| ありがとうございます |
真祈り文庫
2001年4月7日・1
神の御名
-ありがとうございます-
どうしても自分の心癖が変わらなくて、例えば主人に感謝したいとか。主人はとても良い人なのですけど大嫌いなのです。
会うとお互いマイナスの思いを出してしまいます。頭では良い事をたくさん知っているのですが、心と一緒にならなくて辛いのです。心の向き(癖)を治す方法を教えてください。
ありがとうございます:
誰かご存知ではないですか?
一番効果的なのは「ありがとうございます」と唱える事なのです。この「ありがとうございます」という言葉は、誰でも知っている簡単な言葉なのですけど、本当は、究極の神さまの名前なのです。すべてを生かしきってくれる神さまの名前です、必要なものを的確に与えてくれるのです。だから、「ありがとうございます」という神さまの名前を唱えたら、最高の神さまがサッと降りてきてすべての問題を解決してくださるのです。
今までは皆、ああしたい・こうしたいと自分勝手な生き方をしてきていると思うのです。この「ありがとうございます」という神さまは、一番謙虚で謙虚で控えめなのです。最高の神さまなので強制力を使ったら神さまの思い通りになってしまいます。自由を絶対に縛りたくないというのが神さまの本当の願いです。人の自由意志で神さまの御心のままに・神さまと一緒に歩きたいというふうに、自分の意思で決定してくれると神さまは力を揮えるのです。
今までは皆自由にさせて貰っているはずなのです。何を思っても自由・何を願っても自由・どんな生き方しても大丈夫、自由にさせてもらっていたのです。でもまだまだ最高の幸せというのはつかめていないでしょう、最高の幸せを掴む最後の切り札は、「ありがとうございます」という究極の神さまに縋るしかないのです。
何億年以上もズーッと待っていてくれたのです。どこにいても自由にさせてくれていたのですけど、必ず行き詰まるのです、自分の力で自力で生きようとしても本当の幸せはつかめないのです。また、いろんな他力にすがって神仏にに縋って幸せを得ようとしても、「ありがとうございます」という究極の神さまほど大きくないのです。阿弥陀さまにに縋って悟りが開けたと思っても、まだ小さいのです。だから本当に満足できたかというと、まだ誰も満足できていないのです。
最後に戻るのは、「ありがとうございます」という究極の神さまの中に戻ってゆくのです。それで心が一番幸せな状態になって、大満足の状態になるのです。
どこへ行っても自由だといって、宇宙の端から端まで順番に行っていたら時間がいくら有っても足りません。だからその辺はほどほどに、早く戻らないと損をする。ちょっちょっちょっと回って、たいした事ないなと解かったらすぐに「ありがとうございます」という神さまの中に飛び込めばいいのです。
「ありがとうございます」と言えば必要な助けが与えられて、即受ける事になるのです。受けられるのです。そして順番に自分の幸せが大きくなるように守り導いてくれているのです。
だから、自分の心を自分の一番良いようにコントロールしようと思っても自分ではできないのです。でも、「ありがとうございます」と唱えていると必ず早く自分の願っているようになってゆくのです。不思議な力があるのです、「ありがとうございます」という一言に。
ただ、必要なだけを与えてくれるのです、モグラに太陽の光を与えると強すぎて困るのです。月明かりくらいが喜べるのです、強い光に慣れてきたら強い光を与えてくれます。食べ物でも必要なだけがいいのです、山盛りいっぱい家中いっぱいだったら身の置き所もなくなります。必要なだけというのが大事なのです。
欲しいものと必要なものにはズレがあります。皆欲しいものを手に入れたりするのですが、あれも欲しいこれも欲しいと思うのだけど、それは本当は必要なものではないのです。必要以上に多いかもしれないし、必要なものではないかもしれないのです。
必要なものを与えてもらってそれを喜ぶようになるのが一番理想なのです。例えば、健康に対して感謝できないと言う人があるとしたら、一回病気になる方が良いのです。病気というのが必要なのです、一回病気をすると健康に対する感謝が湧き上がってきます。ああ、健康ってありがたいなとわかるのです。電気でもありがたいなと思うのですけど、慣れてしまうと当たり前なのです。たまに停電しないと困るのです、停電というのが必要になるのです。電気というのはありがたいなという気持ちが湧き上がるようにしてもらえるのです。
