ありがとうございます
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()(いの)(ぶん)()

2000年1月23日


   ありがとうございますということひろげる

 ありがとうございますということひろげるために、ほんとうなにもないボランティアグループなのですが、なにもないとまわりからみとめてもらえないから、かたなしにさいきんつけたまえなのです。かんしゃこころからさせてもらっているから、「ありがとう ボランティアグループ」というまえにさせてもらったのです。
 ほんとうなにもなしですすめたかったのです。とくに、しんとうかたじっこうしてそれをみんなってもらいたかった。しんとうというのはふるしんとうではなく、しんとうかたちがないのです。かみさまのげん素晴(すば)らしいものがりてきている、そんな姿すがたしんとうです。かみさまのおもいやり、かんようこころおおきいあいかがやいているというだけがしんとうです。ぜんさいこうかすじょうたいしんとうのありかたなのです。

 じゅういっせいかがやだいだといわれています。わたくしもそれをそうとして、じつげんするためにいのらせてもらってきたのです。()かんしゃの「ありがとうございます」というほんきわめたいとかんしゃぎょうをやりいてきたのです。「ありがとうございます」ということしんさはそうぞうぜっするものがあります。ことがたくさんこるのです。
 いちねんかんあめれなかった、くところかならてんになってしまう。また、と、でんしゃやバスのダイヤがわたくしわせてうごいてくれるのです。

 そのころはあさゆうに「ありがとうございます」だけだったのです。それがだんだんとふかめられてきて、さいきんは、「ありがとうございます」のほんとうしんずいは、ちゅうおおがみさまのさいこうひょうげんあまてらすおおかみさまというまえあらわれたとするなら、「ありがとうございます」というのは、「あまてらすおおかみさまします」というおくからいてきたのです。
 「ありがとうございます」のおくちゅうさいこうしんはたらきだったのです。かみさまのはたらきのげんげんかがやいたじょうたいが「あまてらすおおかみします」=「ありがとうございます」をとなえることです。
 
 かんしゃぎょうじっこうつづけているうちに、おくからもげんげんかがやきが、どんどんってきているのがわかるようになるのです、そして、ほんとうしあわせは、かんしゃしんずいなかにあるのです。だからわたくしこわいものらずです、いのちなにもいらない、それでいて、げんやすらぎがいつもあるのです。
 
「ありがとうございます」をじゅうねんぐらいまえからつたはじめて、かんしゃいのりの素晴(すば)らしさを、パンフレットをつくったりシールをたくさんつくったりして、おもてずにかげからじっこうさせてもらってきたのです。


    にんげんかみがみまれわるためになにひつよう

 にんげんかみがみまれわるためになにひつようか、がくてきしんついきゅうしてそれをきわめるひともありますし、いろんなかたがありますが、まずいのことちからというものをかつようしたほうがいいとおもうのです。

はんにゃしんぎょうだいいちぎょうに、

かんざいさつ。    ぎょうじんはんにゃみつ
しょうけんうんかいくう。   いっさいやく

とあります、このはんにゃみつというのがいのことになります。かんざいさつというのはひとひといのちぶんほんとうぶんせいなるぶんかみなるぶんです。このぶんかんざいさつ)が、はんにゃみつふかいのるのです。このはんにゃということは、ちゅうぜったいしんの・かみさまのというです。というのはげんひろがるというです、げんげんにというです。みつというのはしんずいというです。
 
 だから、かみさまのげんげんいのりのことせいずいを、たくさんぜて、というようなかんじなのです。たとえば、げんげんしあわせがいっぱい、ととなえますとこのはんにゃみつになるのです。これをふかいのると、ふかくというのはこころおくふかくなのです。どうしたらふかいのれるかというと、たんでんきゅうのときにこころふかくなるのです。
 このとききゅうめたほうがいいようです、きゅうめたときのほうこころふかおくしずまるのです。きゅうつづけることはできませんが、しずかにほそながつづけます、このときいのこととなえたり、めいそうしたりするのです。このときこころおくふかくにはいっていのりのこうおおきくなります。
 
 いのことふかいのりになるように、かえとなえていますと、うんかいくうというちゅうのすべてがかみさまのあらわれということがわかってきます。じっさいかんれてくるはずです。

