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2001ねんがつにち



      だ、ひくいのです。全部ぜんぶまかせで自然しぜんいてくる

-ありがとうございます-
 いろいろかんがえて、行動こうどうすることはいことなんでしょうか?

ありがとうございます:
 だ、ひくいのです。全部ぜんぶまかせで自然しぜんいてくるのがいいのです。

-ありがとうございます-
 人間にんげん意図的いとてききるということは、ある意味いみでは傲慢ごうまんですね。

ありがとうございます:
 はい。ちょっと「ズレ」があります。

-ありがとうございます-
 人間にんげん意図的いとてききる瞬間しゅんかんから「ズレ」はじめる?

ありがとうございます:
 だからおもいをすよりは、感謝かんしゃでひとつにつながるほうがいいのです。

-ありがとうございます-
「ズレ」るということは、自然しぜん摂理せつりからうと、人間にんげん肉体にくたい頭脳ずのうったがゆえはじまった問題もんだいで、動物どうぶつなかにはそういう問題もんだいきないのですか?

ありがとうございます:
 べつに、人間にんげんだけではなく、やはり、「ズレ」はあります。

-ありがとうございます-
 植物しょくぶつほうがよりちかいですか?

ありがとうございます:
 いや、かみさまの最高さいこう表現ひょうげん比較ひかくしたら、どれだけそれが具体化ぐたいかしててきているかが大事だいじなのです。その出方でかた人間にんげんよりは、動物どうぶつほうすくないのです。植物しょくぶつはもっとすくない。鉱物こうぶつはもっとすくないのです。

-ありがとうございます-
 そうすると、人間にんげん創造そうぞうして作り出つく  だすことは、結果的けっかてきにはどんどん、どんどん本来ほんらいのありようからはなれている、ということになりますか?

ありがとうございます:
 感謝かんしゃわすれると、過去かことらわれて過去かこ残像ざんぞういかけます。 過去かこ繰り返く  かえしがおおいのです。「あたらしいものを受け損う  そこなっている」というマイナスがえるわけです。感謝かんしゃがあるとあたらしい最高さいこう表現ひょうげんをどんどんけてゆけるから、よいものがどんどん具体化ぐたいかしててきます。


    あれは、まあひとつのかみさまのこころをこのあらわ

-ありがとうございます-
 かって、アトランティス・ムーとか、ああいう文明ぶんめい存在そんざいしたということは、それをきわめていってほろばざるをなかった。また、ときわり、おなこと繰り返く  かえしているということですか?

ありがとうございます:
 そうです。あれは、まあひとつのかみさまのこころをこのあらわ過程かていで、ちょうどくようなかんじで、落書らくがきになったのです。最後さいごに「それならもう一回いっかいなおそうか」というかんじです。もう一回いっかい全部ぜんぶして、書き直か  なおすのは大変たいへんなのです。いっぺんに、パッとかみえたほうがいいわけです。だから感謝かんしゃかみさまの御心みこころけて、それを具体化ぐたいかすれば、一番いちばん最高さいこう理想りそう現実げんじつするのです。

 やはり感謝かんしゃわすれて、かみさまの御心みこころ無視むしして、自分勝手じぶんかって動き出うご  だすと、過去かこ繰り返く  かえしになります。いま現実げんじつにあるものは最高さいこう表現ひょうげんではないのです。こころけたものが現実げんじつしているのです。とくに、過去かここころとらえると、おなじことをこころ繰り返く  かえ取り込と  こんで、それを現実げんじつしてゆくのです。だから「歴史れきし繰り返く  かえされる」というのも、現実げんじつ過去かこつかぎるとたようなものを繰り返く  かえすことになるわけです。 だから、過去かこ相手あいてにせずに、かみさまの御心みこころだけをしっかりとらえようとするほうが、自分じぶんがどんどん現実げんじつしてあらわれてきます。


   感謝かんしゃをするなかでいらないものはして、よいもの

-ありがとうございます-
 いま姿すがたとしては、ある役割やくわり職業しょくぎょう社会しゃかい仕組しくみがあります。そこのなかで、感謝かんしゃぎょうつづけることでなのですか?