神さまは究極には、無限の感謝ができる自分に変えたいと思うのです。無限の感謝ができる自分というのが一番幸せな自分なのです。感謝のできない自分は思い通りになっても小さい幸せしか味わっていません。
感謝の心は無限に広がります、すべてに行き届いて価値を見出して幸せを感じ取れるのです、感謝が無限に広がるのが一番の幸せです。
病気にも感謝でき・健康にも感謝でき・ありとあらゆるもの全部に感謝できたが良いのです。そういう自分に神さまはしてあげたいのです。それに必要な勉強も兼ねて必要なものを与え続けるのです。
心にいろんな引っ掛かりというのが出てきます、思い通りにならない事もあります。それも、思い通りにしようという心をとるためだったら、思い通りにならない状況を与えてくる事があります、これは必要なのです。そしたら、思い通りにするのをやめておこうとなります、だから本当は、思い通りにしなくてもいいのです。皆自由に放してあげたら良いのです。
神さまが一人一人を自由にしているのです。どういう生き方をしても自由です、ただ本当の幸せは、神さまの中に戻るしかないのです。神さまの中へ自分が戻らないと損をします、神さまと一体化すれば神さまの心が自分の心になります。神さまの愛と自分の心がひとつになります。
神さまの愛というのは、
思いやりの心というのがまずひとつ、思いやりというのは必要なものを的確に与えてゆく心です。どんな人にも物にも動物にも植物にも、すべてに必要なものを的確に与えてゆく心です。
次に、寛容の心。すべてを一大抱擁する心です。すべてに無限の価値を見出してプラスにプラスに見てゆく心です。どんな人に対してでもその存在価値を見出してあげなければいけない、悪いと言ってはいけない、何か意味があります。
世の中の悪人といっても人類のマイナスの思いを一手に背負って、全部集めて身に振り替えて背負っている姿かもしれないのです。だから大菩薩かもしれないのです、皆の身代わりだったら。家族の中にも、家族の皆のマイナスの思いを一手に背負ったらその人が大きいマイナスを心に背負うのです。それが形に出てくるのです、意地悪な姿をとる場合もあります、嫌な姿を与える事もあります。でも人の生き方は自由でそれぞれ自由にさせてもらうので、認めてあげなければいけない。
思いやりの心・寛容の心というものを自分も神さまから与えてもらったら、どんなものもプラスにプラスにと見てゆけるように変わってゆけるのです。
もうひとつは、赦しの心というのが神さまの愛の中にあります。赦しというのは過去を放す事です、過去を掴まないのです。常に、新たに新たに置き換えてゆく心が赦しの心です。過去の事を云々したり何も言わない、過去はそれでよかったと放してしまうのです。
今必要な事が神さまの方から与えられて、それぞれ演じているんだというわけです。そうしたら悪く見なくなるのです、新たに神さまに与えられた役を演じているという姿は全体のためには必要なのです。素晴らしい演技をしてくださってというふうに見てゆけるようになります。神の愛とひとつになると引っ掛かりがドンドン少なくなります。
神さまは、人に完全な自由を与えて、すべてに平等なものを与えています。平等というのはどこに於いて平等かと言うと、肉体の立場でも魂の立場でもありません、一番奥の命の自分・本心の自分・神なる自分に戻ったときにすべてが平等なのです。
神さまと一体の本心の自分はいつも神さまから新たな「全徳の無限の無限の輝きがいっぱい」というのを受け取れるのです。この最高のものを皆平等に受け取れるのです。これは人間だけではなく動物も鉱物も植物も意識のあるものは全部平等に受け取れるのです。そういう意味では神さまの前に立つと皆平等です。
神さまから最高のものを受け取ったときに必ず恩返しの心が出てきます。こんな素晴らしい最高の幸せを与えてもらってありがとうございますと思うと、すべてを捧げ尽くしてでも恩返ししたいと思うときが必ずあります。その時に、謙虚に謙虚に下にへりくだる(謙る)のです。
