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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち・1



      かみ御名みな

-ありがとうございます-
 どうしても自分じぶんこころぐせわらなくて、たとえば主人しゅじん感謝かんしゃしたいとか。主人しゅじんはとてもひとなのですけど大嫌だいきらいなのです。
 うとおたがいマイナスのおもいをしてしまいます。あたまではことをたくさんっているのですが、こころ一緒いっしょにならなくてつらいのです。こころき(くせ)をなお方法ほうほうおしえてください。

ありがとうございます:
 だれかご存知ぞんじではないですか?
一番いちばん効果的こうかてきなのは「ありがとうございます」ととなえることなのです。この「ありがとうございます」という言葉ことばは、だれでもっている簡単かんたん言葉ことばなのですけど、本当ほんとうは、究極きゅうきょくかみさまの名前なまえなのです。すべてをかしきってくれるかみさまの名前なまえです、必要ひつようなものを的確てっかくあたえてくれるのです。だから、「ありがとうございます」というかみさまの名前なまえとなえたら、最高さいこうかみさまがサッとりてきてすべての問題もんだい解決かいけつしてくださるのです。

 いままではみな、ああしたい・こうしたいと自分勝手じぶんかって生き方い  かたをしてきているとおもうのです。この「ありがとうございます」というかみさまは、一番いちばん謙虚けんきょ謙虚けんきょひかえめなのです。最高さいこうかみさまなので強制きょうせいりょく使つかったらかみさまの思い通おも  どおりになってしまいます。自由じゆう絶対ぜったいしばりたくないというのがかみさまの本当ほんとうねがいです。ひと自由じゆう意志いしかみさまの御心みこころのままに・かみさまと一緒いっしょあるきたいというふうに、自分じぶん意思いし決定けっていしてくれるとかみさまはちからふるえるのです。

 いままではみな自由じゆうにさせてもらっているはずなのです。なにおもっても自由じゆうなにねがっても自由じゆう・どんな生き方い  かたしても大丈夫だいじょうぶ自由じゆうにさせてもらっていたのです。でもまだまだ最高さいこうしあわせというのはつかめていないでしょう、最高さいこうしあわせをつか最後さいご切り札き  ふだは、「ありがとうございます」という究極きゅうきょくかみさまに(すが)るしかないのです。

 なんおくねん以上いじょうもズーッとっていてくれたのです。どこにいても自由じゆうにさせてくれていたのですけど、かなら行き詰ゆ  づまるのです、自分じぶんちから自力じりききようとしても本当ほんとうしあわせはつかめないのです。また、いろんな他力たりきにすがって神仏しんぶつにに(すが)ってしあわせをようとしても、「ありがとうございます」という究極きゅうきょくかみさまほどおおきくないのです。阿弥陀あみださまにに(すが)ってさとりがひらけたとおもっても、まだちいさいのです。だから本当ほんとう満足まんぞくできたかというと、まだだれ満足まんぞくできていないのです。
 最後さいごもどるのは、「ありがとうございます」という究極きゅうきょくかみさまのなかもどってゆくのです。それでこころ一番いちばんしあわせな状態じょうたいになって、だい満足まんぞく状態じょうたいになるのです。

 どこへっても自由じゆうだといって、宇宙うちゅうはしからはしまで順番じゅんばんっていたら時間じかんがいくらってもりません。だからそのへんはほどほどに、はやもどらないとそんをする。ちょっちょっちょっとまわって、たいしたことないなとかったらすぐに「ありがとうございます」というかみさまのなか飛び込と  こめばいいのです。
 「ありがとうございます」とえば必要ひつようたすけがあたえられて、そくけることになるのです。けられるのです。そして順番じゅんばん自分じぶんしあわせがおおきくなるようにまもみちびいてくれているのです。

 だから、自分じぶんこころ自分じぶん一番いちばんいようにコントロールしようとおもっても自分じぶんではできないのです。でも、「ありがとうございます」ととなえているとかならはや自分じぶんねがっているようになってゆくのです。不思議ふしぎちからがあるのです、「ありがとうございます」という一言ひとことに。

 ただ、必要ひつようなだけをあたえてくれるのです、モグラに太陽たいようひかりあたえるとつよすぎてこまるのです。月明つきあかりくらいがよろこべるのです、つよひかりれてきたらつよひかりあたえてくれます。食べ物た  ものでも必要ひつようなだけがいいのです、山盛やまもりいっぱい家中いえじゅういっぱいだったら置き所お  どころもなくなります。必要ひつようなだけというのが大事だいじなのです。
 しいものと必要ひつようなものにはズレがあります。みなしいものをれたりするのですが、あれもしいこれもしいとおもうのだけど、それは本当ほんとう必要ひつようなものではないのです。必要ひつよう以上いじょうおおいかもしれないし、必要ひつようなものではないかもしれないのです。