ありがとうございます:
 そうです。だから、感謝かんしゃをするなかでいらないものはして、よいものをどんどんあらわしてくださるわけです。 マイナスとプラスの置き換お  かえが、かみさまが一番いちばんよくわかっているわけです。だから、かみさまのたすけをけて、してもらうほうはやくなります。かみさまのたすけをおおきくける意味いみで「ありがとうございます」ととなえるのがいいのです。

-ありがとうございます-
 ある意味いみで、想念そうねんからかぶ欲望よくぼうなど、本質ほんしつのものと区別くべつがつかない状況じょうきょうがあります。 それはねんずることによって、本質ほんしつにむかうのですか?

ありがとうございます:
 そうです。「はい」「ありがとうございます」と一言ひとことくわえることによって、かみさまのほうからしむけてくださるのです。これはプラスの必要ひつようなもの、これはマイナスのらないものというように。そしてマイナスをしてプラスを置き換お  かえてくださるのです。まよときは、とくにそうです。感謝かんしゃするだけのほうがいいのです。

-ありがとうございます-
 かおかたちちがうように、現世げんせてきたす役割やくわりちがいをってまれてきているのですか?

ありがとうございます:
 そうです。すべてがそうです、おなじものはなにひとつとないのです。また二度にどおなじことを絶対ぜったい繰り返く  かえさないこと、これ鉄則てっそくです。


   つながりは、「過去かこえんで」という見方みかたと、あたらしいかみさまの

-ありがとうございます-
 Yさんをはじめ、みなさんとこういうえんをこの共有きょうゆうするということは、この一日いちにち二日ふつかしか体験たいけん出来できないわけですが。 これもまさに、触れ合ふ  あってまたらばってゆ>くというながれはあるんでしょうか?

ありがとうございます:
 つながりは、「過去かこえんで」という見方みかたと、あたらしいかみさまの「しんえんで」という二通ふたとおりあります。本当ほんとうあたらしいかみさまのしんえん必要ひつようなものがスッと助け合たす  あ姿すがたとしててくるのです。そのほう本当ほんとうちから発揮はっきしてゆくのです。「過去かこえんで」というよりは、あたらしいえんほうがいいのです。

-ありがとうございます-
 もし、過去かこえんがあったとしても、ここであらたにとも作り出つく  だしたあたらしいえんを、スタートした意識いしきほうがいいのですか?

ありがとうございます:
 いいのです。だから、いいものがどんどんりてくるわけです。 過去かこほう腐れ縁くさ  えんほうおおいのです。それに、やっぱり過去かこ自分じぶんより、いま自分じぶんほう立派りっぱになっているはずなのです。過去かこにどんなにいい生き方い  かたしても、たいしたことはないのです。いろんな意味いみいま自分じぶんほう進歩しんぽしているのです。

-ありがとうございます-
 きているかぎりは、昨日きのうより今日きょうほう進歩しんぽしているのですか?

ありがとうございます:
 はい。だから、マイナスを積み重つ  かさねたようにえても、マイナスを体験たいけんをすることによって、こころはばひろがったり、いろんな意味いみ進歩しんぽしてるのです。


  よく」という漢字かんじが「たに」に「かけ」る「こころ」ときます

-ありがとうございます-
 「よく」ってありますね。それは人間にんげんだけじゃなしに、きてる動物どうぶつにとっても、食欲しょくよくというものがあります。とく人間にんげん場合ばあいには、物欲ぶつよくというのが大変たいへんなことのようにおもうのですが、この「よく」というのは自分じぶんしているでしょう? さえようとおもっても。これは理性りせいさえていいものか、さえなくてもいいものか。

ありがとうございます:
 「よく」という漢字かんじが「たに」に「かけ」る「こころ」ときます。「たに」は宇宙うちゅう絶対ぜったいしんの「谷神こくしん」という意味いみです。「絶対ぜったいしんこころけている状態じょうたい」というのです。だから絶対ぜったいしんこころとひとつになっていると、満ち足み  たりているわけです。もとめるこころ全然ぜんぜんないのです。満ち足み  たりて、ありがたいばかり、満ち足み  たりるこころになれるのです。「よく」というときは、やっぱりかみさまとはなれてしまって、折角せっかくあたえられた無限むげん無限むげんしあわせでも、受け取う  とっていないという状態じょうたい不足ふそくこころなのです。

