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()(いの)(ぶん)()

 2001ねんがつにち No.2



     わたくし両親りょうしん和歌山わかやま出身しゅっしんなのですが

-ありがとうございます-
 先生せんせい何故なぜこのようにいたったのか、というのをおしえてほしいのですが・・。

ありがとうございます:
 わたくし両親りょうしん和歌山わかやま出身しゅっしんなのですが、どちらも孤児こじ同然どうぜんなのです。おやに、兄弟きょうだいに。このてきわせたら、相当そうとう運命うんめいわるい。ちちほう財産家ざいさんかまれ、財産ざいさんのこったんだけど、それを使い果つか  はたして、からだがボロボロになったのです。それでもう「駄目だめだ」といわれてかみかりになって、いのちたすけてもらいました。それでいろんな宗教しゅうきょうてき仕事しごともさせてもらい、無報酬むほうしゅうかみかりになって、おげをみんなにつたえるようなかたち人助ひとだすけをしたのです。仕事しごと時計とけいをずーっとしていたのです。

 はは漁師りょうしいえまれて、まずしい状態じょうたいだったのです、それでとお親戚しんせきちいさいときにもらわれていって、あずかってもらいそだててもらいました。相当そうとうははほう苦労くろうかかえています。学校がっこうへゆくにも、宿屋やどやかいこのお世話せわとかいろんなのをしていたので、あさようからそういう世話せわ全部ぜんぶしていました、それで、すわって食事しょくじをしたことがない、というくらいってパッとべて仕事しごとにかかります。
 学校がっこうへゆくにもとおいところの学校がっこうのベルがるぐらいのときはしってゆく、というようなかんじです。だからおんなからだでありながら、おとこひとさんばいぐらいはたらいたみたいです。特牛こっていうん(こっていうん・・強健きょうけん牡牛おうしという名前なまえけられたぐらいに、相当そうとうがんばった。
 そういう母親ははおやでもたよるところがしかったのでしょう。それでちいさいときから仏壇ぶつだん自分じぶんつくってはおがみ、かみさまをもとめてはいろいろあちこちへったようです。で、偶然ぐうぜんにもちちがそういうおがみやさんみたいなのをしていて、そこへ相談そうだんったときに、かみかりでてきたかみさまが、いろいろ納得なっとくするようなはなしをしてくれたようです。

 ちちはは相当そうとうはなれているのです。けど「結婚けっこんしなさい」というふうにわれて、まあ結婚けっこんしました。それから大阪おおさかてきて、時計とけいをしながらそういう奉仕ほうし活動かつどう仕事しごとをし、そこでわたしたち兄弟きょうだいよんにんまれました。だから、わたしちいさいときはまだ時計とけいもはやっていて、借家しゃくやってっていました。幼稚園ようちえんまではネクタイをめていかせてもらっていました。戦後せんごのときでもなに不自由ふじゆうなしにそだててもらいました。

 ところが小学校しょうがっこうがったころから、「本当ほんとう修行しゅぎょうは、たきたれたりそんなんするんじゃないよ」「これから本当ほんとう修行しゅぎょうをさせるから」というので。ちちたいして「時計とけいをやめなさい」とかみさまがうてるわけです。そういう指示しじあとはもう、いままで一日いちにち時計とけい修理しゅうりでも十人じゅうにんぐらいってきていたのに、あさはやくからみせけていたので、それを全部ぜんぶピタッと()めてしまう。そして、仕事しごとができないから収入しゅうにゅうゼロです、家財道具かざいどうぐ全部ぜんぶしちれてはながしてしまう。借家しゃくやも「らんならん」といってってもおかねにならない。
 財産ざいさん瞬く間またた  ま全部ぜんぶえてしまいました。最後さいごには時計とけいてつくず真鍮しんちゅうけててつくずやへって処分しょぶんしてしまいました。結局けっきょくはもう全部ぜんぶなくして、いえもない家財道具かざいどうぐ一切いっさいないという状態じょうたいで、家族かぞくろくにんのこるわけです。それで「これからだよ」とうわけです。

 いえくなって知り合し  あいのひと物置ものおき、まあろくじょう掘っ立ほ  た小屋ごや物置ものおきりるのです。トタンりの、そこには布団ふとんいからわら布団ぶとんつくってかぶる。それでたきりすずめ、もう着替きがえがない、それにつくろいのいと一本いっぽんかったのです。
 それでべるものだって収入しゅうにゅうがないからかられません。なにべるかというと、はたけにほかしてある野菜やさいくずさがしてきては、それを選り分よ わけてそれをべます、水炊みずたきするわけです。調味料ちょうみりょうなんかえません。
 たきぎにはなに使つかうか、そのへんちている木屑きくずさがしてきます。下駄げたほおってあるのとか、なんでもやしてしまう。そういう状態じょうたいから出発しゅっぱつするのです。