 必要ひつようなものをあたえてもらってそれをよろこぶようになるのが一番いちばん理想りそうなのです。たとえば、健康けんこうたいして感謝かんしゃできないとひとがあるとしたら、一回いっかい病気びょうきになるほういのです。病気びょうきというのが必要ひつようなのです、一回いっかい病気びょうきをすると健康けんこうたいする感謝かんしゃがってきます。ああ、健康けんこうってありがたいなとわかるのです。電気でんきでもありがたいなとおもうのですけど、れてしまうと当たり前あ   まえなのです。たまに停電ていでんしないとこまるのです、停電ていでんというのが必要ひつようになるのです。電気でんきというのはありがたいなという気持きもちががるようにしてもらえるのです。

 かみさまは究極きゅうきょくには、無限むげん感謝かんしゃができる自分じぶんえたいとおもうのです。無限むげん感謝かんしゃができる自分じぶんというのが一番いちばんしあわせな自分じぶんなのです。感謝かんしゃのできない自分じぶん思い通おも  どおりになってもちいさいしあわせしかあじわっていません。
 感謝かんしゃこころ無限むげんひろがります、すべてに行き届ゆ  とどいて価値かち見出みいだしてしあわせを感じ取かん  とれるのです、感謝かんしゃ無限むげんひろがるのが一番いちばんしあわせです。
 病気びょうきにも感謝かんしゃでき・健康けんこうにも感謝かんしゃでき・ありとあらゆるもの全部ぜんぶ感謝かんしゃできたがいのです。そういう自分じぶんかみさまはしてあげたいのです。それに必要ひつよう勉強べんきょうねて必要ひつようなものをあたつづけるのです。

 こころにいろんな引っ掛ひ  かかりというのがてきます、思い通おも  どおりにならないこともあります。それも、思い通おも  どおりにしようというこころをとるためだったら、思い通おも  どおりにならない状況じょうきょうあたえてくることがあります、これは必要ひつようなのです。そしたら、思い通おも  どおりにするのをやめておこうとなります、だから本当ほんとうは、思い通おも  どおりにしなくてもいいのです。みな自由じゆうはなしてあげたらいのです。

 かみさまが一人一人ひとりひとり自由じゆうにしているのです。どういう生き方い  かたをしても自由じゆうです、ただ本当ほんとうしあわせは、かみさまのなかもどるしかないのです。かみさまのなか自分じぶんもどらないとそんをします、かみさまと一体化いったいかすればかみさまのこころ自分じぶんこころになります。かみさまのあい自分じぶんこころがひとつになります。

 かみさまのあいというのは、

 おもいやりのこころというのがまずひとつ、おもいやりというのは必要ひつようなものを的確てっかくあたえてゆくこころです。どんなひとにもものにも動物どうぶつにも植物しょくぶつにも、すべてに必要ひつようなものを的確てっかくあたえてゆくこころです。

 つぎに、寛容かんようこころ。すべてを一大いちだい抱擁ほうようするこころです。すべてに無限むげん価値かち見出みいだしてプラスにプラスにてゆくこころです。どんなひとたいしてでもその存在そんざい価値かち見出みいだしてあげなければいけない、わるいとってはいけない、なに意味いみがあります。
 世の中よ  なか悪人あくにんといっても人類じんるいのマイナスのおもいをいっ背負せおって、全部ぜんぶあつめて振り替ふ  かえて背負せおっている姿すがたかもしれないのです。だからだい菩薩ぼさつかもしれないのです、みな身代みがわりだったら。家族かぞくなかにも、家族かぞくみんなのマイナスのおもいをいっ背負せおったらそのひとおおきいマイナスをこころ背負せおうのです。それがかたちてくるのです、意地悪いじわる姿すがたをとる場合ばあいもあります、いや姿すがたあたえることもあります。でもひと生き方い  かた自由じゆうでそれぞれ自由じゆうにさせてもらうので、みとめてあげなければいけない。

 おもいやりのこころ寛容かんようこころというものを自分じぶんかみさまからあたえてもらったら、どんなものもプラスにプラスにとてゆけるようにわってゆけるのです。

 もうひとつは、ゆるしのこころというのがかみさまのあいなかにあります。ゆるしというのは過去かこはなことです、過去かこつかまないのです。つねに、あらたにあらたに置き換お  かえてゆくこころゆるしのこころです。過去かここと云々うんぬんしたりなにわない、過去かこはそれでよかったとはなしてしまうのです。
 いま必要ひつようことかみさまのほうからあたえられて、それぞれえんじているんだというわけです。そうしたらわるなくなるのです、あらたにかみさまにあたえられたやくえんじているという姿すがた全体ぜんたいのためには必要ひつようなのです。素晴すばらしい演技えんぎをしてくださってというふうにてゆけるようになります。かみあいとひとつになると引っ掛ひ  かかりがドンドンすくなくなります。

