真祈り文庫
2001年4月7日 No.2
無限のチャンネルには、迷惑を掛け合う番組もあります
-ありがとうございます-
子供を育てる上で、型にはめないでおおらかに育てたいのですが、はしゃぎすぎて人さまに迷惑をかけることもありますが、迷惑とはどんなものでしょうか?
ありがとうございます:
無限のチャンネルには、迷惑を掛け合う番組もあります、はしゃぎまわる番組もあって良いのです。それを止めようとしてもなかなか止まりません、止める番組もあるし、放っておいても良くなる番組もあります。自分がどの番組を本当に見たいのか、それさえ決まったら方法は出てきます。はしゃぎまわらないおとなしい番組が良いのかどうか。
本当は、「まあ元気な子ですね」と見てゆけるのがいいのですが、みんな自分の考えで決めてしまいます、もっと自由な柔軟な心だとプラスプラスに見てゆけるのですが。だから心の問題です、自分の問題なのです。
もしその子が寝たっきりで動けない状態だったら、這ってでも動いて欲しいと思います、走れたらものすごく喜びます。この世に生まれてきてくれただけでも「ああ嬉しい」と思えるのが本当は正しい見方だと思います。もし生まれてきてくれなかったら、何も良いところをひとつも味わえないのです、生まれてきてくれた事だけでも無限に嬉しいことです、五体満足で普通に育ってくれたら無限にありがたいのです。手足がなく寝たっきりでといわれたら・・・それでも生まれてきた事はありがたいのです。
そういうようにプラスにプラスに捉え変えていったら、走り回るほうがいいのです。周りの人が迷惑に思っているかどうかというふうに思ったら、それも自分の浅知恵でみている考えです。周りの人はそれを喜んでいてくれているかも知れません、わからなのです。本当に迷惑をかけているにしても、迷惑をかけられた人が、過去世で迷惑をかけて、それを帳消しにしてもらうために、迷惑をかけられている姿を与えてもらって、過去の罪を消しているのかもしれないのです。
プラスに受けたほうが自分にとってはいいのです。だから、自分だけの問題かもしれないのです、お母さんが子供にうるさく言っているのも、自分の立場からみたら過去世の自分の姿をマイナスにチョッと受けてもらっていると見えるかもしれません、そうしたらもう、喜んでいるだけでいいのです、「ありがとうございます」と幸せを味わうだけの生き方の方が良いのです、プラスにプラスに。
運命に現れたこの世の形を掴んでしまう事が間違いの元なのです。さっきの物質化現象の話しにもあったように、普通は入らないコーラのビンに大きいものがパッと入るのです、それが又パッと抜けるのです。でも、一瞬一瞬の置き換えだったら何でもないのです、今パッとビンが物質化して出てきた、次に、入っている姿がパッと物質化して出てきた、次に、空のビンがパッと出てきたら、瞬間に空っぽになるでしょう。本当は宇宙のすべてが一瞬一瞬の物質化現象です。
だから、一瞬だけを捉えればいいのです、すべての現象を今の一瞬だけ楽しめばいいのです、次の瞬間にまったく別なものが出てくるのです。それを無理に繋がなくて良いのです、普通・繋ぐというのは過去を掴んで残像と新しいのとをつぎ合わせたわけです。本当は繋がっていません。
今の科学でもこの世のすべてが波動なんだとだいぶわかっているのです。波動というと本当は塊ではないのです、波の変化です、一瞬一瞬の変化です。変化というのは同じ物ではありません、常に変わっています。現実の姿に執着してここにこういう形のものがあるというのは、本当は間違いです。これが、一瞬一瞬の置き換えということが本当にわかれば、執着しないで楽しむだけでいいのです。
