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真祈り文庫
真祈り文庫-2001年3月 3日 bP
時間の流れをどのように捉えるか、ということ
-ありがとうございます-
未来は決まっていると言う人もいますが、本当に決まっているのでしょうか?
ありがとうございます:
時間の流れをどのように捉えるか、ということに関わってきます。先ず宇宙の絶対神が時間と空間を組み合わせて宇宙を創っています。その中に時間の要素もあります。その時間の中に過去、現在、未来も同時に全部含まれており、どんどんと新しいものを生み出しているのです。
決まっていると言えば、絶対神が宇宙を創造した時点ですべて決まっています。最高理想の宇宙が先ず表現されて、それが順番に光の流れのように流れて消えてゆくのです。
だから時間を限りなくゼロに近づけた状態ほど、空間が無限に素晴らしく感じることができます。時間が長く感じる程、どんどん程度が落ちてゆきます。神さまの表現の中でどのような表現があるか、という事に関しては。
だから最高表現の宇宙というのは、限りなくゼロに近づいた時間で、最高の輝いた状態に入ってゆくということです。それが、どんどん消えてゆくにつれて光が少なくなってゆきます。そうすると時間が長く感じるようになるのです。
我々の住んでいるこの世界がどのような世界なのかと言うと、最高理想の世界から見るとかなり低い世界なのです。今、感覚的にみている世界のことです。そうすると時間的な流れも長く感じます。そこで、過去、現在、未来をみて、過去にこのような事があり、未来はこのような事がないだろうか、など色々と考えます。でも、その時間の流れというものも神さまの表現の全体からみると大したことはないのです。その最高理想の世界から順番に流れて来て、どんどんと消えてゆく過程で時間的な姿も、空間的な姿も全部あり、その途中で私たちは眺めさせてもらっています。
本当はすべてが最初から決まっているのです。その決まっている中からどれだけ自分たちが感じているか?それが一人一人の運命として味わっている姿なのです。だから一人一人の運命は、本当は幾通りもあるのです。
神さまが一人一人を創り上げて、そして最高のものを与えている運命が最高の運命です。これが宇宙絶対神が創り上げてくれたものなのです。現実的には無限の無限のプラスばかりの世界ではありません。これはどうしてなのか?と言うと、最高の姿をまだ受けていない、という事です。
かなり少ししか受けていません。それを心に受け入れて現実の感覚の世界に表し、運命として味わっています。だから、神さまが与えてくれている運命は決まっているわけです、本当の最高理想の運命というのは。ところが現実にはそれを受け切れていないという一面があります。それは、心の自由があって受け方に自由があるという事です。だから受け方さえ変えたら限りなく最高理想の運命に近づくことになります。
人間のもっている自由というのは、自分の運命を自由自在に変えてゆけるはずなのです。だから決まっていると言ってもある意味では正しく、自由に変えてゆけると言っても正しいのです。
だから、どの時点で決まっているかというと、最高理想は完璧に決まっています。そして今受けている運命は心の受け方次第で決めているのです。だから過去、現在、未来は自分の受け方次第でその人の運命は決まっていることになります。ところが、心の自由があるので受け方を変えたら又別の運命として過去、現在、未来を決めてゆけるのです。決まっていながら決まっていない。かなり複雑で幅広いのです。
「自分とは何か」というのが一番大事なのです
-ありがとうございます-
それでも、地球で生きているし、宇宙もあるわけです。全部を見ると地球の中の我々はまたひとつであるし、それは草や花やその他も全部一緒の筈ですね。そうすると今みたいに決められているとしたら、なんかつまらない、それであって目標が見えれば見えたで、現実の世界ですよね、そうすると、人類というか、我々はどこへ向かってゆくのでしようか。
ありがとうございます:
本当にそうです。
-ありがとうございます-
それについて、我々は何をしたらいいでしょうか。人類は地球では今一番知恵があって何かを伝えなければいけないことが沢山あると思う。私たちはどこに向かって行ってるのですか。何が理想なのですか、先生から見ると・・。