 かみさまは、ひと完全かんぜん自由じゆうあたえて、すべてに平等びょうどうなものをあたえています。平等びょうどうというのはどこにいて平等びょうどうかとうと、肉体にくたい立場たちばでもたましい立場たちばでもありません、一番いちばんおくいのち自分じぶん本心ほんしん自分じぶんかみなる自分じぶんもどったときにすべてが平等びょうどうなのです。
 かみさまと一体いったい本心ほんしん自分じぶんはいつもかみさまからあらたな「全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきがいっぱい」というのを受け取う  とれるのです。この最高さいこうのものをみんな平等びょうどう受け取う  とれるのです。これは人間にんげんだけではなく動物どうぶつ鉱物こうぶつ植物しょくぶつ意識いしきのあるものは全部ぜんぶ平等びょうどう受け取う  とれるのです。そういう意味いみではかみさまのまえつとみんな平等びょうどうです。

 かみさまから最高さいこうのものを受け取う  とったときにかなら恩返おんがえしのこころてきます。こんな素晴すばらしい最高さいこうしあわせをあたえてもらってありがとうございますとおもうと、すべてをささくしてでも恩返おんがえししたいとおもうときがかならずあります。そのときに、謙虚けんきょ謙虚けんきょしたにへりくだる(へりくだる)のです。
 だから、かみさまが必要ひつようとされるのだったら、宇宙うちゅう大劇場だいげきじょうでどんな演技えんぎでもさせていただきますということなのです。一番いちばん中心ちゅうしんやくえんじさせてくださいとはわない。やくはおたがいに譲り合ゆず  あうのです、一番いちばん最低さいてい役目やくめ地獄じごくのどんぞこ亡者もうじゃ役目やくめ、これでもわたしよろこんでさせていただきますとえるのです。最高さいこうしあわせをあたえてもらっている自分じぶんにとったら、そんなことどうでもいいことなのです。

 かりに、亡者もうじゃやくをするとします、それは自分じぶん最低さいていだからしているのではありません、かみさまから最高さいこうのプレゼントをけて、最高さいこうかがやいた自分じぶんが、謙虚けんきょになって、亡者もうじゃ役割やくわり演技えんぎするのです。この宇宙うちゅうのすべての表現ひょうげんがそうなのです。最高さいこうちからったかみさまが最低さいてい役割やくわりえんじているのです。
 地獄じごく亡者もうじゃ姿すがたでも本当ほんとうは、自分じぶん過去かこごう想念そうねん無理むりやり背負せおってくれているあいはたらきの姿すがたかもしれないのです。そこまでわなくっても、みんなそれぞれ自由じゆうに、かみさまが必要ひつようとするやくえんっているというようにたほうがいかもしれません。

 そうしたら、わるやくだからといって、あのひとわるいとうのはおかしいのです。舞台ぶたいりたら名優めいゆうなのです。かみさまのまえったら、宇宙うちゅう大劇場だいげきじょう演技えんぎする名優めいゆうなのです、最高さいこう一人一人ひとりひとりです。ただ舞台ぶたい色々いろいろあるのです、無限むげんのチャンネルの舞台ぶたい準備じゅんびされています。そこで配役はいやく全部ぜんぶ必要ひつようになっています。地獄じごく番組ばんぐみでは地獄じごく演技えんぎするひと大勢おおぜいいます。それは、演技えんぎしてチャンとあらわしてもらわないと、地獄じごく番組ばんぐみだれたのしめないのです。

 そういう意味いみで、運命うんめいとしてあらわれるこの姿すがたというのは、これも演技えんぎ姿すがた番組ばんぐみ姿すがたです。それをどのように受け止う  とめるかは自由じゆうなのですけど、できたらプラスにプラスにながめてたのしめたほうがい。番組ばんぐみなか姿すがたを、これが自分じぶんなんだとつかんでしまうと、自由じゆううしなってしまいます。自分じぶんかみさまと一体いったいなんだと・かみさまの世界せかいにいて、おやつをべながらテレビをるように、このながめているんだというように、チョッとはなすのが大事(だいじ)です。