禅宗に公案というのがありますが、お饅頭を出されて、「これをいつ食べるんだ」と言われるのです、いつ食べます?・・・「今食べる」と言うでしょう、今と言うのでも無限の億万分の一秒という時間の今に食べられるかと考えてください。食べられないでしょう、今食べると言うけど無限億万分の一秒たったらもう過去なのです。過去になったら過去には絶対に食べられません。無限億万分の一秒未来にも、まだ未来だから来てないから食べられません。本当に無限億万分の一秒で口に入るかというと入りません。そうしたら、本当は一瞬一瞬の置き換えなのです。食べていない姿が今出ています、次に、食べたという結果があったら、その食べている姿がパッと出てくるわけです。だから、そのつながりを人の思いで上手に連続的につぎ合わせているのです。本当は、一瞬一瞬切り離したほうがいいのです。
また、別な話で、兎と亀の追いかけっこでも良いです。兎が亀を後から追いかけます、亀は必ず前へ進みます、例えば一秒かかって前へ進んだとすると、兎も追いかけます、一秒かかってサッと来ます、次に亀は前へ出ます、兎もチョッと早く近づきます。でも際限なくどこまでも無限億万分の一秒亀が前へ出たら、兎もその時間で追いつこうとするのですが、限りなくゼロに近づいてゆくとチョッとズレがあるのです。だから、兎が亀に追いつけなくなるのです、絶対に。
でも実際は、兎のほうが早いから追い越します。でもそれは、残像をつないであるからです。
だから、この世の姿もあの世の姿も、番組として現れている運命の姿全部を一瞬一瞬置き換えになっているのです。だから奇跡的な手品みたいな事が本当は何でもないのです。一瞬にパッと蕾が花開いたり出来るのです。パッと消えてもいいのです。蕾に優しい言葉をかけて素晴らしいねと言うと、喜んでしまって、時間のサイクルが短くなる喜びの世界というのは、そうするとサッと落ちてしまう結果が出てしまうということも起こります。
高い世界の一秒は、低い世界の何億年かも知れないのです。浦島太郎の話しと同じなのです、浦島太郎が竜宮城へ行っていると、竜宮城はチョッと次元が高いのです、幸せいっぱいの高い世界です。そうすると、そこでは時間がたつのを忘れています、僅かな時間がたったと思って現実に帰ったら、何百年もたっている感じなのです。
感謝の心と欲の心とは正反対です、両極に分かれるのです
-ありがとうございます-
自分は幸せだなと感謝しているのですが、いろんな欲が出てきます。今が十分に満たされていないと感じるから欲が出るんだと思うのですが、それって、本当に感謝していないということなんでしょうか?
ありがとうございます:
感謝の心と欲の心とは正反対です、両極に分かれるのです。感謝というのは神さまの心とひとつになる心です、神さまの心が感謝の心です。慾という字は谷に欠ける心・・・古い字体はそうです。谷というのは宇宙の絶対神の意味です、宇宙の絶対神の心が欠けた状態が欲なのです。感謝のない状態が欲の心になります。
感謝の心は神さまのすべてを受けているから満ち足りています。いまさら求める必要がありません。必要なもの全部与えられているから、ただ感謝で喜びで満足なのです。欲のほうはその満ち足りた心がないのです。ところが心は満ち足りた状態を知っているから、足りないものを補おうとするのです、そして、欲の心という求める心が出てくるのです。ただそれをどこへ向けるかなのです、神さまに向けたらそれがスッと満たされるのです。
だから、欲の心が出る時は、神さまの心を忘れているよという警告みたいなものです。だから神さまのほうへ心を向けなさいよと、感謝しなさいよという意味です。そうしたら求めなくて済むわけです。食べ物でも、食べたいものいっぱい食べたら幸せかというとそうではありません。そんなのは小さいのです、食べたときチョッと満足するだけです。