ありがとうございます:
「自分とは何か」というのが一番大事なのです。この肉体の人間が本当の自分なのか、また心とか魂の自分が本当なのか。またその奥にある命の自分が本当なのかどうか。
また人間以外の動物も植物も鉱物もみな自分ではないのだろうかと。自分という捉え方がかなり幅広くいろんな見方があるのです。
だから、本当の自分とは何かが一番難しいのです。自分探しが。本当の自分というのは、神さまから分かれて出てきた自分なのです。神さまと一体の自分が本当の自分の筈なのですが、神さまというのは全体ですから、すべてのすべてという全体が神さまであるというふうに捉えた方がいいと思うのです。そこから分かれて出てきたのが自分なのです、本当は。だから、神さまから出てきた自分は神さまの全部を本当は受け直せる、神さまとひとつになれる筈なのです。
「神さまがわかったら本当に自分がわかった」と言えるのです。目的も、神さまの目的と自分の目的が一致すると、正しい目的に到達できたと言えるのです。
-ありがとうございます-
そこが難しいのです。僕、今そこで猫を見ていて、じゃあ猫がここにいる、それは何なのだろう、でも多分猫は天命だとは思ってないでしょうけど、それが天命なんでしょうか。
ありがとうございます:
天命というのは、やはり神さまに限りなく近づいて行くということ。神さまの心がわかって初めて目的も天命もすべてはっきりするのだと思います。
本当は神さまが宇宙を無限に無限に輝いたものとして、一瞬一瞬新しく生み出しています。それを人間が、人間がといったらおかしいですが。自分が全部受け直して、最高に輝くのが本当は人生の目的でもあり、本当の生き甲斐でもある筈なのです。ところがそれを全部を受け直すのがなかなか大変というたら大変なのです。「忘れている」というところもあるのです。本当の自分はこの肉体の人間というのではないのです。魂もないし、命の自分というわけでもないと思います。
宇宙全体が本当はわかる自分だと思うのです。動物のこともわかり、植物のこともわかり、鉱物のことも何もかもわかって、その自分だったら、本当は宇宙全体が自分というふうになる筈なのです。全く自分と別個のものだったら、絶対にわからないと思うのです。だから神さまのこともわかり、宇宙全体のこともわかるというのは、自分がそれと一体化そのものなのです。
だから、幸せになりたいというのでも、幸せが奥にあって幸せを知っているから幸せを求めたり、幸せになろうとするわけで、答えはみんな自分の中にある筈なのです。みんな知っている筈なのです。ただ、表面の部分を掴んでしまって、全体を忘れてるというところがあるのです。
自分探しというのも、やはり全体を学んで掴んで一体化してゆくと、自分がはっきり分かってくるのです。目的も、神さまの目的があります。無限に無限に輝いた宇宙を間断なく生み出して、最高の輝いた状態を持続させるのです。
この世の人も本当は無限に無限に輝いた状態になりたいのです。人間が輝く為には、神さまから新たに新たに受け直しをしないといけません。一回受けてそれで終わったら次の輝いたものを受けそこなうので、どんどん輝きが失われてゆくというところがあるのです。だから常に新しい受け直しをし、最高に輝いた自分になる為には、やはり「ありがとうございます」という感謝が大事になってくるのです。
皆さんも、「人生の目的は何か」と考えたことがあると思います。本当の人生とは何か。答えが出てきても、本当にその答えでいいのか、と考えて見たら、大変です。だからこの世的な目的では、本当に納得できないのです。
浅い目的・小さい目的では、絶対に無理です、納得するにはどこか違うのです。この世だけで、どれだけ幸せがあっても、「ああ、これで満足」と、心は本当には納得していない・安らいでいないと思います。やはり神さまの本当の心とひとつにならないと、ピタッとひとつにならないと無理だと思うのです。
「神さまの御心とは何か」ということは難しいようですが、自分の中にそれを知っている自分がいる筈なのです。だから知っている自分はどうしたら出てくるのか。これは別に宗教の世界だけの話しではありません。科学者でも芸術家でも全部本当の自分を見出す為に、命をかけてそれに打ち込んでいるはずなのです。限りなく自分の心の奥深くへ心を向けてゆかないといけないと思う。この五感とか六感の感覚の世界というのは、やはり心へ受け入れた世界を投影する世界なのです。その結果なのです。受け入れたものの結果しか出て来ないのです。だからその心の奥には本物があるはずなのです。
