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()(いの)(ぶん)()

2001ねんがつにち


  あまてらすおおかみさまのあまてらすということだまかいしゃく


 あまてらすおおかみさまのあまてらすということだまかいしゃくをしてみたいとおもいます。

 「あ」とは、ひかりとかこうげんというになります。かみさまのひかりというのは、すべてのはたらきをそれぞれのひかりあらわすのです。じゅんぱくしょくとうめいかんじのひかりが、げんいろいにへんします。それがはたらきとしてひょうげんされるのです。「あ」というのは、ひかりであるとどうこうげん、つまりみなもとしているわけです。
 「ま」は、「まったき」つまりかんぜんな、かんぺきなというがあります。また、まるいとうのがえんそう(あらわ)します。ひかりちゅうそうぞうされ、かんぺききわまりない姿すがたをとっているのが「あま」ということになります。

 「て」というのはかがやくということであります。このにんげんもそうですが、ただかがやいているだけではなくはたらいているわけです。ひかりひとすじひとすじが、じゅうおうじんげんはたらいている。そのはたらきというのがだいなのです。ゆうざいげんはたらいているということが、かがやくというです。あまてらすおおかみさまはみずかかがやくとどうらすはたらきをしています。
 だからちゅうには、げんげんしきちゅうしんというものがそんざいします。しきちゅうしんです。そこから、げんげんかがやきががるようにているのです。がっているということは、みずからがかがやいているということなのです。かがやいてたものをのすべてにあたくす。それが「てらす」、らすというです。それぞれのげんげんしきちゅうしんのすべてがそれをするわけです。これはすごいことです。ひとつのちゅうしんからはたらきがあるだけでもすごいことなのに、げんげんちゅうしんぜんがそれとおなはたらきをしているのです。そしてみんなが、そのなかからげんげんかがやきがるようにて、なおぜんたいあたくし()ってこうりゅうするわけです。このようにしてひかりあやようまれます。これが、あまてらすおおかみさまのる、らすというはたらきなのです。

 「ら」とうのは、らぎょうおんというのはせんじょうれている姿すがた(あらわ)します。ちゅうのすべてがせんじょううごいているのです。ちょくせんというとたん調ちょうあじないかんじですが、せんじょうというあいげんみょうしゅあるはたらきになります。たつまきのようにちゅうしんからおおきくなってきて、どうしんえんげんひろがるのとています。それでいろんなちゅうしんからてきたなみによっていろんなわせができるわけです。ちょくせんどうわせだと、いっしょまじわるだけです。ちょくせんたん調ちょうなものですが、せんじょうになると、ひとつのちゅうしんからたものが、ちゅうしんからたものとこうりゅうしたときに、げんわせがしょうじるわけです。それがとてもおおきなはたらきとなって(あらわ)れるのです。
 
 「す」というのは、みきったこんげんちゅうしんというになります。あまてらすおおかみさまは、ちゅうのすべてをとういつしているわけです。だい調ちょうさせています。
 もともととうじょうするあまてらすおおかみさまのはたらきはどのようにっているのかというと、さいしょあめなかぬしのかみとうじょうします。これはちゅうぜったいしんです。ぜったいしんというのはひょうげんてきません。たとえてえば、うみぜんたいぜったいなしたときに、ひょうげんひょうめんなみになります。だからひょうめんくらべるとぜったいというのは、そこれぬふかさ、おおきさがあります。あめなかぬしのかみぜったいになります。そのなかに、ぜったいしんの、こまかくけるとげんのいろいろなはたらきがあるかみさまがいっぱいいるのですが、ぜったいというのはことではどうにもひょうげんないものです、ものすごいものです。そのぜったいからひょうげんまれてくるだんかいにあるのです。そこでそうぞうしんまれてます。

 それがではぎのかみさまとみのかみさまです。このふたつのはたらきがそうぞうしんはたらきになるわけです。さらぎのかみさま、みのかみさまのはたらきをそれぞれしんけ8×8すなわち64しんせつめいができるのです。ですからおおきくけるとそのしんそうたいりょうきょくかれて、それをわせるはたらきをしています。