本当は、必要なものを頂いて無限の感謝を捧げたほうが喜びが湧き上がってきます。食べ物を殺生して食べるというのではなく、感謝して食べる心は食べ物が、お米一粒一粒が自分の命を捧げて、私の命をお使いください・食べてくださいと言っているのです。命を捧げてもらって「ああ、ありがとうございます」と受けたら何か良い事をして、お米が喜ぶようにしてあげないといけません。そういう深いとこまで考えて受けてゆけば、ご飯一膳食べるにしても、ものすごく深い意味があります。「ありがとうございます」と頂いて、何か大きい役に立つ事をさせて頂こうという気になります。
感謝というのはそういうように無限に価値を見出してゆきます。だから、まず、感謝を先行させたほうがいいのです。そうしたら欲が出なくなります。食欲が悪いのではありません、感謝していただくのは食欲とは言わない、感謝を忘れたときは食欲と言うのかも知れません。
運命学のある番組はかなり低い番組です
-ありがとうございます-
方位や家相で色々な制約を聞きますが、先生は気にしなくて善いと仰います。何故ですか。
ありがとうございます:
運命学のある番組はかなり低い番組です、感謝を、お祈りを少し積み重ねただけで、そういう低い番組を超えてしまうのです。運命学の必要のないプラスばかりの番組に直ぐに置き換わってしまうのです。運命学というひとつの番組の中に嵌り込んだら、その中の法則に支配され、家相だ地相だとみんなその影響を受けるのです。でもそれは、ひとつの番組の中の姿です、だから、日本の運命学は外国では通用しません、家相がどうのこうのと言っても、アメリカ人は相手にしません。一定地域の狭い範囲での人の思いで作り上げたような縛りです。言ってみれば、人の縛りのようなものです。
ひとつの(不明)がでて、最初はその思いで影響を受けます、それを信じる人が出てきたら、その人の思いも加わって影響が拡大します。でも、それを否定する思いの人が出てきたら全部覆るのです。ひとつの番組の中で、小さな世界の中でもそんなものなのです。
だだ、感謝に生きる人は、そういう低い番組を遙かに飛び越えて高い番組を観ようとする人です。感謝に生き続けたらそういう低い番組は相手にしなくなります、必要ないのです。全部プラスに変わってしまうからです、全体がプラスに変わってしまいます。運命学のない世界に変わってしまいます。だから運命学はもう必要ないのです。
一生の徳分に一定の限度を決めるのか、背後
-ありがとうございます-
一生の徳分は決まっているのですか。
ありがとうございます:
一生の徳分に一定の限度を決めるのか、背後の守護神・守護霊さまなどが、一生で無駄遣いをし続けてしまったら大変ですから、一生で使う量をこれだけと決めてしまうのです、無駄遣いしないようにしてくれるだけなのです。沢山食べたから食べ物が全部なくなってしまうかというと、それは人によって全部違います。無茶食いしすぎるのは余りよくありませんが、必要なだけ食べるのはいいのです。だから、相撲取りなどは沢山食べます、力を出すのには沢山食べなければ成りません、必要なのです。
仮に、一生の分がなくなったとしても、感謝して人のために尽くしだしたら、そこにプラスαがドンドン降りてきます、補充されます。だから、無くなっても補ってもらう方法は幾らでもあります、感謝すれば絶対に何も困りません。世のため人のために尽くした分は必ず何倍にもなって返してきますから心配有りません。
その時はそれでいいのです、意地悪されたら
-ありがとうございます-
マイナスを見て感情が出てしっぱいした後で、どうしたらいいのですか。低い番組に合わせてしまった後で、どうしたらいいのですか。
ありがとうございます:
その時はそれでいいのです、意地悪されたら仕返ししてもいいのです。その後で、客観的に自分を省みた時に「ありがとうございます」と過去に対して言えたら、お祈りというのは、過去も現在も未来も、全部をプラスに修正するのです。過去のことも簡単にプラスに変えてくれるし、未来のことも心配なことがあったら先に感謝しておいたら必ず変わります。だから、夢で予知的に感じた人でも、夢で悪いことを見たら必ず出てくるという人がいます、でも、感謝しだしたら予知的な夢も当たらなくなります。
深い感謝ができたら、何十年先のことでも変えてしまいますし、何万年先のことも変えてしまいます。感謝にも浅い深いがあります、最高に深い感謝になったら、地獄のどん底から一瞬にして最高の極楽へ上がってしまいます。それくらいの力があるのです。
それを本当に願って、必要として、神さまの助けを受けるかどうかで違うだけなのです。だから方法は幾らでも出てきます。
神通力で、仏教で理空神通(不正確です)といいます。予知的な神通力は宿命通の中にはまります、過去世の全部を見通す、未来も予知できるというものです。その神通力もどの次元の番組を見通すかです、低い番組にあった人は低い番組の予知能力(宿命通)を発揮するのです。どの番組の宿命通が判りたいですか?本当は、最高表現の宿命通が判る方が一番幸せなのです。
同じ神通力でも、無限の番組のどの番組に合っているのかが大事なのです。この世的な低い番組だけを見て予知能力を発揮するのもいいのですが、つまらないのです。それよりも感謝をしっかり深めて、高い番組の予知能力を観る方がいいのです。それは、無限に無限に幸せな姿が続くのです。
人の心を読むのもそうです、悪い心を読んでも幸せには成れません。この人がこんなに悪いことを思っていると判っても意味がありません。低い番組に自分の心を合わせて、低い番組のその人の心を読みとっただけなのです。それより、高い番組に心を合わせて、この人は無限に無限に輝いた人なのだと思う方がいいのです。その方が読みとるのでも幸せです。神通力にもピンからキリまで有ります、最高の神通力を発揮する方がいいのです。
番組の見極め方・懸かってくる神さまの見極め
-ありがとうございます-
見ている番組がどの程度の次元なのか、見極める方法を教えてください。友人にサニワを職業にしている人がいるのですが、本人はやめたがっているのに、懸かっている神さまが止めさせてくれないのです。
ありがとうございます:
番組の見極め方・懸かってくる神さまの見極め方ですが。どういう神さまが懸かってくるかは大事です、自分の心に波長が合わないと懸かってきません、自分の心が謙虚になっていれば謙虚な神さましか懸かってこないのです。謙虚な神さまは一番高いほうの神さまです、絶対に人の自由を縛りません、本当に謙虚に命がけで神さまにすがったときに、必要なだけの助けを与えてくれます。
無理やり向こうからこれをやりなさいとは言ってこないのです、自分が心を磨いていかないとわかるようにはなりません。謙虚になることが自分の心の進歩です、謙虚になればなるほど感謝が深くなって感謝が湧いてくるようになります。感謝の深さに比例して番組が高まってゆくというふうに見ると大体わかります。
ご友人は、やめたい気持ちもあるけれど、やめたくない気持ちの方が強いんだと思います。自己弁解の心とか、よく見せたいという心がいろいろ出てきます、そうすると、自分の(本当の)気持ちを受け入れにくい時もあります。そうすると、神さまのせいにするのです。自分の波長に合う神さまが降りてくる時もあるし、そうでない時もあります、自分が勝手に思い込んでいる時もあるし、潜在意識の働きもあるし、番組というのはいろいろあります。
結局は本人が定めています、そのままで良いのに、本当に変わりたかったら変わります。
一番良いのは、感謝を勉強させてもらった事
-ありがとうございます-
沢山の修行者・巡礼者が志半ばに倒れていったと思うのですが、先生はご自分で,どこが良くて現在に至ったとお考えですか?