「神」という本物が、最高の理想の宇宙が次から次ぎ生み出されて、本物の表現があります。その本物の表現を如何に感じ取るか、それによって心がすっきりと納得するようになってくるのです。
私も「ありがとうございます」という言葉を、小さい時から唱え続けてからもう何億回にもなっているのですが、「ありがとうございます」と、最初はやはりこの世的な幸せを願って唱えているのです。それで、病気が治ったら「ありがとうございます」です。この世的なものがいっぱい恵まれて必要なものを与えられて「ありがとうございます」です。
でも、それはものすごい浅い段階なのです。段々と奥へ奥へ心が向いてゆき、「ありがとうございます」の心になった時はもう無条件で「ありがとうございます」なのです。「幸せ一杯」という感覚が出てくるのです。だから、病気でも「ありがとうございます」と、「幸せ一杯」なのです。貧乏でも「ありがとうございます」でいいのです。どんな問題を持ってきても「ありがとうございます」になるのです。ただもう感謝だけで幸せで一杯なのです。心はもう幸せになってゆきます、「ありがとうございます」と、唱えているうちに、その自分はもう、肉体の自分でも魂の自分でもないのです、「感謝の自分」になっているのです。
その自分がどんどん「ありがとうございます」と感謝し続けているうちに、段々と神さまの光を感じてきます。神さまから放射されている光と輝きを感じるようになってきます。最初はちょっとした小さい輝きを感じるだけなのですが、「幸せ一杯・素晴らしいもの一杯・美しいものばかり」と感じるのです。
それが限りなく段々と大きい光体と輝きを感じるようになってきます。それは丁度太陽の輝きのような感じで、それを大きく感じるようになってきます。そして「みんな光り輝いている・みんな無限に輝いている」というように、それがありとあらゆる神さまの働きの全部が複雑に入り組んだ状態で、無限に無限に輝いている状態に感じられてくるのです。
そうすると神さまの御心というのが、「輝くこと」という感覚がやはり出てきます。その輝きを感じて自分も輝くことになるのだと。だから、最初考えていた人生の目的と、お祈りで感謝を深めて神さまの心をちょっとでも感じてきた時の人生の目的とは、ぜんぜん違うのです。
神さまの輝きを感じれば感じるほど、自分の目的なんか消えてしまう。もうすべて消えてしまって、ただ神さまの心を感じ取るのが目的に変わってくるのです。神さまの本当の目的とひとつになりたいというように。なかなか本当の目的を掴むのは大変だと思うのですが、限りなく神さまの目的に近づいてゆきたい、その為には、神さまの与えてくる最高のものを受け続けていたい、というように(変わってくるのです)。
-ありがとうございます-
それは人間にしか出来ないことですか。
ありがとうございます:
いや、これは違うと思うのです。自分という意識を頂いているということは、みんな平等だと思うのです。動物も植物も鉱物も意識がある限り、全部平等に最高のものを神さまのすべてを受けいれられると思うのです。
石ころでもその無限に輝いた自分が降りて来たら、石ころが「全部を知る石ころ」になるのです。人間は「単なる石ころ」と見るかも知れないですが、そこに神さまと同じ意識が降りて来るかも知れない。そうすると石が宇宙の全部を知っているということになります。
今私達が人間という中へ意識を持って降りています、この自分の意識が、あるときは動物の中へ入り、植物の中へ入り、石ころ一個の中に入ったとしたら、その自分は自由自在です。また大きく宇宙というのをぜんぶ中に持って、その中心に立てば、宇宙が自分の中にあるわけです。意識というのはみんな神さまの前に立った時は平等だと思うのです。そして、神さまから最高のものを必ず受けられるのです。
見させられているというよりも、本当は神さまの
-ありがとうございます-
自分の中に理想というのがあります、夢というか、わからないテレビの映像みたいなものがあります。夢もそうだろうと思うのですけれど、それは見させられているのですか。
ありがとうございます:
いや、見させられているというよりも、本当は神さまの最高のものは、既にあるのです。あるのですが、「それをどれだけ・どの程度感じるか」なのです。はっきり感じる人もあるし、おぼろげに感じる人もあるし、ぜんぜん感じない人もある。また大きく感じる人もあるし、ちょっとしか感じない人もあるし、それは受け方によってもう千差万別、無限に分かれているのだと思うのです。
-ありがとうございます-
じゃあ、元々持っているのをソフトというか、宇宙のソフトは自分の中にあると、しかしそれを感じられるかどうかは自分次第だと。
ありがとうございます:
そうです、だから自分の心の奥深くに新しいソフトが、どんどん生み出されてきます。だから、丁度これを例えとして、神さまの働きを小さい模型として例えてみると。
太陽があり地球があって、この世で私達はその太陽の光を感じて、実際の太陽と地球の大気圏に入って輝いている太陽とはまた違います。
それで私達は今ここで感じている太陽は、大気圏で乱反射を起こしてひとつの光体を作った太陽です。それでも、無限に無限に輝いたという感覚で受けられる太陽です。
それを神的に例えますと、肉眼に感じている太陽が無限に輝いているというふうに、素晴らしいと見るのです。
-ありがとうございます-
それはそうでしょうね、実際の太陽は大変でしょうから。
ありがとうございます:
それで、その奥に、太陽と地球の間に空間があって、その間に距離が無限にあると考えて、その光がどんどん送られてくるということは、新しい光体を作る為の本当の太陽から来る光が、無限につづまっているわけです、ところてん式に。その一番奥に本体があります。
だから「無限に無限に輝いた太陽を受け続けて欲しい」というのが本体の太陽の願いだと思うのです。それで、神さまも同じように、無限に無限に輝いた最高の理想の宇宙を与え続けて、それをところてん式に奥に無限につめ、どんどん新しいものを受けて欲しいということです。
ところが太陽一個全部を新たに新たに受け直して「ありがとうございます」と言える人が少ないのです。小さいものに囚われてしまい、太陽に背を向けてしまって、雲の中にはまり込んで、太陽を見えない状態にしてしまったり、物陰に入ってしまったりするのです。だから、人間がいろいろな思いを出すというのは、空に浮かぶ雲を作っているようなものです。それで、白雲の時は未だ明るいからまだ「幸せ」という感覚で思い通りになり、「ああ、幸せだな」という感じになるのです。けど黒雲になると「ああ、苦しい、大変」となるのです。
意識は何処へでも自由に移せるはずです。雲の中にも入れるし、太陽の中にも入れる。だから、人間が神さまから自由を与えられて、「最高の輝いた生き方をして欲しい」というふうに使命付けられているはずなのです。本当に輝くことを忘れて、つまらないものの中へはまり込んでしまう。それもある一定期間は必要かも知れません。雲の中にはまり込んで「ああ、苦しい、暗い」という体験があって初めて、太陽を感じ、また輝きを本当の意味で価値あるものとして受けいれられるのです。
人生の目的については、もの凄く悩んでいるのです
-ありがとうございます-
今日現在に至るまでの体験で、生身として、しんどい自分もあったでしょうし、不安もあったのですか、小さい時から?
ありがとうございます:
人生の目的については、もの凄く悩んでいるのです。ところが現実にはどんな苦労も苦労と感じていないのです。「ありがとうございます」という感謝の心があったお蔭で、病気しても苦しいとは思わないし、貧乏も苦しくないのです。だから、全部楽しいばかりで受け切ってきました。それはやはり「ありがとうございます」の感謝の心だったと思うのです。
現実的には浅い感謝でもそういう状態にしてもらいました、苦しまずにすんだのです。でも、何億回と感謝し続けてるうちに、「ありがとうございます」という本当の意味は、「究極の神さまの名前、最高の神さまの名前なのだ」というふうに感じられてきたのです。
いろいろな無限の神仏の名前があっても、それを全部束ねているのです、この「ありがとうございます」の神さまは。「ありがとうございます」と呼べば、すべての人に必要な助けを必ず与えてくださいます。
その人の「必要な助け」と、「願っている・欲しいもの」とは違うのです。神さまはその人が最短コースをたどって、最高の幸せにたどり着けるように、必要なものを与え続けてくださいます。だから、病気をしても「ありがとうございます」を唱えてすぐ治る人もあるし、治らない人もあるのです。治った方がいい人はすぐ治してもらえます。でも、病気してちょっと体験を積む方が感謝が深くなって、幸せが大きくなるんだったら、ちょっと延ばしてくれます。
