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()(いの)(ぶん)()

2000ねん12がつ16にち

      般若心経はんにゃしんぎょう解釈かいしゃくもたくさんています

 般若心経はんにゃしんぎょう解釈かいしゃくもたくさんています。それぞれにいろいろわれていますが、本当ほんとうふかいおいのりをして、天照あまてらす大御神おおみかみ直感ちょっかんしたら、世間せけんている解釈かいしゃくでは物足ものたりないとかんじます。
 
 くう(とら)かたでも、くう(とら)えていることがおおいのですが、無限むげんのプラスを生み出う  だ無限むげん無限むげんのプラスがくうです。そこにこころけなければ、本当ほんとう般若心経はんにゃしんぎょうのありがたさもわかりません。あさ解釈かいしゃくだと、その文章ぶんしょうんでいて矛盾むじゅんかんじます。()()()くしで、肯定こうていするところと否定ひていするところの接点せってんがなかなかわかりません。

 宇宙うちゅう法則ほうそくいているもので、感謝かんしゃのおいのりを指し示さ  しめすものではありますが、日本にほん言葉ことばではないので、わかりにくくすこしズレがあるかもしれません。仏教ぶっきょうおしえの凝縮ぎょうしゅくされたものとわれますし、実際じっさいにそうだとおもいます。ぜん宗派しゅうは超越ちょうえつして、般若心経はんにゃしんぎょうとなえてもいいのですが、本当ほんとう意味いみがわかって、おいのりにはいるほうがいいとおもいます。般若心経はんにゃしんぎょうとなえることや、写経しゃきょうにも実際じっさいちからはあります。
 
 わたくしあね小学生しょうがくせいころ中耳炎ちゅうじえんから脳膜炎のうまくえん併発へいはつして、その当時とうじ治療ちりょうすすんでいないし、脳膜炎のうまくえんというと頭蓋骨ずがいこつをノミと金槌かなづちあなをあけて、なかくさったところを取り出と  だすのですが、これはもう絶対ぜったいぬからと立会人たちあいにんをつけて手術しゅじゅつをしてくれて、そのもこれは絶対ぜったいぬからと入院にゅういんもさせてくれないので、いえれてかえりました。
 わたくし両親りょうしん信仰しんこうしんふかかったので、かみさまの指示しじけておいのりをしながらていましたが、そのとき子供こどもにもとなえさせたのが「摩訶まか般若はんにゃ波羅密はらみつ心経しんぎょう 羯諦羯諦波羅羯諦ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあてい」これだけでした。これはやはりいのりの言葉ことばなのです。それでぬとわれて「なおっても絶対ぜったい正常せいじょうにはならない」とわれたのが、後遺症こういしょうのこらずなおってしまいました。医学的いがくてきたらどうかとおもうのですが、いまも元気げんきらしています。
 
 だからとなえることにはちからはあるのです。全文ぜんぶんいたりとなえたりすることで病気びょうきなおったり、そういう奇跡きせきはたくさんこっているのですが、本当ほんとうさとりは病気びょうきなおるとか、このてきにいろんないいことこることくらいでは満足まんぞくできないのです。
 本当ほんとうさとりをため言葉ことばなのです。おおきい加護かごがあっても、あさいん加護かごではなく、本当ほんとう奥深おくぶかいものをかんじてさとりを本当ほんとうひらくまでその言葉ことば活用かつようしないといけません。この言葉ことば本当ほんとう意味いみをしっかりつかんでその真髄しんずい実行じっこうするという、究極きゅうきょく感謝かんしゃ徹底てっていしてふかめてゆくことです。だから、ありがとうございますが般若心経はんにゃしんぎょうのすべてになるのです。