だから、神さまが必要とされるのだったら、宇宙大劇場でどんな演技でもさせていただきますということなのです。一番良い中心の役を演じさせてくださいとは言わない。良い役はお互いに譲り合うのです、一番最低の役目・地獄のどん底の亡者の役目、これでも私は喜んでさせていただきますと言えるのです。最高の幸せを与えてもらっている自分にとったら、そんな事どうでもいいことなのです。
仮に、亡者の役をするとします、それは自分が最低だからしているのではありません、神さまから最高のプレゼントを受けて、最高に輝いた自分が、謙虚になって、亡者の役割を演技するのです。この宇宙のすべての表現がそうなのです。最高の力を持った神さまが最低の役割を演じているのです。
地獄の亡者の姿でも本当は、自分の過去世の業想念を無理やり背負ってくれている愛の働きの姿かもしれないのです。そこまで言わなくっても、皆それぞれ自由に、神さまが必要とする役を演じ切っているというように見たほうが良いかもしれません。
そうしたら、悪い役だからといって、あの人は悪いと言うのはおかしいのです。舞台を降りたら名優なのです。神さまの前に立ったら、宇宙大劇場で演技する名優なのです、最高の一人一人です。ただ舞台が色々あるのです、無限のチャンネルの舞台が準備されています。そこで配役が全部必要になっています。地獄番組では地獄で演技する人が大勢います。それは、演技してチャンと現してもらわないと、地獄番組を誰も楽しめないのです。
そういう意味で、運命として現れるこの姿というのは、これも演技の姿・番組の姿です。それをどのように見て受け止めるかは自由なのですけど、できたらプラスにプラスに眺めて楽しめたほうが良い。番組の中の姿を、これが自分なんだと掴んでしまうと、自由を失ってしまいます。自分は神さまと一体なんだと・神さまの世界にいて、おやつを食べながらテレビを観るように、この世を眺めているんだというように、チョッと放すのが大事です。
昔から、執着するなと教えにあるわけです、どんな教祖も聖者も言っているのです。この世に執着するなと。お釈迦さまもそうです、すべての迷いは執着から来ると。だから、その番組を掴んでしまうと巻き込まれるのです、サーッと流れるように眺めていると掴まないのです。だから執着しなくて済みます。
執着さえしなかったら、心に囚われがないのです。ただ眺めるだけで良いのです。ちょうど、演奏会を聞くだけ・聞き流しに聞くだけで良いのです、その方が素晴らしい演奏を味わえるのです。テレビ番組を観るように、この世を眺めていると、心が自由になります。
テレビ番組は色々ありますが、最低の悪い番組もあります、戦争映画も・悪者番組も有るのです、それを楽しみながら観ているのです。だから、あの人は悪いとは言わない、演技だとわかっているのです。だから、神さまの宇宙大劇場の演技というふうに眺めると、チョッと見方が自由になって楽になります。
「ありがとうございます」と回数多く唱えているとそういう心になるのです。神さまの心が良くわかってくるのです。神さまの御心に沿った見方をすると全部プラスに観るようになります。
何が必要なのか、結婚などもまだまだ小さいのです
-ありがとうございます-
結婚したいと思っているのですが、いい相手が見つかりません。それは今の私には必要ないということなんでしょうか。
ありがとうございます:
何が必要なのか、結婚などもまだまだ小さいのです。本当に必要なのは何か、自分にとって一番大事なことは、本当の自分に戻る事です。神さまと一体の本当の自分に、これか一番幸せです。だから、結婚は何のためにするのですか?
-ありがとうございます-
そろそろ一人は嫌かな。
ありがとうございます:
ほかの人がするから自分も?
-ありがとうございます-
そういう訳じゃない、一人より二人のほうが良いかな・・・
ありがとうございます:
どんな相手でも良い?
-ありがとうございます-
そういう訳じゃないのですけど。
ありがとうございます:
結婚は何のためにするかしっかり考えた方がいい。何を目的にするのか、幸せになるためにと言っても、幸せな人は結婚してもしなくても幸せなのです。結婚したから幸せになるとは限りません、結婚して不幸になる人も多いのです。皆は両方体験していると思いますが?