 かみさまのほうはげましてくれます。苦労くろうおおきいほど、あとからおおきならくがやってくるからと。どんないやな仕事しごとでもタダでよろこんでするのがかみさまの御心みこころかなうのだとか。いろんな言葉ことばはげましはげましやってくれるのです。

 最初さいしょいちねんだったらまだできるとおもう。ところがじゅうねんあまつづいた。だから子供こどもこころいたみやくるしみよりも、ははほう子供こどもたいして相当そうとうくるしんだようです。だから「子供こども苦労くろうをさせるよりは、自分じぶん苦労くろうしたい」というのが親心おやごころだとおもうのです。子供こどもにまずべさせるものがない。それで学校がっこう必要ひつよう給食きゅうしょくだいにしてもPTAの会費かいひでも、ってゆかせるおかねがありません。運動会うんどうかいだからといって、えないから、おんなの体育たいいくのときにブルマというのをはかせるわけにゆかない。どうしても必要ひつようだからというのでつくったのが、いろちがいのぬの継ぎ合つ  あわせてつくったのをかせる。そうしたら学校がっこう先生せんせいが、「風車かざぐるま」といって、いやがる。
 そうするとそれをやかされたら、ただでさえこころいためているのに、相当そうとうこころいためるし、相当そうとうショックをけます。だからそういう状態じょうたいわたし小学校しょうがっこうがってからずーっとつづきました。給食きゅうしょくだいはらえないから、一人ひとり校庭こうていてはじっとしている、時間じかんつのをっています。まあ、そのときわたしかみさまをしんじているので、べつにはならなかったのです。「ありがとうございます」をとなえながら、おいのりに専念せんねんしていたようなかんじです。

 そのうちに段々だんだんやす内職ないしょくだけはさせてくれるようになります、家族かぞくろくにん一生懸命いっしょうけんめいする。だからいろんな種類しゅるい内職ないしょく一杯いっぱいさせてもらったけど、内職ないしょくしてもおかねになりません。場合ばあいによったら、すればするほどそんするのがあるのです。それでも一生懸命いっしょうけんめいさせてもらいました。学校がっこうへゆく時間じかんまでして、学校がっこうからかえってからも一生懸命いっしょうけんめいしました。家族かぞくろくにん一生懸命いっしょうけんめいしても一食いっしょくぶん小麦粉こむぎこえなかったのです。
 だからそういう体験たいけんというのは感謝かんしゃふかめるのにやくったとおもいます。ちょっとしたものでも「ああ、ありがたい」とおもいます。
 ちょっと風邪かぜをひいて病気びょうきになっても、最初さいしょはアスピリンというくすりいにゆくのですが、おかねがない。それでもどうしようもないからいにゆかないといけません。それで子供こどもかすわけです、おやはやはりおかねなしではいにゆけません。
 子供こどもが「アスピリン頂戴ちょうだい」といにゆきます。それで、もらってから「ああ、今日きょうわすれた」と、「つぎにってきますから」とパッとかえる、げるように。やっぱりそれは何回なんかいもするとがねします。段々だんだんと「まえのおかねっておいでよ」とわれます。そうするともうどこへってもえなくなります。だからくすりえない、お医者いしゃさんにももちろんかかれません。

 それでたよるところは、やっぱりかみさましかなくなってきます。だからいろんな病気びょうき、まあ栄養失調えいようしっちょうにもかかりそうな状態じょうたいですから。風邪かぜいたりいろんな故障こしょうこします。そのなかかみさまにすがったときだけスッとなおしてくれました、不思議ふしぎと。おなじような病気びょうきになっても、お医者いしゃさんやくすりたよったひとわるくなっているのに、一心いっしんかみさまにたよったときはなおしてもらえました、不思議ふしぎに。
 わたしあねでも、小学校しょうがっこうのときに中耳炎ちゅうじえんから脳膜炎のうまくえんになって、「もうこれはぬ、駄目だめだ」とわれました。なつあつときだったから、手術しゅじゅつしても駄目だめだと。だからお医者いしゃさんは立会たちあいのお医者いしゃさんを二人ふたりいて、「絶対ぜったいぬから」というて、手術しゅじゅつ一人ひとりでようせんかった。あの当時とうじ、ノミとかなづちであたまって、くさったところを取り出と  だす。いまみたいなのとちがいます。一応いちおうくさったとこを取り出と  だしてくれましたた。
 でも「これは絶対ぜったいぬ」と、お医者いしゃさんはうのです。だから「入院にゅういんさせん、いえれてかえってくれ」とう。で、それをいえれてかえってかみさまになおしてもらったのです。いま元気げんき、おかしくなっていません。
 そういうふうにかみさまに一心いっしんにすがったときは、いろんなかたちたすけてもらいました。そういういろんな苦労くろうというのは、やっぱりかみさまのほうから計画的けいかくてきあたえてもらったおかげです。感謝かんしゃふかめるのにおおきくやくにたててもらったのです。