つねいまあらたに最高さいこうのものをあたえられている

 つねいまあらたに最高さいこうのものをあたえられているので、ありがとうござい「ました」と過去かこすこしでもこころけてしまうと過去かこなにかをつかんでしまいます。いまプレゼントされている最高さいこうのものを受け取う  とれないで、あらたなものを見失みうしないます。最高さいこうのものをけずに過去かこなにかをつかんでしまいます。いま最高さいこうのものを受け取う  とほうがいいのです。そのなか最高さいこうかがやきがありますから、ありがとうございますといま一瞬いっしゅん現在完了げんざいかんりょうてき姿すがた受け取う  とるのが大事(だいじ)なのです。

 宇宙うちゅうはじまりとわり(完成かんせい)つねいま一瞬いっしゅんです、いま一瞬いっしゅんなか包含ほうがんされます。無限むげんむかしから無限むげん未来みらいまで全部ぜんぶを、うちっているいまがあります、永遠えいえんいまです。あらたないま最高さいこう表現ひょうげんのすべてがあります。

 過去かこつかんでしまうと、全体ぜんたい無限むげん無限むげんなかのひとつの残像ざんぞうつかんだ姿すがたのままです。すべては言葉ことば(どお)りになるというのが鉄則てっそくですから、ありがとうございますの言葉ことばほうが、いまここにすべてをという最高さいこう表現ひょうげん感じ取かん  とひびきがあります。
 ありがとうございますを無心むしんとなえてそのひびきをキャッチするといいのです。ありがとうございましたと過去形かこけいにすると過去かこ姿すがた部分的ぶぶんてきつかんでいるひびきなので、あらたにすべてを受け取う  とひびきとはすこしズレます。いつもあらたないまここに絶対ぜったいのものを感じ取かん  とほう大事(だいじ)なのです。


      神社じんじゃだれでも自由じゆう分け隔わ  へだてなくだれでもどうぞと

 神社じんじゃだれでも自由じゆう分け隔わ  へだてなくだれでもどうぞと差別さべつしないかみさまの意思いしかがやいているところです。かみさまのすくいをける接点せってんです。かみさまのたすけがあちこちいろんなところに、神社じんじゃという模型もけいとしていてあって、きなところへって自分じぶんきなようにたすけをけなさいという、絶対ぜったいしんこころかがやいています。ちいさいひかりでよければちいさいひかりをおく場所ばしょおおきいひかりがよければおおきいひかりをおく場所ばしょと、いろんな用意よういされています。
 その場所ばしょにふさわしいそれぞれのはたらきのかみさまがおかれていますが、どこの神社じんじゃでも本体ほんたい宇宙うちゅう絶対ぜったいしんとしての天照あまてらす大御神おおみかなのです。感謝かんしゃさえあればそこから天照あまてらす大御おおみかみさまが降臨こうりんする場所ばしょで、すべてがりるところです。
 
 かみさまの名前なまえはそのはたらきを(あらわ)しています。絶対ぜったいしんはたらきは無限むげんにありますから名前なまえ無限むげんにあり、八百やおよろかみさまが無限むげんかみさまとしてそれぞれに神社じんじゃという模型もけい分身ぶんしんしています。ありがとうございますは、そのどこからでも必要ひつようなだけかみさまのはたらきが必要ひつようなだけけられるという限定げんていのない言葉ことばです。
 ありがとうございますをとなえることで、どこの神社じんじゃからも自分じぶん必要ひつようひかり的確てっかくあたえられます。世界せかいでもるいない日本にほんのこういうめぐまれた生き方い  かたひろがって、世界中せかいじゅうがこのようになるといいとおもいます。


     だれでも役割やくわりはあります。このまれた

 だれでも役割やくわりはあります。このまれたということも、地球ちきゅうまれたということも、意味いみがあります。自分じぶんりきんで、ああしようこうしようでは()いのです。ありがとうございますととなえてゆくなかで、天照あまてらす大御おおみかみさまがおおきく必要ひつようはたらきで、そして全体ぜんたい調和ちょうわするように自然しぜん仕組しくまれてゆくのです。だから必要ひつよう()かったらかたちとしてはなにもせずているまま、すわっているままでもいいのです。みな一度いちど(うご)()したらいそがしいのです。
 