 だから、

 しきくう。 くうしき。 しきそくくう。 くうそくしき
  というのが、なぜくうしきいっしょになるのか、これは(すこ)むずかしい。これが、ふかいのりになったらくうしきがピッタリうのがよくわかるのです。

 げんじつ姿すがたというのは、かみさまのひょうげんかんけいとともに、えていくのもあり・つかんだものもあって、というふうに、ざんぞうあつまってできています。だから、いまいっしゅんあらたにあらわれたものとはほどとおいのです。いまいっしゅんあらたにあらわれたものがくうなのです、くう姿すがたです、それとひとつになったしきほんものなのです。だから、いまあらたにあらわれたものをとらえるかたひつようになってきます。
 だから、かんしゃほんとうは、ふるいものをかみさまにおかえしして、そして、つぎあらたにあらわれてくるものを、もういっかいあらたになおすという、そのかえしによってあらたなまれわり・えがなされて、おくかみなるぶんかがやいててきます。そうしますと、とらわれない、こころゆうざいやすらぎがてきます。


     わたくしはもう「ありがとうございます」をなんおくかい

 わたくしはもう「ありがとうございます」をなんおくかいとなえているかわからない、となはじめてから、まいにちまんかいくらいとなえますから。それも、「あまてらすおおかみさまします」というちでとなえています、みんなあまてらすおおかみさまなんだというのが、「ありがとうございます」のおいのりなのです。それはにんげんだけではなくて、どうぶつしょくぶつこうぶつも、ありとあらゆるものがあまてらすおおかみさまのぶんしんというか、あまてらすおおかみさまそのものなんだというおがかたです。
 そうやっておがんでいると、ぶんこころがどんどんきよめられて、たかめられ、おおきくなってゆきます。そうなってくると、ほんとうあまてらすおおかみさまの姿すがたかんじられてくるのです、みんなひかかがやいてえます。
 
 「ありがとうございます」をなんねんつづけているときに、ぜんひかかがやいてしたことがあります、くうまでもがひかかがやおどっているようなかんじでせてもらったことがあります。でもそれは、ぶんてきでまだあさかたです、ほんとうは、ちゅうぜんたいとらおおきいちにさせてもらうほうが、もっとしあわせです。 
 だから、「げんげんしあわせ」とはどういうものか、ほんとうは、「げんしあわせ」それだけではかれないおおきいものだとおもうのですが、それでも「げん」だけではりないようにわたくしかんじるのです。なぜ「げんげんの」とふたかさねたかはいく(とお)りものがあります。
 
 たとえば、ぶんげんしあわせをつかんだとします。そうしたらほかのひとひとひとげんしあわせをつかみます。だから、ちゅうげんひとがいたら、ほかのひとしあわせまでもぶんこころしあわせにさせてもらったら、それは、けっして、げんだけではわらない、「げんげんの」となります。
 どうぶつしょくぶつこうぶつも、かみさまのあらわれであるかぎり、それぞれのげんしあわせをっているはずです。にんげんだけではなく、どうぶつしょくぶつこうぶつげんしあわせをんだら、「げんげんの」となります。「げんげんしあわせ」としてはいってきます。
 
 にんげんは、にくたいだけではなく、ほんとうは、れいこんぱくという姿すがたいちばんおくに、かみなるぶんがあって、そこからいろんなげんぶんなみとしててきます。げんぶんそんざいし、このにくたいぶんはそのひとつのあらわれです。げんげんそんざいするぶんがそれぞれ、げんしあわせをかんったとしたら、「げんげんしあわせ」です。

 またかんてきって、げんざいらいげんひろがります。いまぶんしあわせだったら、ぶんらいぶん、それぞれげんかんぶんしあわせをとらえたら、それも、「げんげんしあわせ」となります。
 
 また、ちゅうこうぞうというものが、こうぞうというものでできています。げんきゅうしゅくでもある・きゅうちゅうしゅくでもある。このているちゅうがどういうちゅうのどのぶんにあたっているかわからない。まだうえにはうえがあるかもしれない。
 このちゅうげんしあわせをつかんだとしても、げんちいさいちゅうもあり・げんおおきいちゅうもあり、どこまでもはかれないちゅうがあります。これを、げんこうぞうとらえたときにまた、しあわせがげんげんひろがります。
 
