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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち No.2



 無限むげんのチャンネルには、迷惑めいわく掛け合か  あ番組ばんぐみもあります

-ありがとうございます-
 子供こどもそだてるうえで、かたにはめないでおおらかにそだてたいのですが、はしゃぎすぎてひとさまに迷惑めいわくをかけることもありますが、迷惑めいわくとはどんなものでしょうか? 

ありがとうございます:
 無限むげんのチャンネルには、迷惑めいわく掛け合か  あ番組ばんぐみもあります、はしゃぎまわる番組ばんぐみもあっていのです。それをめようとしてもなかなかまりません、める番組ばんぐみもあるし、(ほお)っておいてもくなる番組ばんぐみもあります。自分じぶんがどの番組ばんぐみ本当ほんとうたいのか、それさえまったら方法ほうほうてきます。はしゃぎまわらないおとなしい番組ばんぐみいのかどうか。

 本当ほんとうは、「まあ元気げんきですね」とてゆけるのがいいのですが、みんな自分じぶんかんがえでめてしまいます、もっと自由じゆう柔軟じゅうなんこころだとプラスプラスにてゆけるのですが。だからこころ問題もんだいです、自分じぶん問題もんだいなのです。
 もしそのたっきりでうごけない状態じょうたいだったら、ってでもうごいてしいとおもいます、はしれたらものすごくよろこびます。このまれてきてくれただけでも「ああうれしい」とおもえるのが本当ほんとうただしい見方みかただとおもいます。もしまれてきてくれなかったら、なにいところをひとつもあじわえないのです、まれてきてくれたことだけでも無限むげんうれしいことです、五体ごたい満足まんぞく普通ふつうそだってくれたら無限むげんにありがたいのです。手足てあしがなくたっきりでといわれたら・・・それでもまれてきたことはありがたいのです。

 そういうようにプラスにプラスにとらえていったら、走り回はし  まわるほうがいいのです。まわりのひと迷惑めいわくおもっているかどうかというふうにおもったら、それも自分じぶん浅知恵あさぢえでみているかんがえです。まわりのひとはそれをよろこんでいてくれているかもれません、わからなのです。本当ほんとう迷惑めいわくをかけているにしても、迷惑めいわくをかけられたひとが、過去かこ迷惑めいわくをかけて、それを帳消ちょうけしにしてもらうために、迷惑めいわくをかけられている姿すがたあたえてもらって、過去かこつみしているのかもしれないのです。

 プラスにけたほうが自分じぶんにとってはいいのです。だから、自分じぶんだけの問題もんだいかもしれないのです、おかあさんが子供こどもにうるさくっているのも、自分じぶん立場たちばからみたら過去かこ自分じぶん姿すがたをマイナスにチョッとけてもらっているとえるかもしれません、そうしたらもう、よろこんでいるだけでいいのです、「ありがとうございます」としあわせをあじわうだけの生き方い  かたほういのです、プラスにプラスに。

 運命うんめいあらわれたこのかたちつかんでしまうこと間違まちがいのもとなのです。さっきの物質ぶっしつ現象げんしょうはなしにもあったように、普通ふつうはいらないコーラのビンにおおきいものがパッとはいるのです、それがまたパッとけるのです。でも、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえだったらなんでもないのです、いまパッとビンが物質ぶっしつしててきた、つぎに、はいっている姿すがたがパッと物質ぶっしつしててきた、つぎに、からのビンがパッとてきたら、瞬間しゅんかんからっぽになるでしょう。本当ほんとう宇宙うちゅうのすべてが一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん物質ぶっしつ現象げんしょうです。
 だから、一瞬いっしゅんだけをとらえればいいのです、すべての現象げんしょういま一瞬いっしゅんだけたのしめばいいのです、つぎ瞬間しゅんかんにまったくべつなものがてくるのです。それを無理むりつながなくていのです、普通ふつうつなぐというのは過去かこつかんで残像ざんぞうあたらしいのとをつぎわせたわけです。本当ほんとうつながっていません。

 いま科学かがくでもこののすべてが波動はどうなんだとだいぶわかっているのです。波動はどうというと本当ほんとうかたまりではないのです、なみ変化へんかです、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん変化へんかです。変化へんかというのはおなものではありません、つねわっています。現実げんじつ姿すがた執着しゅうちゃくしてここにこういうかたちのものがあるというのは、本当ほんとう間違まちがいです。これが、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえということが本当ほんとうにわかれば、執着しゅうちゃくしないでたのしむだけでいいのです。