 たとえば、ひかりやみがあればりょうしゃわせることで、げんげんひかりひょうげんわせすることができるのです。すべてのようぜんわせるのです。かんくうかんもそうであり、せいぜんあくおなじことがえます。すべてのよううとたくさんあります。そのすべてをわせてこのちゅうのすべてのひょうげんしているのです。このげんわせるはたらきがそうぞうはたらきなのです。ぎのかみさまとみのかみさまがそのはたらきをだいひょうします。

 そのそうぞうされたすべてがかんぺききわまりない姿すがたであり、それがあまてらすおおかみ(あらわ)すのです。あまてらすおおかみさまのぶんしんとしてのげんげんかみさまを、やおよろかみさまというひょうげん(あらわ)しているわけです。そしてやおよろかみさまそれぞれがいろんなかたちひょうげんするのです。またひかりかたちとはちょっとちがいます。やおよろかみさまのほうしょくとうめいとうめいかんのあるひかりなのです。そのはたらきによってかたちあるものすべてをすのです。このもあのぜんそうです。かたちある姿すがたすべてがやおよろかみさまのはたらきによってされたものなのです。
 その「す」とは、ぜったいからひょうげんまですべてひとつにまとめてとういつしていて、そのぜんぶんなかおさめているのが「す」というはたらきであるわけです。あまてらすおおかみさまが、ぜったいからそのひょうめんひょうげんまですべてをなかっているのです。だからあまてらすという、あまてらすおおかみさまがいにどんなかみさまもそんざいしないのです。ゆいいつの、ぜったいの、そんげんの、どんなことってしてもひょうげんしきれないほどだいかみさまがあまてらすおおかみさまです。
 
 だから、あまてらすおおかみさまのる・らすはたらきをことえるとかんしゃになるのです。かんしゃというのはなかからげんげんかがやきががるのです。それをあたえるはたらきをする、またからけるはたらきをするのです。だからひかりこうりゅう、それがかんしゃになるのです。ですから、「ありがとうございます」ということは、ちゅうのすべてとこうりゅうしているのです。
 また、ぶんなかからげんげんかがやきをし、がらせているのです。だから、ぶんだけのかんしゃなどないのです。つねちゅうぜんたいとひとつになって、かんしゃこうりゅうをさせてもらっているのです。これが、ほんとうちゅうしんそうじっそうであり、ほんとう姿すがたはこれだけなのです。
……ものすごいです……げんげんに、げんげんかがやきとっても、ほんとうそうぞうぜっするげんかがやきがほんとうそんざいする。でも、それがかんじられないのかと?それは、いままでかんしゃしてきてなかったからです。たんじゅんなことなのです。「ありがとうございます」というかんしゃつづけてふかめてなかったからいまかんじられてない、というだけです。
 ただかんしゃつづけたらかならひかかがやいたとうめいかいかんれるようになるのです。なにむずかしいことなどないのです。かみさまはしあわせをあたえるのになにむずかしいことなどようしていないのです。いちばんやさしいかんたんほうほうようしているのです。

 でも、つう「ありがとうございます」と、あまりにもたんじゅんぎてほんとうにそのいだしていないのです。どうしても「たよりない」「かんたんすぎる」「そんなちからあるはずがない」とどうしてもおもいがちになってしまうのです。ほんとうはそうではないのに。だれでも使つかえてゆう使つかえて、だれからももんわれない、だれはつめいしたものでもなく、さいしょからようされてまえにあるわけです。
 そういうだれでも使つかえてゆう使つかえてというかんたんなものがいちばんいわけです。それはかみさまがさいしょからようしているプレゼントなのです。それがあまりにもかんたんぎるといちばんさいにまわしてしまう。そこでほかほうほうためしてみたくなるのです。