 それは感謝かんしゃすることによって、かみさまのこころとひとつになれば、もうすべてがあたえられているというこころになれば、「よく」は自然しぜんえるのです。でも、食欲しょくよく必要ひつようです。必要ひつようなものは、ちゃんとかすためあたえてくださるのです。食べ物た  ものとして、ぜんぶ必要ひつようなものなのに、わざわざもとめるこころこす必要ひつようはないのです。
 本当ほんとうに、かみさまのほうは、必要ひつようなものをすべてあたつづけてくださるわけで、それを感謝かんしゃつづけているかぎりは、わざわざもとめて、よくこころこす必要ひつようはないのです。

-ありがとうございます-
 きるためには、食欲しょくよくというのがあります。これは時間じかんどおりにべなければいけないので、あさひるばんという、べなきゃぬわけですから、食事しょくじのありかたというのは、先生せんせいは、どのようにおかんがえですか?

ありがとうございます:
 おなかいたときに「ありがとうございます」といただけばいいのです。自然しぜんに、まえ食べ物た  ものてくるはずです。感謝かんしゃさえしていたら、「時間じかん何時なんじべる」ということはないのですし、おなかいていなかったら、無理むりべなくてもいいでしょうし、また、あれべたい、これべたいとおもわなくても、本当ほんとう感謝かんしゃさえしてたら必要ひつようなものが食卓しょくたくあがるはずなのです。

-ありがとうございます-
 栄養えいようバランスというでしょう。でも、自分じぶんからだかんじるものをべたらいいのですか。

ありがとうございます:
 そうです。人間にんげんからだは、からだというよりかみさまのいのちはたらきのほうがものすごはたらきなのです。だからビタミンがなくても、ビタミンをからだから作り出つく  だしてくれます。だからなにべても大丈夫だいじょうぶなのです。

 人間にんげんだけです、あれこれうのは。ほか生物せいぶつは、みなかたよっています、かたよってもちゃんとかされているでしょう。人間にんげんが、やっぱりあんまりおかしい考え方かんが  かたをしぎているとおもいます。極端きょくたんったら、空気くうきだけできるられるかもれないし、みずだけでも大丈夫だいじょうぶかもれない。元々もともと物質ぶっしつ現象げんしょうだとおもうのです。

 かみさまがこの物質ぶっしつして生み出う  だしてくれている、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん物質ぶっしつ現象げんしょう移り変うつ  かわっているだけなのです。かみさまのいのちひかり波動はどうが、この物質ぶっしつ波動はどうになってあらわれて、それを五感ごかんろくかん感覚かんかくで、そういうふうにものとしてみとめているわけです。本当ほんとうなみ変化へんかだけなのです。

-ありがとうございます-
 まえにある自分じぶんのいろんな「よく」にたいする対応たいおう仕方しかた、または、集団しゅうだんという社会しゃかいたとえば、平和へいわ運動うんどう・そういう社会しゃかいとのかかわり、社会しゃかい全体ぜんたいをどういう視点してん集団しゅうだん人類じんるい)をとらえると理想りそうというのでしょうか? りようとしてはどうなんでしょうか?

ありがとうございます:
 大事だいじことは、自分じぶんえるだけなのです。自分じぶんこころをプラスにプラスにきかえるだけで、まわりの環境かんきょう世界せかい全部ぜんぶプラスに置き換お  かわってゆくのです。

-ありがとうございます-
 自然しぜんに、おのずと自分じぶん役割やくわりがそのなかりてきて、必要ひつようことはやらせてもらうというながれですか?

ありがとうございます:
 そうです。自分じぶんこころおおきくプラスにえてもらうのは、かみさまにこころければいいだけなのです。かみさまのほうからプラスを受け入う  いれて、こころ受け入う  いれたものが自然しぜん法則ほうそくてき物質ぶっしつして具体化ぐたいかするのです。

-ありがとうございます-
 そうすると、うつわなり役割やくわりが、そのによって時間じかんとそのひろがってそれなりのかたちわってゆく。

ありがとうございます:
 そうです。


  自分じぶんこころ集中しゅうちゅうしたところから、いろんなもの

-ありがとうございます-
 ひとつに集中しゅうちゅうしますと、いままでの経験けいけんでしかわかりませんけど、とにかくなにもとめているときは、そればっかりかんがえてきている。それは、どうやらあたらしいアイディアでもないですけど、そうかんじているところがあるのです。それは錯覚さっかくじゃないかとおもうのですが、自分じぶんなかのなんていうかな、潜在せんざい能力のうりょくしたのか、よくわからないのですけど。なにかもとめるときには、そればかりかんがえて、そしてかんじていることをしている。

