ここは過去ログ専用とします。 河上あきのぶ 書込 2005年12月09日(金) 04時38分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
この掲示板を通ってサーバーに入られた器用な方がいらっしゃいました。今後のサーバー維持のため、ここは過去ログと為し、一部機能を制限して残します。掲示板の破損がひどいのと、携帯での閲覧希望者が多いので、下記に移行します。ここを押して河上彰延
えい 書込 2005年12月08日(木) 20時28分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
S.O様うわさ話を信じ込んで、ありがとうございますから離れるのも自由ですが、他の人も自分と同じように考え行動しなければおかしいと考えるのは間違いなのです。
日々の心の大掃除を怠ったツケは・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年12月08日(木) 00時03分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
いのちの洗濯、心の大掃除は、毎日毎日、真剣になされなければならないのものである。過去世から積み重ねて来た業想念は、心の奥深くに、塵となって溜まりに溜まっているのである。その厚い塵の層が、いのち(本心)の輝き出るのを妨げているのである。本心の自覚を得ても、未だ本心が大きく輝かないのは、塵である業想念が心の底に残っているからである。 だからこそ心の大掃除が必要である。心の表面に浮かび出る業想念は、氷山の一角である。次から次へと浮かび出て来る業想念に圧倒されてはならないのである。その浮かび出てくる業想念を、一つ一つ着実に消しきってゆかなければ、心の大掃除は出来ないのである。 本心の心と業想念の心とをはっきりと区別して、今心に浮かび出た業想念は、守護の神霊の大愛によって、消し去られたのである!と、しっかりと心に確認することである。その時にこそ業想念は着実に消し去られるのである。 心に溜まった塵である業想念の心の最たるものは、傲慢な心と欲深い心である。業想念の心に圧倒され・負けてしまったら、傲慢な心や欲深い心に陥ってしまうのである。本心の心である謙虚で愛深い心が覆い隠されてしまうのである。 傲慢な心とは、神さまの大恩を忘れて、何でも自分の力でしているのだと錯覚する心である。これは自分の物なのだ、自分が何々してやったのだと主張するような心である。 また必要以上の贅沢を願う心は欲深い心である。他人の持ち分を奪い、資源を浪費することになって、全体者である神さまから見れば、強盗殺人に値する大なる罪なのである。 全体の調和・幸せの為に奉仕することを忘れて、自分達の利益を優先させようとすることは、癌細胞のような生き方であって、切り捨てられるか、全体と共に死滅するしか無いのである。 自分の心の中の癌細胞(利己的な心)を早期に切除しなければ、自分自身が全体のとっての癌細胞になってしまうのである。 心の畑の雑草も小さいうちに、こまめに抜かなければ、心の畑全体が雑草(業想念)に覆い隠されてしまうのである。そうなれば自分も全体も、癌患者の末期症状と同じになって、苦痛の大きい悲惨な姿を呈することになるのである。 傲慢な心・欲深い心に陥った人は、末路が悲惨である。地獄の業火に焼かれて再生するしか方法が無くなるからである。そうなる前に何故、その傲慢な心・欲深い心を消し去ってほしいと、一心不乱に守護の神霊に感謝して縋らなかったのか?後悔しても後の祭りなのである。日々の心の大掃除を怠ったツケが廻って来るのである。 謙虚な心で感謝を積み重ね、愛深い心で奉仕を実践し続けることが、日々の心の大掃除に当たるのである。それが守護の神霊の大きな浄めの助けを受ける為の必須条件なのである。
いつも思うのですが… S.O 書込 2005年12月07日(水) 23時18分[i220-108-181-218.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)
なんでそんな抽象的なご返事しかなさらないのですか?具体的におっしゃれない、思考回路になってしまったのですか?それとも、なにか理由がおありなのですか?
五井先生に関する質問メールにお答えしています。 河上あきのぶ 書込 2005年12月07日(水) 01時27分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
五井先生のスケールの大きさは、出口先生出口日出麻呂両先生をうわまわるかと思うくらいのおおいさです。 それは、一筋とかという言葉では表現できないくらい凄いものなのです。 ”私は宇宙です。”の言葉の凄さは誰にも理解できないのかもしれません。
河上様へ S.O 書込 2005年12月06日(火) 21時32分[i60-34-165-84.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)
ご無沙汰いたしております。ついつい河上様のご心境が気になって、時々覗かせております。河上様も、本当は五井先生のみを心から尊敬していらっしゃるのでしょう!最近の文面からよーくわかります。無理をなさらないで、五井先生一筋でよろしいじゃありませんか。世界人類が平和でありますように河上様の天命がまっとうされますように
一瞬新たに新たにがわからないって?・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年12月04日(日) 16時25分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
一瞬新たに新たにがわからないって?、そんなことないでしょう?、だって、一瞬一瞬息を吐いて息を吸っているじゃありませんか?。 これだって、立派な一瞬新たに新たになのですよ、私たちは無意識の内に一瞬新たに新たにを知っていて、呼吸しているのですよ。 心臓だってそうじゃありませんか?心臓と肺とで協力して古い血液を新しい血液に一瞬新たに新たにして全身に送り出しているじゃありませんか? 素直に感謝の真祈りを続けていれば、一呼吸一呼吸ごとに宇宙の深奥に入ってゆけるのです。そうなってくると、一足歩く毎に太ももまでずぶずぶと地球の中心に足が入ってゆくような感覚です。もっともっと感覚的に拡がっていきます。その感覚にも囚われずに素直に感謝の真祈りを続けていれば、どんどん深く拡がるのです。 素直に感謝の真祈りを続けることの出来る人は得です。 ありがとうございます
なんとか祈って貰おうと・・・・。 河上彰延 書込 2005年12月03日(土) 06時14分[zaqdadc1e09.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
なんとか祈って貰おうと、ただそれだけの苦心惨憺なのです。 傍からみているとなんでそんな行事するの?と疑問だらけなのですが、その苦労は当事者でないと判らないのです。 神さまのからの御心に素直とは、大変なことで、この世での評価は関係なしにするのです。 昌美先生の苦労は、誰にも判りません。そして、それは中山みき先生、出口先生、五井先生の苦労でもあるのです。 幼稚園の子供にお遊戯をさせようと幼稚園の先生が苦労するように、神さまの意を受けた聖者方は、神意の深さの中で、この世では人の理解を得られないなかで苦労されるのです。 そこまで、人につきあえるかどうかは、勝海舟と西郷隆盛の差でもあるのです。 自分は西郷隆盛足りうるか?恥ずかしい限りです。 ありがとうございます
呼吸が出来るということはお祈りできるということです。 河上あきのぶ 書込 2005年12月01日(木) 09時12分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
お祈りできない、感謝でききない、ときめつけているだけです。 普通に忘れずに呼吸できるということは、お祈りできるということです。心臓が動いているということは、お祈りしているということです。 おいのりしていない、感謝していないと決めつけているだけのことなのです。確かに、この世の現われだけに心を置けばお祈りしていない、感謝していないと見えるのです。 でも、現れは過ぎ去った過去、テレビでいえば制作の終了した放映中のドラマです。放映中のドラマの内容に文句を言っても変えることが不可能(既に制作は終わっている)なように、この世の現れも放映中のドラマですから、その現れを掴んでどうこうしようとしても、変えることは不可能なのです。 でも、この世に肉体表現を表わすことが出来るということは、お祈りしているということでもあるのです、ただ、お祈り出来ない、感謝できないという”演技”をしているだけなのです。 それが、わかればお祈りできない現実の自分は横に置いておいて、まずは、世界平和の祈りをしてみるとよいのです、世界平和の祈りは神さまの御心であり、また、今の現実生活の自分とかけ離れた内容ですので、現実の姿に心を奪われずにお祈り出来る利点があるんです。 その点、”ありがとうございます”はどうしても、今の現実生活の自分を掴んでしまうと、こんな状態なのにどうして感謝出来るのか?と感謝しにくくなるのです。 世界平和の祈りは現実生活の自分から心を離しやすいので、かつて法然さんの唱えられた、南無阿弥陀仏に相通じる唱えやすさがあると思うのです。 ありがとうございます
祈りに始まって祈りに終わる・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月30日(水) 10時25分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
五井先生は常に祈りに始まって祈りに終わる。そして、たゆみなき世界平和の祈りを常に心に祈り心を・・・・。とおっしゃいました。 今の現実から心を離さないと今の現実も変わらないのです。その為の世界平和の祈りなのです。だって、理屈で言えば、つっこめるでしょ?家庭すら平和でないのに、なにが世界平和の祈りか?自分の頭のハエも追えないのに、どこが世界平和か?と・・・・。 このように、現実に心を置きその変化に一喜一憂している人には説明のしようがないのですが、先ず、現実は横に置いておいて(神さまからより素晴らしいものが来ることを信じて)お祈りすることが大事なのです。 そして、その祈りも神さまの御心と波長の合う、与えきりの愛の心でないといけないのです。自分のことは少し置いておいて人の為に祈る、そういう意味においても、世界平和の祈りは与えきりの心になりやすいと言えるのです。 ありがとうございます
お祈りと奉仕作業の意義・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月30日(水) 02時56分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
お祈りできる人は奉仕が出来、奉仕のできる人はお祈りが出来ると先生はおっしゃいます。では、何故、お祈りできない人に不完全な作業をさせるのでしょうか?とおたずねしたことがあります。 その答えは、真祈りする為には、与え尽くしの愛の心にならなんければならない。神さまにいのちを捧げなくてはならない。 その練習と神さまにいのちを捧げる機会として、ここでの作業がある。作業の結果出来る形にあまり意味はないけど、与え尽くす心の結果が大事なのである。 ありがとうございます
思いは形に現れて消える。 まめこ 書込 2005年11月29日(火) 18時21分[JJ020155.ppp.dion.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.23; Mac_PowerPC)
もしも、この地球上の誰かが辛い体験をされ、心に深い傷を負われたならば、私の心もとても辛くなる。どのようにお慰めしてよいものか、どのような言葉をおかけしてよいものか・・・。でも、起こる出来事、私に降りかかることも、他の誰かに降りかかる事も、すべて私自身の内界の思いを、形に現して消して下さった姿。私の代わりに、引き受けて消して下さったと思うと、「ごめんなさい、本当にごめんなさいね、そして、ありがとうございます、本当にありがとうございます。」と、心の中で、申し上げるしかありません・・・。個人的には、横田めぐみさんとご家族の方々が、一日も早く日本でお会いされる日が来る事を強く願っております。
ありがとうおじさんと名付けてしまうと・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月29日(火) 16時45分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
ありがとうおじさんと名付けてしまうと、その肉体に囚われます。ご承知のようにこの世の肉体表現は遠い遠い過去の出来事です。その現実に心を置き一喜一憂しているようでは、何十年も先生の元で祈りに励んだとは思いかねる行為なのです。 自らの不明を恥じるべきでしょう。 ましてや、お祈りの部屋で寝込むような人がお祈りの部屋で現実であったか?夢であったか?誰にも判別はつかないでしょう? 元より推測でモノを言うのは”差別”です。事実を確認しようが無い以上、よって、議論のしようがないとおもうのです。 常に神さまの御心に心を置き、一瞬新たに新たにピーンと張りつめるような新鮮な新たな気持ちで生きていくことが何よりも大事なことだと思うのです。 この生き方に賛同出来る人は真祈りに励み、賛同できない人は気に入ったお祈りに励めばよいのだとおもいます。 たとえ、ありがとうおじさんと名付けてしまっても、その奥の響きを受け取ることが大事なのです。真理の言葉に囚われるのではなくて、真理そのものを感じ取ろうとすることが大事なのです。 ありがとうございます
サーバーが不安定でごめんなさい。 河上あきのぶ 書込 2005年11月29日(火) 16時29分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
何度も侵入されるので、固定IPを破棄し、自由の海をさまよって?います。リナックスのアクセス権限等いろいろ変えて対応していますが、ダウンさせられたときは、ごめんなさい。 出来るだけ早い復帰を心掛けていますので・・・・。
下記に電話してお申し込み下さい。 河上あきのぶ 書込 2005年11月29日(火) 03時22分[192.168.1.12] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
昨年発注した記憶ではここの電話にかけて、霊光写真をお願いします。と申し込むと、サイズ等の大きさを聞いてきますので、お好きなサイズを申し込まれると良いと思います。僕はB4サイズと一番小さなサイズを申し込みました。頒布品についてのご注文・お問い合わせ 郵便振替をご利用の場合: 00180・8・167621 白光真宏会頒布品 係へ。現金書留でお申し込みの場合: 上記の住所の白光真宏会頒布品 係宛へ。複数の種類の頒布品をお求めの方は、下の連絡先に送料をお問い合わせください。 頒布品の送料などのお問い合わせ Tel: 0544-29-5102 (会員本部 頒布品係 直通) Fax: 0544-29-5112 (会員本部 頒布品係 直通)
霊光写真について ひとつ 書込 2005年11月29日(火) 00時38分[ntsitm197166.sitm.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
写真を入手したいのですが、白光のHPのどこに問い合わせをすればいいのでしょうか?頒布品のところにはなかったものですから・・・。
祈るとは舞台の場面が変わるようなもの・・・・。 河上彰延 書込 2005年11月28日(月) 10時09分[zaqdadc1e09.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
祈れば、お芝居でいう場面が変わるのです。祈ればすべては新しくあたらしい場面に変わるのです。祈るしか今の行き詰った場面を変えることはできないのです。祈り方はいろいろあります。一所懸命全力を尽くすのも祈りのひとつです。さらに、その一生懸命に感謝を添えればもっと良いのです。さらに、心を神さまに置ければもっと良いのです。 感謝の言霊”ありがとうございます”を唱え続けるのはもっと楽にすべてが解決するのです。 五井先生の”霊光写真”は場面を変換して光に変える力があります。僕は五井先生の霊光写真で幾度も助けられています。(現在霊光写真は白光のホームページよりお金を先に振り込めば 送ってもらえるので、簡単に入手できます。) ありがとうございます
先生直筆 えい 書込 2005年11月27日(日) 23時35分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
天の岩戸は開かれ 天照大御神 今ここに 旭日の如く 輝いているすべての闇・マイナス・思いは クモの子を散らすように 自然に退散し消えてゆく (平成17年11月17日)
祈るとは生命を宣り出すこと・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月25日(金) 12時20分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