 でも、それもまただいなのです。さいしょからさいこうのものをつかんでもがたすくないとおもいます。ちょっとまわみちをし、ろうしてきたひとほんとうがわかったときに、「なんらしいな、がたいな」とわかるわけです。それでちょっとゆうあたえてもらっているのです。
 さとりをひらためいろいろしゅぎょうがありますが、ほんとうは「ありがとうございます」だけでそのままさいこうさとりがひらけるのです。「ありがとうございます」のなかさいこうさとりがすでにあるのです。そのなかはいったら、そのままさとっていることになるのです。いまさらさとるのではなく、さとっているのです。さとったぶんしかほんとうはいないのです。

 ところがまよったりをして、もういちさとりのぶんもどろうとする。それがいろいろしゅぎょうほうほうとしてあるわけです。そしてりきぎょうほうがあり、りきぎょうほうがあるのですが、りきだとやっぱりむずかしいのです。さまがさとったようにこうあいだなんぎょうぎょうふくめ、ありとあらゆるしゅぎょうかさね、げんねんげつかさねて、さとりをひらいたのです。でも、それをやりたいひとはそれをじっこうすればいとおもう…たいへんですが。でもたいへんです。げんねんげつを、ありとあらゆるしゅぎょうかさねるのはとおくなる。それはちょっとあきらめてほかにもうすこかんたんほうほうは?とかんがえます。そしてつぎりきもんまれてきます。

 だから、さきさとったひとたすけをけて、ちのたちまでげてもうということです。ぶつもそうです。さまにすがって、そのさとりのきょうげてもらいます。だからぶつとなえるあいでも、あるていじょうけんがあるのです。
 ぶつとなえるあいでも、みっつのじょうけんじょうしん じんしん こうほつがんしんみっつのこころってぶつとなえなさいということなのです。これをえると「しんけんに」ということです。しんけんぶつとなえさえすればさまのきょうまでげてあげるということです。これがりきのゆきかたです。だからりきよりはりきがよいのです。 
 ですがりきときさまとぶんとはまだべっはなれています、たすけてもらいたいがわたすけてあげたいがわはなれている。ぐにげてもらえればいのですが、まだはなれているというかんかくぶんにとってはものりません。

 そのうえにもうひとつのぜったいりきかたがあります。ぜったいりきかたというのはかれていません。、というそうたいかたちではたいりつしています。ですが、ぜったいというのはたいりつがありません。さいしょからひとつになります。つまりすくわれるがわすくがわさいしょからひとつである、というかたです。じゅんりきぜったいりきというのは、さいしょからぶんかみさまといったいさとっているのだ、ということをれることです。
 だからしたからしゅぎょうしてのぼるのではなしに、さとったぶんがスッとてんからりてたらいだけなのです。だからぜったいりきかたは、「ありがとうございます」をれるだけなのです。さとったぶんれるだけです。いままではきょぜつしていたのです。もうちょっとむずかしいほうほうもとめ、いちばんかんたんほうほうきょぜつしていただけなのです。
 だから、あらためてもういっかいなおに「はい」とけるだけでいのです。みんなかみさまといったいなのだ、ということ。ちゅうのすべてとひかりこうりゅうをしてげんげんしあわいっぱいなのだと、みなすでさとっているということでいまさらさとるということではない。みんなすでさとっているのだということなおに「はい」とけるだけでいのです。それが「はい」とおがかたであるわけです。それをなおってよろこぶだけ。

 ですから「ありがとうございます」というかんしゃぎょうぜったいりきであるのです。もうすべてをあまてらすおおかみさまとおがむだけです。また、みんなからおがまれるだけです。だからぶんあまてらすおおかみさまであり、みんなあまてらすおおかみさまであると。しきがあるかぎりすべてがそうなのです。いしころひとつにしても、そこにしきがあるかぎり、そこからげんげんかがやきがまれてくるのです。ちいさいからひかりりない、ということではありません。げんひとつに、そこにしきがあれば、あまてらすおおかみさまのひかりげんげんまれてくるのです。
 これがかれているいわびらきげんです。いわびらきとはこうぞうで、ちいさいはこじゅんばんおおきくしていくとはこがどんどんえていくように、ちゅうちもこれとおなじようにこうぞうになっています。ですから、げんひとつのなかほんとうだいちゅうがあるのです。そのげんひとつのだいちゅうなかさらちいさいげんがひとつあり、このさらちいさいげんなかにもまただいちゅうがあるのです。このようにことではひょうげんできないこうぞうになっているのです。つまりそれがまでもつづくというこうぞうです。