 禅宗ぜんしゅう公案こうあんというのがありますが、お饅頭まんじゅうされて、「これをいつべるんだ」とわれるのです、いつべます?・・・「いまべる」とうでしょう、いまうのでも無限むげん億万おくまんぶんいちびょうという時間じかんいまべられるかとかんがえてください。べられないでしょう、いまべるとうけど無限むげん億万おくまんぶんいちびょうたったらもう過去かこなのです。過去かこになったら過去かこには絶対ぜったいべられません。無限むげん億万おくまんぶんいちびょう未来みらいにも、まだ未来みらいだからてないからべられません。本当ほんとう無限むげん億万おくまんぶんいちびょうくちはいるかというとはいりません。そうしたら、本当ほんとう一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえなのです。べていない姿すがたいまています、つぎに、べたという結果けっかがあったら、そのべている姿すがたがパッとてくるわけです。だから、そのつながりをひとおもいで上手じょうず連続的れんぞくてきにつぎわせているのです。本当ほんとうは、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん切り離き  はなしたほうがいいのです。

 また、べつはなしで、うさぎかめいかけっこでもいです。うさぎかめあとからいかけます、かめかならまえすすみます、たとえばいちびょうかかってまえすすんだとすると、うさぎいかけます、いちびょうかかってサッとます、つぎかめまえます、うさぎもチョッとはやちかづきます。でも際限さいげんなくどこまでも無限むげん億万おくまんぶんいちびょうかめまえたら、うさぎもその時間じかんいつこうとするのですが、かぎりなくゼロにちかづいてゆくとチョッとズレがあるのです。だから、うさぎかめいつけなくなるのです、絶対ぜったいに。
 でも実際じっさいは、うさぎのほうがはやいから追い越お  こします。でもそれは、残像ざんぞうをつないであるからです。

 だから、この姿すがたもあの姿すがたも、番組ばんぐみとしてあらわれている運命うんめい姿すがた全部ぜんぶ一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえになっているのです。だから奇跡的きせきてき手品てじなみたいなこと本当ほんとうなんでもないのです。一瞬いっしゅんにパッとつぼみ花開はなひらいたり出来できるのです。パッとえてもいいのです。つぼみやさしい言葉ことばをかけて素晴すばらしいねとうと、よろこんでしまって、時間じかんのサイクルがみじかくなるよろこびの世界せかいというのは、そうするとサッとちてしまう結果けっかてしまうということもこります。
 たか世界せかいいちびょうは、ひく世界せかいなんおくねんかもれないのです。浦島うらしま太郎たろうはなしとおなじなのです、浦島うらしま太郎たろう竜宮りゅうぐうじょうっていると、竜宮りゅうぐうじょうはチョッと次元じげんたかいのです、しあわせいっぱいのたか世界せかいです。そうすると、そこでは時間じかんがたつのをわすれています、わずかかな時間じかんがたったとおもって現実げんじつかえったら、何百なんびゃくねんもたっているかんじなのです。


      感謝かんしゃこころよくこころとは正反対せいはんたいです、両極りょうきょくかれるのです


-ありがとうございます-
 自分じぶんしあわせだなと感謝かんしゃしているのですが、いろんなよくてきます。いま十分じゅうぶんたされていないとかんじるからよくるんだとおもうのですが、それって、本当ほんとう感謝かんしゃしていないということなんでしょうか?
 
ありがとうございます:
 感謝かんしゃこころよくこころとは正反対せいはんたいです、両極りょうきょくかれるのです。感謝かんしゃというのはかみさまのこころとひとつになるこころです、かみさまのこころ感謝かんしゃこころです。よくというたにけるこころ・・・ふる字体じたいはそうです。たにというのは宇宙うちゅう絶対ぜったいしん意味いみです、宇宙うちゅう絶対ぜったいしんこころけた状態じょうたいよくなのです。感謝かんしゃのない状態じょうたいよくこころになります。