 むかしから、執着しゅうちゃくするなとおしえにあるわけです、どんな教祖きょうそ聖者せいじゃっているのです。この執着しゅうちゃくするなと。お釈迦しゃかさまもそうです、すべてのまよいは執着しゅうちゃくからると。だから、その番組ばんぐみつかんでしまうと巻き込ま  こまれるのです、サーッとながれるようにながめているとつかまないのです。だから執着しゅうちゃくしなくてみます。
 執着しゅうちゃくさえしなかったら、こころとらわれがないのです。ただながめるだけでいのです。ちょうど、演奏会えんそうかいくだけ・聞き流き  ながしにくだけでいのです、そのほう素晴すばらしい演奏えんそうあじわえるのです。テレビ番組ばんぐみるように、このながめていると、こころ自由じゆうになります。

 テレビ番組ばんぐみ色々いろいろありますが、最低さいていわる番組ばんぐみもあります、戦争せんそう映画えいがも・悪者わるもの番組ばんぐみるのです、それをたのしみながらているのです。だから、あのひとわるいとはわない、演技えんぎだとわかっているのです。だから、かみさまの宇宙うちゅう大劇場だいげきじょう演技えんぎというふうにながめると、チョッと見方みかた自由じゆうになってらくになります。
 「ありがとうございます」と回数かいすうおおとなえているとそういうこころになるのです。かみさまのこころくわかってくるのです。かみさまの御心みこころ沿った見方みかたをすると全部ぜんぶプラスにるようになります。




    なに必要ひつようなのか、結婚けっこんなどもまだまだちいさいのです


-ありがとうございます-
 結婚けっこんしたいとおもっているのですが、いい相手あいてつかりません。それはいまわたくしには必要ひつようないということなんでしょうか。

ありがとうございます:
 なに必要ひつようなのか、結婚けっこんなどもまだまだちいさいのです。本当ほんとう必要ひつようなのはなにか、自分じぶんにとって一番いちばん大事だいじなことは、本当ほんとう自分じぶんもどことです。かみさまと一体いったい本当ほんとう自分じぶんに、これか一番いちばんしあわせです。だから、結婚けっこんなんのためにするのですか?

-ありがとうございます-
そろそろ一人ひとりいやかな。

ありがとうございます:
 ほかのひとがするから自分じぶんも?

-ありがとうございます-
 そういうわけじゃない、一人ひとりより二人ふたりのほうがいかな・・・

ありがとうございます:
 どんな相手あいてでもい?

-ありがとうございます-
 そういうわけじゃないのですけど。

ありがとうございます:
 結婚けっこんなんのためにするかしっかりかんがえたほうがいい。なに目的もくてきにするのか、しあわせになるためにとっても、しあわせなひと結婚けっこんしてもしなくてもしあわせなのです。結婚けっこんしたからしあわせになるとはかぎりません、結婚けっこんして不幸ふこうになるひとおおいのです。みんな両方りょうほう体験たいけんしているとおもいますが?
 まず、自分じぶんしあわせになることなのです、しあわせなこころ感謝かんしゃできるこころになるのが大事(だいじ)です。そうすると、結婚けっこんしてもそれをしあわせな結婚けっこん結び付むす  つけられるのです。独身どくしんでも自由じゆうしあわせなのです。一番いちばん必要ひつようなのは、はやしあわせになるみちなのです。結婚けっこんしたほうがしあわせになるんだったら、(かみさまは)あたえてくれるのです。最低さいていひとかもしれないし最高さいこうひとかもしれません、わからないのです。しあわせになるための勉強べんきょうだっていろんな勉強べんきょうがあるわけです。

-ありがとうございます-
 じゃあ、すべて勉強べんきょうというわけですか?

ありがとうございます:
 勉強べんきょうです。しあわせになるための勉強べんきょうです。

-ありがとうございます-
 最低さいていひと出会であって、最低さいてい結果けっかになったとしても、それは将来しょうらいのための勉強べんきょうになるのですか?

ありがとうございます:
 おおきい勉強べんきょうになります。

-ありがとうございます-
 ・・・はー・・・

ありがとうございます:
 それでさとりがひらけたら最高さいこう勉強べんきょうになります。ソクラテスが悪妻あくさい結婚けっこんしたから、あれだけの哲学者てつがくしゃったというはなしがあります。わるいかどうかはべつにして、ソクラテスのようにさとりをひらいた哲学者てつがくしゃというのは、かなりいろんな勉強べんきょうをしているとおもいます。とくにマイナスの勉強べんきょうをしたほうがはやさとれるのです、マイナスをマイナスとなくなるでしょう、その勉強べんきょうかみさまのこころをしっかりとらえるこころになるのです。だから、「ありがとうございます」ととなえていると、必要ひつようだったら結婚けっこんするのです!

-ありがとうございます-
 必要ひつようだったら?!!△□???