祈るとは生命を宣り出すことを約めて(つづめて)イノルというのです。人生は芸術である。とは、PL教 故御木徳近(みき とくちか)先生のお言葉ですが、まさにその通りでありまして、祈り→生命を宣りだす→この世への表現→人生は芸術となるのであります。 本来の祈りになってくると、祈ると自然にうれしく楽しく生き生きと丁度息を止めていて呼吸を始めたときのように”ほっと”するものです。このように、”聖地”は自分の心の中に”本心”として存在するのです。 でも、祈ってみても真っ暗で何も感じなくて退屈で不安だと言う人は、先ず自分の守護霊さまを思い出して下さい。守護霊さまはあなたにとって一番必要なことが何か?と言うことを誰よりもご存じなので、祈り始めたらあなたにとって必要なこと(あなたの代わりに一緒に深く祈ってくれる)を必ずしてくださっているのです。 そういう意味では、五井先生の世界平和の祈りは、ああ、世界の平和の為に役立っている、と言う気持ちになりやすいので、祈りやすいといえます。 あなたがお祈りしようとすれば、守護霊さまは涙ながらに喜ばれて、あなたと共に祈り導いてくださいます。守護霊さまの働きを信じ、何も感じなくて退屈で不安だとしても悠々とお祈りを祈り言葉を唱え続けてください。よき言葉の繰り返しが必ず守護霊さまの働きを感じ取るようになり、より深い祈りに幸せ一杯の祈りにあなたを導いてくださるでしょう。 ありがとうございます
「あるヨギの自叙伝」 えい 書込 2005年11月24日(木) 20時49分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
五井先生は、たまに御話の中で「あるヨギの自叙伝」(パラマハンサ・ヨガナンダ著 森北出版)を引用されます。「前にも話したことがあるけど、ラヒリマハサヤの師であるババジというのは老子のことです。中国からインドへ渡り、インドではババジという名前で現れていたわけです。」(「聖ヶ丘講話 魂が大きく開く時 22P」白光真宏会出版本部)ラヒリマハサヤは、ヨガナンダの師匠です。老子は五井先生の中に同化して「老子講義」を書いた老子を指しています。最近、お祈りについていろいろと考えたり悩んだりしている人には、「あるヨギの自叙伝」は、大きな示唆を与えてくれるものと思います。実際、この本の影響を受けてお祈りに精進する人はとても多いのです。
沢山の励ましのメールありがとうございます 河上あきのぶ 書込 2005年11月24日(木) 20時43分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
前述しましたように、人は所詮外からは変わらず、言うことは聞かぬものですので、私どもの申すことなどさほど役には立たず、何時止めようかと白状しますと卑下慢になること度々であります。あ その心を見透かしたようにそのたびに皆さまのいろいろの励ましのメールをいただき、力づけさせていただきまして、現在にいたっております。その中には先生一人にすべて背負わせていいのか?あなたが書かなくて他に誰が書くのか?ときついおしかりの声もございます。もったいなくてありがたいかぎりです。 神さまの響きが来る限りがんばって書き続けてゆきたいと思います。 始めて黒田さんのサイトからリンクを張って頂いた関係上黒田さんの掲示板に書き込むことはいたしますが、他サイトさまには書いたことがございません。それは、やはり、前述したような理由からです。人にものを言うのは基本的には要らぬお節介だからです。 しかし、不思議と同じような内容の質問メールが必ず数通重なるものですから、自分のサイトの掲示板を開き、解答を書かせていただいています。すると、又、不思議と違う方からよかったよく分かったと過分なるお褒めの言葉をいただきまして、続ける勇気となし、ここまで6年間も続けてこられたのだとおもいます。 本日も過分なるお褒めのメールを沢山いただきまして、ありがとうございます。 質問のメールが来ると不思議と神さまの響きが響きまして、お返事を書くことが出来ます。後で、自分で読み返して、自分が納得している次第でございます。 掲示板なら、好きな人が勝手に読んでゆくことが出来、嫌いな人は読まれないと、まあ、ここなら押しつけにならないかとおもっております。あと、何年生きられるか解りませんが元気でいるかぎりがんばって書き続けてゆきたいと思います。 ありがとうございます
すべては中からだんだんと徐々に・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月24日(木) 18時35分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
きのうも申し上げましたように、すべては、大地で(大生命)でつながっているのです。それ故に、リンゴ同士が言い合いしてもなにも相手のリンゴは変わらないのです。リンゴを変えるのはリンゴの木の健康次第であり、そして大地次第なのです。神さまの愛(雨)が降らなければ太陽のひかりが降り注がなければ、木が枯れリンゴも腐るように、すべての変化は中からだんだんと徐々になのです。 外からあれこれ言うのは要らぬお節介というもんです。 外から言われて変わるくらいなら、お釈迦様やイエスさまやマホメットさまや老子さまや孔子さまやその他いろんな聖者方が、あらわれておっしゃったことでとっくに人類は変わっています。 それくらい、外から言われたことは、自分の責任に於いて受け取らなければならないので、みんな、なかなか、言うことを聞かないのです。自分の責任にしたくないから、人の言うことを聞くくらいなら、自分の好きなようにするのです。 どうせ、自分の責任になることは無意識の内に知っているから、自分の好きにするのです。そして、因果応報の輪廻の世界に巻き込まれて、生死流転してゆくのです。 もし、すべてを変える力があるとすれば、それは、”真祈り”だけです。真剣な真祈りは、その真祈りする人の周囲に”聖地”を現出し、”地上天国”を現わすのです。 それゆえ、人々は聖地と呼ばれる場所に集い、聖者と呼ばれる人の所に集い、心のやすらぎを感じるのです。 しかし、これからの”世”はみんながそれぞれの真祈りで、聖地を現出してゆかなければならないのです。 次元上昇、進化、一瞬新たに新たに、の神意は真意は深意はそこにあるのです。 真祈りの手助けとして、諸宗教団体や聖者がたの本や伝記や活動があるのでありまして、それぞれ自分に見合ったものを吸収しよく咀嚼して、”真祈り”に邁進すればよいのであります。 ありがとうございます
地球 タケ 書込 HomePage 2005年11月24日(木) 09時24分[ntkyto067004.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
平成17年11月15日に頂きました。歌う度に、心のそこから柔らかい渦がゆっくりと拡がり声に変わるイメージです。『囁き』 詞曲 神人わたしは 地球あなたも 地球みんな 地球だから 生きている
出逢いに感謝致します! タケ 書込 HomePage 2005年11月24日(木) 09時15分[ntkyto067004.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
下記の詩は、今月の初めに、頂きました。色々な方々に出逢う事がとても楽しみになります。相手に“ありがとう!^^”と言いながら生きられる人生は幸せそのものです。^^“ありがとう”と言う言葉が出て来ない時はきっと、新しい勉強をさせて頂いている時なのだと思います。ひとつひとつ問題を下さり、答えを見出し、喜びに変えることを繰り返し勉強させて頂くことで、少しずつ魂は成長し喜びは、永遠に大きく拡がり続けてゆくことと思います。m(__)mこちらの方との御縁を頂けた事に、心より感謝致します。m(__)mありがとうございます。m(__)m『廻り愛』 神人時来たりて 巡り会う愛しき思いは 時空を越え全てが偶然のように必然としてまた出逢う愛し合う者同士はそうしてまた 繰り返し出逢う
自分の本心を知るとは意識が大きく拡がること・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月23日(水) 11時46分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
神さまと対面する→自分の本心と対面する→自分の本心を知るとは、いかにして自分の意識を拡げるか?宇宙大にイヤそれ以上に大きくすべては自分と知ること自覚することなのです。 五井昌久先生はそれを”わたしは宇宙です”と言われました。それを受け、植芝盛平先生も”私も宇宙です”と言われました。 私たちのこの肉体表現は、リンゴの実のようなものです。大きく実る実もあれば、小さく実る表現をする実もあり、それぞれ自由に好きな表現をとっています。 しかし、実一つ一つは別個の様に見えても、元の生えてきた木は一つです。また、隣の木で生長した実でも、その大地は同じ一つです。 この大地(神さまの大生命)を自覚することが本心を知る。すなわち、悟りを得るということなのです。自分の生命がすべてに繋がり一つであると無理なく自然に理屈抜きに思えることがだいじなのです。 その知る手だてが、過去からずっといろんな聖者方が示されてきた方法なのです。 そして、その方法を行っても自分に(本心に)自信が持てないときに共に一緒に祈って統一してもらって、その練習をさせてもらうのです。 神さまはその時代時代に応じて、求道心の熱心な人々の為に聖者を遣わしその統一指導をされたのでした。 かつての聖ヶ丘道場における故五井昌久先生の統一会は真剣な甘える気持ち求める気持ち虚栄心のない謙虚な気持ち(我が少ない気持ち)真剣に神さまを捜し請うものにとっては素晴らしいものでした。 五井先生はこの統一会に来るだけがすべてではない、24時間ひたすらたゆまぬ世界平和の祈りを統一を行いなさい、と指導されて、その言に従い、ほんと、重いテープレコーダを抱え(昭和47年当時ウオークマンは無かった)24時間の連続統一に励んだものでした。 五井先生は、常々常時お祈りをする人がいるところが”聖地”であると申されて、世界平和の祈りを24時間し続ける人を増やして地球全体を聖地にしようと真剣な人には指導されたのでした。 すべてを与え尽くす心になり、すべては自分と意識を拡げ(われ天照大御神と宣言する等)自分の信じることの出来る”真言”(祈り言葉を選び、ひたすら、絶え間なく、祈り続けましょう。理屈で他を責め裁いている余裕は無いのです。 他を責めても結局はすべて自分の生命ですから、自分を責めることになるのです。 みんな自分の責任において真祈りを続け自分の周囲を”聖地”にする使命を大神さまから授かっているのです。 神さまは”共に楽しみ共に喜ばん”と言われます。また、”われ 汝の求めるに先立ちてすべて与えたり”とも言われます。 すべての材料は与えられているのです。ジグゾーパズルのピースはすべて与えられているのです。組み合わせ組み立てるのはこの肉体表現側の人間の責任であり喜びです。この世の現われの無限億個のピースを遣って”聖地”を”地上天国”を建設しましょう。 もう、あまり時間は残っていないのです。 ありがとうございます
「太陽の神人・黒住宗忠」(たま出版) えい 書込 2005年11月22日(火) 21時17分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
山田雅晴さんの「太陽の神人・黒住宗忠」(たま出版)ありがとうございます協力隊の掲示板でも紹介したのでこちらでも載せておきます。下記、たま出版ホームページ(復刊本の項目)で入手できるようです。ここを押して?class=all&keyword=復刊本&superkey=1&FF=0&order=
えい 書込 2005年11月21日(月) 20時32分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
その気になれば巨大な宗教団体でも簡単に作れるであろう人が、どんなにそれを薦められても断り続け、粗末な掘っ立て小屋でお祈りの生活に専念している事実が何を意味するのか?… 今、ネット上で大騒ぎしている人達は、それがわかっていないのです。
早速の、ご回答を、ありがとうございます 市井の者 書込 2005年11月21日(月) 18時53分[201.53.150.220.ap.yournet.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)
早速の、ご回答を、ありがとうございます。仰る意味は、なんとなく、わかるような気もします。神を求めるならば、迷いを避けるためにも、本質に目を向けることは大事だと思います。でも、むずかしいところです。ある意味では、直接体験の無い、末端の、わたしのような者は、自分自身の本心の光りが輝くこと以外、経路がありません。そういう意味では、理屈から言えば、理想的な道でもあるわけです。でも、実際は、それは、わたしが理想を求めての結果とは言えません。内在の光りが、輝けば、他など見る必要も、無くなるのでしょうが・・・。むずかしいところです。出来れば、誰も、一人一人、神の光と繋がることが出来れば良いと、思います。
中心は自分自身です・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月21日(月) 17時25分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
先ずありがとうおじさんは存在しません。ありがとうおじさんという命名(名付けたひとはいる)を聞いたことがあったころ、先生にお尋ねしましたが、みんな勝手に呼んでいるだけで自分は知らない。ということでした。どういうことかと申しますと、すべての中心は自分の本心(本心=宇宙絶対統一神)であって、それ以外に中心はない、ということです。 この世における本家というものも勿論ありません。ただ、それでは不安だと言う人々がかつての五井先生讃賛会のように先生の周りに集まって自然と通称ありがとう村が出来たのです。そのときでも立派な建物を建てようとおもったのですが、粗末な掘っ立て小屋でよい、十年持てばよいのだからといわれて現在にいたっております。よって、特に組織はなく、入会資格も当然のことですが参加資格もありません。 また、いろんな宗教におられた方が先生を利用して宗教団体にしようとして、さまざまな行事をつくりあげられたようですが、自分たちのおもうように先生が動いてくれないので、いろんな騒ぎになったようです。この世的な事実関係を確認しようがないので、あくまで、推測のはなし(うわさ話)ですが・・・・。 本家とか組織とかに頼る必要はなく、自分たちひとりひとりが直接神さまと対面して神さまの”生命”そのものを感じ取ることが大事なのです。 その為に最初”古事記解釈”を書いたのですが、そこから”ありがとうございます”が”天照大御神”が波及し、古事記をわかりやすく説明してくれとの要望から現在のような形が出来上がったのですが、宗教組織に団体にしようという心がみんなに出てきたので、再び、ゼロに戻してという今の騒ぎになっています。 これで、数えて三度目の騒ぎです。 みんな、人の所為にせずに神さまと自分の対面という形になれば理想なのですが、”聖地”という形をもとめ”聖者”という責任転嫁する人を求めているあいだはなかなか”ほんもの”を掴むことは難しいのです。 ありがとうございます
すbては神さまの生命と観るかどうかによって・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月21日(月) 16時49分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
すべては一つすべては神さまの生命と観るかどうかによって大神さまの御心に近いかどうかが解るのです。分け隔てをする心、自分と他を分けて観る心、自分たちだけが一番と観る心が苦しみを呼ぶのです。 これには、理屈では説明しようが無いのです。現代物理学の大統一理論がこれの原理に近いのですが、未だ証明されていません。 直感的に(心情的に)自分が気に入って信じるかどうかなのであります。人は関係ありません。自分に自信がなく、自分以外のこの世の肉体表現に頼ろうとするからややこしいのです。 いつも申し上げますように、自分と神さまの間になにもはさんではいけないのです。自分と神さま以外の者を間に入れるから、間に入った者の責任にしようとして、ややこしくなるのです。 五井先生の世界平和の祈りも、五井先生と神界との約束事を自分が信じて行うわけでありまして、自分の信の深さの分だけ自分の責任において効果を信じるわけです。 ありがとうございますも同じでして、お話や文章は真理の言葉でありまして、当然のことではありますが真理そのものではないのです。 自分が自分の責任においてどう受け止めるかであって、それ以上のものでも以下のものでもないのです。 真理とは、神さまの生命の働き いや 生命そのものを感じ取ることでありまして、それは、自分の直感による信しかないのです。ですから、最初に申しましたように、分け隔て無くどれだけすべてを神さまの生命そのものと観ることが無理なく出来るかどうかが、一つの基準になるかとおもうのです。 ありがとうございます
解説をお願いします 市井の者 書込 2005年11月21日(月) 16時39分[201.53.150.220.ap.yournet.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)
