  なか)をよくするための(はたら)きをしてくるのです。その一環(いっかん)として自然(しぜん)()てくる姿(すがた)が・(かたち)がDDNの姿(すがた)です。(いま)までは、(だれ)かが頂点(ちょうてん)にあって、支配(しはい)するような(かたち)をとってきています。でも、これからはそうではありません、(かみ)さまの御心(みこころ)中心(ちゅうしん)にして、一人一人(ひとりひとり)自由自在(じゆうじざい)(のぞ)める、そして全体(ぜんたい)(おお)きい(はたら)きをします。だから、ネットワークが大事(だいじ)です。

 一本一本(いっぽんいっぽん)(いと)では、それが(すく)いの(いと)だったら一人の人(ひとり  ひと)(すく)えるけど、それが(あみ)になると一挙(いっきょ)にザーッと(すく)()げられます。(すく)いの(ひかり)のネットワークです。これが(ひかり)でなかったら、(おも)いの・(ごう)(こころ)だったら、(みんな)(あみ)(しば)ってしまいます。(いま)までは(しば)りのネットワークです、これからは、一人一人を自由(じゆう)にする(ひかり)のネットワークが必要(ひつよう)になってきます。そういう意味(いみ)で、一人一人(ひとりひとり)(かみ)さまの御心(みこころ)一体化(いったいか)して、一人一人(ひとりひとり)持ち味(も  あじ)()かして自由自在(じゆうじざい)(はたら)きをします。それで、全体(ぜんたい)(たす)()いをとって(おお)きい(はたら)きをするのです。

 世界(せかい)(おお)きく変革(へんかく)する(はたら)きは、中心(ちゅうしん)(かみ)さまから()まれてきて、その(かみ)さまの御心(みこころ)一人一人(ひとりひとり)具体化(ぐたいか)するのです。だから、(しば)りのない(はたら)きでないと本物(ほんもの)になりません。本物(ほんもの)は、「ありがとうございます」という究極(きゅうきょく)(かみ)さまがどれだけ()()つかなのです。(かみ)さまが一人一人(ひとりひとり)(なか)()()って自由(じゆう)(うご)けてこそ(はたら)きなのです、(みんな)(しあわ)せに出来(でき)(はたら)きになってくるのです。
 捨石(すていし)になりたいと(おも)ったのです。基礎(きそ)(つく)るときの捨石(すていし)です、将来(しょうらい)(おお)きな建物(たてもの)(つく)るときの基礎(きそ)(つく)捨石(すていし)になりたいと(おも)ったのです。


       自分じぶん先祖せんぞをどのようにているかが根本こんぽんです

-ありがとうございます-
 先祖せんぞ供養くようとはなんでしょうか?

ありがとうございます:
 自分じぶん先祖せんぞをどのようにているかが根本こんぽんです、その見方みかたによっていろんな方法ほうほうまれてきます。だから、かみさまの最高さいこう表現ひょうげんちかひかりのご先祖せんぞさまとたときには、みんな無限むげん無限むげんかがやいてさとっています。子孫しそんたいしては、しあわせをあたくそうとするばかりです。そうしたら、先祖せんぞ供養くよう感謝かんしゃだけです。
 仏壇ぶつだんいえにおまつりしておそなえするにしても、中心ちゅうしんにご本尊ほんぞんさまがあってご先祖せんぞさまがあって、かがやいた姿すがたをとっています。おそなえはこうけずにこっちけます。これは、ご先祖せんぞさまから必要ひつよういっさいわたくしたちにあたえてもらっているのです。仏壇ぶつだん感謝かんしゃふかめるための模型もけいです、本当ほんとう供養くよう感謝かんしゃばかりです。

 でも、ご先祖せんぞさまはわることをしたので、まだまよってるとおもうと、それをたすけなければいけない立場たちばになります。そういう立場たちばにたつと、真理しんり言葉ことばおしえてげなければいけない、おきょうとなえてげなければいけない・おいのりしてあげなければいけないとなります。