 感謝かんしゃこころかみさまのすべてをけているから満ち足み  たりています。いまさらもとめる必要ひつようがありません。必要ひつようなもの全部ぜんぶあたえられているから、ただ感謝かんしゃよろこびで満足まんぞくなのです。よくのほうはその満ち足み  たりたこころがないのです。ところがこころ満ち足み  たりた状態じょうたいっているから、りないものをおぎなおうとするのです、そして、よくこころというもとめるこころてくるのです。ただそれをどこへけるかなのです、かみさまにけたらそれがスッとたされるのです。

 だから、よくこころときは、かみさまのこころわすれているよという警告けいこくみたいなものです。だからかみさまのほうへこころけなさいよと、感謝かんしゃしなさいよという意味いみです。そうしたらもとめなくてむわけです。食べ物た  ものでも、べたいものいっぱいべたらしあわせかというとそうではありません。そんなのはちいさいのです、べたときチョッと満足まんぞくするだけです。
 本当ほんとうは、必要ひつようなものをいただいて無限むげん感謝かんしゃささげたほうがよろこびががってきます。食べ物た  もの殺生せっしょうしてべるというのではなく、感謝かんしゃしてべるこころ食べ物た  ものが、おこめ一粒ひとつぶ一粒ひとつぶ自分じぶんいのちささげて、わたしいのちをお使つかいください・べてくださいとっているのです。いのちささげてもらって「ああ、ありがとうございます」とけたらなにことをして、おこめよろこぶようにしてあげないといけません。そういうふかいとこまでかんがえてけてゆけば、ごはんいちぜんべるにしても、ものすごくふか意味いみがあります。「ありがとうございます」といただいて、なにおおきいやくことをさせていただこうというになります。

 感謝かんしゃというのはそういうように無限むげん価値かち見出みいだしてゆきます。だから、まず、感謝かんしゃ先行せんこうさせたほうがいいのです。そうしたらよくなくなります。食欲しょくよくわるいのではありません、感謝かんしゃしていただくのは食欲しょくよくとはわない、感謝かんしゃわすれたときは食欲しょくよくうのかもれません。




    うんめいがくのあるばんぐみはかなりひくばんぐみです

-ありがとうございます-
 ほうそういろいろせいやくきますが、せんせいにしなくていとおっしゃいます。ですか。

ありがとうございます:
 うんめいがくのあるばんぐみはかなりひくばんぐみです、かんしゃを、おいのりをすこかさねただけで、そういうひくばんぐみえてしまうのです。うんめいがくひつようのないプラスばかりのばんぐみぐにわってしまうのです。うんめいがくというひとつのばんぐみなかはまんだら、そのなかほうそくはいされ、そうそうだとみんなそのえいきょうけるのです。でもそれは、ひとつのばんぐみなか姿すがたです、だから、ほんうんめいがくがいこくではつうようしません、そうがどうのこうのとっても、アメリカじんあいにしません。いっていいきせまはんでのひとおもいでつくげたようなしばりです。ってみれば、ひとしばりのようなものです。
 ひとつの(めい)がでて、さいしょはそのおもいでえいきょうけます、それをしんじるひとてきたら、そのひとおもいもくわわってえいきょうかくだいします。でも、それをていするおもいのひとてきたらぜんくつがえるのです。ひとつのばんぐみなかで、ちいさなかいなかでもそんなものなのです。

 だだ、かんしゃきるひとは、そういうひくばんぐみはるかにえてたかばんぐみようとするひとです。かんしゃつづけたらそういうひくばんぐみあいにしなくなります、ひつようないのです。ぜんプラスにわってしまうからです、ぜんたいがプラスにわってしまいます。うんめいがくのないかいわってしまいます。だからうんめいがくはもうひつようないのです。




    いっしょうとくぶんいっていげんめるのか、はい

-ありがとうございます-
 いっしょうとくぶんまっているのですか。

ありがとうございます:
 いっしょうとくぶんいっていげんめるのか、はいしゅじんしゅれいさまなどが、いっしょうづかいをしつづけてしまったらたいへんですから、いっしょう使つかりょうをこれだけとめてしまうのです、づかいしないようにしてくれるだけなのです。たくさんべたからものぜんなくなってしまうかというと、それはひとによってぜんちがいます。ちゃしょくいしすぎるのはあまりよくありませんが、ひつようなだけべるのはいいのです。だから、もうりなどはたくさんべます、ちからすのにはたくさんべなければりません、ひつようなのです。
 かりに、いっしょうぶんがなくなったとしても、かんしゃしてひとのためにくしだしたら、そこにプラスαがドンドンりてきます、じゅうされます。だから、くなってもおぎなってもらうほうほういくらでもあります、かんしゃすればぜったいなにこまりません。のためひとのためにくしたぶんかならなんばいにもなってかえしてきますからしんぱいりません。