ありがとうございます:
一番良いのは、感謝を勉強させてもらった事かもしれません。いろんな耐乏生活・苦労を通して何でもありがたいという、粘土を食べる事と比べたら何でもおいしくありがたく食べられます。そういう体験を通じて、感謝がまず起こせるようにして頂いたことが、一番大きいと思います。
次に、何か人のためにするのでも、人の嫌がる事でも喜んで進んですることが神さまの御心にかなう事だと、小さい時に教えられていたのです。だから、嫌な仕事を進んで無報酬でする習慣がついていました。何をしても苦痛に思わなかった、どんなに汚い事・こえ汲みしてもなんともない、骨集めをしてもなんともない。どんな仕事をしても苦痛にならなかったのです。これは、神さまに指導してもらったおかげだと思いますが、喜のでする・報いを求めないでするのが良いのだという、小さい時からの習慣性がかなりプラスになっています。
それと最後には、自分の命を神さまにお返しできた事、神さまに命を捧げて、お使いくださいと言えたところです。それでますます謙虚になれたのです。それで、神さまの大きい助けを受けて、どれだけ神さまが試そうとしたかは知らないけど、試しても試しても守ってもたったのです。だから自分でも神さまはすごいなと思います。
だから、自分の力ではないのです、最初から最後まで神さまが守り続けてくれるという感覚です、これはみんなおんなじだと思います。いろんな体験は生きてくると思います、ただチョッと徹底したほうが良いのです、中途半端だと、右へ行ったり左へ行ったり迷うところがあるのです。徹底するとすぐに気付かせてもらう・わかると思います。
食べ物でも、何もない状態に一度自分を置いてみると、不思議と周りから食べ物を運んでくれるのです。例えば、一ヶ月間何も食べないと決めると、本当に一口も口に入らないかと言うとそうでもない、周りから食べ物を口へ押し込んできます。誰も押し込んでくれないと思うでしょうが、自分で食べ物を手に入れて食べないとと思うでしょうが、本当はそんな事はないのです。一回開き直ってみると良くわかります、神さまの力はやはりすごいのです、かならず食べ物を運んでくれます。
本当の自分は本心の自分・神さまから新たに新たに
-ありがとうございます-
にっちもさっちも行かない時に、「ありがとうございます」と感謝すれば・神さまに全部お任せするというのは、本心の自分は正しい答えを知っていて、神さまがそうしてくださるということですか?
ありがとうございます:
本当の自分は本心の自分・神さまから新たに新たに受け直している自分です、その本心の自分がこの世にスーッと出てこないと嘘なのですが、本心の自分も謙虚ですから、我の心があると遠慮して控えめになります。神さまがそうなのと同じように、本心の自分も我の部分に対しては謙虚なのです。
まーチョッと自由にしてごらんというふうに、ある一定期間自由にさせてくれるのです。でも必ず行き詰まるようになるから、本心の自分へ神さまが向けてきます。その時に心を神さまのほうへ向けたら良しよしと言うように我の心を消してくれます。それで、本心の自分がスーッと出てきて力を振るうようになるのです。
本当は、本心の自分の自由意志で全部動くのですが、我の自由を一時的に許すのも本心の自分の自由なのです。最後には本心の自分の自由意志でチャンと仕上げてきます。
悟りにも無限の段階があります。私は二十歳のとき
-ありがとうございます-
悟りを開いた状態とはどんな状態ですか?