まず、自分が幸せになる事なのです、幸せな心に感謝できる心になるのが大事です。そうすると、結婚してもそれを幸せな結婚に結び付けられるのです。独身でも自由で幸せなのです。一番必要なのは、早く幸せになる道なのです。結婚したほうが幸せになるんだったら、(神さまは)与えてくれるのです。最低の人かもしれないし最高の人かもしれません、わからないのです。幸せになるための勉強だっていろんな勉強があるわけです。
-ありがとうございます-
じゃあ、すべて勉強というわけですか?
ありがとうございます:
勉強です。幸せになるための勉強です。
-ありがとうございます-
最低な人と出会って、最低の結果になったとしても、それは将来のための勉強になるのですか?
ありがとうございます:
大きい勉強になります。
-ありがとうございます-
・・・はー・・・
ありがとうございます:
それで悟りが開けたら最高の勉強になります。ソクラテスが悪妻と結婚したから、あれだけの哲学者に成ったという話があります。悪いかどうかは別にして、ソクラテスのように悟りを開いた哲学者というのは、かなりいろんな勉強をしていると思います。特にマイナスの勉強をしたほうが早く悟れるのです、マイナスをマイナスと見なくなるでしょう、その勉強が神さまの心をしっかり捉える心になるのです。だから、「ありがとうございます」と唱えていると、必要だったら結婚するのです!
-ありがとうございます-
必要だったら?!!△□???
ありがとうございます:
本当に必要なかったら自由にさせてもらうのです。結婚したから、縛られたからいいのではありません、心が自由自在で心がプラスをいっぱい感じ取れるようになる方が先ず先決です。慌てなくていいのです。
結婚した人も、一瞬一瞬新たにという心を呼び戻さなければいけないのです、いつも新婚という気持ちにならなければ。今日新たに結婚させて頂いた、今日一日だけというように、そういう気持ちの方がいつも感動新たに喜びいっぱいになれます。一日だけで良い、明日はまた別人と・・・・
本当は新しい別な人と(結婚)しているはずなのです、そういう感覚のほうが大きい幸せを感じ取れるのです。過去に執着し囚われると自由を失ってしまうのです、太陽だって毎日見ていたら感動しないものです、始めてみた太陽は感動します。目が悪い人が目が良くなって、初めて太陽を見たら、無限の感動を感じます。それなのにそれなのに、毎日見ている人は感動しないのです。毎日、何もないところからの受け直しというのが必要だと思います、感謝の自由な心だと掴む心を消せるのです。
-ありがとうございます-
手放すというのはどうすればできるのですか、自分なりにやってきたのですが、心の問題だけにうまくゆきません。
ありがとうございます:
これは良いものだと思うと掴みます、もっと良いものが現れれば放しますが、現れなければ掴んだままです。そういう習慣性があります。そうなると、最低のものを掴んでも、焼け火箸を掴んでも掴んだまま放せないのです。マイナスのものを掴んでもなかなか放せないのです。プラスのものを掴んでもマイナスのものを掴んでも、両方の掴む心を神さまに消してもらわないといけない、掴む心を自分で消す事はできません。
大体、今の自分の心が掴む心です、掴む心で掴む心は消せないのです、別な心でないと。感謝の自由な心だと掴む心を消せます、「ありがとうございます」とそのまま全部神さまに預けてしまうのです。「ありがとうございます」というのは、自分の命もすべてを捧げる心なのです、神さまに全部預けると消えるのです。そして、新たに受け直したのが自由なのです、掴まない心なのです、戻ってくるのです。
掴む心があった時に、「ありがとうございます」を加えればいいのです。掴む心をどうこうしてからではありません、そのままで良いのです、そこに「ありがとうございます」を加えたら、そのまま神さまにスッと預けて消してもらって、新しい自由な心と置き換えてくれるから、だんだんと掴む心が減ってきます。