ありがとうございます:
 本当ほんとう必要ひつようなかったら自由じゆうにさせてもらうのです。結婚けっこんしたから、しばられたからいいのではありません、こころ自由自在じゆうじざいこころがプラスをいっぱい感じ取かん  とれるようになるほう先決せんけつです。あわてなくていいのです。

 結婚けっこんしたひとも、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたにというこころ呼び戻よ  もどさなければいけないのです、いつも新婚しんこんという気持きもちにならなければ。今日きょうあらたに結婚けっこんさせていただいた、今日きょう一日いちにちだけというように、そういう気持きもちのほうがいつも感動かんどうあらたによろこびいっぱいになれます。一日いちにちだけでい、明日あすはまた別人べつじんと・・・・
 本当ほんとうあたらしいべつひとと(結婚けっこん)しているはずなのです、そういう感覚かんかくのほうがおおきいしあわせを感じ取かん  とれるのです。過去かこ執着しゅうちゃくとらわれると自由じゆううしなってしまうのです、太陽たいようだって毎日まいにちていたら感動かんどうしないものです、はじめてみた太陽たいよう感動かんどうします。わるひとくなって、はじめて太陽たいようたら、無限むげん感動かんどうかんじます。それなのにそれなのに、毎日まいにちているひと感動かんどうしないのです。毎日まいにちなにもないところからのなおしというのが必要ひつようだとおもいます、感謝かんしゃ自由じゆうこころだとつかこころせるのです。

-ありがとうございます-
 手放てばなすというのはどうすればできるのですか、自分じぶんなりにやってきたのですが、こころ問題もんだいだけにうまくゆきません。

ありがとうございます:
 これはいものだとおもうとつかみます、もっといものがあらわれればはなしますが、あらわれなければつかんだままです。そういう習慣しゅうかんせいがあります。そうなると、最低さいていのものをつかんでも、焼け火箸や  ひばしつかんでもつかんだままはなせないのです。マイナスのものをつかんでもなかなかはなせないのです。プラスのものをつかんでもマイナスのものをつかんでも、両方りょうほうつかこころかみさまにしてもらわないといけない、つかこころ自分じぶんことはできません。

 大体だいたいいま自分じぶんこころつかこころです、つかこころつかこころせないのです、べつこころでないと。感謝かんしゃ自由じゆうこころだとつかこころせます、「ありがとうございます」とそのまま全部ぜんぶかみさまにあずけてしまうのです。「ありがとうございます」というのは、自分じぶんいのちもすべてをささげるこころなのです、かみさまに全部ぜんぶあずけるとえるのです。そして、あらたになおしたのが自由じゆうなのです、つかまないこころなのです、もどってくるのです。
 つかこころがあったときに、「ありがとうございます」をくわえればいいのです。つかこころをどうこうしてからではありません、そのままでいのです、そこに「ありがとうございます」をくわえたら、そのままかみさまにスッとあずけてしてもらって、あたらしい自由じゆうこころ置き換お  かえてくれるから、だんだんとつかこころってきます。

 すぐに全部ぜんぶえないかもれません、順番じゅんばんだから、いままでつかつづけてきたんだからチョッとのこっているのです、順番じゅんばんてきます。これだけ「ありがとうございます」をとなえてもまだえないのはこういうことです。「ありがとうございます」とっているとき浮かび出う   でたものは全部ぜんぶえているのです、でもおくにあるものがつぎからつぎ浮かび出う   でてきます、それは順番じゅんばんに「ありがとうございます」とつづけたら、つかこころはなくなってきます、自由じゆうになってくるのです。


   子供こどもそだてる秘訣ひけつは、自分じぶんそだてるとはおもわない

-ありがとうございます-
 子供こどもきゅうさいろくさいです、育児いくじうえなに一番いちばん大事だいじにしたらいいですか。

ありがとうございます:
 子供こどもそだてる秘訣ひけつは、自分じぶんそだてるとはおもわないほういのです。かみさまがそだててくださっている・・というのがいのです。だから、一人一人ひとりひとりに、宇宙うちゅうおおがみさまはべつとして、守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまが専属せんぞくいています。
 守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまはそのしあわせをはやくつかめるように、こころ勉強べんきょうをさせるためにいています。はやさとりがひらけて最高さいこうしあわせをつかめるように、的確てっかく勉強べんきょうあたえるのが守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまの役割やくわりです。

 守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまにこころけるだけがいのです。守護しゅごれいさまありがとうございますというのを、守護しゅごれいさまと宇宙うちゅう最高さいこうおおがみみさまとをつないで、そこから的確てっかくまも指導しどうりているんだと、おまかせしきって安心あんしんしていたほうがいのです。ほったらかしがいのです。自由じゆうにほったらかしがいのです。
 ただ、「ありがとうございます」があります。まもりが完璧かんぺきになって子供こどもがすくすくそだっていい持ち味も  あじしてくるのです。しつけは本当ほんとう必要ひつようないのです、みんななか最高さいこうのものをっています、それが邪魔じゃまされずにてくるほういのです。
 