ありがとうございます:
 自分じぶんこころ集中しゅうちゅうしたところから、いろんなものかんじるのです。自分じぶんこころなみったものから、そのインスピレーションなりをかんじているのです。そのとき自分じぶん心境しんきょうたかさ、こころかたによって、全部ぜんぶ受け方う  かたかんかたちがうのです。

-ありがとうございます-
 かんがえてみると、かみさまの知恵袋ちえぶくろからてくるものなのか、それともまったく一人一人ひとりひとり役目やくめちがうとおもうのですけど、そのへんなにったものがくるのか、なにあたらしいものがてくるのかよくわからないのです。

ありがとうございます:
 根本こんぽんは、かみさまの最高さいこう表現ひょうげん頂点ちょうてんにあって、そこから無限むげん無限むげん段階だんかいなみ変化へんかつねにあるわけです。そして、いま自分じぶん心境しんきょうおうじたところ、なみ波長はちょううところからかんじるのです。感謝かんしゃ無限むげんふかくして、たか次元じげんこころけたら、よいものを沢山たくさんかんじるのです。
 
 それでもなみわすというのは、一点いってん集中しゅうちゅうです。精神せいしん集中しゅうちゅうによってピタッとなみわせてゆくのです。なみわせかた中途半端ちゅうとはんぱだとボヤーとしてくる。ひとつのこと集中しゅうちゅうして打ち込う  こんでいるときほうなみうのです。具体化ぐたいかした姿すがたで、インスピレーションをけやすいのです。そのとき心境しんきょうによって、種類しゅるいがいろいろかれます。インスピレーションのみなもと無限むげん無限むげん段階だんかいにあるのです。


 一応いちおうまれてくるときまっています

-ありがとうございます-
 人間にんげん寿命じゅみょうというのはある程度ていどまっているのでしょうか?

ありがとうございます:
 一応いちおうまれてくるときまっています。大体だいたい第一だいいち第二だいに第三だいさん寿命じゅみょうぐらい、さん段階だんかいぐらいまっていて、必要ひつようだったら最後さいごまでゆきます。第三だいさん寿命じゅみょうわってからでも、なにおおきい使命しめいがあったら、また長引ながびくわけです。寿命じゅみょうびるわけですけど、これもやはり、みんなたましい立派りっぱみがために、一番いちばんいい方法ほうほうをとらされるのです。
 だからはやくなってあのったほうが、はや立派りっぱになれるのだったらはや引き上ひ  あげてしまいます。このなが寿命じゅみょうきたほうがいいのだったらそうしてくれるし。それでも第三だいさんまでです、一応いちおうめたとおりになってくるのです。その第三だいさん以上いじょうびるときは、もう特別とくべつおおきい使命しめいがあるときだけです。そのときだけちょっとばしてもらいます。

-ありがとうございます-
 そういう役割やくわりだったら、運命うんめいという三次元的さんじげんてきなスタートの宿命しゅくめいまっています。あと両親りょうしんっているボディである程度ていどは、推し量お  はかることは可能かのうですか?

ありがとうございます:
 はい。一応いちおうめられた範囲はんい移り変うつ  かわりの姿すがたは、一応いちおうまっているのです。一応いちおうまっていておおきいちからくわわったら、ガラッとわります。修正しゅうせいくのです。運命うんめいというのは、自分じぶん一応いちおうめてきて「こうする」というストーリーはまっているのですが、でも自分じぶん心境しんきょうおおきくガラッと変化へんかしたり、ほかからおおきいちからくわわったときは、もうぜんぜん別個べっこ運命うんめいまれるのです。そこに、本当ほんとうひと自由じゆうがあるわけです。
 