 また「人生じんせい目的もくてきとはなにか」というのも、本当ほんとう人生じんせい目的もくてきもとめるこころこさせてもらったとおもいます。表面ひょうめんてきにいろんな目的もくてきって順調じゅんちょうにいっていたら、それはかんがえなかったとおもいます。もうぎりぎりのところで、本質的ほんしつてきに「ひとしあわせとはなにか」とか「人生じんせい目的もくてきとはなにか」とか、いろんな根本的こんぽんてき大事だいじなことをかんがえるチャンスというのを生み出う  だしてもらえたとおもいます。
 だから中学ちゅうがくのときに、人生じんせい目的もくてき相当そうとうなやんだのですが、それがまたおおきく自分じぶん目的もくてきを・目標もくひょうさだめてもらったとおもいます。人生じんせい目的もくてきについてなやんだときも、いろんなほんみあさったり、学校がっこう先生せんせいにちょっといてみたり、いろいろしましたが、なかなか納得なっとくできませんでした。いろんなこたえはいてあっても、また自分じぶん考え出かんが  だしても、納得なっとくできるこたえではなかったのです。

 でもそのとき人生じんせい目的もくてきを「人生じんせい目的もくてき追求ついきゅうすることを、人生じんせい目的もくてきにしてきなさい」というふうに、ちょっとかみさまからアドバイスがきました。それでかろうじて自殺じさつもせずに「ああ、人生じんせい目的もくてき追求ついきゅうするのに、自分じぶんはもっと真剣しんけんにならないといけない」というような気持きもちでやってゆけました。だから、「人生じんせい目的もくてきりたい」というのが一番いちばんねがいだったのです。

 それでいろんな勉強べんきょうもし、おいのりもしっかりふかめてというかたちで、二十歳はたちのときにその「人生じんせい目的もくてき」がスッとかったのです。それまでもいろんな病気びょうきもし、いろんな体験たいけん一杯いっぱいませてもらって、結局けっきょく自分じぶんよく全部ぜんぶってもらったのです。ただひたすら人生じんせい目的もくてきりたかったのです。「かみさまの目的もくてきなにかったか」、人生じんせい目的もくてきは「なんだったかなあ」というかんじです。そのときつかんだ人生じんせい目的もくてきいまのとはまたちょっとちがうのです。

 そのときは「かみさまの御心みこころけて、このあらわすのが人生じんせい目的もくてきではないか」というようなかんじで、スーッとこころ納得なっとくできました。それだったら「かみさまに自分じぶんいのちささげつくして、かみさまの御心みこころあらわすために使つかってもらおう」という気持きもちになれました、二十歳はたちです。それからボランティア一筋ひとすじきるようになりました。いろんな平和へいわ運動うんどうとか、かたちではいろんな資金しきんります。真理しんりほんひとあたえるためにも、ってあたえないと駄目だめです。それでさんばいはたらいたのです、あさひるばんです。それでおいのりも一生懸命いっしょうけんめいしながら平和へいわ運動うんどうのボランティア活動かつどう一筋ひとすじきてきました、三十さんじゅうぎまでそうです。

 それまでは結婚けっこんなにかんがえていません、一生いっしょう独身どくしんでいいとおもっていました。そのあいだつきのうちさん週間しゅうかん断食だんじきし、おかねかったからもあるのですが、いそがしかったのです。ひまもないぐらいいそがしかったから、それで断食だんじきするほうらくでした。それが大体だいたいじゅうねんぐらいつづいています。そのあいだやはり、自分じぶん限界げんかいためすというよりも、かみさまをためしていた「どれだけまもってくれるか」と、傲慢ごうまんですが。ここまで無茶むちゃしてもまもってもらえるのか、というくらい、無茶むちゃぎたぐらいしてきました。
 でも不思議ふしぎまもりにまもられてきました。危険きけんなことも一杯いっぱいあったし、病気びょうきやいろんなことでぬところまで何回なんかいもいっているのです。そのたびにまもりにまもられてきたのです。やはりすごいなとおもいます。かみさまをためしたというのは本当ほんとうくないのですが。でも、どんなときでもまもりにまもってくださるというのが、本当ほんとうふか確信かくしんわりました。

 二十歳はたちのときの心境しんきょうと、三十さんじゅうぎの心境しんきょう全然ぜんぜんちがいます、またいま心境しんきょうともちがいます。二十歳はたちときはかなり世の中よ  なかうれいいて、「どうしたらすくえるか」というのがつよかったのです。本当ほんとう地球ちきゅう滅亡めつぼうするかもれんという、もう本当ほんとう追い詰お  つめられたような気持きもちだったのです。
 三十さんじゅうになるとだいぶちがって、かるくなっています。おいのりにおいのりを積み重つ  かさねて、ひと病気びょうきなんまんにんなおしてみたり、また平和へいわ運動うんどうというかたち世界せかい平和へいわいのつづけて、かなら地球ちきゅうすくわれると。ひとはみんなしあわせにしてもらえるのだという、かなりそういうあかるい気持きもちにえてもらったのです。それもやっぱりおいのりの感謝かんしゃぎょうのおかげだとおもうのです。それで、三十さんじゅうぎからちょっとこころらくになりました。それでべつ結婚けっこん絶対ぜったいするもんかというそれもなくなってしまって、おまかせの気持きもちになりました。