 どっちをえらぶかは一人一人ひとりひとりえらびます、段階だんかい全部ぜんぶちがうから、ひく段階だんかいたか段階だんかい必要ひつよう段階だんかいがあります。順番じゅんばんにいろんな段階だんかいとおって最後さいご感謝かんしゃ行き着ゆ  つきます。はやく「ありがとうございます」にもどったほうがいとおもいます。仏壇ぶつだんもおはか必要ひつようなくなります、感謝かんしゃこころがあったら、かたち模型もけい必要ひつようなくなって、もっと自由じゆうになります。だからとって、仏壇ぶつだんもおはか破壊はかいすることはないのです、それが必要ひつようひとには必要ひつようです。大事だいじまもるこことも大事だいじです。
 小学校しょうがっこうから大学だいがくまであります、自分じぶん大学生だいがくせいだから小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう高校こうこうらないとこわしてしまったら大変たいへんです、あとから小学校しょうがっこう入学にゅうがくしてくるもいます。そういうのも大事だいじまもってあげるのも大事だいじです。


       たとえにうと、中心ちゅうしんみきがありえだ

-ありがとうございます-
 自分じぶん他人たにん一体いったいなんだと、よくくのですが、どうしたらその実感じっかんられるのでしょうか?

ありがとうございます:
 たとえにうと、中心ちゅうしんみきがありえだがあってほそえだがあって、末端まったんっぱがあります。そうすると、肉体にくたい自分じぶんおもっていると、一枚いちまいっぱを自分じぶんおもっている感覚かんかくです。

 っぱ同士どうし別々べつべつです、でも、小枝こえだから太枝おおえださかのぼるとつながっています。つながった時点じてん一体いったいなのです。だから、できるだけ自分じぶんこころ根元ねもとまでげてゆくといのです、それはかみさまのなかはいることです。かみさまへちかづけばちかづくほどたくさんのものとの一体感いったいかん自然しぜんまれてくるのです。

 これも感謝かんしゃだけです、感謝かんしゃすればするほどかみさまとの一体感いったいかんおおきくふかくなってゆきます。そうすると、みんな自分じぶんなんだという感覚かんかくが、そして宇宙うちゅう全部ぜんぶ自分じぶんなんだという感覚かんかく自然しぜんまれてくるのです。だから、みんなのしあわせが自分じぶんしあわせです。自分じぶんしあわせは無限むげんしあわせだとしてもちいさいのです、でも、全部ぜんぶひと無限むげんしあわせが自分じぶんしあわせになれば、無限むげん無限むげんしあわせをいつもあじわえます。「ありがとうございます」をとなえたらいいだけです。


       みんな無限むげん無限むげんかがやいていると感謝かんしゃしているだけで

-ありがとうございます-
 先生せんせいは、統一とういつ瞑想めいそうしているときどういう世界せかいなのですか?

ありがとうございます:
 みんな無限むげん無限むげんかがやいていると感謝かんしゃしているだけです。みな無限むげんかがやいて素晴すばらしいなーと、褒め称ほ  たたえて感謝かんしゃしてよろこんでいます。一番いちばんしあわせにしてもらって「ありがとうございます」とよろこんでいるだけです。

 たくさん感謝かんしゃできるほうが統一とういつふかいのです。出来できるだけ沢山たくさんひと感謝かんしゃ対象たいしょうにするほうがいのです。みんなのしあわせを自分じぶんしあわせにしてしまうのです。
 本当ほんとう統一とういつは、いつなるものにべられるということです。いつなるものとは「ありがとうございます」というかみさまのことです。そこへつながればいのです、統一とういつというのは。「ありがとうございます」というかみさまとつながっているというこころ実感じっかんがドンドンおおきくふかくなってくればいのです。日に日ひ  ひ実感じっかんおおきくふかくなります。
 わたくし場合ばあい統一とういつは、をあけていてもじていても大丈夫だいじょうぶなのです。このまま「ありがとうございます」のかみさまにいているのです。

 統一とういつというのは、無念無想むねんむそうとかそういうのとはちがうのです、感謝かんしゃふかくなることなのです。心境しんきょう澄み切す  きって青空あおぞらのようになって・・・そんなことかんがえなくていのです、もっと自由自在じゆうじざいなのです。感謝かんしゃというのは、いろんな状態じょうたい全部ぜんぶなかっています。澄み切す  きった状態じょうたい必要ひつようだったらてきます、踊り狂おど  くるうようなよろこびの表現ひょうげん必要ひつようなら踊り狂おど  くるうのです。うたうたうのがかったらうたいだすし、自由自在じゆうじざいなすべてをなかっています。