 だから、いろんな予知よちてきひと運命うんめいひとがいますが、おいのりしはじめると予知よちたらなくなるのです。運命うんめいはコロコロかわってゆきます、いようにいようにです。「なんねんさき病気びょうきになる」と予知よちされても、ぜんぜんたりません。手相てそうなんかもそうです、まえ生き方い  かた傾向けいこうが、手相てそういるわけです。惰性だせいつづいているのです。あたらしいなにかをくわえなかったら、惰性だせいがずーっととつづくわけです。そうすると手相てそうも、ちょっとたる可能性かのうせいがあるわけです。
 でもまったあたらしい生き方い  かたがそこへくわわったときは、惰性だせいえますから、そしたら手相てそうはぜんぜんたらなくなるし、手相てそう変化へんかしてきます。だからあたらしい生き方い  かたくわえるのは、やっぱり感謝かんしゃです。「ありがとうございます」と感謝かんしゃするほど、あたらしい自分じぶんがどんどんちから発揮はっきしてきます。だから運命うんめい絶対ぜったい予知よちどおりには、ならなくなります。

-ありがとうございます-
 考え方かんが  かたによっては、寿命じゅみょうというのがもしあれば、ふとくておなりょうでも、ふとくてみじかいのと、ほそながくという生き方い  かたもあるとおもうのです。寿命じゅみょうがもしまっているのだったら「むずかしくしなくてもけるじゃないか」といいつつそっちへくじゃないですか。
 いま先生せんせいが、運命うんめい自分じぶん切り開き  ひらくということで、わせてもらってるのですけど。つたかたによっては、自分じぶん運命うんめいまっているから、もうなにもあくせくしない、わるければいい、ければいい、というようなことで努力どりょくしなくなるのではないかとおもうのですけど。

ありがとうございます:
 「運命うんめいだから、もうまっているから」というちいさいとらかただとそうなります。でも本当ほんとう自分じぶんは、無限むげん自由じゆうがあって、無限むげんちから自在じざいとらえて、この生き方い  かたなんばいにも効率こうりつのいい生き方い  かたにも出来できるし、なん万倍まんばいにも内容ないよういものにも出来できるわけです。

 それは、もうどれだけかみさまの最高さいこう表現ひょうげん現実げんじつろしてくるかです。この今日きょう一日いちにちが、そのひと一生いっしょう以上いじょう価値かちのある一日いちにちもあるわけです。普通ふつうひと一生いっしょうかかって百年ひゃくねんちかきても、どれだけプラスのよいものをあじわったか、というふうにかんがえたらあまりないのです。ダラダラつまらないものを、ちょっちょっとこころ取り入と  いれたぐらいです。

 でも、おいのりをふかめて、無限むげん素晴すばらしいものを一杯いっぱいかんじられるひとは、その一日いちにちでそれ以上いじょうのものをあじわってしまいます。だから、このまれてるのも、かみさまの御心みこころ現実げんじつして、このたのしむためなのです。本当ほんとうは、ある意味いみではその表現ひょうげんたのしむようなかんじです。だから、沢山たくさん素晴すばらしいものをあじわってたのしめるほうがいいわけです、密度みつどくなります。


  かみさまのねがいはそうです。ひとかみさまのあたえて

-ありがとうございます-
 原則的げんそくてきに、きていてたのしい、本当ほんとうしあわせだとおもう。それを瞬間しゅんかん瞬間しゅんかんあじわうということの繰り返く  かえしがいいのですか?

ありがとうございます:
 そうです。かみさまのねがいはそうです。ひとかみさまのあたえてくれるプレゼントを全部ぜんぶけてあじわってしいのです。だからいつも「無限むげん無限むげんしあわせが一杯いっぱい」というふうにあじわいつづけてしいわけです。

-ありがとうございます-
 そこには、むずかしい哲学てつがくとか倫理りんりだとかそういうものはなに必要ひつようなくて、ただ瞬間しゅんかんけるだけですね。

ありがとうございます:
 そうです。ただけるだけがいいのです。けてそれをあじわうたのしみだけがいいのです。人間にんげんこころはたらきで、「おもはたらき」と「感謝かんしゃはたらき」はぜんぜん異質いしつ正反対せいはんたいはたらきなのです。「おもう」というのはひとつしかおもわないでしょう。思い通おも  どおりになっても、ひとつのことだけがかなうだけなのです。でも感謝かんしゃというのは無限むげんひろがるのです。障害しょうがいえてしまうのです。ぜんぶえてくる。感謝かんしゃきるほど視野しやひろくなって、光り輝ひか  かがやいた世界せかいが、全部ぜんぶスーとはいってきます。
-ありがとうございます-
 もの見方みかた考え方かんが  かたくせというものをはずすためには、感謝かんしゃをすることで、その時間じかんめないようにはずすということですか?