 ですからどんなちいさいものでもあまてらすおおかみさまの、げんげんかがやきがそこにがるのです。すごことです。だからなおにそれを「はい」とけるだけです。ですからかんしゃというのはむずかしくないのです。それをけるだけ、みとめるだけなのです。

 いままではそれをみとめるのをきょぜつしていたというだけ。ただ「はい」とみとめるのはあまりにもたんじゅんすぎるのですけれども、げんらしいかたなのです。ですからほんとうさとりをはやひらきたいひとは、ぜったいりきかたえらぶのがい。ぜったいりきかたほかことであらわすと、しんとうかみながら、惟神道(かむながら)です。
 つまりすべてをかみさまにまかせたまま。ぶっきょうえば「くう」のかたろうさんでえば「」のかたいっさいよくてたかた。キリストきょうえば「あい」のかた、「ぜんたく」のかた。すべてをかみさまにまかせきったかたです。かみさましかない、かみさまのはたらきしかそんざいしないというかたです。これがほんとうぜったいりきかたになってゆきます。

 おもい、ねがいをぜんあいにしないほうがいいのです。あいにするとつかんでしまう。おもいをそうとおもうとつかんでしまいます。ねがいをてようとするとねがいをつかんでしまいます。だから、なかなかしんよくこころになるのはむずかしいことなのです。そうとおもうからつかんでしまってなくなる。あいにしなかったらいいのです。
 そのためにはおもいをてんかんすればいのです。おもいをかんしゃほうえたらいのです。いろいろねがまえに、かんしゃほうえてゆけばいいのです。さきさきかんしゃしてゆくと、おもいもねがいもえてしまいます。くなるのです。だからかんしゃひとすじきるのがさとりへのみちになります。さきかんしゃしてしまえばち、になります。

 いまだいはかなりせいしんてきかたになってており、たとえばイメージトレーニングなどいろいろほうほうあみされています。でも、それはまだおもいのかいのことです。そのおもいのほうそく、つまりかならおもったとおりになること。なにおもってもおもどおりになる。プラスをおもったらプラスになるし、マイナスをおもったらマイナスにもなります。ぜんおもどおりになるのです。
 ただおもどおりになりたいというひとは、ことおもってことじつげんしたいひとです。マイナスはいやなのです。そうしたらプラスをおもいつづければプラスがじつげんします。かならおもどおりになる、それがイメージトレーニングのようにいろいろほうほうされており、またイメージどおりになったというじっしょういっぱいがっています。でも、それはまだおもいのかいのことであり、かみさまのひかりかいにははいっていないのです。

 おもいは、やっぱりことどおおもたいからどんどんしたちていき、くらかいにゆくことになるのです。だからどんなおもいでなにじつげんしても、どんどんちいさいかいせまかいへとちてゆくことになります。ちょうどそらかぶくろくものようなじょうたいになってゆきます。おもいがかさなればかさなるほどくろく、くらくなってゆきます。そのうちに、あめりドシャりになり、したいっぱいになります。だからおもいはかるほういのです。ちょっとおもくらいであればうすぐもしろかがやきのあるくもになります。ひかりうすぐもかがやいているときうつくしいのです。そらくもまったくなかったらあじないかもしれないから、すこってもいかもしれません。
 
 ちょっとしろくもただよっているのがうつくしい。でもいつまでもくもなかはいんでいてはです。くもからはなれてひかりがわからながめるとくもうつくしいのです。くもなかはいぎると、せまくなりくらくなってきます。だからぶんおもいのなかいてはになってしまうのです。ひかりなかきながら、ときどきおもってみるのがいい。そうするとおもいもしろかがやいてえるから、おもいもマイナスにはならないのです。いつもかんしゃなかきながら、さいていげんひつようなことはおもってもべんきょうしてもなにしてもよいのです。