 学校がっこう勉強べんきょうでも、あれしなさいこうしなさい、押し込お  こめるより自由じゆうはなしたほうなかから天才てんさいてくるのです。知識ちしきをあまり詰め込つ  こみすぎたら知恵ちえがでなくなります。のびのびと必要ひつようこと理解りかいさせながら勉強べんきょうさせるのがい、そうすると知恵ちえてくるようになります。
 知恵ちえうのがかみさまと一体化いったいかするみちなのです。必要ひつようこと的確てっかくにそのときにできるようになってくるのです。東大とうだいってかみさまの知恵ちえとひとつになるかとうとそうではない、知識ちしきでいっぱいになるのです、知識ちしきがいっぱいになると、ある意味いみでノイローゼになりやすいのです。知識ちしきがいっぱいあると知恵ちえながれてくるのを邪魔じゃまします、とおりがわるくなります。

 子供こども一番いちばんしあわせな状態じょうたいはやくなれるのは、かみさまの知恵ちえみちびかれるのがいのです。自由じゆうしばらずに、守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまに「ありがとうございます」また、かみさまにこころけるだけがいのです。
 普通ふつうおやはたらいて子供こども生活せいかつ面倒めんどうているとおもいますが、本当ほんとうはそうではありません、かみさまが、守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまがおや使つかって、おやとおしてはたらいて子供こども面倒めんどうています。子供こどもがいるから必要ひつようなものを、おやとおしてまわしてくれるのです。
 だから極端きょくたんことうと、おやがいなくても子供こどもそだちます。それは、子供こども守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまが必要ひつようひと使つかってあたえてくれるからです。だから、おやそだてているのではありません。必要ひつようなものをあたえているのは守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまのほうです。

 わたくしちち財産家ざいさんかまれたから、こころ持ち方も  かたがチョッと間違まちがったところがあったのです。いろいろ勉強べんきょうしてきても(こころの)くせけなかったのです。子供(こども)(たい)して、子供(こども)()(こと)()いている(うち)(やさ)しいのですが、チョッと反発(はんぱつ)すると、(おや)(はたら)いて(そだ)ててやっているのに口答(くちごた)えするな、というふうに(わたくし)(いもうと)(おこ)られていました。
 そのとき神憑かみがかりになって、かみさまが指導しどうりてきておこるのです、「おや子供こども面倒めんどうれるとおもったらやってみろ」こわいです、実際じっさいかみさまが締め付し  つけたら、自分じぶんひとりべるぶんはいってきません。「子供こどもそだているのはおやじゃないかみだ」としっかり叱り付しか  つけました。
 おやかみさまのお手伝てつだいをするのです。子供こどもかみさまがそだてるお手伝てつだいをさせてもらうのです、そして子供こども成長せいちょうていてよろこばせてもらうのです。子供こどもしあわせになってゆくのを自分じぶんしあわせとしてあじあわせてもらうだけなのです。

 だから、自分じぶんなにもできなくてもいいのです。「ありがとうございます」がえたら最高さいこうおやです。あとは守護しゅごじんさま・守護しゅごれいさまが全部ぜんぶ面倒めんどうるから、なになにしなければというのはなにもない、させてもらうだけだから。必要ひつようだったらさせていただけるのです。

 普通ふつうは、おやはたらきすぎるし、ものあたえすぎです。必要ひつようなもの以上いじょうしいものをあたえすぎています。しいものをあたえすぎるのはあまりことはないのです、子供こどもっているとくぶんはやくなくさせてしまいます。無駄遣むだづかいさせてしまいます、必要ひつようなものだけに使つかわせてあげるほうが将来しょうらいプラスになります。
 一生いっしょう使つかとくぶん大体だいたいめられてまれてくるのです、食べ物た  ものとくぶんちいさいとき美味おいしいものを食べ過た  すぎると、としをとってからべるものがなくなってきます。無駄むだべさせないほうがい、必要ひつようなだけをいただけばいいのです、一生いっしょう不自由ふじゆうしなくてむのです。世の中よ  なかのいろんなひと姿すがたながめていたらわかるとおもいますが、無茶むちゃい、贅沢ぜいたくにいっぱいべたひと晩年ばんねんにおかねがあってもべられなくなります。病気びょうきになってべられないとか、なにべられない状態じょうたいになっています。
 すべてがそうなのです、必要ひつようこと使つかってあげるほうがいのです。しいものをあたえすぎないほうがいとおもいます。