 いろんなかたち姿すがたがあっていいのです。それぞれの過去かこなかでもそれぞれの役割やくわりえんじきっています。マイナスの世界せかいならマイナスをえんじるのも役割やくわりです。移り変うつ  かわるままに自分じぶんあたえられた役割やくわり忠実ちゅうじつえんじきっています。これからも必要ひつようなものをえんじます。役割やくわりをえんじて自然しぜん移り変うつ  かわってゆくのです。
 感謝かんしゃいのりをつづけてゆけば、プラスのはたらきがおおきくなるだけなのです。ちいさい自分じぶんひとりの生き方い  かた満足まんぞくするのではなく、本当ほんとうしあわせというのも自分じぶん無限むげんしあわせを、まわりのすべてのひとしあわせに見出みいだして無限むげん無限むげんしあわせになってゆく、それが無限むげん無限むげんしあわせのひとつの意味いみなのです。自分じぶんひとりで体験たいけんできるのは無限むげんしあわせですが、みな無限むげんひとが、自分じぶんわりにちが無限むげんしあわせをあじわってくれていて、それを全部ぜんぶ自分じぶんしあわせに取り込と  こむのです。そうすると無限むげん無限むげんしあわせになります。
 
 みんながことなる生き方い  かたをとってくれるのがありがたいことなのです。それを全部ぜんぶ自分じぶんしあわせに取り込と  こんでしまえばいいのです。みな自分じぶんよろこびにしてしまえばいいだけなのです。ありがとうございますのこころ()いとそれはすこむずかしいのですが、ありがとうございますをとなえているだけでそうなれるのです。
 
 努力どりょくなにらないのです、そうかんじてしまいます。普通ふつう努力どりょく大事だいじというのですが、ちいさい自分じぶんちから努力どりょくしますとっても出来できないとき、ああ自分じぶんはダメだ努力どりょくりないとマイナスをおもってしまいます。でも自分じぶん努力どりょくというのがどこからているかというと、かみさまからいただくばかりなのです。
 そうであれば全部ぜんぶかみさまからもらえばいいのです。かみさまに努力どりょくさせていただいているとえばいいのです。りきつらさもなにもなくかみさまに努力どりょくさせていただいてるだけ、努力どりょく必要ひつようなら自然しぜん努力どりょくもらって努力どりょくさせてもらう。かみさまに無限むげん努力どりょく自然しぜんにさせていただいて、いいものがいっぱいてくるのです。かみさまからけたらいいのです。

 ありがとうございますのこころかみさまの努力どりょく自分じぶん努力どりょくとしてけるものです。ありがとうございますがないと、この置き換お  かえがむずかしく時間じかんがかかります。にが体験たいけんんで努力どりょくしても出来できない、努力どりょくすら出来できないどんぞこまでちたら、努力どりょくというものは自分じぶんでするものでなくかみさまにさせてもらうものだと気付きづきますが、そこまでゆくのにかなりいろんな体験たいけんまないとづくことが出来できません。
 ありがとうございますを無心むしんとなえているだけでその置き換お  かえが自然しぜんにしてもらえます。自分じぶん努力どりょくしていたものが、かみさまにさせていただいていると自然しぜんかえる、一番いちばんかわかたなのです。ありがとうございますがあればおくからのおおきなはたらきはいつもいつもりて(はたら)いてくれます。感謝かんしゃなかから努力どりょく役割やくわりも、自然しぜんまれてたされてゆきます。


      輪廻りんね転生てんしょうがある番組ばんぐみもありますし、ない番組ばんぐみもあります

 輪廻りんね転生てんしょうがある番組ばんぐみもありますし、ない番組ばんぐみもあります。でも、たか番組ばんぐみだとありません。絶対ぜったいから無限むげん無限むげんかがやきになって、すべてが一瞬いっしゅんしあわせな姿(すがた)てくるだけです。過去かこもありません、過去かこつかんだ世界せかい輪廻りんね転生てんしょうがあります。たましい生まれ変う  かわりもいろんな生まれ変う    かわりがあります。一人ひとりひとりのひとたましいがあのっていくつかのたましいかれてなんにんにもなってまれてきたり、たくさんのひと友達ともだちなどがひとつのたましいになってまれたりもあります。
 たましい過去かこからのこと、おも人間にんげん感情かんじょう合体がったいしたもので、いのちとしての意識いしき中心ちゅうしんはあるのですが、このようにおおきくなったりちいさくなったりしています。あたらしいものをくわえたりふるいものをてたり、どんどん変化へんかしてゆきます。そういうたましい肉体にくたいはいってまたいろんな体験たいけんをして変化へんかしてゆきます。