 なにもないというのはひかりだけのかいですから、このからそつぎょうしなければなりません。かんぜんにこのからそつぎょうしたければ、かんしゃひとすじになればいのです。そうしたらにくたいえてしまうかもしれません。ちょうどがいせんのようにとうめいになって、スッとえてしまうかもれない。たいのこさずにあのってしまう。でもまだこのにくたいのこしてしあわせをかんじていたいのなら、ちょっとはおもいをのこひつようがあります。だから、かんしゃひとすじきながら、ちょっとはプラスのおもいをいだけばいい。するとうつくしいしろくもたなきながら、ひかかがやいたかいぶんことができるのです。

 しあわせというのは、ひかりだけのかいにいるとほんとうしあわせをかんじなくなります。だからやみかいくもかいひかりかいみっつのかいぜんとおしてぜんたいつかみながら、ひかりかいむのがよいのです。だからいままでおもいをし、ろうきてきたのはそのためなのです。さいしょからひかりかいにだけいたのでは、ほんとうひかりかいがたなにもわかりません。とらかたあさくなります。だからいちやみかいちて、おもいのかいにはまりんで、そしてもういちひかりかいければいい。それがちがあります。

 たとえば、にくたいってこのまれしゅぎょうさとったおしゃさまは、もういちあのもどったとき、このまれずしてあのさとったかみさまよりも、おしゃさまのほうかくうえになります。すばらしいたいけんをして、ほんとうさとっている姿すがたがたをわかっているからです。このまれてくることなくしてさとったとよろこんでいるかみさまよりも、はるかにかくうえになるのです。
 だからこのまれてたということしあわせなことなのです。でもさとらないとがないのです、もういちひかりかいもどらなければならない。そのもどほうほういちばんやさしいほうほういのです。むずかしいほうほうかんかるから。そこでぜったいりきかたえらべばよいのです。「ありがとうございます」というたんじゅんことをくりかえとなえるだけで、かみさまからちゅうぜんたいからおおきなたすけをられるのです。だからかみさまのたすけというのはからでもやってるのです。ぶんわせてちゅうぜんたいかみさまのたすけをあたえてくれているのです。

 たとえば、ごくちたあいいまごくぶんにどんなたすけがひつようなのか?まだひかりきらい、うらみたいというなかで…そのようなときまわりのひとぜんぶんのマイナスをかたわりして、わりになってくるしんでいる姿すがたをとってくれます。だからごくきているひとひとしあわせなひとはいません。もうみなって、くるしんでいます。ほんとうはみんなぶんわりなのです。まわりのおおぜいひとぜんです。おおきいマイナスをって、それでたすつづけてくれるわけです。だからごくちたときはそういうたすけがひつようだから、かみさまがそういうたすけをしてくださるのです。
 でも、こんはもうちょっとひかりれてくると、かからすくいのひかりったほとけさま、さつさまがりてくるわけです。それをれられるしんきょうになれれば、こんはそういったプラスのひかりったたすけがどんどんまわりからあらわれてきます。だからそのときぶんなにひつようなのかということは、かみさまがてっかくいています。じゅんばんひつようなものをどんどんどんどんあたえつづけ、そしてたすつづけてくれるのです。
 