すぐに全部は消えないかも知れません、順番だから、今まで掴み続けてきたんだからチョッと残っているのです、順番に出てきます。これだけ「ありがとうございます」を唱えてもまだ消えないのはこういうことです。「ありがとうございます」と言っている時は浮かび出たものは全部消えているのです、でも奥にあるものが次から次に浮かび出てきます、それは順番に「ありがとうございます」と消し続けたら、掴む心はなくなってきます、自由になってくるのです。
子供を育てる秘訣は、自分が育てるとは思わない
-ありがとうございます-
子供が九歳と六歳です、育児の上で何を一番大事にしたらいいですか。
ありがとうございます:
子供を育てる秘訣は、自分が育てるとは思わない方が良いのです。神さまが育ててくださっている・・というのが良いのです。だから、一人一人に、宇宙の大神さまは別として、守護神さま・守護霊さまが専属に付いています。
守護神さま・守護霊さまはその子が幸せを早くつかめるように、心の勉強をさせるために付いています。早く悟りが開けて最高の幸せをつかめるように、的確な勉強を与えるのが守護神さま・守護霊さまの役割です。
守護神さま・守護霊さまに心を向けるだけが良いのです。守護霊さまありがとうございますというのを、守護霊さまと宇宙の最高の大神さまとを繋いで、そこから的確な守り指導が降りているんだと、おまかせしきって安心していたほうが良いのです。ほったらかしが良いのです。自由にほったらかしが良いのです。
ただ、「ありがとうございます」があります。守りが完璧になって子供がすくすく育っていい持ち味を出してくるのです。しつけは本当は必要ないのです、皆中に最高のものを持っています、それが邪魔されずに出てくる方が良いのです。
学校の勉強でも、あれしなさいこうしなさい、押し込めるより自由に放した方が中から天才が湧き出てくるのです。知識をあまり詰め込みすぎたら知恵がでなくなります。のびのびと必要な事を理解させながら勉強させるのが良い、そうすると知恵が湧き出てくるようになります。
知恵と言うのが神さまと一体化する道なのです。必要な事が的確にその時にできるようになってくるのです。東大へ行って神さまの知恵とひとつになるかと言うとそうではない、知識でいっぱいになるのです、知識がいっぱいになると、ある意味でノイローゼになりやすいのです。知識がいっぱいあると知恵が流れてくるのを邪魔します、通りが悪くなります。
子供が一番幸せな状態に早くなれるのは、神さまの知恵に導かれるのが良いのです。自由を縛らずに、守護神さま・守護霊さまに「ありがとうございます」また、神さまに心を向けるだけが良いのです。
普通、親が働いて子供の生活の面倒を看ていると思いますが、本当はそうではありません、神さまが、守護神さま・守護霊さまが親を使って、親を通して働いて子供の面倒を看ています。子供がいるから必要なものを、親を通して回してくれるのです。
だから極端な事を言うと、親がいなくても子供は育ちます。それは、子供の守護神さま・守護霊さまが必要な人を使って与えてくれるからです。だから、親が育てているのではありません。必要なものを与えているのは守護神さま・守護霊さまの方です。
私の父は財産家に生まれたから、心の持ち方がチョッと間違ったところがあったのです。いろいろ勉強してきても(心の)癖が抜けなかったのです。子供に対して、子供が言う事を聞いている内は優しいのですが、チョッと反発すると、親が働いて育ててやっているのに口答えするな、というふうに私や妹は怒られていました。
その時に神憑りになって、神さまが指導に降りてきて怒るのです、「親が子供の面倒を看れると思ったらやってみろ」怖いです、実際、神さまが締め付けたら、自分ひとり食べる分も入ってきません。「子供を育ているのは親じゃない神だ」としっかり叱り付けました。
親は神さまのお手伝いをするのです。子供を神さまが育てるお手伝いをさせてもらうのです、そして子供の成長を見ていて喜ばせてもらうのです。子供が幸せになってゆくのを自分の幸せとして味あわせて貰うだけなのです。
だから、自分が何もできなくてもいいのです。「ありがとうございます」が言えたら最高の親です。あとは守護神さま・守護霊さまが全部面倒を看るから、何何しなければというのは何もない、させて貰うだけだから。必要だったらさせて頂けるのです。
