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 神(かみ)さまから与(あた)えられている、無限(むげん)の無限(むげん)のチャンネルの放送(ほうそう)番組(ばんぐみ)を、自由自在(じゆうじざい)に味(あじ)わう為(ため)には、すべてのチャンネルを一(ひと)つに繋(つな)ぐ、自由自在(じゆうじざい)に昇降(しょうこう)できる光(ひかり)のエレベーターが必要(ひつよう)です。即(すなわ)ち天地(あめつち)を貫(をつらぬ)く光(ひかり)の柱(はしら)を立(た)てる、自分自身(じぶんじしん)が光(ひかり)の柱(はしら)に成(な)ることが必要(ひつよう)なのです。その為(ため)にはすべてのチャンネルの間(あいだ)の、壁(かべ)・無門関(むもんかん)を開(あ)け放(はな)つことのできる自分(じぶん)に成(な)ることです。
 チャンネルを上(あ)げる・次元(じげん)を上(あ)げる為(ため)には、与(あた)える心(こころ)を起(お)こし・プラスのものを与(あた)えてゆけば、上(うえ)への扉(とびら)は自然(しぜん)に開(ひら)かれるのです。即(すなわ)ちプラスのものを与(あた)えてゆけば、上(うえ)への扉(とびら)は自然(しぜん)に開(ひら)かれるのです。即(すなわ)ちプラスのプレゼントを持(も)ってゆけば、門戸(もんこ)を開(ひら)いて歓迎(かんげい)されるのです。反対(はんたい)にチャンネルを下(さ)げる為(ため)には、求(もと)める心(こころ)を起(お)こし・借(か)りを増(ふ)やせば、借金(しゃっきん)取(と)りが扉(とびら)を開(あ)けて、引(ひ)きずり込(こ)んでくれるのです。
 チャンネル毎(ごと)の扉(とびら)は、上(うえ)へは開(ひら)き易(やす)くなっているのです。即(すなわ)ち押(お)せば、開(ひら)くのです。押(お)すということは、与(あた)えることです。与(あた)える心(こころ)を生(い)きれば、上(うえ)への扉(とびら)は無理(むり)なく軽(かる)く開(ひら)かれるのです。反対(はんたい)に下(した)への扉(とびら)は開(ひら)き難(がた)くなっているのです。強(つよ)く引っ張(ひっぱ)らないと、下(した)への扉(とびら)は開(ひら)かないのです。だから下(した)へは落(お)ち難(がた)くなっているのです。ただ借(か)りを返(かえ)さなければ、利息(りそく)が付(つ)いて、借金(しゃっきん)取(と)りが下(した)から扉(とびら)を開(あ)けて、迎(むか)えに来(き)てくれるのです。
 与(あた)える心(こころ)をシッカリと生(い)きる者(もの)は、チャンネル・次元(じげん)を順番(じゅんばん)に上(あ)げて、そこに自分(じぶん)を置(お)くことができるのです。しかしすべてのチャンネル・次元(じげん)の扉(とびら)を開(あ)け放(はな)つ為(ため)には、並大抵(なみたいてい)の与(あた)え方(かた)では不可能(ふかのう)なのです。身(み)も心(こころ)も命(いのち)も捧(ささ)げ尽(つ)くすということは、すべての力(ちから)を出(だ)し尽(つ)くして働(はたら)くことです。真剣(しんけん)に他(た)の幸(しあわ)せの為(ため)に働(はたら)くことです。神(かみ)さまのお手伝(おてつだ)いに生(にい)きることです。そして何(なに)よりも大事(だいじ)なことは、感謝(かんしゃ)を究(きわ)めることなのです。
 真(しん)の感謝(かんしゃ)こそが、与(あた)える心(こころ)の極地(きょくち)に在(あ)るのです。神(かみ)さまへの恩返(おんがえ)しも、古(ふる)い自分(じぶん)を与(あた)え尽(つ)くすだけでは、与(あた)え方(かた)が少(すく)ないのです。億万分(おくまんぶん)の一(いち)の恩返(おんがえ)しにもならないのです。より新(あたら)しい自分(じぶん)のすべてを、捧(ささ)げ尽(つ)くしてゆかなければ、高(たか)いチャンネル・次元(じげん)の扉(とびら)を開(ひら)く力(ちから)にはならないのです。新(あら)たなる全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが一杯(いっぱい)!と受(う)けても、それを自分(じぶん)として・自分(じぶん)のものとして掴(つか)んでしまっては、古(ふる)くなって価値(かち)が無(な)くなってゆくのです。受(う)けると同時(どうじ)に、間髪(かんぱつ)を入(い)れずに・瞬時(しゅんじ)にお返(おかえ)しするのが、本当(ほんとう)の恩返(おんがえ)しになるのです。
 「新(あら)たなる全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが、無限(むげん)に無限(むげん)に一杯(いっぱい)」と感謝(かんしゃ)一筋(ひとすじ)に・感謝(かんしゃ)三昧(ざんまい)に生(い)きることこそが、与(あた)える心(こころ)の極地(きょくち)を生(い)きることに成(な)るのです。一切(いっさい)の求(もと)める心(こころ)は無用(むよう)なのです。「ありがとうございます」と唱(とな)え続(つづ)けて、消(け)し切(き)ってもらうことです。