 すべての次元じげん輪廻りんね転生てんしょうがあるのではなく、過去かこつか次元じげんに、そういう番組ばんぐみなかにある姿すがたです、まだひく次元じげんです。そういうところへ意識いしきけるとある番組ばんぐみです。
 みんなまだこの姿すがたでも過去かこつかんでいますから、輪廻りんね転生てんしょうもあったほうがいいとかんじるかもしれませんが、輪廻りんね転生てんしょうをしてたましいみがかなくても、おいのりがあればはたらきをあらたにあらたに見出みいだせるので、過去かこ姿すがた必要ひつようないのです。そういう輪廻りんね転生てんしょうをしない世界せかいがあります。
 

      かみさまの最高さいこう表現ひょうげんである『ありがとうございます』

 かみさまの最高さいこう表現ひょうげんである『ありがとうございます』のなかには、無限むげん無限むげん繁栄はんえいがあります。科学かがく姿すがたなかにも、無限むげん無限むげん進歩しんぽした科学かがくがあります。
 いま科学かがく幼稚ようち真実しんじつをわかっていません。この姿すがたがどのようにまれてきたかなどかっていません。どこからてどのようにわさってまれてきたかというところかっていません。
 
 原子げんしをどうこうっても、そのおくがずうっとあります。そのおくわからなければ、想像そうぞうもつかないのです。いっ水素すいそ原子げんしにしても、水素すいそ原子げんしみなおなかおかというと、水素すいそ原子げんしいっいっすべてちがったかおです。ひとかお一人ひとりひとりちがってはたらきがちがうように、原子げんしいっもすべてちがっています。おくへゆけばゆくほどおなじものはなにひとつないのです。
 
 ありがとうございますのなかから科学かがく進歩しんぽし、必要ひつようなものいものだけが発明はつめい発見はっけんというかたちでどんどんりてきます。ありがとうございますという感謝かんしゃなかから科学かがく進歩しんぽし、芸術げいじゅつもあらゆるものすべてがよくなります。ありがとうございますをみなとなえたらみな天才てんさいになり、無限むげん能力のうりょく発揮はっきするようになります。
 
 過去かこつかんでいるものをはなさないといけません。それが邪魔じゃましてあたらしい最高さいこう自分じぶんてきにくくなりますから、ありがとうございますで、つかんでいるふるいものを全部ぜんぶしていただくのです。そしておくからあたらしいよいものがだんだんてくるようになり、ふるいものとあたらしいものとの置き換お  かえが出来できます。過去かこ沢山たくさんんでいるから時間じかんがかかるとかではなくて、ありがとうございますとうことが上手じょうずになると一瞬いっしゅん置き換お  かえてもらえます。となえているとだんだんと自然しぜん変化へんかしてゆきます。


      本体ほんたい自分じぶん必要ひつよう体験たいけん自然しぜん積み重つ   かさねて

 本体ほんたい自分じぶん必要ひつよう体験たいけん自然しぜん積み重つ   かさねてゆきます。いつまでもおなじことを勉強べんきょうするわけではありません。かなら順番じゅんばん進歩しんぽするように、おくからのはからいがあります。おくにある本体ほんたい自分じぶんればよくわかります。それまでは表面ひょうめん部分ぶぶんだけを自分じぶんおもうのでわかりにくいですが、だんだんとはっきりしてきます。
 