    そのときはそれでいいのです、わるされたら

-ありがとうございます-
 マイナスをかんじょうてしっぱいしたあとで、どうしたらいいのですか。ひくばんぐみわせてしまったあとで、どうしたらいいのですか。

ありがとうございます:
 そのときはそれでいいのです、わるされたらかえししてもいいのです。そのあとで、きゃっかんてきぶんかえりみたときに「ありがとうございます」とたいしてえたら、おいのりというのは、げんざいらいも、ぜんをプラスにしゅうせいするのです。のこともかんたんにプラスにえてくれるし、らいのこともしんぱいなことがあったらさきかんしゃしておいたらかならわります。だから、ゆめてきかんじたひとでも、ゆめわるいことをたらかならてくるというひとがいます、でも、かんしゃしだしたらてきゆめたらなくなります。
 ふかかんしゃができたら、なんじゅうねんさきのことでもえてしまいますし、なんまんねんさきのこともえてしまいます。かんしゃにもあさふかいがあります、さいこうふかかんしゃになったら、ごくのどんぞこからいっしゅんにしてさいこうごくらくがってしまいます。それくらいのちからがあるのです。
それをほんとうねがって、ひつようとして、かみさまのたすけをけるかどうかでちがうだけなのです。だからほうほういくらでもてきます。

 じんつうりきで、ぶっきょうくうじんつうせいかくです)といいます。てきじんつうりき宿しゅくめいつうなかにはまります、ぜんとおす、らいできるというものです。そのじんつうりきもどのげんばんぐみとおすかです、ひくばんぐみにあったひとひくばんぐみのうりょく宿しゅくめいつう)をはっするのです。どのばんぐみ宿しゅくめいつうわかりたいですか?ほんとうは、さいこうひょうげん宿しゅくめいつうわかほういちばんしあわせなのです。
 おなじんつうりきでも、げんばんぐみのどのばんぐみっているのかがだいなのです。このてきひくばんぐみだけをのうりょくはっするのもいいのですが、つまらないのです。それよりもかんしゃをしっかりふかめて、たかばんぐみのうりょくほうがいいのです。それは、げんげんしあわせな姿すがたつづくのです。

 ひとこころむのもそうです、わるこころんでもしあわせにはれません。このひとがこんなにわるいことをおもっているとわかってもがありません。ひくばんぐみぶんこころわせて、ひくばんぐみのそのひとこころみとっただけなのです。それより、たかばんぐみこころわせて、このひとげんげんかがやいたひとなのだとおもほうがいいのです。そのほうみとるのでもしあわせです。じんつうりきにもピンからキリまでります、さいこうじんつうりきはっするほうがいいのです。

      番組ばんぐみ見極みきわかたかってくるかみさまの見極みきわ

-ありがとうございます-
 ている番組ばんぐみがどの程度ていど次元じげんなのか、見極みきわめる方法ほうほうおしえてください。友人ゆうじんにサニワを職業しょくぎょうにしているひとがいるのですが、本人ほんにんはやめたがっているのに、かっているかみさまがめさせてくれないのです。

ありがとうございます:
 番組ばんぐみ見極みきわかたかってくるかみさまの見極みきわかたですが。どういうかみさまがかってくるかは大事だいじです、自分じぶんこころ波長はちょうわないとかってきません、自分じぶんこころ謙虚けんきょになっていれば謙虚けんきょかみさましかかってこないのです。謙虚けんきょかみさまは一番いちばんたかいほうのかみさまです、絶対ぜったいひと自由じゆうしばりません、本当ほんとう謙虚けんきょいのちがけでかみさまにすがったときに、必要ひつようなだけのたすけをあたえてくれます。
 無理むりやりこうからこれをやりなさいとはってこないのです、自分じぶんこころみがいていかないとわかるようにはなりません。謙虚けんきょになることが自分じぶんこころ進歩しんぽです、謙虚けんきょになればなるほど感謝かんしゃふかくなって感謝かんしゃいてくるようになります。感謝かんしゃふかさに比例ひれいして番組ばんぐみたかまってゆくというふうにると大体だいたいわかります。