 ただかみさまは、きょうせいがない。ゆうしばらない。ゆうそんちょうしてくれます。ほんとうゆうしばられたらしあわせとはえないのです。どれだけしあわせにしてもらっていても。ゆうざいなんでもなおほんとうしあわせをあじわえるようにしてもらわないといけないのであって、そういうかみさまのほうゆうしばってこないのです。ぶんゆうえらべるけんがあります。
 だから、いまぶんがどのようなたちかれていても、みなぶんえらんでたのです。しゃたくいつです。それをなんおくかいげんかえしてたのです。かならしゃたくいつえらばせてもらってきたはずです。
 たとえば、かんしゃすればいのにしないのは、「かんしゃしますか?」とかれて「かんしゃしません」とっているだけ。「みぎにゆきますか? ひだりにゆきますか?」とかれたときみぎにゆけばしあわせなのに、ひだりにゆきますとめているのです。このようにぜんぶんえらんでているのです。
 おおきいことちいさいことのすべてがしゃたくいつぶんえらつづけてたわけです。それでいまぶんがここにそんざいしています。だからもういっかいぶんえらなおせばいわけです。いものにプラス、プラスと。かんしゃえらべば、(ほう)っておいてもプラスプラスにいてしまいます。あまこまかくこれはプラスか、マイナスかとえらぶのはたいへんだから、おおきくまとめてかんしゃひとつをえらんだらいいのです。「ありがとうございます」をえらつづけたらすべてがプラスにいてしまうのです。
 「ありがとうございます」ととなえることさえわすれなければ、どうころんでもプラスにくのです。ここがまたらしい。「ありがとうございます」とうことはさとりへのとっきゅうれっしゃったようなもの。ってしまったらでんしゃなかを、どっちにはしってもかんけいない。うしろはしろうがころがろうがなにしようがかっさとりへとすすんでしまいます。でも、ちゅうりたらいけません、たまにちゅうしゃするひとがいて・・・・。
 でも「ありがとうございます」ととなえるのはたのしいでしょ?「ありがとうございます」というのはさとっているほんしんぶんからるときゅうなのです。ほんとうは、きゅういのちきゅうなのです。きゅうめるとくるしい。だからぜんまかせるときゅうというのはしあわせなのです。よろこびががってきます。
 このまえしんぶんっていたちいさなしょうがくせいきょうだいが、おきゅうめるれんしゅうをしていて、おぼにました。きゅうめるとさんけつじょうたいで、だんだんからだうごかなくなります。それをきょうそうしていたようです。なんかいかはくるしくなってかおげられますが、だんだんさんけつからだうごかなくなります。さいときまでぎりぎりきゅうめると、どうかなくなるものです。ぜつしてしまいます。
 だから、かんしゃというのはほんしんぶんにとってはきゅうだから、きゅうめるかんながいとくるしくなってきます。くるしいだけでなく、こんぜつします。ほんしんしきくなってくるのです。そうするとたいへんです。きゅうきゅうしゃはこんでもらわないといけません。じんこうきゅうほどこしてもらっても、なかなか「ありがとうございます」とえないひとおおいのです。ぐ「ありがとうございます」とえるひとは、ぐにフッとよみがえります。まだきゅうまっていないからです。ぜつしているかもれないけれど、きゅうつづいているわけです。しんぞううごいているし、まだだいじょうなのです。
 ところが、ぜんぜん「ありがとうございます」がないひとがあります。そのあいきゅうかんぜんまっています。しんぞうまりそうかもれないし、すでまっているかもれません。だから、しんぞうマッサージやじんこうきゅうほどこさなければなりません。それをかんしゃひとが、いっしょうけんめいじんこうきゅうをします。「ありがとうございます」といなさいとってもえないから、わりにってあげるのです。それがじんこうきゅうほどこしていることになります。
 それでいきがフッとよみがえったら、ほんにんす。でもほんしんしきはまだめていません。しきもうろうとしています。まだぶんからよろこんでがるようなかんしゃはしません。でもだんだんつづけているうちに、しきもどってきます。それでかんしゃよろこびそのものなのだということがわかり、「ありがとうございます」とうことがたのしくてたまらないようになってくるのです。そうなったらもうだいじょうです。かんしゃげんげんふかまってゆき、しあわせがいっぱいというかんじです。そこまでかんしゃをしてゆかなければならないのです。それをるだけはやくそのじょうたいまでってゆくと、ぶんだけでなくまわりのひとはやしあわせにるようになるのです。


      

     いのをりするぶんはどのぶん

-ありがとうございます-
 おいのりのときぶんなかでどのようにおいのりをするのでしょうか?