 真理しんり言葉ことばはいろんな方便ほうべんたとえを使つかいますから、ひとつの方向ほうこうからひとつの立場たちば指し示さ  しめしても全体ぜんたい指し示さ  しめすのはむずかしいことで、全体ぜんたいあきらかにするには、いろんな立場たちばからいろんな方向ほうこうけて指し示さ  しめさないといけません。全体ぜんたい同時どうじつかめて、全体ぜんたいぞう同時どうじ把握はあくできたら本物ほんものです。

 人間にんげん使つか言葉ことばも、プラスの言葉ことばマイナスの言葉ことばといろいろあります。全部ぜんぶそれぞれにただしくて、プラスだけがいいのではなく、マイナスの番組ばんぐみもちゃんとありますから、言葉ことばでそのなかなにかを指し示さ  しめしています。ただ、ぜん人類じんるい使つか言葉ことば全部ぜんぶあつめて表現ひょうげんしても、すべてを表現ひょうげんできてはいません。人類じんるい使つか言葉ことば指し示さ  しめしているものはすでにありますが、もっとほか沢山たくさんあります。マイナスのもっとひどい姿すがたもあるし、おおきなプラスの沢山たくさんある姿すがたもあります。
 
 どれだけおおきなプラスの言葉ことば駆使くしできるかが大事だいじです。無限むげん無限むげんしあわせととなつづけたら、無限むげん本当ほんとう意味いみがわかってきます。言葉ことば使つかわなければ、ただしあわせとうだけでは、ちいさいあさしあわせでわってしまいます。
 言葉ことばおおきく使つかったほうがいいのです。ありがとうございますととなえるだけでもいいですが、その中身なかみを「あらたな全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきがいっぱい」と徳性とくせい順番じゅんばんかぞえあげるのがいいのです。「あらたな無限むげん無限むげんしあわせ」「あらたな無限むげん無限むげんよろこび」というようにしあわせもよろこびも徳性とくせいですから、その徳性とくせいをたくさん数え上かぞ  あげたらいいのです。
 
 おいのりのひとつの過程かていなのですが、そうすることでありがとうございますの中身なかみおおきくふかくなります。そうすることで、ありがとうございますの中身なかみがどんどんかわってゆきます。ここにします天照あまてらす大御おおみかみさまとうと、「ありがとうございます」と「天照あまてらす大御おおみかみさま」が合体がったいします。
 けれど、天照あまてらす大御おおみかみさまとっても、それぞれで受け方う  かたちがうので、無限むげん無限むげん偉大いだい姿すがたとしてけるこころになれば本物ほんものです。どこそこの神社じんじゃかみさまとうとちいさく部分ぶぶん(とら)えていることになります。その意味いみでおきょうむのもおなじです。
 
 みんなそれぞれ本当ほんとう感謝かんしゃのおいのりをおしえてくれているのですが、つかみきれていなかったところがあります。「あらたな無限むげん無限むげんなに(なに)」というとなかた大事だいじです。いろんなほんんだり勉強べんきょうしたりするよりも、ありがとうございますを実際じっさいとなえることが大事だいじとうといことです。
 法然ほうねんさんの生き方い  かたがそうです。南無阿弥陀仏なむあみだぶつひとつに絞り込しぼ  こんだところが素晴すばらしいのですが、自分じぶんさとためにはすくわれるためにはどうしたらいいかと、その当時とうじ日本一にほんいち博学はくがくえるあれだけのひとが、なやみになやんでいろんなことを修行しゅぎょうしてきて、「ああ自分じぶん実行じっこうできるのにやっていない」というおもいにとらわれ、もう一度いちど大乗だいじょうきょう繰り返く  かえなおして、自分じぶんすくわれるみちはどこにあるかと、そしてはっと気付きづいたのが南無阿弥陀仏なむあみだぶつだったのです。
 
 その過去かこ全部ぜんぶてきって、大乗だいじょうきょう全部ぜんぶ暗記あんきできているようなひとが、だれなに質問しつもんされても「わたくしなにりません」と南無阿弥陀仏なむあみだぶつとなえるだけでした。そこまで絞り込しぼ  こんで本当ほんとう生き方い  かたなのです。南無阿弥陀仏なむあみだぶつとなえることが数多かずおおくのほん理解りかいするよりもとうといことがわかったということです。おきょうにはかれていませんが南無阿弥陀仏なむあみだぶつよりもありがとうございますのほう素晴すばらしいのです。

-ありがとうございます-
  現世げんせてきにどんな現象げんしょうでもたましい番組ばんぐみかってますか?