ありがとうございます:
 だから、感謝かんしゃだけを積極的せっきょくてきにしてゆけば、おもいがされていきます。するとおもわなくなります。感謝かんしゃわすれると、どうしても感謝かんしゃひかりこころなみが、おもいに変化へんかしてしまうのです。ふるいものにです。


   根本こんぽんは、自分じぶんこころ環境かんきょううつるのです

-ありがとうございます-
 たとえば、スタッフが、どうしても自分じぶんおもいとはちがう、いなりではなくて、会社かいしゃ方向ほうこうちがう、そうすると、自分じぶんは「ぼく一生懸命いっしょうけんめいやってないからだ」とおもってしまって、最終的さいしゅうてきには、ものすごぼく後悔こうかいするし、げというか、自分じぶん気持きもちのなかでどうしたらいいんだろうというのをあじわったのです。
 わたしわるいんじゃないかと落ち込お  こんだのです。それにわないひとたち自分じぶんからてゆくんでしょうか。それでも、全員ぜんいん引っ張ひ  ぱってゆかないといけないのでしょうか?

ありがとうございます:
 根本こんぽんは、自分じぶんこころ環境かんきょううつるのです。自分じぶんこころさええたら環境かんきょうかわるのです。自分じぶんこころなみうものだけを引き寄ひ  よせるのです。なみわないものは近寄ちかよれません。ちょっとつよおもいがたとすると、まわりにつよ姿すがた一杯いっぱいうつるのです。がぶつかり姿すがたになるのです。

 でも、こころせないのです。丁度ちょうどけむりけむりはらっても、けむりえないのです。だからべつこころってこないとだめなのです。ひかりこころ感謝かんしゃこころです。そうしたらけむりえるのです。おもいが全部ぜんぶえてしまうのです。そうするとひかりこころが、おおきくそこにてくると、まわりがおおきく光り輝ひか  かがやいた姿すがた変化へんかします。根本こんぽん自分じぶんこころだけなのです。

 「こころなにがあるか」だけなのです。かみさまのひかり一杯いっぱいになっているか、それともこころ一杯いっぱいか、ということでしょう。こころがあるときは、かみさまのひかりけなかった、それだけなのです。こころやみこころです。ひかり受け入う  いれなかったというだけのことです。感謝かんしゃしてかみさまのひかりけたら、あかるいよろこびのしあわせの心一こころいっぱいになれるわけです。そうしたらまわりが極楽ごくらく世界せかい姿すがたをとってくれます。

-ありがとうございます-
 すぐには、だけどならない。

ありがとうございます:
 なるのです、すぐになるのです。すぐになります。 やみこころひかりってたらスッとえるのです、瞬間しゅんかんえてゆくのです。

 だから、もう感謝かんしゃ一心いっしん繰り返く  かえしたら、すぐにあかるくなります。ひかりほうつよいのです。やみより。だからどんなおもいも、感謝かんしゃしたらえてしまうのです。「ありがとうございます」をとなえながらでも「まわりのやみにしている」というのがあるでしょう。まだやみつかんでるわけです。ひかりだけをみとめるのが大事(だいじ)なのです。「かみさま」という「無限むげん無限むげんだい光源こうげん中心ちゅうしん自分じぶんかれているのだ」という。それで「ありがとうございます」をとなえたらひかりばかりです。

 やみさがほうむずかしいのです、「人間にんげんこころやみ」というのは、じているか、ひかりにけているかなのです。本当ほんとうやみというのはたいしたことはないのです。本当ほんとうひかりだけのなかかれているのです。じて「くらくらい」とっているか、光源こうげんけて「たいしたことない」とっているかなのです。


  言霊ことだまてきには

-ありがとうございます-
 日本語にほんごの「ありがとう」の意味いみですが、ほかにもなにかいい言葉ことばがあるとおもうのですが、この「ありがとう」には特別とくべつ意味いみがあるのでしょうか?