わたしは、関東地方に住んでいて、ありがとう村に行ったことはなく、WEB上で「ありがとうございます」を知りました。ありがとう広場の前身のサイフォーラムで知りました。殆どは、テープを音声ファイルにしたものをダウンロードした話を、聞いただけです。でも、数年分の膨大な時間の話を聞かせて頂きました。個人的な人生の立場もあるので、全面的に肯定的というわけではありませんが、初めて触れた神道系の神々の信仰は、日本にも、素晴らしいものがあると、初めて気付いた次第です。それで、今回の件なのですが、1.わたしは、関東在住なので、勿論、ありがとう村には参加できません。2.そして、ありがとう村のWEBも閉鎖されてしまいました。(といっても、WEBとしては、最初から、殆ど、活動していなかったように見えます)3.そして、今に始まったことでは無いのですが、ありがとう広場は、「ありがとうございます」を拒否しています。4.ありがとうおじさんは組織を作らない5.ありがとうおじさんは弟子を作らないということで、結果的に、どこがありがとうございますの中心なのか、どこが行為者なのか、良くわからない状態です。結局、今の状態のまま、曖昧に、進められ、本家は、もはや、インターネットは利用しないということなのでしょうか?わたしは村に行ったこともないので、情報は、WEB上でしか得られません。組織が無いので、会員というものも無いようですし。また、参加資格のようなものも、勿論、わからないわけです。詳しい方がおられましたら、解説をお願いします。
ありがとうございます!! Ya 書込 2005年11月20日(日) 23時22分[ntoska188249.oska.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Q312461)
ありがとうございます。お忙しい中、お返事を頂いてありがとうございます。身近に見えるマイナスは、すべて、自分の身代わりに背負って下さっている姿・・・神様は、こんな無知な私にもわかるように見せていただいているのですね。ありがたいと思います。本当にありがたいです。神様に少しでも恩返したいです。マイナスを見せてくれた父にも感謝したいです。河上様をはじめ、いつもここに書き込みをされる皆様にもお礼を言いたいです。ありがとうございます。
無限の無限の幸せが一杯! えい 書込 2005年11月19日(土) 10時10分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
”無限の無限の幸せが一杯!”と唱えても神さまを選んだことになるということです。
神様どうか助けてください、ありがとうございますで良いと思うのです・・・・。 河上彰延 書込 HomePage 2005年11月19日(土) 04時07分[zaqdadc1e09.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)
神様どうか助けてください、ありがとうございますで良いと思うのです。どうしても現実のマイナスに心が向いてしまう者ですから、いったんマイナスから心を放す意味において、神さまの働きにいったんお返しする意味で神さまどうか助けて下さいと現実を掴む心を神さまにお渡しすればよいと思うのです。 そして、いったん神さまにお渡しして任せてしまった以上は、神さまが必ず良くされるに違いないと信じて、素直に感謝し続ければ良いのです。 たとえ、現実は好転しなくても、神さまは一番良いようにしています。何故か?それは、神さまは恐ろしいほどに平等に何でもされるからです。自分のマイナスの積み重ねてきた分はその量に応じて果たさなくてはならないからです。 そして、現実に身近に見えるマイナスは、すべて、自分の身代わりに背負って下さっている姿なのです。身代わりの役割を果たして下さっていることに感謝して、真祈りをさせてもらえる立場を無駄にせずに真祈りに邁進しましょう。⇒大犠牲のお陰で真祈りさせてもらえるのです。本当は真祈りどころでは無い自分なのです。みんなの(一族の)代表として真祈りする役割を与えられているのです。 僕の父も糖尿と痴呆で大変でした。身代わりになって下さるご苦労を思い、今の一瞬を感謝に真祈りに生きることによって、自分に与えられている真祈りの役割を果たすことこそが、身代わりになって下さる方への大いなる感謝行であり、恩返しなのです。 ありがとうございます
幸せ一杯の気持はそのまま・・・・。 河上彰延 書込 HomePage 2005年11月19日(土) 03時50分[zaqdadc1e09.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)
おっしゃるとおり、幸せ一杯の気持はそのまま感謝の気持ちにつながり、神さまの御心に沿うのです。 地球霊王は、大神さまの御心にそって、動いて行かれます。 神さまの御心に自分の心を置く者は(幸せ一杯、喜び一杯、プラスのみ前向き思考)地球霊王とともに歩むことが出来るのです。 ありがとうございます
神さまの愛は常に一貫して・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月17日(木) 22時05分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
黒住教→天理教→金光教→大本教そして日月神示(ひかり教会)と、常にその根底に流れるものは、神さまの大愛、一人でも多くの人が神さまの御心を知って幸せ一杯の気持ちになって欲しい。とそればかりです。アテンションといい、次元上昇といい、進化といい、一瞬一瞬新たに新たにといい、表現は様々ですが、神さまの表現は常にあたらしくその叡智は尽きることが無いのです。今のこれしかないと掴んでしまったら苦しいばかりです。 この肉体表現の死亡率は100%です。誰も、肉体の死から逃れることは出来ないのです。死後の世界を考え、永遠の生命を考え、永遠の平安を考えるのは、今からでは遅すぎるくらいなのです。 肉体だけだと思っている人は、その世界に生きるのです。そんな人々でも、死ぬことを怖がります。それは、無意識の内に死後の世界を守護霊さまから夢でみせられ、肉体のみ物質のみと思う思いは地獄に繋がりますから、その地獄絵図の恐ろしさに、死ぬことを怖がります。 永遠の生命を信じ神さまの愛の心を知っている者は、死後の世界のすばらしきことも知っているので、死ぬことを怖れません。 ”百年の生命を捨てて永遠の生命を生きよ”とは、五井昌久先生のお言葉ですが、まさに、永遠の生命を掴んでこそ真の安心立命はあるのです。 その、永遠の生命を観ずる方法が、いにしえより幾多の聖者がたが工夫して、いろんな統一法として、残されているのです。どれを選ぶのもみんな自由です。 僕が、最初にした統一法は、天理教の手踊りでした。その次は生長の家の常円月観でした。その次は神霊秘文でした。そして、五井先生の世界平和の祈り、そして、すうあぽちに代表される、古事記の言霊帰神法でした。 皆さまその時その時のご自分の心境にあった、統一法を使って神さまの御心を感じ取ればよいと思うのです。 だれも、ご自分の心を他から縛られることはありません。ご自分の心を縛って居るのはご自分自身なのです。 今のすべてを捨て去ることが出来れば、何があっても、怖れなくなるのです。これからの大変革の時代、すべてを捨て去り、悠々と感謝の心(神さまが必ず良くされると信じる心)で、進んでゆきましょう。例え、餓死するといえども神さまの御心であるならばこれほど幸せなことは無いのです。この世の苦しい表現などどんなことでも本当は神さまの御心から観れば取るに足らない小さなことなのです。 ありがとうございます
奥義 えい 書込 2005年11月16日(水) 20時44分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
先生からお祈りの奥義について御話がありました。奥義とは謙虚になることです。少しでも我がでると神さまはひっこんでしまいます。逆に謙虚になることができれば神さまの助けが入るということです。そのためには、すべての責任を自分に置いて他に責任を転嫁しないことが大切とのことでした。先日は、お祈り会ありがとうございました。
神様に命を捧げるとは。その2。 まめこ 書込 2005年11月15日(火) 13時24分[JJ022096.ppp.dion.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.23; Mac_PowerPC)
これから地球の浄化に伴って起こるであろう天変地異を、大難を小難に、小難を無難にまでもっていこうとするには、それ相当の覚悟が必要なのだと,気が付いて参りました。生半可な気持ちではダメなのだと、解ってきました。ありがとうおじさんのおっしゃる、真祈りという言葉、命がけでの意味、その奥にはそれ相当の覚悟と努力が必要なのだと解り、ありがとうございますに触れた多くの人たちの中の一人として、その責任の重大さに、身が震えてしまいました。
神さまの実在は常に自分の生命そのものです・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月15日(火) 01時01分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
そのとおりです、1万人の人が真祈りすれば、地球霊王の体は癒されます。 ”神様のご実在を確信し、神様のみこころがわかるようになりたいです”→みんな、既に感じ取っているのです。だから、心臓が動いているのです。神さまの実在を感じ取れなければ、心臓だって止まってしまうのです。 プラスの言霊を使い続ければ、幸せ一杯の気持ちに成れるのです。物質化現象が誰でも出来るときは直ぐそこに来ています。あと何年もないのです。真祈りを続けてきた人にはその兆しがあります。 Kさま、試しに、無限の無限の喜びが一杯!と唱え続けて観ましょう。きっと、幸せ一杯のことが続いて、ビックリされることでしょう。 眼鏡店を経営されておられる、あなた、試しに、無限の無限の繁栄が一杯!千客万来、千客万来と唱え続けて観て下さい。きっと、沢山のお客さまがいらしてビックリされることでしょう。 真祈りを志す者を、神さまが見捨てられる訳がありません。 ありがとうございます
神様に命を捧げるとは。 まめこ 書込 2005年11月14日(月) 12時20分[JJ022096.ppp.dion.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.23; Mac_PowerPC)
はじめまして。 2,3日前にこちらの掲示板見つけました。素晴らしい掲示板ですね。私も、神様に命を捧げるとはどういう事かなあと、考えてみました。全なる意識に徹して存在し続ける事、全なる意識の基に話し、行う事。 行う、話す。 示し、申す。 示、申。 示申。 神。な〜んてね。うふふ。失礼致しました。
地球霊王のからだは人類の思いのトゲによって・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月13日(日) 22時09分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
長い間、地球霊王のからだは、人類の求める心思いめぐらす自分勝手な想念によって、ぶすぶすに突き刺され続けてきたのです。血が流れ膿となって膨らみかさぶたとなってきたのです。今、そのからだが自然治癒力によって癒され、新しき体をそのかさぶたの下から表わす時代となったのです。何時までも、幼稚園児のような幼子の相手をする時代は終わったのです。突き刺してかさぶたを作らない(求める心をださない)人類だけを相手にする体になったのです。 今ほど、感謝の真祈りをする人類が求められることはかつては無かったのです。 もう、感謝の真祈り以外必要とされないのです。だだっ子は別の惑星に移される時代なのです。 先ずお祈りを優先することは、他の人の真祈りの手助けにもなるのです。 自らの自由意志によって真祈りすることがどれほど大切で神さまが喜ばれることか、心して思案する必要があるのです。 ありがとうございます
先ずお祈りしようとしない間は・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月13日(日) 18時59分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
先ずお祈りしようとしない間は(お祈りを後回しにしている間は)、まだまだこの地上の肉体を持つ人に頼って甘えているのです。 誰にも頼らず、自分と神さまだけと向き合えば、知らず知らずのうちにお祈り第一となってくるものなのです。 人に頼らず真祈りに邁進しましょう。 大きく宇宙全体に拡がった意識ですべては自分すべては天照大御神と観じて感謝の真祈りを行いましょう。 ”ありがとうございます”の言霊は、みんな既に悟っている祈っている救われている。を、実感出来るもっとも近道の祈りの行法なのです。 ありがとうございます
本心が目覚めるまでは・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月13日(日) 15時55分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
本心が目覚めるまでは、思いが巡るのです。いかに巧みに思いを巡らせても、本当の真理は永遠に解らないのです。 また、本心を目覚めさせる為には、真祈り出来る人の、真剣な弛み無い真祈りによって、強き光を浴びせて貰えないと、”目覚めない”のです。 真祈り出来る自覚を得た者、また、真祈りをしようとひたすら目指す者は、みんな、神さまの後押しを得て、神意のお手伝いをすることができるのです。 卑下慢にならずに高慢にならずに、ひたすら、真祈りに邁進しましょう。 ありがとうございます
神智は計り知れず・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月13日(日) 15時50分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
神智は計り知れずなのです。人間の考え及ぶことの遙か向こうに神さまの叡智は輝いているのです。この世の常識でみれば、苦しい不幸なことでも、神さまの叡智に照らし合わせれば、すべて、”良し””旨し”なのです。いかなる姿にもありがとうございますの言霊で受けれる人は、”幸せ”そのもの”本心”そのものの人なのです。 ありがとうございます
ありがとうございました。m(__)m タケ 書込 2005年11月12日(土) 23時26分[ntkyto065032.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
“真の闇へと入ってゆく日”、考え深いお言葉です。また、色々と御教え頂けましたら、嬉しく思います。m(__)m
神さまにいのちを捧げるとは・・・・。 河上彰延 書込 HomePage 2005年11月12日(土) 03時34分[zaqdadc1e09.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)
神さまにいのちを捧げるとは、一切の文句を言わないということです。神さまのされることは一瞬一瞬新たに変わり、過去のやり方は、次の一瞬には通用しなくなるのです。 だからこそ、一瞬一瞬の真祈りが大事なのです。これが、最高のやり方だとか、自分は間違っていないと、掴んだ瞬間から、すべては、古い、過去の遺物になっているのです。それが、わからないからこそ、派閥争いがあり、主導権あらそいがあり、宗派争いがあるのです。 神さまからみれば、一瞬一瞬新たに新しい表現をしているだけなのです。 ろうそくに例えて見ると解りやすいとおもうのです。ろうそくに火をともしてみると、1本1本ひとつとして同じ表現の姿で燃えるものは無いではありませんか? 神さまからすれば常に同じ表現をとらずに一瞬一瞬新たにあたらしいよりよき表現をとり続けているのです。 過去を掴み過去の事例に囚われて、心を巡らすのはおろかなことです。 常に、神さまから直接、新しいものを一瞬一瞬新たに受け続けることこそ幸せへの第一歩なのです。この地上の肉体を持つ者に頼り、その権威にすがっている間は、苦しみが増すばかりなのです。 ありがとうございます
すべては完全圓満・・・。 河上彰延 書込 HomePage 2005年11月10日(木) 10時31分[zaqdadc1e09.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)
この世のイヤこの宇宙のすべては完全圓満なんです。みんな、好きな道を歩くだけなのです。感謝の真祈りによって、天下の大道を歩く人もいれば、わざわざ、崖っぷちの細い道を歩く人もいるのです。 その姿だけを捉えれば、苦痛に耐えながら歩む厳しき人生とみえるのです。何を選ぶかは求める心を生きるか、与える心を生きるかにかかっているのです。 思いに生きて、艱難辛苦を味わってみるか?感謝の生きて、喜び一杯幸せ一杯の人生を歩むかなのです。 しかし、どんなに不幸に見えようとも、苦しみがあるからこそ、困難があるからこそ、成功した時の喜びも又、格別なのです。夜明け前が一番寒いのです。一番暗いのです。しかし、一番明るくなる時期なのです。 みんな、必ず感謝の大道を歩むことが出来ます。感謝の言霊に心をあわせてみれば、すべては天照大御神、すべては自分、すべては宇宙のいのち、感謝の祈りこそすべてに満ちわたる(ミチ⇒道)と解るときがくるのです。 この世の表れは、無視しましょう。消えてゆくこの世の現れを再び掴んで自分の心に入れることさえしなければ、あとは、+の言霊”ありがとうございます”のみなのですから、必ず本来の世界に往け、本来の自分⇒本心を自覚することが出来るのです。 ありがとうございます