    人間にんげんおもうようになるのです、そのひとはそのひと運命うんめい

--ありがとうございます-
 不安ふあん恐怖きょうふしょう・・・(数字すうじよんきゅうになるとか、コンセントからきそうだとか)の場合ばあい、どのようにすればいでしょうか。

ありがとうございます:
 人間にんげんおもうようになるのです、そのひとはそのひと運命うんめい思い通おも  どおりにしてしまいます。だから、おもかたをプラスにえたほうがい、おもいだけ・こころだけをえることはむずかしいのです。
 だから言葉ことばえてゆきます、言葉ことばをプラスプラスに置き換お  かえてゆきます。数字すうじよん)だったら、よろこびの数字すうじなんだというふうに、いことがいっぱいこるんだというふうに。「よん」だってほうの「し」と、よろこぶの「よん」とはちがいます。
 プラスの言葉ことば置き換お  かえるとこころがコントロールできてきます。そうすると運命うんめいとして姿すがたわってきます。こころをプラスにしてこころ自由じゆうにすればかたちにはすぐにこだわらなくなります。こころがプラスにわっていないと、よんわる結果けっかたと結び付むす  つけやすいのです。

 言葉ことばで、プラスプラスに翻訳ほんやくするような言葉ことばあそびをするといのです。世の中よ  なかには言葉ことばをマイナスにマイナスに解釈かいしゃくするひともいるし、プラスにプラスに解釈かいしゃくするひともいます。たとえば、いえ屋敷やしきかきえると、家系かけいえて死に絶し  たえるとか、マイナスにひとます。「ける」という「かき」を、けるというふうにてゆくのです。
 でもプラスにひとは、むかしは「かき」を「かがやき」とったのです。やっぱりかきいろかがやいています、っぱでもつやつやかがやいています。日本人にほんじんはもともとかきを「かがやき」とったのです、それがかきになっているのです。かがやかがやきとえば、それをいえまわりにたくさんえたら、いえ全体ぜんたいかがやいてしあわせになります。
 そういうふうに、自分じぶん言葉ことばをプラスに使つかえばいだけです、すべてをプラスにプラスに。かみさまはマイナスにはつくっていないはずなのです、どんなものもプラスになさいというのがかみさまの御心みこころだとおもいます。


  仏教ぶっきょう熱心ねっしん信者しんじゃさんだった光明皇后こうみょうこうごうさまが

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」をはじめてすうヶ月かげつなのですけど、一人ひとりだけすごく意地悪いじわるになったひとがいるのです。ドンドンわる方向ほうこうってるのですけどなぜでしょうか?

ありがとうございます:
 仏教ぶっきょう熱心ねっしん信者しんじゃさんだった光明皇后こうみょうこうごうさまが、千人せんにん沐浴もくよくぎょうをしていました。いろんなひと背中せなかあらってもらいにます、光明皇后こうみょうこうごうさまはこのひとほとけさまだほとけさまだとおがつづけています。
 最後さいご一番いちばんやりにくいひとてきました、らい病患びょうかんじゃです。全身ぜんしんうみでいっぱいです、そのひと無理難題むりなんだいっかける、あらってくれとはわないのです、「このうみってくれ」とうのです。意地悪いじわるどころではありません、むかしかんがえだったら、ったらんでしまうかもしれない。言葉ことば意地悪いじわる態度たいど意地悪いじわるではない、最低さいてい状態じょうたいです。
 でもそれは、このひとほとけさまなんだという修行しゅぎょう最後さいご仕上しあげなのです。本当ほんとうに、このひとほとけさまなんだとおがったときに、そのらいびょう患者かんじゃひとが、光り輝ひか  かがや東方(とうほう)阿閃(あしゅく)如来にょらいというほとけさまになってあらわれました。そう光明皇后こうみょうこうごうさまはかんじられたのです。そうしたら、らいびょう患者かんじゃ肉体にくたい人間にんげんなおってしまいました。
 だから、最後さいご仕上しあげとして一人ひとりのこしておかなければ、でもまだ千人せんにんはいっていないでしょう?


  やっぱり、いてゆきたいですか、わかくなりたくないですか

-ありがとうございます-
 まれたからにはいてゆくのですが、よろこんでいてゆくにはどうしたらいでしょうか?