ありがとうございます:
 はなたねいたときはゼロです。そこからてマイナスにかってびます。あたまひかりほうプラスにかいます。がどんどんひろがってふかはいるほどおおきく花開はなひらきます。マイナスに突き進つ  すすんで世界せかいひろげていくことも大事だいじなのです。それで本当ほんとう成長せいちょうがあって、はなむすびます。

 ながると、ゼロのたねのところから出発しゅっぱつして、自分じぶん世界せかいをどんどんひろげるのですが、順番じゅんばんたるほういたときと、かげはいったときと、成長せいちょうというのはこのように螺旋状らせんじょうすすみます。マイナスにえるときおおきいプラスへゆく過程かていなので、かならとおらなければならない必要ひつようなところなのです。
 どのようにえるときでも前進ぜんしんしています。ながいトンネルをけたらやみからひかりえますから前進ぜんしんしているのですが、そのみち一人ひとりひとりちがいます。ひとつとしておなみちはないので、他人たにんあゆみちすこ参考さんこうにするのはいいのですが、自分じぶんあゆみちとはちがいます。
 ありがとうございますですべてをプラスにて、自然しぜん自由じゆう生き方い  かたのほうがいいのです。ありがとうございますはそういう自然しぜん自由じゆう生き方い  かたへともどしてもらえる言葉ことばなのです。ありがとうございますはもとめるこころのない、かみさまからけるだけの言葉ことばですから、どんどんまえへと進歩しんぽするのです。  




     むかしから「ありがとうございます」はあります

 むかしから「ありがとうございます」はあります。南無阿弥陀仏なむあみだぶつだけではなかなか、本当ほんとうふかさとりにははいれません。日本にほん神道しんとうのありかたがありがとうございますです。ふる神道しんとうという意味いみではありません。べつ根源こんげんはたらきとしてのかみみちなのです。

 いま日本にほん神道しんとうおおきくふたつにかれていますが、それも世界中せかいじゅうのあらゆる宗教しゅうきょうをすべてなかおさめて、おおきく包容ほうようしたゆきかたをとれるのが神道しんとうなのです。全部ぜんぶかせるのです、すべてを自分じぶん部分ぶぶんとしてっています。それが日本にほん信仰しんこうりかたとして定着ていちゃくしているのです。これはおしえでは()いないので、かたちはありません。そういうこころがずっとつづいているのです。
 
 だから、日本人にほんじん全部ぜんぶ受け入う  いれて変化へんかするのです。世界せかい宗教しゅうきょう全部ぜんぶはいってきています。おおきいちいさいはべつとして、そのはいってきたものを全部ぜんぶ消化しょうか吸収きゅうしゅうして、かしきっていくというところがすごいのです。そういういきかた神道しんとうのありかたなのです。
 ふるというくちうえ十字じゅうじがありますが、くち言葉ことばです。言葉ことば超越ちょうえつして縦横無尽じゅうおうむじんはたらきがなのです。それがかみさまのちょくのはたらきです。人間にんげん言葉ことばであれこれえるものではないのです。人間にんげん言葉ことば超越ちょうえつしています。そのうえ縦横無尽じゅうおうむじんはたらいているはたらきが、本当ほんとうかみさまのはたらきです。


      一人ひとりひとり生き方い  かたはそれぞれの自由じゆう意志いし全部ぜんぶ

 一人ひとりひとり生き方い  かたはそれぞれの自由じゆう意志いし全部ぜんぶちがっていて、おな生き方い  かた絶対ぜったいにありません。不運ふうんかかえてきるひともあるし、じっくりとえてゆくひともあります。急速きゅうそくかわってゆくひともあって、みんなちがうからいいのです。
 