 ご友人ゆうじんは、やめたい気持きもちもあるけれど、やめたくない気持きもちのほうつよいんだとおもいます。自己じこ弁解べんかいこころとか、よくせたいというこころがいろいろてきます、そうすると、自分じぶんの(本当ほんとうの)気持きもちを受け入う  いれにくいときもあります。そうすると、かみさまのせいにするのです。自分じぶん波長はちょうかみさまがりてくるときもあるし、そうでないときもあります、自分じぶん勝手かって思い込おも  こんでいるときもあるし、潜在意識せんざいいしきはたらきもあるし、番組ばんぐみというのはいろいろあります。
 結局けっきょく本人ほんにんさだめています、そのままでいのに、本当ほんとうわりたかったらわります。


      一番いちばんいのは、感謝かんしゃ勉強べんきょうさせてもらったこと

-ありがとうございます-
 沢山たくさん修行しゅぎょうしゃ巡礼じゅんれいしゃこころざしなかばにたおれていったとおもうのですが、先生せんせいはご自分じぶんで,どこがくて現在げんざいいたったとおかんがえですか?

ありがとうございます:
 一番いちばんいのは、感謝かんしゃ勉強べんきょうさせてもらったことかもしれません。いろんな耐乏生活たいぼうせいかつ苦労くろうとおしてなんでもありがたいという、粘土ねんどべることくらべたらなんでもおいしくありがたくべられます。そういう体験たいけんつうじて、感謝かんしゃがまずこせるようにしていただいたことが、一番いちばんおおきいとおもいます。

 つぎに、なにひとのためにするのでも、ひといやがることでもよろこんですすんですることがかみさまの御心みこころにかなうことだと、ちいさいときおしえられていたのです。だから、いや仕事しごとすすんで無報酬むほうしゅうでする習慣しゅうかんがついていました。なにをしても苦痛くつうおもわなかった、どんなにきたなこと・こえみしてもなんともない、ほねあつめをしてもなんともない。どんな仕事しごとをしても苦痛くつうにならなかったのです。これは、かみさまに指導しどうしてもらったおかげだとおもいますが、よろこのでする・むくいをもとめないでするのがいのだという、ちいさいときからの習慣しゅうかんせいがかなりプラスになっています。

 それと最後さいごには、自分じぶんいのちかみさまにおかえしできたことかみさまにいのちささげて、お使つかいくださいとえたところです。それでますます謙虚けんきょになれたのです。それで、かみさまのおおきいたすけをけて、どれだけかみさまがためそうとしたかはらないけど、ためしてもためしてもまもってもたったのです。だから自分じぶんでもかみさまはすごいなとおもいます。

 だから、自分じぶんちからではないのです、最初さいしょから最後さいごまでかみさまがまもつづけてくれるという感覚かんかくです、これはみんなおんなじだとおもいます。いろんな体験たいけんきてくるとおもいます、ただチョッと徹底てっていしたほうがいのです、中途半端ちゅうとはんぱだと、みぎったりひだりったりまようところがあるのです。徹底てっていするとすぐに気付きづかせてもらう・わかるとおもいます。

 食べ物た  ものでも、なにもない状態じょうたい一度いちど自分じぶんいてみると、不思議ふしぎまわりから食べ物た  ものはこんでくれるのです。たとえば、いっヶ月かげつかんなにべないとめると、本当ほんとう一口ひとくちくちはいらないかとうとそうでもない、まわりから食べ物た  ものくち押し込お  こんできます。だれ押し込お  こんでくれないとおもうでしょうが、自分じぶん食べ物た  ものれてべないととおもうでしょうが、本当ほんとうはそんなことはないのです。一回いっかい開き直ひら  なおってみるとくわかります、かみさまのちからはやはりすごいのです、かならず食べ物た  ものはこんでくれます。  


      本当ほんとう自分じぶん本心ほんしん自分じぶんかみさまからあらたにあらたに

-ありがとうございます-
 にっちもさっちもかないときに、「ありがとうございます」と感謝かんしゃすれば・かみさまに全部ぜんぶまかせするというのは、本心ほんしん自分じぶんただしいこたえをっていて、かみさまがそうしてくださるということですか?