普通は、親は働きすぎるし、物を与えすぎです。必要なもの以上に欲しいものを与えすぎています。欲しいものを与えすぎるのはあまり良い事はないのです、子供の持っている徳分を早くなくさせてしまいます。無駄遣いさせてしまいます、必要なものだけに使わせてあげるほうが将来プラスになります。
一生で使う徳分は大体決められて生まれてくるのです、食べ物の徳分も小さい時に美味しいものを食べ過ぎると、年をとってから食べるものがなくなってきます。無駄に食べさせないほうが良い、必要なだけを頂けばいいのです、一生不自由しなくて済むのです。世の中のいろんな人の姿を眺めていたらわかると思いますが、無茶食い、贅沢にいっぱい食べた人は晩年にお金があっても食べられなくなります。病気になって食べられないとか、何か食べられない状態になっています。
すべてがそうなのです、必要な事に使ってあげるほうが良いのです。欲しいものを与えすぎないほうが良いと思います。
人間は思うようになるのです、その人はその人の運命を
--ありがとうございます-
不安恐怖症・・・(数字の四と九が気になるとか、コンセントから火を噴きそうだとか)の場合、どのようにすれば良いでしょうか。
ありがとうございます:
人間は思うようになるのです、その人はその人の運命を思い通りにしてしまいます。だから、思い方をプラスに変えたほうが良い、思いだけ・心だけを変えることは難しいのです。
だから言葉を変えてゆきます、言葉をプラスプラスに置き換えてゆきます。数字(四)だったら、喜びの数字なんだというふうに、良いことがいっぱい起こるんだというふうに。「四」だって死ぬ方の「し」と、喜ぶの「よん」とは違います。
プラスの言葉に置き換えると心がコントロールできてきます。そうすると運命として良い姿に変わってきます。心をプラスにして心を自由にすれば形にはすぐにこだわらなくなります。心がプラスに変わっていないと、四で悪い結果が出たと結び付けやすいのです。
言葉で、プラスプラスに翻訳するような言葉遊びをすると良いのです。世の中には言葉をマイナスにマイナスに解釈する人もいるし、プラスにプラスに解釈する人もいます。例えば、家の屋敷に柿の木を植えると、家系が絶えて死に絶えるとか、マイナスに言う人が居ます。「欠ける」という「かき」を、欠けるというふうに見てゆくのです。
でもプラスに見る人は、昔は「かき」を「かがやき」と言ったのです。やっぱり柿の実の色は輝いています、葉っぱでもつやつや輝いています。日本人はもともと柿の木を「かがやき」と言ったのです、それが柿の木になっているのです。輝き輝きと言えば、それを家の周りにたくさん植えたら、家全体輝いて幸せになります。
そういうふうに、自分が言葉をプラスに使えば良いだけです、すべてをプラスにプラスに。神さまはマイナスには創っていないはずなのです、どんなものもプラスに見なさいというのが神さまの御心だと思います。
仏教の熱心な信者さんだった光明皇后さまが
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を初めて数ヶ月なのですけど、一人だけすごく意地悪になった人がいるのです。ドンドン悪い方向に行ってるのですけどなぜでしょうか?
ありがとうございます:
仏教の熱心な信者さんだった光明皇后さまが、千人の沐浴行をしていました。いろんな人が背中を洗ってもらいに来ます、光明皇后さまはこの人は仏さまだ仏さまだと拝み続けています。
最後に一番やりにくい人が出てきました、らい病患者です。全身膿でいっぱいです、その人が無理難題を吹っかける、洗ってくれとは言わないのです、「この膿を吸ってくれ」と言うのです。意地悪どころではありません、昔の考えだったら、吸ったら死んでしまうかもしれない。言葉の意地悪や態度の意地悪ではない、最低の状態です。
でもそれは、この人は仏さまなんだという修行の最後の仕上げなのです。本当に、この人は仏さまなんだと拝み切った時に、そのらい病患者の人が、光り輝く東方阿閃如来という仏さまになって現れました。そう光明皇后さまは観じられたのです。そうしたら、らい病患者の肉体人間も治ってしまいました。
だから、最後の仕上げとして一人残しておかなければ、でもまだ千人はいっていないでしょう?