 それでおまかせになると、結婚けっこんしてみないかというはなしがてきました。それまでは、「絶対ぜったい結婚けっこんせん」というかんじだったのです。でもおまかせになると自然しぜん結婚けっこんもするようになって、それまではもう菜食さいしょく主義しゅぎてききたのですが、もうなんでもべるようになりました。ただもう感謝かんしゃふかめてするだけという気持きもちに段々だんだんわってきたのです。だから結婚けっこんするとき、わたくし一円いちえんもおかねっていませんでした。みんな家内かないしてもらったのです。それなのによう結婚けっこんしてくださいとえたものです。あつかましい!、おかね一円いちえんってないのに。

-ありがとうございます-
 それなら、紹介しょうかいされてということですか。

ありがとうございます:
 そう、こころ勉強べんきょうのつながりが()っていろんなで、ちょっと紹介しょうかいされました。

-ありがとうございます-
 先生せんせいおくさんがえらいんだ。

ありがとうございます:
 そう、わたくしは「清貧せいひんあまんじてきるからいてきなさい」というかんじでした。最初さいしょから本当ほんとうことわられるのでしょうが。なんか「きつねにつままれたようなかんじや」とうています。かみさまにつままれて!やっぱり不思議ふしぎなことがいっぱいありました。もう自然しぜん結婚けっこんするようになってしまったのです。みんなかみさまがはこんでしまったようなかんじです。そうでなかったらしてないかもれません。

-ありがとうございます-
 なんで結婚けっこんしはったのですか。わからん?

おくさん:
 かみさまにつままれたのね。

-ありがとうございます-
 はーあ。

おくさん:
 だれ反対はんたいしなかったね。

-ありがとうございます-
 大変たいへんなのがわかっていて、よく結婚けっこんされましたね。

おくさん:
 大変たいへんなのをらないから。
-ありがとうございます-
 結婚けっこんされてびっくりされたでしょう。
 
おくさん:
 生活せいかつ全然ぜんぜん反対はんたいでしたよね、考え方かんが  かたがすべて。ず、たくわえるということがないでしょう。本当ほんとうたくわえて、まあ、あと必要ひつようなときに使つかうとか、こまったときにね、そういうんじゃなくて、全部ぜんぶ平和へいわ運動うんどう使つかったのですよ。

-ありがとうございます-
 よく生活費せいかつひましたね。

ありがとうございます:
  だから生活費せいかつひゼロよ、ゼロ。

おくさん:
 おばあちゃんいてたし、結婚けっこんしてもなに買い物か  ものにゆかないの・・

ありがとうございます:
 本当ほんとうにゼロなのです、生活費せいかつひが。そうして「どうしてきるんか」とうのですが、やっぱり必要ひつようなだけくちはいるのです。れてもらえるのです。

-ありがとうございます-
 てんからってくるのですか。

ありがとうございます:
 てんからってくるし、ひとからも・・・

おくさん:
 和歌山わかやまにいたときは、おさかなかわへとりにいったり・・・

-ありがとうございます-
 おくさんはえらいわ、すごえらいわ、先生せんせいれているからいいでしょうけど。

ありがとうございます:
 本当ほんとうにそう。

-ありがとうございます-
 普通ふつうだったら三日みっかたったらとんでかえりますね。

おくさん:
 あー、はははは。

ありがとうございます:
 ところが、ちょっとちがうところが、かみさまのまもりがおりているのです、苦労くろう無駄むだ苦労くろうはありません。だからまもりを実感じっかんさせるための苦労くろうです。だからなにもなくても、こころはいつもやすらかなのは、かみさまの無限むげんまもりをいつも実感じっかんしているからです。必要ひつようなのはかならあたえてもらえると、よくわかっています。おまかせのほうらくなのです。だからわたし場合ばあいはそれを徹底てっていして実感じっかんさせてもらえているのです、なん心配しんぱいもしていないのです。

-ありがとうございます-
 おくさんは心配しんぱいしますよね。

おくさん:
 心配しんぱいしましたよ、取り越し苦労と  こ  ぐろう、それをってもらくならんことあったけどね。それをってもらったからあまりさきのことをかんがえなくなるし、非常ひじょうらくになりました。

-ありがとうございます-
 それは何時いつごろのはなしですか。

ありがとうございます:
 そういちねんぐらいしてから・・・。結婚けっこんして子供こどもまれるというときでも、おかねがないのです、出産しゅっさんが。それでまたわたくしかみさまが強制的きょうせいてき入院にゅういんさせるのです。はいがなくなって心臓しんぞうがこのへんて、強制きょうせい入院にゅういんさせられました。