ありがとうございます:
 本当ほんとう自分じぶん本心ほんしん自分じぶんかみさまからあらたにあらたになおしている自分じぶんです、その本心ほんしん自分じぶんがこのにスーッとてこないとうそなのですが、本心ほんしん自分じぶん謙虚けんきょですから、こころがあると遠慮えんりょしてひかえめになります。かみさまがそうなのとおなじように、本心ほんしん自分じぶん部分ぶぶんたいしては謙虚けんきょなのです。
 
 まーチョッと自由じゆうにしてごらんというふうに、ある一定期間いっていきかん自由じゆうにさせてくれるのです。でもかなら行き詰ゆ  づまるようになるから、本心ほんしん自分じぶんかみさまがけてきます。そのときこころかみさまのほうへけたらしよしとうようにこころしてくれます。それで、本心ほんしん自分じぶんがスーッとてきてちからるうようになるのです。
 本当ほんとうは、本心ほんしん自分じぶん自由じゆう意志いし全部ぜんぶうごくのですが、自由じゆう一時的いちじてきゆるすのも本心ほんしん自分じぶん自由じゆうなのです。最後さいごには本心ほんしん自分じぶん自由じゆう意志いしでチャンと仕上しあげてきます。


      さとりにも無限むげん段階だんかいがあります。わたくし二十歳はたちのとき

-ありがとうございます-
 さとりをひらいた状態じょうたいとはどんな状態じょうたいですか?

ありがとうございます:
 さとりにも無限むげん段階だんかいがあります。わたくし二十歳はたちのときにこころおおきくひろがったのです、肉体にくたい感覚かんかくたましい感覚かんかくえてしまいました。そのかみさまへの感謝かんしゃふかまりました。

 さとりというのは、自分じぶんかみさまの(差)を()ることなのです、宇宙うちゅう絶対ぜったいしん自分じぶんあいだをどれだけってしまうかというのがさとりのふかさです。あたらしいかみさまの姿すがたけなかったらかみさまとはなれてゆきます。過去かこつかんでいると、過去かこふるいものにしがみついてあたらしいものをそこなうのです。それはかみさまとの距離きょりをドンドンはなしてしまう状態じょうたいです。
 でも本当ほんとうは、本心ほんしん自分じぶんかみさまと一体いったいなのです、あらたにてきた自分じぶん本当ほんとう自分じぶんです、かみさまとまったくひとつなのです、かみさまとピタッとひとつになっているのです。切り離き  はなこと絶対ぜったい出来できません。だから、自分じぶん本心ほんしん自分じぶん意識いしきもどってしまったら、みんなさとっているのがくわかります。みんな無限むげん無限むげんかがやいているというのが本当ほんとうなのです。いまからさとるのではないのです、みんなもうさとっているというのが本当ほんとうです。

 たとえると、みきがあって枝葉えだはがあります、枝葉えだは一番いちばんさき一枚いちまい一枚いちまいっぱが肉体にくたい人間にんげんという感覚かんかくです。でも本心ほんしん自分じぶん全体ぜんたいなのです、かみさまからすべてをなお自分じぶんというのはそうなのです。全体ぜんたいから一番いちばんさき一枚いちまいっぱをたときに、っぱをパッと切り離き  はなした状態じょうたいれた状態じょうたいです、っぱというのは自分じぶんおもいで勝手かって切り離き  はなすときがあるのです。
 そうすると、かみさまと自分じぶんつながっていないとおもってしまいます。だから、のほうへのほうへともどればいいだけなのです。それは、おおきくなればいいのです、気持きもちをおおきくおおきくしてゆくのが一番いちばんいのです。また、このだけではなく、ていろんな次元じげん世界せかいこころをぐんぐんひろげるのがいのです。結局けっきょく感謝かんしゃおおきくふかくするしかないのです。

 だから、感謝かんしゃ対象たいしょう無限むげんおおきくすればいのです、またふかくすればいいのです。感謝かんしゃきわめたらドンドンおおきいものがかんじられてきます、かみさまをよりおおきく感じ取かん  とれる自分じぶんになってゆきます。
 だから、感謝かんしゃさとりも一回いっかいさとったからいいのではありません、無限むげん無限むげんにさらにふかまってゆくのです。いまあらわれたかみさまの最高さいこう表現ひょうげんも、つぎ瞬間しゅんかんまたあたらしい最高さいこう表現ひょうげんあらわれてきます。いまけたからといって、つぎ瞬間しゅんかんけなかったらもう最低さいていなのです。