ありがとうございます:
悟りにも無限の段階があります。私は二十歳のときに心が大きく広がったのです、肉体感覚・魂の感覚は消えてしまいました。その後、神さまへの感謝が深まりました。
悟りというのは、自分と神さまの(差)を(取)ることなのです、宇宙絶対神と自分の間の差をどれだけ取ってしまうかというのが悟りの深さです。新しい神さまの姿を受けなかったら神さまと離れてゆきます。過去を掴んでいると、過去の古いものにしがみついて新しいものを受け損なうのです。それは神さまとの距離をドンドン離してしまう状態です。
でも本当は、本心の自分は神さまと一体なのです、新たに出てきた自分が本当の自分です、神さまとまったくひとつなのです、神さまとピタッとひとつになっているのです。切り離す事は絶対に出来ません。だから、自分が本心の自分に意識が戻ってしまったら、みんな悟っているのが良くわかります。みんな無限に無限に輝いているというのが本当なのです。今から悟るのではないのです、みんなもう悟っているというのが本当です。
木で例えると、幹があって枝葉があります、枝葉の一番先の一枚一枚の葉っぱが肉体人間という感覚です。でも本心の自分は木全体なのです、神さまからすべてを受け直す自分というのはそうなのです。木全体から一番先の一枚に葉っぱを見たときに、葉っぱをパッと切り離した状態が枯れた状態です、葉っぱというのは自分の思いで勝手に切り離すときがあるのです。
そうすると、神さまと自分が繋がっていないと思ってしまいます。だから、根のほうへ根のほうへと戻ればいいだけなのです。それは、大きくなればいいのです、気持ちを大きく大きくしてゆくのが一番良いのです。又、この世だけではなく、ていろんな次元の世界に心をぐんぐん広げるのが良いのです。結局は感謝を大きく深くするしかないのです。
だから、感謝の対象を無限に大きくすれば良いのです、又深くすればいいのです。感謝を極めたらドンドン大きいものが感じられてきます、神さまをより大きく感じ取れる自分になってゆきます。
だから、感謝も悟りも一回悟ったからいいのではありません、無限に無限にさらに深まってゆくのです。今現れた神さまの最高表現も、次の瞬間又新しい最高表現が現れてきます。今受けたからといって、次の瞬間受けなかったらもう最低なのです。
一瞬一瞬の真剣勝負です、本当に。それも一番謙虚な状態で受けないと本当に最高の受け方が出来ないから、いま自分が最高だと思ったら、常に一番最低に自分を突き落とさないといけません、謙虚にです。そして又そこから最高のものを受け直します。その繰り返しによって、受け方も上手になり、そして自分というものも消えて神さまだけというふうに感じ取れるようになってきます。
だから、本当の悟りは、自分がなくなること・神さまがすべて・神さましかないんだという事です。無という状態ではなく、神さまを大肯定する状態です。自分というものが一切なくなるほうがいいのです。自分がなくなったら神さまとの)差がありません。いまさら差を作ることもないのです。
「ありがとうございます」という神さまが宇宙の究極の神さまです。究極の神さまの名前です、この中に全部あるのです。ありとあらゆる神さまの名前が全部あります、すべてのすべてが備わっています。「ありがとうございます」を唱えているうちに、究極の神さまとひとつになってゆくから、全部自分の中にある・自分といったらおかしくなるから・神さまの中に全部ある・神さまがすべてなんだという感覚が湧いて来るようになります。
そしたら、この世にいても、地獄に下りていても、神さまだけを感じます。地獄にいるから苦かと言ったらそれは違います、地獄にいても、地獄を中心に置いて無限に無限に輝いた世界を感じます。全体をいつも感じるようになるから、地獄も苦痛ではなくなってきます。地獄を拡大しては見ないのです、無限の中の一点ぐらいになります。
神さまの番組が、無限のチャンネルがあるのです
ありがとうございます-
医療に従事しています、患者さんが「ありがとうございます」と口先だけででも唱えているときに、症状が好転したりします。病気というのは悟りへ導きではないのかと思うのですが?