腸内細菌にも善玉と悪玉があるように・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月09日(水) 15時39分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
地球も人間の体とおなじように、地球霊王という大きな神さまの体なのです。 人間の大腸内でも、善玉の乳酸菌と悪玉の乳酸菌があるように、地球霊王の上に在住させてもらっている、人間も、地球霊王にとって、有用な人類と(与える心に生きる、感謝の生きる人)と無用の人(求める心を生きる人)とに分かれるのです。今、地球霊王は、求める心を生きる人がつくった、想念のかさぶたが治癒されてきて、本来の姿を現そうとする時期になってきたのです。 それを、人によっては、次元上昇のアテンションという表現にする人もおり、本来の地上天国である。弥勒の世が来る、と言う人もいるのです。 いずれにしても、人間の体内においても不要の大腸菌は体外に排出されてゆくように、求める心を生きる人は、地球外の世界に移される時がやってきたのです。それは、癌やエイズという形で死んで移行する場合もあれば、天変地異によって移行する場合もあるのです。 古来、幾多の聖者方が、この日の来ることを預言し警告しつづけてきたのですが、耳を貸す人はわずかでした。 今、神さまから物質化現象の許可がおりた現在はもっともその時期に近いと言えるでしょう。 物質化現象とはなにか、それは、思ったことが直ぐに形に表れる時代になった、と言うことです。思ったことがどんな小さなマイナス(求める心)であっても、速やかに物質化し、”病”となって、癌や膠原病や糖尿病や自閉症やエイズとなって、顕現する時代になったということなのです。 感謝の真祈りに邁進し練習し続けてきた私たちは、油断せずに、感謝し難いときは、メモ護摩木にと工夫して、ゆうゆうと、感謝の神さまの大道(胎動)を歩んでゆきましょう。 ありがとうございます
神さまの働きは常にプラスとマイナスの極に立ち・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月08日(火) 15時53分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
神さまの働きは常にプラス無限大からマイナス無限大の極に立って行われるのです。それ故に、闇の中にも光の中にもすべては含まれるのです。すべては神さまの生命そのものつまり光一元なのですが、その表現は、プラスとマイナスの極に分かれて現れるのです。 ありがとうございます
つたぬ解釈ではありますが・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月07日(月) 21時23分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
その日は真の闇に入ってゆく日なのです。真の闇というと、みなさま怖れられるかも知れませんが、真の闇の中にすべてがふくまれれているのです。それは、白き紙に墨で描くという水墨画を思えば解るとおもいます。 墨という黒色が無ければ、白き紙は、只光を表わすだけで、その存在を表現しようがないのです。 真の闇に向かって3日つづき真の闇の日があり、その日から3日目に夜明けに向かって展開してゆくのです。 そして、新しき年”新年”を迎えるのです。 常に神さまの表現は一瞬一瞬新たに新たに闇と光、生と死、を繰り返してよりすばらしい表現をとり続けてゆくのです。 ありがとうございます
御教え下さいm(__)m タケ 書込 2005年11月07日(月) 12時37分[ntkyto011148.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
初めてこちらにうかがわせて頂きました。何方かお分かりの方がいらっしゃれば有り難く思います。Xmasとは別に、古来より大切な日としてあると聞いております、12月25日の日の意味を御教え頂けませんでしょうか?どうぞ宜しく御願い致します。
ありがとうございますの響きは・・・・;。 河上彰延 書込 HomePage 2005年11月07日(月) 09時36分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)
ありがとうございますにも大きく分けて2種類の響きがあります。それは、求める心(お陰や現世利益を求める心)でするありがとうございますと、素直な与えきりの心でするありがとうございますとがあるのです。もちろん、与えきりの心でないと効果はありません。 そう言う意味では、ありがとうございますは呪文では無いのです。 三つに大きく分ける御霊とは、簡単にいえば、この与えきりの感謝の心の強さ深さに比例しているのです。別の言い方をすれば、現世利益やお陰を求める心があるか無いかで、分けられるのです。 ありがとうございます
ごめんなさい日立ノートでないので・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月07日(月) 00時41分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
どーも、日立ノートのキーボードでないとしっくりこないのです。上手く文章が流れるように打てないので、ぎくしゃくしている内に、文章が不自然になります。 大きく分けると、松、竹、梅、の三つの種類に色分けできると思うのです。松の響きの人と、竹の響きの人と、梅の響きの人の働きに分けれると言うことです。 その働きの内容は、色のようなもので、説明のしようがありません。赤、黄、青、の三原色のようにそれはそれはきれいなものです。
三つの御霊とは えい 書込 2005年11月07日(月) 00時22分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
松竹梅の三つの御霊とは何でしょうか?
松、竹、梅の三つの御霊に分けて・・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月06日(日) 18時51分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
神さまは、大きく分けて、松、竹、梅、の三つの御霊に分けて、振り分けられるのです。心を澄まして観れば、この世は、このままで、完全円満完璧大調和なのですが、色づけしない心であれば、松竹梅の三つの御霊がジグゾウパズルのように、パチパチとキッチリそれはそれは美しいようにはめ込まれて完成してゆくのです。神さまの御心のままに完成してゆくのです。 今でも、真祈りして、感謝の心で透き通るように見渡すことができるなら、自分の心が神さまの御心と一致することができるなら、何でも思い通りになるのです。それは、さながら、かつて合気道開祖植芝盛平先生が、成された、究極の合気道のように、道場にたたれたなら、道場が神さまの光一元に満たされ、向かうものすべて敵なしとなり、相対する人の邪心(この場合先生に技をかけようと向かう人)で、立ち向かう人すべてが、先生に触れずして、投げ飛ばされた事例のようなものなのです。 身近のことに心奪われ、不平を持ち、感謝の心を曇らせていると、解らなくなることだけなのです。 ありがとうございます
天の響きはこの地上の肉体を通して・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年11月04日(金) 23時49分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
御心の天に成るが如く地にも成らせ給え! まさにこの祈りの如く、神さまの響きは、この地上に肉体をとおして展開するのです。 神さまを信じる信じないにかかわらず、神さまの愛の響きは一瞬新たに新たに間断なく地上の肉体をとおして展開してゆくのです。 地上人の肉体想念の色に応じて着色変化変幻して展開するのです。いかなる人も大神さまの立場から見れば幼子なのです。 どんな、いたずらをしようが、好き勝手しようが、大神さまの響きは粛々と展開してゆくのです。そして、次の瞬間、天のおははりとなって、消えてゆくのです。 みんな自分の好きな展開を作って(自分に都合良いとは限らない)楽しんでいるのです。(苦しく見えても後で振り返ればみんなたのしい思い出) ありがとうございます
ハードデスクが壊れました 河上彰延 書込 HomePage 2005年11月04日(金) 05時27分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)
復旧に手間取っています。どーも日立のノートパソコンは、分解修理できないように、トラップが入っていて、手間です。 今しばらくお待ち下さい。 河上
祈れる者は幸いなり・・・・ 石川 書込 2005年10月30日(日) 07時06分[tetkyo035033.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)
祈れる者は幸いなり 迷いのない不動心そのものである。神を信じきれる者は幸いなり 如何なる困難をも克服出来る勇気と智慧を与えられる。自分を愛せる者は幸いなり 無条件に他を愛せることである。すべてを感謝で受け入れられる者は幸いなり 無限の無限の喜び一杯、光り輝く世界となる。与えきりの愛を実践できる者は幸いなり まさしく神の御心そのものである。神の御心に素直になれる者は幸いなり この世が地上天国となる大いなる働きである。祈れる者は幸いなり 神の御国の住人とならん。ありがとうございます
相手方の意向を漏らしただけで・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月27日(木) 22時50分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
相手方(業者側)の意向をわざわざ漏らしただけで、強迫ではありません。むしろ、親切です。しかし、仲介を断られましたので、これ以降は、ぼくの出来ることはありません。 なお、MS先生とは、私どもの家に何度が遊びに来られるくらいの親しい間柄でしたので、真実をおっしゃっておられるのなら、そしてこの事態をしったなら、簡単にすぐに私どもにメールが電話してこられると思います。僕の息子の交通事故のおりは、神戸の病院を紹介していただき、一緒について行ってくださったくらいです。→おかげさまで顔の傷は解らないくらいに回復しました。あの投稿は先生が普段お書きになっていた文章と違うので、先生の電話でのお話をどなたかがまとめられた中での誤解をうんでいると思っています。また、先生はお忙しいので現状の事態をご存じないと思います。
脅迫と捉えられやすい表現とは・・・ 詠人知らず 書込 2005年10月27日(木) 20時32分[ns.yawuh.com] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 1.1.4322)
「国家免許を失わない為にも・・・」「名誉毀損で組織に司法の手が入ってからでは遅すぎる・・・」
神さまの本当の助けというのは・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月27日(木) 11時28分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
神さまの本当の助けを受けられるのは、感謝と奉仕の心を起こした時だけなのである。 自分が何々したやったんだというような恩着せがましい傲慢な心や、利害損得のお返しを求める欲の心では、決して神さまの助けを受けることは出来ないのである。 神さまの無償の愛の助けというのは、高次元の波動であるから、その助けを受ける為には、自分の心の波動を高次元波動に調整しなければならないのである。即ち謙虚に謙虚に、すべては神さまのお陰であると感謝を積み重ね、一切の報いを求めることなく、与え尽くす生き方を実践し続けることが必要なのである。 五欲の心・業想念の心では、神さまの愛の心と波長が合わないから、神さまの助けを受けることは出来ないのである。 感謝と奉仕の本心の心のみが、神さまの御心と波長が合って、神さまの助けを大きく受け入れることが出来るのである。 神さまの本当の助けというのは、業想念・五欲の心・煩悩の心を、特に執着心と虚栄心を消し去って、本心の安らぎの心に戻すことなのである。 業想念の欲望を幾ら満足させても、本心の保持する真実の無限の無限の幸せとは比較にならないのである。 真実の幸せを得る為には、業想念の心を離れて、本心の心に戻る以外には無いからである。 業想念を自分の心として掴んだままでは、本心の心の安らぎを得ることは決して出来ないのである。 だから先ず業想念の心を、執着心と虚栄心を、どんなことがあっても、捨てようとしなければならないのである。 そして本心の心をしっかりと掴もうとしなければならないのである。 本心の心の立場に立って、業想念の心を消し去り、本心の心を輝かそうとしなければならないのである。 本心の心を輝かす為には、業想念の心を自分の心なのだと錯覚していてはならないのである。 五欲の心に負けてはならないのである。 何でも自分の思い通りにしょうとして、我の心をのさばらしてはならないのである。 与える心・奉仕の心をしっかりと起こすことによって、感謝を大きく・深くしてゆくことが大事なのである。
幸せを得る秘訣は、ただ一つ・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月27日(木) 11時04分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
真実の幸せは、無限の無限の幸せは、感謝一筋の本心の心に対して、常に間断なく降り注がれているのである。 感謝の心を起こすことが出来れば、その幸せを感受することが出来るのである。 幸せを得る秘訣は、ただ一つ、神さまへの感謝のみである。神さまから受ける幸せは、他の何者もこれを奪うことは出来ないのである。 自分の幸せ失われるとすればそれは他から奪われるのでは無く、自分自身が神さまへの感謝を忘れた時なのである。 神さまへの感謝を忘れさえしなければ、どんな幸せも奪われることは決して無いのである。 自分自身が神さまへの感謝を忘れ、業想念の心の奴隷に陥った時にのみ、自分のすべての幸せが失われ、七難八苦の大きな苦しみを背負い込むことになるのである。
SM先生、先生がありがとう広場に寄稿されている内容で 河上あきのぶ 書込 2005年10月27日(木) 07時16分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
SM先生、先生がありがとう広場に寄稿されている内容で、清掃の関する部分が事実と異なっています。謝罪訂正を求めておられる方がいらっしゃいますので、至急、私どもにメール下さいますか、もしくは、京都のM先生にご連絡下さい。用件は、清掃に関する部分は事実誤認であって、間違っていたと、訂正謝罪を、寄稿文に追加していただけるだけで、結構です。 河上
どこに強迫が?・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月26日(水) 16時05分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
おっしゃることが解りません。事実でないことを、正確に訂正してください。と、あるところから、頼まれているだけです。 むしろ、事実で無いことを、事実だといっているほうが、今、言った人の責任として、問題になっているので、ややこしくなる前に訂正していただけたら、それでよいと、申し上げているだけです。 消されましたさんがどなたかは知りませんので、これ以上は申し上げれません。 地位や名誉の有る方が、事実でないことを事実と言い切って差別的なことをおっしゃってるから、その部分の訂正を求めているだけです。 基本的には、介在しないでくれ。と言われているのですが、古い知り合いなので、敢えて、呼びかけているだけです。→連絡を取ろうとあちこち電話したのですが、みなさん、今は長い間SM氏から連絡がないとご存じないのです。 もう、これ以上のお節介はしないつもりです。 ”消されました”さんも推測でモノを言わずに、事実に基づいてお話ください。
河上さま 消されました 書込 2005年10月26日(水) 14時49分[146.57.112.219.ap.yournet.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
ありがとうございますという言葉を感謝のこころを「大いなる存在」に捧げ尽くすことは決して悪いことではないと思います。むしろすべての人がそうできれば世界は平和になるだろうと私は思います。しかし脅しや脅迫を交えた自己主張は「ありがとうございます」に反していませんか?お仲間であった方に暖かいこころも持てない河上さんに大いなる存在の神さまは、どう思われているでしょうか?