 ある意味いみでは、かみさまがみなあらわれて、たのしんでいろんな体験たいけんんでゆくということもあります。おなひと二人ふたりいると無駄むだなのです。かみさまのおおきいしあわせは、一人ひとりひとりのしあわせをそのなか全部ぜんぶ包容ほうようしたしあわせなのです。だからいろんなひと必要ひつようです。
 ひとつマイナスがあるとほかがよくえたりします。マイナスがないとみんな普通ふつう当たり前あ    まえ価値かちえてしまいます。マイナスがあることによっておおきい価値かち発見はっけんさせてくれるいいはたらきといえます。マイナスはそういうふうにプラスにみるためはたらいてくれます。価値かちしてくれます。

 地獄じごくほとけという言葉ことばがありますが、地獄じごくにいてほとけ出会であったときが一番いちばんしあわせなのです。極楽ごくらくほとけ出会であってもありがたいとおもいません。太陽たいようもそうです。なつ太陽たいようはあまりありがたくないから感謝かんしゃしないですが、さむふゆ太陽たいよう本当ほんとうにありがとうございますという感謝かんしゃ気持きもちになります。いつでも感謝かんしゃできるというためには、地獄じごくって、さむふゆって、はじめていつも感謝かんしゃできるのです。まわりに意地悪いじわるいやひと一人ひとり二人ふたりいるほうがいいのです。いつも謙虚けんきょ気付きづかせてくださるのです。そういう意味いみ病気びょうきでもひとつくらいっているほうがいいのです。あたま病気びょうきなかでも阿呆あほうというのがいいのです。阿呆あほう本当ほんとうはいい言葉ことばで、最高さいこうのほめ言葉ことばなのです。バカだとうま鹿しか動物どうぶつ程度ていどですが、阿呆あほうあらたなひかりをいつもたもっているという意味いみです。


      ひと地球ちきゅう縮図しゅくずといいますが、自分じぶんちいさな

 ひと地球ちきゅう縮図しゅくずといいますが、自分じぶんちいさな世界せかいおおきい世界せかい縮図しゅくずです。マイナスがおおきくたときほど、本当ほんとうよろこぶのが大事だいじです。こころめたものをおおきくしてもらっているときです。自分じぶん身の上み  うえきたときもそうですし、まわりにそういったマイナスがときも、みんな自分じぶん身代みがわりに、おおきいマイナスをしてくださったと感謝かんしゃします。ふるいいらないものをどんどんしてくださって、あたらしい役割やくわりあたえてもらえるので、災厄さいやくやくではなく、厄年やくどしというのはあたらしい使命しめい役割やくわりのやくなのです。

   あたらしい役割やくわりたすためには、ふるいものをさないといけません。ふるいものをしてもらうのを誤解ごかいして、マイナスにるのです、それが災厄さいやくやくです。そうではなくふるいものをしてもらうのはありがたいことで、そのあたらしい自分じぶんて、おおきい役割やくわりたすわけです。
 だからあたらしい役割やくわりけるのが厄年やくどしです。それで生き方い  かたおおきくかわるのです。このてきて、あたらしいことをはじめて成功せいこうして世の中よ  なかおおきな貢献こうけんをするひとても、厄年やくどし節目ふしめなのです。例外れいがいもありますが、本当ほんとうはそういうふうに仕組しくまれているのですが、受け方う  かたによってすこしズレるひともいます。