-ありがとうございます-
 移動いどうしてきたの、そんな馬鹿ばかな。

おくさん:
 もうきるかぬか、きていてもいざりで、本人ほんにん車椅子くるまいすあたえられても、しゃっしゃっしゃっしゃとあるいて・・。

ありがとうございます:
 実際じっさいなかった、はいがなくなって、心臓しんぞうがここらへんにきていました。これで呼吸こきゅう出来できるのかと、動脈どうみゃくひらいたりしてたみたいです。もうこれは絶対ぜったいたすからんというかんじだったようです。
 そういうとき子供こども出産しゅっさんするのです、おかねがないのに。一人ひとりぼっちで。それでも出産しゅっさん費用ひようはちゃんとあたえてもらいました。不思議ふしぎまわしてもらう、必要ひつようなだけはちゃんと。やっぱりぎりぎりまで追い詰お  つめてはかみさまを実感じっかんさせてゆきます。「これだけまもる」というようなかんじで、必要ひつようなものはちゃんとあたえてくださる。わたし入院にゅういんしていてらくちんです。
 ところが大勢おおぜい人生じんせい相談そうだんるのです、絶対安静ぜったいあんせいのところへ。

-ありがとうございます-
 おくさんこちらへどうぞ、こんなこと滅多めったにないですから、両方りょうほうはなしをくというのがやっぱり勉強べんきょうすごくなりますよ。ぼくらも結婚けっこん生活せいかつしていて「ああ」というのがあるのですね、いていてものすごひびいて。是非ぜひねがいいたします。

ありがとうございます:
 いろんなそういう勉強べんきょう全部ぜんぶかみさまをかんじる勉強べんきょうだったのです。かみさまと自分じぶんとのあいだのクッションを全部ぜんぶとりのぞいて、実感じっかんさせてくれます。だからたよるところを全部ぜんぶってもらったほうがいいのです。「かみさましかあたえるところはない」というのが一番いちばん大事だいじなのです。そうしたらいつもひしひしとかみさまのまもりがかんじられてくるのです。みんなゆたぎたらわからないのです。

-ありがとうございます-
 やっぱりこころすごくきれいで、なにうたがうことがなかったからかな。ぼくらはやっぱりどこかで疑心暗鬼ぎしんあんきになるし、しんるにはじゅうねんぐらいかかるのではないだろうか。かみさまをしんじるということはご主人しゅじんしんじるということですか。でも、こころからしんじるということはむずかしいじゃないですか、ご主人しゅじんを。

おくさん:
 でも、みんなもしんじられるとおもいますよ。

ありがとうございます:
 ひゃく%ですよ、最初さいしょから。それでなかったらげてってます。

-ありがとうございます-
 で、入院にゅういんされて。

ありがとうございます:
 わたくし休息きゅうそく期間きかんだったのです。かせてもらって、いちねんぐらいかな、いちねんじゃくです。そのもすぐに平和へいわ運動うんどう一筋ひとすじでした。三十さんじゅう何歳(なんさい)です。だから、こわいもんらずです。なにがあってもこわくないのです。

-ありがとうございます-
 入院にゅういんされてからいろんな変化へんかはあったのですか。

ありがとうございます:
 もうおおきい変化へんかはありません。あとはもうおいのりのみちをまっしぐらにすすんできただけです。あと平和へいわ運動うんどう一生懸命いっしょうけんめいさせてもらっただけ。だからもう全部ぜんぶまかせの生き方い  かたです、だから自分じぶんおもいもなにえて()りません。ただ、もうあたえてもらうだけ、というかんじです。

-ありがとうございます-
 ボランティアというのは、先生せんせいみたいにっこからのボランティアだと理解りかいできます。普通ふつうのボランティアっていうと、どこかでなに目的もくてきがあって、自分じぶん名誉めいよふくめてやるひとおおいじゃないですか。

ありがとうございます:
 本当ほんとうのボランティア、本当ほんとう奉仕ほうしというのは、わたくし場合ばあいは、もうかみさまへいのちささげつくしての奉仕ほうしです。ひとへの奉仕ほうしではありません。かみさまへのぜんたく奉仕ほうしあとは、かみさまが自分じぶん使つかってくれるだけなのです。
 だから、かみさまが自分じぶん使つかって世の中よ  なかのために、平和へいわのためにくしてくださるのはかみさまがすることです。かみさまへの恩返おんがえしの気持きもちでいのちささげつくしているだけなのです。それであたえられたものを感謝かんしゃけきっているだけ、一番いちばんとくしています。

 みんなかみはからいではこばれています。本当ほんとうはこんなひろいところもらないのですが、もうちいさいろくじょう掘っ立ほ  た小屋ごやでいいのです。なんねがいもないのです。ふくべつに、なにたきりでいいのです。食べ物た  ものもなくっても、なにべなくてもいいのです。ちいさいころはよく食べ物た  ものがなかったら「粘土ねんどってべなさい」とわれたのです、かみさまから。粘土ねんどってべた体験たいけんだないですが。なんにもなかったらそのつもりでいます。