 そして、しあわたいがそれぞれかおちがいます、げんしあわせのかおがそれぞれちがい、しつりょうふかみもぜんわってきます。だから、ひとつのしあわせという姿すがたてきても、げんふかみがてきたらそこに、げんげんとなります。げんおおきさ・ひろがりがてきたら、そこにげんげんとなります。しつげんたかまりがてきたら、げんげんとつけないとひょうげんできません。
 
 「げんげんしあわせ」というがどんどんてきます。かみさまのあたえてくれる「げんげんしあわせ」がどこまでおくぶかく、はかれないものか!いまったのはそのいちです。まだまだ「げんげんしあわせ」がかみさまのほうから、ちょうどてんからたきるように、そそがれています。それにいたときがほんとうしんとうだいで、しあわせになるだいになります。
 
 これを、ことひょうげんするのはむずかしい、てんからげんげんかがやいたひかりたきのようにっている、ものすごいうなりのようなゴーッ!という姿すがたせてきます。これをことひょうげんせてあげるのはむずかしい、でもわたくしはわかるのです、じっかんするのです。だから、なんてしあわせなんだろうといつも、なみだながすぐらいかんしゃしているのです。


     これからは、きゅうじょうひとぜんがそんな

 これからは、きゅうじょうひとぜんがそんなちにえられていくだいです。じゅういっせいしんとうだいというは、まさにかみよみがえってほんとうしあわせをかんれるように、おくからえてくださる。いままでのように、したからげてうえにあがるのではなく、てんからりてってくるようなかんじで、ぶんしんえてもらうのです。

 しゅうきょうのありかたでも、しゅうきょうかいひろまっておしえがまれて、そのおしえでしばって、わることをしないように、まともなみちあるくように、というけだったかもしれないですが、これからはそのようなしばりのない、そういうしばりからかいほうされたじょうたいゆうになるとおもうのです。
 だから、じんじゃぶっかくとかぶつぞうとかのかたちけいひつようなくなって、ちゅうぜんたいかみさまのしん殿でんであり、かみさまそのものとかん()(かた)まれてくるのではないかとおもいます。それで、しんとうかたちがない・ゆうなんだというようにえられてゆくとおもいます。
 
 だから、こうしているのもかみはからいだったとおもいます。しんとうかみがみさまがすばらしいかいえるために、おおきいけいかくうごいているのです。こういうボランティアてきほうこころつよかたおおぜいあつめられて、しんとうかみがみさまにまもられて、かいそうてき姿すがたえるためのつくりをさせてもらってるようなかんじがするのです。しんとうかみさまのこころあらわすためになにかおつだいをさせていただくためなのです。まつしたでんまつしたこうすけさんのはいには、ひゃくめいじょうしゅれいがついていたというのですが、こんかいは、しんとうかみさまがげんについています。
 
 だから、こうさくとかしっぱいというのはいっさいないとおもいます。じゅん調ちょうせいこうせいこうかさねて、かいのすべてのひとたちをしあわせにするためのおおきいうんどうになってしまうとおもいます。ここにあつまっているひとたちはみんなたましいかがやいています、じゅんぱくかがやいています、これはこうきゅうしんれいたましいです。
 そういうひとたちが、ぶんはおかねもうけを(すこ)かんがえているかもしれないけれども、はいからおおぜいかみさまがまもまもっておおきいごとみちびかれて、ここにおられるとおもうのです。げんじつごととはべつおおきいはたらきもどうにさせてもらうのです。ここにさんさせてもらうだけでしあわせをかんじていますし、こうしてえんをいただけることはものすごいことだとおもうのです。

* こんかいはなしのなかいちゆうめいさくじょしました。それによりひょうげんわりました。また、のおはなしもゆうめいきょくりょくさくじょします。


     ちいさいころからことどうしてもらったり

ありがとうございます:
 ちいさいころからことどうしてもらったり、いろいろありました、ちょっかんあいもあります。いろんなかみさまからとっても、いろんなだんかいがあります。ちいさいころは、いろんなところからいろんなどうけて、ちがことおしえられるのです、あるかみさまはこうしなさいとう、べつかみさまはべつことう、はんたいことうからまよいます。
 