推測でモノをいう無責任さ・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月26日(水) 02時46分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
他サイトでは推測でモノをいい、事実らしく並べているところもあります。公判で証拠となるべき事実をいくらか知っておりますが、だいぶ、”推測”とは違います。部分部分の事実だけでは、反論のしようがないので、捨て置いて置きます。 ただ、SMなる方は社会的に地位も名誉もあるかたです。とても、あの報告は本人のお話とはおもえませんが、事実のように掲載されているわでですから、SM氏の国家免許を失わない為にも、事実ではない部分は訂正謝罪してください。SM氏がもしこの掲示板を見ておられるようでしたら、是非、共通の友人である、京都のM氏にご連絡下さい。事実関係の詳細をおつたえしております。名誉毀損で組織に司法の手が入ってからでは遅すぎるとおもうのです。
迷わずご自分の選ばれた道を・・・・ 石川 書込 2005年10月24日(月) 09時08分[tetkyo035006.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)
前にも申し上げましたが、本当の愛の心から発せられた言葉であるかないかは・・・どなたの目から見ても明らかです。ご自分でご自分の書かれた文章をもう一度振り返って読み直されると良いでしょう・・・・・ご自分のなさっていることにいい加減気付かれた方がいいかも知れません。不用意に使われたその言葉がそのままご自分に返っていくことに成りかねません!目先目先の事に囚われず、もっと広い心で純粋な心で物事を見つめるられる事を望みます!無意味な時間を費やすことなく、他人の事よりまずご自分の事をご自分の魂を磨くことに専念される方が有意義であり、ご自分の本心もその事を強く望んでおられることと思います。この世は100年余りの短い人生です。その中で、いかに自分の心を浄め魂を磨き本来のご自分の姿である本心を輝き出せるかです。ご自分でご自分の進む道を決められたのですから・・・どうぞ、迷わずその道を極められることを期待致します。陰ながら祈る者であります・・・・・ありがとうございます
誤解はそう受け取った本人の責任です。 河上彰延 書込 2005年10月24日(月) 04時54分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
誤解はそう受け取った本人の責任です。他人の所為にすることは無理があります。 推測で断定的に物言いされる方の文をここに引用されるのは自由ですが、その責任は、引用された、SOさまが取られるべき筋合いのものです。今後は確たる証拠のないことの書き込みはご遠慮ください。あらたなるはっきりした証拠が出たときに又、書き込んでください。 白光真宏会の会員を名乗り、推測でモノをいい、無責任な誹謗をされる方が他のサイトで見かけますが、白光真宏会を名乗る以上その発言の責任は、白光真宏会も共に責任を取る必要があると思います。 確たる証拠もなしに誹謗を続ける”愚”は慎むべきでしょう。
フウーッ! S.O 書込 2005年10月24日(月) 01時01分[i58-93-72-40.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
おっしゃられていることは、前々から理解しているつもりですが…そうなるともう、解釈の相違ですね!もう、私に言えることは何もありません。ただ、「誤解して受け取っておられる方が多くいらっしゃる!」ということだけは、認識された方がよろしいように思います。いろいろとありがとうございました。とりあえず、今回はこれにて失礼致します。
ありがとうございますのみ えい 書込 2005年10月23日(日) 08時15分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
先生が、これまでされた御話を「方便である」と言われたことについて否定的に受け取る人がいるようですが、そのころ先生は同時に「真実はありがとうございますのみである。」と言われていたということです。
先生に教えはありません・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月23日(日) 00時34分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
先生に教えはありません。”真理を指し示す言葉”はあっても、”真理”はないのです。それ故、すべての言葉は、らしきことをいっている”方便”であって、本物ではありません。それば、旅行案内のパンフレットと、実際に現地に行った”差”以上のものがあるのです。 先生に教えが有ると勘違いして、盲目的に頼れば、おっしゃるとおりにいろいろ問題があります。でも、それも無責任に、肉体の先生の権威に頼り、先生が何とかしてくれるだろう、という、甘えの為せる業です。 最近の発表された文章が先生の書かれたものと”盲目的に”信じ、それに一喜一憂するのも”笑止”と言うべきでありましょう。 繰り返し申し上げますが、すべては自分と神さまとの1対1の関係であって、他人の割り込む余地はないのです。 現状で大騒ぎしている人は、自分の責任を放棄し先生に甘えた分だけ怒り狂い、人の所為にして責め裁くのでしょう。 仮に病気直しをしても、その人の心境が変わらなければ元の姿を直ぐに現し、元のモクアミとなってしまうのです。 言葉に教えが有ると勘違いし、言葉尻に囚われ、肉体の先生に何とかしてもらおうと無責任な生き方をしていれば、何事も解らないのです。 私どもから見れば、黒住先生も、中山先生も、出口先生も、谷口先生も、五井先生も、おっしゃっていることは同じです。ことばの奥に響く神さまの愛はすべて同じなのです。 ありがとうございます
ほんとにほんとに最後の投稿です。 S.O 書込 2005年10月22日(土) 23時10分[i60-43-26-156.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
河上様、えい様、励ましのお言葉本当にありがとうございます。ほんとに最後にしますので、一言だけ書かせてください。万が一のお気づきにお役に立てたらと…「先生の御教えは、99%は非常に素晴らしいのですが、1%の二元論には毒が盛られている気がしてなりません。」
えい 書込 2005年10月22日(土) 10時33分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
S.Oさま>五井先生の「世界平和の祈り」に全てを託すしかないと思っております。すばらしいことだと思います。私もご活躍をお祈りしております。
世界平和の祈りに全託する。それはすばらしいこと・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月22日(土) 09時18分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
五井先生の世界平和の祈りに全託する。それは、素晴らしい決意です。かつて、30数年前、五井先生の提唱されるひたすらたゆみなく世界平和の祈りを・・に、賛同し、重いテープレコーダーを抱えて、先生の統一テープを聞きながら24時間連続統一に励んだものでした。そしてその効果は言葉で表現出来ないくらい素晴らしいものでした。それにともない、喜び勇んで祈願柱(平和ポール)を沢山立て・・生長の家時代からの懸案の古事記研究に、言霊研究にいそしんだものでした。 自分の人生は自分が責任を取るしかありません。自分の気に入った、自分の得心した道を選んでこそ納得がいくというものです。 今後のより一層のご活躍をお祈り申し上げます。
もう1回だけ追加させていただきます。 S.O 書込 2005年10月22日(土) 00時27分[i60-43-26-21.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
ご心配ありがとうございます。>それよりも、お仕事の方は大丈夫ですか?一日も早く生活が安定することをお祈り申し上げます。全然大丈夫じゃないです。もう全てがメチャクチャです。そんなこんなで、冷静な判断ができていないのかも知れません。これから先、何に頼ったらいいのか途方に暮れていますが、いまは原点に返って五井先生の「世界平和の祈り」に全てを託すしかないと思っております。ありがとうございました。
地上の肉体の先生の権威にすがっていては・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月21日(金) 23時34分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
地上の肉体の先生の権威にすがり、言葉にすがっていれば、苦しくなるばかりです。内なる神である、自分の本心の力を沸き出せねば、何ごとも、上手くいきません。 また、本心の力が沸き上がるとき、自然に感謝の気持ちになるので、その誘い水として、生長の家では、感謝行をすすめ、五井先生は世界平和の祈りをすすめ、中山先生はあしきをはろうてたすけまえてんりおうのみことをすすめ、とあるのですが、そのいずれも、行いの出ない祈り、即ち本心の力の湧き出る祈りでなければ意味をなさないのです。 そういう意味でも、自分と神さまの1体1の対面であって、他の誰もが介在する余地はないのです。 護摩はお祈りだけでは不安という”幼稚園児”の為に形をまねて行っているだけで、その作法や燃やすことにあまり意味はありません。 それが証拠に、ひとたび護摩を焚けば、たとえ焼け死ぬるといえども席を立つな。と、言い伝えられているのですが、17年度のありがとうございます護摩に於いては、護摩焚きの西村先生も作法に囚われていないので、熱くなって来たら自由に席をお立ちになって、護摩を焚かれたのでした。 それよりも、お仕事の方は大丈夫ですか?一日も早く生活が安定することをお祈り申し上げます。
私からの投稿はこれで最後です。 S.O 書込 2005年10月21日(金) 23時03分[i60-43-26-21.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
つい先日まで、先生のことを信じて疑わなかった私としては、非上に心苦しいのですが、一旦目覚めてからは今までの思いがウソのように氷解してしまいました。これからも信じ続けられる方は勿論ご自由とは思いますが、あくまで参考として、他のBBSで見受けた他の方のご意見を引用させていただきます。皆様、ありがとうございました。>これをきっかけに、一カルト団体になって行くと思います。ただ、やることは「時間が無いのよ」と言って、定期的に護摩行をやることくらいかもしれませんが。>護摩を一所懸命たくさん炊いて業想念が燃えた消えたと、勝手に自己満足で喜んでいる分にはかまわないですね。火の不始末で山火事さえ起こさなければ夜の火遊びくらいどうぞご自由にですね。
信じることをありがとうございますという ヒーさん 書込 2005年10月21日(金) 13時35分[f30-pc169.cty-net.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; i-NavFourF)
河上さまの言葉にいつも心を奮いたたせて頂いております。>(神さまが必ず良くされると信じることを”ありがとうございますといいます)を読ませてもらって思ったことです「ありがとうございます」の一言に芥子粒ほどの疑いも挟まない。唱えることで何事にも何物にも依りかからない「信」という気持ちが涌き出てくる。「ありがとうございます」を唱えさせてもらって気づけたのは信頼するということでした。「ありがとうございます」の助けは以外なところにあったので驚いています。最近お祈りを深くさせてもらっているのは僕だけではないと思います。ありがとうございます
短時間で深い統一を・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月21日(金) 09時47分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
今の一瞬深いお祈りの入ることが出来なければ永遠にお祈りすることは出来ないのです。お祈りとは、自力で歯を食いしばって、一心に集中することではなく、神さまが必ずいいようにされていることを信じて、感謝して(神さまが必ず良くされると信じることを”ありがとうございます”といいます)ふわっと、任せきることです。 神さまの力を信じてふわっと任せきるからこそ、力みがとれて、全て上手く動き出すのです。だって、泳ぐのだってふわっと、水に投げ出さないと泳げないじゃありませんか? 体に力を入れて力んで泳ごうとしても泳げないじゃありませんか? ふわっと任せきることが出来れば、一瞬一瞬新たに新たに受け直すことが出来、お祈りも、一瞬一瞬新たに新たに深く入れるのです。 全ては、自分と神さまの一対一の対面です。自分の本来の本心の(神さまの生命そのもののすばらしさ)完全円満完璧大調和の凄さを信じて、ゆうゆうとお祈りしましょう。 本心の素晴しさを信じられる程度に従って深く深く神の御心にふれることができます。 ありがとうございます
迷いがフッ切れて良かったですね 河上あきのぶ 書込 2005年10月20日(木) 23時15分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
すべては、光一元ですが、展開している宇宙の中では、光を強調するために、より弱い小さい光→これを業、悪魔(あくま・・空いた間)といいます。文章表現が下手でごめんなさい。 でも、吹っ切れてなによりでした。おめでとうございます。 何を選ぶかは皆さまのご自由ですから、一日も早くお仕事がうまくいかれることをお祈り申し上げます。
ありがとう協力隊の S.O 書込 2005年10月20日(木) 23時06分[i222-150-57-125.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
「ありがとうございます護摩も回を重ねる毎に」を読ませていただき、ついに迷いが吹っ切れました!>その反動として、闇の軍団の大きな攻撃・妨害・誘惑・が、お祈りしている人やお祈りしようとしている人に対して、向けられてきます。>そのマイナスの思いに完納して、悪魔やサタンやその眷属が憑依してきて、強い力で操ってくるのです。無条件の愛の大神様から、闇の軍団やら悪魔やサタンやらが出てきては、もうおしまいですね!私は、いままでの迷いがウソのように吹っ切れてしまいました。決して非難は致しませんが、いまだ信じておられる皆様が一刻も早く盲点に気づかれ、洗脳から脱皮されることを心からお祈りいたします。長い間お付き合いいただきありがとうございました。