-ありがとうございます-
 凡人ぼんじん以下いかぼくでも、ぜんたくしたらいいのですか。

ありがとうございます:
 本当ほんとうにそうです。ぜんたくというより、感謝かんしゃさえしていたらもうぜんたくなのです。そうしたらかみさまのまもりが、きなだけどんどんりて、どんどんかみさまと一体化いったいかみちすすめてくださいます。だから自分じぶん立派りっぱになってからどうこうではありません。全部ぜんぶまかせたほうがいいのです。

 だからかみさまのほうからりてて、必要ひつようはたらきをしてくださるのです。いまわたくしというのは、過去かこ積み重つ  かさねで()った自分じぶんではありません。わたくし家系かけいがこれだけマイナスがおおかった家系かけいというのは、相当そうとうおおきなごうかさねているからなのでしょう。でもいのちささげつくして「かみさまのために」という気持きもちになったときは、おおきくかみさまのたすけをけられる状態じょうたいなのです。だから、かみさまにとったら、過去かこ生き方い  かたなんてもう問題もんだいではありません。
 どれだけおおきいマイナスがあっても、そんなのはるにらない。あとは、かみさまが使つかいやすく訓練くんれんをして使つかってくださいます。だから、わたくしいまいいものがあるとしたら、わたくしのものではないのです。かみさまが必要ひつようおうじてりてきて、なにかをみんなにあたえてくれているだけ、それも必要ひつようおうじてだけをです。

-ありがとうございます-
 へん考え方かんが  かたをすると、わるいことをしてもかみさまがあたえてくれるというのがあるじゃないですか。たとえば、ひとをころすようにと「かみさまがそうせい」とったからとか。

ありがとうございます:
 それが本物ほんものかどうか、見極みきわめはみんなだれでも出来できます。

-ありがとうございます-
 本物ほんものかどうか・・? ほど

ありがとうございます:
 本物ほんものは、一人一人ひとりひとりみんなっています。これが本当ほんとうかみさまのはたらきかどうかはわかります。もし、マイナスを背負せおうのだったら、みんなのマイナスをおおきく背負せおって自分じぶんくるしむ立場たちばにおかれるのは当たり前あ    まえです。ひとるしませる立場たちばにはちません。かりに、ひと突き殺つ  ころすような因縁いんねん沢山たくさんあったとしても、みんな自分じぶんからだいたみでしてしまいます。

-ありがとうございます-
 それが入院にゅういんされたころからですね、いたみはいまでもずーっとわりませんか。

ありがとうございます:
 わたくし二十歳はたちになるまえいち年間ねんかんいたみで「もう大変たいへん」という状態じょうたいかれているのです。最初さいしょりょうみみが、かたみみずつなのですが。なに中耳炎ちゅうじえんてきかんじになって、ガンガンれる、あたまが。それが半年はんとしずつ交代こうたいいち年間ねんかんつづきました。
 そのあと今度こんど胃痙攣いけいれんいち年間ねんかんつづく、年間ねんかんいたみがずーっとつづきました。それも普通ふつうにいろいろなことしながらです。そのいたみというのが、いまかんがえるといい体験たいけんだとおもうのです。いまでも相当そうとういろんないたみをいつもけるのですけど、平気へいきなのです、いたみがあるごとにそれをよろこべるのです。

-ありがとうございます-
 じゃあ、みのいたみじゃなかった。

ありがとうございます:
 そのときいたみはねんずっとつづいたにしても、いたみにらすためのいたみなのです。それでも、そのあといのりに専念せんねんするようになって、「おいのり」というのは、みんなの身代みがわりにマイナスを背負せおっては、それをはたらきです。一旦いったんける、いろんなひといたみを。おおきい場合ばあいは、のたうちまわるようないたみです。じっとえておいのりしてしてもらう。そりやあ、呼吸こきゅうまることもあります。いままではずーっとそうだったのです、二十歳はたちからずーっと。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」というおいのりですね、これはどこでどういうふうにかんじられてはじめるようになったのですか。

ありがとうございます:
  それも、自然しぜんてきているのです。いろんないの言葉ことばはいろいろ使つかっていますが、ちいさいときから。
でも「ありがとうございます」という感謝かんしゃが、やっぱりいつもあるのです。どんなかみさまの名前なまえんでも「ありがとうございます」はあるのです。その「ありがとうございます」だけにてっるようになったのは、ずっとあとなのです。いろんなかみさまの名前なまえび、ほとけさまの名前なまえび、観音かんのんさまの名前なまえび、一心いっしんんではたすけてもらって。それも、感謝かんしゃぎょうときにずーつとつづいてるのです。
 