ありがとうございます:
 言霊ことだまてきには

「あ」が、「ひかり」とか「光源こうげん」です。そのかみさまのはたらきが、つね螺旋状らせんじょう宇宙うちゅうのすべてを生み出う  だします。

「り」が、螺旋状らせんじょう無限むげん進展しんてんするという意味いみしめしています。

「が」が、「かがやきにかがやく」という、無限むげん無限むげんかがやく、という意味いみでダブるのです。「か」が、ダブって「が」になるのです。 

「とう」で、すべての時間じかん空間くうかんに、全部ぜんぶにという意味いみです。

 「あまてらす」というのもよくているのです。無限むげん無限むげんかがや姿すがたを「ありがとう」とか「あまてらす」という意味いみとらえます。

 だから、英語えいごのサンキュウでは「ひと感謝かんしゃする」というだけです、ちいさいのです。漢字かんじで「なんあり有り難あ  がたし」といっても、とらかたがあまりにもちいさすぎます。また「有り難あ  がたし」という意味いみで、「神仏しんぶつはたらきがなかったら、何事なにごと存在そんざい出来できないのだ」というのも、まだあさとらかたなのです。 
 だから「無限むげん無限むげんかがやいている」というところまでこころれていかないと、本当ほんとうかみさまのはたらきをとらえることはできないのです。それもまた「あまてらす」というと、神道しんとうひとには受け入う  いれやすいですけど、仏教ぶっきょう宗派しゅうはでは受け入う  いれにくいのです。

 また宗教しゅうきょうてき言葉ことばだと、科学者かがくしゃ芸術家げいじゅつかなんかは受け入う  いれないのです。だから、だれでも受け入う  いれられて、最高さいこうたすけを受け入う  いれられる言葉ことばというのが「ありがとう」「ありがとうございます」という究極きゅうきょくかみさまでないとむずかしいのです。
 「ありがとうございます」は、だれでもとなえられるでしょう。どんなとなかたをしてもいい。ちいさいたすけが必要ひつようひとは、ちいさいたすけをけて、おおきいたすけが必要ひつようひとは、おおきいたすけをけられます。もう自由自在じゆうじざいなのです。そのたすけも全体ぜんたいからるのです。特定とくてい場所ばしょからではなく、必要ひつようならどこからでも、全体ぜんたいからつねたすけがりてきます。



   表現ひょうげんです。かみさまの表現ひょうげんは、絶対ぜったい
-ありがとうございます-
 その全知全能ぜんちぜんのうかみさまがあるのならば、マイナスのことは何故なぜこるのですか?

ありがとうございます:
 表現ひょうげんです。かみさまの表現ひょうげんは、絶対ぜったいをプラスとマイナスにけます、プラスの無限大むげんだいと、マイナスの無限大むげんだい両極りょうきょくかれるわけです。それを螺旋状らせんじょう組み合く  あわすのです。その表現ひょうげんが、マイナスの無限大むげんだいからプラスの無限大むげんだいまで、無限むげん無限むげん段階だんかい表現ひょうげんが、そこにまれるのです。

 表現ひょうげんとしては、ゼロからプラス無限大むげんだい表現ひょうげんまでも、素晴すばらしいのですが、やはりちょっとあさい。マイナス無限大むげんだいからゼロまでの表現ひょうげんもあり、ゼロからプラス無限大むげんだいまでもあり、というのがいいのです。
 ひかりだけの表現ひょうげんでは、本当ほんとうひかりのありがたさがなくなるのです。れてしまって当たり前あ   まえになるのです。やみがあるから、ひかり浮かび上う    あがるのです。

 マイナスの無限大むげんだいというやみきょくから、ゼロまでのあいだに「きょひかり」があり、やみがどんどんうすらいでゆきます。そこにえない「きょひかり」がどんどんおおきくなって存在そんざいするのです。ゼロからはプラスの「じつひかり」が、どんどん無限むげんおおきくなります。本当ほんとうは「じつのプラス無限大むげんだいひかりあじわう」、それを「どこからあじわう」というのが目的もくてきです、ゼロからだとまだあさいのです。