ありがとうございます:
神さまの番組が、無限のチャンネルがあるのです、形の姿というのも、無限健康と無限の病と両極があります、その間に無限の段階があります。又、心の持ち方もそうです、マイナスに思う心とプラスに思う心と無限の違いがあります。病気を掴んでその病気を治すというよりは本当は、番組を変えているのです本当は。病気になっている人もそうだし、治療する側も同じです。
治療する側が病気を認めない心境になったら、病人がもう出て来ないのです。病人がお客さんとして出てくる間は、自分の中に病気を相手にする心がチョッと残っているはずです。いい意味でも悪い意味でも、病人を治したいという心があるかもしれないし、マイナスに思う心が自分の中に残っているかも知れません。それを感謝する事によって自分自身がプラスの番組にドンドン変わってゆきます。そうすると、病気が瞬間にサッと治ったり、来てすぐ勝手に治ってしまう患者さんが来たり、来る前に治ってしまったりということが起こるかもしれません。いろんな現象が自分の心に応じて出てきます。
私も、二十歳ぐらいのときから病気治しのお祈りを一生懸命しました。みんな神さまなんだ、無限健康なんだ、完全なんだというふうに、一生懸命祈り続けたのです。その時は病気を相手にしていました、小さい時にお医者さんになりたかったというのは、病気というものをかなり掴んでいたんだと思います、過去世でです。それは、病人を相手にしなければならない運命です。
いろんな人から病気を治してと言われるのです、毎日何十人と頼まれて一生懸命に祈り続けて十年ぐらい病気治しをしていました。そして、プラスに思うお祈りを一生懸命するのです、そうすると自分の中の病気というのはドンドン消えてしまいます。自分の目の前に病人が現れなくなります。
今度は、病気治しの仕事は消えてしまって、幸せを与える仕事になります。職業が変わるかもしれません。私の前にくれば幸せになりますよという仕事です。実際、お医者さんは、このお医者さんは必ず病気が悪くなって死ぬというお医者さんと、このお医者さんは、患者さんが来たら診断する前に良くなって帰ってしまうようなお医者さんと、二通りあります。お医者さんにも心がいろいろです、プラスプラスに見てゆくお医者さんにはいい患者さんが来て、早く治る患者さんが来ます。
やっぱり、自分のみる世界・自分の運命というものは、自分に必然的になって、自分の自由意志でどうにでもなるんだと言うほうが正しいんだと思います。そうでないと自分の運命は変わらないのです、人のせいにしていたら自分の力を発揮できません。嫌なお客さんが来たと人のせいにしていたら、何時まで嫌なお客さんが続くかも知れないのです。でも、自分が心を変えることでいつでも変えられるんだったら、瞬間に変えられます。だから、もう病人は絶対に見たくなかったら、みんな無限健康いっぱい・無限の幸せいっぱいというふうに拝み続けるのが一番です。
自由自在です、口に出すのもいいし、心だけで唱
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を唱えるのは、声に出して言霊として唱えるのがいいですか、心の中で唱えてもいいですか?
ありがとうございます:
自由自在です、口に出すのもいいし、心だけで唱えるのもいいし、字に書いてもいいし、見るだけでもいいし、人に代わりに唱えさせるのもいいのです、唱えさせたのも自分(のもの)です。
二十歳代の頃は忙しかったのです、今死にそうだと
-ありがとうございます-
二十歳の頃の病気治しはどんなふうだったのですか?
ありがとうございます:
二十歳代の頃は忙しかったのです、今死にそうだと電話してくるのです、寝る暇がありませんでした。必死で電話してくるのですから。
-ありがとうございます-
治らなかった事は?・・・・
ありがとうございます:
たいてい治っています。
-ありがとうございます-
それは本人に(病人に)感謝の気持ちが・・
ありがとうございます:
それは違います、私たけの問題です。勝手に治ります、私の心をマイナスからプラスに変えるお祈りの練習の時期だったと思います。感謝を深める段階です。私の心が病人を掴んでいるのです、それをお祈りして掴まなくなったら、掴まなくなってその人が健康な姿を見せてくれるだけなのです。
自分の世界を自分が受けるのです。
私の世界は、この世を見ていないのです、大きい大きい宇宙をいつも眺めているのです。だから、地球もあまりに小さすぎます、この世も小さいのです、それも光が少ないこの世ですから。本当は、無限に無限に輝いた新しい宇宙を受け直しているのです。
だからこの地球が滅んでも、この肉体が消えても、私の幸せには無関係なのです。絶対に崩れない幸せなのです、無限の無限の幸せいっぱいというのはそうなのです。感謝がぐんぐん深