-ありがとうございます-
 いまはどういう生活せいかつされているのですか。

ありがとうございます:
 必要ひつようなものを全部ぜんぶあたえてもらっています。てんからっているようなかんじです、全部ぜんぶがそうです。無一文むいちもんなにもない状態じょうたいで、全部ぜんぶととのってゆきます。かんがえられなことですが。どうやって生活せいかつしてるのかとわれるのですけど。必要ひつようなものは全部ぜんぶ、「あたえられぎ」というかんじです、どうやっておれいせんならんかと。「感謝かんしゃ先取さきどり」というのですが、先取さきどりどころではありません。もうあたえられぎて、感謝かんしゃっつかないのです。


       かみさまの無限むげん無限むげんとくをいつもいただなおしている

-ありがとうございます-
 宗教しゅうきょうでいうとよく「とくをつみなさい」というでしょう。とくんだら自分じぶんなにかえりますよと。先生せんせいのおはなしはぜんぜんちが観点かんてんとくむとかまないとかじゃないですね。

ありがとうございます:
 かみさまの無限むげん無限むげんとくをいつもいただなおしているのです。自分じぶんの「とく」をもうなんておもっていないのです。かみさまからいただくばっかりです、無限むげん無限むげんとくを。

-ありがとうございます-
 いまわれた宗教しゅうきょうかんの「とくみなさい」とはどうかんがえるのですか。

ありがとうございます:
 もう必要ひつようないのです。自分じぶんむような「とく」なんて、本当ほんとうとくではありません。「とく」という意味いみが、行人こうにんべんに、むかし字体じたいで「ちょくこころ」です。「なおびのこころぎょうずる」といって、ちょくれいこころぎょうずるという意味いみです。だから根源こんげんかみさまのはたらきが「とく」なのです。
 本当ほんとうの「とく」というのは、かみさまのはたらきそのものなのです。だから「全徳ぜんとく無限むげん無限むげんはたらき」「無限むげん無限むげんかがやいたかみさまのはたらき」が「とく」なのです。人間にんげんめる「とく」なんて、本当ほんとうなにもないのです。
 そのかみさまのはたらきを、感謝かんしゃふかめていただく・なおす。それがかみさまの「とく」をいただくことです。その「とく」さえいただいたら、自分じぶんのものになるのです。今更いまさらとく」なんて必要ひつようはありません。かみさまのとくければいいだけ。だから「ありがとうございます」だけでいいのです。


       本当ほんとうはこれみなさん、無限むげん無限むげんのと。なんで「無限むげんの」のうえ

-ありがとうございます-
 無限むげん無限むげんのと繰り返く  かえしている意味いみは・・

ありがとうございます:
 本当ほんとうはこれみなさん、無限むげん無限むげんのと。なんで「無限むげんの」のうえにもうひとつ「無限むげん」をけたほうがいいのか。まあ、かんがえてもらったらいいかとおもうのですが。いくとおりも意味いみてきます。どういう意味いみがあるとおもわれますか?「無限むげんなに々」でも素晴すばらしいのですが、もうひとつ「無限むげんの」とける意味いみが。

-ありがとうございます-
 永遠えいえんのとかそういう。

ありがとうございます:
 そう、永遠えいえんというのも時間じかんてき無限むげんのというかんじですが。いくとおりも意味いみてきます、沢山たくさん

-ありがとうございます-
 無限むげんのという一言ひとことで?

ありがとうございます:
 そうなります。かぎりないという。
 
-ありがとうございます-
 宇宙うちゅう根源こんげんとか?

ありがとうございます:
 普通ふつうこのというのは有限ゆうげんです。どれだけおくおくへいっても、かぎりがあったら有限ゆうげんです。だから、とらえどころのあるのはみんな有限ゆうげんなのです。「無限むげん」というだけでもすごいのです。

-ありがとうございます-
 宇宙うちゅうつかさどるもっとおおきいものがあるのですか? 無限むげん無限むげんの…というのは無限むげんのエネルギー、かみちから

ありがとうございます:
 ひとつの徳性とくせいたとえば「無限むげん無限むげんしあわせ」というふうにたときに、普通ふつうこの肉体にくたい自分じぶんいっだったら、「無限むげんしあわせ」でわります。かぎりなくおおきいしあわせをつかんだら、「無限むげんしあわせ」をあじわっています。この肉体にくたい自分じぶんいっつかんだ状態じょうたいではそうです。
 でも、本当ほんとう自分じぶんは、たとえばひとつのかんがえ、このにいる自分じぶんと、無限むげん次元じげんにいる自分じぶんとがあるのです。無限むげん次元じげん自分じぶんふくめたら、それぞれに無限むげんしあわせをつかんだ無限むげん無限むげんの…となります。それがひとつ。
 それでいま時間じかんにいる自分じぶんと、過去かこ現在げんざい未来みらいの、無限むげん時間じかんにいる自分じぶんがそれぞれにあるのです。だから、無限むげん時間じかんにいる自分じぶんると、全部ぜんぶ自分じぶんのものとすれば、また無限むげん無限むげんしあわせです。