 マイナスのきょくからのほうが、無限むげん無限むげん価値かちまれるのです。表現ひょうげんとして、最高さいこうのものをあじわうために、かならずマイナスのきょく原点げんてんにするのです。だから「八百やおよろかみさま」という意味いみは、いくとおりも解釈かいしゃくがあるのです。天照あまてらす大御おおみかみさまの分身ぶんしんとしての八百やおよろかみさまというときは、かたちあるものを生み出う  だすすべてのおくはたらく、神通じんずう自在じざいのプラスのはたらきなのです。
 普通ふつう、このとか、幽界ゆうかいとか、しんかいとか、これ全部ぜんぶかたちある世界せかい物質ぶっしつのある世界せかいなのです。この肉体にくたいあり、ゆうたいありれいたい神体しんたいあり、これ全部ぜんぶ物質ぶっしつがある世界せかいなのです。そのおくはたらくものが八百やおよろ神通じんずう自在じざいかみさまなのです。本当ほんとう意味いみでは。

 だから、しんかいにいるかみさまが八百やおよろかみさまではありません。しんかい姿すがたは、八百やおよろかみさまによって、生み出う  だされた結果けっかなのです。だからすべての世界せかいがそうなのです。ところがしんかい霊界れいかいからると、このたいしては、やはり次元じげんたかいので自由自在じゆうじざいに、この働き掛はたら  かけが出来できるわけです。しんかいかみさまも八百やおよろかみさまにこのひとおもうわけです。でも、本当ほんとう八百やおよろかみさまではありません。そういうたような関係かんけいがいっぱいあるわけです。

-ありがとうございます-
 それが、何故なぜ人間にんげんだけに…・。

ありがとうございます: 
 いや、ちがう、みんなにあるのです。すべてにあるのです。


         仏教ぶっきょうの「くう」は、「無限むげん無限むげんプラスの根源こんげん絶対ぜったいなのです

-ありがとうございます-
 「くう世界せかい」、と「世界せかい」とありますが、どういう世界せかいですか?

ありがとうございます:
 仏教ぶっきょうの「くう」は、「無限むげん無限むげんプラスの根源こんげん絶対ぜったいなのです。本当ほんとうは。とはちがいます。なんにもいのではありません。「くう」を「」と一緒いっしょにするとおおきな間違まちがいなのです。般若心経はんにゃしんぎょう解釈かいしゃくは、本当ほんとうはいろんな解釈かいしゃくがあるのです。むずかしいですけど。

 光源こうげんをしっかりつめて、丁度ちょうど本当ほんとう太陽たいようをしっかりつめてどんどんひかりて、地球ちきゅうだったら地球ちきゅう大気圏たいきけんはいってこうたいまれます。太陽たいようというこうたいが、仏教ぶっきょうう「空即是色くうそくぜしき」の「しき」なのです。「くう」のほう本体ほんたい太陽たいようなのです。だから光源こうげんをしっかりつめないとだめなのです。
 ふかいおいのりをとおして。そのときに「色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき」の「光源こうげんこうたい」がひとつになる。こうたいとして「無限むげん無限むげんかがやきをとらえたらいっさいやみはない」という。だから「かん自在じざい菩薩ぼさつ ぎょうじん般若はんにゃ波羅はらみつ 照見しょいけん五蘊ごうんかいくう 一切いっさいやく」です。

 「照見しょうけん五蘊ごうんかいくう」というのは、すべてはこうたいえるわけです。そして「いっさいやくわたす」というのです。 
 「かん自在じざい菩薩ぼさつ」というのは、いのち本当ほんとう自分じぶんです。その自分じぶんふかいおいのりをしないといけない。
 「ぎょう」というのは、ふかぎょうずる、「ふかいのる」という意味いみです。
 「般若はんにゃ波羅はらみつ」というのが感謝かんしゃのおいのりなのです。無限むげん無限むげんかがやいているというおいのりなのです。

 だから無限むげん無限むげんかがやきが一杯いっぱいというふうに、感謝かんしゃのおいのりをすると、すべてが大光だいこうたいえるわけです、無限むげん無限むげんかがやいたひかりえるわけです。そうしたら「般若心経はんにゃしんぎょう」の本当ほんとう意味いみがわかります。現実げんじつてるいろんな姿すがた全部ぜんぶい」くしで、否定ひていしてしまっています。プラスやマイナスなんて、本当ほんとうは、こうたいつめたときは、全部ぜんぶえてないのです。「くう」は、無限むげん無限むげんのプラス、そういうふうにとらえるのがいいのです。「」はもうなにもないのです。

                ありがとうございます

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