やっぱり、老いてゆきたいですか、若くなりたくないですか
-ありがとうございます-
生まれたからには老いてゆくのですが、喜んで老いてゆくにはどうしたら良いでしょうか?
ありがとうございます:
やっぱり、老いてゆきたいですか、若くなりたくないですか?言葉の使い方で、老いてゆく生き方と、若返ってゆく生き方とあります。今の地球人は、過去を掴みすぎて老いてゆくのです、もっと進化した星では、肉体人間も年をとるほどに若くなってゆきます。それは過去を掴まないから、新たに新たに神さまから最高の姿を受け直す心になってゆくからです。年取るほどに輝いてくる・若返ってくるのです。
神さまはいつも新しい宇宙を創るのです、それと同じように、人間も新しいもの新しいものを受け直せる状態に置いてくれているのです。この肉体も一瞬一瞬新たに置き換えてもらっているから、年取っちゃいけないのです。地球人が感謝をドンドンしだしたら、年取るほどに若返るように逆転するかもしれません。
近いうちといえばそうなんでしょうが、それは
-ありがとうございます-
人間がこれから、テレパシーで通信し、移動もテレポーテーションで瞬時に行う、そんな時代が近いうちに来るでしょうか?
ありがとうございます:
近いうちといえばそうなんでしょうが、それは人々の心の変化によって自由なので、予言的に言うのも自由、これを縛ったら困るのです。予言というのは、未来のマイナスを防ぐためにチョッと予言するのです、それを考えてもらってプラスになるように、努力していただこうというわけです。
これからは、思いではなく、感謝の世界が広がります。思いと云うのはひとつのことしか思えないのですが、でも、感謝は無限に広がります。「ありがとうございます」というのは、世界が無限に広がります。テレパシーで特定の波を感じてもたいした事ないのです、感謝は神さまの波を全部を必要だったら感じます。
必要だったら感じるというのが一番良いのです、必要なものだけで良いのです、この世で楽しみたい時は、あの世のことは何も感じない方が良いのです。あの世の姿、あの世の事がいっぱい聞こえてきたら困ります。
必要なだけは感謝させて頂いて与えてもらう、だから、思いの世界から感謝の世界に置き換わっていきます。そうすると必要なものが的確に与えられて、自分の世界が無限に広がる、そういう時代になります。
神さまの最高表現の頂点、無限の無限のチャンネルの
ありがとうございます-
私は、前世・来世が信じられないのです、本当にあるのですか?
ありがとうございます:
神さまの最高表現の頂点、無限の無限のチャンネルの頂点というのがあります。過去世とか前世というのは低い方の番組なのです。あんまり前世とか過去世とか言い過ぎると、過去を引きずる事になります、過去を引きずってあんまり良い番組にには心がゆかなくなります。高い番組は、過去を掴まないから一瞬一瞬最高の、最高表現だけを受け続けるから、心が自由で縛りがありません。
この世の姿はあの世の縮図になっているのです、あの世は無限のチャンネルがあります、この世はあの世の縮図としての全体をひとつにみている世界です。この世の地獄も極楽もあり、いろんな姿がいっぱいあって、この世は、何を心に選択して選び続けていくかという勉強の場なのです。
心をプラスに向けてゆく人も、マイナスに向けてゆく人も自由なのです。この世のプラスを選び続けたら心がプラスを選ぶ心になるのです。そうするとあの世へ行ってもチャンネルが上がってゆきます。そういうチャンネル選びの勉強の場なのです。
何でも好き嫌いというのは、好きになるのは
-ありがとうございます-
私は自分の名前は好きなのですが、苗字が嫌いなのです、良くないですか?
ありがとうございます:
何でも好き嫌いというのは、好きになるのはプラスのものを受けたときに好きになるのです。プラスを発見できたら好き、でもマイナスになった時は嫌いになります。人がお互い好き嫌いを言うにも、相手から自分にプラスのものを与えてもらっている内は好きなのです、逆に、迷惑かけられたりマイナスを与えられたら嫌いになるのです。
前世・過去世からの繋がりがありますが、お互いにマイナスを与えすぎたら嫌いになります、でも、プラスを与え続けられていた