お祈りをするようになってから、益々運命が悪くなったなどと言う言葉が、本人の口から出てくるとすれば・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月19日(水) 13時37分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
「逆鱗に触れる」→龍神さまの顎の下の逆さの鱗(ピラミッド型の永遠の生命の象徴 キリスト教でいうアーク)に触れると怒ってその人を干涸らびさせて殺すという故事から、絶対にしてはならないことの譬え。)と言うようなことを平気で行って、神さまの助けを受け損なっていることが多分にあるのものである。 神さまの助けというものは、真剣に感謝し続けてこそ大きく受けられるものなのである。 神さまというものは助けを願う前から、深い愛の心で守りに護って下さっているのである。 大難を当然うけるべき運命にあっても、大難を小難か無難に修正して、心を立派に磨くための勉強材料だけを残して、一日も早く本心を輝かして、無限の無限の幸せで一杯にしようと、涙ぐましいほど献身的に守り導いて下さっているのである。 それなのに神さまの助けなんて受けていないと無視したり、神さまを悪しざまに罵倒するということは、どれほど恩知らずなことか計り知れ何ものがあるのである。このような心が神さまの愛の助けを受けられる心であるわけがないのである。 お祈りをするようになってから、益々運命が悪くなったなどと言う言葉が、本人の口から出てくるとすれば、お祈りの仕方が間違っているのである。またお祈りとはどういうものか、その正しい意義を理解していないのである。 正しくお祈りを積み重ねたら、必ず業想念を消し去って、心を安らかにしてくださるものである。本心が輝いて、幸せは大きくなってくるものである。また大難を、小難か無難に必ず修正してくださっているものである。 お祈りに導かれたのは、未来に現実化することになっている悲惨な運命を前もって修正するためである。業想念を大きく積み重ねたら、空の黒雲が雨となって消えるように、業想念の自らの重みで自壊して、悲惨な運命と現れて消えることになっているのである。 お祈りというのは、太陽の強烈な光が雲散露消させるように、雨になる前に、業想念の黒雲を消し去るためにあるのである。 真剣に祈り続けていれば、必ず大難も無難に済まして貰えるのである。 もしお祈りが足りなければ、小難が多少出てきても当然なのである。小難が多少出てきても当然なのである。小難が出て来ても、文句の言えた筋合いでは無いのである。 折角教えて貰ったお祈りを自分自身が真剣に実行しなかった結果なのである。 お祈りの効果は、お祈りを実行する本人の上に顕著に現れるのである。 本人の心に幸せな本心が輝きを増すのである。 次にお祈りをしている人を励ました人が、大きく助けてもらえるのである。 お祈りの邪魔をしたり、お祈りを悪くいう人が助けて貰えるほど甘くは無いのである。 お祈りをしている他人が自分の都合良いように変化してくれることを願っても、無駄なことである。 幸せになりたければ、自分自身が真剣に祈らなければならない。 ありがとうございます
部分に囚われてはすべては観じ得ない・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月19日(水) 12時52分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
”郡盲 象を評す”の譬えのように、本心の心の目を閉じたままで、”すべてのすべてなる宇宙絶対神”を正しく評価することは不可能である。 絶対の愛の表現である全大宇宙のすべてを正しく”愛”の表現として受け止めることができないのは、本心の心の目を閉じているからであり、また過去に積み重ねた想念感情という”汚れた色めがね”を閉じているからである。 神さまの絶対の愛の表現は、尊厳無比・完全無欠・至貴・至美 ・至妙・至善 ・完全円満完璧大調和の御尊容である。 その愛の姿を自分勝手に悪く見て誤解し、神さまの愛を疑い拒絶するのは、真に恐れ多い・勿体ない・愚かしい行為である。 その根本原因は”無知”にある。本心の自己を忘れ、本心の自己に気付かず、本心の自覚の無いことが、すべての不幸・すべての苦しみの根因である。 本心に目覚めよ!本心に戻れ!本心の自覚を深めよ! これが真実の無限の幸福を自分のものにする唯一の方法である。 真実の無限の幸福は既に与えられているのである。ただその事実に気付くことだけが大切なのである。 そのために必要なことは、先ず 第一に、繰り返し繰り返し真理の書を読み、真理の話を聞き、真理の言葉を心にたたき込むことである。 第二に、”祈り言葉”を一心不乱に唱え続けることである。 第三に、みんなを幸せにするための愛他行を、身近から、小さいことから実践し続けることである。 この三つを実行する程度に応じて本心の自覚は深められてゆくのである。 宇宙絶対神の自己表現である全大宇宙は、無限の無限の大光明遍照の光一元に輝ける姿である。本心の心の目で眺めれば、全大宇宙のすべてのすべては、”輝ける身”としての”神”なのである。それなのに、それなのに、神さまの生命の光輝いた姿として感じ取ることができないとしたら、それが本心の心を忘れて、業想念の心の奴隷となっているからである。 『神は非礼を受け給わず』 なのである。 神さまに相対するには、本心の心をもって相対しなければならない。本心の心のみが神さまの中へ飛び込むことができるのである。業想念の心はすべて跳ね返されて、自分に戻ってくるのである。 それはちょうど、鏡の我の心を写すが如くにである。 業想念である我の心に対しては、神さまは鏡になって、その我の心を写し出してくださるのである。 『立ち向かう人の心は鏡なり己が心を写してや見ん』 『立ち向かう人の心は鏡なり己が姿を写してや見ん』 なのである。 本心の心とは、全大宇宙のすべてを神さまの愛の現れであると、光一元に仰ぎ見て賛嘆し、感謝し、喜ぶ心である。 業想念の心の奴隷とならないためには、積極的に本心の心を輝かして生きることである。 すべてに神さまの愛を見いだし、すべての現れの奥に絶対神を確認して、神さまに感謝しつづけることである。 ありがとうございます
どこに心を置くかによって、文章も変わります・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月18日(火) 03時31分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
やさしい雨さま、励ましのお言葉ありがとうございます。 どこに心を置くかによって、いろんな文書が出てきます。どの文章も著者名が出ていないので、本当は、誰が書いたか判らないのです。推測でモノを言う人は勝手に先生が書いたと推測していろいろ思い巡らすようです。 真祈りの大事さが判っている人は、文章が真理を指し示しているけれども、真理そのものではないことを知っているので、自分の心に真祈りによって受け直し、真理を直観しようとしています。 ご存じのように、悟りは真剣な真祈りによる直感でしか”感受”しえないものです。 中山先生、黒住先生、水谷先生、出口先生、谷口先生、五井先生等、先達のすばらしさはその時代の人が興味を引く内容に噛み砕いて、その表現を苦労して現されたことです。自分の本意ではなくても、”神さまに素直”を大事にされて、後世、批判されるのを覚悟で、時代時代にあわせた表現をとりつづけられているのです。 その時代にあわせた表現に囚われることなく、各宗祖のお言葉を読み返してみると、その素晴しさはいくら汲み出してもつきることはありません。 ぼくのつたない文章は、谷口先生、出口先生、水谷先生の文章のまねです。母が生長の家の講演会の切符を買わされていたので、谷口雅春先生の講習会によく行きました。雅春先生の著書は全て買い、幾度となく読み返したものです。その著書の内容の関係で出口先生の本を買いあさり、水谷先生、中山先生・・と買いあさったものです。 そこで、思ったことは、同じ言葉でも、その時代に神さまがこの言葉として、光を降ろされているということでした。もちろん、今も降りているのですが、特にその時代には集中的に降ろされているのでした。でも、どの祈り言葉でも、その言葉そのものが神さまということはなく、神さまへの”門柱””灯台”に過ぎません。 皆さま、一度は、気に入られた祈り言葉をお使いになって、集中的に、神さまの御心にふれようとされると良いと思うのです。真剣な求道心は、守護霊さま守護神さまの働きやすい環境となり、必ずや悟り(安心立命)への最短コースとなると思います。 この短い人生、いくらながくても120年しかないのです。寄り道するのも、いいですが、思い巡らす暇があれば、もっと、真祈りに向かって、祈り言葉を唱え続けるべきだと思います。 聖者と言われる方の寿命は、神さまの都合で、あっという間に変わります。いつ、神さまの御許に引き取られるか判らないのです。 あとに悔いを残さないためにも、今この時間この一瞬一瞬を真祈りに費やしましょう。 24時間連続の真祈り(心の中にキリストが⇒与えきりの愛の心が芽生えたら)が出来る人が、1万人現れたら、その心の実現力によって、地上天国が出現するのです。 ありがとうございます
申し訳ありません パスカル 書込 2005年10月17日(月) 23時36分[168.85.112.219.ap.yournet.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
先ほどは失礼な書き込みをしてしまいまして、申し訳ありません。お許し下さい。心からお詫び申し上げます。 心が揺れて、いろいろ書いてしまうようです。しかし、もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました。 ありがとうございます。
えい さま S.O 書込 2005年10月17日(月) 22時39分[i220-220-212-117.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
ありがとうございます。>くだらない噂話に時間を浪費することなく、お祈りを続けましょう。わかりました。くだらない噂話に時間を浪費することなく、お祈りを続けさせていただきます。ありとうございます。
河上様 ♪ありがとうございます♪ やさしい雨 書込 2005年10月17日(月) 18時49分[p3051-ipbf509marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
このところ、河上さんの書かれる言葉に非常に感銘を深くしております。♪ありがとうございます♪以前は、河上さんのご自分に対する独白と言った感じで時折読ませていただいておりましたが、このところ、一つ一つの書かれる内容が私の中に神の大愛たるやさしい雨のように深く沁み込み、色々な示唆を与えて下さいます。心より感謝申し上げます。とりあえずお礼のみを申し上げたく書き込みさせていただきました。
神の愛・神性恋慕とは・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月17日(月) 16時01分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
神の愛・神性恋慕とは、自分のすべてを”与え尽くす”ところの愛なのである。人は本心の神の愛をしっかり把握して、”与え尽くす”生き方になったとき、真実の無限の無限の幸せをつかむことができるのである。この世は幸せを大きくする為の修行の場である。本当の幸せは、本心の自覚からくる霊的なものであり、与え尽くすことによって、内奥から涌き上がって来るところの、尽きることの無い無限の歓喜なのである。肉体に執着している業想念の心で、求めて掴んだどんな感覚的歓びも、永続性の無い惑わしの歓びなのである。 この世は魂の修行・本心開発の為の大切な場である。幸せがどんどん大きくなってゆくならば、それは正しい生き方なのであり、幸せがどんどん小さくなってゆくならば、それは間違った生き方なのである。何が正しく、何が間違っているのか、一日も早く的確につかむことが大切である。与える心・感謝の心・善意の心・謙虚な心・素直な心・明るい心・前向きの心・プラスの心等々を生きるのが、正しい生き方なのである。反対に求める心・不足の心・悪意の心・傲慢な心・頑固な心・暗い心・後ろ向きの心・マイナスの心等々を生きるのが、間違った生き方なのである。 人は常に自分自身で何事も選択し、決定して生きているのである。だからこそ正しい生き方をしっかりと見極めて、慎重に選択し、決定して生きなければならないのである。自分の不幸を他人の所為にするわけにはいかないのである。他人任せにして仮に不幸になっても、自分がその生き方を選択し、決定したのであるから、みんな自分自身に全責任があるのである。 この世の人生修行の大事な要素である、恋愛にしても結婚にしても、自分自身の心の持ち方次第で、大切な魂の修行・本心開発の場にすることができるのである。本当の恋愛とは、報い求めず自分を捧げ尽くして、与えられるものを感謝の心で受けることである。相手に自分を捧げ尽くして一体化する歓びが、本当の本心の歓びなのである。自分を捧げ尽くす本心の歓びを掴んだ人が、全体の為に自分を捧げ尽くす、自己犠牲の大きな歓びを知ることができるようになるのである。こうして真実の恋愛は神の愛にまで高められたゆくのである。神性恋慕の恋とは、心ひかれるものへ無条件で自分を捧げ尽くすことであり、慕も同じく心ひかれるものへ無条件で自分を捧げ尽くすことである。神性恋慕に近い恋愛ほど、清まった恋愛であり、美しい表現となるのである。結婚は相手を特定して、自分を捧げ尽くす修行なのである。恋愛にしても、結婚にしても、一切の報いを求めないで、自分を無条件で与え尽くす生き方の中にこそ、本心開発の道があるのである。
宇宙絶対神が「愛そのもの」・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月17日(月) 01時31分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