 だからそれはぶんはんだんするひつようがあります、ちいさいときまわされたりしましたけれど、いまぜったいにそれはありません。ぶんはんだんして、いろんなどうさんこうにはできますが、いちばんたいせつなのは、どれだけぶんがみんなをあまてらすおおかみさまとしてあがめているかなのです。あとのことえだおもえます。
 さしがどうたからといって、それはどっちでもいいというかんかくなのです。ただ、ぶんかみさまに使つかってもらって、(すこ)しでもみんなのしあわせのおやくてたらそれでいい、というかんかくなのです。


     みんなそうなのです、わたくしはみんなかがやいて

-ありがとうございます-
 せんせいは、かんぜんさとられたじょうたいだとおもうのですが、まわりのかたでそのようなじょうたいになっているかたもいらっしゃるのですか?

ありがとうございます:
 みんなそうなのです、わたくしはみんなかがやいてえますから、みんならしいのです。

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」というおいのりは、どんなしょで、どんなかたちでなさっているのですか?

ありがとうございます:
 おいのりのには、なかからずうっとするのです。グループのひともおいのりにるのがあさはやくからだったり、おひるからだったりですけど、いっしょにおいのりさせてもらっています。でもそのときだけでなくいつも「みんなあまてらすおおかみさま」というかたで、「ありがとうございます」というこころおがんでいるのです。


     いまは、ぜんまかせていますので、ただねむってい

-ありがとうございます-
 すいみんかんとか、いちにちべられるものとかは、どのようになさってるのですか?

ありがとうございます:
 いまは、ぜんまかせていますので、ただねむっていたらもったいないですから、できるだけ、おいのりをたのしませてもらっています。 
 
 べるものは、まえは、さいしょくしゅで、だんじきして、かなりとらわれたのですけど、それも、ほんとうだんじきとはなにか?ものをべているというかんかくけたら、だんじきではないかとおもうのです。
 かみさまのいのちいただいている・かされている・どうぶつでもしょくぶつでもいのちささげてくれている・というちでそれをいただかぎりは、ものではないから、だんじきではないか。だから、あたえられるままにきられるだけをいただくようにしています。
 だからおにくでもべます。あたえられたらありがとうございます、いのちささげてもらったというかんかくです。あたえてもらったいのちぶんいっしょになってかして、なかのためにくせば、べられたどうぶつじょうぶつする・てん寿じゅまっとうしてくれるとおもいます。


      おなじものをことえていっているのです。

-ありがとうございます-
 あまてらすおおかみというのはほんです。がいこくかたですと、「ありがとうございます」ではないんじゃないですか?

ありがとうございます:
 おなじものをことえていっているのです。かみさまといったり、ほとけさまといったり、ほんぞんのいろんなまえです。にんげんかっにつけているのです、おなじものをしてとらえやすいこととしてそれを使つかうだけです。


     じんじゃぶっかくというようなものはけいだとおもうの

-ありがとうございます-
 じんじゃぶっかくへおまいりするのですが、そういうものについてはどうおかんがえですか?

ありがとうございます:
 じんじゃぶっかくというようなものはけいだとおもうのです。たとえば、きゅうにはきゅうというけいがあります、きゅうことによって、きゅうがよくわかります。
 
 じんじゃというものは、ちゅうおおがみさまのしん殿でんを、ほんとうちゅうだいのものをしゅくしょうしてそこにあらわして、かんりやすいようにつくってあるとおもいます。ちゅうおおがみさまのしゅくとしてけいとしてそこにあらわれてきているというのがただしいとおもいます、そうしたらまつにはできません。
 ただ、けいけいとしてみることだいです、それをほんものけがつかなければぐうぞうすうはいちがったしんこうはいります。けいとしてみるのだったらただしいのです、けいとおしてほんものすいしてそうぞうしてそれをおおきくとらえてゆけたらいいのです。
 
 どんなじんじゃにも、ちゅうぜったいしんがそこにているはずなのです、けいなかに。どのじんじゃにおまいりしても、なになにかみさまではなく、ちゅうぜったいしんをそこにみとめひとつにつないでしまったがいいとおもうのです。そのときあらわれたまえかみさまは、ちゅうぜったいしんのそのときのかりまえです。みんなをまもるためにまえわっててきているだけです。でもそれも、いっしゅんいっしゅんわっていないといけない、ゆうざいに。
 