 宇宙うちゅう成り立な  たちというのは、入れ子い  こ構造こうぞうの、ちいさいはこうえおおきいはこつくって、そのうえにまたはこれて、はこれて、というふうに、どんどん相似形そうじけい姿すがたおおきくなってゆきます。だから宇宙うちゅうなかに、たとえば、いっ原子げんしがあるとすると、そのいっ原子げんしなかにも宇宙うちゅうがあるというかんじで、どんどん無限むげん無限むげんひろがります。無限むげん無限むげんひろがる想像そうぞうぜっした構造こうぞう宇宙うちゅうがあるとしたら、いまている宇宙うちゅう無限むげんしあわせがあったら、そういうのが無限むげんつづいています。無限むげんの八尋殿(やひろどの)に自分じぶんからたら、そこに無限むげん無限むげんしあわせをかんじる自分じぶんがあるのです。

 また肉体にくたい自分じぶん人間にんげんとしての自分じぶんがあるとすると。でも、人間にんげん以外いがいにも沢山たくさんいるのです、動物どうぶつも・植物しょくぶつも・鉱物こうぶつも。人間にんげん宇宙うちゅう無限むげんにいます。一人ひとり自分じぶんとしての自分じぶんが、無限むげんしあわせだったら、宇宙うちゅう全部ぜんぶひとしあわせを自分じぶんのものとすれば、これも無限むげん無限むげんしあわせです。それでひと以外いがいの、植物しょくぶつや・動物どうぶつや・鉱物こうぶつしあわせもふくめたら、これもまた無限むげん無限むげんしあわせです。

 人間にんげんとしての無限むげんしあわせをくわえて、全部ぜんぶしあわせを取り込と  こめばいいのです。そのしあわせというのも、これも全部ぜんぶかおちがいます、無限むげんしあわせというのでも、またそれが無限むげんかおちがって変化へんかします。それもしあわ自体じたいが、無限むげん無限むげんしあわせになります。そのひとつひとつがかなら無限むげんしつたかくなり、また無限むげんおおきくなって、また無限むげんふかみがてくるのです。それも全部ぜんぶ無限むげん無限むげん無限むげんの…とくのです。

 そして、無限むげん無限むげんかがやいたしあわせというものが、いろんな要素ようそをバックにしてっているのです。丁度ちょうど太陽たいようこうたいのようなものです。そのこうたいおくにそういうものが、無限むげん無限むげんつづいています。またはやけてしい、しあわせをはやけてしいと意味いみで、そういうのも無限むげん無限むげんしあわせとしててくるのです。

 そしてそれを全部ぜんぶひっくるめたもうひとつおくに「絶対ぜったい」というのがあります。「絶対ぜったい」のなかには、無限むげん無限むげんしあわせどころではないのです。それ以上いじょうのものがあります。

 だから、ひとつの徳性とくせいの「しあわせ」というのをつかんだだけでも、無限むげん無限むげんしあわせというのが、そこれぬそうぞうぜっするものとして、「ありがとうございます」をとなえているうちに、かんじられてくるのです。
 だから、しあわせも・よろこびも・やすらぎも・健康けんこうも・めぐみも、その全部ぜんぶ要素ようそがそうなのです。そういうものが無限むげん無限むげん複雑ふくざつわさって、そこへひかりあや模様もよう、もう荘厳そうごんきわまりないというかんじで大光だいこうたいがパァーっとでてるのです、ところてんしき押し出お  だされてきているのです。そういうのがてんからってくるのです、本当ほんとうは。からいている・もう全体ぜんたいから降り注ふ  そそいでいるというかんじです。その中心ちゅうしん一人一人ひとりひとり自分じぶん本当ほんとうかれているのです。

 だから肉体にくたい自分じぶんというのは、無限むげん無限むげん大光だいこうたい中心ちゅうしんかれているのです。そとひろがりに無限むげんにどこまでもおおきいひかりつづいています。そうしたら「どこにやみがあるんか」となるのです。本当ほんとうは、もし自分じぶん勝手かってやみつくって、そのなか入り込はい  こまないかぎりは、だい光源こうげん中心ちゅうしんにみんないるのです。それが「無限むげん無限むげんしあわせ」という本当ほんとう姿すがただとおもうのです。

 だから「ありがとうございます」という一言ひとことなかに、その「無限むげん無限むげんしあわせ」もちいさくおさまっているのです。それと、ありとあらゆる神仏しんぶつ全部ぜんぶ「ありがとうございます」のなかおさまるっているのです。かみさまのどんなはたらきもそのなかにあるのです、「ありがとうございます」一言ひとことなかにです。
 また「ありがとうございます」が、本当ほんとうおくはいるほど「無限むげん無限むげんにありがとうございます」に変化へんかするのです。自分じぶんがしている「ありがとうございます」が、いっの「ありがとうございます」とすると、そうしたら無限むげん無限むげ