宇宙絶対神が「愛」であり、「愛そのもの」なのである。唯一なる絶対(愛・全体が一つ)が相対の二つに分かれて、再び一つに結び合わされた姿が、宇宙という愛の表現なのである。「愛」とは宇宙創造の根本神力である。愛は宇宙のすべてを、光一元に・大調和に創造し・生かす働きである。愛・神性恋慕は相対に分かれた二つを、一つに結び合わす引力である。その愛の牽引力によって、無限の無限の妙味有る表現、真・善・美・聖という最高表現が生まれるのである。 本心の自分は神の愛を継承し、神の愛を表現するものである。神の愛の表現・輝きが、真・善・美・聖となって現れるのである。人は先ず神の愛を感受することによって、その受けただけの愛を表現することができるのである。だから何よりも大事なことは、神の愛をより多く受けることである。 神さまに 愛されている! 愛されている! 愛されている! 神さまの無限の無限の愛を、一瞬一瞬新たに新たに与えられ・受け続けているのである。ありがとうございます。 神の愛を感受する一番の秘訣は、感謝の心(本心)を生きることである。感謝を忘れて、求める心(不足の心)・執着の心(新しいものを受け損なう心)・業想念の心に陥れば、益々神の愛から遠ざかってしまうのである。今の一瞬一瞬を、どちらの心を選んで生きるかによって、神の愛の受け方が決まるのである。 神の愛は、 @絶対にある完全性を拝み出すのである。「みんな既に悟っている、祈っている、救われている、無限の無限の大光明燦然と輝いている、一切皆善至美至妙完全円満完璧大調和」 A一切の報いを求めずに、与えて与えて与えて与え尽くす心である。神さまにさせていただく愛の行為は、それ自体が喜びなのである。返礼を求めたり、喜んで欲しいとおもうのは、我(業想念)の心をつかむからである。 B相手の自由を決して縛らないのである。神の愛はどんな幸せも、決して無理強いして受けさせようとはしないのである。無限の無限の幸せを何時でも受け取れるように用意して、なおかつ自分の自由意志で喜んで受けてくれるのを、忍耐強くいついつまでも待ち続けて下さるのである。 C必要なものを的確に与え、適材適所に配置してゆく思いやりの心であり、和光同塵の心である。 Dどんな表現をも、謙虚な心で、マイナス無限大の立場から、光一元に仰ぎ見て、その真価をを認めて、褒めたたえ・感謝し・喜ぶところの寛容の心である。 E既に与えられている無限の無限の幸せを、素直に喜んで感謝して受ける心である。 F感謝三昧の心である。無限の無限の大光明を受けて与え・与えて受ける、神の全徳の光の無限循環である。
自分の口より発した言葉というものは、必ず自分の心の中に戻ってくるものである。 河上あきのぶ 書込 2005年10月16日(日) 23時59分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
宇宙の大神さまによる真創造の世界(第一創造の世界)は、大神さまの全徳が無限の無限の大光明燦然と光一元に輝く完璧極まりなき世界である。その第一創造の世界にプラスして、人は大神さまの分霊として、言葉の想像力を駆使して、自分の信ずるところのものを心に受け入れて、それを環境に投影して、自分自身の世界(第二創造の世界)を作り上げているのである。人は言葉によって自己の信念を作り上げ、その信念通りの世界を創造して、その世界に住む自分を見ているのである。人は自分の自由意志で言葉を選択し、その言葉を積み重ねることによって、自己の信念を作り上げているのである。そして各自がその信念通りの世界を創造し、その中に自分を置いて、それぞれの心の表現を味わっているのである。 今自分の感受し・味わっている世界が幸せ一杯の世界であるならば、その人はその幸せな世界を創造するために、心にプラスの言葉を沢山積み重ねて来た結果なのである。その反対に自分の感受し・味わっている世界が不幸せ一杯の世界であるならば、言葉の創造力に気付かずに、不用意にマイナスの言葉を心の中に沢山積み重ねて来た結果なのである。人は自分の心に蓄積した言葉通りの世界を創造して、その表現を味わって居ることになるのである。 自分の口より発した言葉というものは、必ず自分の心の中に戻ってくるものである。 プラスの言葉を使えば、その言葉はみんなに幸せを与え、同じ仲間(プラスの言葉)を連れて、大きなプラスの言葉となって、必ず自分の心の中に戻って来るのである。その結果、自分の心の中には沢山のプラスの言葉が蓄積されることになって、自分の造る世界は幸せ一杯の世界となるのである。 反対にマイナスの言葉を使えば、そのマイナスの言葉を心に摂取した人を不幸せに陥れ、同じ仲間(マイナスの言葉)を連れて、大きなマイナスの言葉となって、必ず自分の心に戻ってくるのである。その結果、自分の心の中には沢山のマイナスの言葉が蓄積されることになって、自分の心は勿論、自分の造る世界も益々不幸せ一杯の世界となるのである。 無限の無限の幸せが一杯!という世界を創造したいのであれば、無限の無限の幸せが一杯!という言葉を、自己の信念になるまで、心の中に蓄積しなければならないのである。自分の感受し・味わう世界は、自己の信念の投影された世界なのであるから、言葉の創造力を駆使することによって、自由自在に変化させることが出来るのである。 言葉の通りになる世界! 信念の通りになる世界! 「ありがとうございます」と一心に心に感謝しつづければ、必ず真の悟りが開け、大神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受し・味わえるのである。 ありがとうございます
人生の真の目的は悟りを開くこと・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月16日(日) 23時24分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
人生の真の目的は悟りを開くこと、即ち宇宙の全相・全貌・全体を一望の下に眺められる自分になることである。これを喩えれば、登山をして頂上を極め、全体を一望に収めるのとよく似ているのである。本心のを開発し、魂の進化・向上を目指すのは、螺旋階段を昇るように、山頂を目指して坂道を一歩一歩前進するのと同じである。早く頂上を極めるためには、出来る限り身軽になって、半歩でも一歩でも前へ前へと進むことである。通過してきた途中にあるものに執着して、それらを沢山背負っているとしたら、その重荷に負けて前進出来なくなったり、下へ転がり落ちる危険性もあるのである。心にいつまでも過去の出来事を掴んでいるのは、丁度この重荷を背負っているのと同じなのである。この重荷が大きければ、一歩も前進できないどころか、坂道を転がり落ちるのは必至なのである。心に何も掴まずに、ただ歩んで来た道を振り返り、感謝し・喜ぶだけなら、次の一歩を踏み出す活力となるものである。 人は常に前進を心掛け、何らかの進歩・向上を目指さなければ、本心の喜びがわきあがって来ないのである。後退し・転落し、退歩・堕落すれば、苦しみが大きくなるのみなのである。この世の人世体験においても、少しでも後ろ向きになった時は、苦しみ・後悔するだけであるということを、誰もが厭というほど味わっているはずである。それならば常に何かに於いて、半歩でも一歩でも前進しなければならないのである。どんなことでも良いから、少しでも進歩・向上するように、積極的に生きなければならないのである。この世における時間というものは、定められた寿命即ち自分の生命(いのち)そのものなのである。一分一秒と言えども、無駄にし・粗末にしてはならない尊いものなのである。 氣力を涌き出せ、心を積極的にし、行動を前向きにするための秘訣は、プラスの言葉のみを使うことである。たとえ今現在の自分の状態が、過去に使ってきたマイナスの言葉の影響で、無気力・消極的で・後ろ向きであっても、プラスの言葉を駆使することによって前向きになれるのである。一切の過去は消え去って無いのである。従って自分を縛るマイナスの言葉は存在しないのである。自分の中からは無限の氣力が湧き上がってきている。今自分の心は無限に積極的である。自分の一切の行動は無限に前向きなのである。ああ!無限の無限の希望・勇気・喜び・楽しさで一杯なのだ!ありがとうございます。 決して決してマイナスの言葉を使ってはならないのである。マイナスの言葉を使えば使うほど、過去に積み重ねたマイナスの言葉を引き寄せて、その重荷を大きく背負うことになり、必然的に転落して傷つき苦しむことになるのである。プラスの言葉を、プラスの言葉のみを積極的に使い続けることが、本当の自分を生きていることになるのである。
山川草木悉皆成仏 えい 書込 2005年10月16日(日) 22時00分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
お祈りのときに「みんな天照大御神」をつけるといいそうですが、これはお釈迦様の言葉「山川草木悉皆成仏」と同じ意味だということです。
S.Oさま えい 書込 2005年10月16日(日) 21時54分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
先生は、噂話の件について人から問われた時に「そんなもん、あるわけないやん」と、あっさり否定されたということです。くだらない噂話に時間を浪費することなく、お祈りを続けましょう。
天人五衰・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月16日(日) 14時56分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
お祈りにおいて、どんなに高き意識レベルに達したと思っても、1日お祈りしなければ、元のモクアミに戻ってしまいます。いや、もう少し下のレベルまで落ちてしまいます。 もし、このとき、そのお祈りする人に頼っている人がいれば、その人たちも一緒に転落するのです。 いかに、毎日のお祈りが大切か!いや、一瞬新たに新たに受け直す真祈りがどんなに大事か!なのです。 そういう意味でも理屈で思い巡らす無駄な時間をついやすことはできないのです。 一人の真の真摯な命がけの真祈りは、感謝の心を持とうとする多くの人の心に安らぎと平安をもたらします。 感謝の真祈りが気に入った方はどうぞ日々の真祈りにご自分の生命を(時間を)費やして下さい。 ありがとうございます
SOさんごめんなさい。 河上あきのぶ 書込 2005年10月15日(土) 23時40分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
SOさん、ぬれぎぬを着せてしまって、ごめんなさい。先生は一貫して”ありがとうおじさん”なる呼び名を否定され続けてもう何年か立ちます。10数年まえ共に古神道を古事記を研究していろいろな輝きがありました。 今回のうわさは、事実関係が確認しようのないことなのですが、いろんなグループの熱心な方がそれぞれ追跡調査をおこないまして、最初に誰が軽くいった表現を誤解して次の人に伝わり尾ひれはひれが付き、さらには、先生を自分の思い通りに動かしたい方の思惑が重なり・・・・、又、マン悪く村を出る方の出来事と重なり、今回の思惑、思案、推測、噂が、飛び回って・・・・。と果てしない様相を示していますが、随時それなりの真相らしきものが解ってきているようです。 ただし、僕の聞いた範囲ではすべて、聞いた話で、どの話も推測の域をでません。 常に申しますように推測でモノをいうのは、”差別”です。たとえ、ネット上といえども、推測でモノをいい、匿名にて確たる証拠もなく(公判を維持する証拠もなしに)個人攻撃するのは、どうかとおもいます。その人の人格が疑われるでしょう。 以上のような訳で、共に古事記を書き始めた者として、先生のあの統一時の響きは、僕にとっては感激するものばかりでした。 みなさま、ご自分で、ご自分のやりやすい方法で統一(真祈り)をおこなわれ、神さまの御心の中をうかがい知って、観じて頂くしかないとおもうのです。 それは、いくら言葉で自転車の乗り方を書いても実際に乗ってみないことには何も解らないことに似てると思うのです。 うわさに、理屈と思いを巡らせている時間があるのなら、ひたすら祈って、”見神”すべきだと思うのです。 常に申しますように、24時間連続統一(常に神さまの御心に自分の心を置く)ことが、出来てこそ、初めて、すべてが透き通るように見えてくると思うのです。 しかし、最近のネット上の言葉を借りれば、これも、僕の勝手な思いこみです。 みなさま、それぞれの”思いこみ”の中から気に入ったものを選んで、お試しになられるとよいとおもいます。 ここでは、自分なりの、お祈りの工夫、体験を書いています。役に立たないとおもえば、ネットサーフィンで、他のサイトを研究して頂けたらよいと思っています。 ありがとうございます
消されましたさんお気の毒です S.O 書込 2005年10月15日(土) 18時59分[i220-220-212-117.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
>その書かれた言葉一つ一つに愛があるかないかは>歴然としています。>言葉の持つ力とは、凄いものです。Yupika☆さんの書き込みにそれを感じます!>お名前を変えて投稿される理由をおしらせください。一応お断りですが、私は「ありがとうおじさん命」で一度だけ書き込みましたが、「消されました」さんとは関係ありません。「消されました」さんがお気の毒です。さて、その理由ですが…私はかねてから五井先生の御教えに傾倒しておりました。五井先生関連の風さんのサイトから、五井先生の御教えを継承されつつ更に発展されたここの先生の存在を知り、まだ1年足らずですが、その更に深い「神と人との関係についての教え」について感銘を受け、真剣に学ばせていただいていたところ…今回のウワサがまことしやかに語られ始め、驚きと共に非常にショックを受けた次第です。私は、勿論単なるウワサであって、先生の真実の御教えについていけない一部抵抗勢力の、イヤガラセに違いないと今でも信じて疑いません。しかしながら、人間とは弱いもので、多少の不安はぬぐいきれず、どこかにその確証を得て安心したいと思っているものです。そのようなわけで、その確証を得たいが為に、最初は今までの「S.O」のHNで投書したわけなのですが、私にとっては期待した返答が得られませんでした。そのようなわけで、私の先生を信じたい一心の気持ちをくんでいただきたく、それを表現したい意味の敢て異なったH.Nを用い、やや強引な語り口に変えて投書させていただきました。ご迷惑をおかけしたこと、心からお詫び申し上げます。いまは、じっくりと自分の心の中に問うて、ハッキリと確信を得ましたので、もう大丈夫です。これからも、「ありがとうございます」一筋に邁進していきたいと思います。ありがとうございます
消されましたさんへ Yupika☆ 書込 2005年10月15日(土) 17時46分[YahooBB220040157097.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
>わかりました。ご自分が場違いなのがわかったなら、あなたのお話の相手を喜んでしてくれる場所へどうぞお行きなさい。そういう場所が、どこかにあるでしょう。
自由? 消されました 書込 2005年10月15日(土) 17時21分[84.57.112.219.ap.yournet.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
Yupika☆ さんに質問してはいませんが何か興奮しておいでのようですね。書き込んだ記事は一度消されました名前を重複して書き込みもしていません。ここは「自由らくがき帳」では無く「ありがとうございます」と承るだけの場所だったのですね。わかりました。
ご自分の中の神性を信じ・・・・ 石川 書込 2005年10月15日(土) 07時49分[tetkyo035006.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.0.3705; .NET CLR 1.1.4322)