      テレビをていて、なかにはまりこんでしまうのと

 テレビをていて、なかにはまりこんでしまうのとよくているのですが、すこ客観的きゃっかんてきはなして余裕よゆうがあれば、人生じんせい移り変うつ  かわりとかみさまの番組ばんぐみのひとつにはちわしてているのだ、というくらいにおもえると執着しゅうちゃくはなくて、たのしむだけなのです。
 べつ自分じぶんでこれをえようとおもわないで、ただたのしむだけ、プラスにプラスにけてただたのしむのが一番いちばん自然しぜん理想りそう生き方い  かたなのですが、もしちがうものがたければ番組ばんぐみえたらいいだけということに気付きづけばいいのです。それに気付きづかないときにははまりみすぎていることになります。
 そういうときだれかにかたたたいてもらうといいのです。たたかれると気付きづきますが、熱中ねっちゅうしているときたたくとおこられますから、いい時期じきたたいてあげるといいのです。でもかならだれかがたすけてくれますから、どんどん気付きづかせてくれますから、そのときもともどればいいのです。

-ありがとうございます-
 番組ばんぐみをあげるようなはたらきをかんじたら、現状げんじょうしあわせでもえるべきですか?

ありがとうございます:
 あのだとなかなか進歩しんぽできないのは、自分じぶんまわりがそういうおな姿すがただけしかないからです。しあわせでもおなじレベルのしあわせがいっぱいです。それだとそれに満足まんぞくしてあがろうとしません。
 この特別とくべつもうけられている教室きょうしつということで、いま自分じぶんのレベルもあるし、もっとたかいのもひくいのもあるのをることで、もっとおおきいしあわせもあるんだと気付きづ練習れんしゅうをしています。そうするとあのってもこんな程度ていどのものではなく、もっと無限むげんのたくさんのレベルがあるとわかっていたら、どのレベルでも進歩しんぽすることが出来できます。

-ありがとうございます-
 十七じゅうななさい少年しょうねんこしたいろいろな事件じけんも、体験たいけんたのしんでいるのですか?

ありがとうございます:
 本人ほんにんもいろんな勉強べんきょうをしていますし、その背後はいご霊魂れいこんもいろんな体験たいけん勉強べんきょうしています。そのほかにそれを事件じけんとしてみるひともいろんな勉強べんきょうをします。自分じぶん身代みがわりにああいう姿すがたをとって自分じぶん気付きづかせてくれているとか、自分じぶんおおきいマイナスをしてくれたとか、人類じんるい全体ぜんたいのマイナスをそこに集中しゅうちゅうしてかみさまがしてくれているのだとか、いろんなプラスの見方みかたもマイナスの見方みかた出来できます。ある意味いみでは全部ぜんぶ自分じぶん勉強べんきょう材料ざいりょうともいえるし、いくらでも勉強べんきょう出来できます。


      マイナスはなに心配しんぱいないのです。自分じぶん

 マイナスはなに心配しんぱいありません、自分じぶん好き好す  このんでそういうところへゆくのであれば、そういう世界せかい地球ちきゅうではないほしってしまうようなこともあるでしょうが、いま地球ちきゅうはどんどん進化しんかする姿すがたをとって変化へんかしていますから、また、ありがとうございますのちからいままでよりもどんどんおおきくつよくなっています。
 いままでのありがとうございますのちからいちとしたらそれが拾百千じゅうひゃくせんとなっています。それだけおおきなはたらきをびたらマイナスはるにらないものです。さっとひときでえるようなかんじです。どんどんよくなります。

 地球ちきゅうというよりも、一人ひとりひとりの意識いしきがマイナスにきてきて、それをのぞんでいるからそうなるのです。たくさんのマイナスを体験たいけんすることで、プラスへのあこがれがつよてくるのです。このへんでマイナスの体験たいけん充分じゅうぶんという時期じきになっています。マイナスはもう、りませんというくらいがいいのです。相手あいてにしないほうがいいのです。

 予言よげんというのはそのとおりになるようにおもうのですが、本当ほんとう意味いみがありません。予言よげん必要ひつようないのですが、そうなるとこまるので、ある意味いみではくつがえため予言よげん必要ひつようなのです。マイナスがこるとうのであれば、それをプラスにえるための予言よげんなのです。える方法ほうほう無限むげんにあるわけですから、プラスにえてしまいましょうというのが本当ほんとう予言よげんのありかたです。予言よげんされたときかならずプラスにかわります。

                   ありがとうございます

                

ありがとうございます

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