そのように必ず本当の幸せが掴めるように必要なものを与え続けてくださいます。これが「ありがとうございます」という神さまの働きなのです。これはもう回数多く唱えている程、必要な助けを受け続け、必ず何かを掴んでゆけるのです。表面的な幸せにしても、心の奥深い幸せにしてもです。
流れをどこへ任せるかです。本当はそうなのです
-ありがとうございます-
僕、本当にノー天気だと思うんやけど、だけど目的があって「こうせなあかん」とかっていうのもあまリ規則持たないのですよ、ただ流れるままに、本当にノー天気だと思うんやけど、周りが大変なこと沢山起きるのですけど、「何とかなるやろう」という済ますことしてしまって、本当にいいんだろうか、まあ、自分の好きなことをやらしていただいてるんで、いいんだろうと思うけど、ノー天気みたいなことでいいんだろうかあ、とちょっと悩んでたのです。周りからあまリにもノー天気過ぎて、ぎゃあぎゃあ、みんなに言われているのですけど。今の先生の話し聞いてると、いいですね。
ありがとうございます:
流れをどこへ任せるかです。本当はそうなのです。だから、まず、神さまの最高の流れがあるのです。
無限の無限の輝いた光の流れがあって、それを受けてゆく心さえあれば、自然に良くなるように良くなるようにしてくださいます。同じ流れでも逆の流れもあります、マイナスヘマイナスヘゆく流れも。これは自分の思い通りにしたいとか、我が強すぎるとそういうふうに走りやすいのです。
-ありがとうございます-
あんまりにも好きなことをやっているから、我が強いとか言われるのですけど、自分の個の我ではないのです。そこのところがちょっと正しいかどうかよくわかってないのです。
ありがとうございます:
それは、ちょっとの違いなのです。
「ありがとうございます」という言葉を心に繰り返して唱えているとそれが正しくなります、必ず。
自由自在でいいのです。もう、どういう形でもいいのです
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」のお祈りをしたいのですが、それは、例えば時間を決めて家でやるようにしたらいいのですか。
ありがとうございます:
それも自由自在でいいのです。もう、どういう形でもいいのです。
まとめて沢山唱えて「ありがとうございます」でも、一心に閉じこもってするのもいいのです。また唱えながら何かしているのもいいし、寝ながらもいい。なんでもいいのです。
だから、どういう場であっても、どういう時でも「ありがとうございます」と唱えるのです。そうすると、最高の神さまは必要な助けをそこへ降ろしてくださいます。
この「必要な助け・必要なだけ」というのが大事なのです。ちょうど、もぐらが太陽の光をパッと持って来られたら困ります。もぐらだったら月明かりぐらいがいいのです。その光の加減までちゃんとし、必要なものだけを的確に与え、そして一回でも大きく受けられるようになったら、またさらに大きいものを与えてくださいます。どんどんどん必要なだけ与えられ、大きく変化させてくださるのです。
だから、「ありがとうございます」のお祈りも、「お祈りだと」こだわらない方がいいのです。もう自然な呼吸ぐらいの感じでいいのです。「ありがとうございます、ありがとうございます」と。一瞬一瞬そういうように感謝を選び続けさえすれば、後は必ず良くなるだけなのです。
修行してどうこうではないし、修行して悟らなければならないというものでもありません。修行して幸せになるのでもないのです、それはまさに逆なのです。
-ありがとうございます-
苦行は要らないのですか?
ありがとうございます:
はい、苦行もよかったらしてもいいですが。でも、無限の無限の幸せがもうすでに用意されているという大前提があるのです。ただ、それを受けられる自分になれば、「何でもスッと受けられるのだ」という自分になればいいのです。
大きい幸せを受ける為に先ず小さい幸せから受けて、本当の幸せを受けた時に、それが価値あるものとして受けられるようにするのです。そういう意味で小さい幸せをまだ味わってるのだというぐらいがちょうどいいのです。
-ありがとうございます-
出来るだけ数は多い方がいいのですか?