ありがとうございます: 
 やっぱり、いてゆきたいですか、わかくなりたくないですか?言葉ことば使つかかたで、いてゆく生き方い  かたと、若返わかがえってゆく生き方い  かたとあります。いま地球ちきゅうじんは、過去かこつかみすぎていてゆくのです、もっと進化しんかしたほしでは、肉体にくたい人間にんげんとしをとるほどにわかくなってゆきます。それは過去かこつかまないから、あらたにあらたにかみさまから最高さいこう姿すがたなおこころになってゆくからです。年取としとるほどにかがやいてくる・若返わかがえってくるのです。
 かみさまはいつもあたらしい宇宙うちゅうつくるのです、それとおなじように、人間にんげんあたらしいものあたらしいものをなおせる状態じょうたいいてくれているのです。この肉体にくたい一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたに置き換お  かえてもらっているから、年取としとっちゃいけないのです。地球ちきゅうじん感謝かんしゃをドンドンしだしたら、年取としとるほどに若返わかがえるように逆転ぎゃくてんするかもしれません。


   ちかいうちといえばそうなんでしょうが、それは

-ありがとうございます-
 人間にんげんがこれから、テレパシーで通信つうしんし、移動いどうもテレポーテーションで瞬時しゅんじおこなう、そんな時代じだいちかいうちにるでしょうか?

ありがとうございます:
 ちかいうちといえばそうなんでしょうが、それは人々ひとびとこころ変化へんかによって自由じゆうなので、予言よげんてきうのも自由じゆう、これをしばったらこまるのです。予言よげんというのは、未来みらいのマイナスをふせぐためにチョッと予言よげんするのです、それをかんがえてもらってプラスになるように、努力どりょくしていただこうというわけです。

 これからは、おもいではなく、感謝かんしゃ世界せかいひろがります。おもいとうのはひとつのことしかおもえないのですが、でも、感謝かんしゃ無限むげんひろがります。「ありがとうございます」というのは、世界せかい無限むげんひろがります。テレパシーで特定とくていなみかんじてもたいしたことないのです、感謝かんしゃかみさまのなみ全部ぜんぶ必要ひつようだったらかんじます。
 必要ひつようだったらかんじるというのが一番いちばんいのです、必要ひつようなものだけでいのです、このたのしみたいときは、あののことはなにかんじないほういのです。あの姿すがた、あのことがいっぱいこえてきたらこまります。
 必要ひつようなだけは感謝かんしゃさせていただいてあたえてもらう、だから、おもいの世界せかいから感謝かんしゃ世界せかい置き換お  かわっていきます。そうすると必要ひつようなものが的確てっかくあたえられて、自分じぶん世界せかい無限むげんひろがる、そういう時代じだいになります。


   (かみ)さまの最高表現(さいこうひょうげん)頂点(ちょうてん)無限(むげん)無限(むげん)のチャンネルの

ありがとうございます-
 (わたくし)は、前世(ぜんせ)来世(らいせ)(しん)じられないのです、本当(ほんとう)にあるのですか?

ありがとうございます:
 (かみ)さまの最高表現(さいこうひょうげん)頂点(ちょうてん)無限(むげん)無限(むげん)のチャンネルの頂点(ちょうてん)というのがあります。過去世(かこせ)とか前世(ぜんせ)というのは(ひく)(ほう)番組(ばんぐみ)なのです。あんまり前世(ぜんせ)とか過去世(かこせ)とか()()ぎると、過去(かこ)()きずる(こと)になります、過去(かこ)()きずってあんまり()番組(ばんぐみ)にには(こころ)がゆかなくなります。(たか)番組(ばんぐみ)は、過去(かこ)(つか)まないから一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)最高(さいこう)の、最高表現(さいこうひょうげん)だけを()(つづ)けるから、(こころ)自由(じゆう)(しば)りがありません。


 この姿すがたはあの縮図しゅくずになっているのです、あの無限むげんのチャンネルがあります、このはあの縮図しゅくずとしての全体ぜんたいをひとつにみている世界せかいです。この地獄じごく極楽ごくらくもあり、いろんな姿すがたがいっぱいあって、このは、なにこころ選択せんたくしてえらつづけていくかという勉強べんきょうなのです。
 こころをプラスにけてゆくひとも、マイナスにけてゆくひと自由じゆうなのです。こののプラスをえらつづけたらこころがプラスをえらこころになるのです。そうするとあのってもチャンネルががってゆきます。そういうチャンネルえらびの勉強べんきょうなのです。



       なんでも好き嫌す  きらいというのは、きになるのは
 

-ありがとうございます-
 わたくし自分じぶん名前なまえきなのですが、苗字みょうじきらいなのです、くないですか?

ありがとうございます:
 なんでも好き嫌す  きらいというのは、きになるのはプラスのものをけたときにきになるのです。プラスを発見はっけんできたらき、でもマイナスになったとききらいになります。ひとがおたが好き嫌す  きらいをうにも、相手あいてから自分じぶんにプラスのものをあたえてもらっているうちきなのです、ぎゃくに、迷惑めいわくかけられたりマイナスをあたえられたらきらいになるのです。

 前世ぜんせ過去かこからのつながりがありますが、おたがいにマイナスをあたえすぎたらきらいになります、でも、プラスをあたつづけられていた