 ほんではむかしから、ちゅうはじまりはいつかというと、それは「つねいま」というとらかたです。あめつちはじまりはつねいまなのです、かんせいわりもつねいまなのです。だから、げんざいらいばしてみるのは、につかんだざんぞうつづいているだけです。ほんとういまいっしゅんちゅうはじまって・ちゅうそうぞうされて・かんせいされてわっているはずなのです、いっしゅんに。
 
 そのいっしゅんというのは、どれだけのかんかというと、かんがないほどのいっしゅんです。それだけらしいちゅうしゅんかんしゅんかんへんしてまれつづけているのです。だから、いまなかに、げんえいえんらいったいま姿すがたがあります。いちりんはないまここにいていたら、そのはなせんがずうっとつづいていて、らいえいえんつづいています。いちりんはないまいっしゅんことによって、どうげんざいらいげんひろがりをとらえることによって、いまはながますますらしくかんれるのです。 
 いまいっしゅんとらえるかたというのは、しんとうかただとおもうのですけど、ほんとうらしいかんがかただとおもいます。


     ぶんかみであるとうときは、にくたいしてっては

-ありがとうございます-
 ぐうぞうすうはいはいけないということですが、サイババさんは、「わたしかみです。あなたもかみです。ただしそのちがいは、わたしかみであることっているけれど、あなたはらない」とわれていますが、そういうことなんでしょうか?

ありがとうございます:
 ぶんかみであるとうときは、にくたいしてってはいない。にくたいとかたましいしていてはごうまんになります。

 おくかみなるぶんというのはだれにもあるのです。そのおくなるかみさまであるぶんしているときはそれはただしいのです。にくたいぶんとして、このぶんかみであるとうと、ほんとうかみさまからたらあまりにちいさすぎます、ちゅうだいひろがっていないのです。げんたかまりもないし、あくまでもひょうめんちいさいいちでしかありません、おくとはつながっていますが。


    みんなぶんぼんじんけています。むかしからの

-ありがとうございます-
 ぶんなかかみがある、げんだいちゅうがあるということなのですが、われわれぼんじんは、どのようにしてそれをにんしきできますか?


ありがとうございます:
 みんなぶんぼんじんけています。むかしからのおしえがすこわるかったのかもしれない、ざいあくじんじゅうぼんけておいてしゅぎょうしていたのです、じゅんしているとおもうのです。
 げんじつは、あらわれてえようとしている姿すがただけです。それをつかまずにはなしてしまったら、どんどんされてあたらしいものにわります。あらたしいものになるんだったらさいこう姿すがたとらえるかたをすればいい。
 
 そのほうほうさいこういのこと使つかえばいいのです。まず、いいことかえことによってぶんこころを、たかかいちょうわせてしまいます。そうしたら、てんからりるように姿すがたをとってぶんてきます。げんげんかがやいているということ使つかって、かがやいているぶんすのです。
 
 おいのりも、プラスのおいのりとマイナスのおいのりがあって、マイナスのこと使つかうとマイナスをじつげんしてしまいます。たとえば、びょうなおしてくださいというおいのりは、なおしてくださいというのもまだマイナスです。どれだけねがってもなかなかなおりにくいのです。
 そうではなしに、げんけんこうですというふうにこと使つかったら、げんけんこうおくにあってそれにちょうって、スッとえてあらわしてもらえる。プラスのおいのりでないとかみさまのたすけはかんりにくいのです。ぶんはもうすでにさとっている・かがやいている、そんなことおくぶんかんれば、ざんぞうなどあいにしなくていいのです。


     「あ」は、ひかるもと・こうげんあらわことだまです。

-ありがとうございます-
 「ありがとう」ではなく「ありがとうございます」なのですか

ありがとうございます:
 「ありがとう」でもいいとおもうのです。「ありがとう」はあまてらすおおかみさまというで、「ございます」はいらっしゃいますのです。

「ありがとう」の
」は、ひかるもと・こうげんあらわことだまです。
」は、せんじょうげんひろがるです。
」は、かがやかがやくとダブっているのです、げんげんかがやくというです。
とう」は、げんひろがるかんくうかんあらわしています。
 こうげんにあたるちゅうおおがみさまがげんげんかがやいて、ちゅうこうせいしているというです。それがちゅうさいこうしんあまてらすおおかみさまです。「ありがとう」であまてらすおおかみさまという、そして「ございます」とつけてていねいに「あまてらすおおかみさまします」というで「ありがとうございます」ととなえるのです。


-ありがとうございます-
 こえしてうのですか?