ありがとうございます:
数は多い方がいいでしょうが、あまりその数に囚われ過ぎるのも、ちょっとまたつまらない。本当は一回一回「ありがとうございます」と、その時に必要な助けを大きく頂けばいいのです。
だから、一回一回「ありがとうございます」と唱えるだけでいいのです。いつも「ありがとうございます」で。そうしたら、数にも囚われずに、今を大事に生きてゆけます。今必要なことは、今受けたらいいのです。だから「ありがとうござます」一言で必要な物を的確に与えてもらって受けられるのです。これが一番楽です。
各宗教には、いろいろな修行の仕方があります。自力の修行法も、他力の修行法もありますが、どちらも自分と神さまを分けています、出発点が。
でも、本当は神さまと自分と一体化した状態から出発するゆきかたが一番いいのです、「絶対他力」です。
「元から、神さまと自分とは切り離せなのだ」
「神さまに無限に無限に護られ続けている自分なのだ」
「護られているから、そして自由を与えられているからどんなことでも出来たのだ」
というところから出発するのです。これは本当に、無限の無限の幸せをいつも受けられる状態です。
ところが小さい幸せで、それを体験してみようというのも、自由にさせてもらえるところがあります。だから、地獄に落ちても、無限の無限の護りを受けながら降りてゆきます。その地獄の体験をちょっとすることによって、本当の極楽の幸せを価値あるものとして受けられるのです。
だから、「最初から神さまとは一体なのだ、切り離すことは出来ないのだ」という「絶対力、絶対他力」のゆきかた、これが「ありがとうございます」の感謝のゆきかたなのです。
他に何も要らない。「ありがとうございます」さえ持っていたら、絶対他力のゆきかたで、神さまの無限の無限の護りをいつも受け続けてゆけます。
本当の素晴らしい最高のものはこの世にあるのではなく、神さまの中にあります。神さまの最高表現の中にあって、それを感謝の心を起こして受けさえすれば、それが現実に降りてくるというだけなのです。
この世ではいろいろな事、マイナスが多く、悩み苦しみ、悲しんだり、未来のことを心配したりします。それは感謝を忘れた生き方から生まれた結果なのです。感謝さえすれば、無限の無限のプラスのいいものが、どんどんどんどん降りてきて現実化するのです。だから、感謝の心さえどんどん現実に降りていればいいのです。そうしたら、自然に良くなるしかないのです。
感謝は「ありがとうございます」の中に全部あるのです。健康が欲しかったら健康があるし、富が欲しかったら富があるし、いろんな発見が必要だったらそれもあるし、全部「ありがとうございます」の中に含まれています。その時に必要なものが必ず降りてきます。公害問題で困ったとしても、「ありがとうございます」を唱えているうちに、その公害をなくす方法が、いろんな方法で降りてくるのです。
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」を言葉に発しないといけませんか?
ありがとうございます:
いいえ、心でいいのです。「ありがとうございます」で、現実に全部プラスに置き換わるのです。
水でも(「ありがとうございます」と書いたシールをはると)その氷の結晶が素晴らしく美しい結晶として写ります。微生物でもそうです。本当は微生物でも、悪いものはないのです。元々は神さまの最高表現の中に生まれたのですから、微生物は全部プラスの働きをする微生物なのです。
だから「ありがとうございます」さえあったらみんなプラスに働くのです。ところがいろいろなマイナスのことを思い出すと、それをかぶった微生物がマイナスの働きをします。人間の体の中へ入って病原菌になるのは全部その人のもっているマイナスの思いがかぶって、その身代わりにそれを消すための働きなのです。
だから、感謝の深い人は病気にはならないし、なれないのです。微生物が全部プラスに働く。どんな病原菌でもそうなのです。病原菌だけではなく、もうすべてがそうです。神さまの生み出したすべてがすべて、本当はプラスの働きをするのです。
悟りは一生涯知れずと言います
-ありがとうございます-
「ありがとうございます」と、そこに全託していくと神さまの働きがあるということですけれども、先生は、神さまに全託出来たときの体験は・・・。
ありがとうございます:
悟りは一生涯知れずと言います。
だから、(悟りは)どんどん変化します。「ありがとうございます」を唱えているうちに。
-ありがとうございます-
何時それが大きく変化したのですか
ありがとうございます:
何時とは決められません。唱えれば唱えるほど変化しますから。
先ず、外の体験も変化しますが、内面もどんどん変化します。感じ方が違ってくるのです。
-ありがとうございます-
百日間断食されて、体が動かなくなって、このまま死ぬんじゃないかというとき、そういう時でも・・
ありがとうございます:
無いのです。死ぬという恐怖心も何も起こらないのです。
-ありがとうございます-
そういう時でも「ありがとうございます」、死んでも「ありがとうございます」、そういう感覚ですか・・。
ありがとうございます:
そうです。だから、肉体を自分が動かす感覚もなくなるのです。自分というのがなくなって、呼吸が止まっても、体は動くのです。不思議に。
-ありがとうございます-
あまり辛いとか、苦しいとかは・・。
ありがとうございます:
その時はないのです。「ありがとうございます」を唱えている限り、その中に入っているとないのです、苦しみも痛みも何もない。その時の自分は、「肉体でも、魂でもない」「感謝の自分だけ」なのです。
幸せというのは普通、条件付の幸せです。浅い段階で「こうだったら幸せ」というように。「ありがとうございます」をかなりちょっと唱え続けたら、無条件の幸せに必ずなります。条件が消えてしまうのです。「こうでなかったら」というのがない。「なんでも幸せ、何でもありがたい」となります。それでいて程度が低いかと言うたらそうでもない。どんどん奥へ奥へ導かれて、神さまの最高理想を感じ取れるように高め上げてくださいます。
だから、お祈り・感謝の功徳というのは、本当は内面の変化です。神さまを感じ取る功徳・神さまと一体化してゆける功徳です。
今の私の「ありがとうございます」は、一回一回が「無限の無限のありがとうございます」で、何億回ではないのです。積み上げた感謝ではありません。もう、奥からもらっている感謝に変わっています。
無限に無限に輝いた宇宙が、奥に無限に無限に続いている、それを感じ取ろうという感謝です。だから、一回の「ありがとうございます」が、もの凄い価値があるのです。回数なんてもう問題ではないのです。一回一回が「ありがとうございます」と、噛み締める感謝になるのです。
でも、誰でもそれを知っているのです、みんな。こういう話を聞いて、多分「ああ、そうだな」とみんな納得する。「ああ、自分もそうに違いない」と。必ず、そこへゆくのです。だから「無限の無限の幸せが一杯」という言葉でも、いろいろな意味合いがあるわけです。本当は「無限の幸せ」でいいはずなのですが、なぜ「無限の無限の」と二つ重ねるかというように。
神さまの唱える「ありがとうございます」
-ありがとうございます-
「ありがとう」と言うのにもいろんなのがあります。自分の為に都合がいい「ありがとう」が多いでしょう。自分を全部放り出して「ありがとう」と言えるって、なかなか出来ないんじゃないですか。
ありがとうございます:
段々と回数多く重ねているうちに感謝の心が変化するのです。もらって「ありがとう」から、与える方の「ありがとう」が自然に出てくるのです。与えることが「ありがたい」というように。
今度は、周りの人の幸せが「ありがたい」と変わってきます。自分の幸せではなく、周りの人の幸せの方が「ありがたい」というようにどんどん広がるのです。大きく、それはもう「ありがとうございます」をどんどんどんどん唱えているうちに、内面の変化がどんどん起こります。
-ありがとうございます-
素晴らしいですね。
ありがとうございます:
それで、最後は神さまの「ありがとうございます」に近づいてゆくのです。本物の「ありがとうございます」は、神さまの「ありがとうございます」なのです。神さまがどういうふうに「ありがとうございます」と言ってるか? 人の「ありがとうございます」という意味と、神さまの唱えている「ありがとうございます」の意味が、限りなく近づいてゆくのが大事です。
-ありがとうございます-
神さまの「ありがとう」とは、平たく言うとどういうことですか。
ありがとうございます:
神さまは無限に無限に輝いたものを与え続けて、受けてもらって「ありがとうございます」です。神さまのは、本当の意味で、与え続けるのが「ありがとうございます」なのです。
「ありがとうございます」の中に「愛」そのものも入って
-ありがとうございます-
「愛」とは違うのですか。
ありがとうございます:
「ありがとうございます」の中に「愛」そのものも入っています、全部入っているのです。「ありがとうございます」の中に、すべての働きが中に入っています。「ありがとうございます」と「愛」とはひとつなのです。「ありがとうございます」と「幸せ」もひとつなのです、もうすべてがひとつなのです。
いちいち数え上げなくても「ありがとうございます」で、必要だったら全部わかるし、部分的にもわかるし、一番楽なのです。「愛だ、愛だ」と言って、「愛を与えねばならない」と思うと、ちょっと力みが出たりします。でも、「ありがとうございます」の中に「愛」もあって、「与える愛」も「受ける愛」も全部あるのです。だから、もう自然に無理なくそれが出来ます。「ありがとうございます」は噛み締めたらどこまでも味の出てくる言葉です。
本当の責任は神さましか取れない
-ありがとうございます-
何回も、僕なんかも「ありがとうございます」という言葉