      かみさまの世界せかいはおかねではありません

-ありがとうございます-
 おかねとはなんでしょうか?結構けっこうこれにまどわされるのです。

ありがとうございます:
 かみさまの世界せかいはおかねではありません、必要ひつようないのです。人間にんげん世界せかいです、おかねがあるのは。人間にんげん世界せかいのおかね約束やくそくごとです、はたらいたらそれをおかねえて、またそのおかねおなはたらきのぶんかえしてもらうという、基本的きほんてきにはその約束やくそくごとなのです。沢山たくさんはたらいてそれを貯金ちょきんというかたちのこすためには、なにべつなものに振り替ふ  かえなければいけない、おかねというかたち振り替ふ  かえておいて、必要ひつようなときにそれをはたらきにえてもらうわけです。

 基本的きほんてきにはそうなのですが、いま世界せかいは、あんまりはたらかないで沢山たくさんもうけます。そのもうけたおかね金額きんがくおおいのですが、そのおお金額きんがくかえしてもらうのは、自分じぶんはたらいたぶんだけしかかえってこないのです。だからそのおかねにはあま価値かちがありません。
 むかしから、あぶくぜにには価値かちがないといいます。博打ばくちったおかねもすぐにえてしまいます。泥棒どろぼうしてうばってきたおかね価値かちがありません、なにあたえずうばってきたものだから価値かちはゼロなのです。あるいはマイナスかもしれない。

 おかねがくよりも、それをれるときにどれだけはたらきとして、しあわせをどれだけあたえたかが大事だいじです。それでそのおかねきてくるのです。

 おかね相手あいてにしなくてもいとおもうのです、沢山たくさんはたらいてむくいをもとめず全部ぜんぶあたえてしまったら、おかねはないのですが、今度こんど必要ひつようなときに、ただであたかえされるのです。だから、無報酬むほうしゅうでするボランティアが一番いちばんかみさまの世界せかいちかいのです。
 だから、お金儲かねもうけにしばられなくてむのです、自分じぶんよろこぶことをよろこんで一生懸命いっしょうけんめいにできます。ボランティアで自分じぶん出来できこと一生懸命いっしょうけんめいのためにくしてはたらいておけば、それに見合みあったものはかなら利息りそくをつけてかえされてきます。そのようなあたえるこころかみさまの世界せかいたか世界せかい波長はちょういます、運命うんめいはドンドン急上昇きゅうじょうしょうします。そしてめぐみがいっぱいになってきます。


      見返みかえりというより、そういうしんじるこころいのです 

-ありがとうございます-
 あたえたものがおおきくなってかえってくるとか、見返みかえりをもとめる下心したごころがあってボランティアしてもいいのですか?

ありがとうございます:
 見返みかえりというより、そういうしんじるこころいのです。あたえればあたえられるとか、かみさまの世界せかい波長はちょううとか、そういう確信かくしん大事だいじです。それでよろこんでよろこんであたくせばいのです。
 下心したごころっても最初さいしょいとおもいます。そのうち下心したごころえてなくなるかもしれないし、それ以上いじょうおおきなよろこびががってきます。

 わたくし二十歳はたちのころから全部ぜんぶボランティアで、はたらいても自分じぶん生活費せいかつひ使つかっていません。そうしたら、必要ひつようなもの全部ぜんぶただであたえてもらうのです。
 ここもそうです、お金儲かねもうけしておかねためてしてないのです。なにもないところに出来上できあがっていくのです。スピードがはやい、普通ふつうだったらいえてるのは大変たいへんです、それがバーッと作り上つく  あげていってもらえます。必要ひつよう材料ざいりょうもほとんどあつまってきます、不思議ふしぎでたまりません。
 「ありがとうございます」のかみさまのちからなのです。てんからってくるという、物質ぶっしつされる感覚かんかくです。「ありがとうございます」だけとなえていたらていてもいのです、でも、うれしくて動き出うご  だしますけど!

-ありがとうございます-
 先生せんせい二十歳にじゅっさいだいときに、病気びょうきひとなおしたいといのっているときに、ひまもなかったとのことですがられないのはきついですよね。

ありがとうございます:
 いまにもにそうなひとたらていられません。そういう真剣しんけんおもいがそだってくるのです。子供こどもにそうになったら母親ははおやません、いっ週間しゅうかんぐらい徹夜てつやないでがんばれます。真剣しんけんになったときないでむみたいです。かみさまが応援おうえんりてるんだとおもいます。
                


ありがとうございます
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