 一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん真剣しんけん勝負しょうぶです、本当ほんとうに。それも一番いちばん謙虚けんきょ状態じょうたいけないと本当ほんとう最高さいこう受け方う  かた出来できないから、いま自分じぶん最高さいこうだとおもったら、つね一番いちばん最低さいてい自分じぶん突き落つ  おとさないといけません、謙虚けんきょにです。そしてまたそこから最高さいこうのものをなおします。その繰り返く  かえしによって、受け方う  かた上手じょうずになり、そして自分じぶんというものもえてかみさまだけというふうに感じ取かん  とれるようになってきます。
 だから、本当ほんとうさとりは、自分じぶんがなくなること・かみさまがすべて・かみさましかないんだということです。という状態じょうたいではなく、かみさまをだい肯定こうていする状態じょうたいです。自分じぶんというものが一切いっさいなくなるほうがいいのです。自分じぶんがなくなったらかみさまとの)がありません。いまさらつくることもないのです。

 「ありがとうございます」というかみさまが宇宙うちゅう究極きゅうきょくかみさまです。究極きゅうきょくかみさまの名前なまえです、このなか全部ぜんぶあるのです。ありとあらゆるかみさまの名前なまえ全部ぜんぶあります、すべてのすべてがそなわっています。「ありがとうございます」をとなえているうちに、究極きゅうきょくかみさまとひとつになってゆくから、全部ぜんぶ自分じぶんなかにある・自分じぶんといったらおかしくなるから・かみさまのなか全部ぜんぶある・かみさまがすべてなんだという感覚かんかくいてるようになります。
 そしたら、このにいても、地獄じごくりていても、かみさまだけをかんじます。地獄じごくにいるからかとったらそれはちがいます、地獄じごくにいても、地獄じごく中心ちゅうしんいて無限むげん無限むげんかがやいた世界せかいかんじます。全体ぜんたいをいつもかんじるようになるから、地獄じごく苦痛くつうではなくなってきます。地獄じごく拡大かくだいしてはないのです、無限むげんなか一点いってんぐらいになります。


      かみさまの番組ばんぐみが、無限むげんのチャンネルがあるのです

ありがとうございます- 
 医療いりょう従事じゅうじしています、患者かんじゃさんが「ありがとうございます」と口先くちさきだけででもとなえているときに、症状しょうじょう好転こうてんしたりします。病気びょうきというのはさとりへみちびきではないのかとおもうのですが?

ありがとうございます:
 かみさまの番組ばんぐみが、無限むげんのチャンネルがあるのです、かたち姿すがたというのも、無限むげん健康けんこう無限むげんやまい両極りょうきょくがあります、そのあいだ無限むげん段階だんかいがあります。またこころ持ち方も  かたもそうです、マイナスにおもこころとプラスにおもこころ無限むげんちがいがあります。病気びょうきつかんでその病気びょうきなおすというよりは本当ほんとうは、番組ばんぐみえているのです本当ほんとうは。病気びょうきになっているひともそうだし、治療ちりょうするがわおなじです。

 治療ちりょうするがわ病気びょうきみとめない心境しんきょうになったら、病人びょうにんがもうないのです。病人びょうにんがおきゃくさんとしててくるあいだは、自分じぶんなか病気びょうき相手あいてにするこころがチョッとのこっているはずです。いい意味いみでもわる意味いみでも、病人びょうにんなおしたいというこころがあるかもしれないし、マイナスにおもこころ自分じぶんなかのこっているかもれません。それを感謝かんしゃすることによって自分自身じぶんじしんがプラスの番組ばんぐみにドンドンわってゆきます。そうすると、病気びょうき瞬間しゅんかんにサッとなおったり、()てすぐ勝手かってなおってしまう患者かんじゃさんがたり、まえなおってしまったりということがこるかもしれません。いろんな現象げんしょう自分じぶんこころおうじててきます。

 わたくしも、二十歳はたちぐらいのときから病気びょうきなおしのおいのりを一生懸命いっしょうけんめいしました。みんなかみさまなんだ、無限むげん健康けんこうなんだ、完全かんぜんなんだというふうに、一生懸命いっしょうけんめいいのつづけたのです。そのとき病気びょうき相手あいてにしていました、ちいさいときにお医者いしゃさんになりたかったというのは、病気びょうきというものをかなりつかんでいたんだとおもいます、過去かこでです。それは、病人びょうにん相手あいてにしなければならない運命うんめいです。