ありがとうございます:
 おいのをりするぶんはどのぶん

-ありがとうございます-
 ぶん

ありがとうございます: 
 いやー、ぶんではないのです。それは、ほんしんぶんほんとうぶんです。いのちぶんです。ただたましいいのちぶんおおい、にくたいおおっているわけです。したうわのように。でもにくたいぶんいのっているのではないのです。いのりは、いのちぶんいのります。いのちぶんちゅういったいなのです。すべてといったいなのです。
 だからぶんいのりはちいさいぶんいのりではありません、みんなきょうつういのりになるわけです。ぶんいのことみんないのっていること。みんないのっていることぶんいのっていることになるわけです。ぶんの「ありがとうございます」のなかみんないのりがけっしょうされているいのりになっているのです。またみんないのりのなかぶんいのりがはいってっていのっています。

 どのようにいっかいの「ありがとうございます」をあるものとしてけるか、これもぶんせんたくするのです。えらぶ。どっちがい?ちいさいいのりがいのか?げんげんあるいのりがいのか?げんげんあるいのりなのだというちで「ありがとうございます」ととなえたらいいのです。くちしてもよいし、こころなかってもよいし、かみうえいてもよいのです。どのようなかたちでも「ありがとうございます」ということせばいのです。そこにあまてらすおおかみさまがかがやいているのです。

-ありがとうございます-
 こころなかとなえてもよいのですか?

ありがとうございます:
 いいのです。

-ありがとうございます-
 かんなどは?

ありがとうございます:
 でもいのです。

-ありがとうございます-
 だんせいかつなかわるくちうと、こうがなくなるといたのですけれど。

ありがとうございます:
 こうがなくなるというよりも、どちらをえらぶかです。
 
-ありがとうございます-
 いっかいでもってしまうとこうがなくなる、というはなしいたことがあるのですが?ぜんゼロになるとか。
    
ありがとうございます:
 「ありがとうございます」は、あまてらすおおかみさまがりてて、げんげんひかりはなつわけです。()ったりするのはおもいいなのです、おもいというのはちいさいものです。そらかぶようなちいさなくもをちょっとつくるだけ。だから、どっちにちからがあるかといえばいっかいの「ありがとうございます」のなかげんちからがあります。おもいよりも、げんおくまんばいちからがあります。にそのようなおもいをげんかさねても、るにらないことなのです。いま「ありがとうございます」にえてゆけば、おもいはかんたんぜんえてしまいます。

-ありがとうございます-
 まいにち「ありがとうございます」ととなえていたとていしたあいいちねんいちおこったりったりするといちねんかんかんしゃがパーになるといたことがあるのですが。

ありがとうございます:
 ならない、ならない。

-ありがとうございます-
 それはちょっとおかしいとおもっていたのですけれど。
    (じゃ、なんかいもパーですかね?)
    いや、まいにちパーになってしまいます。

-ありがとうございます-
 ぶんがすべてえらんできているというのはくつではかいできるのですが、ときになぜこんなひとぶんまえあらわれるのか、とおもうくらい、そういうたいしょうあらわれたりしたあい、「ありがとうございます」のことをそのひとたいしてにくじょうきょうしょうじたとき。……ほんとうかんしゃできるちというのは、そのかんしゃちをかえことによってまれてくるのか、あるいはかたとか…どもきょういくするさいにもおしえてあげたいし……もっとなおかんしゃできるちをわたししんちたいしどもにもってもらいたいのですが、そのためにはどうしたらいのでしょうか?

ありがとうございます:
 もう、くつきで「ありがとうございます」をとなえたほうちになる。「ありがとうございます」をかいすうおおとなえたら、ぜんプラスにることがぶんわってしまいます。もうすべてをプラスにしかけられないぶんになってしまう。それはくつきなのです。くつってもこうすくないのです。それよりいっかい「ありがとうございます」をとなえるほうちからがあります。

-ありがとうございます-
 そのひとぶんたいりつするようなひとであってもですか?

ありがとうございます:
 そうです。もうかんけいにです。あい