文章というものはその書かれた方の人物像をよく表していると思います。その書かれた言葉一つ一つに愛があるかないかは歴然としています。言葉の持つ力とは、凄いものです。その言葉を使った方は、その責任を全部ご自分で取られる覚悟があってお使いのことと思いますが・・・全部使った方に返っていくのをご存じであえてお使いになっておられるとすれば余程の人物でいらっしゃるのでしょう。最近の状況下で心情を害している方や不安に感じている方または、迷っている方もいらっしゃるかもしれません・・・?どうぞこういう時こそ、祈りを深めて頂きたいものです。まず、ご自分の本心に伺いをたてることです。理屈抜きで、ご自分の本心が素直に受け入れられるものこそ本来の響きのような気が致します・・・他に求めるのではなく、ご自分の中の神性を信じそれを祈りの中で輝き出されることです。そうすれば、必然と道は開けることと思います。今この瞬間が分かれ道とするならば貴方はどちらを選ぶかです!迷っている暇、くだらぬ議論をしている暇などないのです。即、実行あるのみです!弥勒如来となりし時この世は永遠の愛と慈悲で輝きわたらん無限の無限の輝きが一杯ありがとうございます
祈りは一心不乱にやるんじゃないんです・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月15日(土) 04時29分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
祈りは一心不乱にやるんじゃないんです。一心をグーッとひろげて、一心をなくしてしまうんです。一心を、一つの心じゃなくて、一つの思いじゃなくて、一つの神、一神にかえるのです。神の心の中に入れてしまうのです。あとは神さまがやってくれるんですよ。 五井昌久先生のおことば
消されました さんへ Yupika☆ 書込 2005年10月15日(土) 03時48分[YahooBB220040157097.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
私の考えがあなたに奇妙に映ろうが、私の関知するところではありません。私にいくら質問しても無駄ですよ。あなたのお気に召す答えは用意できません。わたしはおじさんのように、相手に合わせて方便を駆使する技量も、優しさも持ち合わせておりませんので。あなたの疑問と苦しみは、あなた自身が向き合い、あなた自身で乗り越えてください。わたしは、全く、お力になれません。以後、わたしに「質問」などしないように。
神を知るには祈りによるしかありません。 河上彰延 書込 2005年10月15日(土) 01時38分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
貴方様の説く「神さま」だけが本物だと・・・?それを幻想とも言います。⇒おっしゃるとおり他人から見れば幻想です。 神さまを知るには、祈りによるしかありません。幻想であるか。どうかは、祈った人の判断であって、他人にはわかりません。”不立文字”とは、常に1対1で、神さまと対面することであって、他人が見てわかることではありません。 ”幻想”と他人から見て見えるのは当然のことでしょう。 質問の意図がはっきりしない書き込みは当然削除します。
お名前を変えて投稿される理由をおしらせください。 河上彰延 書込 2005年10月15日(土) 01時27分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
SO,ありがとうおじさん生命、消されました、等。お名前を変えて投稿される理由をおしらせください。
質問の意図をはっきりしてください。 河上彰延 書込 2005年10月15日(土) 01時22分[zaqdadc1f74.zaq.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
ここは、ありがとうおじさんなる人物のサイトではありません。 そういう質問はありがとうおじさんのサイトでお願いします。
書き込んだ疑問を 消されました 書込 2005年10月15日(土) 00時30分[229.57.112.219.ap.yournet.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
また消されますかね?「本当のところ」なんていうものはどこにも存在しない幻想なのです。これは妙な意見ですよ貴方様の意見だけは「幻想」ではなく貴方様の説く「神さま」だけが本物だと・・・?それを幻想とも言います。それこそがおじさんの教えの縛りなのでは?
誤解というものは存在しません Yupika☆ 書込 2005年10月14日(金) 10時20分[YahooBB220040157097.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
世間の"誤解"を解く必要を感じません。"誤解"されたままで何が不都合でしょうか。誰にとって不都合なのでしょうか。「本当のところ」なんていうものは、どこにも存在しない幻想なのです。ですから「本当のところ」を誤って解する「誤解」も存在し得ません。どこにも存在しない幻想を追い求めるから、苦しいのではありませんか?
推測でモノを言うのは差別です・・・・。 河上あきのぶ 書込 2005年10月13日(木) 21時09分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
僕は現場にも居なかったし、証拠写真ももっていません。なにがあったか、確認しようのないことです。 裁判で常に言われることは、推測でモノを言うな!です。 そして、推測であることないこと、無いこと、無いことをいうのは、”差別!”という、言葉の暴力行為です。事実関係を確認できないことを、推測で、言う人は、日本においてはその発言の責任をとらされることになります。 だからこそ、ネット上では、匿名で隠れて卑怯な立場で物言いをするのでしょう。 電話でも直ぐそのログをとれる現在では、匿名電話でも、身元が明らかにされます。ネット上でしか、うわさ話ができないのでしょう。 人の不幸は蜜の味と申します。確認出来ない。うわさ話に、特にお話のしようが、コメントのしようがありません。 MSなる方、森本修なんとかさんのことは、古い知り合いであります。まだ、連絡はとっていませんが、彼があの発言をしたという、証拠もないので、問い合わせていないのです。 あの発言においても信憑性を疑います。だって、あの内容のような(だいぶ違いますが)ことを話し合ったときは、僕も森本さんも一緒にいたのですから・・・・。
ところで ありがとうおじさん命 書込 2005年10月13日(木) 20時08分[i220-220-212-117.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
先生のウワサのH行動について、方便でも何でもいいですけど、本当のところはどうなんでしょうか?それをどう判断するかは別として、事実はどうだったんでしょうか?世間の誤解を解く意味でも、正直におっしゃってください!先生の側近であるあなたが抽象論ばかりおっしゃっていたのでは、どうにも埒があきません!方便は方便で結構ですから、どうぞ事実をありのままにお伝えください。お願いいたします。
その通りです。 河上あきのぶ 書込 2005年10月13日(木) 01時36分[YahooBB220038048012.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1)
Yupika☆さま ご丁寧な真摯な書き込みありがとうございます。 そのとおりです。 ただ、ありがとうございますノートは、もう、既に方便をだいぶ使っておられます。これの以前のノートがあるのですが、先生のもういいよ。の一言でお蔵入りになりました。 それから、貴重な体験談をありがとうございます。 ・・・・おじさんが、過ぎるほどに方便を使ってくださったからこそ、それが呼び水となり、私にまで伝聞されて、その結果、おじさんの過去の文章にも出会うことができました。そして、録音された質疑応答を聞くたびに、大きな危険をおかして、自分の身をなげだしてまで、相手に合わせた方便を語ってくださる姿に、涙しました。学芸会的茶番劇がなければ、これほど広くは、広まらなかったでしょう。そして広く広まらなければ、おじさんが危険にさらされることもまた、なかったでしょう。それなのにおじさんは、あえて危険を背負ってくださったのです。わたしなど凡人は、そのことに、ありがたくてありがたくて・・・涙が出るのです。・・・・ 先生が”ありがとうおじさん”と呼ばれるのを黙認され、”只、神さまに素直だけ”を実行されているのを、改めて教えられて僕も、思わず涙しました。 正直、ありがとうございます護摩のあの茶番劇そのものの作法に辟易しておりました。もし、作法通りするのなら命がけで徹底的にするべきだと僕などは思ってしまうからです。写真集でも、すべてに偏在する生命原理である。天照大御神が宇宙絶対統一神が、写真に写るわけがなく、ここは、学芸会か、と、うんざりしておりました。しかし、先生のすごさは、いや、神さまのすごさは、そんな形を超え、17年度のありがとうございます護摩において恐ろしき位のつよき光をおろされたのでした。 ぼくは、先生から多くのことを教わりました。その中には、病気直しもあり、いろいろでした。 先生の教え方は独特です。突然目を見つめてスパッととおしてくるのです。一瞬です。そして、二度と同じことはされません。受け損なったら終わりなのです。真剣勝負なのです。一瞬一瞬が大事なのです。 当時の、一緒におられた周りの方に、今の凄いの受け取ったか?と聞きましても、みんな、えっ何のこと、と、気付かないのでした。 先生は皆さまに平等に光を注がれます。受け取れるか受け取れないかは本人の自由なのです。 僕も反省いたしました。肉眼に見える表現に囚われずに、いやがらずに次のありがとうございます護摩にも真祈りにいこうと思います。 ありがとうございます
ありがとうございます Yupika☆ 書込 2005年10月13日(木) 00時25分[YahooBB220040157097.bbtec.net] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
>僕は先生が20歳で宇宙大の自覚(悟り)を得られた頃からの先輩後輩>の間柄ですが、昔の先生は相手に合わせて方便をあまりおっしゃられ>なかったので、それはそれは厳しいものでした。ありがとうございますノートの文章は、その、方便をあまりお使いになっていなかった時のものでしょうか?>一人一人相手の希望に出来るだけ添った答えを出してゆくので、>それぞれの答えをつきあわせてゆけば、疑問だらけです。これは、村でツアーと共にお話会が開かれ、そこで録音された、質疑応答のことでしょうか?>ですから、昔言われていたことと、今は全然矛盾したことが多いです。そしてこれは、ありがとうございますノートと質疑応答とのあいだの矛盾、ということでよろしいでしょうか。>だから、あまりに方便がすぎ、学芸会的茶番劇な行事には、>冷ややかに見て参加しません。最近はほとんどそうですが・・・・。おじさんが、過ぎるほどに方便を使ってくださったからこそ、それが呼び水となり、私にまで伝聞されて、その結果、おじさんの過去の文章にも出会うことができました。そして、録音された質疑応答を聞くたびに、大きな危険をおかして、自分の身をなげだしてまで、相手に合わせた方便を語ってくださる姿に、涙しました。学芸会的茶番劇がなければ、これほど広くは、広まらなかったでしょう。そして広く広まらなければ、おじさんが危険にさらされることもまた、なかったでしょう。それなのにおじさんは、あえて危険を背負ってくださったのです。わたしなど凡人は、そのことに、ありがたくてありがたくて・・・涙が出るのです。
大変申し訳ございません S.O 書込 2005年10月13日(木) 00時04分[i220-220-212-117.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
皆様もご存知の通り、他のBBSであまりにも先生に対する非難の声が多いものですから、つい感化されて便乗してしまいました。私も、あのウワサを単なるウワサと信じたいが為に、つまらぬ突込みを入れてしまい反省しております。すみませんでした。一刻も早くつまらぬウワサが解明されることを願っております。ありがとうございます
お祈り会 えい 書込 2005年10月12日(水) 22時16分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
先日は、お祈り会を開催していただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。 ありがとうございます
最近の先生に関する噂話 えい 書込 2005年10月12日(水) 22時11分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
最近、ネット上で先生に関する事実無根の噂話を流す人たちがいます。私も最初は目を疑いつつも真実ならば事実として受け止めようと思い、村の関係者達から情報を集めました。現在、少数ですがこの噂話ができあがった過程を、地道な調査の結果ほぼ把握している方は存在します。私もそのような方達から、かなり詳細に話を聞くことができました。誰が誰にどのような話をして、それにどのような尾ひれがついて話が変わっていってしまったかというところまで、かなりわかってきています。今後、少しずつ真実が表に出ていくかもしれませんが、個人のプライバシーもあり、ネット上で書けることには限界があります。納得のいく情報を得ることができるのは、このような情報通の人達と直接コンタクトできる人に限られてしまうかもしれません。
えい 書込 2005年10月12日(水) 21時13分[210-20-64-17.rev.home.ne.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)
ここのBBSは誰がどんな考えをしようと批判的な考えをしようと自由です。S.OさんがここのBBSが自分に合わないと思えば去っていくのも自由です。誰も何も強制しません。誰が物理的あるいは法的脅迫で批判する人々を脅かしたというのでしょうか?質問するのは自由ですが、あまりに礼儀を欠いているのではないでしょうか?
またしても、ウーム! S.O 書込 2005年10月12日(水) 20時33分[i220-220-212-117.s02.a009.ap.plala.or.jp] Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; (R1 1.3))
ウーム!ここのBBSは下記のカルトに該当するのではありますまいか?…!>宗教は問いや自立した批判的な考え方を許し、また奨励しもする。 >カルトは問いや自立した批判的な思考をさせない。>宗教は批判する人に丁寧に応答する。 >カルトはしばしば、物理的あるいは法的脅迫で批判する人々を脅す。
行いに出ない祈りだったら・・・・。 河上彰延 書込 2005年10月12日