ありがとうございます:
 どちらでもいいとおもうのですけど、こえしているときは、まわりのひとにもえいきょうします、ありがとうございますとわれるとうれしいです。せきぶミラクルことだとおもうのです。だからひとのときはこころなかでもいいかもしれないですけど、まわりにひとがいらっしゃるときは、ありがとうございますと(こえるように)となえるほうが、みんなよろこんでくれます。

-ありがとうございます-
 ほうもんさせていただいていいですか?

ありがとうございます:
 ボランティアのなかづくりでいろんなたてものを、はいざい使つかっててたのです。それでもちゃんとめるようにしていますので、いつでもおしください。

 いまは、じゅうにんくらいまれるだけですが、あちこちからまりにたり、いっしょかつどうしていますから、これからあたらしくつくっていますしドンドンえてくるとおもいます。これからそのようななかづくりをしてゆきたいとおもっています。
 すめらがくえんがボランティアかつどう使つかわせてもらえるようになるかもしれませんので、そこはひゃくめいほどまれるせつもあります。


     いろんなひとしんとうっていますが、これ

-ありがとうございます-
 しんとうとはどんなものですか?

ありがとうございます:
 いろんなひとしんとうっていますが、これがしんとうだとったら、それではずれているのです。

 ほんとうしんとうことではひょうげんできないかたちがあっておしえがあってというものではない)。もっとおくげんの、かみさまのじゅうおうじんらしいはたらきをそのまましているのです。かみさまのぜったいあいさいこうかがやいたじょうたい、これがしんとうのありかただとおもいます。


     かみさまというのはいつつにけてみるのがいちばんいい

-ありがとうございます-
 せんせいわれるしんとうは)やおよろかみ・すべてのものにかみ宿やどっているというかんがえにちかいのですか?

ありがとうございます:
 かみさまというのはいつつにけてみるのがいちばんいい。「かみ」ということを。

いちばん
 いちばんおくかくれてえないぜったい姿すがたを「かく」のかみといいます。「かく」をちぢめて「かみ」です。

ばん
 ちゅうそうぞうする・イザナギのかみさま・イザナミのかみさま。そうぞうはたらきをする、そうぞうというのは「る」と う・「」とう。これをちぢめて「かみ」

さんばん
 あまてらすおおかみさまのようにげんげんかがやくという「かがや」・「かが」といます。これをちぢめて「かみ」

よんばん
 あまてらすおおかみさまのぶんしんとしてじんつうざいはたらやおよろかみさま。このじんつうざいはたらきを「けり」といます。これをちぢめて「かみ」

ばん
 このも・あのもふくめて、ぶんかたちあるものにげんていしてあらわす、ほんとうゆうざい姿すがたかたちあらわすとげんていされます。このようにげんていされたお姿すがたを「かぎ」といます。ちゅうが「かぎ」なのです。これをちぢめて「かみ」

 このいつつのをひとつにして「かみ」とうと、かみさまのぜんぼうとらえることになります。かみ「かみ」ということらしいものです、このいつつのはたらきをぜんあらわしています。だから、やおよろかみさまは「けり」のなかふくまれます。でもこれはひとつのかみさまのべつめいなのです、おなかみさまをはたらきにおうじてまええているだけなのです、しているのはひとつのかみさまだけです。

-ありがとうございます-
 せんせいなんねんまれですか?

ありがとうございます:
 しょうじゅうろくねんじゅうがつじゅうさんにちまれです。


     かんしゃいのりと、ほうじっこうだけさせてもらって

 かんしゃいのりと、ほうじっこうだけさせてもらっていたら、しんとうなかんでもらっているのではないかとおもっています。
 ほうだけで、ほうだけにきて、かされています。ほうだけにきて、かみさまにまかせていたらひつようなものはちゃんとあたえてもらえますから、なにゆうはしていないのです。

                ありがとうございます

                このページの先頭へ戻る
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