 いろんなひとから病気びょうきなおしてとわれるのです、毎日まいにち何十なんじゅうにんたのまれて一生懸命いっしょうけんめいいのつづけてじゅうねんぐらい病気びょうきなおしをしていました。そして、プラスにおもうおいのりを一生懸命いっしょうけんめいするのです、そうすると自分じぶんなか病気びょうきというのはドンドンえてしまいます。自分じぶんまえ病人びょうにんあらわれなくなります。
 今度こんどは、病気びょうきなおしの仕事しごとえてしまって、しあわせをあたえる仕事しごとになります。職業しょくぎょうわるかもしれません。わたくしまえにくればしあわせになりますよという仕事しごとです。実際じっさい、お医者いしゃさんは、このお医者いしゃさんはかなら病気びょうきわるくなってぬというお医者いしゃさんと、このお医者いしゃさんは、患者かんじゃさんがたら診断しんだんするまえくなってかえってしまうようなお医者いしゃさんと、二通ふたとおりあります。お医者いしゃさんにもこころがいろいろです、プラスプラスにてゆくお医者いしゃさんにはいい患者かんじゃさんがて、はやなお患者かんじゃさんがます。

 やっぱり、自分じぶんのみる世界せかい自分じぶん運命うんめいというものは、自分じぶん必然的ひつぜんてきになって、自分じぶん自由じゆう意志いしでどうにでもなるんだとうほうがただしいんだとおもいます。そうでないと自分じぶん運命うんめいわらないのです、ひとのせいにしていたら自分じぶんちから発揮はっきできません。いやなおきゃくさんがたとひとのせいにしていたら、何時いつまでいやなおきゃくさんがつづくかもれないのです。でも、自分じぶんこころえることでいつでもえられるんだったら、瞬間しゅんかんえられます。だから、もう病人びょうにん絶対ぜったいたくなかったら、みんな無限むげん健康けんこういっぱい・無限むげんしあわせいっぱいというふうにおがつづけるのが一番いちばんです。


      自由自在じゆうじざいです、くちすのもいいし、こころだけでとな

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」をとなえるのは、こえして言霊ことだまとしてとなえるのがいいですか、こころなかとなえてもいいですか?

ありがとうございます:
 自由自在じゆうじざいです、くちすのもいいし、こころだけでとなえるのもいいし、いてもいいし、るだけでもいいし、ひとわりにとなえさせるのもいいのです、となえさせたのも自分じぶん(のもの)です。


      二十歳はたちだいころいそがしかったのです、いまにそうだと

-ありがとうございます-
 二十歳はたちころ病気びょうきなおしはどんなふうだったのですか?

ありがとうございます:
 二十歳はたちだいころいそがしかったのです、いまにそうだと電話でんわしてくるのです、ひまがありませんでした。必死ひっし電話でんわしてくるのですから。

-ありがとうございます-
 なおらなかったことは?・・・・

ありがとうございます:
 たいていなおっています。

-ありがとうございます-
 それは本人ほんにんに(病人びょうにんに)感謝かんしゃ気持きもちが・・

ありがとうございます:
 それはちがいます、わたくしたけの問題もんだいです。勝手かってなおります、わたくしこころをマイナスからプラスにえるおいのりの練習れんしゅう時期じきだったとおもいます。感謝かんしゃふかめる段階だんかいです。わたくしこころ病人びょうにんつかんでいるのです、それをおいのりしてつかまなくなったら、つかまなくなってそのひと健康けんこう姿すがたせてくれるだけなのです。

 自分じぶん世界せかい自分じぶんけるのです。

 わたくし世界せかいは、このていないのです、おおきいおおきい宇宙うちゅうをいつもながめているのです。だから、地球ちきゅうもあまりにちいさすぎます、このちいさいのです、それもひかりすくないこのですから。本当ほんとうは、無限むげん無限むげんかがやいたあたらしい宇宙うちゅうなおしているのです。
 だからこの地球ちきゅうほろんでも、この肉体にくたいえても、わたくししあわせには無関係むかんけいなのです。絶対ぜったいくずれないしあわせなのです、無限むげん無限むげんしあわせいっぱいというのはそうなのです。感謝かんしゃがぐんぐん(<